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2021年2月

2021年2月28日 (日)

デジタルカメラの歴史をお勉強

 半蔵門のイギリス大使館の裏にある日本カメラ博物館で、2021年2月9日(火)から6月13日(日)まで、特別展「デジタルカメラ1981-2021 進化と発展の40年」を開催しているので、見に行った。

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 イギリス大使館の裏に「一般財団法人 日本カメラ財団」(JCII)が持っているJCIIビルというのがあって、一階から上が出版社の宝島社で、地階に日本カメラ博物館がある。

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 デジタルカメラの前史としては……

『静止画をデジタルで記録する「デジタルカメラ」の前に、アナログ記録を行う「電子スチルビデオカメラ」という製品群が存在した。これは、アナログFM記録する電子カメラで、ソニーが1981年(昭和56年)に試作し後に製品化した「マビカ」を代表とする。初の販売製品としてはキヤノンのRC-701(1986年(昭和61年)発売)があり、この時に2インチのビデオフロッピーディスクを記録媒体として記録する共通規格SV規格が正式に決められた。これに追随して、カシオはVS-101(1987年(昭和62年)6月)を発売したものの、10万円台の高価格(ちょうど同じ頃普及が進んだ8ミリビデオカメラと同額程度)のため人気が出ず、大量の不良在庫を出した。このSV規格方式を中心に、1990年代初頭に至るまでいくつかのメーカーから電子スチルカメラが発売されるも、カムコーダの人気の前に、全く普及しなかった。なおこれらのカメラは、当時はメーカーごとに様々な名で呼ばれており、「電子スチルビデオカメラ」は、デジタルカメラ登場以降に、それと区別するために付けられた名称である。』(Wikipedia)

 というのがあり、その前史的な存在のカメラが以下のカメラたち。

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(左上から) 「ソニー マビカ試作機」 1981(昭和56)年 ソニー /「キヤノン スチルビデオカメラ RC-701」 1986(昭和61)年 キヤノン /「フジックス メモリーカードカメラ DS-X」 1989(平成元)年 富士写真フイルム /「カシオ QV-10」 1995(平成7)年 カシオ計算機 /「パナソニック ルミックス G1」 2008(平成20)年 パナソニック /「コダック プロフェッショナルデジタルスチルカメラ DCS」 1991(平成3)年 イーストマン・コダック /「ニコン クールピクス P1000」 2018(平成30)年 ニコン /「シャープ J-SH04」 2000(平成12)年 シャープ 

 カメラ(アナログカメラ=なんて言葉は、昔はなかった。普通に「カメラ」もっと言っちゃうと「カメラ・オブスキューラ」つまり、単なる「暗箱」)の歴史は、レンズの開発ってことで、ドイツかもしれないけれど、デジカメの歴史は日本が始まりってことで、いいんでしょうかね。(なんか、最近、こういう言い方については、韓国や中国が「そんなことはない! それこそ我が国が起源だ!」なんてことを言い出しそうで、自信がありません。困っちゃうな

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 まあ、そんな前史的なことには興味はあまりなく、ここは私が持っているデジタルカメラを眺めている。

 ということで、まあやっぱり一番の出色は、世界で初めてのレンジファインダー・デジタルカメラのエプソン R-D1ですよね。レンジファインダー・カメラの王者、ライカがやるよりも先に手を付けて成功したカメラであります。なので、「Range(R)ファインダー・Digital(D)のNomber 1(1)」で「R-D1」。2004年にR-D1、2006年には改良機R-D1s、2007年にはレンズセットモデルR-D1sLが、2009年には後継機R-D1xGが出て、エプソンの「レンジファインダーデジタル1番機」はオシマイ。まあ、多分ライカが2006年にAPSサイズのセンサーを持つ、M8を出してデジタル路線に参入することになり、次いで2009年に35mmフルサイズのセンサーを装備するM9を発表してしてしまちゃったんで、エプソンの「先行者利益」が、というか「EPSON」と「LEICA」のブランド差をエプソンが埋めることは出来ないと判断して、デジタルカメラから撤退しちゃったんだ、ってのがその真相なんだろう。

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 しかしそうか、もうデジタルカメラ初登場から、既に40年が経過しているんだな。

 完全に一世代過ぎているんだ。

 ってことは、今はフィルムカメラ(アナログカメラ)という物の存在を知らない人が、ごく普通にいるっていうことなんだ。というか、つまりはネガ・フィルムっていうものの存在を知らない人が当たり前にいるということなんだなあ、「写真」っていうものが、「重さ」をともなうネガ・フィルムという物体の存在を前提としているモノであるということを知らない人が、普通にいるっていうことなんだなあ。

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 いまや、「写真」っていうのは、単なる「デジタル・データ」の積み重なりにすぎず、重さを持たないデータとしてクラウドとマイ・コンピュータの中にストレージされるだけのものなのだろう。

 まあ、写真もデジタルデータの淡いさの中で、いずれ消え去るモノになっていくんだろうか……。まあ、コンピュータがクラッシュしちゃったら、一発でデータはぶっ飛んじゃいますもんね。

 なあんて言っているんなら、お前もアナログで撮れよって言われちゃいますね。

 そりゃ、そうだ。

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 たまにはフィルムで撮影をしなくちゃなあ。実はカラー・フィルムと同じ現像方式でモノクロ現像が出来るILFPRD XP2 Super400というフィルムを結構手持ちしているんだが、未だにテスト撮影をしていない。

 う~ん、イカンなこりゃ。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Hanzomon / Feb. 27 2021 ©Japan Camera Inspection Institute

2021年2月27日 (土)

浅草寺点描

 浅草というのは、私が小学生の頃の遊び場だった。

 当時、住んでいた東武伊勢崎線の西新井駅から、確か子供料金で10円位で浅草まで行けたのじゃないだろうか。まあ、子どもの小遣いで行ける場所ではあった。

 じゃあ、その浅草で何をやって遊んでいたのかが、まったく覚えていない。多分、往復の電車賃と、何か駄菓子かなんかを食べてすべて使い果たしていたんじゃないだろうか。

 六区の寄席に行った覚えは大学生になった頃の話だし、花屋敷なんかは子供だけでは行けなかった。

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 その後に知って驚いたこと。

「浅草の浅草寺がある一角」つまり雷門通りから言問通りまでの南北と、松屋がある馬車道通りから六区の先の国際通りまでの東西、この四角形の土地すべてが「宗教法人浅草寺」の持ち物だっていう話。つまり、その地域全体が浅草寺の境内だってこと。

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 この地域全体の土地が浅草寺の持ち物だっていうことは、この土地に出店しているすべてのお店・会社・企業はすべて浅草寺から地代を払って借りているっていうことなんですね。

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 すごいな、その地代だけでも年間幾らになるんだろう。

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 もうね、そんなことを考えているとね、わずかの賽銭を浅草寺に捧げる事なんか、バカバカしくってやってられなくなっちゃうんですね。

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 だって、仲見世で買い物をしても、周辺の食べ物屋さんで食事をしても、なにもかもすべてが浅草寺に地代として取られちゃうんですよね。

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 なんかもう、バカバカしくなっちゃって、結局、浅草寺に詣でても、お賽銭も差し上げずに帰ってきちゃうんです。

 まあ、早田カメラだけには足をむけますがね。昔のライカを見るだけはタダだからね。

 って、昔も今も、浅草詣でについては変わりがないってことなんですね。う~ん、私の「Brith Day (本当は「Birth Year」)Leica」は、結構、気にして探してはいるんですがね。まあ、この時代だとバルナック型ライカなので、私が使ってきたM型とは使い勝手が違うので、かなり使い方は変わるんですけれどもね。

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NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Asakusa / Feb. 26 2021 ©tsunoken

2021年2月26日 (金)

本当にオリンピックなんて、できるのかしら

 別に東京オリンピックの開催について反対しているわけじゃない。

 1964年の前回の東京オリンピックの時は中学生で、確か、学校の集団感染じゃなかった「集団観戦」でもって、サッカーの試合を見に、東京国際競技場まで行った記憶がある。ゴール裏に当たるコーナー席での観戦で、だいたいどの国と国の戦いだったのかなーんて誰も気にしていなかった状況で、私もその通りだったので、「サッカーを見に行った」っていう記憶のみで、それ以上の記憶はまったくない。まあ、60年近く前のことだもんなあ。

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 当時、私はバスケットボール部に所属していて、所属していた足立区では大体いつも上から3番目くらいの場所にいた「区では強豪」チームにいた関係で、本当はバスケットの試合を見たかったんだけれども、見たのはサッカー。当時、私が通っていた足立第七中学校にはサッカー部なんてなくって、もしあったら、それこそサッカー部に入っていて、それこそもっと身近にオリンピック・ゲームを楽しんだんだろうけれども、まあ、往々にして人生なんてそんなもんよ……、ってことですかね。

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 オリンピックを開催するための諸設備はもう既にみんな完成していますよね。だって、昨年の7月には開催していたはずなんでしょ。もう、7ヵ月前にはすべての設備が完成されているわけで、いつでも開催「OK」。

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 神宮球場の裏側にある軟式野球場も、ヤクルトスワローズの神宮球場で試合がある日の練習グラウンドを除いては、すべて国立競技場のサブトラックとしての整備は終わったいるのになあ。

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 どーすんだろう、ガースー政権は。

 要は、「思い切り」がないんですね。

 もう、「もうグダグダ言うな! 俺が決める!」って言って、菅政権下でオリンピックを開催。自分で全責任を「とるっ」って決めて、菅首相が、それこそ「橋本前五輪大臣に代わってわたしが五輪大臣を兼務する」って言えばいいんでしょ。

 まあ、多分、そんなしないんでしょうね。

 単に、それだけのこと。

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 まあ、なんかそんな緊張した状況にも関わらず、関東学連は今年も神宮外苑クリテリウムを開催するようです。

 毎年、橋本聖子さんが参加しているオープニングは好きであります。この緊急時に橋本聖子氏が出場すんだろうか。

 ここがゴールストレートの絵画館前のストレート。

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 ヘぇー面白いな。やっちゃうんだ!

 まあ、毎年やっている、冬シーズンの関東学連の自転車ロードレース・シリーズの仕上げの大会なんだけれども、面白そうだなあ。

 ようし、3月7日だな。

 結構、毎年見に来てるんだけれども、今年も行こう。

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LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Jingu Gaien / Feb. 25 2021 ©tsunoken

2021年2月25日 (木)

確定申告の帰りに……

 確定申告書を提出するために本郷税務署まで行ってきた。

 これまでは大体受付初日か二日目にいってきた。

 去年は「上野税務署で受け付け」という表示をちゃんと読まないで、不忍池畔にある上野税務署に行ってしまい、そこで初めて「上野税務署は税務相談や申告書の書き方が分からない人のための受け付けで、申告書の提出だけならば、本郷税務署で大丈夫」ということを知って、なんかすごく無駄足を踏んでしまったので、ことしはちゃんと本郷税務署へ、それも初日を外して昨日(2月24日)に行ってきたのだった。

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 で、行ってみたら、なんのことはない、受け付けはガラガラでお茶っ引き状態。待ち時間ゼロで申告書を提出して帰って来たって訳。

 まあ、だったら来年からは「初日は外して」「本郷税務署に」行けばいいってことなんですね。

 なので、帰りは本郷をブラブラ写真。

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 本郷税務署は旧中山道前にあります。その旧中山道(旧白山通り)をそのまままっすぐ行くと、東大農学部前で日光御成道に合流します。

 その中山道と日光御成道の合流地点(つまり、本郷追分)にあるのが、高崎屋という酒屋です。

 この店、江戸時代の昔からあって、当時は当たり前だった「つけ払い」を一切しなかった店として有名だったらしいです。

 昔は、街の商店は「つけ払い」が普通だったらしい、っていうのは町人の給料っていうのは今みたいに毎月払いじゃなくて、基本的に「盆・暮れ」払いだったらしいんですね。まあ、それは侍でもそうだったらしく、まあ、要は昔の江戸というか日本は、年二回の「盆・暮れ払い」が普通だったということ。

 う~ん、よっぽど計画的にお金を使う人じゃないと、やってけないよね。あ、そうか、だから独身のプータローなんかは、毎月支払いの日に質屋へいって金策をしていたって訳なんだな。

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 高崎屋から本郷通りをほんのちょっと南へ行けば、東大正門前、木村伊兵衛氏の「本郷森川町交番」で有名な場所。

 交番があった場所は、消防団の倉庫になっているけれども、道路の造りは昔のままだし、木村伊兵衛氏の写真を(勿論、「本で」ですね)持って行けば、そのままのアングルで写真を撮ることは出来ます。

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 まあ、なんかレトロな喫茶店なんてものが「今でもある」本郷なんですけれども、それも次第に姿を消してしまっている昨今ではあります。まあ、オーナーが高齢になってしまい、もう店を維持するつもりがなくなってしまったのか(文京区には、結構、そんな店が沢山あります)、どうなのかは分からなくなってしまったが、本郷通りにもそんな店じまいしたお店(喫茶店)なんかが目立つようになりました。

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 ってことで、本郷菊坂通りまできて坂を下りれば、樋口一葉でお馴染みの「伊勢谷質店」です。

 まあ、別にこの質屋さんが、特別文学的素養があったわけではなく、たまたま、一葉さんが原稿料が入るまでのつなぎとしてお金を借りに来ていたっていだけなんですけれどもね。

 う~ん、「樋口一葉に担保を取って金を貸した」ってだけで、文学史上に名を残すって、なんていう質屋なんだろう。トンデモないですね。

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 伊勢屋質店の裏側です。

 表側は大体皆さん知っているし、ガイドブックにも載っているんだけれども、裏側を撮った写真はない。

 まあ、要は、別に、樋口一葉とは関係なく、普通の質屋の裏側……、ってだけ、の写真なんですけれどもね。

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LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Hongo / Feb. 24 2021 ©tsunoken

2021年2月24日 (水)

日吉から新川崎へ歩く

 実は地図上で見ている限り、横須賀線・湘南新宿ライン新川崎駅と東横線日吉駅は近いんじゃないかと思っていた。

 新川崎駅は以前の仕事の関係で一度だけ降りたことがあった駅ではあったんだが、用事の先は新川崎から川崎(鹿島田)方面へ行くものだったので、日吉駅方面へ行くことはなかった。

 ということで、今回は「日吉から新川崎へ」という小旅行(?)を試みたのだ。

 スタートは当然、東横線日吉駅。実は、私の最寄り駅、駒込からは東京メトロ南北線・東急目黒線・東横線が相互乗り入れしているんで、駒込から日吉まで、乗り換えなしで行けるのだった。まあ、それがいままで「日吉から新川崎まで」というのを、「いつかはやろう」(なんて大袈裟な!)と考えていたのに、一度もやったことがない理由だったのだ。なんか、簡単すぎちゃってね。

 で、やっと昨日(一昨日?)、思いが果たせたのでありました。な~んてほどのものじゃない。

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 東横線日吉駅の東口駅前には、いまさら言うほどのものじゃないが、慶應義塾大学の日吉キャンパスが拡がっていて、西口から行ったところが付属中高の塾校通りです。要は、日吉の山の上は慶應の街ってことなんですかね。もう「お山の大将」ってなもんですね。

 ただし、これまた、いまさら言うほどのものじゃないが、日吉駅前を走る綱島街道を右方面へ行って、山を下りると日大附属中高校があるんですね。なんか、慶應と日大の関係論を表しているみたいですねえ。

 で、駅前の綱島街道を左へ、元住吉方面へ下りていくと、川崎市と横浜市の境目に矢上川という川が流れています。この川が、横浜市港北区と川崎市中原区の境目。

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 川沿いに歩いて行くと、左に木月住宅なんていう団地とかあって、「ああ、ここはもう川崎市なんだ」っていう風に思わせるんだけれども、川の対岸には慶應大学の理工学部校舎なんかもあったりして、まさしく区界の河辺を歩いているんだけれども、そのうちに東海道新幹線が見えてくる。

 新幹線は川を渡ったすぐ後に慶應大学のトンネルをくぐるという、いつもの新横浜駅に至る儀式みたいな通路を通るので、もうすぐ先が新横浜の駅になるということがわかります。その場所が、ここだったんだ。

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 東海道新幹線のガードを過ぎると、矢上川はゆるやかに右に折れて、鶴見川との合流地点へ向かって流れています。

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 曲がった先の矢上橋から来た道をそのまま行けば、新川崎駅です。

 あとは新川崎駅へ向かって一直線。途中は……、別に何もない普通の街……、っていうか、商店街っていう程にも商店はないし、住宅街っていう程には住宅ばっかりっていう訳でもないし……、川崎だから町工場とかがあるわけでもないし……、う~ん、どう形容すればいいのかが分からない中途半端な道(って、勝手に言うなよ!)が続きます。

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 途中のバス停に「谷戸」というのがあったので、周囲を見回しても「谷戸地形」ないしなあ、なんてさ迷っていたら、表道路の裏の方に「谷戸地形」があった。

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 まあ、そりゃそうだよなあ……、川のそばだしなあ、なんて考えているうちに新川崎の駅前まで来てしまった。

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 やっぱり、近かったんだ。

 う~ん、だからといって歩いて面白い町なのかって言えば……、う~ん、なんかあるんでしょうかね。あったかなあ。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Hiyoshi & Shin Kasawaki / Feb. 22 2021 ©tsunoken

2021年2月23日 (火)

池袋モンパルナスをさ迷う2……これで終わり?

 2月16日のブログ『池袋モンパルナスを「さ迷う」』で、結局、「池袋モンパルナス」を見つけられずに椎名町の駅まで行ったら、そこに「池袋モンパルナス」の案内図があるのを見つけて、悔し紛れに『いやいや、こんなものを見ないで行って「さ迷う」方が正しいのだ。それが正しい「町歩き」』なんてことを書いたんだけれども、やっぱりどんなところかちゃんと見たいと思い、今度は西武池袋線椎名町駅で下車したのだった。

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 取り敢えず、椎名町駅前の長崎不動尊が出発点。駅前を東長崎方面へ進みます。

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 椎名町駅の踏切を背にして「サンロード」という商店街を要町方面へ向かって歩きます。

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 サンロードを左へ折れて少し行くと「長崎二丁目中央児童遊園」という公園の前に至ります。

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 と、そこにあるのが「長崎アトリエ村」という説明板。

「さくらが丘パルテノン跡」というものではないのだが、「長崎アトリエ村」という説明板があるのだから、ここが池袋モンパルナスの一つであることは間違いない。「ジャンプ長崎」という区の施設があるんだが、それがパルテノン跡かと思ったのだが、そうではないらしい。

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 そこから更に要町方面へ進むと西向不動尊というのがあって……

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 そこを過ぎて、更に右へ曲がると「熊谷守一美術館」があります。ここは豊島区立らしい。

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 今度は要町方向から千川方面に道を少し変えて進むと「つつじが丘アトリエ村跡」の前に出ます。

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 千川の手前で粟島神社に詣でて、本日の「池袋モンパスナス深報」は終了。

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 取り敢えず、いろいろのスポットを見つかられたので、池袋モンパルナスはもういいかな。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Chihaya & Nagasaki in Toshima / Feb. 21 2021 ©tsunoken

2021年2月22日 (月)

『碧きキューバ』は、何故「青い」

『Cube azul』というタイトルは、読んでもそのまんま『キューバ、青』という意味。

 まあ、多分、作者としては「まだまだ発展途上の国、キューバ」という意味合いと、そんな発展途上の国を応援するという意味を込めたタイトリングなんだろう。

「タイトルにある『碧』とは単なる色だけでなく、宝石という意味もあります。キューバにある建物、車、暮らす人々などは後世に伝えたいまさにカリブ海の宝石。そんな冷戦時代社会主義の色が未だに残る宝石達を碧色で統一して表現してみました。」

 というのが、撮影者・内藤聡介氏のコメント。

Photo_20210214165101 『Cuba azul 碧きキューバ』(内藤聡介・著/青菁社/2021年2月11日刊)

 著者の内藤聡介氏は1981年生まれ、2010年イギリスに渡り、独学でカメラを始める。2012年、帰国後大手旅行会社のツアーコンダクターとして80ヵ国に渡航。その際に訪れたキューバに魅了される。現在はフリーカメラマン兼ツアーコンダクターとして活躍中。

 実は、内藤氏の師匠、谷角靖氏も、写真家としてはちょっと異色の出自を持っている人。

『企業経理部で働いたのち調理師見習いを経て1999年カナダへ渡り、スキーインストラクター資格取得。そこでオーロラと出会い、以後カメラで追いかけはじめることになる。
 2000年カヌーを学ぶためにユーコン準州へ移り、ユーコン川のカヌーガイドとなる。2001年ユーコン川カヌーショートレースで日本人初優勝。ヒマラヤ6000m登頂。2002年雑誌にオーロラ写真が掲載されたのをきっかけに各社へ提供をはじめる。2003年アメリカ国立公園の取材開始。旅行誌、アウトドア誌の執筆をはじめる。写真家の田中達也と出会い師事し、オーロラ写真展開始。2004年写真集「オーロラの降る街」発表。2006年写真集「オーロラの空」発表。カナダ永住権取得。2007年日本写真家協会会員になり、プロとして活動を始める。』(Wikipedia)

Photo_20210215143001早朝の釣り人©Sosuke Naito

 高校の修学旅行以来「団体旅行」というものをしたことがないので「ツアーコンダクター」という人の仕事というものがどんなもんなのかは知らない。

 とはいうものの、ツアコンやりながら、こんな素敵な写真を撮れるんならツアコンっていう仕事も悪くはないなあ。私もいまよりも30歳若かったら、ツアコンやりながら写真を撮って回り、たまにこんな写真集を出版する仕事も悪くはないなあ。

 まあ、そうなったら今のカミさんと出会ったり、三人の子供を持つってこともなかっただろう。

Photo_20210215143701休日©Sosuke Naito

 さらに「キューバ」という国の名前の響きが、私たちの世代に響くのだ。

 フィデル・カストロとエルネスト・チェ・ゲバラらによる「キューバ革命」によって親米バチスタ政権が倒されたのが1959年。カストロはどちらかと言えば「中立あるいは親米」を掲げていたのだが、アイゼンハワー米大統領によって「反米政権」というレッテルを貼られてしまい、結局、「反米」にならざるを得なくなり、ということはその当時は「親ソ」になるしかないわけなのである。

 その結果、1962年に「すわっ、第三次世界大戦か!」と言われた「キューバ危機」が起きたわけなのである。

 まあ、カストロとケネディの必死の調整でもってそれは避けられたのであるが、フロリダ半島の喉元に出来た社会主義国家なんていうのは、今の北朝鮮どころの騒ぎではなかったのである、米国としては。

 まあ、そんなこんなもあって、1960年代末の大学生(つまり、私たちの年代)にとっては、「キューバ応援をしよう サトウキビ狩り援農」っていうのがあって、結構、それに参加してキューバに行った連中、キューバに行った結果として赤軍派とかの新左翼の一番過激な党派に行っちゃった連中とかが、かなり沢山いた。

Photo_20210215143101無音©Sosuke Naito

 そうは行っても、「反帝反スタ」に凝り固まっていた当時の日本の「半端左翼」の学生にとってみれば、陰鬱な東ヨーロッパの共産主義国に比較して、陽気な「カリブ海共産主義国」とでも言うべきキューバという国は、結構、憧れの国ではあった。

 まあ、「お気楽な半端学生気分」と言ってしまっては、その通りなんですけれどもね。

 『Cuba azul 碧きキューバ』(内藤聡介・著/青菁社/2021年2月11日刊)

2021年2月21日 (日)

中井精也氏の「ゆる鉄画廊」はお休み中

 都電荒川線(東京さくらトラム)で三ノ輪橋駅まで行って下車。

 三ノ輪橋というのは、かつて石神井用水(音無川)と日光街道が交差する場所に架かっていた橋らしいんだが、「東京都北区王子から田端、西日暮里、日暮里の現在のJR線に沿って流れ、日暮里駅前から、荒川区と台東区の区界を形作っている。三ノ輪まできたところで流れがいくつかに分かれ、北東方向には石浜川として、南東方向の流れは思川として明治通りに沿い泪橋を抜け白鬚橋付近で隅田川に注ぎ、もう1つは日本堤沿いに山谷堀に通じた。」というのがWikipediaの説明。一方で、石神井川は王子から駒込方面へ流れ、藍染川となって、不忍池に注いでいたということもあり、う~ん、そんなに石神井川の流量ってあったのかなあ、なんてことも考えているんだが、まあ、そんなことはどうでも良い。

 要は、都電で石神井川の流れの果て、三ノ輪橋に行ったという話。

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 三ノ輪橋と言えば「ジョイフル三ノ輪商店街」なんですね。

 ここ、何十年か、この町には通っているんだが、やはり年を経るごとに変わってきてはいる。最近は特に移り変わりが激しいようで……。

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 この、「撮り鉄」の神様・中井精也氏が運営する「ゆる鉄画廊」なんてのは新参組で、前は何だったんだろう。まあ、何かギャラリーみたいなものであったような気がするんだがなあ、あまり以前の記憶はない。

 あ、えーと、「ゆる鉄画廊」はコロナ禍の影響で1月12日から3月7日まで閉館しているそうです。

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 ただ、これらも新参組だと思うんだけれども、訳の分からない本屋さんらしい「なにかし堂」とか……

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 ゆる鉄画廊じゃないけれども、貸し画廊の「Gallery Photo Spot」とか、何か新しい動きが出て来ているのは事実だ。

 まあ、ジョイフル三ノ輪がギャラリータウン三ノ輪になっちゃうっていうのも面白いかもしれない。

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 勿論、こんなタイ料理のスナックなんかも新しく出来ているので、ギャラリータウン三ノ輪には簡単にならないでしょうけれどもね。

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 てなころで、帰りは大関横丁から都バスで帰って来た。

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LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Minami Senju / Feb. 20 2021 ©tsunoken

2021年2月20日 (土)

田中長徳展 "Today Tokyo 1964/2020"を見に行く

 田中長徳氏の写真展が、昨日から神田明神そばのGallery Bauhausで始まったので、見に行く。

 今まで、田中長徳氏のお姿は月島は佃神社近辺とか、ここGallery Bauhausでもお見かけをしたことがあるのだが、直接ご挨拶したことはなかったので、まあ、取り敢えず会ったらせめてご挨拶でもしようかと、多分、田中氏自身も来るであろう写真展初日に行ってみた、って訳なのだ。

L10069163  ©tsunoken

2_20210219162101©Chotoku Tanaka

 神田明神のすぐそばにあるギャラリー・バウハウスまでは、我が家から本郷通りを一直線、ほぼ5キロメートルの距離なので、ちょうど散歩コースとしてはうってつけ。

 ギャラリー・バウハウスのいいところは、基本的に写真を「アート」として取り扱うことはギャラリーとしては当然なのだが、ストレート・フォトグラフィーにも気を遣っており、その辺が六本木当たりの「アート系写真」のみを扱うギャラリーとはキュレーターとしては一線を画しているところだろう。

L10069143 ©tsunoken

 田中氏の作品はまさにその線上にある作品で、「アート」と「ストレート・フォトグラフィー」の境目に属している写真なのである。

 どうもね、いわゆる「アート」系の写真って、なんか「作られた感」が強すぎて、あまり好きになれない。昔、というか写真誕生の黎明期はそれこそストレート・フォトグラフィーが「普通の写真」だったわけで、そんな原初的な写真の在り方が私は好きなのだ。

L10069153 ©tsunoken

 ということで、地下に降りてみたら、案の定、田中長徳氏がお友達らしき人と歓談中だった。

 歓談中を邪魔するのはなんか嫌だったので、ホンのちょとだけお邪魔して、ご挨拶と名刺をお渡ししただけで失礼してきた。

Photo_20210219111701 買ったばかりのニッコール21mmを手にした作者。銀座並木通り(1966年)(このセルフフォトグラフィーが恰好いいんだよなあ) ©Chotoku Tanaka

 まあ、ファースト・コンタクトなんて、そんなもんだろう。

 Chotoku Tanaka Today Tokyo 1964/2020は、4月24日までGallery Bauhausで開催中。

 多分、私もあと何度かは行って、展示写真(1点60,000円)を結局、購入するかもしれない。

LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Gallery Bauhaus Soto Kanda / Feb. 19 2021

2021年2月19日 (金)

銀座写真は50mmで……失敗?

 アンリ・カルチェ=ブレッソンの全盛時代には、多分、一番安心して使えるレンズが50mmだったんだろう。

 現代のようにコンピュータを使ったレンズの設計とかなんていうのはなかったわけだし、35mm映画のレンズからの発展状態で35mmスチール写真のレンズを作っていたんだろう。ということで、まだ50mmより焦点距離が短かいレンズの歪曲が気になって、あまり使わなかったんだろう。

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 翻って、現在はどんな焦点距離のレンズだって、コンピュータで設計できちゃうし、当然、それに合わせた製造工程だって大丈夫ってなものだ。で今は35mm、28mmは当たり前。21mm、15mm、12mmだって普通に歪まないレンズが作れるようになっている。

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 ということで、久しぶりに50mm「標準」レンズを持ち出して銀座スナップというわけなんだが……

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 いつもは21mmという超広角レンズを標準レンズとして使っている感覚でもって撮影していると、なんか画角が気になって仕方がなくなる。イメージとして写っているはずのものが画面に入らないのだ。

 広角レンズだと「画面周囲の説明」と「主題の描写」というものが同時に撮影画面に入ってきて、それなりに「安心」できる写真が出来るんだけれども、標準レンズを使っていると、基本的に「主題の描写」が基本になってしまって、そこをしっかり押さえておかないと、「何を撮っているのか分からない」写真になってしまう。

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 まあ、その辺がシロウトがシロウトたる所以なんだけれども、なんかなあ、久しぶりに50mmレンズを持ち出して銀座に出てみれば、撮影しづらくてしづらくて……。

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 最初の頃は「銀座写真」って言えば50mmで撮影していたんだけれども、なんか、その頃の感覚を完全に忘れている自分がいる。

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 取り敢えず、50mmレンズを使った銀座写真から再び始めるしかないのかな。

 ついでに「銀塩写真で銀座写真を」ってか?

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LEICA M-E KONICA M-HEXANON 50mm f2 @Ginza / Feb. 17 2021 ©tsunoken

2021年2月18日 (木)

南浦和駅西口は何もない町

 京浜東北線で埼玉方面へ走ったんだが、そういえば南浦和駅って下車したことないなあ、というので行ってきた。

 南浦和駅の東口って、ちょっと歩けば浦和競馬場なんかがある場所だから、まあ、大体周囲の様子は予想が出来るので、あえて何もないだろうという西口を出た。

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 駅前を左の方へ回ると「彩の街通り」という商店街があるのだが、あまり大きな商店街ではないので、取り敢えず無視して、駅前から西に向かってまっすぐ伸びる「文化通り」という道を行くことにする。

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 おおっ、丸広百貨店があるぞ。川越市に本店がある百貨店なんだが……、当然。屋上に観覧車はありません。まあ、川越本店にもなくなっちゃたしな。

 左を見ると、なにか小高いところに木が生えている場所があるぞ。もしかしたら昔の城? ってな期待を持たせるので、「ようし、帰りに寄ってみよう」ってなことで、文化通りを更に進む。

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 ところが文化通りというのでどんな「文化」があるのかと思ったんだが、ずっと1階にお店が入っているマンションが続くだけで、何も面白そうなものはない。

 実はその文化通りの名前のもとになったのが、ここ「さいたま市文化センター」だったのですね。

 ということなので、ここから先の武蔵浦和駅まで行って、埼京線で帰って来ようかと思ったんだけれども、多分、見るべきものはないだろうと考え、再び南浦和駅へ戻ることにした。

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 途中、文化通りの裏に「一ツ木公園」というのがあったんだけれども、それもご期待にそぐわず、古城ではなくて普通の公園だったし、この小山もあまり期待はしていなかった。

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 で、その小山の坂を上ってみれば、「大谷場氷川神社」の銘が。

 まあ、現在は南浦和となっているが、昔はこの辺りは大谷場村と呼ばれていたそうで、その土地の守り本尊ということなんだろうな。

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 そもそも南浦和駅っていうのは「1961年(昭和36年)7月1日:日本国有鉄道(国鉄)の駅として開業。蕨駅と浦和駅との駅の間に京浜東北線の車両基地である浦和電車区(現:さいたま車両センター)が建設されたのと同時に、駅間距離が長いことから車両の入出庫のために設けられた。」(Wikipedia)っていうくらい、まあ、あまり乗客の乗降駅としては期待されていた駅ではなかったんだろう。

 その後、だんだん駅周辺が住宅地として整備されてきて、現在は普通の街になったんだけれども、要は、そんな歴史のある街というか、元々、何かがあってできた町ではなかったんですね。まあ、りんかい線や京葉線にはそんな町ばっかりだ。

 鉄道の開発の方が街の開発より先、って訳で。

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LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Minami Urawa / Feb. 16 2021 ©tsunoken

2021年2月17日 (水)

田端駅から尾久駅へ至る

 2月6日のブログ『上中里・東京で一番ヒマな駅』で書いた上中里の本郷台地の下の方の様子を……。

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 田端駅の東側にある坂道を北へ下りて、明治通りの方へは行かずにまっすぐ行くと、JR東日本田端運転所と尾久車両センターの中を通る道に入ります。

 田端から歩いて左側にはJR東日本の東北・上越・北陸新幹線の車両や、電気機関車などがあり、右側には在来線の特急列車や普通電車などが車体を休めています。もう、鉄道オタクにとっては聖地というか、いるだけでマンプク状態になれる場所として有名で、今日も日曜日なので、望遠レンズをつけた一眼レフを持った人が来ています。必ず、来ています。

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 途中、そのまままっすぐ行けば上中里駅に上がる歩道橋とか王子に至る真っ直ぐな道と、JR東日本尾久車両センターへ右折する分かれ道に出るので、今日は右折する方を選びます。

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 右折するとすぐに特養老人ホーム上中里つつじ荘というのがあるのですが、その前には「中里貝塚」遺跡があります。「あります」って言ったって、あるのは立て看板だけ。「貝層剥ぎ取り標本展示」というのが北区飛鳥山博物館にはあります。

 まあ、要は縄文時代のころは、この辺まで東京湾が迫っていたっていうことなのですね。

 実はJR東日本田端運転所と尾久車両センター、昔は「貝塚操車場」と呼んでいたそうだ。名前を変えなければ、ここに貝塚があったっていう歴史が残されたのになあ。

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 中里貝塚を過ぎて尾久車両センター入口方面へ行こうとすると最初に現れるのが、このお地蔵さま。

 お地蔵さまがあるっていうことは、この道はかなり昔からあった道なんだろうということ。つまりこの周辺は先の老人ホーム以外はJR東日本の施設と、あとは住宅だけ。このお地蔵さまも、場所的にはJR施設の一部に食い込んでいる。

 そのお地蔵さまの前をずっと歩いて行くと、JR東日本尾久車両センターの入口に至り、そこがセンターや田端運転所の北の端になります。

 下の写真、踏切の右に見えるのがエレベーターで上がるようになっている跨線橋。普通は階段だけなんだけれども、こういうのは珍しい。東北線(高崎線・宇都宮線)尾久駅と京浜東北線上中里駅の間はかなり広い住宅地なんだけれども、かなり昔から住んでいる人が多く、ということはお年寄りが多い。なので、無理して踏切を渡るより、無理しないでエレベーターで跨線橋を渡ってね、という配慮なんだろう。

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 で、踏切を渡って明治通りまで出ると「上中銀座」の表示と共に、明治通りの先には都電荒川線の姿が。

 ああ、ここは「都電最中」で有名な都電の梶原駅のそばだったんだ。

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 ってなことで、明治通りを田端方面へ戻って尾久駅まで。

 地名は「尾久(Ogu)」なんだけれども、駅名は「尾久(Oku)」です。

 なんでだろう。

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LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Kami Nkazato & Ogu / Feb. 2021 ©tsunoken

2021年2月16日 (火)

池袋モンパルナスを「さ迷う」

 本当は「彷徨う」つもりが「さ迷う」ことになってしまった、というお話。

 ところが、辞書で調べたら「彷徨う(さまよう)」も「さ迷う(さまよう)」も「うろうろする」「ところを定めず歩く」「あちらこちらを歩く」ということで、同じ表現であるらしい。そうなんだ。う~ん、でもねえ自分なりに捉えると、なんか「彷徨う」というのは「彷徨する」(自分が知っている場所なんだけれども、その場所をあてもなくうろつく)という意味で、「さ迷う」は良く分からないところをうろううろ場所が分からないのでうろつくということだと思っていた。

 というわけなので、表題の『池袋モンパルナスを「さ迷う」』は、後者の方の意味なのであります。

 池袋モンパルナスの入口(っていうのはないんだが)あたりにあるのが、池袋要町交差点を山手通り沿いに少しだけ椎名町方面へ進んだ、国際興業バスの営業所である。

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 昔、ここには革共同中核派の機関紙「前進」を発行していた前進社があり、まあ、中核派の拠点のひとつだった。機動隊がガサ入れしていたところを見たことがある。まあ、私自身は高校生運動をやっていた頃には社青同解放派、大学に入ってからは中央大学なので社学同叛旗派、学友関係で革共同革マル派などとの付き合いはあったのだけれども、中核派とは接点がなかった。

 まあ、でもそんなところが「池袋モンパルナス」の入口だったとはねえ。

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 ちょっと行くと「出世子育地蔵大菩薩」の御堂がある。

 実はこの辺が豊島区公式ホームページ「アトリエ散策マップ」によれば、本当の池袋モンパルナスの入口とでも言うべきところ。

 で、池袋モンパルナスってなんだ?

『池袋モンパルナス(いけぶくろモンパルナス)とは、大正の終わり頃から第二次世界大戦の終戦頃にかけて、東京都豊島区西池袋、椎名町、千早町、長崎、南長崎、要町周辺にいくつものアトリエ村(貸し住居付きアトリエ群)が存在し、多くの芸術家が暮らし芸術活動の拠点としていた地域の呼称。また、この地域に暮らした画家、音楽家、詩人などさまざまな種類の芸術家が行った芸術活動および熱く語った文化全体もさす。
 岡本一平(作家、岡本かの子の夫で画家・漫画家・文筆家・仏教研究家=まあ、当時の「高等遊民」ですね。: tsunoken註)が「新宿オンパレード」(1933年8月30日)の中で、1929年から1932年にかけての欧州滞在の経験に基づき、「銀座をモンマルトルとすれば、池袋はモンパルナス」と述べ、小熊秀雄が「サンデー毎日」1938年7月31日のエッセイ「池袋モンパルナス」と書いている。』(Wikipedia)

 というんだけれど……

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「銀座をモンマルトルとすれば、池袋はモンパルナス」っていうのはちょっと違うような感じがする。それをいうなら『神楽坂をモンマルトルとすれば、池袋はモンパルナス』でしょ。

 山がちの神楽坂をモンマルトルに似ているというフランス人は多いし、その周辺にフランスの国の機関なんかもあったりして、フランス人の居住者が多いのも神楽坂である。

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 まあ、いずれにしても大正時代から第二次世界大戦の敗戦頃までの「池袋モンパルナス」が令和の今まで残っている訳はないので、当時のアトリエ村の残滓が今でも残っているなんてことは、どう考えてもあるわけはないんだけれどもね。

 でも、何とか残滓がないだろうかと、虚しく歩き回るわけであります。バカですね。

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 で、結局、西武線の踏切に出てしまいます。

 まあ、踏切の向こうには「トキワ荘」があるからいいか。

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 で、椎名町の駅に行ってみれば、駅前にこんな掲示が。

「アトリエ村周辺紹介地図」だってさ。

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 いやいや、こんなものを見ないで行って「さ迷う」方が正しいのだ。

 それが正しい「町歩き」。

LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Chihaya, Nagasaki in Toshima / Feb. 13 2021 ©tsunoken

2021年2月15日 (月)

小川町に引っ越しませんか?

 きっかけは東武東上線池袋駅に貼ってあったこのポスターと日経新聞の記事。

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『東武東上線の池袋駅行き列車の始発駅がある埼玉県小川町は、昨年から移住者を対象に座席指定制列車「TJライナー」の指定券の補助金制度を始めた。混雑する通勤電車でのウイルス感染を心配する人も多いことから、小川町駅から池袋駅まで約1時間「座って通勤できる町」をアピール。半年で10件の申請を受け付けた。
 新婚夫婦を対象に転居や住居費を援助し、駅前にある「サポートセンター」では住民が移住検討者の相談に乗る。同町の担当者は「高齢化率は4割に近い。若い世代に関心を持ってもらえたら」と話す。(「日経新聞 電子版2月6日付より)』

 ふむふむ、なんてこの日経新聞の記事を読んで……、あれっ? と気がついた。

 え~、だって小川町といったら、昔、サイクリング・トレーニングを毎週やっていた頃、関越道で小川町の道の駅まで車で自転車を運び(「輪行」って言います)、そこからヒルクライムの練習ということで、定峰峠~白石峠~松郷峠と回る周回コースをしょっちゅう走っていたのであります。何で、そんなところを走るのかと言えば、他にほとんどクルマが走っていない山道だから、っていうのがその理由だったんですね。ってなわけで、その三角コースは地元のサイクリストや、競輪選手のロード練習たちのトレーニングコースなのであります。

 つまり、その位「人が住んでいない」「街を歩いていても、ほとんど人の姿をみない」「どうしようもないほどの田舎町」、つまり、自転車で走っていても安全だったからなんですね。

 で、突然、そんな「ド田舎」=小川町までまた行ってみたくなった。不要不急の用で……。

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 池袋駅から急行でおよそ70分、ひとつ手前の武蔵嵐山駅を過ぎると線路も単線になってしまって、電車はどんどん山の中に入っていく、で途中で八高線との立体交差を過ぎると小川町駅であります。小川町より先は東武寄居線があって、秩父線の寄居駅まで行きますが、今回はそれは関係ない。

 小川町の駅前は相変わらずである。十数年前とあまり変わってはいない。一言で言ってしまうと、「広いだけで……さみしい」

 で、駅前の不動産屋さんの扉にも……

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 町役場の壁にも、やっぱり一番目立つのが「小川町に引っ越しませんか? 仕事帰りもらくらくTJライナー通勤を支援します」のポスター。

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 小川町の人口は28,490人(2021年1月1日/人口密度4,722人/㎢)、そのうち65歳以上の人口は11,680人、構成比は40%と、やはりどの地方都市に見られるように人口の高齢化が喫緊の課題となっているのだろう。町を歩いてみても、見られるのは私なんかよりも更に高齢者ばっかりである。まあ、昼間の時間だったからということもあったのだろうけれども。

 で、とにかくTJライナーの割引券を出してでも、若い世代に小川町への移住を勧めているということなんだろうな。

 まあ、現在はテレワークなんかも当たり前になっており、出社も週に一度だけなんていう状態が続くのであれば、池袋から一時間以上かかっても、緑に囲まれた状況で子育てするのも悪くはないという選択肢はあるわけだ。ただまあ、子どもが小さい頃にはそれでもいいけれども、中学・高校に進学するようになっちゃうとちょっとね、いろいろあるんじゃないかしら。

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 この先、右折すると国道254号線(川越街道の成れの果て)で寄居方面へ、真っ直ぐに行くと都幾川町の定峰峠を越えれば秩父方面へ行く道。定峰峠で左へ曲がると白石峠~松郷峠を通って小川町へ戻ってくるサイクリングコース。あっ、そんな訳で、クルマで行く人はサイクリストに気を付けてね。

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 さて、ということで、女郎うなぎか、割烹旅館二葉亭で忠七めしでもかっ喰らって帰ろうかな。

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NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Ogawamachi / Feb. 12 2021 ©tsunoken

2021年2月14日 (日)

雑色商店街を往く

 京浜急行の京急蒲田駅の次が雑色駅である。

 この「雑色」という地名に関してはWikipediaに解説があるので、そのまま使う。

『蔵人(くろうど、藏人)は日本の律令制下の令外官の一つ。天皇の秘書的役割を果たした。唐名は侍中(じちゅう)、夕郎(せきろう)、夕拝郎(せきはいろう)。蔵人所は事務を行う場所のことで、内裏校書殿の北部に置かれた。また、蔵人は百官名或いは人名の一つでもあり、この場合は「くらんど」と読む。雑色は蔵人の見習い。定員は8名。雑務をこなした。非蔵人とは異なり、昇殿は許されない。六位蔵人が欠けた場合の補充要員候補。』

 まあ、当時は日本は中国の半属国みたいなもんだったから、中国の国家統治制度をそのまま受け入れていたわけで。要は中国式に一番最下級の役人が雑色という職名だったんだろう。

 しかし、それは日本が律令国家の時までで、中国から完全に独立して、源平時代から鎌倉幕府が崩壊し、武家社会になった後まで「雑色」という役割があったのかどうかは分からない。要は、鎌倉幕府の時代までは、ここに雑色という役職の人たちが住んでいる場所だったというだけ。

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 そんな「雑色」という職階があったんだとかなかったんだとか、どうでも良いという感じで地元の人たちは住んでいるんだ。

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 例えば、「雑色屋敷跡」なんていうものがあったりすれば、それはそれで興味深いんだけれども、この近所で有名な場所と言えば「西六郷公園(タイヤ公園)」くらいなもんだもんなあ。まあ、歴史的価値はまったくありません。

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 雑色駅の近辺だけはアーケードになっているんだけれども、ちょっと行くとアーケードはありません。あとは、勝手にやってっていう感じが、大田区らしいというか(?)どうなんでしょう。

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 まあ、あとはね、基本的に下町の商店街によくある焼き鳥屋さん(食べさせるところじゃなくて持ち帰り用の)とか、コロッケ(とんかつ)屋さんなんかが多くある、下町にある普通の商店街なんですね。

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 ただ、ちょっと気になるのが、アーケードがあるところと、その先のなくなっちゃうところで、お客さんの入りとか、どうもいろんな差があるようで、その辺のバランスはどうなっているんだろうなあ、ってところです。同じ商店街なのにねえ、ってところで、

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 で、その雑色商店街も、京浜東北線・東海道線の踏切でおしまい。

 線路際を蒲田方面へ歩けば「西六郷公園(タイヤ公園)」です。

 思ったよりは短い商店街でしたなあ。

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LEICA M-E VOIGTLANDER ULTRA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Naka Rokugo Ota / Feb. 11 2021 ©tsunoken

2021年2月13日 (土)

コーヒー仕入れに神田まで行く

 コーヒーを切らしたので神田の斎藤コーヒー店まで出かける。

 不急だけど、不用ではありません、いいでしょ。

 さて、普通なら神田まで歩いて行くという健脚コースと、神田駅までJR山手線で行くっていう一番ラクな極端な二つの方法がある。

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 で、昨日はその間の中途半端な方法で行くことにする。

 つまり駒込富士前からお茶の水まで都バスで行って、あとは歩くという方法である。何がいいって……、別にない。単純に家を出て、本郷通りを歩いていたらバスが来ちゃったんで、そのまま乗っちゃったっていうだけの話。

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 お茶の水駅新聖橋口を右折するとニコライ堂前を通って、中央大学大学会館の建て替え工事の前を通り、堀内カラーの前を通る、っていうのが昔中央大学がお茶の水にあった頃の中央大生のダラダラ坂の通り方だった。

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 靖国通りに出たらほんのちょっと右の方へ行って源喜堂書店でちょっと一休み。

 この源喜堂書店って基本的には美術本の中古を沢山在庫している書店なんだが、その延長線上で写真集もかなり持っている。私もこの古本屋さんで買った写真集はかなりある。

 が、今日はこの店で写真集を買ってしまっては荷物が増えるので、店頭をちょっと覗いただけで斎藤コーヒー店を目指す。

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 神田小川町交差点そばにあるこのビルには、以前、オリンパスのフォトサロンがあった。まあ、栄枯盛衰の世の中ですね。

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 で、神田駅が近づいたら、ホテルヴィラフォンテーヌ裏に行きます。

 安倍昭恵さんが経営する「UZU」も営業は午後8時までです、って、当たり前か。

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 ってな寄り道をしながら、JRの線路わきに行けば斎藤コーヒー店です。

「フレンチロースト」と「珈琲羊羹」を買って帰ります。

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LEICA M-E VOIGTLANDER ULTRA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Kanda / Feb. 10 2021 ©tsunoken

2021年2月12日 (金)

徳丸北野神社・田遊び神事

 この時期なんだから菅原道真の天神様だろうということで、今まで一度も行ったことのなかった、板橋区徳丸天神へ行った来た。

 行く方法としては、都営地下鉄三田線で高島平駅下車か、東武東上線東武練馬駅下車なんだが、高島平からだと当然坂道を上がらなければならないだろう、ということで東武練馬駅下車で行ってきた。

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 東武練馬で電車を降りると踏切を渡ってイオンの前を通る徳丸通りを北上する。

 予想通り徳丸通りをどんどん下がってくると、一番底から少しだけ坂を上がったところに出現するのが「徳丸槇の道」という、槇の木の街路樹がある道に出る。槇の木の街路樹っていうのも珍しいが、何故「槇の木」なのかは分からずじまい。で、そこをGoogl Mapに従い右折。

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 で、その徳丸槇の道を進むとホンのちょっと行った先の左にあるのが、徳丸北野神社なのであります。

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 徳丸北野神社のサイトによれば……

『当社が所蔵する社宝『天神宮紀』によれば、一條院正暦年中(990~994)に、この地に疫病が流行し、里人等大勢の者がこの病により暴死した。
 この時、里人の一人徳麿(とくまろ)の夢に大神様が現れ、当地にある梅の古木に祈願するようお告げがあった。お告げの通り梅下により、疫病の癒えん事を謹拝して去った所、奇妙な効果(霊験)が得られ疫病はことごとく去って行った。
 そこで、梅はまさしく聖廟天神の珍愛されたことから、山城国(京都)北野天満宮より御分霊を戴き、当地に祠を設けて、天満宮と号した。
 第66代一條院長徳元年乙羊(995)正月11日御幣帛を捧げ、大前に田夫の業を以て俳優(わざおぎ)となし、神威を安んじ奉った。この田夫の業とは、今の国重要無形民俗文化財「田遊び神事」の事で創建以来一年も休まず続けられている。
 以降、1,000年以上この地に鎮座し徳丸郷の氏神(徳丸・高島平、新河岸地区)として、合格学問成就・邪気祓・病気平癒の守護神として広く崇敬を集めている。
 また、当地の「徳丸」という名称は、古老曰く、「里人の一人徳麿(とくまろ)から戴いたものである。」と伝わっている。
 古くは天神社、天満宮の社号であったが、明治6年から北野神社と改号された。』

 と、ある。

 現在、高島平と呼ばれている場所は、昔は「徳丸たんぼ」と呼ばれる湿地帯であり、徳川幕府の鉄砲や大砲の練習場でありテスト場所だったということは知っていたが、その徳丸は人の名前だと思っていたのが「徳磨→徳丸」となったことを知ったのは新しい知識だ。

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 ということで、取り敢えず「五重にご縁がありますように(って、何に?)」っていうことで55円を賽銭として、天神様にお祈りをしてきた。

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 しかし、天神様なので牛の置物や梅の木はあるんだが、境内のどこを見渡しても、絵馬掛けも絵馬も見えない。

 この時期、湯島や亀戸天神なんかに行けば、もうたくさんの絵馬がそこいらじゅうに掛けられているんだけれども、まったく見えない。う~ん、ご近所の大東文化大学あたりを受ける受験生は絵馬に願掛けなんかしないのかなあ。

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 神社の境内には板橋区立伝統芸能伝習館というのがあるので覗いてみたんだけれども、ここは展示室などはなくて、板橋区に残された伝統芸能などを練習するための場所だということだった。

 まあ、殆ど訪ねてくる人なんかはいないのでヒマだったのか、係員の女性に「田遊び神事」のビデオ(これとは別のビデオだけれどもね)を見せていただいた。

 これが今日の収穫かな。

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 帰りはそのまま坂を下りて高島平駅から帰ってきた。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Tokumaru Itabashi / Feb. 9 2021 ©tsunoken

2021年2月11日 (木)

『米中新冷戦とアフター・コロナ』

 中国(中華人民共和国)というのは不思議な国で、「中国共産党」を指導政党としながら、経済的には旺盛な資本主義だ。それがソ連式じゃない中国式の共産主義だというのであれば、マルクスなんかは初めから無視したような印象なんだが、それでも「自分の国はマルクス・エンゲルスの共産主義だという。

 なんで、そんな変な政体が出来るのであろうか。

『第一に、現在の中国式の社会主義は、1949年に中華人民共和国という社会主義国が誕生して始まった制度でありますが、実際には、2000年以上にわたって中国で連綿と続いてきた皇帝制度の延長だからです。社会主義とか共産党などと言ってますが、要は中国伝統の皇帝制度を換骨奪胎させただけであって、「習近平皇帝」は14億の民を統治するシステムです。そのため、中国人が中華料理を食べるのを止めないように、強権的な中国のシステムも、一朝一夕に崩壊するものではないのです。
 第二に、ソ連の社会主義と較べて、中国式の社会主義は、時代に恵まれているからです。』

 というのであるが……。

3_20210206104101ファクトで読む 米中新冷戦をアフター・コロナ』(近藤大介・著/講談社現代新書/2021年2月1日刊)

 実はこの本に興味を持ったのは、「はじめに」に次の一文を見つけたからだ。

『北京に住む中国人は、私にこんなジョークを 披瀝 しました。
〈アメリカ大統領選挙が最後のデッドヒートを繰り広げていた頃、中国科学院の天才科学者が、タイムマシンを発明した。アメリカ情勢が気になって仕方ない習近平主席は、科学者を呼びつけて命じた。「勝つのはトランプなのかバイデンなのか、すぐに見てこい!」
 数日後、その科学者が「 中南海」(北京の最高幹部の職住地) に報告に現れて言った。
「習主席、実はタイムマシンの針を、1ヵ月後でなく、 10 年後に合わせてしまいました。そうしたら太平洋の向こう側にも、わが国と同じ社会主義国が誕生していました!」〉

 思えばアメリカという国は、150カ国以上から渡ってきた移民たちが、「一人一票」を持って打ち建てた「実験国家」であり、「実験」は続いているのです。そしてコロナ禍で社会格差が拡大したのを機に、ベーシック・インカム(BI=最低所得保障) を始め、資本主義国の側に、社会主義的要素を取り入れる議論が起こっているのは事実です。

  いまの中国は決定的な弱点を内包しています。それは世界中の人々が、チャイナマネーは歓迎しても、中国式の社会主義に 憧憬 を抱かないことです。政治リスクの高い中国から離れていく多国籍企業も出てきています。中国はハード面に加えて、ソフト面でも世界の規範にならない限り、アメリカに取って代わる存在にはなれないでしょう。』

 なるほどなあ、こういう見方もあるのだ。

 で、問題はそんなアメリカと中国に挟まれて微妙な位置にいる日本はどうなってしまうんだろう。

『日本は、明治維新以降、これまで2度の拡張期を経てきました。昭和前期までは軍事的に拡張し、戦後の昭和後期は経済的に拡張してきたわけです。
 ところが昭和から平成に代わったところで、バブル経済が崩壊し、1度目の縮小期を迎えます。そして平成から令和に代わり、アフター・コロナの時代に起こってくるのは、2度目の縮小期です。少子高齢化もあいまって、これはいかんともしがたいものがあります。
『それでも決して悲観することはありません。明治維新の前の時代、すなわち江戸時代の日本は、世界の大国ではなかったものの、3000万人の国民が260年にわたって「太平の世」を 謳歌 してきました。現在でも、アメリカを除けば世界の先進国は、日本より小規模な国ばかりです。AI、5G(第5世代移動通信システム)、IoT(モノのインターネット) といった先端技術が社会の前面に出てくるアフター・コロナの時代には、「縮小する日本」であっても、十分に「幸福な日本」になれるのです。』

 という言い方には多少とも安心できるのであるが、本当にそうかなあ。

 もうちょっと米中の間で翻弄されそうな日本があるような気がしてならない。

 まあ、米中とも世界最大級の核保有国なので、米中の確執が本格的な<戦争>に発展する可能性は少ないとはいえ、米中は実際には米中戦争であった朝鮮戦争やベトナム戦争を戦ってきた両国である。

 いざ、米中が戦争に突入した際には、一番、両国から「的」になるのは、いやでも日本が標的になるわけで、その両大国の間で翻弄される姿しか予想できないのだ。なにか、「どちらにつくか」ではない方法をみつかられないものか。

ファクトで読む 米中新冷戦をアフター・コロナ』(近藤大介・著/講談社現代新書/2021年2月1日刊)

2021年2月10日 (水)

西新井大師から北千住へ

 西新井大師に詣でた後は、東武バスで北千住まで戻る。本木新道という狭い道を西新井橋まで走って北千住まで行くんだが、こうやって狭いゴチャゴチャした道を走るバスっていうのも実は私は好きなんですねえ。町が良く見えるし……。

 まあ、なんせ場末の育ちですからねえ。

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 だからといって、旧日光街道千住宿跡に出来ている「宿場通り」なんてのを歩いて、荒川放水路のそばにある「名倉接骨院」なんて名所を見て回ったって、本当の現代の北千住はわかりません。

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 まあ、「北千住初心者」の人たちや、「観光」で北千住に来た人はそれでもいいですけれども、本当の「ディープ北千住」を知りたければ、行くところは別にあるのです。

 そのひとつがJR常磐線北千住駅の西口駅裏飲み屋街です。あ、別にそんな名前が付いているわけではなく、誰もそんな呼び方もしていませんが。まあ、なんとなくそうやって呼ぶのが相応しいという感じで……。

 実は東口(電機大学や足立学園がある方)の方が、もっと奥深いんですけれども、そちらはもうちょっと上級者じゃないと、行っちゃいけません。

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 北千住と言えば、子どもの頃からよく行っていた場所なので、いろいろ想い出はあるんだが、今日は浦沢義雄氏との思い出を一節。

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 浦沢義雄氏といえば、不条理だったり結構シュールな笑いを求めた(つまり、面白いのか面白くないのか分からないギャグなどを描く)脚本家なんだが、その浦沢氏とはテレビ東京で放送されたカネボウ食品がスポンサーのアニメ『GO! レスラー軍団』のメインライター兼シリーズ構成とプロデューサーとして1年ほど付き合ったことがあった。結構、ギャグではスベッていましたね。で、そのスベり具合が微妙で、どこでスベっているのかが分からないという、これまた難しいスベリ具合なんです。

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 私と同じ年齢の浦沢氏は同時にご自身の出身地が北千住辺りということで、そのあたりの情報に非常に詳しい人だった。

 K談社でシナリオ打ち合わせをした後は、環七の鹿浜十字路にある「スタミナ苑」という、日本一美味しいお店ということで芸能人なんかも良く来る焼肉屋があるんだが、そこで焼肉を食べた後には北千住までタクシーを飛ばして、結構、夜中まで飲み明かしたのだった。

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 北千住というのは、私の地元ではありながら、大人になってからはあまり行かなくなってので、そこにある飲み屋街までは詳しくは知らなかったので、浦沢氏の北千住に関する知識には随分お世話になったものだ。

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LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Kita Senju / Feb. 7 2021 ©tsunoken

2021年2月 9日 (火)

賑やかな西新井大師に行ってきた……最近「賑やか」って、なかったもんなあ( ;∀;)

 久しぶりに西新井大師まで出かけた。

 私の現在に至るカメラライフの原点でもある。

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 西新井大師までは、東武伊勢崎線の西新井で大師線に乗り換えていく。

 東武大師線は延長約900メートル、二両連結で一編成、乗務員は一人だけ。大師前駅は無人駅なので、西新井駅に改札があって大師前駅は無改札である。

 同じ大師線でも、京浜急行の大師線とは大分スケールが違うなあ。

 東武大師線も、昔は赤羽駅あたりや東武東上線上板橋駅まで延伸する計画があったそうだが、それ以上に東京という街の発展スピードが速かったために、計画は打ち止めになったそうだ。ただし、現在、東京都区部周辺部環状公共交通(メトロセブン、エイトライナー)の構想が持ち上がっており、それが環七、環八の道路下に地下鉄を通そうとするもので、実現すれば、大師線区間は、その一部になる可能性があるということだ。

 う~ん、この少子化時代にそこまでの公共交通の必要性が認められるのかどうなのだろうか……。

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 西新井大師と柴又帝釈天の縁(えにし)については、もう何度か書いている。

 昔、松竹で『男はつらいよ』のシリーズが企画された時、候補に挙がった如何にも下町らしい寺院が「西新井大師」と「柴又帝釈天」だった。で、いろいろ検討した結果、山田洋次監督は柴又帝釈天を選んだという話。

 その結果として、西新井大師は参道があまり大きくならなかったのか、あるいは初めから長い参道を持っていなかったのが西新井大師で、柴又帝釈天の方が参道が長く、参道の店もバラエティに富んでいたから、柴又帝釈天でロケをすることになったとか、その真相は良く分からないのだが、まあ、そういう結果として、初詣の時以外には西新井大師が世間の話題になることは少なくなってきていた。

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 ところが、この日曜日に行ったら、なんか参道が結構賑やかになっているのだ。

 山門の手前の「清水屋」と「中田屋」の草団子対決も、中田屋のビルも改築を終えて店も復活、草団子対決も再開されて、結構、賑やかである。

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 境内に入っても出店が沢山出ていて、なんか縁日みたいだ。

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 う~ん、西新井大師の人出の減少を語り始めとして、参道の閑散ぶりから、参道にあった鰻屋の閉店噺に話を寄せて、柴又帝釈天のすぐ脇にある「川甚」の閉店話に振って、「次第になくなる下町名物よなあ」という話にしようとした当初の目論見が、まったく外れてしまいました。

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 まあ、縁日が賑やかになることは嬉しいことなので、別に、目論見が外れたって、それはありがたいんですけれどもね。

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LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Nishiarai / Feb.  7 2021 ©tsunoken

2021年2月 8日 (月)

YOKOHAMA AIR CABIN

 昨日に続き「都県境」を超えて神奈川県に来てしまった。コラコラ

 なんでも、京浜東北線(横浜線)桜木町駅前が大分以前とは違ってしまったという話を聞いたのだ。

 桜木町駅前のみなとみらい側出口を出てランドマークタワーへ至る陸橋の手前に何か新しい建物が建っている。

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 なぁんて仰々しい書き方をしなくたって、もう皆さん知っていますよね。

『横浜市は2021年1月13日(木)、JR桜木町駅とみなとみらい地区の新港埠頭を結ぶロープウェイ「YOKOHAMA AIR CABIN」について、4月22日(木)運航開始すると発表しました。』(横浜市広報から)

 というもの。

 桜木町駅で降りた観光客は、基本的にはランドマークタワー経由でみなとみらい地区に行くっていう感じで、みなとみらいから新港埠頭へ行くにはちょっと遠回り、ということになってしまい、横浜市としては「みなとみらい地区」に行くルートと、もう一つ「新港埠頭」に行くルートの二つを作って、ワールドポーターズとか、カップヌードルスタジアムとか万葉倶楽部なんかに行く客を作り出そうっていう算段なんですかね。

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 実は、ロープウェイというのは正しくなくて、これはゴンドラに類する乗り物なんですね。

 要は、ロープウェイっていうのは、箱根ロープウェイみたいな、往復2両編成で、山の上と下を繋ぐ方法。車両はワイヤーロープに固定されてしまっています。一方、ゴンドラっていうのは、ロープウェイほど大きくなくて(定員は数名)、途中に乗るキャビンは沢山あって、運行とキャビンを支えるワイヤーロープをラッチでもって掴んで動くという方法。こうすれば、これだけ沢山キャビンがあっても、乗り降りの度にロープウェイ全体を止めなくても済むっていう方法なんです。

 結果、この「ロープウェイ方式」よりも「ゴンドラ方式」の方が、乗客を沢山運べるというので、現在、日本のスキー場では、殆どがこのゴンドラ方式になっています。

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 で、まあ「ロープウェイ」か「ゴンドラ」かなんてことはどうでも良いんだが、このYOKOHAMA AIR CABINのいいところは、『ロープウェイは運河の上を通行していきますが、これに並行して、かつてこの地にあった東海道本線の貨物支線「横浜臨港線」の廃線跡である「汽車道」と呼ばれる遊歩道が整備されており、線路やトラス鉄橋など数々の遺構を眼下に見ることができます。
 横浜臨港線は1911(明治44)年に開業し、1986(昭和61)年に廃止された貨物線です。かつて山下ふ頭まで伸びていたこの貨物線は、船舶による輸送が主要だった時代に、日本の物流を支える重要な路線となっていました。』(横浜市広報から)というところ。

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 結構、この遊歩道は皆さん歩いているんだけれども、その遊歩道自体が東海道本線の貨物支線「横浜臨港線」があってところで、その廃線跡が遊歩道の一部に残されていることに気づいていないことの方が多いようだ。それに気づくようなゴンドラキャビン内のアナウンスなんかがあると嬉しい。

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 ってところで、ゴンドラはショッピングモール「ワールドポーターズ」で終点。

 多分、乗っている時間は数分、運賃は大人1000円、こども500円。これを高いとみるか、安いとみるかは、まあ乗った人の感覚なので私は言えない。

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 新港埠頭まで行って、それを利用する観光客を取り込む算段なのかなと思ったんだが、その手前で終わっちゃうんですね。

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 う~ん、なんとなく、昔、江東楽天地とか渋谷の東急百貨店にあった都会のビル間ロープウェイの復活みたいで、面白い。

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f2.8-4 D @Yokohama Minato Mirai / Feb. 6 2021 ©tsunoken

2021年2月 7日 (日)

元住吉ブレーメン通りを真面目に歩いてみる

 川崎の東横線元住吉駅の両側に「オズ通り」と「ブレーメン通り」という二つの商店ががあるのは以前から知っていた。ただし、東横線の綱島街道側にあるオズ通りには何回か行ったことがあるが、実はブレーメン通りは駅前以外は歩いたことがなく、そこに「元住吉ブレーメン通り」がある、という知識だけがあった。。

 というか、「オズ通り」は1992年にシンボルマーク「オズの魔法使い」が出来たらしいので、ブレーメン通りの方が1年早い。まあ、なのでブレーメン通りの方が本家なんだろう。

 ということで……、ちゃんとブレーメン通りを歩いてみようということで出かけてきた。東京から神奈川への旅である……、なーんちゃって、私の家の最寄り駅、駒込から東京メトロ南北線で、そのまま東急目黒線、田園調布駅からは東横線と、実際は乗ったままで行けるラインなんですけれどもね。

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 元住吉駅の駅前にあるのが「ブレーメン音楽隊像」。1991年(平成3年)3月に、ドイツ・ブレーメン市にある商店街ロイドパサージュとの友好提携に合意した証として、東横線元住吉駅北口に設置された、ロイドパサージュから友好の証として贈られた銅像である……らしい。

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 ただし、問題は何故川崎市中原区木月の元住吉駅前商店街がブレーメン通りになったのか、ということなんだけれども……

『1990年(平成2年)10月に元住吉西口商店街から名称変更し「モトスミ・ブレーメン通り商店街振興組合」となった。』というのがWikipediaでの説明で、ブレーメン通りのサイトを見ても「何故、ブレーメン通りなのか」という疑問には答えてくれていない。

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 なんなのかなあ……と歩いていると……

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 ブレーメン通りは川崎市中原区木月から川崎市中原区中ノ町になってしまうと、途端に何もなくなってしまい、ブレーメン通りでなくなってしまう。まあ、元住吉駅から数百メートルがブレーメン通りらしい。

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 もう、なあ、なんて考えながら元住吉駅まで戻ろうと歩いてみると、駅に向かって左側に「川崎市国際交流センター」があるらしい。

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「おっ、ここなら何かブレーメン通りの由来がわかる資料があるかもしれない。」と、立ち寄ってみた。

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 ところがねえ、何故、国際交流センターで「鹿(しし)踊り」なんだ? 岩手の花巻とか遠野の方の祭り(この鹿踊り衣装は花巻のもの)だもんなあ。

 う~ん、なんか頭がこんがらがってしまいそうな、神奈川県中原区木月(元住吉)の旅ではありました。

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LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Moto Sumiyoshi / Feb. 5 2021 ©tsunoken

2021年2月 6日 (土)

上中里・東京で一番ヒマな駅

 またまたご近所ネタですみません。

 北区にあるJR京浜東北線の上中里駅。快速運転区間はお隣の田端で終わりなので、すべての列車が停車し、その本数は北行き・南行き合わせて1日500本以上(2019年11月時点)。しかしながら、2018年度の1日平均の乗車人員数は8062人で、東京23区内のJR駅ではJR京葉線の越中島駅(5735人)に次ぐ閑散駅なのです。

 ところが乗車人員を列車の本数で割ると、越中島駅(1日326本)は1本あたりの乗車人員が17.59人なのに対し、上中里駅(1日529本)は15.24人。

 つまり、列車の本数単位で見ると、「上中里駅は東京23区のJR駅で最も閑散としている駅」ってのがいかにも上中里らしいんですね。もう、田舎なのか、都会なのか分からないっ! って感じでね。

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 上中里は飛鳥山の一部で、こんな上中里と王子を結ぶ「飛鳥の小径」なんていう看板があるんだけれども、それ以外には何にもなし。「駅前商店街」なんていう気の利いたものは、まったくありません。

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 上野駅から赤羽までの京浜東北線は、多摩丘陵の東の端、本郷台地の東の外れを走るので、上中里駅から尾久駅方面には、いかにも「台地と低地」の関係論って、そんな景観が見えます。

 つまりこの辺の土地は、多摩丘陵の上から荒川(現在の隅田川)一帯を見渡せる場所。つまり、昔の山城を作りやすい場所っていうことなんですね。

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 なので、上中里駅から本郷通り方面へ坂を少し上ると、平安時代に秩父平氏豊島近義がこの場所に城館を築てたと伝わる、平塚城がありました。しかし、豊島氏は鎌倉時代にかけて西の宇多氏や毛呂氏と結んで本拠を石神井に移して上杉氏と対立、室町時代になり豊島本宗家は上杉臣下の太田道灌にこの平塚城で滅ぼされたんですね。この辺、豊島城(現・豊島園)や赤塚城(現・赤塚公園)、石神井城(現・石神井公園・三宝寺池)と同じ運命。

 その平塚城の城跡に作られたのが平塚神社。

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  テレビドラマ「おかしな刑事」で伊東四朗や羽田美智子がお団子を食べている茶店「平塚亭」が境内にあることで有名なんだが、実はあまり開いているのを見たことがない。

 なんか趣味でやっているような店ではあります。

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 平塚神社の斜め前には、旧古河庭園なんかもあって、もうちょっと乗降客がいても良さそうなもんなんだが、東京23区のJR駅で最も閑散としている駅なんですね。何故か。

 皆、駒込から六義園のついでに行くとか、王子から飛鳥山公園のついでに行くっていう感じなのかなあ。

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 ところがこの上中里駅前に、本店が赤羽にある、昼間っから開いている”センベロ酒場”「立ち飲み いこい」という店がいつのまにかオープンしています。どうも、赤羽の本店ののれん分けらしい。

 この日は、まだちょっと早い時間なので寄らなかったんだけれども、今度もうちょっと遅い時間に行ってみよう。

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LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Kami Nakazato / Feb. 3 2021 ©tsunoken

2021年2月 5日 (金)

『ウチの娘は、彼氏ができない!!』の散英社って?

 何故か出版社を舞台にしているTVドラマが二晩続いている。

 TBS火曜日の『オー!マイ・ボス!恋は別冊で』と、NTV水曜日の『家の娘は、彼氏が出来ない!』であります。出てくる出版社は、『オー!マイ・ボス!』は「音羽堂出版」、『ウチの娘は』が散英社である。まあ、編集者目線で見た出版社と、作家目線でみた出版社という違いはあるが、まあ所詮、テレビドラマだからねという目でみていれば、別に問題はない。面白ければよいのだ。

 音羽堂出版については2月2日のブログで書いたので、今日は触れない。で、散英社ってどこなんだろうか。

 ストーリーを見てみると、主役の作家・水無瀬碧(みなせ・あおい/菅野美穂)を担当する散英社の編集者・橘漱石(たちばな そうせき/ 川上洋平)が、元々は少年マンガ誌の編集者だったんだけれども、いろいろあって今は文芸書の編集者という設定。

 ということは、少年マンガ雑誌と文芸書を両方とも出版している会社って大手の数社しかないですよね。で、ここは「散英社=集英社」で決まり!

 ただし、ロケ場所は神保町の集英社じゃなくて、どこか別のビル。

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 で、しかしあれっ? 散英社って聞いたことがあるなあ。

 そういえば、以前のNHK朝ドラ『半分、青い』で主人公の女の子、楡野鈴愛(永野芽郁)が弟子入りした漫画家、秋風羽織(豊川悦司)を担当しているのが散英社じゃなかったかしら。

 スワッ、ここにもあったパクリ疑惑……、って思ったんだけれども、よく見ればどちらの番組も、脚本は北川悦吏子氏のオリジナル。なんだ、自分で自分の作品をパクったって、何の問題もないですもんね。

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 で、出版社が特定できたあとは主人公の水無瀬碧と空(そら/浜辺美波)が住んでいる場所なんだけれども、『実家は長年すずらん商店街で写真館を経営していたが地上げにあった際にあっさりと土地を売却し、その際に手にした資金で両親はスイスに移住してしまい、ひとり日本に取り残された20代の駆け出し作家の時に『空の匂いをかぐ』という小説をヒットさせ、成功の象徴としてタワーマンション「エンゼルフォレストタワー」に移り住んでいる。』という設定があるそうだ。

 まあ、この設定だけでは地名は特定できません。実際に「映像」にするためには、ロケーション撮影が必要になるので、どこか場所を決めなければならないんですね。

 で、テレビをよく見ていると、上と下の写真の場所がよく出てくる。

 となればもう簡単。

 上下の写真は、麻布にあるパティオ十番という、公開空地。いろいろとイベントなどで使っているんだが、この坂の途中にある(公園ではなくて、あくまでも「空地」)パティオっていうのは、都内ではあまり他になくて、これ一発で麻布か! ってなっちゃうんですね。

 まあ、多分、六本木ヒルズあたりの地上げで売っちまった土地の上に立ったタワーマンションを買ったんでしょうね。まあ、そういうのはよくあることで、マンション・デベロッパーの一番の顧客は、そのマンションの元々の地権者ですからね。

 ということなんで、まあ、碧のタワーマンションは六本木ヒルズのそばのタワマンでしょ。

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 で、そうくればもう簡単。「すずらん商店街の老舗鯛焼き屋=おだや」っていう設定は「麻布十番商店街の老舗鯛焼き屋=浪花屋」しかないですね。

 まあ、浪花屋には「たい焼き」はありますが、『ウチの娘は……』の設定にある「サンマ焼き」はありません。実際に、テレビで出てきたのかしら? 実は第1話は見ていなかったので、その辺は良く分からない。

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 しかし、この「おだや」には碧の幼馴染ゴンちゃん(小田欣次/沢村一樹)がいるんだが、そのオヤジが小田俊一郎(中村雅敏)、『半分、青い』でもって岐阜の山奥の町で「五平餅」を製造販売していた人なんですねえ。

 なんなんだろう。北川悦吏子は中村雅俊に「昔からのお菓子を焼く職人」を演じさせることにご執心なんだろうか。

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 で、これから先、『ウチの娘は、彼氏ができない!!』でもって、蕎麦屋に絡んだ騒動が起きるそうだ。

 麻布で蕎麦屋と言えば、「総本家 更科堀井」「永坂更科布屋太兵衛」「麻布永坂更科本店」の三つが覇を競っているんだが、どこになるんだろうなあ。私的には「総本家 更科堀井」なんですけれどもね。

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 まあ、あとは豆源が出てくれば満足、満足なんであります。

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NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Jimbocho & Azabujuban / Feb. 4 2021 ©tsunoken

2021年2月 4日 (木)

新宿駅西口考・A rolling stone gathers no moss

 元々、新宿駅の西口は淀橋浄水場と十二社温泉以外には、何も見るものもない寂しい街だった。

 淀橋浄水場が新宿公園とか東京都庁などに変わってからの新宿西口の変貌ぶりは、たいしたものだった。

 その新宿駅西口が再び変貌の時を迎えているようなのだ。

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 地上のスバルビルはなくなってしまっているが、地下の「新宿の目」は残っている。現在、スバルビルの跡地はいろいろなイベントに使われているんだが、いずれここも建て替えが決まっているんだろう。その際には「新宿の目」はどうなってしまうんだろう。

 取り敢えず地上に上がってみれば、右からビックカメラが入っている小田急ハルク、ニコン・サービスが入っている新宿エルタワー、東京モード学園が入っている新宿コクーンタワーが見えますね。

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 小田急ハルクの1階にあるのが、この喫茶店「ピース」。

 ピースっていう店名もそうだけれども、内装も完璧に「昭和」な「純喫茶」です。ビックカメラにフィルムの現像を依頼に出した後にはこのピースで現像上がりを待つ場所だったんですね。

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 新宿エルタワー28階には、今でもニコンプラザが残っています。以前は「新宿ニコンプラザ」だったんだけれども、銀座ニコンプラザがなくなっちゃったんで、今はここが「東京ニコンプラザ」になりました。

 勿論、これまでと同じようにサービスの受け付けもやっています(前に比べると、ちょっと狭くなっちゃいましたがね)。

 写真の展示場「ニコンサロン」「ザ・ギャラリー」も残っています。

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 で、西口をホンのちょっと代々木方面へ行くと、もうそこは「〽丸い緑は山手線、真ん中通るは中央線」でお馴染み、ヨドバシカメラの本拠地だったのであります。

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 勿論、東口の北村写真機店に先立って「カメラのキタムラ」は既に出店済だし……

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 私が良く顔を出しているMAP CAMERAも、いよいよ1階がライカブティックになって新装です。以前は、ライカブティックは地下で、1階がGMTっていう高級腕時計の店だったんだけれども(GMTもMAP CAMERAです)いよいよ地上に上がってきて、東口の北村写真機店に対抗しようと意欲満々ですね。

 いやいや、こういう競争は客の方の利益に通じるんだから、私にとっては嬉しい変化なんですね。

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 って、ことで新宿から帰ります。

 ここ「新宿西口地下広場」も今から40年前にはベ平連のフォークゲリラが毎晩反戦集会を開いていて、それに対して、新宿警察は「ここは広場じゃない、通路だっ」なんていう屁理屈をこいてフォークゲリラ共を逮捕していた無法地帯だったんですけれどもね。もう、そんなことを覚えているのも、私らの世代から上の老人ばっかりだ。

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NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Nishi Shinjuku / Feb. 2 2021 ©tsunoken

2021年2月 3日 (水)

ニュー大崎ビルはどうなっているんだ

 我が家の山手線の最寄り駅は、山手線最北端の駒込駅、で、今日の目的地・大崎席はその山手線の最南端の駅である。30分以上はかかる大遠征である(まあ、都内移動としてはね)。昔の工場地帯から変貌する街として、結構、注目しているのが大崎の街なんだけれども……。

 JR大崎駅西口駅前にある「ニュー大崎ビル」は、これまでにもこのブログで何度か取り上げたことがある。

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 大崎駅周辺はここ10数年で大きく変貌している。

 元々はソニーや明電舎などの弱電関係の工場があった大崎駅周辺なんだが、近年はそれらの工場がオフィスビルに変貌してきて、ソニーシティ大崎、ゲートシティ大崎、シンクパークタワーなどが出来て、「大崎=工場地帯」というイメージから「大崎=オフィス街+商業地」というイメージに変わっている。

 ソニーシティ大崎以外は下層階に商業施設を収容していて、ビルで働いているオフィスワーカーばかりでなく、周辺住民を数多く集めている。

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 そんな、周辺のオフィス兼商業ビルに対して、昔っから商業ビルとして大崎駅前で頑張って来たのが、ここニュー大崎ビルなんですね。

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 ニュー大崎ビルはニュー大崎マンションと一緒の建物で、駅側が5階建ての商業ビル、反対側というか駅前の裏側が10階建ての住宅マンションが基本になっている建物なのである。

 で、マンションの概要を見てみると「用途地域:工業地域」ってなっている。

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 要は、このビルが建てられた1978年には、まだまだ周辺にはオフィスビルやら商業施設なんかはなくて、ソニーや明電舎の工場が沢山あったっていうことなんですね。

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 さすがにゲートシティやシンクパークタワーなんかのオシャレな店に比べると、ここニュー大崎ビルに出店しているお店は、しっかり「昭和の味」を出しているお店ばっかりです。

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 ただし、まあ、あまり元気はなさそうです。なんか「昭和の遺構」という感じですかね。新橋駅前あたりなら、まだ何とかなるんですけれどもね。

 シンクパークタワーあたりの「昭和なサラリーマン」なんかが来ても良さそうなものなんだが、まあ、昼間っからは来ませんね。

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 そういえば、このニュー大崎ビルの並びにあった文星堂書店は一時ゲートシティ大崎にも出店していたんだが、駅前店もゲートシティ店もなくなってしまっている。

「諸行無常の響きあり。」ってところなんでしょうかね。

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LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Osaki / Feb. 1 2021 ©tsunoken

2021年2月 2日 (火)

「オー!マイ・ボス!恋は別冊で」の出版社はどこだ?

 テレビドラマ「オー!マイ・ボス!恋は別冊で」を面白がって見ている。

 出版社の新人編集者と、彼女を自分の個人的な小間使いとしてこき使う「ドS」なファッション雑誌の編集長、という設定が「プラダを着た悪魔」とそっくりだという「パクリ疑惑」がにわかに巻き起こっているが、まあ、所詮、日本のテレビドラマの世界なんてそんなもんだという立場で見ていれば、別にどうということもない。

 主演の上白石萌音ちゃんが可愛いから、別に設定なんてどうでも良い。

 というよりも、気になったのは出版社の名前が「音羽堂出版」っていう名前なのだ。つまりこれって「K談社」を予想させますよね。

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 でも、音羽堂出版の玄関はこんな感じじゃないし、もし玄関でのロケーション撮影を許可しているんなら、受け付けの部分なんかも撮影協力して、ついでに編集部なんかも撮影協力しているはずだもんなあ。で、ついでに番組のノベライズの出版権なんかも獲得して商売するのがK談社の基本スタンスな筈なんだから、結局、K談社とは関係のないところで企画された番組なんだろうなあ。

 まあ、K談社が音羽堂出版のモデルだとすると、あんな「どS」な編集長はいないし……、いないし……いないし……いないし……本当かなあ(「ど」まではつかないけれども、Sな編集長はいたよね)。まあ、よその会社から最初から編集長として引き抜いてくるっていうのは、K談社ではないなあ。あんなオシャレな編集部なんてものもないしなあ。K談社の編集部は、まあ言ってみれば「紙屑のごみ溜め」、もうムチャクチャであります。

 ついでに言ってしまうと、番組に必ず出てくるのが目黒川のシーン。

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 もし音羽堂出版がK談社だったら神田川と江戸川橋になるはずなので、やっぱり音羽堂出版はK談社じゃないということになる。というか、音羽と目黒だったら、やっぱり目黒の方がファッション誌があってもおかしくないオシャレさがあるもんね。音羽じゃ「どこの田舎?」って感じだなあ。ああ、勿論、音羽の田舎だってファッション誌は出版していますけれどもね。出版社は場所じゃないんだ。

 じゃあどこなんだろうということで、目黒駅でおりていろいろ歩き回ったんですね。

 で、見つけたのはオリックス目黒ビル。なんとなく雰囲気はあるんだけれども、ちょっと違うかな。

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 ということで目黒駅方面へ少し戻ってみれば……

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 おお、ありました! 新目黒東急ビルだったんですね。しかも養生シートを貼って、ロケ準備の真っ最中。もう、これで決まりですね。

 そうなると気になるのは新人編集者・鈴木奈未(上白石萌音)と、実は奈未の上司であるドSな編集長・宝来麗子(菜々緒)の弟であるカメラマン・宝来潤之介(玉森裕太)が出会ったり、しょっちゅう画面に出てくる目黒川にかかるコンクリートのベンチがある人道橋なんだが……

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 どうにもこの橋がわからない。

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 で、結局、中目黒のちょっと上流まで行ったんだけれども、見つからなかった。

 どうも、山手通りのスタンレー電気の裏側、公園との間にある人道橋「なかめ橋」がその場所のようなんだが、勿論、コンクリートのベンチは置いていない。まあ、撮影用に置いたベンチなんだろう。

LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Meguro / Jan. 30 2021 ©tsunoken

2021年2月 1日 (月)

立教通りは「池袋写真」じゃないっていう話

「池袋写真」シリーズもちょっと飽きが来たなあ、ということで今日は最後の「池袋写真」なんだが、それが『「池袋写真」じゃない』って、どういう訳なんだ?

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 池袋駅西口を出て少し歩いて、斜め左に入る道が「立教通り」。

 駅から近い順に、立教大学、立教学院諸聖徒礼拝堂、立教池袋中学・高校、立教小学校が道の両側に並んでいる。だから「立教通り」なんだが、この辺りだけは池袋西口の猥雑さ、東口の雑踏とはまったく異なった静けさの中にある街なのだ。

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 で、ちょっと猥雑な話を。

 立教通りの入口にあるリビエラ東京という結婚式場なんだが、元々、ここは「白雲閣」という名前の料亭だった。

 で、実は元の白雲閣の時代に、トシちゃん(プッ)主演の映画『課長島耕作』のロケで使ったことがある。初芝電産の重役が料亭で悪事を企んで、そこから出てきたシーンを、白雲閣の玄関でタクシーに乗るシーンだ。

 今や、その面影すらないんですけれどもね。

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 立教大学は実にうまい造りになっていて、この立教通りの側から見ていると、古くからある大学の建物だけが目に入るようになっていて、およそマンモス大学のイメージはない。とても落ち着いていかにも静かな雰囲気の大学らしい。まあ、正門前の樅ノ木は、毎年、クリマスツリーで有名な木なんですよね。

 ただし、表側はね。

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 立教池袋中学・高校の裏には「江戸川乱歩旧宅」がひっそりと建っていて、これまたこの辺りの森閑さを際立てている。

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 ところがですね。

 立教通りを立教小学校を過ぎると、昔、谷端川という川が、現在は谷端川緑道という暗渠になっていて、そこを歩くと、西池袋通りという、立教大学の裏を見られる道が出来ているんですね。

 で、まあそこを歩くと、表側はひっそりしている立教大学の建物の裏側に、なんてことはない現代の普通のビルがあって、実はそこが立教大学の基本的なキャンパスなんですね。そりゃあそうですよね。この位のビルが出来ていないと、新座キャンパスも含めて2万人の学生を収容できないもんね。

 ボルダリングのトレーニングができる施設なんかが見えます。

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「手打ちうどん 立山」の主人は立教大学野球部のOBです。

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LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Nishi Ikebukuro / Jan. 31 2021 ©tsunoken

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