渋谷川を往く番外編・裏原宿
1月5・6日の「渋谷川を往く」の番外編。
原宿表参道を横切っていた渋谷川の遺構のお話です。
JR原宿駅を出ると表参道はゆっくり下り坂になる。
明治通りの辺りがその下り坂の最低地点で、そこから青山通りに向かってこれまたゆったりとした上り坂になる。つまり、明治通り辺りが一番低い地点でということは、多分、そこには普通は川があるはずなんですね。地形からいって。
明治通りを渡ってビクター音産産業(現・ビクターエンタテインメント)と言っていた会社が昔入っていた原宿ピアザビルの脇にあるのが……
「参道橋」という欄干の跡(?)、あるいは碑なのかなあ。
表参道の対面はMOMA Storeが入っているビル。
じゃあ、そちらはどうなっているのかな?
で、表参道を渡ってみれば……。
やっぱりあった「参道橋」の碑(みたいですなあ)。
この辺りは「キャットストリート」という通称が付けられているが、この「参道橋」がある辺りの道の正式名称は「旧渋谷川遊歩道路」という。この旧渋谷川遊歩道路が「裏原宿」と呼ばれる場所の中心地区である。キャットストリートが曲がりくねっている理由も、元々は川だったってことで説明がつきます。
つまり、新宿御苑あたりの玉川上水を水源とする渋谷川(原宿辺りでは「恩田川」)はこの参道橋で表参道の下をくぐって渋谷方面へ流れていき、渋谷駅あたりで本来の渋谷川と合流し、今、普通に呼ばれる渋谷川になる、ってことですね。
で、いつ頃この橋が、というか恩田川がなくなって暗渠になったのか。
それが1964年、前回の東京オリンピックの時らしい。
つまり、それまではキャットストリートもないし裏原宿もなかったってことなんですねえ。っていうか、原宿が「大人の深夜の盛り場」になったのが、多分、前回の東京オリンピックの頃からだったんじゃないだろうか。「原宿族」なんて言葉もあった。加賀まりことか大原麗子なんていう名前を思い出すけれども、う~ん、何だったんだろうなあ。
まあ、当時、中学一年生のガキだった私じゃそんなこと知らなくてもしょうがないか。
LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Harajuku / Jan. 12 2021 ©tsunoken
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