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2021年1月11日 (月)

『WALKER EVANS AMERIAN PHOTOGRAPHS』を読む

 2021年の劈頭(へきとう)を飾る本の紹介は、ウォーカー・エバンスの代表作『AMERICAN PHOTOGRAPHS』なんだが、実はこの本こそ、「写真が写真として自立する表現となる切っ掛けの本」なのであります。

『AMERICAN PHOTOGRAPHS』っていうことは、直訳すればまさしく「アメリカ写真」つまりこれが「アメリカの典型的な写真」っていうことなんだろうな。

 まあ、ただしそれは1938年のころのアメリカっていうことですけれどもね。

American-photographs

 『WALKER EVANS AMERICAN PHOTOGRAPHS』(Walker Evans / The Museum of Modern ART ©September 1938 Walker Evans)

 ウォーカー・エバンスとFSAプロジェクトって何なんだろう。ちょっとお手軽にWikipediaで調べる。

 ウォーカー・エバンスは、ウィリアムズ大学を中退し、パリに渡ってソルボンヌ大学で学ぶ。はじめは作家になるつもりだったが、アメリカに帰国してから写真の道を歩むようになった。

 ただし、当時は文学部や哲学科なんていうのはあったし、美術学部はあったが写真学科なんてものはなかった。つまり、写真っていうものは、「学問」ではなく、実学のなかの問題でしかなかったのである。とはいうものの、「写真」というものが直接的に物事を人々につなげることが出来る「メディア」である、ということがわかったことが、実は当時としては一番大切なことだったんだ。

 つまり、それがフォトジャーナリズムの始まりだったのである。

 世界恐慌下のアメリカの農業安定局 (FSA) のFSAプロジェクトに加わり、南部の農村のドキュメント写真を撮ったことで有名になった。
 その作品は、記録性を徹底したストレートフォトグラフィである。絵画的な芸術性を受け入れるものではなかった。

Photo_20201125133901©Walker Evans

『FSAプロジェクト(えふえすえいプロジェクト)とは、アメリカ合衆国のFSA(Farm Security Administration; 農業安定局または農業保障局)が、1929年の世界恐慌勃発後のアメリカの(主として南部)農村の惨状およびその復興を記録するため(一方で、農民救済の必要性を訴え、一方で、ニューディール政策の効果をアピールするため)に行ったプロジェクト(1935年から1944年)である。

 手法としては、写真が用いられた。このプロジェクトにより生み出された10万枚以上の写真が、アメリカの国会図書館 (Library of Congress) にコレクションとして現在も保存されている。なお、本プロジェクトのディレクターは、経済学者のロイ・ストライカー(Roy E. Stryker; 1893年- 1975年)である。

 参加した主要な写真家は、ジャック・デラーノ(Jack Delano; 1914年-1997年)、ウォーカー・エヴァンズ(Walker Evans; 1903年-1975年)、セオドア・ヤング(Theodore (Theo) Jung; 1906年生まれ)、ドロシア・ラング(Dorothea Lange; 1895年-1965年)、ラッセル・リー(Russell Lee; 1903年-1986年)、カール・マイダンス(Carl Mydans; 1907年-2004年)、ゴードン・パークス(Gordon Parks; 1912年-2006年)、アーサー・ロススタイン(Arthur Rothstein; 1915年-1986年)、ベン・シャーン(Ben Shahn; 1898年-1969年)、ジョン・ヴェイション(John Vachon; 1914年-1975年)、マリオン・ポスト・ウォルコット(Marion Post Wolcott; 1910年-1990年)、アルフレッド・T・パーマー(Alfred T. Palmer; 1906年-1993年)などである。

 自身は写真家ではなかったストライカーは、撮影者とは異なった観点から、写真作品の取捨選択、トリミング、利用方法の決定(新聞、雑誌、書籍等の発表メディアの選択など)を行い、個々の写真家と対立することも多かった。没にした写真を穴あけパンチで損壊したことすらあり、ストライカーによって穴を空けられた写真が多数残っている。ってなことだったっていうことは、やっぱりまだその頃は「コピーライト」なんて発想がなかったんだろうなあ。とはいえ、そのような問題をはらんではいたものの、このプロジェクトの写真作品は、ドキュメンタリー写真(報道写真の一部)の、またストレートフォトグラフィの重要な実例として、それぞれにおける金字塔となっている。

 なお、このプロジェクト期間中の1935年から1944年までの間に政府の組織改編がおこなわれたため、正確には、1935年から1937年までは、RA(Resettlement Administration; 再入植庁または再定住局)が、1937年から1942年まではFSAが、1942年から1944年まではOWI(Office of War Information; 戦時情報局)が、それぞれ所管していたが、通常は、このすべての期間について「FSAプロジェクト」と呼ばれることが多い。単に「FSA」と呼ばれること、例えば、「FSAの写真家」というような例、もある。また、1942年までに限定して、FSAプロジェクトと呼ぶ考え方もある。』(Wikipedia)

 まあ、アメリカ政府が社会記録として残した写真である。つまり、そこで必要とされるのは「記録性」であり「芸術性」ではないのは当たり前であり、その「当たり前」が写真本来のあり方として認知される出発点であったのかもしれない。

 そして、その時期がまさしくカメラの歴史とダブるのだ。雑誌「ライフ」の創刊が1936年である。

 つまり、オスカー・バルナックが「ウル・ライカ」という、バルナック・ライカの先行モデルを作ったのが1914年、そしていよいよバルナック・ライカが市場に出たのが1925年という年。つまり、大きな組み立て式のカメラではなく、手のひらに収まってしまう位の小型カメラが、取り敢えず大型カメラではドキュメンタリーが撮れないと考えた写真家たちが、次々にライカを手に入れ、まさしくドキュメンタリー・フォトグラファーとして活動を始めた時期が、実はまさしくこのFSAプロジェクトであり、雑誌や新聞報道における写真の登場なのだ。

 まさしく、当時の「ニューメディアとしての写真」という存在そのものである。

 その辺が、画家のための背景写真を撮り続けた、パリのウジェーヌ・アジェとはまた違った意味での、近代写真のスタートがこのウォーカー・エバンスの写真集に見て取れるのだ。

Photo_20201125133902©Walker Evans

「アート」ではない、まさしく「ストレート・フォトグラフィー」がそこにある。

『WALKER EVANS AMERICAN PHOTOGRAPHS』(Walker Evans / The Museum of Modern ART ©September 1938 Walker Evans)

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