無料ブログはココログ

chotoku.note

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

フォト

« 2020年11月 | トップページ | 2021年1月 »

2020年12月

2020年12月31日 (木)

今年もご購読ありがとうございます

 本年もブログをお読みいただき、誠に有難うございます。

 一昨年の12月8日に中国の武漢で発見された新型コロナウィルスは、昨年1月16日には早くも日本でも感染者が出て、それから一年間、我々はこの新型コロナウィルスに翻弄され続けた毎日でした。

 また、この新型コロナウィルスによる世界の分断にも悩まされ続けた一年でもありました。

 来年は、2月ごろから日本でも医療従事者からワクチンの接種が始まり、3月には高齢者、4月頃からは一般の人たちにも接種が始まる予定だそうで、そのまま夏のオリンピック開催に向けての準備に入るのでしょうか。

 まだ、開催なのか、再度延期なのか、あるいは中止なのか、状況は予断を許される状態ではありませんが、とりあえずは、何とかこの新型コロナウィルス禍から回復して欲しいものです。

L10056302

 取り敢えず、今年の暫定総ペービューは32,497PV(これは、12月29日までの分、正式な数字は来年1月2日のブログでご報告します)、いろいろブログが壊れたりして、一度PVが「0」になったところからの再出発で、まあ、何とかなったところかな。

 まあ、もとよりPVの数で収入が上がるなんていう仕組みのブログじゃなくて、別に収益を求めているわけではありません。まあ、PVは単なる自己満足なんですね。お~、これだけの人が読んでいてくれる……、ってなわけでね。

 もともと、講談社で自社が幹事社になって映画やテレビ、ビデオなんかの映像作品を作ることを辞めて、で私は講談社の映像プロデューサーの仕事を、「もう、お前やることないよ」ってなもんでクビになって、その結果、昔、新入社員時代にやっていた書店向けの販売促進という仕事に再び戻ったわけですね。

 で、その後、講談社が中心になって作った「書店未来研究会」という全国の書店の組織があるんだが、その事務局の仕事を拝命しました。んで、その書店未来研究会のWebサイトがあったんですね(誰が始めたのかはわかりませんが)。で、部長が(当然、私より年下)、私にそのWebサイトの担当をせよということでした。それが、私のブログのスタートみたいなものなのでした。

 そこで始めたのが、会員書店を訪ねて、そのお店で現在行っているフェアとか、店独自のイベントとかをいろいろ紹介して、他の会員書店にもおススメをするというコーナー。当然、私が自分でデジカメを持って行ってフェアなんかの様子を撮影して、書店さんにインタビューした記事を作って、記事を作成しWebデザイナー兼イラストレーターの佐川かすみさんという人に送って、ネット記事にしてもらうというお仕事。

 これって、まんま現在の「tsunokenのブログ」のスタイルなんですね。

 まあ、そんなこんなで、取り敢えず、現役時代の最後の仕事のまんま、今でも続けているっていうようなわけなんですね。

 ってことで、これから「緑のたぬき」で年越しそばです。

 嫌なにね、麻布十番の永坂更科も更科堀井も、駒込小松庵も、もう食べ飽きたので、今年は「緑のたぬき」なんです。どうせ、酒飲んでいる後だし、味なんてどうでもいいけんね。

 ってなことで、来年も「tsunokenのブログ2」、よろしくお願い申し上げます。

店主 敬白(軽薄?)

2020年12月30日 (水)

中仙道蕨宿を見に行く

 12月17日のブログ「やっぱりあった蕨城址公園」の取材に行った時に、そのほんのちょっと先なのに旧中山道と蕨宿に行かなかったのを思い出したので、改めて行ってきた。

L10056952

 蕨駅西口から今回はまっすぐに東へ向かう道を真っ直ぐに進んで、右折すると蕨城址公園に至る道を曲がらずに、更に西に進むと、しばらくして旧中山道にでる。

L10056922

 旧中山道を北進すると、いかにも旧街道筋にあることを思わせる大きな木造家屋が左右に見える。

 これらは多分昔の庄屋などの大店の跡なんだろう、と思わせる大きな木造家屋である。まあ、現在はどんな使われ方をしているのかは分からないが。

L10057012

 で、ちょっと歩くと蕨市立民族資料館。で、この民俗資料館の場所が……

L10056942

 蕨本陣の跡だったのであります。

L10056972

 蕨宿は昔は相当に大きな宿場町だったらしいのだが、旧日光御成道の川口市や、同じ中山道の浦和市(現・さいたま市浦和区)に挟まれて、その両宿場町が明治以降の発展と共に大きな街となったのに比べて、それらに挟まれた地勢からか、蕨市自体がその両市の発展ぶりから遅れてしまい、蕨市自体の地盤沈下と共に、蕨宿も寂れて行ったのかもしれない。

 なんか、「蕨」という街自体が『全国の市の中で最も面積が狭く、区町村を含めても15 番目(区は特別区のみ)に狭い。人口密度は全国の市町村で最も高いが、東京23区全体(15,535 人/km²)より高くはなく、市区町村では15番目である(2020年11月1日現在)。』(Wikipedia)っていうくらい、なんか存在感の薄い街ではあるのだ。『中仙道武州蕨宿宿場まつり』ってのが、毎年秋には開催されているらしいのだが、なんか我々のところまで届いていない、というか自分たちだけで満足しているんじゃないか。

 東海道の品川宿、奥州街道の千住宿、同じ中山道の板橋宿などのように、今でも商店街としてにぎわっているのと比較して、蕨宿の寂しさはちょっと残念なくらいだ。

 昔は、中山道一番目の宿場、板橋宿を出た旅人は、荒川を舟で戸田まで渡り、最初の宿場が蕨だったということで、ここで一泊したようで、『通常客が利用する平旅籠は問題無かったが、蕨宿の飯盛旅籠および飯盛女(めしもり-おんな)は強引な客引きがひどく、旅人は難儀したという。 そのため、江戸末期には旅人が安心して泊れるよう、平旅籠の講と呼ばれる旅館組合が組織されていた。』(Wikipedia)というくらい、蕨宿の飯盛り女は有名であったそうな。

L10057022

 更に北進して国道17号線との交差点のそばには、こんな「中山道ふれあい広場」なんていうのがあって、中山道や蕨宿についての説明文なんかがあったり、下の方に蕨宿の小型ジオラマがある火の見櫓の模型なんかがあるんだが、なんか町はずれのモニュメントみたいな感じで、ちょっと寂しい。

L10057032

LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Warabi / Dec. 29 2020 ©tsunoken

2020年12月29日 (火)

The last visit to Kamata in this year

 今年最後の蒲田行きではあります。2020年最後の『鎌田行進曲』です。

 特に何かの目的があって行ったわけではないので、薄味のレポートになってしまいました(なので YOU TUBE でごまかしたりしてね)。

L10056342

 たまに、何故か無性に蒲田に行きたくなる時がある。

 まあ、多分それは私が生まれ育った足立区本木(西新井)という土地に理由があるんだろう。

L10056372

 今でこそ、西新井と言えば「下町」と呼ばれているようだが、元々はその辺りは下町どころかそれ以下の「場末」と呼ばれていた場所だったのだ。

 本来の「下町」っていうのは、例えば麻布台が仙台藩の下屋敷があった「山の手」で、その坂の下にある麻布十番あたりが山の下だったので「下町」と呼ばれたように、それなりに由緒正しい、庶民の町が下町だったのである。

L10056412

 ちょっと違うけれども、その辺は上野や浅草辺りも同じく、寛永寺とか浅草寺とかの由緒正しいお寺があって、その周辺に庶民の住む町が拡がっていたなどの、「街自体に」それなりの由緒があって、それでいて庶民が住んでいた場所というのがある。

 そんな由緒もヘッタクレもないのが「場末」なんである。まあ「都会の町はずれ」ということ。別に、その町を取り上げても誰も興味を持たない「田舎の始まり」が「場末」、「手工業」から発展した「(公害ばらまく)町工場(まちこうば)」が多かった町が「場末」。

L10056432

 まあ、「北の場末=足立区」に対する「南の場末=大田区」っていうわけ。ただし、大田区は山王とかの「山の手」もあるので、基本的にはやっぱり蒲田がお友達の町ってな感じになるわけですね。

L10056452

 蒲田を流れる呑川という川は「城南3河川清流復活事業」という1980年代から19990年代にかけた東京都の事業で、それまではほとんどドブ川だったんだが、多少は清流に近い流れになった川。

 周囲にはメッキ工場なんかもあって、それ以前は誰からも見向きもされなかったドブ川だったのであります。

L10056462

 実はそんなドブ川だったので、松竹が撮影所をここ蒲田に持ってきたという話もある。

 松竹蒲田撮影所は大正8年(1920)から昭和11年(1936)まで開設されていたんだけれども、その当時は公害問題などはまったく顧みていない時代だったので、フィルム現像液の廃液を川に平気で流していた時代だったのです。

 東洋現像所(現・IMAGICA)も目黒川沿いにあります。

 えっ? 元々、蒲田辺りが工場地帯で、工場の騒音が映画撮影に関して問題になったんじゃないか? って?

 うーん、残念。

 その頃の日本映画はすべて「無声映画」、サイレントだったので、音は関係なかったんです。

 なので、映画『鎌田行進曲』で描かれた時代と、実際にあった松竹蒲田撮影所の時代は、違うんですね。

L10056522

LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Kamata / Dec. 26 2020 ©tsunoken

2020年12月28日 (月)

田中長徳『カメラに訊け!』を読んで、なんか安心した

 田中長徳氏の著書は沢山ある。

 Wikipediaで見るだけでも20数冊あり、「他、多数」という注釈付きという状況で、そこには写真集は含まれてはいないので、それを含んでしまうとどれだけあるのかは多分、ご本人も分からないのではないだろうか。

 いずれにせよ、日本で(多分、世界で)もっとも多くの著書を持つ写真家なのではないだろうか。

 なかなか、その著書を全部集めることは不可能とは思ってはいても、なんか、見つけるたびに読んでみたくなり、著書を買うことになるのであります。

Photo_20201224144201 『カメラに訊け!―知的に遊ぶ写真生活』(田中長徳・著/ちくま新書/2009年3月10日刊)

 本書を読んでみて一番「これっ」と思ったのが「第四章 中古レンズの”空気感”の正体」の出だしの文章。

『正岡子規の病床の日記をみていて面白いのは、子規の世界は確かに病室の6畳間がすべてには違いないのですが、そこで俳句を作り手紙をしたためることで、その世界が無限に伸びていることです。子規というと誰もが文字の人と思ってしまうわけですが、子規は文字世界の冒険者であるばかりか、視覚世界の冒険者でもありました。
 特に亡くなる直前まで描き続けられた「草花帳」と「果物帳」は圧巻です。
 僚友の夏目漱石にいわせると「子規は絵が下手」とありますが、あたしの見方からすると、むしろ漱石の描いた「猫」の絵の方が、その描き方が写生から逸脱している。つまり漱石の描いた絵はまさに「文人の戯れ」であるのに対して、子規の描くのは世の中一般の絵画のスタンダードに達している感じをもちます。』

 この文章を読むと鴨長明の『方丈記』を思い出すのである。

『行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。』

 鴨長明は、京の郊外・日野山(京都市伏見区日野)に一丈四方(方丈)の小庵をむすび隠棲した。庵に住みつつ当時の世間を観察し書き記した記録であることから、自ら「方丈記」と名づけた。つまり、京の田舎の山の中に住みながら、都の様子を実に的確にとらえ、都の状況に批判を加えていた様子と、正岡子規について書かれたこの文章。

『正岡子規の病床の日記をみていて面白いのは、子規の世界は確かに病室の6畳間がすべてには違いないのですが、そこで俳句を作り手紙をしたためることで、その世界が無限に伸びていることです。子規というと誰もが文字の人と思ってしまうわけですが、子規は文字世界の冒険者であるばかりか、視覚世界の冒険者でもありました。』

 が、重なるのである。

 実際に世界に飛び出していろいろなものを目にしている人ではなくて、方や「病室の6畳間」にいながら世界の視覚的状況をしっかり見ていた正岡子規と、今日の田舎に方丈の庵を作り隠棲した鴨長明が、しかし、実は京の中心で行われる政治などの様子を的確にとらえた様子が、なにか同じように見えるのだった。

 つまり、「見えるもの」と「見えないもの」、「見ようとするもの」と「見えまいとするもの」の関係についての、写真家としての表現が、まさしく本書の第四章の出だしなのである。

 とはいう物の、それはあくまでも「文章」や「絵画」に関するもので、やはり「写真」というものは「見えないものを撮る」っていうのは不可能なわけで、まあ、CGっていう表現はあるんだけれども、それは写真とは異なった表現なので、ここでは取り上げない。

 結局、写真家というのは、現場に行って写真を撮ることで生活が成り立っている以上、そのためのアウトフィットというのものが、フォトグラファー自体によって変わってくる。フォトグラファーが「肉体系」か「神経系」か、アシスタントを常に抱えているのか、あるいは自分だけで行動するフォトグラファーなのか……等々によって変わるわけだ。

 で、田中長徳氏のここのところのアウトフィットというのが以下の通りらしい。

『第二章でも申し上げましたが、この数年来あたしの映像生活を支えてくれているのは、以下のような陣容のカメラチームです。これは小型軽量で国内、国外を問わず、旅であれ、仕事であれ、携帯が負担になりません。
 題して、「チートク流カメラ三種の神器」ですね。
1.コンパクトデジカメ(リコーGRD、またはR10)
2.クラシック銀塩ライカ(ライカDⅢ、またはライカM2)
3.RF式デジタルカメラ(エプソンR-D1s)』

 って、なんだ私のアウトフィットと似たようなものなのである。

 私のアウトフィットは

1.コンパクトデジカメ(リコーGRD)
2.クラシック銀塩カメラ(ライカM6、ニコンF4、ニコンNew FM2ほか多数、ただし、最近は作品展などに出品する作品だけにしか使わなくなってしまった)
3.RF式デジタルカメラ(エプソンR-D1s、ライカM-E)
4.デジタル一眼レフ(ニコンDf、ニコンD7000)

 という具合。

 なんだ、田中長徳氏の本をいろいろ読んでいるうちに、いつの間には田中長徳流のアウトフィットになってしまっていたのだ。

 これは安心なんだけれどもねえ……

 これで写真の腕前が田中長徳氏のレベルに達していればいいんだけれども、所詮はシロウトはだしの腕前じゃあどうにもなりませぬ。

『カメラに訊け!―知的に遊ぶ写真生活』(田中長徳・著/ちくま新書/2009年3月10日刊)

2020年12月27日 (日)

川崎駅西口から元住吉ブレーメン通りへ

 川崎市中原区にある元住吉ブレーメン通りには何回か行ったことがあるんだが、これまで行ってきたルートとは違う行き方で行ってみようとしたわけなんですね。

 川崎市の元住吉まで行くのは、我が家からだと東京メトロ南北線で東急目黒線経由、東横線で行くわけなのだが、たまには別の行き方で行ってみようかと思い、JR京浜東北線で川崎駅、西口へ出てバスで元住吉まで行ってみようかと考えて、川崎駅西口へ出た。

L10055872

 普段、川崎駅で降りるとだいたい東口に出る。

 アメフトの富士通スタジアム川崎があるのが、川崎競輪場の隣なので、基本的には川崎駅東口から川崎市営バスに乗って、教育会館前で降りる。今年の11月から12月初めに川崎に通った時にも、要は川崎の埠頭巡りみたいな毎日だったので、やっぱり東口。何となく私には「川崎と言えば東口」っていう刷り込み、というか「川崎は海がある方」っていう感覚があるようなのだ。

 でも、実は川崎市って山の方に行けばよみうりランドがある麻生区なんて、東京の多摩地区と並んだ山がちのところまでるあるんだな、ってことはわかっているんだが、まあ、「川崎」っていうイメージが、なんとなく「海、埠頭、京浜工業地帯」なんですね。

 考えてみれば川崎駅を西口に出たのは、確かラゾーナ川崎が出来たばっかりの頃、そこに出店していた丸善に用事があったので行ったのだから、今から15年以上も前のことだ。それ以来、川崎駅西口とは縁が遠かった。

 川崎駅西口のバスターミナルへ行ってみると、あれ? 川崎市営バスが大挙してバス停を占拠している東口とは異なり、西口は川崎臨港バスがブイブイ言わせているのだった。えっ? 川崎駅の海側にある東口が川崎市営バスで、山側の西口が川崎臨港バスって? う~ん、何か変だなあ? 何でだろう? 良く分からないなあ、なんて考えているうちに来たバスに乗った。

 ところが「元住吉行き」のバスを待っていたのだが、乗ってしまったのが同じバス停の「横須賀線小杉行き」のバスであった。

 ありゃあ、これは間違えたと思ったのだが、まあ、武蔵小杉まで行ってしまっても元住吉はすぐそばなので歩けばいいや、ってなもんでバスの乗客となった。

L10056002

 途中に「木月住吉」というバス停があった。

「木月」という地名に聞き覚えがある。なんか以前元住吉を歩いた時に見たことがあるような地名だったし、最寄り駅が元住吉だというので、慌てて下車。終点のいくつか手前の停留所だったので、まあ、間違いはないだろう。

L10056012

 で、ほんの少し歩くと「モトスミ オズ通り」の表示が……、これは間違いない。

L10056022

 モトスミ・オズ通りを真っ直ぐに行くと綱島街道にでる。

L10056092

 綱島街道を渡るとオズ通りが繋がっているんだが、東横線元住吉駅の踏切を渡ると、そこが「元住吉ブレーメン通り」である。

L10056162

「ブレーメン通り」といっても、どうも「ブレーメンの音楽隊」との関連は良く分からない。

『1990年(平成2年)10月に元住吉西口商店街から名称変更し「モトスミ・ブレーメン通り商店街振興組合」となった。
 1991年(平成3年)3月には、ドイツ・ブレーメン市にある商店街ロイドパサージュとの友好提携に合意した。商店街の中ほどには、ロイドパサージュから友好の証として贈られた「ブレーメン音楽隊」像がある。』(Wikipedia)って、なんか「後付け」の命名理由だなあ。

 ってな感じで、ドイツのブレーメン市とかブレーメンの音楽隊とか何かの関連があってブレーメン通りってなった感じじゃないのでありました。

L10056192

 ってことは、「オズ通り」も「オズの魔法使い」とは何の関係もなくつかられた名前、つまり「あっちがブレーメンなら、こっちはオズだっ」ってな勢いで命名したような感じだ。

 ウムム……、題名には著作権がないのは確かなんだが、ねえ、なんか、割り切れないなあ。

 いいのかなあ、そんなに勝手に名前をつけちゃって……。

L10056212

LEICA M-E VOIGTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Kawasaki / Dec. 25 2020 ©tsunoken

2020年12月26日 (土)

ニスモ大黒ファクトリー

 12月20日のブログでトヨタ綱島ワークスのことを書いたので、ニッサンのワークス・ファクトリーが気になり、JR京浜東北線で鶴見駅まで出かけた。

 12月20日にニッサンのワークス・ファクトリーには、追浜ワークスと大森ワークスがあることを書いたんだが、実はこの両者、1984年に追浜ワークスが大森ワークスに吸収される形で、ニスモ(NISMO / NISSAN MOTORSPORTS INTERNATIONAL CO., LTD.)として合併して、当初は京浜急行大森海岸駅前に置かれてあった。それがその後、横浜市鶴見区に移転したようなのだ。

 鶴見駅前のバスターミナルで大黒ふ頭方面へ行く横浜市営バス第17系統を待つ。ところが時刻表を見るとなんと1時間に1本しかこない。まあ、ニッサンの工場に行く人なんて、皆、クルマを使っていくんだろうからそんなもんでもいいのかな。でも、皆がみんなニッサンで働いているわけじゃないしなあ。

L10054882

 で、大分鶴見駅前でたくさん待たされて大黒ふ頭方面へ行くバスに乗る。

 国道駅前なんて懐かしい停留所を過ぎて、バスは大黒ふ頭方面へ左折し、鶴見川を渡ると鶴見駅前から11番目、「新興駅前」というバス停で降りる。ここまで約15分。う~ん、待ち時間は長いけど、乗っている時間は少ない。こんなに近いんだったら、バス待っていないで歩くんだった。

L10054902

 で、新興駅前で下車すると、そこが既にニスモの真ん前。

 あまりにもあっけなく見つかってしまって、ちょっと拍子抜け。

L10054932

 いろいろ周囲を歩き回ってみたんだが、中へ入れる場所はないようだ。

L10054972

 それもそのはず、ニスモはニッサンの横浜工場の中にあったのだ。

L10055022

 勿論、ショールームはあるんだが、調べてみたら、12月21日から1月18日まではクローズしているようだった。それを知っていれば、もうちょっと早く来たのになあ。

L10055042

 周囲はトラックがブンブン走っているだけの産業道路。

 この辺も、ショッピングセンターに併設っていう「オシャレなトヨタ」と、工場街の中にある「無骨なニッサン」という違いが見えていて面白い。

L10055052

 ニスモの取材はすぐに終わってしまったので、大黒ふ頭まで行こうかと思ったのだが、なんか、11月から12月にかけて何度も行っていた川崎の埠頭巡りで、その殺伐とした風景にも飽きていたので、そのまま鶴見駅まで帰ってきてしまった。

LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Daikoku Tsurumi Yokohama / Dec. 22 2020 ©tsunoken

2020年12月25日 (金)

汐留雑景

「雑景」というのは、正しくは「いろいろな景色」という意味なんだけれども、私の場合は、まさしく「雑な風景」という意味での「雑景」なのであります。

L10055342

 出だしは「〽汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり」でお馴染みの旧新橋駅。

 汐留のシオサイトは以前、東海道貨物線の汐留駅だった場所で、それ以前は東京駅ができる前までは、東海道線の始点の駅だったのであります。あの「新橋ー横浜(現在の桜木町駅)」間で、日本最初の鉄道が走った場所だったのである。その後、東海道貨物線はなくなって、跡地がシオサイトというビル街になって、その中に、現在は「旧新橋停車場跡」という名前で旧新橋駅が再建されて、「鉄道歴史展示室」という博物館になっている。

L10055362

 駅舎の反対側に行くとプラットフォームも再建されているが、それが昔のままなのかは分からない。

 しかし、プラットフォーム上に、何か鉄骨組が作られている。これは見たことはなかった。何なんだろう。

L10055402

 近寄ってみると、黒い鉄骨の周りの枠組みの中に、なんか形のある灰色の鉄骨組がある。

L10055412

 どうもその「中の鉄骨組」は、どうも「東海道新幹線0系」のような形をしているんだなあ。

 実は「SHIODOME Twilight」という催しで、夜になるとSLから新幹線までのイメージをイルミネーションで表現しているイベントを開催しているのだった。

L10055432

 しかしまあ、SLは分からなくもないのだが、東海道新幹線が「旧新橋停車場跡」に似合うのかというと、なんかなあ「どうにもなあ」という感じになる。

 まあ、別にどうでもいいんですけれどもね。

L10055502

 そこから先、電通本社前を過ぎて更に築地方面へ進むと「旧青果門前」の交差点から晴海方面へ伸びる環状2号線の交差点に出る。オリンピック通りである。

 この道を汐留方面から見るのは初めてであった。

L10055592

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 / KONICA M-HEXANON 50mm f2 / Dec. 24 2020 @Shiodome ©tsunoken

2020年12月24日 (木)

今日はクリスマス・イブ

 今日はクリスマス・イブであります。

 なんか、日本ではクリスマス・イヴっていうのは「恋人と会う日」らしいですね。

Rimg00022_20201212221801by Fumie Takano

 日本中の仏教徒(多分、大半の日本人はそうである筈)は宗教とは関係なく、クリスマス・イブを過ごします。融通が利くっていうのか、図々しいっていうのか。お釈迦様の誕生日、4月8日の花祭りもやらない人たちも、クリスマス・イブはやるんですね。仏教のお寺が経営する幼稚園もクリスマスはやります。あ、勿論、そんな幼稚園は花祭りはやります。

 まあ、クリスマス・イブはイエスの生まれた日ではなくて、その前日なんですけれどもね。

 まあ、楽しけりゃいいってところなんでしょう。

 勿論、我が家もクリスマスは楽しみます。

L10052632

 なので、毎年恒例、この時期になると印税をガッポリ稼ぐ人の映像を二つご紹介。

 一つはJR東海とソフトバンクのバージョン。

 こちらの1988年 深津絵里、1989年 牧瀬里穂、1990年 高橋里奈あたりのキャラクターが思い出深い。みんな若いし可愛いしね。で、2000年バージョンで深津、牧瀬で星野真里を遠くから見つめている深津、牧瀬カムバック・バージョンにも感動。

 パロディ版もあります。恋人と久々に会うのにキセル乗車はいけませんねえ。

 ただし、ソフトバンクの広瀬すずバージョンがあったことは知らなかった。

 もう一つは山下達郎のオリジナル新バージョン(2020年版)(JRとは関係ない)があります。

 こちらはGo To トラベルがいろいろと問題がある状況なので、「恋人と会う」というシチュエーションではありません。

JR東海のCMについては、まあ、それが山下達郎最初の大ヒット曲(というか、山下達郎という名前が世の中の<音楽ファン以外の>多くの人たちに認知された初めだった)だったんで、そのヒットぶりには結構衝撃的であると同時に、これは、うまく使ってくれれば毎年莫大な印税を稼げる収入源になるだろうなあ、というちょっと「ファン視線」とは違う部分での評価というか認識があった。

 まあ別に山下氏がクリスチャンなのかどうかなのかは関係ない。

 山下氏にとっては「クリスマスという日は、遠く離れた恋人と会う日」という捉え方をしていたとするなら、要は、それは日本の企業が「社員個人の希望とは関係なく、企業が勝手に従業員の就業場所を決めてしまう」という悪弊とずっと続けていたっていうこと関係がないわけではないだろう。

 で、まあ、取り敢えずクリスマスイブに寂しい人にはこれをお届けしました。

 別に、企業の社員の人事権がすべて間違っているなんてことは考えていないが、日本の会社が唯一考えていなかったことが、「宗教的な理由やら家族的な理由などの個人的な理由による」とか、いろいろな事情を抱えた人の転勤できない状況を、企業は何にも考えていなかった人事政策を執っていたっていう問題なんですね。

「転勤辞令が出たら、いやでも転勤するんだっ」ってなものですね。

 それを「当たり前」としていた時代のCMという見方もできるなあ、これは。

 う~ん、どうなんだろう?

L10052762

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Yotsuya / Dec. 11 2020 ©tsunoken

2020年12月23日 (水)

相変わらず「密」なシモキタは今どうなっているんだ

 久々に下北沢の駅で降りた。

 駅前の戦後の闇市から始まった愛すべき駅前食品市場が2017年秋に廃止となり、その後、取り壊されたところまでは知っていたんだが、もう何年か経っているので、何か工事でも始まっていないかなと思ったんですけれどもね。

L10054632

 駅前のマーケットがあった場所は未だに更地のまんま。駅前でフリーマーケットみたいなものを開催していたが、これはマーケットがなくなってからたまにやっている催しなので、まあ、こんなもんかな、と。

 世田谷区がバスターミナルを作るっていう計画があるらしいんだけれども、駅前は坂の途中なので、あまりバスターミナルを作るのには向いていないような気がする。もうちょっと新宿よりの場所になるのかなあ。

L10054662

 坂を上って井の頭線の踏切を渡って、南口方面を見に行くことにする。

L10054712

 とまあ、南口の商店街は相変わらずの「密」な人出ですね。

L10054732

 まあ、皆さん若い人たちなんでマスクは付けているけれども、でもまあ、「密」ですよね。

L10054742

 以前は、電車に乗っても座席に間を置いて座っていたんだけれども、最近はみんな詰めて座っているし、街を歩いていてもマスクをしていないオジサンなんかもいたりして、なんかちょっと「気持ちが緩んでいるんじゃないか」っていうふうな気分になりますね。

L10054762

 もうとにかく「密」です。

 やっぱり若い人たちが行きたがる場所ってのは、どうしても「密」になるようですね。

 まあ、皆さん、コロナウィルスには気を付けましょうね。

L10054782

 下北駅前食品市場の「その後」を見に来た目的は達せなかったんだけれども、若い人たちが「密」を避けて外出を控えるってなことはなかったことは、原宿竹下通りなんかは行かないジジイにも、わかりました。

LEICA M-E VOIGTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Kitazawa / Dec. 20 2020 ©tsunoken

2020年12月22日 (火)

新宿スバルビルの跡地で……

 新宿駅西口を出たら、新宿スバルビルの跡地でなにかのイベントをやっていた。

L10054582

 行ってみたら「東京クリスマスマーケット」という催し。入口にはドイツ国旗が掲揚されている。

 何で、クリスマスでドイツなんだろう。確かに、ドイツはプロテスタント(ルター派)の本拠地ではあるが、クリスマス自体は欧米共通の催しのはずなんだけれどもなあ。

L10054482

 調べてみると「クリスマスマーケット」は、ドイツ・ドレスデンの伝統的な「クリスマスマーケット」をモチーフに、様々な飲食店や雑貨店が集結するクリスマスイベントで、ドイツ各地で行われているのだそうだ。

 さすがに「主催:東京クリスマスマーケット実行委員会 後援:ドイツ連邦共和国大使館 / 新宿区 / ドイツ観光局 / バイエルン州駐日代表部 / ザクセン州観光局 / ザイフェン村」というドイツ連邦共和国自体がバックアップする催しのようだ。

L10054502

 ちょっと中を覗いてみると……

L10054512

「Candle Marche」などの物品販売ブースもあるんだが、殆どは飲食のブース。

L10054532

 そうか、ドイツには「オクトーバフェスト」という、毎年、新しいビールの醸造シーズンの幕開けを祝うお祭りがあって、とにかく街全体がビアホールみたいになってしまう状態の「お祭り」があるんだけれども、要はそれのクリスマス版っていうわけなんだろうなあ。

L10054542

 ただし、まあ、ちょっと寒いので、あまり屋外でビールを飲むっていう感じではないですけれどもね。オクトーバーフェストじゃないから、ホットワインはあるのかな?

L10054602

「東京クリスマスマーケット」は西新宿以外にも、六本木ヒルズ、日比谷公園、東京スカイツリータウンなどでも開催中。ただし、開催期間は当然のことながら12月25日まで。

LEICA M-E VOIGTLANDER COLOR-SCOPAR 21mm f4 @Shinjuku / Dec. 20 2020 ©tsunoken

2020年12月21日 (月)

千駄木、丘の上の散歩道

 またまたご近所ネタですみません。

 どうもね、寒くなってくると、あまり遠出をしたくなってしまうんでしょうか。いけませんね。

 ということで、今日は、道坂上から団子坂上へ至る、本郷台地の丘の上の裏道紹介です。

L10054122

 道坂上の駒込病院前の十字路を駒込病院に向かって左へ折れると、団子坂上からの一方通行の狭い道があります。そこが今日紹介する「千駄木、丘の上の散歩道」です。

L10054174

 まず出てくるのが「日本アンリ・ファーブル会」が運営する「ファーブル昆虫館 虫の詩人の館」です。

「日本アンリ・ファーブル会」とは『 本会は、フランスの博物学者アンリ・ファーブルをひとつの理想像として、現代の日本の子供たちを中心に、自然に対する健全な感覚を養い育てることを目的としています。
 子供たちは遅くとも十歳くらいまでのあいだに、仲間と自然の中で遊ぶことが望ましく、それによって健全な人間として必要な、様々な感覚、能力を身につけることができます。それは現在の都会的環境では育ちにくいものです。
 日本人は昔からふるさとの自然に護られ、小動物、主として虫を相手にその姿、形の多様さ、美しさ、不思議さを知り、その命の貴さに触れてきました。これははからずも、あの偉大なる博物学者、アンリ・ファーブルの生涯の仕事と一致しています。
 しかし、現在の日本で、どうしたら子供たちを、そのように自然と親しませることが出来るでしょうか。
 子供たちが昆虫や植物を自由に手に取り実感出来る自然環境、自由に利用できる資料館などを提供し、子供のみならずその家族にも、日本人がかつて所有していた自然についての感覚、美意識をとりもどしてもらうことを目標に活動しています。』という団体。(日本アンリ・ファーブル会のサイトより

 館内にはアンリ・ファーブルの生家を再現したり、いろいろな展示室があります。

L10054182

 丘の上の散歩道をもう少し行くと、「高村光太郎旧居跡」「宮本百合子ゆかりの地」などがありますが、光太郎や百合子が住んでいた家は、既にありません。

L10054212

 もうちょっと行くと、旧安田楠雄邸庭園があります。

『邸宅と庭園は、「豊島園」の創始者である実業家、藤田好三郎(ふじたよしさぶろう)によって1919~1920年に造られました。関東大震災後、旧安田財閥の創始者・安田善次郎の女婿である安田善四郎が藤田家からこのお屋敷を買い取り、安田家の所有となりました。そして1995年、当主の楠雄氏が他界した後、夫人により公益財団法人日本ナショナルトラスト(JNT)に寄贈され現在に至ります。』(公益財団法人日本ナショナルトラストのサイトより)

L10054252

 団子坂上に出ると「観潮楼跡 森鴎外記念本郷図書館」があります。

 この地は森鴎外の時代には品川の海が見えたらしく、それが「観潮楼」と名付けた理由なのですが、この地の地名は文京区汐見という、まさしく海が見えたっていうことなのでしょう。

 団子坂下の交差点直前を左に折れると「須藤公園」があります。

 須藤公園とは『江戸時代の加賀藩の支藩の大聖寺藩(十万石)の屋敷跡。その後、長州出身の政治家品川弥二郎の邸宅となり、明治22年(1889年)に実業家須藤吉左衛門が買い取りました。昭和8年(1933年)に須藤家が公園用地として東京市に寄付、昭和25年(1950年)に文京区に移管されました。』『高低差のある台地と低地を巧みに生かした公園斜面地には、クスノキなどの大木が豊かな緑をつくりだしています。またその緑を背景として、滝からの水が流れ込む池には藤棚が設けられています。』(いずれも文京区のサイトより

L10054352

 で、その須藤公園の手前が、出版社・講談社の社宅があるんですが……。

L10054322

 ここが、講談社初代・野間清治が「大日本雄弁会講談社」を設立した場所なんです。

L10054342

 って「オチ」はそこかい。

LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Sendagi / Dec. 19 2020 ©tsunoken

2020年12月20日 (日)

昔”トヨタ綱島ワークス”というのがあった

 東急東横線大倉山駅で降りて、横浜市営バスに乗って、ほんのちょっと綱島街道を走って左折し、横浜環状2号線に入ると、すぐにあるのがトレッサ横浜という停留所。

 まあ、郊外の土地によくあるショッピングモールなんだが、このモールの作り方を見てみれば、何となくこのシッピングモールの意味が分かってくる。

L10053812

 モールは横浜環状2号線を挟んで南棟と北棟に分かれていて、南棟の造りは、まあ、普通のショッピングモール。イオンなんかと変わりはない。

L10053992

 ところが、道路に架かる南棟と北棟の渡り廊下を超えると、ガラッとモールの趣きが変わる。

 一番上の写真でもわかるんだが、道路を挟んで南と北でショッピングモールの造りが全く異なるのだ。

 南棟は普通の外観なんだけれども、北棟はトヨタの系列店がズラッと軒を並べている。

L10054012

 で、2階の入口にはトヨタのクルマのツリーが展示されていて、さながら「トヨタ博物館」に来たような趣き。

L10053942

 2階3階はスポーツ用品などを販売している店舗なんだが、1階はすべてトヨタ車、それも商用車ではない、どちらかというとスポーツ車とかワンボックスカーなどのレジャー車の展示会場になっているのだ。

 現状での最前線では「トヨタ・ヤリス」です。まあ、今年のWRC優勝車ですもんね。

L10053882

 何故か?

 実はトレッサ横浜という建物自体が株式会社トヨタオートモールクリエイトというトヨタの子会社が開発・運営を行っている複合型商業施設であり、当地はもともとトヨタテクノクラフトの工場およびトヨタグループの物流拠点の跡地であり、広大な更地が広がっていた場所だったっていうこと。

 更に、トヨタテクノクラフトはトヨタ自動車グループに存在した完全子会社であり、モータースポーツやカスタマイズパーツのブランド「TRD(Toyota Racing Development)」もトヨタテクノクラフトが所有していたという、トヨタモータースポーツの、東の中心地だったのだ。

 モータースポーツというのは、当然、メーカーが絡まないと始まらない。やはり、メーカー自体がモータースポーツ用の特殊パーツや、モータースポツユーザー用に提供するアフターパーツなどを開発しないと、成立しない世界だ。

 私はニッサン系のクラブに所属していたんだけれども、ニッサンには「追浜ワークス」と「大森ワークス」という階級制度があって、追浜ワークスはニッサン直系のワークスドライバー&チームのための工場で、まあ普通の人たち(とか傘下のクラブ員には)にはまったく縁のないレーシング工場で、プロトタイプ・レーシングかなんかを作っていた第一線。一方、大森ワークスはSCCN(Sports Car Club of Nissan)の拠点で、ツーリングカーなんかを改造していて、ツーリングカー・レースなどに出場していた二線級の工場だ。現在のNISMO(ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル)は、この大森ワークスが原型。

 ただし、当時はプリンス自動車との合併の後遺症が残っていて、未だにPMC-S(Prince Motorist Club of Sport)なんてクラブも残っていたなあ。

 私が所属していたNDC東京(日本ダットサンクラブ東京=Nissan Datsun Club of Tokyo / 蔑称:Nippon Drinkers Club of Tokyo)なんかは、そのまた下のユーザーズクラブだったので、まあ、ちょっと足を踏み入れるのも憚れるような存在ではあった。

 まあ、今はどうなんでしょう。

L10053862

L10053852

 そうか、トヨタのモータースポーツの聖地「綱島ワークス」がここにあったんだなあ。

 TRDというメーカー直系のスポーツ部品開発部隊や、トムスレーシングという、外殻でレース部品などを開発している会社と、トヨタ本社との関係は、更に傘下クラブとの関係は、私と関係を持たなかったメーカーだったので良く分からない。

 が、まあ、まだTRDは残っていたんだな、ということが分かったということだけでも良かった。いやあ、いまでもTRDがあるんだなあ。

 ただし、本当の「聖地」つまり、トヨタワークスは愛知県の豊田市か静岡県の東富士の研究所の奥の奥にあるはずで、まあ、我々みたいな素人が入れるはずも無し……、ですね。

 でも、昔、「綱島ワークス」と呼んだ、トヨタのレーシング工場があったっていうことを確認できたっていうことで……、とりあえず満足かな。

L10053822

 つまり、私はトヨタ車のユーザーになったことはない。

LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @TRESSA YOKOHAMA / Dec. 18 2020  ©tsunoken

2020年12月19日 (土)

眼底検査の日はオートフォーカスが便利だ

 一昨日は眼科で眼底検査を行った。

 いやなに、糖尿病網膜症の定期健診に行っただけのこと。以前、通っていた眼科医院が閉鎖になってしまったので、新たに駒込駅前の眼科に、朝行ってきたのだった。

Dsc_00132_20201217161901

 眼底検査というのは、目薬を差して瞳孔を開いて眼底撮影をして行うので、当然、眼の絞りが開放になってしまう。眼の被写界深度が狭くなるのでフォーカスは合わせにくくなってしまい、なおかつ画像は露出オーバーになってしまって、街を歩いていても、眩しいったらありゃしない。

Dsc_00152_20201217161901

 と、そういう状態になってしまうと、マニュアルフォーカスのライカで写真を撮ることが難しくなってしまう。ってうか、まずできない。

Dsc_00172_20201217162001

 で、ここは20mmという超広角レンズを使っていてもフォーカスを合わせるのが難しいので、そこはオートフォーカスが使えるカメラの登場となるわけです。

Dsc_00042_20201217162001

 なので、眼底検査に行った後の「散歩カメラ」には、ニコンDfの登場となるわけです。

 えっ? そんな日に散歩なんかしなけりゃいいのに、しかもコロナ禍の中で……、て、まあその通りではありますがね。

Dsc_00052_20201217162001

 でも散歩カメラに出かけるのであります。

 私がやることはフレーミングと絞りの調整だけで、フォーカスはカメラ任せで撮っています。

Dsc_00122_20201217162101

 こういう時はオートフォーカスが便利だなあ。

Dsc_00222_20201217162101

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Hon Komagome / Dec. 17 2020 ©tsunoken

2020年12月18日 (金)

光と闇の惨劇その……

「光と闇の惨劇」というふざけたタイルは、写真家・田中長徳氏が言い出した「オールドデジタルカメラを使う市民の会」、一度「いいね」を押したら、いつの間にか入会していたので、その会のFacebookに投稿する際のタイトルとして使っているもので、別にたいした意味があるわけではない。というか、殆ど意味はない。

Epsn00032_20201215152801

 だって、基本的に「写真っていうのは光と闇(あるいは陰)を捉えた劇場」みたいなものでしょう、ってところから発想したものなんだけれども。

 実はそれには元ネタがある。

Epsn00052_20201215152801

 田中長徳氏の1996年発行の写真集『ウィーンとライカの日々』の第2章「2グラムの光」というのがあって、その文章に魅かれたからなのだった。

『ある日、ライカM3にズミクロン90ミリで逆光の雲に向け写真を撮った。その日の夕刻に現像してみたら、そのうちの1枚に予期しない光のシャワーが写っていたのである。
この光のシャワーというのは、以前から大通りの建物の段違いのスペースの意匠になっていたので気になってはいたのだが、そういうグラフィックなデザインが実際に自然界に出現したのが妙であった。こういう次第は、ライカのような一眼レフでない35ミリカメラの独壇場である。つまり、ライカでは意識ではコントロールできないもの、表現上のまったく予期しないものが、そこに写るのだ。その光のシャワーを厚手のハンガリー製の印画紙、フォルテにプリントしたので、その光の質量は、およそ2グラム程度であろう、という推論に達した。
これが「2グラムの光」誕生の縁起である。』

 なんという表現であろうか。

Epsn00112_20201215152801

 まさしく、カメラが捉えたもの、それは「光」であり、同時にその光の反対側にある「闇あるいは陰」なのである。

Epsn00152_20201215152801

 後に写真は「光と陰」だけでなく「色彩」を加えて表現するものとなったのだが、しかし、今でも私たちをとらえてはなさないものが「白黒写真」なのだ。

 まさに「光と闇の惨劇」は、写真の基本であり、原点なのだ。

Epsn00212_20201215152901

 なので「オールドデジタルカメラを使う市民の会」のFacebook上の私の投稿写真はすべて、モノクロである。まあ、今やモノクロ・オンリー機になってしまったEPSON R-D1sで撮った写真をFacebook用に使っているっていうこともあります。

 別に意味はありません。なんか「オールド」と「モノクロ」っていうのが、同期しただけで……。

 ということで、本日のブログはFacebook上の「オールドデジタルカメラを使う市民の会」にもクロス投稿します。

Epsn00182_20201215152901 EPSON R-D1s VOIGTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Oizumi Gakuen & Tabata Dozaka / Dec.15 2020 ©tsunoken

 『ウィーンとライカの日々』(田中長徳・著/日本カメラ社/1996年8月20日刊) 

2020年12月17日 (木)

やっぱりあった蕨城址公園

 埼玉県蕨市である。

『全国の市の中で最も面積が狭く、区町村を含めても15 番目(区は特別区のみ)に狭い。人口密度は全国の市町村で最も高いが、東京23区全体(15,535 人/km²)より高くはなく、市区町村では15番目である(2020年11月1日現在)。2000年代前半時には東京都区部より高かった時期もあった。
 主に住宅地からなるが、江戸時代には蕨宿が置かれ、中山道の宿場町として非常に栄えていた。この地で1946年(昭和21年)から開催されている『青年祭』が現在全国各地で行われている成人式の基礎になった。』というのがWikipediaでの蕨市に関する記述。

 まあ、そういう意味では「地味な町」なんでありますが、その蕨市に「蕨城」の跡があるというので見に行った。埼玉県には、こうした北条氏に滅ぼされた地元の豪族の城(というより、豪族の屋敷)がいろいろな場所にある。結構、そうした城探しするのも面白い。

 駅から蕨城址までは歩いて15分くらい。まあ、小さな町の小さなお城って感じだったんでしょうかね。

Dsc_00132_20201216203001

 本丸跡には諸橋徹次による「蕨城址碑」がある、蕨城址公園があります。

Dsc_00182_20201216203001

 この辺りが蕨城本丸だったところらしい。現在は蕨市民会館があって、蕨市役所が建て替え工事の最中らしく、市役所の業務をここで行っている。

Dsc_00152_20201216203001

 蕨城に関しては、蕨氏教育委員会による説明板が公園の入口に掲出されている。

「蕨城は、南北朝時代に渋川氏が館を構え、大永四年(1524)に北条氏綱により攻撃され、破壊されたと言われています。
 江戸時代の初めには、徳川家の鷹狩用の「御殿」(休憩地)として城跡が利用されました。
 江戸時代に記された絵図面によると、東西が沼、深田で囲まれた微高地上に、幅約一一・八mの囲堀と、幅八・二mの土塁をめぐらし、堀の内側の面積は約一二二〇〇㎡となっています。
 南側には、堀と土塁をめぐらせた約二一六五㎡の外輪地があり、北側にも堀と土塁の構えが見られますが、現在はわずかに堀跡と要害、高山などの俗名を残すのみとなっています。
 また、昭和三六年(1961)一一月、本丸跡に文学博士 諸橋徹次選書の「蕨城址碑」が建立され、現在は「蕨城址公園」として整備されています。

 平成二六年
                           蕨市教育委員会」

 で、これが堀跡らしき池。「御殿堀」という名前がついています。

 それ以外は要害、高山などは言われてみなけりゃ分かりません。

Dsc_00292_20201216203101

 城址公園の裏にある、「蕨」を言い換えた「和楽備神社」。

 城の中に神社を作るというのは、昔からごく普通に行われていたことで、要は、城の守りと戦の勝利の「願」をかけたわけなんですね。

 で、後の世になって、メインの城跡は次第に後の支配階級に奪われて、まあ、蕨市民会館や市役所などの公共機関に使われたりするんだが、城に付属した神社は宗教法人化して生き延びるので、次第に同じ場所にあった「城址」よりも広くなってしまう、っていうのも、これまた歴史の必然。

Dsc_00322_20201216203101

 ギリギリだったですねえ。和楽備神社おかめ市というのが、今日。12月17日に行わるそうで、「午」の日なんだけれども、「酉の市」みたいな熊手を売るようです。

Dsc_00442_20201216203101

 和楽備神社の道路を挟んで対面に止めてあった車。ナンバーは付いているので放置車両ではないようですが……。結構、「イケテル」クルマですねえ。

 いい、雰囲気出してる。

Dsc_00422_20201216203101

NIKON Df AF NIKKOR 24-50mm f3.3-4.5 @Warabi / Dec. 16 2020 ©tsunoken

2020年12月16日 (水)

自衛隊中央病院は三宿駐屯地

 旭川市が医療崩壊となり、自衛隊に災害派遣を求めたというニュースに接した。

 幸い、今のところ医療崩壊には至っていない東京都だが、いざ、東京都で医療崩壊が起きてしまったらどうなるんだろう、と考えて池尻大橋駅で降りた。多分、ここが東京都がそうなった場合の一番最初の対応部署になるんだろう。

 目指すは自衛隊中央病院だ。

L10053382

 東急田園都市線池尻大橋で下車して、南側に出て、更に南斜めに行く道に入る。下の写真、右側が玉川通り、左側が目指す自衛隊中央病院に至る道。

L10053192

 道を真っ直ぐに行って、一度左へ折れ、更に右に折れると世田谷公園に出る。

L10053282

 世田谷公園はかなり広い公園で、運動場の他、噴水池やらSLが置いてある子ども公園とか、スケートボード場、タイムカプセルの丘、なんてものまである。

 行ってみた当日は、公園内でフリーマーケットみたいなものをやっていて、ここはボロ市で有名な世田谷区だってことを思い知らされる。

L10053452

 で、その世田谷公園の前にあるのが、防衛庁池尻宿舎や他の省庁の、いわゆる「公務員住宅」。

 まあ、当たり前の話なんだが、私が3歳の頃まで住んでいた、上中里の公務員住宅とはかなり違って、住みやすそうですね。まあ、私が住んでいた頃は、もう70年近くも前のことなので、違って当たり前か。

L10053302

 つまり、ここは三宿の陸上自衛隊三宿駐屯地。駐屯地の前身は旧日本陸軍駒沢練兵場だったところだったんですね。

 それが第二次世界大戦後、軍隊が廃止されたことで国有地となり、一部に公務員住宅が作られ、警察予備隊が編成された際に、「駒沢練兵場」の復活版として三宿駐屯地が作られたんだろう、三宿駐屯地内の施設としては以下のもものがある。

陸上自衛隊衛生学校(衛生教導隊)
陸上自衛隊教育訓練研究本部(陸上自衛隊開発実験団、部隊医学実験隊)
警務隊(東部方面警務隊、第126地区警務隊)
三宿派遣隊(陸上総隊直轄部隊、対特殊武器衛生隊)
東部方面隊隷下部隊(東部方面システム通信群、第105基地システム通信大隊)
第316基地通信中隊(三宿派遣隊)

 で、 防衛大臣直轄機関として、自衛隊中央病院がある。

L10053412

 で、この三宿駐屯地への入口が自衛隊中央病院への入口でもあります。

 『自衛隊の機関としての病院は、本院のほかに自衛隊地区病院が15院設置されている。自衛隊中央病院では傷病者の治療のみならず、診療放射線技師の養成(他の地区病院では実施していない。後述の診療放射線技師養成所を参照)及び防衛医科大学校と連携した医師臨床研修を行っている(ただし、臨床研修の対象は自衛官(防衛医官)採用者に限定)。総合病院に匹敵する診療科を具える病院であるが、有事に負傷者を収容することを前提としているため、常に一定の空きベッドを確保し運営している。現在は一般の医療機関と同じように、誰でも受診できるが紹介状がなければ特定療養費が加算される。』(Wikipedia)とのこと。

 まあ、あんまり縁続きにはなりたくない病院ではありますね。っていうか、基本的に病院とはお近づきにはなりたくないもんね。

L10053372

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Ikejiri / Dec. 13 2020 ©tsunoken

2020年12月15日 (火)

山手線最後に残された唯一の踏切が廃止

 ご近所ネタです。

 JR山手線に最後に残された唯一の踏切を廃止することで、JR東日本と北区の間で合意がなされたそうだ。

L10052892

 山手線に残された最後の踏切ということで、鉄道マニアの間では有名な「第二中里踏切」が、ようやく廃止されることになったらしい。

L10052862

 場所は駒込駅と田端駅の、駒込寄りの場所。踏切前には大きなゴルフボールがあるビルがあるのですぐにわかります。

 下の写真、左側が山手線、右が湘南新宿ラインです。湘南新宿ラインの方は立体交差になっていて、踏切は山手線のみ。

 で、実はこの踏切からホンのちょっと田端よりに進むと、山手線との立体交差につながる道が既に作られています。

L10052922

 それが赤紙仁王で有名な東覚寺の門前がある北区田端一丁目からまっすぐに坂を上った片側2車線のかなり広い道。この道が出来たのは数年前。

「おおっ、いよいよ山手線最後の踏切がなくなるのか」と期待していたものの、その後、工事は山手線を跨ぐ手前で中断。ちょっとガッカリしていました。

L10052962

 どうなっているんだと思ったら、その時点では、まだ北区とJR東日本の間で「第二中里踏切廃止」が合意されていなかったのであります。

L10052982

 反対側に出て橋が架かる反対側を見ると、こんな感じ。なんか、いつになったら工事が進捗するんだろうと思っていたんですがね。

L10053002

 ただし、線路を背にしてみると、取り付け道路になる部分は、公園だったり、放置自転車の一時移送場所になっていたりして、工事を再開すればすぐに道路ができるようになっています。

L10053012

 ここに陸橋が出来ると、JR東日本としては、山手線に踏切がなくなるということで、山手線の自動運転(無人運転)が可能になるらしく、かなり期待しているらしいんですが、それでもあと10年位はかかるらしい。

 まあ、大きな組織(JR東日本と北区)同士のお仕事って、なんか面倒くさいですね。

L10053052

 この道の先には女子聖学院や、旧古河庭園があったりして、なかなかいい雰囲気の街なんですけれどもね。

LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Nakazato / Dec. 12 2020 ©tsunoken

2020年12月14日 (月)

『日大の帝王』が描くものは、日大闘争時とまったく変わらない日大の体質だった

 日本大学と関西学院大学の定期戦における相手クォーターバックに対する違法タックル事件が起こってから、突然、湧いて出たような日本大学・田中英壽理事長の問題には、何故か古田重二良理事長時代に起こった日大闘争との類似性を感じさせられ、結局、日大闘争で古田氏は失脚したものの、日大の体質はまったく変わっていなかったんだな、と世間に感じさせることとなった。

Photo_20201209170101 『日大の帝王 田中英壽理事長と巨大私学の伏魔殿』(別冊宝島編集部・編/宝島社/2018年9月10日刊)

 面白いのは古田氏と田中氏の来し方の類似性である。

 古田氏は『秋田県秋田市生まれ。教職を志し秋田師範学校に入学したものの校長の排斥運動を行ったことから退学、柔道部の先輩を頼り、日本大学専門部法律科へと進学し、学生時代には柔道部主将として学業より柔道の方に身が入っていたという。1926年(大正15年)日本大学高等専攻科法律学科を卒業すると、日本大学高等工学校(現在の理工学部)職員と兼務する形式で柔道師範として就職する。

 1949年(昭和24年)12月に理事長に就任して会頭・総長だった呉文炳を補佐しつつ、教育と経営は一体であり私立大学は自ら財政基盤を強固めにして、自主的な経営を行う事によって私学に置ける学問の自由や研究の成果は期待できないと考えて財政基盤の強化と研究の充実に力を振るった。1951年(昭和26年)2月に理事長を退くものの、同年5月には理事会長として復帰。

 1958年(昭和33年)6月に呉の後を受けて会頭に就任すると共に、永田菊四郎総長と二人三脚で世界的総合大学を目指し、新体制のもと学内外の情勢の変化に積極的に対応して、同年9月に世界的なを目指すための日本大学改善方策案を掲示した。

原則として創意工夫して最小限の経費から最大限の効果をあげる。
教育内容の拡充強化を図る。
総論で世界的総合大学を目指して整備計画案の政策への対応 』(Wikipedia)

 まあ、その結果、大学はマスプロ教育の場となり、日大も日本で(学生数が)一番大きい大学となったわけだ。

 一方、田中氏は『青森県北津軽郡金木町で農家の三男として生まれた。1965年、日本大学経済学部に入学。1969年、日本大学経済学部経済学科を卒業し、日本大学農獣医学部体育助手兼相撲部コーチに就任。1999年学校法人日本大学理事、2000年日本大学保健体育事務局長、2001年日本大学校友会本部事務局長、2002年学校法人日本大学常務理事、2005年日本大学校友会会長などを歴任した。2008年より学校法人日本大学理事長。』(同・Wikipedia)

 両者とも、スポーツで大学に貢献し、その結果、教員ではなくスポーツの指導者として日大に就職し、その「体育会系」の考え方で、「理事長(会頭)」として大学の経営にあたり、経営者としては成功したものの、教育者としての実績はゼロである。

 私立大学の組織として、教員のトップとして大学の運営を考える学長(日大の場合、総長)と、経営陣のトップとして大学の経営にあたる理事長というツートップで大学運営にあたるということは常識である。しかし、普通の私大は理事長は学長に対して、もうちょっと尊敬の念をもってあたるはずなのである。理事長が圧倒的に学長の上位に立ち、権威と権力をもってあたるというのは普通の大学経営においては考えられない関係論だ。

 まさしく「日本大学株式会社」と呼ばれる所以だろう。

 で、その理事長が皆、体育会系の指導者であり、体育会系の上意下達を「当たり前」としている発想は、大学が本来持っている「最高学府」という考え方には最もそぐわない。

 結果として、日大は日大闘争で抉り出された問題は、何ら解決できずに、再び、同じ轍を踏んでいるっていうことなんだなあ。ただし、今回は秋田明大みたいな「ハネッ返リ」がいなかったというだけである。

 ところで、面白いのはできて早々の「危機管理学部」なんだが言い出しっぺの田中理事長が真っ先に『「危機管理の典型的な失敗例」という教材を提供してしまったのは、皮肉としか言いようがない。』

『「この危機管理学部に関して、田中理事長が頼ったのは元警察官僚の亀井静香衆院議員です」
 と語るのは現役の日大教授である。
「文部省の許認可は、亀井氏が担当。亀井氏は警察庁を中心とする官僚出身者の天下り先にすべく、最初の教授陣は学部長以外、ほとんど外部の大学出身者を引き抜いた。 (中略) 田中理事長は2012年以降、断続的に雑誌メディアで黒い交際疑惑などのスキャンダルが報じられるようになっており、亀井氏の政治力を借りることによって自身への批判も抑え込もうと考えたのでしょう」』

 う~む、なにおか況やですね。

  巻末付録の

『世紀の大炎上会見!
日大アメフト部(内田正人監督・井上奨コーチ)記者会見要旨』が面白い。

『日大の帝王 田中英壽理事長と巨大私学の伏魔殿』(別冊宝島編集部・編/宝島社/2018年9月10日刊)

2020年12月13日 (日)

タコ公園のイカトイレ

 昨日に続いて「トイレ・ネタ」です。

 12月10日の「日経クロステック会員登録メール」に『タコ公園の「イカトイレ」』という記事を京浜東北線に乗っている時に発見したので、「タコ公園なら下神明駅前だっ」ってなもので大井町で降りたのでありました。

L10051872

 東急大井町線の下神明駅前にある、通称「タコ公園」(正式には神明児童公園)といえば、その昔、広末涼子さんがNTTの「ポケベル」(!)のTVコマーシャルで、そのタコの滑り台で遊んでいた公園で有名なんだが、どうも行ってみてもそこではないらしい。

 周囲を見回してみても、公園内にはトイレはないし、周囲の公園にも、あるのは普通のトイレだ。

L10051912 以上2点は LEICA ME LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Shimo Sinmei / Dec. 10 2020 ©tsunoken

 家に帰ってきて、もう一度メールを確かめてみたら、渋谷区恵比寿1丁目にある「恵比寿東公園」のことだった。

 で、翌日恵比寿まで行って確かめてきました。

 恵比寿と言えば、私にとってはGood SpeedというバイクショップのホンダCR110と東京都写真美術館なんですね。

 でも、それは関係ない。

L10052592

 恵比寿駅を駒沢通りに出て、バイクショップや都写美とは反対側の明治通り方面へ進むと、渋谷川の脇に目指す恵比寿東公園があります。

L10052452

 下神明駅前のタコ公園とは違う形のタコの滑り台があります。下神明のタコ滑り台は2台あるけれども、こちらは1台のみ。う~ん、公園の広さは恵比寿の勝ちですが、タコの数で下神明の勝ち……、ですかね。

 で、タコの奥の方に見えるのがイカトイレ。

L10052352

 イカトイレ全景です。でもなあ、なんで「イカトイレ」なのかが分からない。

L10052392

 デザインした建築家の槇文彦氏によれば「タコの遊具によって『タコ公園』と呼ばれる恵比寿東公園に、新しく生まれた『イカのトイレ』として親しまれることを望む」とコメントを寄せている。建物の色を白にしたのは、そのためだ。とのこと。

 つまり、タコが赤いので、白いイカのトイレというわけなんですね。

 でも、考えてみれば、タコが赤いのは「茹でたから」なんですね。生きているタコは茶色とか白いのだ。イカは生だとやっぱり茶色なんですがね。イカの皮を剥くと下地の白が出てきます。

 まあ、私たちが魚屋さんの店頭で見知っているタコは赤いので、まあ、それでいいのか……なあ。

L10052412

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Ebisu / Dec. 11 2020 ©tsunoken

2020年12月12日 (土)

大井町駅前にモノリス出現!

 最近、地球上の各地に突然出現したり、姿を隠したりして世間を騒がせている「モノリス」が大井町駅前に出現しているという報を聞いたので、早速、現地確認に赴いた。

L10052042

 モノリスとは何か?

 スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』では、類人猿がヒトへと知的生命への進化を助長したり、人類が衛星に到達するほど進化したことを伝えたり、スターゲートを開き、近づいてきた地球人(ボーマン)を、スターゲートを通じて宇宙の彼方へ転送し、そこで肉体を脱した精神のみの生命体(スターチャイルド)へと進化させる。

 ボーマンが近づいて確認すると、そこは大きな穴となっており宇宙が広がっていた。「信じられない!……星がいっぱいだ!」これがボーマンの最後の交信内容である。

 つまり地球以外の知的生命体が人類の進化を進め、そして3000年代にモノリスが人類抹殺を企てた際に消失している、というもの。

 つまり、もしかすると大井町のモノリスも地球以外の知的生命体が、地球、つまりヒトを支配するために地球に送った「謎の物体」なのである。

 で、それが東京のど真ん中に出現したというので、皆、その存在を巡って沸き立っているというのだ。

L10052192

 ところがこのモノリス。ひとつどころではない、大小含めて全部で六つも同時に出現しているのだ。

L10052052

 元来のモノリス(英語の一般名詞 monolith )は、「ひとつの、または孤立した岩」という意味のギリシャ語から派生したラテン語に由来する普通名詞なんだが、それがいっぺんに六つも出現するとは、これまた大事件だ。

L10052062

 もしかすると、地球の破滅が、ここ大井町から始まるのかもしれない。いやいや、ここ大井町のニコン研究所から、新しい人間の発展が始まるのかもしれない、などと現地では話題沸騰の話なのである。

L10052082

 ふ~む、なにやら良く分からない建造物(?)、あるいは極めて高度なコンピュータなのかもしれない。

L10052122

 な~んてね。

 実はこのモノリス群の名前は「大井町駅前公衆便所」なのでありました。六つの仕様の異なるトイレが、それぞれ別の建物として作ってあるというだけのもの。

 それにしても、品川区役所にSF好きというか『2001年宇宙の旅』のファンの職員でもいるのかなあ。

L10052072

LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Oimachi / Dec. 10 2020 ©tsunoken

2020年12月11日 (金)

月島西仲通りはいつからもんじゃストリートになったのか

 築地を出てからは足は月島へ向かう。まあ、要はいつもの佃島へ向かうというわけである。

L10050362

 ところで、現在はもんじゃ焼きで有名になった月島なんだけれども、元々、ここには月島西仲通り商店街というのがあって、それがいつの頃からか、「月島もんじゃストリート」という通称になってしまったのである。

L10050402

 月島西仲共栄会商店振興組合のサイトにこうある。

『月島は新しい街だ。 その誕生は明治25年(1892年)東京湾埋め立て1号地(現 月島)として佃島から先の砂州を埋め立て、続いて27年に2号地(現 勝どき)、29年に新佃島(現 佃2 ・ 3丁目)が完成した。
   <中略>
また他地域との往来は対岸の築地と月島の間を渡し船(月島の渡し)で行われていたため、船着場に近い月島の西側地域には必然的に人が集まり、自然と商いの場になっていった。
その中心は月島の中央道路(清澄通り)より西側の西仲通りで、明治末には露店も含めて商店街らしい形になった。これが「月島西仲通り商店街」の発祥である。』

L10050452

 それがもんじゃストリートと呼ばれる(自称する?)のは、どうもNHKの朝ドラがきっかけらしい。

『1992年(平成4年)…NHK連続テレビ小説『ひらり』放送
 劇中で主人公のひらり(石田ひかり)が足しげくもんじゃ店に通う。
 平均視聴率37%と大ヒットした本作での露出により、もんじゃ・月島の知名度が急上昇する。
   <中略>
・2008年(平成20年)…NHK連続テレビ小説『瞳』放送
 月島を舞台としたNHK連続テレビ小説『瞳』が放送される。
 『ひらり』の舞台は飽くまで両国で、もんじゃのシーンで月島が取り上げられていただけだったが、本作は主人公のひとみ(榮倉奈々)の住まいが月島であり、完全に月島を舞台とした一作。
 放映当時の月島来訪客の急増ぶりはすごく、GWなど繁忙期はどこのもんじゃ店も満杯で入店待ちの列が随所で見られた。』(月島もんじゃ振興会協同組合のサイトから)

L10050432

 まあ、もともと下町の子どもたちのおやつだったもんじゃ焼きを、大人の間に広めたのはNHKテレビだったのだ。

L10050472

 都心には近かったけれども、一種の陸の孤島みたいだった月島地区に大変化を起こしたのは当時の営団地下鉄有楽町線月島駅の開業だった。それまでは銀座方面から勝鬨橋経由であったり、門前仲町方面から行くしかなかった月島に、銀座辺りから直接月島に行けるようになったわけである。その次に都営大江戸線の月島駅開業が続いて、飯田橋や新橋方面からも直結ということになる。

 当時は「東京の外れ」だった月島一帯だったけれども、いまや東京はもっともっと沖の方に進出し、今や月島は都心だもんなあ。

L10050492

 なんてことを考えながら歩いていた時に、佃島との交差点に至った時にこの町の変化を見つけたのでありました。

 12月6日のブログ『築地本願寺佃島説教所がなくなって……』であります。

L10050542_20201205132301

LEICA M-E VOIGTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Tsukishima / Dec. 4 2020 ©tsunoken

2020年12月10日 (木)

「ドイツ・レンズの味」なんて、実はよくわからない

 本日の写真はすべてコシナ・フォクトレンダー ウルトラ ワイド・ヘリアー12mm f5.6というレンズを、ライカM-Eに装着して撮影している。

L10050012

 フォクトレンダー(VOIGTLANDER)というのは1759年に、オーストリアのウィーンで創業したレンズと光学機械の会社の名前。

 その会社が1965年にツァイス・イコンとカルテルを結び、1969年にはツァイス・イコンに吸収合併、1981年には遂に倒産し、会社の名義はプルスフォト、1991年にリングフォトという光学機械の販売会社の共有となる。ここまでが第1段階、フォクトレンダーのドイツ時代である。

 1999年にプルスフォト、リングフォトから日本のコシナが商標権の通常使用権の許諾を受けフォクトレンダー及びその一連のレンズ名の商標を使用してレンジファインダーカメラおよび交換レンズを製造販売、その後旧フォクトレンダーのレンズ名の商標を通常使用権をもとにM42マウントの一眼レフカメラ、ライカマウントのレンジファインダーカメラ用の交換レンズ・前記一眼レフ用・ニコンFマウント用の交換レンズ等の各種のカメラ機器・各種交換レンズ等をはじめとする民生用光学機器を製造販売、海外輸出を含むブランド戦略を展開している。というのが第2段階で、フォクトレンダーの長野県はコシナ時代で、現在まで続いている。

L10049992

 その際フォクトレンダーの銘レンズとして知られているブランドとしてはスコパー、ヘリアー、ウルトロン、ノクトン、アポランター等がある。

 ということで、本日の使用レンズは ULTRA WIDE-HELIAR 12mm というわけ。銘レンズ=ヘリアーですね。

L10050112

 もともと、私は手持ちのフィルム・ライカのためにフォクトレンダー カラー・スコパー(COLOR-SCOPAR)21mm f4というレンズを使っていた。実は、本当はライツのスーパーアンギュロン21mmが欲しかったんだけれども、スーパーアンギュロンはちょっと高いし、あまり市場には出てこなかったので手が出なかった。で、その代替レンズとして買ったのがフォクトレンダー カラー・スコパーだったっていう訳。

 その後、Epson Rangefinder Digital Camera No.1(EPSON R-D1s)を手に入れ、このカメラのためのレンズということになったのだが、EPSON R-D1sの撮像素子のサイズがAPS-Cサイズのため、21mmレンズだと、35mmフルサイズでは32mm相当というサイズになって、もうちょっと広いレンズがほしくなる。

 で、次に見つけたのがフォクトレンダー ウルトラ ワイド・ヘリアー 12mm f5.6 というわけ。このレンズだと35mmフルサイズ換算で18mmになるので、21mmよりも若干広い画面になって使いやすい。

L10050122

 じゃあ、そのAPS-Cサイズ用のレンズをフルサイズのカメラで使ったらどうなるのか、ということは既に以前ライカM6で試してみている、これだけ広いレンズになってしまうと、かえって使い方が難しいレンズになるのである。

L10050182

 当然、画面の周辺部分の歪曲率は高くなるし、レンズの周辺光量の不足もかなりのものだ。つまり、使いこなすにはかなりのテクニックが必要になるレンズなんですね。この「超々広角レンズ」ってのはね。

 うまくシチュエーションを考えて撮らねば。

 とか言いながら、たまにこの一種の「変態レンズ」を使ってみたくなるのだ。

 とは言いながら、田中長徳氏みたいに「12ミリの広角レンズを手にするとパリの街角が勝手に動き出す」なんて心境にはなかなか至りませぬ。

L10050262

 まあ、下の写真みたいに、被写体と真正面に向かって撮影すれば、ごく普通の写真になるんですけれどもね。

 でも、それじゃあつまらない写真になっちゃうしなあ。

L10050312

 結構、使いこなすのは難しいレンズなのであります。

LEICA M-E VOIGTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Ginza & Tsukiji / Dec. 4 2020 ©tsunoken

2020年12月 9日 (水)

川崎レポート番外編・京浜運河

  11月28日から12月1日まで続いた「川崎レポート」の共通項は「京浜運河」なんですね。

 京浜運河っていうのは、神奈川県は西から、大黒埠頭・扇島・東扇島・浮島の脇を流れて多摩川に注ぐ運河なんであるが、当然、「京浜」っていうんだから北側の東京側もあるわけで、羽田空港の西側を通って、品川埠頭方面へ行く運河なわけなんですね。

 ということで、取り敢えず品川駅港南口からスタート。

 まず、高浜運河を渡ってその先が品川埠頭です。その品川埠頭の一番北が京浜運河の北側入口。

L10051162

 下の写真が京浜運河の北側の入口。

 昔の東京水上警察署(現在は芸能人が警察に拘留されると必ず入る、東京湾岸警察署の別館とされ、「水上安全課」が引き続き使用している)が、手前に。さらに奥の右の方に、レインボーブリッジの浜松町側のループ橋が見えます。

L10051202

 残念ながら、京浜運河には川端を歩く道がないので、橋とかあれば川沿いを歩くし、そうでなければ島の真ん中の道を歩くしかないです。

 で、品川埠頭で一番目立っているビルがコレ。

「東京出入国在留管理局」です。

L10051432

 いわゆるアジア系で日本に仕事を求めてきた人たちには実にコワい「入管」ですね。

 ビルの上の方にはなんか、小菅の東京拘置所みたいな「監獄風」の建物造作が見えます。要は、そこに不法入国者や不法滞留(オーバーステイ)の人たちが収容されているんだろうか。

L10051372

 まあ、品川駅前から堂々とバスで来る人たちは、別に不法入国やら不法滞在じゃなくて、ビザの延長申請なんかに来た人たちなんだろう。

 でもなあ、なんでこんな不便なところに役所を作るんだろう。

 たとえば品川駅前あたりに作っちゃえば、もっと皆、普通にビザ申請なんかに気軽に来れるのになあ。

L10051442

 てなことを考えながら歩いていると、大井車両基地に向かう東海道新幹線の線路とか、そのガード下から大井埠頭の様子が見てとれます。

 まあ、川崎の東扇島みたいな物流拠点の品川埠頭、まあ、道を歩いている人は、こんな昼食時間を外した昼間にはほとんどいないですが、それが物流拠点の埠頭なんてもんですね。

L10051482

 ということで、天王洲アイルまで来ました。

 京浜運河は、ここから先に大井競馬場、や大田市場、昭和島付近を通り羽田空港の西側へ続き、多摩川へ注ぎます。

 その先は、多摩川に阻まれているんだから別の名前にすればいいのに、何故か、神奈川県に入っても「京浜運河」なんですね。

L10051582

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Konan in Shinagawa City / Dec. 8 2020 ©tsunoken

2020年12月 8日 (火)

来年は使わない

 今年の1月1日のブログで使った張り子のネズミ人形。実は年賀状でも使っています。っていうか、年賀状で使っている写真をブログでも使っている、っていうのが正しい。

 実は、毎年その年の干支の張り子人形を店頭に飾っているお店が浅草にあるのだ。

Dsc_00232_20201207155301

 浅草と言えば仲見世なんだが……(えっ? 浅草寺じゃないのかよ!)

Dsc_00112_20201207155301

 雷門から仲見世に入ってすぐの十字路を左に折れると「雷門柳小路」という道がある。

Dsc_00282_20201207155401

 雷門柳小路を行ってすぐの左側にある店『粋れん(「すいれん」と読みます)』がその店先に毎年飾っている干支の張り子人形がそれ。

「粋れん」という店は『日本全国の職人や作家が造るモダン和雑貨専門店。伝統的な技術を用いながらもモダンで粋なデザインに仕上げた数々の商品は、見ているだけでも楽しい逸品が勢揃い!』というお店で、変り型の下駄やら何やらが置いてあって、覗くだけでも面白い店なのだ。まあ、覗いただけじゃあ、店のためにはなりませんがね。

Dsc_00212_20201207155401

 で、その店の店頭に飾ってあるかなり大きな張り子なので、このお店のオリジナル商品なのかと思ったんだが、どうもそうではないらしい。

 で、雷門まで戻ると……雷門の脇に黒田屋本店という、紙細工のお店がある。

 そのお店の惹句が……

『雷門の右真横にある、和紙を使った商品を扱っているお店。
和紙を使用したインテリア小物と紙製品を販売しているお店です。店内には張り子人形や版画など色鮮やかな美しい品が並びます。ペン立て、レターセット、ポストカードなど、お土産やプレゼントとしても喜ばれそうな和のステーショナリーもあります。』

 というもの。で、その「張り子人形」が、実は「粋れん」の店頭の張り子人形だったのでありました。

Dsc_00172_20201207155401

 ほらね、来年の干支の牛の張り子人形が黒田屋本店のウィンドウに飾ってあります。

 多分、12月の内のどこかで、この「牛の張り子」が「粋れん」の店頭を飾るんだろう。

Dsc_00142_20201207155501

 ただし、来年の年賀状やブログにはこの張り子の写真は使いません。

Dsc_00332_20201207155501

 いやあ、やっぱりね、牛といえばその写真を私は沢山持っていたのであります。で、来年の正月ブログや年賀状には「越後の牛の角突き」の写真なんですね。ちょっと地味だけど。

 乞うご期待……。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1.8 G @Asakusa / Dec. 7 2020 ©tsunoken

2020年12月 7日 (月)

T3 PHOTO FESTIVAL TOKYO 開催中

「アートに出会う京橋」だそうで、まあ京橋には画廊が沢山ある、で、そんな京橋で開催されているのが「T3 PHOTO FESTIVAL TOKYO 2020」であります。

L10050882

 開催場所の中心は、東京メトロ京橋駅出口の東京スクエアガーデン。モンベルのクマさんがいるビルのエントランスである。

L10050982

「T3ってなんだ?」……「アメリカの社会学者リチャード・フロリダが著書『クリエイティブ資本論』の中で取り上げている、都市の繁栄に必要な条件の3つのT、「才能(Talent)」、「技術(Technoligy)」、「寛容性(Tolerance)を由来としている。」らしいのだが、う~ん、ここに展示されている写真作品の何が「T3」なのかは、私には分からなかった。

 寒い中、吹きっ晒しのエントランスで受け付けのお兄さん、ご苦労様。

L10051072

 一番大きな展示は、中野正貴氏の「誰もいない東京に再び出会う」という、大型カメラで超スローシャッターを使って撮った「無人の街」の写真。2000年に発売された写真集『TOKYO NOBODY』からの出品。

L10050932

 旧ブリジストン美術館(現・アーティゾン美術館)隣の(仮称)新TODAビル計画仮囲いでは東京国際写真コンペティション(TIPC)受賞作品展示として、ハーシェム・シャケリ「ハームーン湖の死のエレジー」、タージョイ・チョードゥリー「瀬戸際での呼吸」、シリル・ジャスペック「氷の仏舎利塔ーヒマラヤの人口氷河」、ロビン・マイケルズ「私たちの近所」、シャーロッタ・マリア・ハクスドッティル「刻印」、グレッグ・シーガル「ゴミの7日間」、梶田亮太「氷の形成」、アカシア・ジョンソン「海氷物語」の各作品を展示。

 う~ん、これが一番写真展の展示、って感じかな。

L10050772

 その他、国立映画アーカイブ(旧・国立近代美術館フィルムセンター)裏の72 GALLERYも参加して展示に協力している……が、なんか普段の72 GALLERYとあまり変わりはないような展示ではあります。

L10051012

 一番残念なのは京橋第一生命ビルディング1階っていう会場なんだけれども、ビルの1階をすべて開放して展示会場になっているのかと思いきや、京橋交差点の前のビルの入口にフェスティバルのイメージが掲げられているだけってのは、ちょっと拍子抜けではありました。

 どうもこのビル、解体が予定されているようなので、どうせならビルディング全体を会場にしちゃっても良かったんじゃないかと思うんだが。

L10050852

T3 PHOTO FESTIVAL TOKYO は12月13日まで、地下鉄銀座線京橋駅直結の東京スクエアガーデン、72ビルディング、(仮称)新TODAビル計画 工事囲い、京橋第一生命ビルディング 一階などで開催中。基本屋外展示なので入場料は無料。

公式サイトはコチラ

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Kyobashi / Dec. 6 2020 ©tsunoken

2020年12月 6日 (日)

築地本願寺佃島説教所がなくなって……

 一昨日、銀座から築地、勝鬨橋を渡って月島、佃島へいつもの撮影散歩道を歩いている時に、月島のはずれに出てみたら、なんか雰囲気が違うのに気がついた。

 いつも見ていた「あれ」がなくなってしまっているのだ。

L10050542

「あれ」とは「築地本願寺佃島説教所」という木造の建物。

 以前、「月島なのに佃島?」という疑問を呈したんだけれども、佃島在住の写真家の田中某氏から「そこも佃島だよ」とご指摘いただいた建物。

 説教所ってなんなのかと調べてみたら、お寺ではないけれども、信者に仏教の説法を伝える場所ということなのだそうだ。で、築地本願寺の出先機関として、こんな説教所っていうのがあるそうなのだ。なんか「説教」というと「叱られる場所」か? なんていう具合に、子どもの頃、先生に叱られっぱなしだった私なんかは考えていたんだが、そうではなくて、お坊様のありがたいお話を(お寺に行かなくても)聴ける場所、というのが説教所らしい。

L10033112_20201204162401

LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Tsukishima / June 6 2020 ©tsunoken

L10033122_20201204162401

LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Tsukishima / June 6 2020 ©tsunoken

L10033132_20201204162501

LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Tsukishima / June 6 2020 ©tsunoken

 そこが全くの更地になってしまって、工事開始を待っている状態になっている。

 ああ、ほかの月島地区と同じように、ここもあの月島周辺に連立しているタワーマンションになってしまうのかな、と思って「建築計画のお知らせ」という看板に近寄ってみた。

L10050562

「建物の名称」は「(仮称)月島1丁目計画」で「地上9階/地下1階」、設計者が「三菱地所」って、こりゃますますマンションかショッピングセンターが目的の、よくある「都市再開発」なのかと思ったんだが、建築主が「築地本願寺」なので、築地本願寺がこの土地を手放したわけではないらしいので、少し安心。

L10050563

 建物の用途を見たら「飲食店舗・公衆WC・寺院・介護付有料老人ホーム」とあって、もっと安心。

 つまり、多少は飲食店も入るが、基本的には「佃島説教所」の機能は残した、コンクリート造りの建物っていうことだったのでありました。まあ、今どき木造は火災なんかの危険性もあるし、まあ、建物の耐用性なんかも考えた建て替えなのでありました。

L10050602

 まあ、ちょっと安心。

 建築計画の完了予定が2022年7月31日なので、それまでにも何度かは見に行こう。

上記写真に表示のないものは、すべて LEICA M-E VOIGHTLANDER ULTRA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Tsukishima & Tsukudajima Dec. 4 2020 ©tsunoken

2020年12月 5日 (土)

豊島区南大塚

 大塚駅前である。

「大塚」という地名は、本来は文京区の地名であり、現在の大塚三丁目あたりが、「大塚」の中心だったんだが、なんかいまや大塚駅周辺が本来の「大塚」だったようなイメージになってしまっている。なぜならば、JR(昔は鉄道省の路線だった:つまり「省線電車」)がここに駅を作った時に、豊島区南大塚が所在地だったので、この駅を「大塚駅」と名付けたからなのである。

 まあ、「交通の要衝」になっちゃうっていうのが、まあ、街のイメージ作りには大事だってことなんですね。

L10049742

 まあ、元々は三業地だった南大塚である。今でもこの「パチンコ ひょうたん島」の裏辺りは「大塚三業地」と呼ばれ、芸者の置屋さんなんかもまだ残っている。まだ、この辺りには小料理屋なんかも残っていて、神楽坂の裏町なんかと同様の雰囲気のある町ではある。

L10049552

 ということなので、この大塚駅周辺は昔は池袋を凌駕する盛り場だったのである。

 私がサラリーマンになったばかりの頃は、池袋で呑んで、その仕上げが大塚のサパークラブだった。で、家に帰るのは毎日「午前様」っていう、なんか完全に「昔のサラリーマン」だってんですね。で、「サパークラブ」ってなにか?

 まあ、「サパークラブ」については、色々な解釈があるようなのだが、まあ、スナックやクラブで店の女の子と親しくなった客が、その女の子を誘って行く「アフター」の店って感じでしょうか。サパークラブで女の子と飲んでそれからどうするのか……、については私は知らないが。

 っていうよりか、たかだかガキが何しに来たって感じで、女の子から相手にされなかった理由なんですけれどもね。

L10049692

 ということで、しかしながら大塚も池袋の「盛り場化」の波に乗れず、次第に「普通の街」になって行ったっていう感じでしょうか。

L10049662

 今では、大塚駅前の「サンモール大塚商店街」も、なんか普通の商店街っぽくなっています。

L10049652

 大塚の天祖神社のお祭りは、巣鴨駅周辺までそのテリトリーになっているようで、かなり広い範囲を社域として持っていたようです。駒込の天祖神社との社域の境目は巣鴨駅近辺のようです。

L10049622

 最後は大塚名物「居酒屋 江戸一」です。

「オヤジがうるさい」っていうことで有名な店らしいが、別に「〇ーメン〇郎」みたいに客のラーメンの食べ方なんかに文句をつけるんじゃなくて、要は『「酒は静かに飲むべかりけり」というのを、キチンと守って飲みましょうね』っていうだけのことで、皆さん静かに飲んでいます。それを破って騒いでいると怒られるっていうだけで、別に他の居酒屋さんとは変わりません。

L10049572

LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Minami Otsuka / Dec. 3 2020 ©tsunoken

2020年12月 4日 (金)

師走雑景・ご近所写真・光と闇の惨劇

 特に何もない一日。

 何も目的はなく、ただ家からお茶の水までを歩きながらの写真撮影。

 名付けたタイトルが、まさしく「光と闇の惨劇」。

 ただ、それだけ。それ以上の「意味」はありません。って言うか、写真なんて、本来は「意味」なんかないんだけれどもね。

L10047242

 文京区立昭和小学校。

 文京区では3S1K(昭和・誠志・千駄木・窪町)小学校っていうのがあって、区立小学校にもランクがあって、この3S1Kがそのトップクラスらしいんで、そのうちのひとつがこの昭和小学校で、ウチの男子二人はここの出身なんだけれども……、その後は、どうなんでしょうねぇ。まあ、それは自分次第なんですよね。

L10047312

 いつも、前を通る児童公園。

L10047342

 テレビ東京の「アド街ック天国」で取り上げられたテーラー。

L10047352

 なんか、小さく作られた(まるで子供用みたいな感じ)ワイシャツが、凄くいいんです。出来としては、完全な大人用の仕立て上げのワイシャツ。こんな地味な裏道で仕事をしているっていうにも、何か、訳がありそうですね。

L10047442

 で、最後はお茶の水のニコライ堂です。学生の頃は毎日この前を通って来たので、なんか何も感じなかったんですけれどもね。なんか、今となっては、なんかちょっと違う感覚がある……、何なんだろう。

L10047452

 情報性はゼロ。でも、写真は写真。

LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Hon Komagome & Surugadai / Nov. 22 2020 ©tsunoken

2020年12月 3日 (木)

師走雑景・銀座編・星形エンジンのあるビル

「師走雑景」の本来の意味は「師走のいろいろ(雑)な景色」っていう意味なんだけれども、私の「雑景」は、まさしく「雑な風景」。街を歩きながら、「雑」な風景を写し撮るっていう意味です。

 今日のネタも、まさしく「雑景」。

 ある日、銀座の街を歩いていてふと気がついたのが、銀座の裏通りにあるビルの2階にある「プロペラがついた七気筒の星形エンジン」なのである。

 なんで、こんなところに、こんなものが……、っていう感じなのだが、どうにも分からない。

Dsc_00372_20201201162201

 まあ、多分ビルのオーナーか、そのビルに出店している店のオーナーの趣味なんだろうけれども、今や星形エンジンなんてものはジェットエンジンが主流になった航空業界では全く見られなくなってしまったエンジン形式ですもんね。プロペラ駆動でもターボプロップですもんね。

 完全に「趣味の領域のエンジン」なんだろう。

Dsc_00342_20201201162201

 日本における星形エンジンの成功例と言えば、旧中島飛行機(現・富士重工)が作った「栄型エンジン」で、海軍名称は栄、陸軍ではハ25として採用され、零式艦上戦闘機・一式戦闘機「隼」のエンジンとして有名なんだが、どうもそういった類のエンジンではないようで、もうちょっと単純な星形エンジンのようだ。ということは、第二次世界大戦以前のエンジン?

Dsc_00382_20201201162301

 なんか、その「星形エンジン」が気になって、その後の「銀座歩き」もなんか、気がそぞろになってしまっている。

Dsc_00412_20201201162301

 銀座ニコンプラザがなくなってしまっているのも気がそぞろ。

Dsc_00442_20201201162301

 GINZA SIXの前の飾り物も、まあ、どうでもいいや。

Dsc_00482_20201201162401

 おおっと、ライカ銀座ギャラリーも思わず通り過ぎるところだったぜ。

Dsc_00362_20201201162201

 その位、気になる星形エンジンなんですよね。

 何なんだろう?

NIKON Df AF NIKKOR 50mm f1.8 G @Ginza / Dec. 1 2020 ©tsunoken

2020年12月 2日 (水)

師走雑景・新橋編

 このブログを書いているのは12月1日、師走である。

 偉い「師」が走るんだから、我ら下々はもっと一生懸命走らなければならないんだろうけれども、「高齢者(つまり、65歳以上の人ってことですね)」はあまり動いちゃいかん、なんてことを小池都知事と菅首相が話をしたそうだ。

 なんだ、そんなことを言われてしまっては、私のように「年寄りなんだから、1日10,000歩」なんて決めている人間はどうしたらいいんだ?  っていうことなので、都知事と首相が何を話そうが関係ないって訳で、新橋までやってきた。まあ、都県境を越えているわけではないので、まあ、いいんじゃないでしょうか。

 都県境をこえる川崎への取材は、取り敢えず昨日で終わっているので、まあ、いいかな。

 まあ、その後も勝手に行きますけれどもね。

Dsc_00192_20201201160701

 テレビニュースにおける朝のサラリーマンの通勤状況の映像が、昔は東京駅丸の内北口、その後は新橋駅日比谷口か烏森口だったのが、最近は品川駅港南口ばっかり撮っている。

Dsc_00142_20201201160801

 う~ん、なんか違うんですよね。

 昔の、東京駅丸の内北口っていうのは、日本を動かしているサラリーマンは三菱系の大会社なんだってことで。東京駅丸の内北口だったんでしょう。

 その頃は、日本のサラリーマンの代表は、丸の内の三菱系企業のサラリーマンだったんですね。

Dsc_00202_20201201160801

 でも、実際に日本を動かしているのは財閥系の大会社じゃなくて、もっとその下の中小企業なんだってことで、新橋駅に撮影場所が映って来たんじゃないでしょうか。

Dsc_00232_20201201160801

 多分、丸の内のサラリーマンに「夜の世界の本音」を聞こうにも、どうせそれらの人たちは銀座辺りに飲みに行っちゃうんで、取材が出来ない。ってわけで「サラリーマンの本音」ってことで、新橋駅周辺やら神田駅周辺の飲み屋や居酒屋が「サラリーマンの本音」を取材する場所になってきたんでしょうね。

Dsc_00252_20201201160801

 で、最近多いのが、というか特にこのコロナ禍になってしまって、通勤状態の「密」の映像を見せるために品川駅港南口の映像が毎日のテレビニュースで流れるんだが、なんか違うんですね。

Dsc_00262_20201201160901

 品川駅港南口といえば、ニコン本社や、その正面にはキャノンギャラリーがあるし、マイクロソフトの日本法人っていう、まあ、その他にも結構有名企業が存在する場所なんですね。今となっては。あ、ニコンは三菱系の企業ですし、キャノンは安田財閥(芙蓉グループ・みずほ銀行)系列の会社です。もう、立派な財閥系ですよね。

 そういう意味では、やっぱり「サラリーマンの本音」っていうことでは、新橋駅前って感じなんですけれどもねえ。

 テレビの皆さん、あまりにも「決まりパターン」はやめにして、自分の足で歩いて、自分の撮影ポイントを見つけるようにしましょうよ。まあ、「決まりパターン」が、一番無難な映像だってことは、昔、日テレでニュースフィルム編集やニュース番組のADをやっていたから、よく知っているんですけれどもね。

Dsc_00292_20201201160901

NIKON Df AF NIKKOR 50mm f1.8 G @Shimbashi / Dec. 1 2020 ©tsunoken

2020年12月 1日 (火)

通勤定期で通った川崎最終レポートは東扇島

 通勤定期で通った(ウソ)川崎最終レポートである。

 実は、このブログで書いていない日にも、川崎には富士通スタジアム川崎で行われているXリーグ・アメリカンフットボールの試合を見に行っているなどの関係で、結構、来ている場所ではある。もう、一週間は毎日通っているんじゃないかな。

 まあ、なので通勤定期でも買っちゃった方がいいんじゃないか……、なんてアホなことを書いたわけなんですけれどもね。

 今日も相変わらず、富士通スタジアム川崎の前を通って、川崎の果てまで行こうっていう試み。

 富士通スタジアム川崎っていうのは、昔はプロ野球の川崎球場という名前で、大昔の太洋ホエールズ、そして金田正一氏(カネやん)が二回目にロッテオリオンズの監督をやっていた頃に、ロッテオリオンズがホームグラウンドとして使っていた球場だ。まあ、観客席で「流しそうめん」とか「バーベキュー」をやっていたり、お隣の川崎競輪場の状況を見ながら野球観戦しつつ競輪観戦という(一石二鳥 or 一石二負)、言い方を変えれば「自由な観戦」方式を実践していた野球場だったし。王貞治氏のホームランがすべて「場外ホームラン」になってしまって、その先が川崎病院だったっていうくらい狭い球場だったので、球場の外野席の後ろに、もう一枚ネットを作ったりしていたことで有名な(?)球場だった。

 んで、その川崎球場の前を通り過ぎて、昨日のブログでも書いた千鳥町(市営埠頭)を過ぎて、海底トンネルをくぐって行った先が東扇島である。川崎市バス07系統「東扇島西公園前行き」です。川崎駅から30~40分位で「地の果て」に行けるんですね。

 お隣は扇島、その先は大黒埠頭があって横浜市です。そんな意味では「川崎市の地の果て」

Dsc_00072_20201130165801

 ただし、千鳥町(市営埠頭」との大きな違いは、こちらの島というか埠頭は、プラントではなく、普通の物流倉庫がメインだっていうことなんです。

Dsc_00412_20201130165801

 なので、周辺にはプラント工場なんてものな一切なくて、とにかく多いのは倉庫、倉庫、倉庫なんです。

Dsc_00092_20201130165801

 勿論、それらの倉庫の向こうにはコンテナヤードがあります。

Dsc_00282_20201130165801

 川崎市としては、こうやって「島ごとの役割を変える」という方法で、島ごとの公害対策とか、交通対策とかのいろいろの対策をやりやすくしているんだろうか。

Dsc_00132_20201130165901

 で、この東扇島のもう一つの役割が西公園なんです。

Dsc_00162_20201130165901

 東扇島の西側、扇島との間が「東扇島西公園」という、その場所に「釣りエリア」っていうものを作っていて……、っていうか、まあ、釣りが好きな人だったらこうした喫水エリアは狙い場所なんで、まあ、じゃあ市役所で喫水エリアに釣りエリアを作っちゃおうっていう(言ってみれば「市民サービス」ですかね)算段でしょう。

 まあ、言ってみれば、これも市民サービス?

Dsc_00262_20201130170701

 でも、そうやって普通のクルマ・オーナーなんかが来てしまうと、ねえ、こんな投棄クルマなんかが出てきちゃうんですよ。

Dsc_00372_20201130165901

 クルマを捨てちゃダメですよね。

NIKON Df AF NIKKOR 24-50mm f3.3-4.5 @Ogishima Kawasaki / Nov. 30 2020 ©tsunoken

« 2020年11月 | トップページ | 2021年1月 »