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2020年10月17日 (土)

久々に深川を往く

 久々に門前仲町に行った……、ような気がする。

 まあ、そんなにずっと行っていなかったわけではないと思うんだが、なんか「久しぶり感」がするんだなあ。

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 浅草の浅草寺とは異なって、もともと外国人の観光(インバウンド)は少ない富岡八幡宮と深川成田不動尊、なので、特にコロナショックによる急激な参拝客の減少はない。まあ、浅草寺は「観光客」だし、富岡八幡宮や成田不動産は「参拝客」という違いがある。

 なので、別に以前と比べて人出が少なくなったわけではない。というか、まあ、以前と同じ位のウィークデイの人出なのであります。

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 まあ、その辺が昨日今日突然インバウンド人気で注目されちゃった浅草辺りとは違うんだぜっていう、深川人士の懐の深さっていうか、ケツメドの小ささって言うか(あれ、上げているのか、下げているのか、分からないなあ)が分かりますね。

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 元々は、池波正太郎氏の『鬼平犯科帳』で有名になった「深川」であります。

『鬼平』と言えば藤田まことじゃないでしょうか。

 テレビ朝日のその番組のおかげでクローズアップされた長谷川平蔵と深川辺りの「軍鶏(しゃも)鍋屋」なんだけれども、実は長谷川平蔵の時代に軍鶏鍋が江戸庶民の間に広まっていたのかどうかは、まあ、小説の世界ですから、わかってはいません。

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 当時の日本では「四つ足動物は食べてはいけない」という仏教由来の戒律はかなり庶民にまで行き渡っていたようですが、実は、そんなものは幕府府下の街だけの話で、地方では猪やらカモシカなんかは普通に、それらが捕らえられる地方では普通に食べていました。

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 まあ、庶民は結構普通に食事を摂っていたんですが、武士は要は「タテマエ」がある職業なんで、無理して菜食主義だったらしいんですけれども。「武士は食わねど高楊枝」って言葉自体が、実は大嘘で『「武士は食わねど高楊枝」のフリをせよ』って言うのが、まあ、江戸幕府の言う「本音」だったらしいんですよね。

 で、鬼平の軍鶏鍋。

 ………、は発見されず。残念!

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 まあ、そんなものが昔から今に至る、「日本という国の『タテマエとホンネ』」ってもんなんでしょう。

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NIKON Df Ai NIKKOR 50mm f1.4 @Tomioka ©tsunoken

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