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2020年11月

2020年11月29日 (日)

川崎異聞・市営埠頭

 川崎市で川崎市営埠頭が「異聞」っていうのも妙な話だ。

 が、まあ、そんな場所に日曜日に行くのもこれまた異聞。だって、ウィークデイでもないのにそんなところに行ったって、まったく人なんかには会わないですもんね。ご覧の通り、川崎駅から市営バス第4系統京セラ行きに乗って市営埠頭停留所で降りたのは私一人、で、その後、バスには乗客は一人もいない。あとの2停留所は空のまま走ることになるんだろう。

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「川崎駅から市営バス第4系統京セラ行き」というのは、川崎駅前から出発して、市役所前やアメフトで有名な(?)川崎球場前や競輪場前などを通る、富士見通りをとにかくひたすらまっすぐ行って、産業道路を越えて塩浜まで行き、そこからもう一つ運河を渡って川崎市川崎区千鳥町という、まあ、川崎の最果ての島、東扇島の一つ手前の島(そこもここも人工島ですが)に渡って、そこが市営埠頭というわけ。

 そこから先は、海底トンネルに至るという、まさしく川崎の果ての街なのであります。

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 ところが、その最果ての地なるがゆえに、一方で「工場萌え」の人たちには、たまらない景色なのかもしれない。

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 埠頭に至る引き込み線から……

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 数多くあるプラント工場など、工場地帯の風景が好きな人にとっては「たまらないいい光景」なんだろうなあ。

 わたしにはあまりそういった方面には興味がないので、あまり面白くないし、「市営埠頭」っていっても、人が乗り降りする埠頭じゃないので、殆どの埠頭地域は一般人は入場禁止になっているので面白くない。

 せめて、晴海埠頭や横浜の大桟橋みたいに客船ターミナルなら、もうちょっと楽しみがあるんだけれどもなあ。

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 富士見通りの先は海底トンネルで東扇島とつながっているメイン通りなので、休日でもクルマの通行量は多い。

 この辺だけは、人の息遣いが感じられる。

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 しかしなあ、通勤定期でも買っちゃおうかなっていうくらい、こう毎日毎日川崎に通っていると、ちょっと飽きてくるなあ。

 さあて、明日はどこへ行こうかなあ。

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LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Kawasaki Warf / Nov. 29 2020 ©tsunoken

川崎異聞・大島劇場と関東カメラ

 昨日の続き……

 川崎コリアンタウンまで、行きは市営バスに乗って行ったんだけれども、意外と川崎駅からそれほど遠くないことが分かったので、帰りは歩いて帰ることにした。

 というのも、途中にいろいろ見るべきものがあったからなのである。

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 川崎駅からコリアンタウンがある四つ角までは新川通りという道を通るんだが、そこから川崎駅方面へ歩くと大島町というところに出る。

 新川通りはかなり幅員のある広い通りなんだが、そこから一歩裏に入ると完全な住宅街になる。

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 で、その大島町の住宅街にあるのが、「大衆演劇 大島劇場」であります。

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 ふつう大衆演劇の劇場っていうと、浅草の木馬座とか、十条銀座の篠原劇場とかのように、人出の多いお寺の境内とか、商店街のすぐそばとかに作るんだけれども、こんなに住宅街の真ん中に大衆演劇の劇場があるなんて言うのは、ちょっと想像ができないくらいのショックではある。

 まあ、ふりの客なんかには頼らない、固定客が基本の劇場なんでしょうね。

 でなきゃ、こんなところに大衆演劇の小屋なんかがあったって、誰も入らないもんね。

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 で、新川通りを更に川崎駅方向へ行くと、新川通りを反対側へ渡ってちょっと入ったところにあるのが「関東カメラ」なんです。

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 関東カメラというのは、多分、日本で一番有名なカメラの修理承ります会社なのであります。勿論、修理を承るのは、ライカ、ハッセルブラッド、ニコンなどのフィルムカメラのみであります。フィルムカメラっていうのは究極のメカのかたまりなので、こんなメーカー外部の独立した修理屋さんなんかがあるんですね。

 その辺は、最早、工場に持ち帰ってアッセンブリ交換でもしなけりゃ修理なんてできないよ、更に製造終了したら修理もできないよ、っていうデジタルカメラとは違っている部分なんですね。

 ただ、私は手持ちのライカM3やらM5、M6の修理は、家から近い浅草の早田カメラに持ち込んでいたので、関東カメラさんとはお付き合いはありません。今度は関東カメラさんに修理をお願いしようかなあ。

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 とは言っても、現在使っているのはライカM-EとかEPSON R-D1s、ニコンDfっていうデジタルカメラばっかりだもんなあ。ライカM6とかニコンNew FM2、ニコンF4なんてカメラ庫の肥し状態だもんなあ。

 いかんなあ。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Kawasaki / Nov. 27 2020 ©tsunoken

2020年11月28日 (土)

川崎コリアンタウン・セメント通り

 川崎にコリアンタウンという街があるというのを聞いたので、取材に行ってきた。

 お隣の鶴見には沖縄タウンというのがあって、以前取材に行って、ブログにも書いたことがあるので、まあ、コリアンタウンくらいあってもいいだろうということ。

 で、川崎駅前から市バスの三井埠頭行きに乗って、「四つ角」という、わかりやすいのかわかりにくいのか、良く分からないバス停で降りる。で、そのバス停のすぐそばから「川崎コリアンタウン・セメント通り商栄会」が始まっている。

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 別に、「コリアンタウン」って言っても、新大久保のような賑やかさは、初めから期待はしていない。しかし、期待はしていないが韓国の人たちの旺盛な商売のやり方も知っている人間としては、やっぱりねえ、少しは期待しちゃうじゃないですか。

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 ところがねえ、何とも拍子抜けしてしまうっていうか、何と言うか。

 この数百メートルしかないコリアンタウンなんだが、全然、韓国らしき店なんかないんですね。

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 韓国らしきものは、せいぜい焼肉屋さんが4軒あるだけ。

 手前から順に、金肉苑、美星屋、西の屋、東天閣っていう、たった4軒だけなんですね。

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 それ以外は新大久保によくある韓国総菜屋さんやら、化粧品屋さんやらなんてものは、全然ありません。

 っていうより、「コリアンタウン・セメント通り商栄会」なんて名前がついているんだけれども、「コリアンタウン」も「商栄会」も、何にもない通りなんですね。

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 以前はお店だったらしき残滓はあることはあるんだが、その他はほとんどが住宅。

 何となく住宅地の真ん中に焼肉屋さんがあったりする、不思議な街並みなのであります。

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 で、ほんのちょっと行くとコリアンタウンはオシマイ。

 で、出口の先の産業通り向こうが太平洋セメントの前身の浅野セメントの工場があったので、セメント通りという名前がついているっていう訳。

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 まあ、韓国から日本にやって来た人たちも、初めこそは韓国流の商売をしていたんだが、いつしか日本に同化しちゃって、韓国らしさなんてものは捨ててしまったんでしょうかねえ。

 まあ、それも街の発展の仕方のひとつなんでしょうか。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Kawasaki / Nov. 27 2020 ©tsunoken

2020年11月27日 (金)

道すがら

 毎月というか……、35日に一回ずつ、メタボ検診でかかりつけの千駄木の個人医院と、その個人医院で見つかった糖尿病性の「無自覚性心筋梗塞」というのがあって、その心臓手術を施術した関係の事後検診で、やっぱりこちらも35日に一回ずつ、こちらも千駄木の日本医大付属病院に通っている。

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 まあ、なんか、個人医院と総合病院のコラボレーション・ワークみたいな気がしないではないが、確実にひと月に一回は決まった病院通いという、いかにも古希を目前としたジジイらしい日常ではある。

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 しかしなあ、毎月、それらの病院通いが日々のメルクマールになるってのも、なんか情けないというか。

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 しかし、さすがに体力の衰えなんていうものを感じている毎日ではあるが、まだまだ、老いぼれるまでは時間があるようで、毎日毎日出歩いて、写真を撮って歩いておるようなわけであります。

 まあ、これもサラリーマン時代の最後の仕事の延長みたいなもんでね……。

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 本来ならば、3年前の心筋梗塞発見で死んでもおかしくなかった状況から生き返って、今でもピンピン(は、してないけれどもね)しているんだから、人間の寿命なんて分からないもんだ。

 今年、69歳、あと10年は今と同じようなことを続けていければなあ、と感じている今日この頃です。

 あと10年、「tsunokenのブログ2」を宜しくね。

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RICHO GR DIGITAL Ⅲ @Hon Komagome & Sendagi / Nov. 26 ©tsunoken

2020年11月26日 (木)

聖蹟桜ヶ丘に行った

 久しぶりに京王線聖蹟桜ヶ丘で降りた。

 聖蹟桜ヶ丘に行ったのは過去に2回だけある。

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 一度は、銀座に本社があった日本アニメーションの聖蹟桜ヶ丘スタジオ(名前は正確ではありません)に、当時その山奥のスタジオで仕事をしていたアニメーターのなかむらたかし氏に会いに行ったのが最初。多分、アニメーション映画『AKIRA』のための仕事の打ち合わせのために行ったので、1986年ごろ(?)、何と今から34年も前のことだった。

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 いやあ、なんか気がついてみると随分前のことだったんだなあ。

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 で、今回、聖蹟桜ヶ丘に行くに際して調べてみたら、今や、日本アニメーションの本社自体が聖蹟桜ヶ丘に移ってしまっていたんですね。以前は、まあ随分見栄を張って銀座なんかに本社を持っていたんだが、やっぱり無理はよしましょう、ってことでスタジオがあった聖蹟桜ヶ丘に移っちゃったんだろうか。まあ、アニメーションを取り巻くビジネス状況も大分変ってきており、今更、銀座に本社を持って見栄を張る必要もなくなったってことでしょうね。

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 二度目はアニメーションとは何の関係もない。

 昔は荒川区の明治通りにあった「宮地ロータリー」とか、池袋の「六ッ又ロータリー」なんかの、フランスによくある「ラウンドアバウト」形式の信号を設置しない交差点が、実は聖蹟桜ヶ丘と京王永山駅や京王多摩センター駅の間にある山の上に「桜ヶ丘ロータリー」に残っていて、多分、それが今の東京に唯一残されたラウンドアバウトではないか、ということで取材に行ったことがある。

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 しかし、この時はクルマで行ったので、今やクルマを手放してしまった状態ではそこまで行く気にはなれない。だって、そこまで行くには結構ダラダラした坂を延々登らなければならないのだ。そのダラダラ坂が実は「いろは坂」と命名されていて、実はアニメ『耳をすませば』の舞台になった坂なんであり、ちょっと上の金比羅神社もアニメのモデルになったことを知ったのは、実は、その桜ヶ丘ロータリーに行った後からだったのだ。まあ、私は宮崎駿氏のエリート共産主義が嫌いなので、映画も見ていないし、そんなもんだろう。

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 まあ、考えてみれば宮崎氏もスタジオ・ジブリが出来るまでは、日本アニメーションで仕事をしていた時代は長いので、そんな場所を知っていたのかな。

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 聖蹟桜ヶ丘の正式な地名は多摩市関戸なんだが、何故、それが「聖蹟」なのかについては、またの機会に。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Sekido Tama / Nov. 23 2020 ©tsunoken

2020年11月25日 (水)

「何もない一日」っていうのもあるんだ

 朝からあまり天気も良くなくて、今にも雨が降りそうな天気で、特にどこに出かけるでもなく、ちょっとした小物を購入するために池袋まで出かけることにした。

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 実は石膏ボード用のピクチャーレールを先日買ってきて、大きさを確認してきているので、我が家の大きさに合わせてレールの必要数を買ってくるっていう仕事が待っているので、本来ならそちらを優先すべきなのだが、う~ん、なんかなあ、今日の天気みたいに、はっきりしない私の行動だ。

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 まあ、それでも家にいて、一日中を過ごすのもイヤなので、取り敢えず池袋まで出かけてしまうのだ。

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 ということで、池袋のビックカメラまでパソコン・プリンターのインクと、西武LOFTで愛用のパイロット・ボールペンの赤の替え芯(っていうのかなあ)を購入するためにバスで池袋まで。

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 なので、「何を撮ろうかな」という目的意識もはっきりしない、なんか、まさしく「徒然なるままに」とったのが、今日の写真ではあります。

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「いきたり、ばったり」の良さ(?)ってのもあるのかなあ。

 っていうか、そこから何かを発見できると思ったんだが、やっぱり甘かったんですね。

 そんなものが、あるわけはない。

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RICHO GR DIGIRAL Ⅲ @Ikebukuro & Hon Komagome / Nov. 24 2020 ©tsunoken

2020年11月24日 (火)

『靴底の減りかた』

 鬼海弘雄(写真家)1945年3月18日生まれ、 2020年10月19日没、享年75歳。

 そうか、私も来年は70歳を迎える。最近は、さすがに少しづつ自らの体の衰えを感じながら生きている。確かに、歩く速度が以前より大分遅くなっているのは確かである。それは自ら感じていることなんだ。

 もうそろそろそういう時を迎える準備をしなければいけないんだろうか。いやいや、アメリカのアホ・トランプだって74歳だし、対立するバイデン氏は77歳だもんなあ、まだまだ、死ぬわけにはいかない、というか死にたくない、けど、どうなんだろう、私も死に際して何らかの形にしたものを残せるんだろうか?

 まあ、残したところで、誰もそんなものは気にしないでしょうけれどもね。

Photo_20201112153201 『靴底の減りかた』(鬼海弘雄・著/筑摩書房/2016年7月20日刊)

『靴底の減り方』っていうタイトルは、いかにも「フリーのフォトグラファー」の日常という感じがする。

 まあ、スタジオでモデルやグッズなんかを、雑誌のために撮影する(半・雇われ)カメラマンとは違うんだぞ、っていうある種の宣言であり、その結果、毎日毎日街を歩きながら写真を撮影するっていうことを行っているので、その結果「靴底の減り方」っていうことになるんだろうけれども、じゃあ、鬼海氏がどんな歩き方をしていて、そんな風な靴底の減り方をしているのかを、「具体的に」記しているのかということなんかは、実は、初めから期待はしていないんだけれども、でも、どこかでそのことに触れていないかな、というのが、本書を読んだ切っ掛けなのである。

 まあ、私も毎日10,000歩を歩きながら、その目的として街中スナップをしているっているんだが、私の場合、それは仕事ではないし、せいぜいこのブログで発表するだけの写真でしかない。同じように「靴底」を減らしているんだが、そこはそれ鬼海氏と私とでは天と地の違いがあるってことなんですね。

Photo_20201122122201 ©鬼海弘雄

 基本的には「写文集」の体裁をとっている本書である。

 で、収録されている写真32葉を見てみると、これまでの鬼海氏の写真のイメージからすると、「浅草寺に来た下町の市井の人たちのポートレイト」なんだが、それは完璧に裏切られる。上下の写真の通り、32葉の写真の内、人が写っているのは2点のみ。一つは、どこかの公園のベンチで昼寝しているオジサンらしき人の写真。もう一つは飲み屋さんのある建物の前の道路を掃除する女性らしき人のシルエット……いや待てよ、この女性のシルエットってどこか「ふくらみ」が感じられない……ということは、建物の壁に描かれた「絵」なのかもしれない。

 というくらい、人の写っている写真がないのである。

Photo_20201122122202 ©鬼海弘雄

 ということで、鬼海氏の過去の作品、『王たちの肖像:浅草寺境内』『東京ポートレイト』『ペルソナ』などを見返してみたんだが、その大半は、中判カメラ、ハッセルブラッドに標準レンズ(多分)80mmを装着して、対象である「人」を真正面から捉えたである。「やっぱりなあ」と思って読み進めていると、実は、あったんですねえ、「人」が全く写っていない「風景スナップ」が。

 う~ん、なんて皮相な写真の見方しかしていなかったんだなあ。

 収録されているエッセイは……

〇京都の画廊ギャルリー宮脇が発行する『夢の実現するところ』という出版物に掲載されたものが1作。

〇月刊「うえの」というタウン誌に掲載されていた文章が6作。

〇草思社が発行するWebマガジン:Web草思「ゆらりゆらゆら日記」からが12作。

〇アサヒカメラ社の公式Webサイトアサヒカメラ.net「靴底の減り方」から19作(11回だけ欠)。

 という38作である。

 しかし、その中でも目立つのは「体の衰えを嘆く」文章なのである。

 つまり「靴底の減り方」について書いてあるものが、じつは「体力の衰え」を嘆いている文章であるという風に読み解くと……、何となく見えてくるものがある。

「写真家が体力の衰えを嘆いてはいけない」ってことなんでしょうか。

 まあ、取り敢えず今日も写真を撮りながら10,000歩は歩いているので、取り敢えず合格としようか。

『靴底の減りかた』(鬼海弘雄・著/筑摩書房/2016年7月20日刊)

2020年11月23日 (月)

八王子市中町・八王子見番

 JR中央線八王子駅を降りて北口に出ると、駅前から北西方向に斜めに延びる「西放射線ユーロード」という歩行者道路があるので、それを進んで行く。

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 まっすぐ進んで甲州街道との交差点の手前に「横山町公園」という小さな空き地があるので、その前を左折するとスナックやパブなどがある裏道へ入る。この辺りが「八王子市中町」。如何にも古い町っていう感じですね。

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 そこをちょっと進むと、ありました。

「粋な黒塀」ですね「見越しの松」はないですけれど。えっ?「〽粋な黒塀、見越しの松に、あだな姿のお富さん」って歌詞、知らない?

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 黒塀の先に回り込んでみれば「八王子三業組合」の看板。八王子の芸妓さんの総元締め、八王子見番です。

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 見番の裏には小さな神社があって、芸妓さんたちを見守っています。

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 ってな感じの八王子見番のある黒塀通り(っていうのがあるらしい)には、お料理屋さんなんかも黒塀に囲まれています。

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 で、その黒塀の一部に「八王子花街・黒塀通り」っていう説明板が掲げられています。

「八王子 花街・黒塀通り
八王子花柳界は地場産業の織物の発展と共に明治初期から旦那衆の接待や、宴会用として料理屋・芸者置屋の二業が成立し、生まれました。その後、明治30年に大火に見舞われたのを機に遊郭は田町に移転し、花街は「中町」周辺に集約されました。地場産業の織物の生産は、明治・大正と発展し、仲買人等の交流盛んになるのと共に花街は益々繁盛し、大正末期には150名ほどの芸妓数を持ち「料亭」・「待合」・「芸者置屋」の三業で成り立つ三業組合「見番」もできました。
太平洋戦争末期に大空襲を受け一面焼け野原になってしまいましたが、戦後の復興期には織物業が大発展を遂げ、それと共に花街も最盛期を迎え、昭和27年には芸妓数が200名を超えましたが、その後織物業の衰退と共に減少の一途を辿りました。
 そこで今、地元町会としましては、時代と共に薄れゆく大正・昭和初期の町並み情緒を復活させるべく第一歩を踏み出しました。
                    中町町会 ・ 中町商店会
                    中町まちづくり協議会  」

 う~ん、「花街」については書いてあるけど、「黒塀」については書いてないなあ。

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 甲州街道に出ると松任谷(旧姓:荒井)由実さんのご実家があります。ただし、これは仮店舗で、本店は工事中だそうです。

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NIKON Df AF NIKKOR 24-50mm f3.3-4.5 @Hachioji / Nov. 20 2020 ©tsunoken

2020年11月22日 (日)

世間では三連休なんだけれども

 昨日から世間では三連休だそうだが……、一年365連休の私にとっては何の関係もない。普通の土曜日というだけのことですね。

 まあ、無駄にGo To トラブル を使ってコロナウィルスをまき散らすのだけは、ご勘弁願いたいものだ。

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 なので、特別なことのない普段と同じ土曜日ではあったわけなのだが、一昨日、ちょっと歩きすぎてちょっと疲労の残っている状態なので、家の近所をちょっとだけ散歩した。

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 なんか、最近のテレビ東京の番組やら何やらで、何故か突然駒込が注目されている。

 上の写真はNIKI BAKERY & CAFEっていうパン屋さんなんだが、「ニキ、ニキ、ニキ、の二木の菓子」で有名な、上野はアメ横の店の姉妹店だったというのは知らなかった。これ、上記のテレビ番組で知ったことではありました。

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 その他、野田焼売店とか、蕎麦の小松庵なんてのも、別に普通のお店で、小松庵も以前は駒込駅の北口の方に店があって、その頃は今みたいに洒落た店ではなくて、ごく普通の街の蕎麦屋、別に味も特別な店はなかったんだが、今や、駒込の名店なんだもんなあ。

 いやいや、落ちぶれたとはいえ、今や地上波テレビのメディア力って、未だにバカには出来ないもんだなあ。しかし、その結果、それらの店に入りにくくなっちゃうのは、ちょっと勘弁、勘弁なんだけれどもなあ。

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 ということで、特に行くところもなかったので、いつもの巣鴨地蔵通りへ。

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 こちらも、まあ、普通の週末の通りの混雑具合かな。

「おばあちゃんの原宿」(竹下通り)も、本家ほどの人通りはないし、まあ、いつもの人出かなという感じだ。

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 あ、そうか。おばあちゃんたちも、結局、私と同じ「一年365連休」だったんですね。

 普段と同じ週末ってことで……、そうなんですね。

LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Komagome & Sugamo / Nov.21 2020 ©tsunoken

2020年11月21日 (土)

横浜桜木町駅を降りる

 京浜東北線で横浜方面へ行く。

 普通は横浜駅では降りないで、だいたいお隣の桜木町か関内まで行く。この日は桜木町で降りて、駅前の大通りを野毛方面へ歩く。

 大通りを京浜急行日ノ出町そばまで行くと、左に見えるのが大貫カメラである。

 ライカやハッセルブラッド、ニコンなどのフィルムカメラの充実ぶりもさることながら、この店の特徴はレンジファインダーカメラに付ける外部ファインダーの充実ぶりである。ライカからフォクトレンダー、さらには聞いたことのないメーカーまで、これほどまでに外部ファインダーを取りそろえたカメラ店は、関東広しとはいえ、見たことはない。銀座のレモン社なんか足元にも及ばないくらいだ。

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 で、ちょっとお目当ての品が見つからなかったので、野毛仲道を往く。

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 チグサ、リヨンというジャズ喫茶(ジャズバー)を過ぎて野毛本通りへ出て、伊勢佐木町へ。

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 と言ってもねえ、伊勢佐木町はなんかもう食傷気味なので、通り過ぎます。

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 で、名画座シネマリン脇を通って、伊勢佐木町から寿町方面へ歩いて行きます。

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 真っ直ぐに歩いて寿町に着くと。

 ありました。

 寿町健康福祉交流協会という建物。ビルの上は市営住宅になっています。

 実はこの建物、以前は労働福祉会館といって横浜職安(昔は「ハローワーク」なんて言葉はなかった)なんかがあった建物を解体して作ったビルなんですね。

 実は、ここ横浜市中区寿町って、まあ、いわゆる横浜の「ドヤ街」ってやつで、横浜の港湾労働者なんかが沢山住んでいる街だったんです。で、そのど真ん中にあったのが職安。勿論、職安を通さない寄せ場の手配師なんかも周辺に跋扈していた、ちょっと剣呑な場所だった。

 その労働福祉会館もいつの間にか姿を消してしまい、その後、あまり来なくなってしまっていたら、なんか、奇麗な建物になってしまっていた。今でも、職安(あっ、いや。ハローワークでしたね)はあるんだろうか。

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 まあ、今やドヤ街は小さなホテルに様変わりして、つい最近までは外国人旅行者の姿が多く見えたっていうのは、東京の山谷なんかと同じ状況。まあ、今はコロナ禍で外国人の姿は見えませんけれどもね。

 労働者も今や高齢化して生活保障なんかで生活して、仕事を求める人も減っちゃっており、港湾労働も機械化は進んで、昔のような単純労働は無くなってきています。

 まあ、だからって昼間っから酒を呑んでしまってはいけないんですけれどもね。

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 ここからは京浜東北線の石川町駅まではすぐそば。中華街の裏門になる「西陽門」が石川町駅の入口です。

LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Sakuragicho Isezakicho and Kotobukicho Yokohama / Nov.19 2020 ©tsunoken

2020年11月20日 (金)

「光と陰の惨劇」の続きなんだけれども

 なんか昨日からの続きみたいなタイトルなんだけれども、残念ながら「オールドデジタルカメラを使う市民の会」とは、何の関係もないのであります。

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 本日の撮影機材は……

 使用レンズはシリアルナンバー「2618873」というライツ・カナダ製のズミクロン35mmなので、1973年製。つまり、十分「オールド」なんですが……。

 カメラが何せライカM-E(シリアルナンバー「4423922」)。デジタルライカについてはシリアルナンバーから製造年を知る方法が今のところ、ない。ネットで調べても出てきません。(製造年が分かったらお教えください)

 ただし、ライカM(Typ240)が発表されたのが2013年で、それとほぼ同時に発表されたのがライカM-Eであります。ライカM(Typ240)とライカM-Eの違いは、一番大きな違いはセンサーである。CMOSセンサーを使ったライカM(Typ240)とCCDセンサーのライカM-Eという具合。

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 つまり、ライカM-EはライカM(Typ240)と同時に発表されたのだが、実はCCDセンサー付きの先代ライカM9の発展型で、つまりその廉価版なのがライカM-Eっていう訳。実はパソコンに撮影済みのSDカードを突っ込むと「LEICA M9」と認識され、表示されるのだ。

 まあ、なんか売れ残ったCCDセンサーを使いきるためにライカM-Eっていう廉価版ライカを出したのかな? ドイツ人って、なんと質素(ケチ)なんでしょうね!

 なので、ライカM-EがライカM9と同時に発表されたのであれば、2009年なのでギリギリ「オールドデジタルカメラ」の仲間入りできたのだが、2013年のライカM(Typ240)と同時になっちゃったんで、残念ながら仲間入りできなかったわけですね。

 ただし、現在のライカM-E(Typ240)はCMOSセンサー付きの最新型です。要は「手持ちのCCDセンサーを使いきった」ってことなんでしょうね。

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 ということで、ギリギリ「オールドデジタルカメラ」にはなれなかったライカM-Eですが、まあ、EPSON R-D1sがお見事「オールドデジタルカメラ」の仲間入りしているので、私も「オールドデジタルカメラを使う市民の会」の仲間入りできたってわけですね。ただし、バッテリーとチャージャーがヘタってしまっていて、フル充電の半分位しか充電しないので、複数のバッテリーを予備として持っていないと心配。

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 って訳で、「オールドデジタルカメラを使う市民の会」とEPSON R-D1sを宜しくお願いします。たまにEPSONも使ってみます。

 こんな形で、手持ちのデジタルカメラが「オールド認証」されて、注目されるとは思っていなかったなあ。

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LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Hon Komagome / Nov. 11 2020 ©tsunoken

2020年11月19日 (木)

光と闇の惨劇・EPSON R-D1s

「オールドデジタルカメラを使う市民の会」という、写真家の田中長徳氏が初めたFacebook上の会にいつの間にか参加することになってしまったので、たまにはそちらに投稿しする写真と連動した記事を、このブログでも展開することにした。

 Facebookのその会に投稿する日は、ブログでも連動する予定なので、興味のある方はソチラ(Facebook)の方もご参照をお願いします。

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 私がFacebookのそちらの方へ投稿するタイトルが「光と闇の惨劇」とか「光と陰の惨劇」というフザケたタイトルなのであります。

 写真なんだから「光と闇」「光と陰」の表現であることは当たり前であり、別に特別なことを表現しているわけではない。ただ、まあ、この時期を写した写真っていうのが、太陽がかなり下の方に移っているので、この「光」と「陰」が特に強調されて画面に映るっていうことで、調子に乗って付けただけ。

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 デジタルカメラっていうのは1990年頃に実用化したモノで、ただし、デジタルだろうが、アナログだろうが写真が写る原理には変わりはない。結局、「光と陰の惨劇」を二次元上のフィルムあるいは撮像素子(現在はCCDかCMOS)に記録するというだけのことだ。でも、そうなると撮像素子のスペック競争しか「デジタルカメラ業界」では行うことはなくなってしまい、なんかすごく無駄な競争を行ってきている。

 結局、フィルムカメラの頃は、カメラの技術としてはほぼ完成してしまい、あとはフィルムの開発競争だけという状況になってしまい、結局、カメラに関しては「レンジファインダーはライカ/一眼レフはニコン」というツートップの下にヒエラルキーが出来上がってしまっていたんだが、デジタルカメラになって、未だにカメラの撮像素子のスペックだけを競っているという、アナログ時代は耐久消費財だったんだけれども、現在は単なる消費財になってしまっているということ。

 っていう訳なので、オールドデジタルカメラを使う市民の会の「言い出しっぺ代表」の田中長徳氏は書くのだ。

『過去30年で私がデジタルカメラに教えられた人生訓と言うものがある。これは大切なことなのでここに書き出しておこう。すなわち

 カメラはどこのメーカーのを使おうが写真が上手くなると言う事は無い。あるいはカメラはどこのメーカーを使おうが写真はよく映る。
これが私が得た教訓である。

 デジタルカメラは流れゆくものである。フイルムカメラの命長くデジタルカメラの命短し。』

 いやあ、けだし名言ですね。

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 ということで、私の持っているオールドデジタルカメラってなんだろう?

 現在は手放してしまったけれども、ニコンD70(2004年)ニコンD50(2005年)。現在、カミさんがメインで使っているニコンD7000(2010年)なんてところが対象機種ではある。勿論、現在メインで使っているニコンDfなんてのは対象外。

 今、私が使っているカメラでは、今年の初めにライカM-Eを手に入れるまではレンジファインダーのメインで使っていたEPSON R-D1s(2006年)、RICHO GR DIGITAL Ⅲ(2009年)なんてところが対象機種。

 特にEPSON R-D1sはいつ頃からか、背面の液晶モニターが死んでしまって、撮影後にどんな画像が映っているのか確認できなくなってしまっている。たまたま、その時の設定がモノクロになっていたので、要はモノクロ専用のレンジファインダー機として使っているわけなのだ。

 まあ、何が写っているのかは、家に帰ってパソコンのモニターを見るまでは分からない、というまさしくアナログライクな使い方ではあります。撮影直後、自身がなければ設定をちょっと変えて1カット撮っておくって感じですかね。まさにアナログ!

 もともと、APS-Cの撮像素子を持つEPSON R-D1sでもっとも広角のレンズとなるとVOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6が35mmフルサイズ・センサー換算で18mmになるので広角21mmに近い画角。なので、カラーはライカM-Eに21mmレンズ、モノクロはEPSON R-D1sで12mmというのが現在の使い分けであります。

 RICHO GR DIGTAL Ⅲは35mmフルサイズ・センサー換算で28mm相当(実際には6mm)、21mm相当のワイドコンバーションレンズも持っているのだが、手の持った時のバランスがめちゃくちゃになるので、あまり使ってはいない。こちらもブログ用のブツ撮り以外は、基本的にモノクロの設定。

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 というようなことで、ブログの方はLEICA M-E、FacebookではEPSON R-D1sがメインっていう使い分けになるのでしょうね。

 つまり、普段の日はLEICA M-EかNIKON Df、Facebookにも投稿する日はEPSON R-D1sかRICHO GR DIGITAL Ⅲを持って出るという使い分けですね。

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 ご期待ください?

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Hon Komagome & Nedu / Nov. 16 2020 ©tsunoken

2020年11月18日 (水)

入場制限の六義園へ行ってきた

 私のマンションの斜め前にある六義園が入場制限になってしまった。

『整理券予約システムによる紅葉繁忙期の入場制限について

 六義園では、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、11月11日(水曜日)から12月13日(日曜日)まで整理券予約システムを導入して1日の入場者数を制限いたします。
 来園をご希望される方は、事前に整理券を取得していただく必要があります。整理券はご自宅などからインターネットを通じて取得できます。また、インターネットをご利用いただけない方については、電話で整理券を取得することもできます。
 なお、例年実施している秋のライトアップは、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、今年度は実施しません。
 来園者の皆様の安全確保の取組みについて、何卒ご理解・ご協力をお願いいたします。』

 という具合。

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 ああ、面倒くさいな、と思ったんだが、せっかく年間パスを持っているので、サイト「六義園 入園予約」で申し込んだら、別に入園時刻や入園時間などの制限があるわけではなく、要は一日の入園者数を制限するためだけの「入園制限」ではありました。

 まあ、あまりその結果を気にしている訳でもなさそうな、いわゆる「お役所仕事」らしくて……いいですね。

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 まあ、紅葉って言ったって、東京の本格的な紅葉の時期はもう少し後だし、完全な「全山紅葉」なんてものにはならないんですね、東京では。

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 更にもうちょっと言っちゃうと、正門から入った人たちは何故か藤代峠がある、庭園真ん中の島からは裏の方には入らないんですね。だいたい、藤代峠の手前まで行っちゃうと、何故かそれで満足して、再び正門の方へ帰っちゃうんです。

 本当は、その先の方が如何にも「That's Rikugien!」なんですけれどもね。

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 裏門にあたる染井門から入るとこの藤代峠の裏側に入るので、それこそこは「深山幽谷」の趣きのある裏の山道(坂はないですけれどもね)みたいなところを通ることになります。

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 もう、本当に「ここが東京23区内?」ってなくらいの静かな河辺の山道を歩いていると錯覚するほどで、夏でも結構涼しい林の道を通って行きます。

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 まあ、でもそんな素敵な山道にもこんな無粋な看板があるのは時節柄仕方がない。

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 で、家に帰ってきて、マンションの屋上に上がって六義園を眺めたら、こんな感じ。

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 なんだ、紅葉を見るだけだったら、別に六義園に行かなくても、屋上に上がればいいのでありました。

 これって、自慢?

LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Rikugien Gardens / Nov. 17 2020 ©tsunoken

2020年11月17日 (火)

十条駅前の変貌

 ということで、十条銀座を環七方面から歩いてきて、埼京線の十条駅前に出てみると……、駅前の様子がすっかり変わってしまっていた。

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 取り敢えず駅前まで行って後ろを振り返る。

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 十条銀座の入口から先の、表のバス通りまですべてが白い壁で覆われて、中が見えないようになっている。

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 以前はこのあたり低層の店舗用の家が建っていて、まあ、言ってみれば十条銀座の前頭みたいな感じの駅前を形成していた。

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 で、要はこの壁は建設現場用の壁で、そこには「十条駅西口地区第一種市街地再開発事業施設建設物」という表示がある。

 建設規模は地上39階地下2階で、完成は令和6年(2024年)10月31日というから、あと4年もかかる大工事だ。

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 そういえば以前から十条駅前に行くと「タワーマンション建設反対」とか、「再開発計画反対」なんて貼り紙やらなんやらが色々見えたんだけれども、それの姿がコレかっていう訳ですね。

 昔からの商店街のすぐそばの駅前にタワーマンションっていうのは、ちょうど武蔵小山の駅前が同じような状況になっている。

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 これから十条銀座商店街もどんな変貌を遂げるんだろう、なんてことを考えながら、篠原演芸場の前を通って、東十条駅へ向かうのでありました。

 で、東樹上駅前にある子育て地蔵尊にお参りして、今日の取材の無事終了のお礼をするわけですね。

 別に、お賽銭を納めるわけではないですけれど。

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LEICA M-E ELMARIT-M 28mm f2.8 @Nishi Jujo / Nov. 13 2020 ©tsunoken

2020年11月16日 (月)

いつもの十条銀座へ

 ここのところ暫く訪ねていなかった十条銀座商店街へ行った。

 いつもは歩いて行ったり、池袋か板橋から埼京線で行くんだが、この日は京浜東北線東十条駅で下車。下車すると王子から赤羽へ抜ける道を渡るんだが、この道の拡幅工事も少しづつ進んではいるようだ。

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 普段は埼京線で十条駅に直接行くか、あるいは京浜東北線で東十条駅を降りて、からまず埼京線の十条駅前まで出て、十条銀座へと進むんだが、この日はまず環七通りまで北上して、十条仲原から富士見銀座という短い商店街を通って十条銀座まで往くことにする。

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 環七の先は、赤羽へ向けて下り坂を降りていくかたちになる。つまり、ここ十条辺りが武蔵野丘陵の外れっていうことで、赤羽に向かって荒川の低地に向かって行く形になる。

 で、交差点脇の八雲神社で取材の無事終了を祈願して、十条銀座へ向かいます。

 まあ、別にお賽銭は供出してませんけれども。

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 十条銀座の十条駅とは反対側の出口(というか入口)。

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 十条銀座のメインストリートからちょっと外れた場所から2軒のお店を紹介。

 まずは十条銀座のメインから埼京線の線路に向かっていく道すがら、「小鳥・小動物・ペット用品」のお店の一軒おいてお隣が焼き鳥屋さんっていう対比の妙。

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 もう一つは、メインストリートを駅のそばまで来て右に入った通り。

 この通りにはインド料理店やインド周辺のアジア各国の料理や料理の材料のお店が多くて、なんとなく、十条銀座のなかのエスニックタウンという感じです。

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 まあ、なんとなく以前と変わりのない十条銀座の様子を見て、変わらない日常があるなあ、なんて考えていたんですが……、駅前へ出て……、ちょっとビックリ! というお話は明日のココロだぁ!

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LEICA M-E ELMARIT-M 28mm f2.8 @Jujo Ginza / Nov. 13 2020 ©tsunoken

2020年11月15日 (日)

道すがら・無題、意味を付与できないスナップ

 ある日、家を出て何となく『文京区コミュニティバス「Bーぐる」』に乗って、文京シビックセンター(文京区役所)まで行き、そこから神保町方面へ歩いた。

 というだけのたわいのない一日。そんな日の、普通のスナップである。

 ひとつひとつの写真には、まったく意味はない。

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 まあ、言ってみれば写っているものは、何の意味もない、撮影者にとっては、単なる「オブジェ」でしかない。

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 そんな訳なので、今日のキャプションは単に撮ったものを説明するだけのもの。

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 神田教会です。水道橋の駅のそばには三崎町協会っていう、これまらカトリックの有名な教会があるんだけれども、こちらの方が格が上です。昔、私がここで結婚式を挙げるために(クリスチャンでない私は)何回かのミサを受けるために通っていたんですけれども、その時の神父様(今はもう違うと思うけど)が高輪の魚籃坂観音がマリア様だっていう、トンデモ発言だけは覚えている。

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 猿楽町交番を越えて行くと……。

 いつものラドリオ(シャンソン喫茶)とミロンガ(タンゴ喫茶)です。経営者はその奥のチャボ(白カレーの店)と合わせて三軒を持っています。昔はシャンソン歌手かなんだったらしいんだけれども、今のことは詳しくは知らん。

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 神保町から神田橋までのスナップ。

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 意味はありません。

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 まあ、そんな日もありますね。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1.8 G すべて絞り開放 @Korakuen & Kanda / Nov. 12 2020 ©tsunoken

2020年11月14日 (土)

葛飾区・小菅刑務所…じゃなかった東京拘置所

 JR常磐線(東京メトロ千代田線)、あるいは東武伊勢崎線で荒川を渡ると最初に見えるのが「東京拘置所」である。

 千代田線の綾瀬駅は足立区綾瀬、東武伊勢崎線のの小菅駅も足立区足立にある。でもこの地域で一番存在感を示しているのが、東京都葛飾区小菅1-35-1にある「東京拘置所」なんですね。

 昔は「小菅刑務所」って呼んでいた。

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 かつてこの地には小菅監獄(1922年、小菅刑務所と改称)があった。第二次世界大戦後の1945年10月、巣鴨(当時。現在の豊島区東池袋の「サンシャインシティ」と「東池袋中央公園」)にあった東京拘置所の施設が、GHQに接収された。このため一時期、小菅刑務所に東京拘置所が同居する状態となっていた(東京拘置所の職員が小菅刑務所の職員を兼務)。1958年5月にすべての戦犯が釈放され、東京拘置所は巣鴨に復元された。
 その後、首都圏整備計画の一環として、東京拘置所を巣鴨の地から移転させることが必要になったため(跡地が池袋サンシャインシティ)、1971年(昭和46年)に小菅刑務所は栃木県那須郡黒羽町(現在の大田原市)の黒羽刑務所に移転し、東京拘置所は再び小菅に移された。 

 といった歴史がある。

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 実際に現在のような大きな建物が出来たのはいつ頃のことだったんだろう。

 なんか、私が高校生の頃までは、まだまだ昔の小菅刑務所の低い建物の刑務所ビルがあったような記憶がある。当然、その頃は高いコンクリート製の塀があって、中を覗き見ることは出来なかった。その「高いコンクリート製の塀」の脇を歩くっていうのが、なんか「こちらの世界とあちらの世界」の境目を歩いているような気がしていたんですけれどもね。

 まあ、今でも写真を撮っちゃいけないらしいですけれどもね(ヘヘッ)。

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 昔からあった「差し入れ屋さん」です。今でも、あるんだなあ。「刑務所」と「拘置所」で差し入れできるものは違うと思うんだけれども、その違いは知らん。

 まあ、周辺は住宅街なので、コンビニでもできれば「差し入れ屋さん」も営業は難しくなってくるんだろうけれども、まあ、あくまでも住宅地なんで、駅周辺のような人通りは期待できませんね。

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 東京拘置所前に唯一ある神社。お稲荷さんです。

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 もう、高い塀を作れば逃亡を防げるっていう時代じゃないんですね。っていうか、昔は逃げちゃえば何とかなった時代だったんでしょうね。今は、そうは行かないもんなあ。

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 で、ほとんど周囲をひと回りして、官舎がある方に行くと、江戸時代に、この地にあった関東代官伊奈氏の庭の跡らしい(多分)綾瀬川から水を引いた川などがある庭園がある。この地には、将軍家鷹狩り時の休憩所である小菅御殿が併設されていたとのことです。

 その御殿の跡が江戸から東京へ移った頃にこれからは耐火建築だってことで、そのための煉瓦工場になり、関東大震災の後にはその煉瓦が戸越に持っていかれて戸越銀座ができ、で、そして後年には刑務所になったっていうことなんですね。なんか、東京の歴史を感じさせる存在ではあるんですねえ。

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 まだ、荒川放水路が出来ていなかった頃のこの地なので、綾瀬川がいまよりは大きな川だと認識されていたのかもしれない。

LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Kosuge / Nov. 10 2020 ©tsunoken

2020年11月13日 (金)

川口は「本当に住みやすい街」(?)

 今日は13日の金曜日なんだけれども……、まあ、私はクリスチャンじゃないから、関係ないか。

 日本最大手の住宅ローン専門金融機関であるアルヒ株式会社(英称:ARUHI Corporation.)が作っている「本当に住みたい街大賞」っていうのがあって、その2020年版の第1位が川口市なんだそうだ。

 その評価基準は以下の通り。

<審査基準>
発展性 5.0点
住環境 3.9点
交通の利便性 3.9点
コストパフォーマンス 4.0点
教育・文化環境 3.9点
でその総合評価が4.14点で第一位なんだそうだ(なんか計算が合わないようだけど……、まあいいか)

 他にどんな街が対象になっているのかは知りませんがね。

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 その項目ごとに列記すれば……

【発展性:5.0点】居住ゾーンの拡大と再開発で街全体が活性化
かつての工業エリアが居住ゾーンとして拡大したことで、駅利用客が埼玉県内3位となった川口。「アリオ川口」や駅前の「キュポ・ラ」など核となる商業施設が複数あるほか、東口の銀座通り商店街の再開発も進行中。

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【住環境:3.9点】繁華性と閑静な住宅地のコントラストが魅力
繁華性高く利便施設が豊富な東口エリアがある一方で、西口エリアは駅前も閑静で暮らしやすいのが特徴。アリオ川口、キュポ・ラなどの商業施設が充実し、「ララガーデン」などのショッピングモールも利用できるため、日常の買い物には困りません。

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【交通の利便性 3.9点】乗り換えなしで主要駅へのアクセス可能
JR京浜東北線は東京方面から横浜方面まで、多くの主要駅に乗り換えなしでアクセス可能。一つ隣駅の赤羽からは埼京線・宇都宮線・湘南新宿ラインが利用でき、通勤や通学には困りません。電車のみならず、周辺沿線の駅に向かうバスも複数運行しているので便利です。

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【コストパフォーマンス4.0点】人気急上昇中のハイコスパエリア
川口は浦和や大宮に比べて東京都心に近いにも関わらず、マンションなどの住宅価格がリーズナブル。少し前に比べて値段が上昇しつつありますが、都内に比べるとまだまだハイコスパです。

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 まあそういえば、東京メトロ南北線の車内CMで「住みやすい街・川口市」のコマーシャルがあって、都心に近いのに住居費が安いとか、週末のカップルのスポーツとして荒川サイクリングロードなんかが出て来ていたりしていたなあ(但し、走っているのは荒川の東京都側の土手上なので「なんだかなあ」ですけれどもね)。

 2番目の写真の「キューポラ」というのは、その下の写真にある商業施設「キュポ・ラ」と同じものなんだそうだ。「キューポラ(cupola furnace)は、コークスの燃焼熱を利用して鉄を溶かし鋳物の溶湯(ようとう:溶解され液体状になった鉄)を得るためのシャフト型溶解炉に分類される溶解炉。訳語は溶銑炉。文献および専門書などで「キュポラ」と短縮され表記されることもある。」(Wikipedia)

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 そうか、川口市は、今は吉永小百合と浜田光夫の『キューポラのある街』じゃなくて、商業施設『キュポラのある街』なんだ。

 なるほど、なるほど……、で、何か?

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LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Kawaguchi / Nov.9 2020 ©tsunoken

2020年11月12日 (木)

中央大学茗荷谷キャンパス、工事が始まった

 ある日、なんとなく春日通りの茗荷谷付近を歩いていたら、いままで金網囲いだった、旧都バスの大塚営業所の跡地に正式な塀が出来ていた。

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 ということは、「中央大学茗荷谷キャンパス」の建設工事が始まったのである。

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 完了予定が2023年2月とあるので、あと2年と3ヵ月ほどで完成するらしい。

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  この都バスの大塚営業所の跡地利用に関しては、残念ながら「中央大学が東京都から土地を取得して」とはならずに、東京都に定期借地権を設定して、中央大学が使うという形の使用権なので、そこはそれちょっと残念。

 慶應義塾大学だったら三田会にちょっと声を掛ければすぐに数十億円が集まってしまうので、「定期借地権」なんてケチなことは言わずに、簡単に土地購入しちゃうんでしょうけれども、学生も貧乏ならOBも貧乏人ばかりの中央大学(まあ、自民党の二階幹事長なんて、別枠のひともいますけれども)。

 なかなか、お金は十分に集まりません。

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 とはいうものの、これで後楽園キャンパス(理工学部)、市ヶ谷キャンパス(法学部の一部と法科大学院)と、少しづつ23区内に戻りつつある中央大学である。

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 なにしろ多摩キャンパスは、地方から出てきた学生が「私の田舎よりももっと田舎」って言われちゃったくらいの山の中。最寄り駅は京王線多摩動物公園駅と多摩都市モノレールの中央大学・明星大学前っていう、やっぱりどう考えたって「ここが東京か? っていう位のド田舎」ではあるのです。

 まあ、茗荷谷キャンパスもまずは法学部が最初に来るんだろうけれども、経済学部・商学部・文学部が都心に戻ってくるのは何時になるんだろう。総合政策学部、国際経営学部、国際情報学部なんて、多摩に移転してから出来た学部なんて知らん。

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LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Myogadani & Kasuga / Nov. 8 2020 ©tsunoken

2020年11月11日 (水)

外苑東通りを往く・信濃町から飯倉へ

  外苑東通りというのは、東京都新宿区の新目白通りの早稲田鶴巻町交差点から、東京都港区麻布台の飯倉交差点に至る道路の通称である。正式名称は「東京都道319号環状三号線」という。

 実際には「環状」にはなっておらず、未整備区間があるので「環三通り」という呼び方はされていなくて、取り敢えずこの区間は明治神宮外苑の東側を通る道なので「外苑東通り」という通称が与えられている。東通りがあるので、当然、西通りもあるが、こちらも全部が繋がっているわけではない。

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 で、取り敢えず今日は鶴巻町からではなく、途中のJR中央総武線信濃町駅から飯倉までを歩く。

 信濃町から権田原までは左に公明党本部や明治記念館なんかがあって、権田原を越えるとと、青山一丁目の交差点までは、左側は赤坂御所の塀が続く、なかなか静かな散歩道ということになる。

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 で、青山一丁目交差点を過ぎると、途端に街は「俗っぽく」なりますね。

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 ここから先の外苑東通りは、もう俗っていえば、まさしく俗。雑と言えば、まさしく雑。

 表通りはちょっと小綺麗に装っているんだけれども、ちょっと一歩でも裏道に入っちゃえば、まあ、新宿歌舞伎町もかくやっていう程の「盛り場」です。東京都も歌舞伎町ばっかり敵視しているけれども、実際は銀座や六本木も範疇に収めなければね。

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 ってなことで、六本木に到着ってことなんだけれども、ここにきている皆さん、この六本木のすぐ裏に米軍基地があるっていうことは知っているんだろうか。六本木の街に時たま轟くヘリコプターの爆音・ローター音がまさしくその証拠なんだけれども、街を歩く人を見ていると、別にあまり気にしていないように見える。

 別に日本の国内に米軍基地があるからどうの、っていうことではないんですが、この東京のど真ん中に米軍基地があることが何だってことを、もう少し考えた方がいいんじゃないんでしょうか、ってことだけなんですがね。

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 まあ、「都会の喧騒」の一つぐらいにしか感じていないんでしょうけれども、こんな大東京のど真ん中に米軍基地があるってことには、もうちょと敏感にならなければいけないんじゃないんでしょうかね。

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 ってことで六本木交差点に到着。

 六本木と言えば、私にとってはAXIAビルにあるIMA galleryなんですね。何故かこのギャラリーに写真を見に行くことが多かった時期がある。IMA galleryにはIMA booksっていう、写真集を中心に展開している本屋さんがあって、結構、ここで買った写真集は多い。

 IMA galleryは現在は天王洲に移転してしまったんだが、移転してからは行ってないなあ。

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LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Gaien Higashi Tori Ave. / Nov. 6 2020 ©tsunoken

2020年11月10日 (火)

西日暮里・冠新道

 たまには自分の住んでいる場所から近いところをご紹介。

 いろいろあって、以前使っていたEPSON R-D1sを引っ張り出してきて撮影。なんでそうなのかはFacebookを見ている人はわかります。

 ってわけで、田端駅を降りて陸橋を東の方へ渡り、線路に沿って右に進み、陸橋を降りて行きます。

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 一番下まで降りて、高崎線・宇都宮線(上野東京ライン)のガードを通り過ぎると出てきます。

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「冠新道」です。

 冠新道って何だ?

 公式サイトがあるので、それを読むと……

『京成線「新三河島」駅を出て明治通り沿いに歩くと「冠新道」交差点が見えてくる。道の上にかかるのは「冠新道商興会」のアーチ。三河島地域の中心街である商店街「冠新道商興会」の入口だ。広い道幅の両脇に、昭和の香りが漂うレトロな店と、食品スーパーや銀行など生活に密着した商業施設が立ち並ぶ。「冠」とは、新道の建設に際して土地を提供した地権者の名前を取ったものだとか。車の通行が少ないので、買い物だけでなく散策にも良い。』

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 サイトでは京成線の新三河島から歩いているんだけれども、私は田端方面から逆に進んでいるわけですね。

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 更に公式サイトを見ると……

『「イベント商店街」の別名を持つ冠新道商興会は、
その名の通り一年中多彩なイベントで賑わっている。
代表的なイベントは3月の桜まつり、
7月の夜店市&盆踊り大会、
9月の佐渡おけさ、
10月のハロウィンなど様々な催しを
積極的に実施している。』

 とあるんだが……

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 まあ、イベントの時は人が来るんだろうけれども、なんか、普段は全然人通りもない「寂れた商店街」にしか見えないんだよなあ。

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 まあ、地元の人たちからしてみれば、ちょっと残念なことなのかもしれないが、結局、「街に住んでいる人が減ってくる→商店街に買い物に来る人が少なくなる→商店街の閉店が目立つようになる」っていう悪循環なんだな。

 街も成長するし、衰退もするっていう典型例なのかもしれないですね。

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EPSON R-D1s TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Nishi Nippori / Nov. 5 2020 ©tsunoken

2020年11月 9日 (月)

『吉田類の酒場放浪記』は酒飲み必見の番組ですね

 今、ハマっている番組がある。

 BS-TBSで毎週月曜日夜9時から10時まで放送している『吉田類の酒場放浪記』という番組である。

 四国は土佐出身のエッセイストで俳人、イラストレーターでシュールアートの画家である吉田類氏がいろいろな酒場に赴き、そこで「酒を呑む」という番組なんである。

 もう、夜の酒場に行かなくなって何年っていう感じの私が、その代わりハマっちゃったんだなあ。いいなあ、酒場の雰囲気って……。

Photo_20201105171001 『吉田類の酒場放浪記』(取材執筆・撮影:吉田慎司/俳句・イラスト:吉田類/発行:TBSサービス)

 元々はこの番組、BS-TBSの「グッドライフ」という番組の枠内企画で、2004年に1本15分で放送されていた番組だったらしい。それがもう既に何回もフォーマットを変更しながら何回もリピート放送され、書籍まで発行されてていて、それがまたちゃんと売れているっていう意味では、まあ、メディアミックスの成功例でもあるんだろう。

 漫画原作のアニメでもないし、特撮ドラマでもないこの種の番組がメディアミックスできるっていうのも、私たちのような出版社の人間では思いつかなかったことではあります。

 しかしまあ、やはりこの種の番組で一番大事なのは、主人公である人の酒の飲み方なんですね。

 いやあ、いかにも美味そうに酒を呑むんですよ。つまり「キャラクター」って言っちゃえば、ああそうか、出版社発のメディアミックスだって、基本的には「キャラクター」だもんな。要は、吉田類氏は「酒飲みのためのアイコン」なんですね。

 勿論、「酒飲み番組」なんだから、やっぱり主人公は「いかにも美味そうに酒を呑む」というのは必須条件なんだけれども、実は本当に酒が好きなんだからしょうがない。

『僕は高知県仁淀川町(旧二淀村)の出身。幼い頃から酒が身近にある環境で育ったので、酒飲みも酔っぱらいも数多く見てきましたよ。』

 っていうのが、吉田氏の元々の生まれのお話。

 いいなあ、こういう「根っからの酒飲み」ってね。

 一番最初に出てくるのが吉祥寺の「いせや総本店」、三番目が西荻窪の「やきとり 戎」ってのもいいなあ。いやあ、単に私が知っている店だっていうだけなんですけれどもね。

 ってことで毎週月曜日午後9時からは、BS-TBSで。今日の午後9時からです。

『吉田類の酒場放浪記』(取材執筆・撮影:吉田慎司/俳句・イラスト:吉田類/発行:TBSサービス)1杯目から9杯目まであります)

2020年11月 8日 (日)

神田川を往く・江戸川橋から飯田橋へ

「神田川を往く」って言ったって、東京都三鷹市井の頭恩賜公園内にある井の頭池に源を発し東へ流れ、台東区、中央区と墨田区の境界にある両国橋脇で隅田川に合流する。流路延長24.6キロメートル、流域面積105.0平方キロメートルの全体をルポルタージュするわけではない。たかだか、文京区関口に架かる江戸川橋から千代田区の飯田橋までの、たかだか2キロメートルあまりの道のご紹介であります。

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 なぜ、その辺りを歩くのかと言えば、私が勤務していたK談社や音羽グループの各社が護国寺から江戸川橋あたりに展開していて……

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 それらの会社で出していた出版物の大手流通会社であるトーハンや、印刷会社のTOPPANなんかがこの辺りに展開しているからというようなわけなんですね。

 倒産してしまったけれども、太洋社という中堅取次もこの神田川のトーハンの斜め前ぐらいにあった。

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 ともあれ、この川の周辺には小さな出版社や、印刷会社、製本会社が点在していて、同じく小石川にある共同印刷近辺と同じような感じの出版関連会社が集まっている街が出来上がっているのだ。

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 なぜ、その二地域に出版関連会社が集まっているのか?

 神田神保町界隈には小学館グループや岩波書店などの老舗出版社が集まっており、中小取次店や最大手の日販なんかがあるんだが、そのおおもとは神保町周辺に集まっている書店なのではないだろうか。

 東京大学や明治大学、中央大学などの大学があり、そこの学生や学者目当てに古書店や新刊書店が集まってきて、なので、そこに本を卸す取次店が出来て、で、出版社が出来た、という流れは何となくわかる。

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 ところが文京区の江戸川橋周辺には、まあお茶の水女子大学や東京教育大学(現・筑波大学)はあったが、だからといってそれほど大きな大学ではなかったし、書店群があったわけではない。

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 ってことは、やっぱり音羽グループの存在?

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LEICA M-E VOGHTLANDER COLOR-SCOPER 21mm f4 @Edogawa Bashi Bridge to Iida Bashi Bridge / Nov. 2 2020 ©tsunoken

2020年11月 7日 (土)

巣鴨・庚申塚・裏通り

 アメリカは日本にとって「民主主義のお手本」だった筈なんですがね。もう「めちゃくちゃでんがな」ってところですね。

 今や「(トランプのおかげで)アメリカに民主主義はない!」って感じになっています。

 とげ抜き地蔵、高願寺の先、庚申塚から先は庚申塚通りとなって、地蔵通りとは異なった様相を見せる。

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 つまり裏通りの存在ということだ。

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 地蔵通りあたりでは、地蔵通りと国道17号線を結ぶ裏通りも何となく道が広くて、裏通り的な雰囲気ではないが、庚申塚通りになると、裏通りはいかにも裏通りらしく、狭く……

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 さらに曲がり角が入り組んで、道の行き先が杳として知れない。

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 なので、そこはそれこうした訳の分からない道を歩く楽しみというのもあるのだ。

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 とげぬき地蔵の裏通りなんて真っ直ぐで、その先に国道17号線が見えてしまって面白くない。

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LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Sugamo / Nov. 1 2020 ©tsunoken

2020年11月 6日 (金)

連雀通りを通って吉祥寺まで行く

 なんか、団塊の世代の一つ下世代に属している私なんかからすれば、「民主主義のお手本」だった国の大統領選の泥仕合を見ていると、この国が劣化したのか、もともとその程度の国だったのか、わからなくなってしまいますね。それこそ国連の選挙監視団でも送り込まなければ、公正な選挙が行われないような感じです。トンでもないな。

 まあ、「劣化」なのかな。トランプ氏が「民主主義の根本」を知らないのか、「合州国」という制度が、その辺の違いを誤解する理由になっているのか。

 ってこととは関係なくブログは、一昨日のつづき……。(もう、前に書いちゃった奴なので)

 三鷹中央通りから連雀通りに出たら左折すれば吉祥寺方面に至る。

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 連雀通りなんだけれども、禅林寺前から吉祥寺通りとの交差点になる狐久保までが、拡幅工事が行われている。

 連雀通りは国分寺市から吉祥寺の東で人見街道と合流、そのまま三鷹台・久我山あたりまで抜ける、結構、交通量の多い道路なんだけれども、歩道はなく、歩行者は結構怖い思いをしなければならなかった。

 まあ、これで多少は歩行者も安心して歩けるっていうものだが……、果たしていつごろ工事が終了するんだろうか。

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 連雀通り沿いの喫茶店「小さな喫茶店 Utan(ウータン)の店」というんだが、どう見たってこれ「アマビエ」だよな。

 ところがこういう日って、結構、次から次へと「変なもの」に行きあたる日だったりして、下の写真は配管工事の店らしいんだが、店先の配管ロボットみたいなのが、可笑しい。

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 吉祥寺通りを北へ歩くんだが、ジブリ美術館あたりまでは三鷹市である。

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 ここまで来ればもう武蔵野市吉祥寺。

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「いせや」も裏道も……。

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LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Renjaku Tori Ave. to Kichijoji  / Oct. 30 2020 ©tsunoken

2020年11月 5日 (木)

「オールドデジタルカメラを使う市民の会」っていうのがある

 Facebook上に「オールドデジタルカメラを使う市民の会」というのがあるらしい。どうも写真家の田中長徳氏が言い出しっぺのようだ。

 な~んてことを言ってしまってはいけない。実は、私も「いいね」か何かのボタンをいつの間にか押してしまったので、更に、いつの間にかその会員になってしまったらしい。

 ということなので、私も久々にEPSON R-D1sを持ち出してスナップ撮影してFacebookに上げようかな。会員として……。

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 オールドデジタルカメラといっても、世界で最初のデジタルカメラであるFUJIX DS1PとかカシオQV-10などの20世紀にでた最初期のデジタルカメラは対象に入っていないらしい。なので、私がこれまでに使ったデジタルカメラだと、2004年のニコンD70、2006年のEPSON R-D1s、2005年のリコーGRデジタルあたりが、その対象カメラなのである。2007年のリコーGRD3は今でも物撮りで使っている現行カメラである。

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 EPSON R-D1sに先行するEPSON R-D1が発表されたのが2004年なので、ライカが初めてのレンジファインダー・デジタル・カメラのライカM8を発表する2006年より早い、まさしくR(レンジファインダ)-D(デジタル)1(一号機)なわけなんですね。

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 実はこのEPSON R-D1sは、今年の一月にライカM-Eを手に入れるまで、私が使っているレンジファインダーのデジタルカメラのメイン機種だったのだ。このカメラに装着しているフォクトレンダーの12mmレンズっていうのも、APS-CサイズのEPSON R-F1sの撮像素子(CCD)に合わせて、35mmフルサイズ換算で18mmとなり、フルサイズで最も使用頻度の高い21mmレンズに近いサイズ(18mm)だということで、EPSON R-D1sでもっぱら使用していたレンズである。

 つまりデジイチはNIKON Df、 レンジファインダーはEPSONという組み合わせだったんですね。なんか、そのほうが今のバランスより良かったのかもしれない。

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 ってなことで、久しぶりにEPSON R-D1sを引っ張り出してスナップ撮影に出かけたっていう訳です。

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 実はこのEPSON R-D1s、モニターが全然映らなくなってしまい、その結果、そうなる直前に設定していた撮影設定のモノクロモードから変わらなくなってしまっている。ところが、現行のライカM-Eのモノクロモードがなんか「眠ったい」表現なのに比べて、EPSON R-D1sのモノクロ表現はコダックのトライXに近い、「いい感じ」の「黒」が出るんですね。「メリハリのある黒」っていう感じ。

 両方とも同じCCDセンサーを撮像素子として使っているので、そんなに違わないはずだと思うんだけれども、CCDのメーカーによっていろいろチューニングがあるんだろうから、その辺のチューニング技師の違いなのかもしれない。

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 いっそのこと、ライカM-Eはカラー専門、モノクロ撮影はEPSON R-D1sという使い分けをしようかなあ。

 画質に関してはどちらも遜色はないし画素数に関しても何の問題もない。「黒」がしまった感じで表現できるっていうのがいいなあ。別に、撮影後のモニターが出来なくたって、そんなものはフィルムカメラだったら当たり前ですもんね。撮影時にはモニターできなくて、家に帰ってから「さあて、何が写っているかな」なんてヒヤヒヤしながらパソコンのモニターを見る、っていう気分も悪くはない。

 この写真が、上の全部の写真を撮ったアウトフィット。仕様は下に。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Azabu Juban / Nov. 4  ©tsunoken

2020年11月 4日 (水)

三鷹から連雀通りへ

 本来ならば、今日のブログは社会人Xリーグ・アメフトの観戦記になるはずだったんだけれども、面白い結果じゃなかったので、書かない。

 で、全然違う、ちょっと前の取材記事。

 三鷹によく通っていたのはアニメ「AKIRA」の製作時代だから1987年から1988年の頃。もう既に30年以上も前のことだ。

 それ以前に「バリバリ伝説」「あいつとララバイ」なんかのOVAをスタジオぴえろで作っていた時も、やはり三鷹駅下車だったんで、結構、三鷹通いをしていた時期は長かったんだなあ。

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 ただし、三鷹駅下車と言っても、スタジオぴえろがあった三鷹駅の北口と、アキラ・スタジオがあった南口で行政区分が代わっている。

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 三鷹駅の南側は「三鷹市下連雀」、北側は「武蔵野市西久保」である。

 三鷹市役所は三鷹駅南口からバスで行く感じ。武蔵野市役所はやっぱり三鷹駅北口からバスで行く感じ……だろうか。

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 30年ほど前の三鷹はなんとなく「武蔵野」のイメージを残していた住宅地という感じだった。しかし、さすがに30年も過ぎると大分街の様子も変わってきて、駅前にはマンションや大きな商業ビルが建設されて、駅のそばは商業地という雰囲気の街になってきている。

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 三鷹駅南口から伸びている中央通りのドン突きが連雀通りである。連雀通りと言えば「アキラ・スタジオ」と「禅林寺」ですよね(?)

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 上の写真が「アキラ・スタジオ」があった生協の建物。ここの二階を全部借りてアニメ「AKIRA」の製作を行っていた。

 下の写真が、太宰治の墓があることで有名な禅林寺である。毎年、6月9日の太宰治の命日には桜桃忌といって、太宰ファンのおばさまなんかが沢山くる。

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 実はアニメ版「AKIRA」で第三次世界大戦の引き金になった、関東地方の新型爆弾の爆心地が三鷹市下連雀のアキラ・スタジオだったのです。

LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Mitaka Sta. to Shimo Renjaku / Oct. 30 2020 ©tsunoken

2020年11月 3日 (火)

唐木田は、まだなにもない街……これからも?

 取り敢えず新宿に出て、それから何線に乗ろうかな、なんてことを考えて、更に取り敢えず小田急線の改札まで来てから、たまたま「急行 唐木田行き」がいたのでそれに乗る。

「そういえば、唐木田ってまだ行ったことがないや。どんな街なんだろう」ってなもんですね。

 まあ、その辺がSUICAとかPASMOのいいところで、別に行き先を決めなくても電車に乗れちゃって、それこそ「行き先は、電車に乗ってから決めます」っていう、電車の乗り方ができるんですね。

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 ってことで、やってきました。小田急線の「もうひとつ」の終点。唐木田駅です。

 女子高校生の下校時間のようです。。

 う~ん、こんな山の中でも東京都多摩市唐木田。

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 唐木田駅前っていうと、見事な位「何にもない」駅前です。

 駅の前にデーンと構えているのはケーヨーデイツーというホームセンターです。スーパーマーケットかなと思ったんですが、そうじゃないんです。っていうか、駅のそばにスーパーマーケットってものが見当たらない。

 駅前通りもこんな感じで、コンビニと喫茶店があるくらいで、まあ商店街っていうのではないですね。お隣の駅が小田急多摩センターなので、この町に住んでいる人たちは、みんな買い物は多摩センターで済ませてしまうのかな。

 それって、ちょっと不便じゃないかなとも思うんですけれどもね。

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 もともと、この駅が出来た理由がある。

 小田急多摩線の実質的な終着駅は小田急多摩センターである。ただし、小田急としては終着駅の先に車両基地を作らなければならないから、その場所を「何にもない」唐木田に作ったんだが、周辺の住民やら多摩市やらから「どうせ唐木田に車両基地を作るんだったら、そこに駅も作って。それを受け入れてくれるなら、多摩市が作りたがっているごみ処理センターを作ってもいいよ。」っていう申し入れがあって、じゃあ、それに応えようということで作った駅が唐木田駅なのであります。

 っていうことなので、まあ、多摩センターの一番外れが唐木田駅。確かに、唐木田駅の南側のほうは多摩センターの端っこのマンションなんかがあります。

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 唐木田駅の先に拡がる車両基地。基地の奥に見えるのがごみ処理センターの建物。これが、唐木田住民が「ゴミ処理場は、唐木田駅との取引だ」ってことで獲得した駅なわけです。

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 車両基地を過ぎると大妻女子大学があります。メインキャンパスは千代田区三番町にあるんだが、人間関係学部と付属高校が唐木田にあります。まあ、千代田区三番町と比較したらね……。

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 大妻女子大学からほんの少し下がったところにあるのが、唐木田稲荷神社。

 この唐木田稲荷神社は、元々はこの周辺の小さな村落の神社だったようで、いつの間にか、その村落の没落と共に神社自体もなくなってしまったという歴史があるらしい。

 その後、この地区の区画整理や山を削って谷を埋めたりなどの改良工事を行って、住む人が少しづつ増えてきたことから、この神社も再興されたようだ。

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「Black Lives Matter」な喫茶店もあります。

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 ただ、永久に都市がスクロールしてくるっていう幻想でもって成り立ってきたニュータウン構想であるんだが、もう東京都の人口もピークを過ぎて減少に移ったらしいし、これからは今、自分が住んでいる街を「どうやって少ない影響で小さくするのか」が問題になってくるはず。

 こうしたニュータウンってどうなるんでしょうかね。

〇お知らせ:写真がメインのブログの場合、今日から撮影日を入れることにしました。

LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Karakida / Oct. 29 2020 ©tsunoken

2020年11月 2日 (月)

『月刊PEN』の特集は「21世紀・写真論。」

『月刊ペン』と言えば、その昔、創価学会の池田大作会長(現名誉会長・SGI会長)、及び女性会員2名の名誉を毀損した名誉毀損罪(刑法230条ノ2)にあたるとして、編集長の隈部大蔵が刑事告訴され、有罪判決を受けた「月刊ペン事件」で有名な、ちょっと右よりの論壇誌で有名だったんだけれども、今はなんかアート&カルチャー誌になっているんだ。

 知らなかったなあ。

 というか『月刊PEN』はTSUTAYAなどを運営しているカルチャー・コンビニ・クラブの子会社CCCメディアハウスが発行している雑誌なので、『月刊ペン』とは何の関係もなかったのだ。

 誌名の商標登録に関しては何も問題はなかったのかなあ。

Pen『月刊Pen(ペン) 2020年9/1号(完全保存版 21世紀・写真論。)』/CCCメディアハウス刊)

 ということで、『月刊Pen』(9月1日号)を読んでいくと……。

 とにかく巻頭の「EDITOR'S VIEW」からして「4000万画素の描写力を得た、M型ライカの大いなる進歩。」だもんなあ。

 特集のメイン「2001~20年、今世紀を表現する21人の名作。」では、ロバート・フランク、荒木経惟、マルク・リブー、ペンティ・サマラッティ、サラ・ムーン、具本昌、キャロリーヌ・ハリー、東松照明、ジェイアール、ジョセフ・クーデルカ、セバスチャン・サルガド、アンドレアス・グルスキー、トーマス・ルフ、マイケル・ケンナ、森山大道、ニック・ブラント、川田喜久治、吉田亮人、西野壮平、スティーブン・ギル、上田優紀を紹介しつつ、「21世紀の写真は、ふたりが創造した世界に続く。」として、ふたりのロバート、つまりロバート・フランクとロベール・デルビールにオマージュを捧げる、何必館・京都現代美術館のキューレーター梶川由紀の文章でまとめるってのもなあ。

 まあ、多少我々のためになるっていうことであれば「じっくり見たい、目利きが選ぶ珠玉の写真集。」っていう記事くらいかなあ。

 ってなことで、はっきり言ってこの雑誌、何を目指して作っているんだろう、ってのがなんかはっきりしない雑誌なのだ。

「写真はアート」なのか、「ドキュメンタリー」なのか、じゃあ「ドキュメンタリーはアートなのか、報道なのか」というテーマにも、正直言って「迫ってない」んだよなあ。

 例えば、編集長がカメラマニアだったりすると、その編集長の趣向性が誌面にでて、それはそれで面白かったり(時には腹が立ったり)して、それがその雑誌の個性になってくるし、ドキュメンタリー志向だと、まあ、そんな方向性の写真誌になるんですけれどもね。なんかそういう「個性」が感じられない「風俗誌」ってな感じの雑誌だ。

 う~ん、「たいへんよくできました」はつけられないなあ。

 サラッと写真についてまとめてみました、って感じで写真を語って、それでよしっていう姿勢はあまり良くはないのだがなあ。なんか、CCCっていう会社の姿勢、って感じなあるんだなあ。

「軽」チャー誌としてもね。

『月刊Pen(ペン) 2020年9/1号(完全保存版 21世紀・写真論。)』/CCCメディアハウス刊)

2020年11月 1日 (日)

浅草に人通りが戻ってきた

 人通りが途絶えてしまった浅草に行ったのは何時頃のことだったんだろうか。

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 最近は多少は人出が戻って来たらしい、という話を聞いたので、天気もいいし、浅草に行ってみた。

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 確かに、一番人出がなくなってしまった頃に比べると、何となく人出が戻ってきたような感じがする。

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 とはいうものの、一時のインバウンド全盛の頃と比べるべくもないほどの人通り。

 ただまあ、昔の浅草なんてこんなもんで、日本人客しかいないのが当たり前だった。まあ、私が小学生の頃、よく遊びに来た浅草なんかはこんな感じだった。これが普通って考えてみると、インバウンド客でいっぱいになった浅草の方が異常だったってことでしょう。

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「外国人が来ない」っていうんで出て来ている日本人観光客もいるんだろうな。

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 ところで、今回浅草に行くために上野じゃなくて鶯谷で電車を降りて言問通りを歩いてきたんだが……

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 途中で「アカサカカメラ」という中古カメラ屋さん(今は「クラシックカメラ」って言うのか)を発見。

 う~ん、新しいルートを探すと、何となく新しい発見ってのもあるんだなあ。

 結構、結構!

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LEICA M-E VOIGHTLANDER ULTRA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Asakusa & Uguisudani ©tsunoken

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