正月の風物詩が別に駅伝じゃなくてもいいんだけれどもね
正月の有名な行事「東京箱根間往復大学駅伝」がいろいろ問題になっているようだ。
っあ、いや、そのテレビ中継がね……。
『前日の往路でも、原則無観客開催とされているのにもかかわらず、多くの人が沿道で見物したことに批判が集まったが、復路でもその様子は変わらず。
日本テレビの中継にはつねに観客の姿があり、中継所付近ではかなり密になっている場面も散見される。なかには、テレビカメラに向かって手を振る人も。
中継や現地の係員がテロップで沿道の見物を控えるよう呼びかけたが、残念ながらそれを無視する駅伝ファンが多く見られた。』
というネット報道があった。
そりゃまあね。この「人が密になる」ことを避けるように小池都知事が「密です、密です」なんて言う言葉が流行語大賞になっちゃっているご時世ですから、このご時世に町に繰り出して駅伝見物なんてことをやっている人が批判されるのは、まあ、事の成り行き上、仕方ないことなのかもしれない。
しかしねえ、この場合、批判されるべきは「駅伝を見に来た人たち」ではなくて、「駅伝を開催した人」なんじゃないだろうか。
まあ、それは箱根駅伝だけじゃなくて、元日に行われた「ニューイヤー駅伝」だって同じこと。
もうちょっと言っちゃえば、このご時世に「公道を使って開催されるレース」を開催すること自体が間違っているのだ。
開催される場所が公道である以上、そこに人が出てくることは「絶対に」避けることは出来ないし、「天下の公道を歩いちゃいけない」なんてことを言える人はいない筈。
「駅伝」「マラソン」「自転車レース」っていうのは、公道を使って行う三大スポーツなのだ。自転車レースっていうのは鈴鹿サーキットなどで行われるレースは過去にあったんだが、駅伝やマラソンってクローズドサーキットで開催されたころがあるなんて話は聞いたことはない。
公道を使って行うレースっていうのは、警察の許可が必要なので、実際には開催するのはかなり前から警察当局との交渉などがあってとても手間がかかって大変なのだ。でも、一度許可をとってしまえば、次の年の開催許可はとりやすい。次の年に辞めちゃうと、またその次の年はゼロからのスタートになるので、またまた許可をとるのが大変。ってことなので、開催する側はなかなかやめる判断がつかない。
更に、公道を使って行うレースは、一度、許可をとってしまえば、「公道使用料」なんてものはかからない。しかし、クローズドサーキットは使用料がかかる。鈴鹿サーキットでレースを開催しようと思えば、かなり莫大な施設使用料がかかる。勿論、それは観客の入場料や、メディアの放送権使用料で補うわけではあるけれども、一方で公道であればそんな施設使用料は必要ない(実は、多少はかかるんですけれどもね)し、メディア側も結構稼げるコンテンツなので、放送をやめる気持ちなんてサラサラない。
ってことで、毎年正月の恒例スポーツとして「東京箱根間往復大学駅伝」と「ニューイヤー駅伝」は、やめるなんて判断ができるわけはないのだ。というのは主催者・メディア双方の現場担当のプロデューサーやディレクターなどの「やむにやまれぬ勝手な理由」に基づく判断なのであります。それは同時に、TBSと日本テレビの役員クラスの人たちの「英断」もないってことですね。要は皆「責任をとりたくない」ってことなんだよっ!
あれっ? それって政府が「緊急事態宣言」を出して、国民に対して「外出規制」「行動制限」などを「発出」することを嫌うのと同じ感覚なのかもしれませんねえ。
なんだ、要は皆がみんなして(総理大臣から電通のプロデューサー、テレビ局のプロデューサーまで含めて)自分で責任をとりたくないってことだけなんじゃないの?
う~ん、日本中無責任時代がコロナ・ウィルスを流行らせる、ってこと?
まあ、そういう意味じゃあ、小池都知事だって同じ穴の狢なんだけれどもね。
LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Otemachi / Jan. 3 2021 ©tsunoken
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