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2020年10月

2020年10月31日 (土)

渋谷の歩道橋が広くなった

 日々変わりつつある渋谷の街。今日は、歩道橋のお話。

 周辺のビルはどんどんリニューアル、あるいはニューオープンしているんだけれでども、なかなか変わらなかった駅周辺の歩道橋。

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 まあ、周辺のビルはどんどん新しくなっているんだが、これはあくまでも民間のお金で作っている新しいビル群。

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 それに引き換え、歩道橋などの施設は渋谷区などの公共機関が作る施設である。って、ことは民間が出資して作った新しいビルが出来てから、公共機関の施設が作られるっていうのが、市街開発の原則であるから、まあ、歩道橋なんていうものは、再開発の最後の段階で作られるものなのかもしれない。

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 東口の歩道橋がリニューアルしたのはいつごろだったんだろう。

 確か、スクランブルスクエアができて、スクランブルスクエアの中からエスカレーターで2階に上がれて、そのまま渋谷ストリームまで歩道橋を渡って行けるようになって、「ああ、だんだん、人に優しい渋谷の街になってきたんだなあ」なんて考えていたんだが……。要は、渋谷駅西口の方にまでそれが行き渡って、渋谷駅西口からエスカレーターで2階に上がって、東急プラザからそのまま歩道橋に至るという道なりになってっていう訳なんである。

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 残念なのが、じゃあ「渋谷駅の西口と東口を結ぶ歩道橋があればなあ」っていうことなんですね。

 これが「未だにない」。

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 いずれにせよ「未だ渋谷は完成せず」なのであって、それこそサグラダファミリアみたいに、いつまで経っても変化をし続ける街として、永遠に変わって行く街になってしまうのかなあ。

 それはそれで、私みたいな「街の写真」を撮り続けている人間にとっては、永遠に「面白い街」なんですけれどもね。

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 まあ、面白けりゃいいんです。

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 しかし、こういう状況で「85mmレンズ絞り開放」って、あまり効果はありませんでしたね。まあ、街写真はね。

NIKON Df AF NIKKOR 85mm f1.8 open aperture @Shibuya ©tsunoken

2020年10月30日 (金)

久しぶりの川崎

 社会人Xリーグのアメリカンフットボールの試合も、コロナ禍の影響を受けて、普通なら9月にリーグ戦が始まっているんだが、今年は11月になってやっと「交流戦」の形で、リーグ戦の形式じゃなくて、単なる交流戦として行われるようだ。緊張感ないなあ。でも、しょうがないか。まあ、プロじゃないから、そんなに緊張感をもって順位を争わないってところなんでしょうね。

 まあ、大学のアメリカンフットボールも、今年はリーグ戦じゃなくて、トーナメント戦形式(それも無観客試合)になってしまうようで、残念なことこの上もない。

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 ってなことで、普段は9月には第1戦が行われるはずの川崎球場へ行ってきてみた。

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 アメフトを見に行くときは、普通、川崎駅前から川崎市バスに乗って教育会館前まで行ってしまうんだが、まあ、今日はアメフトの試合があるわけではなく、ということは行かなければならない時刻があるわけでもなく、ということで、川崎駅前から歩いてみた。

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 バスで行くと、川崎駅前から市役所前を通って、教育会館前で降りるんだが、歩きになると(川崎)仲見世通りを通っていくが普通のルートなのかなあ。

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 しかし、川崎のメインストリートである、仲見世通りとか銀柳街って、なんかあまり好きになれない通りなんだよなあ。

 それでも、今日は「歩いて行くんだ」ってことがテーマなんで、取り敢えず仲見世通りを歩きます。

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 で、まあ、川崎球場前までは行ったんだけれども、どこかの大学(かなあ)ラクロス部が練習をしているだけで、当然、何かの試合が行わているわけではありません。

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 ってことで、川崎からは帰還。

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 う~ん、何のために川崎まで行ったのかなあ。

 川崎名物「大師巻き」(品川巻きの大きいやつ)も、どうも午前中に売り切れちゃうんですね。

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 行ったのが、遅すぎました。

NIKON Df AF NIKKOR 50mm f1.8 G 絞り開放 @Kawasaki ©tsunoken

2020年10月29日 (木)

東京周縁部を往く・京成高砂から矢切の渡しまで

 久しぶりの柴又帝釈天なので、そのちょっと手前の京成高砂から歩くことにする。

 普通、柴又帝釈天に行くには、京成高砂から京成金町線に乗り換えれば、次の駅が柴又で、帝釈天の参道に出る。っていうか、金町線って「高砂ー柴又ー金町」っていう3駅だけの路線なんで、まあ、東武伊勢崎線の西新井から大師前まで約900メートルを歩くみたいなものなのであります。

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 つまり、「歩くこと」に特に意味はない。

 少しでも「旅気分」を味わいたいというだけのこと。「街歩き=旅気分」っていうだけの、たわいのない「旅気分」なんですけれどもね。

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 京成高砂駅を出て、駅前の通りを北進して、適当なところで右折すると、京成金町線の踏切を過ぎて、柴又街道に出るので、そこを左折すると、もうすぐに柴又に出てしまいます。

 まあ、あまり「街歩き」としては面白くないかな。

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 もうね、もういい加減嫌になっちゃうくらいに来た柴又駅前と帝釈天の参道です。

 別に「寅さん」とか「サクラ」の銅像にも興味はなく、粛々と、帝釈天参道を歩きます。

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 昔、松竹で「寅さんの生地を『柴又帝釈天』にするか『西新井大師』にするか」でもって喧々諤々の論争になって、結局、山田洋次監督の考え方でもって、「柴又帝釈天」に決まったっていう話を聞いた時、西新井大師派(つまり、足立区西新井に住んでいた)の私は「もう絶対柴又帝釈天なんかは認めないからな」ってな気分になったのであります。

 ついでに山田洋次氏も大嫌い。

 いやあ、「寅さんシリーズ」が西新井大師だったら、西新井大師の参道も、柴又帝釈天の参道くらいには賑やかになっていたんだろうなあ。今や、「往時の賑わいは……」ってなもんです、西新井大師は。

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 ってな感じで、取り敢えず柴又帝釈天の参道は、まあしょうがないので歩くんだけれども、参詣するつもりはありません。

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 って、ことで帝釈天は山門の前で右に折れて、帝釈天を迂回して江戸川沿いの土手に上がるのです。

 江戸川の土手に上がれば、そこは江戸川サイクリングロードです。

 以前は、荒川放水路のサイクリングコースから葛西臨海公園を経て、旧江戸川河口から関宿町まで走っていたロングコース(往復100km以上!)の一つだったんだけれども、最近は走っていないなあ。

 まあ、もう「ジジイ」ですもんね。

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 しかし、今でも柴又と松戸を結ぶ「矢切の渡し」は、松戸市なのか葛飾区なのかは知らないけれど、そのどちらかの(あるいは双方の)出資でもって運営されています。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT 28mm f2.8 @Takasago & Shibamata ©tsunoken

2020年10月28日 (水)

谷中銀座の昨今

 結局、インバウンド頼みの東京の観光って、こういうことなんだなあ。

 とにかく、都内の街はどこもそんな状況なので、外人がいなくなっちゃうと、ホント寂しい街になったしまうんですね。

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 ここ「夕焼けだんだん」の下にある谷中ぎんざも事情は同じく、もともと人がいっぱいいた頃には気にしなかったんだけれども、少なくなってしまうと、やっぱり外国人客が多かったんだってことを身にしみて感じさせる。

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「夕焼けだんだん」の脇に沢山いた野良猫も今はいなくなっちゃったし……

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 谷中ぎんざの店も何となく入れ替えがあるようだということに気がつく。

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 勿論、「街は新陳代謝する」のが当たり前だから、当然、店だって入れ替わる。

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 ところが人がいっぱいだと、そんなことにもあまり気がつかないまま、過ごしてしまうんであります。

 たまには人通りの少ない繁華街に行くってのも面白い発見が出来ますね。

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LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Yanaka ©tsunoken

2020年10月27日 (火)

大田区山王ジャーマン通り

 大井町駅のお隣が大森駅である。

 実は大森駅というのは、なかなか歴史的な存在で、1876年(明治9年)新橋 - 横浜間開業の4年後に開業した駅である。京浜間の電車運行開始後は客車列車の通過が増え、昭和初期に停車がなくなって電車専用の駅となった。

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 で、今でも京浜東北線に乗っていて、東京方面から大森駅に接近すると、右側(山側)に見えるのが1877年(明治10年)のエドワード・S・モースが発見した大森貝塚の碑。

 その碑の丁度裏側の大森駅から大井町駅へと続く池上通りと丁字路で繋がっているのが、「ジャーマン通り」という愛称の付いた補助40号線という道路である。

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 何故、「ジャーマン通り」なのかというと、東京横浜独逸学園(ドイツ語Deutsche Schule Tokyo Yokohama; DSTY/現・横浜市都筑区茅ケ崎)という学校が、関東大震災で横浜から移り、1991年まで当地にあったということに因んでつけられた愛称だそうだ。

 ドイツ学園は既になくなっているのだが、道路の愛称だけは残っているというわけ。

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 この大森駅山王口から環七通りへ抜ける1キロほどのジャーマン通りの両側、大田区山王一丁目・二丁目は結構な邸宅町で、ジャーマン通りを谷底として、両方へ登っていく山の道なのである。

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 そんな山道と言うかお屋敷町の道を進んでいくと、まず出てくるのは尾崎士郎記念館である。尾崎士郎が44歳から1964年に66歳で没するまで住んでいた家で、それが現在は記念館になっている。

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 尾崎士郎記念館からほんの少し上ると、徳富蘇峰の旧邸だった大田区立山王草堂記念館(蘇峰公園)がある。ほとんど、山のてっぺんみたいなところにある徳富蘇峰の旧邸。さぞかし昔は眺望の良いところだったんだろうなあ。

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 なんてことを考えながら山を下りてくると、環七通りとの交差点に出てくる。

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 そこには馬込銀座という表示が。

 あ、そうかここは馬込文士村の一部だったんだ。馬込文士村には以前にも来たことがあったんだけれども、その時は都営地下鉄の馬込駅から歩いたのでちょっと違う場所だったんだけれども、考えてみれば、馬込と山王は裏道で繋がっている場所だったんだ。

LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @San-no Ota ©tsunoken

2020年10月26日 (月)

江戸東京博物館の企画展示は「大東京の華」

 両国にある江戸東京博物館で現在行われている企画展は「大江戸の華 都市を彩るモダン文化というもの、東京という街の発展を「モダン文化」という視点から解説しようという企画だ。

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 まずは「プロローグ 近代、東京の幕開け
 明治時代、欧米諸国との対等な関係を築くため、西洋の制度や文化が積極的に取り入れられました。東京では西洋の様式を取り入れた大規模な建築や街並みが誕生し、文明開化の象徴として人々の注目を集めました。また、上流階級の女性たちの華やかなドレス姿は、錦絵の新たな主題として頻繁に取り上げられました。
当時の人々の目に新鮮に映った、明治の東京の様子を紹介します。」

 として、全体は3部構成になっている。

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 第1章 ひろがる大衆文化
 明治末から大正にかけて、西洋文化は庶民の生活の中にも徐々に取り入れられていきました。
 それまでの呉服店は百貨店となり、鮮やかな広告は人々の目を惹きつけました。都市には劇場やカフェなど新しい娯楽の場が誕生し、丸の内はオフィス街として発展しました。都市の新しい姿は、帝都東京の新名所として絵葉書で盛んに紹介されました。
 本章では、大衆の間で親しまれた品々を紹介します。

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第2章 よみがえる都市、大東京
 1923年(大正12)年9月1日に発生した関東大震災で、東京の街は甚大な被害を受けました。しかし、大規模な復興事業により新たな建築や公園、道路、橋などの建設が進められ、近代的な都市へと生まれ変わりました。
さらに鉄道の発達や郊外の開発も進められ、この頃から「大東京」と称されるようになります。
版画や絵葉書、写真などに写し取られた「大東京」の姿を紹介します。
 

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第3章 華開くモダン文化
 大正時代から女性の社会進出が徐々に進み、震災以降、社会で活躍する女性たちの姿が注目されるようになりました。1930年代に入ると、洋装に身を包んだ「モダンガール」と呼ばれる女性たちは、決して珍しい存在ではなくなりました。人々は自由におしゃれを楽しみ、カフェやダンスホールなど、モダンな都市生活を謳歌おうかするようになりました。
また、当時ヨーロッパで流行したアール・デコ様式が日本でも流行し、着物の柄や様々な調度品、広告などに幅広く取り入れられました。
震災を乗り越え、賑わいを取り戻した東京。そこに集う人々に焦点を当てます。 

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 ということで、明治から昭和初期までの東京の街としての発展の様子をモードの変遷や、百貨店のポスター、雑誌などの「文化の表層」から取り上げて見せていくというもの。

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 しかし、私が見て一番面白かったものは、この「行政区画の変遷」という実は一番マイナーな展示。

 明治初期から100年余りにわたって、ものすごい勢いで増殖してきた東京という街を表した展示なんだが、『「明治11年(1878年)~15区6群制』『明治22年(1889年)~東京市の誕生(15区)』『昭和7年(1932年)~大東京の成立(35区)』の三つのエポック「江戸から東京へ」「首都・東京の成立」「関東大震災からの復興」というそれぞれのエポックメイキングの時期の、東京の範囲と、行政区分の変遷を描いた図面なんだが、なんか、やはり東京という街の発展のスピードはスゴイな、という形容につきる。

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 江戸東京博物館『大東京の華』は11月23日まで。江戸東京博物館の公式サイトはコチラ

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Edo Tokyo Museum ©tsunoken

2020年10月25日 (日)

『菅義偉・研究』

「安倍政権を引き継ぐ」といって自由民主党総裁・総理大臣になった菅義偉氏なのだが、今のところ何もしていないにもかかわらず、日本学術会議の会員問題で早くもミソをつけてしまっている。

 う~ん、どうなるんだろうか。短期政権なのか長期政権なのか、何を目指しているのかまったく分からないのが菅政権の特徴だ。

Photo_20201023124801『菅義偉・研究』(島野清志・著/Kindle版/2020年9月刊)

 著者の島野清志氏は公社債新聞社出身の経済アナリスト。「この会社が危ない」「この会社が勝つ」「危ない大学・消える大学」などの著書を持つ人物だ。

 ということで、菅政権についての切り込み方法も、やはり景気政策が基本になる。

 目次は以下の通り。
①政権は短命か?それとも意外に?
 ●新政権のこれからを予測する
 ●短命政権の境界線を2年未満と設定してみる
②経済・景気はどうなるのか
 ●経済(景気の動向)が首相の任期を決める
 ●とっくに終わってしまったアベノミクス景気
③株式市場の気になるサイン
 ●年末に確定する株式市場の不吉な形状
 ●もっとも苦手な課題を背負った日本経済
④過去の類似例からわかること
 ●緊急避難型政権の顛末
⑤傍流(非閨閥・非官僚系)総理の限界
 ●自民党の政権史が教えること
⑥叩き上げの経歴が泣きどころになる
 ●誰でもわかるプロフィールの不透明な部分
 ●なぜそこまで伏せる必要があるのだろうか
⑦政権の幕引きはこうなる
 ●ご当人も長く居座るつもりはないのでは
 ●淡々と去ることが日本にとっては幸いする

 基本的に言ってしまうと『さて2020年9月14日、第99代首相の座に就任した菅義偉が率いる政権は長期、短期いずれの枠に入るのか?
 ほぼ間違いなく、2年以内の在任日数に留まる、短期政権になるであろう。さらに言えば、安倍政権の前に1年前後で、就任、退任を繰り返した典型的な短命政権の仲間入りする可能性も十分にある。』ということである。

 経済的には『とっくに終わってしまったアベノミクス景気』ということであり、『景気の後退や、株式相場の変調が示すように、従来の景気刺激策は限界にきている。残されているのは、アベノミクスが積み残した、規制緩和や民間及び個人の競争力を高める成長戦略だが、これは多かれ少なかれ格差を拡大するものであり、政権の支持率を引き下げ、票を散らす不人気政策になりやすい』ということ。

 アベノミクスが終わってしまっている(というか、初めから動いていなかったんですけれどもね)状況にある以上、アベノミクスとは別の経済政策を生み出さなければいけないんだけれども、政財界にブレーンを持たない菅義偉にはそう人がいない、というマイナス点がある。

 まあ、多分「青天の霹靂」でもって首相になってしまった菅氏にしても、自分の政権が長期的に続くものだとは考えていないのだろう。

『就任以来、首相は任とは思えない、大向こうを意識した勇ましい発言を繰り返している。何かに追われて、むやみにタクトを振り回しているようにも映り、どこか痛々しい。これでは続くまい。』

 ということだ、しかし、こういう危ない点もあるようだ。

『(横浜)市議になって2期目には「影の横浜市長」と呼ばれるほどの権勢を得ていたと言う。後年首相になったくらいだから「出藍の誉れ」であったのかもしれない。しかし、、それにしても当選2期目の議員である。国内五大都市のひとつである横浜クラスの市議になれば、数回以上当選しているようなベテランは存在するはずだ。如何に辣腕であったとしても、急逝した国会議員の後釜になるには早過ぎる印象は否めない。もとより地方の政界とは一視同仁のコミュニティだ。選挙区も市内の繁華街、歓楽街を擁するエリアでもある。主要先進国のトップとして適性を欠くような、健全とは呼べない人脈とつながりがあっても、特に不思議ではあるまい。』

 う~ん、もしかして現在カジノ誘致でもめている最中の横浜である。なんか、そちらのほうできな臭い匂いがするようだなあ。

 大丈夫かなあ、菅義偉。って言っても、別にすぐに菅政権が潰れても、今のところウチの経済には関係ないから、いいか。

『菅義偉・研究』(島野清志・著/Kindle版/2020年9月刊)

 紙版はありません。本書はたかだか、紙版にすれば27ページ程度のパンフレットほどの分量しかない。

 多分、島野氏としては、本書をベースとして、この骨格で、新たに紙版の本を書くのではないだろうかと思う。多分、こうした電子版の使い方(取り敢えず、電子版で「お試し」をやってみる)も、これからはいろいろ出てくるんだろうな。

2020年10月24日 (土)

西大井には行かないで……

 普段、ニコン大井工場跡(現・大井製作所)を訪ねた後は、光学通りを突き当たって右に折れ、JR横須賀線・湘南新宿ラインの西大井駅から帰ってくる、っていうのが定番だったんだけれども、左に折れて帰ってくるという今まで通ったことのない通りを歩いて帰って来た。

 昔、永六輔さんが言っていた「横丁を曲がれば、旅が始まる」ってやつですね。まあ、私の街歩きっていうのも、その私なりの変形なんですがね。要は、これまで曲がった道じゃないほうの道に行くとことがそれが旅だ、ってことですね。

 まあ、別に何を期待するわけでもないけれども、取り敢えず、今まで曲がったほうと逆の方向へ曲がってみると、これまでとは異なった風景が見えてくる、というのが「旅」の面白さじゃないですね。

 あ、えー言っときますけれども、「駒込から大井まで行く」ってことだけでも、江戸の昔は「旅」だったんですよ。

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 まあ、それはいいとして、私の期待としては、出来ればそのまま大井町より一つ先の大森駅の方向に行って欲しかったんだけれども……。

 なかなか、そんな街歩き素人の思い通りにはなりません。

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 取り敢えず、その滝王子通り沿いに歩いてみます。

 まあ、この辺は「いずれはどこかの知っている場所に出る」っていう、東京ならではのイイカゲンさというか、安心感があるんですね。

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 滝王子通りを歩いていると、なんか大井警察署前に出てきます。

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 ってことは……、なんて考える暇もなく、結局、池上通りに出てでしまうんですね。

 それも、大森駅近くじゃなくて大井町が近いところ。

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 大井町と大森を結ぶ池上通りは、現在、拡幅工事が予定されているようで、それなりに無くなってしまう店とか、新しくできる店とか、いろいろな展開があるんだろうなあ……、っていうか、そうならなくては再開発の意味はない。

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 ってなことを考えているうちに大井町の駅そばに来てしまったじゃないか。

 う~ん、まあ、大井町も昔からの町なので、それこそそこそこの大きさの町だったんだろうな。

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 まあ、意外と大井町と西大井が近かったっていうだけの話。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm F2.8 @Oi ©tsunoken

2020年10月23日 (金)

ニコン大井工場の跡地利用はまだ決まっていないのか

 ニコンネタ繋がりってわけでもないですけれどもね……。

 JR京浜東北線大井町駅を降りたら、取り敢えず光学通りですよね。

 って書いてから、「あれっ? これって以前書いたことがある書き出しだなあ」と調べてみたら、今年の1月30日のブログ「ニコン大井製作所がなくなったんだけれども」の書き出しと全く同じ書き出しなのでありました。

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 1月30日の段階ではまだ跡地の再利用については決まっておらず、地元品川区議会でも共産党と自民党でそれぞれの思惑があって、それもまとまっておらず。勿論、ニコンの工場の跡地なので、跡地の再利用に関してはニコンの私有地なので決定はニコン次第だったので、「まあ、いずれにせよ東京のど真ん中にこんな空き地を持っていられるなんて、まあしばらくはニコンも安泰、ってことなんでしょうね。」なんて暢気なことを書いてまとめにしたんだけれども、それから9ヵ月も過ぎて、そろそろ跡地がどんな風になっているのか気になったので、見に行った。

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 このあたり「品川区西大井」という場所は、ニコンの大きな工場があった場所なので工場地帯かというと、さにあらず。

 JR横須賀線と湘南新宿ラインの西大井駅のそばに小さな商店街と大きなマンションがある以外は、殆どが住宅地なんであります。

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 ニコン大井工場のそばまで来ると、そんな昔の住宅地の象徴ともいうべき「お風呂屋さん」が今でも営業中です。

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 で、ニコン大井工場の跡地まで来てみると、な、な、なんと未だに工場跡地は更地になったまんまなんですね。

 どこかに再開発の看板でもないだろうかと歩き回ったんだけれども、どこにもそんな看板はない。

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 本当に、ニコンはこの工場跡をどうするんだろう。

 戦後のレンジファインダー時代から、時代を作ったニコンF以降の一眼レフの聖地である、この大井工場跡地がどうなるのか気になるなあ。

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 なんてことを言いながら、ニコンに尊敬の念を払ってニコン一眼レフ……じゃなくて、ライカで撮影しているって、これまたどうなんでしょうねえ。

 ここはウェッツラーじゃないぞ! 罰当たりめ!

 しかし、ウェッツラーにある「エルンスト・ライツ・ストラッセ」って、そうか、日本で言えば「光学通り」なんですね。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Oi ©tsunoken

2020年10月22日 (木)

銀座ニコンサロンがなくなった

 GINZA SIXの裏にあったニコンプラザ銀座が10月17日に閉館した。ということは、銀座ニコンサロンも一緒になくなったというわけ。

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 ニコンサロンの歴史としては『1968年1月13日、ニコンの創立50周年を記念し、銀座三丁目の松嶋眼鏡店3階に開設された。尚、第1回写真展は「木村伊兵衛の眼」だった。
 その後、1971年6月に新宿、1974年3月には大阪に、それぞれサロンが開設されている。
 2006年10月7日、それまで銀座五丁目にあった銀座ニコンサロンが銀座七丁目に移転した。』というもの。

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 勿論、カメラ&レンズメーカーとしてのニコンの社会活動がそれですべて終了したわけではなく、新宿にあるニコンプラザ新宿を10月23日にニコンプラザ東京としてリニューアルオープン。以前あったTHE GALLERY新宿1・2を、新たにニコンプラザとしてオープンする予定だ。

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 ただ、これまで銀座と新宿に二つあったニッコールクラブ会員のためのTHE GALLERY1とその他の写真家のためのホール、THE GALLERY2と、合計3か所あったニコン東京のギャラリーが1か所になってしまうというわけで、写真家の発表の場が減ってしまうのは、ちょっと残念。

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 まあ、銀座に限って言ってしまえば、ライカはあるし、キャノン・ギャラリーも銀座3丁目にあるし、その他の一般ギャラリーも銀座には沢山あるし、銀座1丁目にはフジフイルムのサロンもある。

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 しかし、品川にニコン本社が移って、ニコン羊羹でお馴染みの、博物館ニコンミュージアムは出来たんだけれども、作品を発表するサロンは出来なかったのはちょっと残念。

 品川にはニコンサロンは作らないのかなあ。キャノンのギャラリーは品川にもあるぞ。

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 これからは新宿詣でですかね。

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LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Ginza ©tsunoken

2020年10月21日 (水)

CEATECが開催されたんだけれども

 昨日(10月20日)からCEATEC 2020 が開催されている……、っていってもいつもの幕張メッセじゃなくて、オンライン開催なんだけれどもね。

 勿論、例の「コロナ禍」のせいなんだけれどもね。

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 例年、10月・11月はこんなイベントが多くて、結構、幕張メッセ通いが多くなるんだけれども、今年はすべてのイベントがオンライン開催となってしまったようで、ちょっと寂しい。

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 CEATECは、元々はエレクトロニクス・ショーといって、エレクトロニクス(現在は「IT」なんていったりしていますがね)関連のメーカーや業界団体が参加して、次世代のIT関連に関する提案やプレゼンテーションの場であった。

 数年前には自動車メーカーの参加が盛んになってきて、次世代のITはクルマが推進するなんていって、自動運転システムなどの技術を競って各社展開。クルマを自動運転する様をプレゼンするためにそれこそ幕張メッセの2ブース全体を占領して、各社の自動運転システムを発表していたことなど、つまり「ITの未来はこうなる」ってものを、実際にシロウトの私たちにもわかるように(?)展示していたものである。

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 つまり、「実際にモノを見せる」ってことで、シロウトにもわかるような展示方法がとれたっていうことなんですね。

 それがオンライン開催ということになってしまうと、そんな「シロウトだまし」の展示はできなくなってしまって、もうちょっとプロっぽくないとあまり面白くない。

 要は、私なんかのド素人の展示会参加方法っていうのも、まさしくド素人ならではの方法で、要は、まず幕張メッセの会場に入って、取り敢えずひと回りして、面白そうな展示をしているメーカーのブースを見つけたら、それをチェックして、あとはそれらのブースを見て回るという感じで、まあ、満足して帰ってくるんだ。

 まあ、それでもって全体の雰囲気やら見ものの展示なんかをブログで紹介するんだけれども、まあ、オンライン開催だと、それができなくなってしまうんですね。

 なので、このブログもなんか「何を言いたいのかわからない」ブログになってしまうんですね。

 まあ、「コロナウィルス禍」の真っ最中じゃしょうがないけれども、まあ、こうしたことも産業の鈍化につながっていくんだろうな。

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 私にとってはCEATECより重要な、映像関係のイベント「Inter BEE 2020」は11月18日から20日までの予定なんだが、こちらも幕張メッセでの開催じゃなくて、やっぱりオンライン開催になるようだ。

 このまま行っちゃうと、今年は開催中止となったカメラショー「CP+ 2021」もオンライン開催になっちゃうんだろうか。取り敢えず2021年2月25日から28日までパシフィコ横浜で開催予定になっているんですけれどもね。

 まあ、それまでにこのコロナウィルス禍が収まっている予想は立っていないしなあ。

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©CEATEC(CEATEC 2020のオンラインサイトよりスクリーンショット)

CEATEC 2020は10月20日より23日まで、公式サイトはコチラ

2020年10月20日 (火)

神田までの道すがら

 コーヒーのストックがなくなったので、神田の斎藤コーヒー店まで買出しに行く。

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 以前は普通神田までなら上富士の我が家から歩いて行ったんだが、ここのところちょっとズルして電車で行ったりしている。

 それではイカン、ということで久々に本郷通りを歩いてお茶の水経由で神田まで行くことにする。

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 本郷通りにはお寺が沢山あって、中には名刹と呼ばれるようなお寺もあるんだが、それをテーマにしちゃうと、もうちょっとそれらの寺についての知識を予備取材して行かなければならないのだが、今日はそんな予習もしていないので、まあ、寺については無視をします。

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 てなことを考えながら歩いていると、やがて本郷の東大前に至ります。

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 東大前まで来たら、やっぱりここへ行かなければっていうことで、本郷森川町交番前に行きます。

 木村伊兵衛氏の有名な写真「本郷森川町交番」の撮影場所です。勿論、今は交番はなくて消防団の倉庫になっています。木村氏は多分50mmレンズ付きのフィルムライカで撮影したんだと思いますが、私は28mmレンズのデジタルライカです。

 まあ、そのスペックの違いが、「木村氏の写真=名作」vs.「tsunokenの写真=駄作」の違いになっているのかしら。いやいや、そんな単純なものではありません。つまりは……、両者の「写真感覚の違い」ってなもんでしょう。

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 途中で雨が降って来たので赤門前かお茶の水でショートカットしちゃおうかとも思ったんだけれども、それでは本日の趣旨にはそぐわないので、とにかく斎藤コーヒー店までは歩こうと心に決め、歩き出す。

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 まあ、お茶の水からはとにかく下り坂なので、まあ、歩くのはラクです。

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 斎藤コーヒー店は神田駅から東京駅に向かって、神田駅を出たすぐ右側に見えます。

 まあ、学生時代に、当時神田駿河台にあった中央大学から白門を出て靖国通りの出る少し前の右側の地下に、斎藤コーヒー店のお店があった関係でよく通っていた。その県警で、未だに斎藤コーヒー店のコーヒーを飲んでいるだけなんだけれども、なんとなく安心できる味ではあります。

おLEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Hon Komagome, Hongo & Kanda ©tsunoken

2020年10月19日 (月)

『読んでいない本について堂々と語る方法』なんてあるんだなあ

 えっ? そんな方法があるのだろうか? 本当にあるのならば、たまに本について書くことがある私のブログにも応用できる、いやあブロガーのためのHow to本ですよね。

 どうせ、フックだろうと思いながら本を開いた。

Photo_20201010150701 『読んでいない本について堂々と語る方法』(ピエール・バイヤール・著/大浦康介・訳/ちくま学芸文庫/2016年10月10日刊)

 各章・説の書き出しから引用。まあ、これだけ読めば本書を読んだことになるのかな。

Ⅰ 未読の諸段階(「読んでいない」にも色々あって……)

Ⅰ-1 ぜんぜん読んだことのない本
 大事なのは、しかじかの本を読むことではなく(それは時間の浪費である)、すべての書物について、ムージルの作中人物がいう「全体の見晴し」をつかんでいることであるという話。

Ⅰ-2 ざっと読んだ(流し読みをした)ことがある本
 ヴァレリーの例が示すように、ある本について文章を書くには、その本をざっと読んでいれば十分であり、ちゃんと読むことは場合によってはむしろよろしくないという話。

Ⅰ-3 人から聞いたことがある本
 ウンベルト・エーコが示しているように、たとえ本を入手したことがなくても、他の読者が述べていることを聞いたり読んだりしていれば、本について詳しく語ることができるという話。

Ⅰー4 読んだことはあるが忘れてしまった本
 読んだけれど忘れてしまった本や、読んだことすら忘れてしまった本は、それでもやはり読んだ本のうちに入るのかを、モンテーニュとともに考える。』

Ⅱ どんな状況でコメントするのか

Ⅱ-1 大勢の人の前で
 グレアム・グリーンの小説では、主人公の作家が、満場のファンの前で、自分が読んだこともない本について熱心に意見を求められるという悪夢のような状況に直面する。

Ⅱ-2 教師の面前で
 ティヴ族の例が示すように、ある本を全く読んでいなくても、それについてまっとうな意見を述べることはできるという話(専門家はこうした意見に不満かもしれないが)

Ⅱ-3 作家を前にして
 ピエール・シニアックが示すように、ある本について、それを書いた作家の前で話さなければならないときには——とくに作家自身がその本を読んでいないときは——言葉に気をつけた方がいい場合があるという話。

Ⅱ-4 愛する人の前で
 ある人を、その人の愛読書だが自分は読んだことがない本の話をして誘惑するにはどうしたらいいか。ビル・マーレイと彼のウッド・チャックの話は、その場合の理想的な方法は時間を止めることだと教えてくれる。』

Ⅲ 心がまえ

Ⅲ―1 気後れしない
 ディヴィッド・ロッジの小説にもあるように、読んでいない本について語るための第一の条件は気後れしないことだという話。

Ⅲ-2 自分の考えを押しつける
 バルザックが示しているように、書物というものは不断に変化する対象であり、インクに浸した紐をかけてもその変化を止めることはできない。それだけに書物について自分の観点を押しつけるのは簡単だという話。

Ⅲ-3 本をでっち上げる
 漱石の小説を読みながら、一匹の猫と一人の金縁眼鏡の美学者が、活動分野はちがうもののいずれも大ぼらを吹くさまを観察する。

Ⅲ-4 自分自身について語る
 オスカー・ワイルドとともに、一冊の本を読むのに適した時間は10分であると結論する。これを守らなければ、本との出会いはなによりも自伝を書くための口実であるということを忘れかねないからである。』

 わかりますか? わっかんねぇなぁ、っていうアナタ。その態度は正しい。

 翻訳者による文庫版への「あとがき」にうまいことが書いてある。

『この本には、誰もがものを書くインターネット時代の読者の関心にフィットする何かがある。この時代は、テレビ・ニュースの街頭インタヴューで主婦や子供が臆することなく意見を述べる「一億総評論家」時代でもある。いや、カフェでも、スポーツクラブでも、病院の待合室でも、バス停でも、老若男女が時事ネタや芸能ネタについてコメントする。もちろんツイッターもある。それを使えば発信したことは瞬時に「拡散」される。本についての情報を得るのも簡単だ。パソコンやスマートフォンのキーを叩くだけで広大な「共有図書館」が目の前に展開する。電源が確保されているという条件で、人は一時代前には考えられなかったほど「物識り」になれるのである。こんな時代に、多くの人間は本をていねいに読む暇などないし、またその必要も感じない。立ち読み、盗み読み、斜め読みはむしろ常態である。しかもコメントする機会は無数にある(たとえそれがしばしば「つぶやき」でしかないとしても)。つまり彼らはピエール・バイヤールの教えをすでにある程度実践している人々なのだ。』

 ううむ、見事に大浦氏に当てられてしまった。

 困ったなあ……。

 って、別に、私が困ることはないのであった。

『読んでいない本について堂々と語る方法』(ピエール・バイヤール・著/大浦康介・訳/ちくま学芸文庫/2016年10月10日刊)

2020年10月18日 (日)

横浜は海岸通り

 横浜に行って桜木町の駅で降りると、普通よく出るのは西口側で、そこから野毛や黄金町方面へ出て、伊勢佐木町を通って関内に至る、っていうコースをたどることが多いんだけれども、この日は珍しく、東口へ出て山下公園方面へ行くことにした。

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 と言っても、みなとみらい方面へは行かずに本町通りを直進して馬車道で万国橋通りへ左折、万国橋に至る前に右折して横浜海岸通りに入る。実は、この横浜海岸通りから山下公園通りにかけての道なりが、私が好きな横浜の街なのであります。

 桜木町、野毛、伊勢佐木町って、要は横浜の繁華街巡りですもんね。それはそれで面白い時もあるんだが、まあ、普通はやっぱり繁華街中心なんだってことで、飽きられてしまっている街でもあるんですね。

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 横浜海岸度通りを歩くと、まず最初に目に入るのは日本郵船の旧本社であります。

 三菱グループの日本郵船は現在は本社をグループのお膝元、丸の内に持って行っているが、昔はここ横浜に本社がありました。「NIPPON YUSEN KAISHA」というのが英語表記で実際に外国では「NYK LINE」などと呼ばれています。

 現在は日本郵船歴史博物館を併設する日本郵船横浜支店です。

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 この日本郵船歴史博物館の別館ともいうべきなのが、山下公園に係留されている氷川丸なんですね。

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 日本郵船旧本社前を通過して山下公園方面へ進むと、次に現れるのが横浜税関です。

『もともと1859年(安政6年)横浜開港と同時に開設された「神奈川運上所」が横浜税関の出自。その後、1923年(大正12年)に関東大震災で被災しましたが、1934年(昭和9年)に現在の形で再建されて、『当時は緑青色のドームがシンボルで、「クイーンの塔」として親しまれている。神奈川県庁本庁舎(キングの塔)、横浜開港記念会館(ジャックの塔)とともに「横浜三塔」の一つに数えられる。横浜市認定歴史的建造物(2001年度認定)。
 当初高さ47mで計画されていた税関庁舎は、第22代税関長であった金子隆三の「日本の表玄関たる国際港横浜の税関の庁舎とするなら、高くすべき」との意見により4m高くされ、高さ51mの横浜税関庁舎が完成した。完成当時は横浜で最も高い建物であった。』(Wikipedia)

 う~ん、なんか昔からお役人ってのは、クダラナイ見栄を張るもんなんですねえ。

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 さらに進むと……

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 左折すると大桟橋の方へ至る変形の十字路があって、その先は山下公園に至ります。

 この交差点近辺の飲食店の佇まいも結構気に入っています。

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 山下公園通りに出ると……

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 まあ、いつものホテルニューグランド前を通って元町方面へ行きます。

 ニュー・グランドと言えば「シーフードドリア」「スパゲッティ ナポリタン」 「プリン ア ラ モード」なんだけれども、今はそんなものもお客さんは注文しなくなっちゃったのかなあ。

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LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Yokohama ©tsunoken

2020年10月17日 (土)

久々に深川を往く

 久々に門前仲町に行った……、ような気がする。

 まあ、そんなにずっと行っていなかったわけではないと思うんだが、なんか「久しぶり感」がするんだなあ。

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 浅草の浅草寺とは異なって、もともと外国人の観光(インバウンド)は少ない富岡八幡宮と深川成田不動尊、なので、特にコロナショックによる急激な参拝客の減少はない。まあ、浅草寺は「観光客」だし、富岡八幡宮や成田不動産は「参拝客」という違いがある。

 なので、別に以前と比べて人出が少なくなったわけではない。というか、まあ、以前と同じ位のウィークデイの人出なのであります。

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 まあ、その辺が昨日今日突然インバウンド人気で注目されちゃった浅草辺りとは違うんだぜっていう、深川人士の懐の深さっていうか、ケツメドの小ささって言うか(あれ、上げているのか、下げているのか、分からないなあ)が分かりますね。

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 元々は、池波正太郎氏の『鬼平犯科帳』で有名になった「深川」であります。

『鬼平』と言えば藤田まことじゃないでしょうか。

 テレビ朝日のその番組のおかげでクローズアップされた長谷川平蔵と深川辺りの「軍鶏(しゃも)鍋屋」なんだけれども、実は長谷川平蔵の時代に軍鶏鍋が江戸庶民の間に広まっていたのかどうかは、まあ、小説の世界ですから、わかってはいません。

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 当時の日本では「四つ足動物は食べてはいけない」という仏教由来の戒律はかなり庶民にまで行き渡っていたようですが、実は、そんなものは幕府府下の街だけの話で、地方では猪やらカモシカなんかは普通に、それらが捕らえられる地方では普通に食べていました。

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 まあ、庶民は結構普通に食事を摂っていたんですが、武士は要は「タテマエ」がある職業なんで、無理して菜食主義だったらしいんですけれども。「武士は食わねど高楊枝」って言葉自体が、実は大嘘で『「武士は食わねど高楊枝」のフリをせよ』って言うのが、まあ、江戸幕府の言う「本音」だったらしいんですよね。

 で、鬼平の軍鶏鍋。

 ………、は発見されず。残念!

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 まあ、そんなものが昔から今に至る、「日本という国の『タテマエとホンネ』」ってもんなんでしょう。

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NIKON Df Ai NIKKOR 50mm f1.4 @Tomioka ©tsunoken

2020年10月16日 (金)

HIBIYA OKUROJI の隣は URACORI

 ってことで、 HIBIYA OKUROJI に行ったんだが、HIBIYA OKUROJI は山手線の隣のビルで言うと、帝国ホテルから東京電力本社ビルの辺りで終わるんだが、実はその先にも OKUROJI があったんですね。

 あ、いや、 OKUROJI じゃなくて OKUROJI みたいな施設っていうか、まあ、こちらは純粋に飲食店街なんですがね。

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 OKUROJI を出ると東京電力本社と第一ホテルアネックスの間の道に出るんだけれども、その道の銀座寄りの方に少し小さな入口がある。

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 皆、 OKUROJI の方ばっかり行っちゃって、そこが終わると、また有楽町方面に戻ったり、銀座方面に行っちゃったりするんだけれども、その銀座方面へ行っちゃうと、そこにあるのが銀座コリドー街なんだけれども、その手前で高架下に入るとあるんですね。

「銀座裏コリドー街 URACORI」です。

 第一ホテルアネックスから新橋駅のそばまで繋がっています。

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 まあ、こちらは単純に「コリドー街の裏だからウラコリ」ってことなんですね。

 運営しているのは OKUROJI と同じJR東日本なんだから、一緒に売り込むっていうか、 OKUROJI との流れで売り込めばいいのにね。まあ、こちらは飲食店街なので OKUROJI とはちょっとコンセプトが違う、っていう感じで分けてるのかしらん。

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 URAKORI は2019年11月20日のオープンなので、OKUROJI よりは少し先輩。ただし、その存在感は OKUROJI よりは低いなあ。マスコミでも伝えらええなかったし。

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LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Uracori ©tsunoken

2020年10月15日 (木)

HIBIYA OKUROJI に行ってきた

 9月10日にオープンした "HIBIYA OKUROJI" に行ってきた。

 JRの有楽町から晴海通りを渡った先から東宝本社のある辺りまでは、以前から有名な山手線ガード下の飲食街として有名だったんだが、そこから先、帝国ホテルの辺りから先は、倉庫などとして使われていて商業施設が出来たのは初めてなのではないだろうか。

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 JR東日本としては倉庫として使っていてはもったいないということで、商業施設を作るべくこの場所を再開発。まず、一番帝国ホテルに近い部分を「日比谷グルメゾン」として6店舗の飲食店で7月9日にオープンした。

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 そしていよいよ9月10日に本体のHIBIYA OKUROJI をオープンしたというわけなのだが、本来は6月オープンの予定だったところ、コロナ禍のおかげで9月までオープンは遅れてしまったらしい。

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 中は煉瓦造りの山手線(昔は東海道線だった)高架部分の基礎を生かした造りで、そこここに煉瓦がむき出しで壁になっていて、結構、雰囲気はある。

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 中は日比谷グルメゾンこそ飲食店だけなんだけれども、ここ HIBIYA OUROJI は飲食店だけではなく、洋服店とかこんなアンテナショップなどもある全36店で構成されている。

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 ただし、まだ開店していない店もあるようで、6月開店予定が9月になってもまだ開店していないっていうのは何なんだろう。

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 っていうことで HIBIYA OKUROJI なんだが、実はこれにはもう一つおはなしがあるんですねえ。

 それについては「明日のココロだぁ!」

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LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Hibiya Okuroji ©tsunoken

2020年10月14日 (水)

新宿雑景

 12日にマルイ新宿本館でオールドレンズフェスティバルを覗いてからは新宿の街をちょっと散歩。

 ああ昨日も書いたけれども、I.C.S. 輸入カメラ協会主催の「世界の中古カメラ市」が、今日から10月20日まで、松屋銀座8階イベントスクエアで開催されます。オールドレンズフェスティバルの方に行きそびれた方は、松屋銀座まで。

 I.C.S. 輸入カメラ協会の公式サイトはコチラ

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 ということで、新宿三丁目のマルイ新宿本館から新宿三丁目の追分交差点へ。

 追分交差点にある追分交番と言えば、1971年12月24日に起きたクリスマスツリー爆弾事件で有名な交番。といってもそうか、もう50年近くも前の話だったんだなあ。そんなのを覚えている私もそれだけ歳をとったっていうわけだ。

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 追分交番から新宿駅南口方面へ歩くと、右手にこんな追分(おいわけ)があります。といって、別に何かの街道の追分じゃなくて、単に、V字方に分かれているというだけの話。昔、多分、この辺りに場外馬券売り場か何かがあって、それ目当ての人が沢山集まっていたような気がする。

 右手の道のちょっと先には、ライカ専門って言ってもいいくらいのライカの中古カメラばっかり扱っているカメラ(勿論、中古)屋さんがあった。

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 ここから先は、まあ、特に意味はありません。

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 なんとなく昔、よく言っていた飲み屋さんをご紹介。

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 新宿三丁目裏の(というか、新宿末広亭そばの)「どん底」は学生の頃よくいったなあ。たしか、ウィスキーのボトルをキープしていたような覚えがあるんだけれども、今行っても、もうダメだろうなあ。

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 名門「池林坊」であります。

 椎名誠氏のエッセイで超有名になり、毎日、ごった返していたなあ。客はほとんどが出版社の編集者とか、劇団のメンバーとかなんだけれども、時たま、椎名氏の本で読んだのか、フリの客なんかも来て、ちょっと戸惑っていたりしていた。

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 ここが映画屋さんが集まることで有名だったバー「bura」。

 なんか最近は「文壇バー」ということになっているらしいが、多分それは脚本家の荒井晴彦氏がしょっちゅう出入りしていたからなのかもしれない。

 このバーでは荒井氏とはちょくちょく会っていて、会うたびに私がプロデュースした、根岸吉太郎監督の田原の俊ちゃん主演の映画『課長 島耕作』の脚本がなんで野沢尚なんだって文句を言われていた。まあ、当時、根岸監督と言えば荒井脚本っていうのが定番化していたので……、ということなので「何で?」っていうことなんだったんだろうなあ。

 同じ、早稲田出身でも監督の根岸吉太郎氏、『課長 島耕作』原作者の弘兼憲史氏、脚本家の荒井晴彦氏では持っているものが全然違う。

 私としては学芸大学の押井守の後輩、監督の金子修介のアイデア「俊ちゃんで島耕作を作るなら、『平成の無責任男』にしちゃえば?」っていうプランに乗っていたので、根岸に監督に変わった瞬間に「じゃあ、根岸の好きなように作れば」ってな気持ちになって、あまり気が乗らなかったってっていうのがある。実は根岸もあまり気分が乗っていなかった仕事だったのかもしれない、ので、荒井晴彦じゃなくて野沢尚、と今更考えていたりしている。

 う~ん、ちょと不幸な映画だったんだな。

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LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Shinjuku ©tsunoken

2020年10月13日 (火)

オールドレンズフェスひっそり開催中~明日まで

 ある情報で「オールドレンズ・フェスティバル2020」というのが、新宿マルイ本館6Fイベントスペースで開催中、というのを聞いたので、取り敢えず押っ取り刀で駆け付けた。

 だって、明日で終了っていうんですよ。

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 I.C.S.輸入カメラ協会が主催する中古カメラフェアっていうのが、松屋銀座や渋谷東急東横店で毎年開催されていて、それについては毎年、開催されるたびに覗いてはいるんだけれども、マルイでやっているカメラフェアっていうかレンズフェアっていうのは初めて聞いた。

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 今やカメラと言えばデジタルカメラが当たり前のことになっていて、まあ、そのおかげで私のブログも毎日更新が可能になっているんだが、当然、私の年齢となればフィルムカメラも持っていて当たり前。でも、そんなデジタルカメラ主流になってしまって、今や、逆にフィルムカメラの人気が、若い人を中心に蘇っているそうだ。中古カメラ屋さんのサイトなんかを見ていても、そんな感じの「若い人」の存在を伝えている。

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 当然、中古カメラを手に入れると、次に欲しくなるのが、最初からカメラに付いていたレンズじゃなくて、それに対する交換レンズが欲しくなる。ってことは、中古カメラなのでレンズも中古レンズ、ってことになって、どちらかというと若い人向けの商品展開をしているマルイあたりでオールドレンズフェスティバルを開催しよう、ということになる算段なんだな。

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 ただし、こちらは輸入カメラ協会なんていうような業界団体の主催じゃなくて「オールドレンズフェスティバル実行委員会」の主催という、ちょっと訳の分からない団体(?)の主催。なので、場所も新宿マルイ本館6階のホンの端っこのイベントスペースを遠慮がちに使って開催しています。

L10035782 これがイベント会場全景

 まあ、このイベントが大きく発展するかどうかはわかりません。

 それはひとえに若いお客さんがたくさん集まって、オールドレンズフェスティバルに行ったついでに、マルイでお買い物をしてくれるかどうかにかかっているわけですね。

 もう当然、新宿北村写真機店に対抗しようなんて大それたことは考えていないとは思います。

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「オールドレンズフェスティバル 2020」は10月14日まで、公式サイトはコチラ

LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f5 @Shinjuku ©tsunoken

2020年10月12日 (月)

"dearly days June 2020" が特別でなくなった日に

 6月2日のブログで以下のような文章を書いた。

 ちょっと不思議なタイトルの写真集がKindle版で出ている。

「CRP JAPAN」という名のプロジェクトで、その主旨は……

『AmazonのKindle版、電子版写真集を制作するプロジェクトです。
2015年秋にはじまり、現在150人以上が参加し、250点以上の写真集が出版されています。
写真は撮るだけではなく、完成させ世界に向けて発表することが大切です。
前衛や傑作ばかりが表現ではありません。

日常の発露、思いつき、記録こそが写真の力です。
そして、ささやかでも発信する側になる第一歩。
出版印税(ロイヤリティ)35〜70%は、Amazonから本人に直接支払われます。』 

 その「CRP JAPAN」から新しい写真集が出たので、今日はそれを紹介。

Rimg00162©YUGAO IMAI

『写真集 CRP dearly days 6月 2020 コロナ禍 ひとり撮影会日常の記録 366ページ 69photographers Kindle版 』(横木安良夫+68photographers・著/Kindle版)

 横木安良夫氏のコメントは以下の通り。

『dearly days June 2020
 特別な日

 6月になり、新型コロナも落ち着くかと思えた。
自粛疲れか街は活気が戻って来たかに見えたが、
東京では再び感染者が増えたと報道され、中途半
端なまま陰鬱な気分だけが残りつつある。』

Rimg00062_20201010114401©Jo Yuminaga

 しかし、そこに映し出されている映像は、別に普段の写真とは変わりはない。

Rimg00082_20201010114401 ©OIDE YUICHI

 まあ、Uber Eatsと出前館がすごい勢いで伸びたのはコロナ禍のおかげだし……

Rimg00092_20201010114501©YOSHIHARU ANDO

 自転車に乗る人が増えたのも、コロナ禍のおかげかも知れない。しかし、それも、実は特別なことではなくて、今までの世界の延長線上にあることなのかもしれないのだ。

Rimg00102©YUKIKO SUZUKI

『今回、多くの人が自粛でステイホームしている
時に、まるで戦場カメラマンのように東京の街を
彷徨いながら撮影した、初沢亜利氏の写真集「東
京、コロナ禍」の中から16点を掲載してもらった。
彼のジャーナリスティックな視点と、僕たちのコ
ロナ禍の、個人の日常を捉えている支店の両立こ
そが写真なんだと、こうやって見てみると、なん
だか救われた気がするのは何故だろう。

                横木安良夫』

Rimg00122_20201010114501©ARI HATSUZAWA

 横木安良夫氏と68人の写真家のクレジットは以下の通り。

Rimg00142_20201010115601

 『写真集 CRP dearly days 6月 2020 コロナ禍 ひとり撮影会日常の記録 366ページ 69photographers Kindle版』(横木安良夫+68photographers・著/Kindle版)

2020年10月11日 (日)

TOP MUSEUM ② 石元泰博写真展

「琉球弧の写真」と同時開催されていたのが「生誕100年 石元泰博写真展」である。

 こちらは「展示室内撮影禁止」なので、展示の様子をお見せすることが出来ないのは申し訳ないが、規則なのでやむを得ない。

 まあ、接写じゃなければ、基本的には状況を捉えた写真なんで、著作権的には問題はないはずなんだけれどもなあ。バカみたい。

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 石元泰博は1921年アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコの生まれ。つまり、当時、日本からかなりの数が渡米したアメリカ移民の子供であり、そんな意味ではそのルーツを「日本」と「アメリカ」の両国に持つ、「日系二世」と呼ばれるアメリカ人なのである。

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 展示は、まずシカゴの街の写真に始まって、東京の街、山手線と都市の写真が続くんだが、その後、突然写真は「桂離宮」に行ってしまう。

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 そして、抽象画のようなカラー写真「多重露光」になって、再び街の写真「シブヤ、シブヤ」に至る。

 う~ん、これは何なんだろう。

 もしかしたら、写真家・石元泰博の模索のうつろいなのだろうか。「具象→抽象→具象」という変遷を見せるフランスやスペインの画家などに見られる、人生上の変化という物があるんだろうか。

 う~ん、良く分からないな。

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東京都写真美術館(TOP MUESUM)のサイトはコチラ

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 『日本の写真家〈26〉石元泰博』(石元泰博・著/長野重一・編纂/岩波書店/1997年9月25日刊)

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Yebisu ©tsunoken

2020年10月10日 (土)

TOP MUSEUM ① 琉球弧の写真

 現在、東京都写真美術館では二つの写真展と、映画と何やら「新しい」インターネットアートとかいうものの4つの展示が行われている。

 取り敢えず、今日は二つの写真展のうちのひとつ『TOPコレクション 琉球弧の写真』を紹介する。

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「琉球弧」とはなにか?

『九州の南から台湾へ弧状に連なる島列』ということで、鹿児島の南、種子島や奄美諸島を経て、沖縄本島、から宮古島、石垣島などを経て与那国島へと至る島嶼部のことである。

 この地域は歴史的に中国治下になったり、日本の治下になったり、そして現代ではアメリカの治下になり、1972年に日本治下に戻った歴史を持っている。1960年代には、あのベトナム戦争の米軍の最前線基地になり、戦争とは無縁になった本土日本とは異なり、まさしく日常生活と戦争が背中合わせになっていた場所である。

 当然、写真家たちの眼も、こうした「戦争」と「平和」そして「日常生活」との間の相克というものが存在する中での写真眼といったものになってきて、世の中を見る眼が、今の我々のような「平和ボケ」した「眼」とは違うものになっているはずだ。

 ということで、上の写真の左側、「琉球弧の写真」のポスターなんだが、どこかで見たことのある写真だなあと思って調べたら、比嘉康雄の「本土集団就職 那覇港 1970・12」という作品なんだけど、何故か「裏焼き」なんですね、何でだろう?

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 本写真展のガイドによれば……

『本展では、「琉球弧の写真」と題し、35,000点を越える当館コレクションから、新規収蔵作品を中心に、沖縄を代表する7名の写真家(山田實、比嘉康雄、平良孝七、伊志嶺隆、平敷兼七、比嘉豊光、石川真生)の多種多様な写真表現を紹介します。沖縄は、その温暖な気候や風土、古来からの歴史を背景に、独自の文化を育んできました。本展出品作品の多くは、1960年代から70年代の沖縄を撮影したものです。市井の人々の暮らしや、大きなうねりとなった復帰運動、古くから各地に伝わる祭祀などを写した写した作品は、それぞれの写真家にとって、キャリア初期の代表作となっています。沖縄に暮らし、沖縄にレンズを向けた7人名の写真家の作品には、沖縄のみならず、琉球弧(奄美群島から八重山列島にかけて弧状に連なる島々)全体を見据えたまなざしがあり、様々な角度から、この土地固有の豊かさと同時に、沖縄が直面する困難を写し出しています。本展はこれまで沖縄県外の公立美術館で紹介されることが少なかった、沖縄を代表する写真家の作品を網羅的に紹介する初の展覧会です。』

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 まあ、確かに米軍とベトナム戦争に関係した写真の展示とか、雑誌への掲載などは数多くあったし、ベトナム戦争時代の全軍労の運動や、学生の反戦運動はよく知られているし、今でも残っている駐留米軍とその基地移転問題などもあって、いまだに沖縄問題は日米の政治問題の根本問題を抱えている。

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 勿論、写真はそんな「問題写真」ばっかりじゃない。

 普通に、沖縄の人たちの普通の生活があるわけで、それをもまた正確に写し撮るのも写真家の役割だろう。

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 そんなことを考えながら、この「琉球弧の写真」を見るのもいいだろう。

東京都写真美術館(TOP MUESUM)のサイトはコチラ

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Yebisu ©tsunoken

 取り敢えず、私が持っている今回の出品者関係の写真家の本はこの『生まれ島・沖縄』なので、それを紹介。

 一番上の裏焼き写真も収録されています。

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 と思ったんだけれども、テープを持つ手とか、洋服の前合わせを見ると、コチラの方が裏焼きみたいだなあ。

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 『生まれ島・沖縄 アメリカ世から日本世』(比嘉康雄写真集/ニライ社/1992年5月15日刊) 

2020年10月 9日 (金)

Revenge !  龍ケ崎

 10月4日のブログ「竜ケ崎はやっぱり田舎だった」では、JR常磐線龍ケ崎市駅(旧佐貫駅)と龍ヶ崎市中心部(関東鉄道竜ケ崎線竜ケ崎駅)との距離を読み違い、結局、田舎道を延々と歩くだけのレポートになってしまったので、今回は、初めから竜ケ崎線の佐貫駅からおとなしく乗車して、竜ケ崎駅まで行った。

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 1975年には年間6,043人の乗客がいた竜ケ崎線なんだが、2016年には2,293人にまで乗客は減っているらしい。まあ、佐貫・竜ケ崎駅間4.5kmの間だけしか走っていない路線だ。昔は「龍ヶ崎市から東京駅まで1時間!」ってな宣伝文句もあったらしいが、今は龍ヶ崎市駅までは皆クルマを使って移動、駅前の駐車場にクルマををおいて常磐線で東京方面へ、っていうのが普通の感じで、やっぱり30分に一本だけの運行じゃなあ、結局、龍ケ崎二高の生徒ぐらいしか利用車内ないんだろうなあ。

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 と、まあ、それはいいとして「結構、イイ感じの田舎町」というイメージの龍ヶ崎市を、取り敢えず竜ケ崎駅から歩き始める。

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 途中、八坂神社とか、昔の庄屋屋敷だったんだろう小野瀬家屋敷なんかを見ながら歩いて行くと、ほら、こんなクランク状に道が曲がっている。こんな道を「桝形道路」と言って、お城が真ん中にある昔の町の道の作り方の典型なんですね。

 やっぱり龍ケ崎は昔からの街だったんだ、という証拠。

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 駅前からの道を、この桝形のあたりで左に折れると、やがて見えてくるのが茨城県立龍ケ崎第二高校に至る長い、長~い階段。

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 階段の脇に『龍ヶ峰の歩み』という碑が建てられています。

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龍ケ峯の歩み
「北にあたりて古城あり」「東はかしまの海見えて眺望かきりなし」享保年間当地を訪れた藩主伊達吉村は、ここ古城の地の東端、龍ケ峰からの眺めを講絶賛した。
 古城は、室町時代、白旗台(龍一高敷地)に館を構えた龍ケ崎氏の出城であった。永禄十一年(一五六八)土岐胤倫が江戸崎から分かれてここに城を築き、その支配二十年間に龍ケ崎は飛躍的発展を遂げたが、のち佐竹氏の支配に服し、廃城となった。その後、仙台領となり、古城西麓に陣屋がおかれ、代官が龍ケ崎領一万石余を支配した。
 維新後、古城の昔を伝えるものは次第に姿を消したが、大正十二年、古城の地に、龍ケ崎二高の前身、県立龍ケ崎実科高等女学校が建てられ、龍ケ崎の新しい歴史がはじまった。
 本校の歴史は、大正五年(一九一六)龍ケ崎小学校敷地内の町立龍ケ崎女子技芸学校の開校まで遡る。大正八年、町立実科高等女学校、大正十年、郡立に、大正十二年、古城の新校舎に移って、県立龍ケ崎実科高等女学校、大正十五年、県立龍ケ崎高等女学校と移っていく。やがて戦争の時代に入り一時軍服を縫う学校工場になったこともあった。
 終戦後、昭和二十三年、県立龍ケ崎女子高等学校となり、さらに、二十四年から、男女共学制の県立龍ケ崎第二高等学校として年々施設と教育内容を充実し、多くの有為な人材を世に送り、ここに創立七十周年を迎える。
 龍ケ崎二高創立七十周年記念事業実行委員会 

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 ちょっと先へ行くと、多分、龍ケ崎第二高校のキャンパスに上がるクルマ用の道があるんだが、今日はウィークデイ、週末だったら取り敢えず坂道を上がっちゃうんだが、遠慮をしておいた。

 ただ、山の上に上がらなくても、麓に「仙台藩龍ケ崎陣屋跡」が、龍ケ崎小学の敷地内にあって、この地が、昔の龍ケ崎の中心地だったって言うことが良く理解できる。

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NIKON Df AF NIKKOR 24-50mm F3.3-4.5 @Ryugasaki ©tsunoken

2020年10月 8日 (木)

神田ビリヤード淡路亭

 お茶の水の神田川の裏手、外堀通り沿いにあるのが、神田ビリヤード淡路亭である。

 淡路亭のサイトによれば1965年創業というのだから、既に創業以来55年が過ぎている、もう老舗と言ってもいいくらいの店である。

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 中央大学の学生の頃に一時入り浸っていた店である。

 サイトを見るとビリヤード用品を販売している会社らしいんだが、同時に、この外神田の地で実際にビリヤード場自体も経営もしている。

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 ビリヤード場にはポケット5台、四つ玉1台があって、私がやっていたのは四つ玉がもっぱらだった。

 今はビリヤードと言えばポケットビリヤードが普通だが、私がもっぱらやっていた今から50年ほど前は四つ玉が主流で、淡路亭にももうちょっと四つ玉の台が多かったような気がする。

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 そもそも私をビリヤードに引きづり込んだのは、当時、革マル派の活動家だった友人で、う~ん、革マル派とビリヤードという組み合わせが何なのか良く分からないが、まあ、そういう奴もいるんだろう。

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 御茶ノ水駅で電車に乗り降りするたびに淡路亭が今でもあることに感激していたんだが、そうか単なるビリヤード場じゃなかったんだな。

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 秋葉原の東京ラジオデパートにも感動したんだが、こんなところにも昔の名残があるお茶の水っていう場所にも感動するってこともあるんだなあ。

 ……、ああ、単に年取った証拠か。

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LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Kanda ©tsunoken

2020年10月 7日 (水)

田端新町を歩く

 う~ん、家から近いのにこのブログで紹介していなかった町ってのがあるのに気がついた。

 家を出て、不忍通りを動坂下で左折して田端駅前を通過して、小台通りを過ぎて荒川の江北橋に出て、荒川の河川敷にあるサイクリングロードを右に行けば、荒川河口から葛西臨海公園へ行くルート、左に行けば荒川と入間川の分岐点に行って、荒川方面だったら東松山森林公園、入間川方面だったら川越市方面へ行って帰ってくるという100kmコースというのが、基本的なルーティーンだった。

 そのルートの入口が、田端駅から坂を下りてきたこの踏切と立体交差。

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 手前の踏切は南千住から三河島を経由して右に大きくカーブして尾久の操車場へ至る貨物船、奥に見える立体交差が、上野から出て尾久(「おぐ」じゃなくて「おく」です)に至る東北線(高崎線・宇都宮線)のガードです。

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 それを過ぎて明治通りをこえると小台通りの商店街に至ります。

 小台通りに入ってすぐ左にあるのが小台の天祖神社「上尾久 天祖神社」です。小さな祠だけれども、なんか昔の荒川(現在の隅田川)の洪水に関係する逸話があって、それに基づく神社らしい。

 なんとなく「小台通りを守っている」っていう感じなんでしょうかね。

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 小台通りのメイン・スポットはやっぱり都電荒川線(東京トラム)の小台駅ですね。

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 田端新町から伸びて来ていた「小台通り(歩いてきたのは新しい方・旧小台通りもあります)」はこの交差点を超えると「小台橋 みずき通り」と呼び名が変わって、もうちょっと先の小台橋で通りの名前は終わります。

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 小台橋を越えると、もうそこは足立区になります。

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 赤羽の岩渕で荒川と別れた隅田川が最初に出会う街が、ここ小台の街なのです。

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 上流を望む隅田川を見れば「あらかわ遊園地」の観覧車が見えるんだけれども……

 小台橋を渡った先にある「東京都立荒川商業高校」は、残念! 足立区にあるんですね。

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LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Tabata Shinmachi & Nishi Ogu ©tsunoken

2020年10月 6日 (火)

横浜磯子を歩く

 駒込から山手線に乗って、田端で京浜東北線に乗ったら、たまたまその電車が磯子行だったので、結局、磯子に行ったんであります。

 こういうのをまさしく「不要不急の外出」って呼ぶんだろうな。でもまあ、私みたいなジジイが日本経済に寄与する方法と言ったら、結局こうした「不要不急の外出」を続けるしかないのであります。まあ、この程度で日本経済が回るのかどうかなんて考えてしまったら、もう、何おか言わんやなんだけれども、それでもやはり人は動かなければいけないのであります。

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 京浜東北線・根岸線の根岸から先は横浜の港湾工業地帯で、本来は海沿いを走っているはずの京浜東北線の車窓から海なんかは見えません。手前にJRの貨車の車庫があって、その先には工場や、その工場に商品を卸す貨物船のターミナルが……、多分、あるんだろうな、っていう感じ。

 まあ、要は横浜は港町なんだけれども、この辺りまで来てしまうと、港なんかは見えないということなんですね。

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 磯子の駅前には産業道路が走っているんだが、実はそのすぐ裏には横浜から横須賀へ向かう国道16号線が走っている。本来は国道16号線の方がメインストリートなんだろうけれども、なんとなく「産業道路」っていう名前が付けられちゃうと、なんとなくこちらの方がメインのように思えてしまうっていうのは何なんだろう。

 で、国道16号線の方に出ていくと……

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 東京建物(株)が鳴り物入りで作ったマンション「ブリリアシティ横浜磯子」があります。

 この建物、元々は明治時代、東伏見邦英伯爵の別邸だった場所で、そこを買い取って旧コクドが「横浜プリンスホテル」を運営していた場所。そこを東京建物が買い取ってマンションにしたっていう訳なんですね。

 なんかねえ、その辺でコクドっていうか堤康次郎の経営のイイカゲンさっていうか、まあ、単なる旧皇族・華族への成り上がり者の近づきかたの典型って言うか、旧華族の邸宅をやたら購入してプリンスホテルのシンボルにして、ホテルを経営した居たんだけれども、なんでこんなところ買ったんだろうね? って感じです。

 おまけに、こんなところ(磯子ですよ磯子。横浜駅前でも関内でも桜木町でもないんですよ。)の不動産を買って、ホテル経営をしたってうまく行くわけがないじゃないですか。私みたいなシロウトが見たってわかる。

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 まあ、ブリリアシティ横浜磯子の住民にしても、とにかく丘の上のマンションという設定なので、その眺望の良さに関しては満足しているようだが、問題はその丘の上から磯子の駅まではエレベーターなどで降りて行かなければならないなどの問題もあるようで、結局、なんか「あまり住みよくはない」ってな評価を得てしまっているようだ。

 まあ、横浜方面で仕事をしている人には、まあ、何とかなるんだろうけれども、都内に仕事場があったら、あまり便利ではないなあ。家庭を守る方にとっても、スーパーはあるけれども、商店街はないしなあ。

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 ってなことを考えながら国道16号線を歩いていると「横浜環状2号線」にブチ当たるので、そこを右に曲がれば……

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 すぐに京浜急行の屛風浦駅である。

 なんだ、意外と近いところにあるんだなあ。

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LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Isogo Yokohama ©tsunoken

2020年10月 5日 (月)

秋葉原ラジオデパートがまだあったんだ!

 もう、秋葉原はフィギュアとかメイドカフェのオタクショップばっかりの街になってしまったのかな、と思っていたんだが、今でも昔の「アキハバラ」っていうか「アキバ」をやっている店があったんだ!

 ってな話をしたのは、ある日、お茶の水から秋葉原へ向かって走る総武線の車窓から見えた「ラジオデパート」のネオンの文字。まあ、秋葉原にラジオデパートはいくつかあったし、現在も、秋葉原駅そばの総武線のガード下には今でも昔の秋葉原らしい小さな店が密集して電気関係のパーツなんかを売っている店があるのは知っているんだけれども、そのシンボル的な存在が「秋葉原ラジオデパート」だった。

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 いやあ、まだあったんだ。「東京ラジオデパート」です。

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 建物の中は、とにかく「狭い」「狭い」、一坪か二坪の狭小な店舗がビルの中に展開していて、なんか「魔境」のように見える、っていうところが秋葉原ラジオデパートの魅力なんですね。

 もう、昔は一歩このビルに足を踏み入れると、自分がどの辺にいるのかがわからなくなって、ビルの外に出ることが出来なくなるくらいの「魔窟」だったんです。

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 ハッキリ言って、「シロウト」がこの建物の中に入っても、自分が何を求めてここにいるのかが全く分からない。

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 で、グルグル巡っているうちに、自分が何をしに来たのか、何を求めてこの建物に足を踏み入れたのか……、そんなものが判らなくなって、まさしく「魔境」に足を踏み入れた少年のような気分になってしまったんですね、昔は。

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 規模は昔に比べると大分小さくなってしまって、今や「魔界」と言えるほどでは無くなったんだが、それでも中に足を踏み入れてみると、何かはっきりとした目的とか、買うものをあらかじめ決めてきたのかどうか、といったものがないと、自分が何のためにこのビルに来たのかがわからなくなるという結果は変わらない。

 まさしく九龍砦を何にも分からない状態で訪れた観光客状態になってしまうんですね。

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 しかし、香港の九龍砦・九龍城ももう既になくなってしまったのと同じように、第二次大戦後の遺構とも言うべき「アキハバラの魔窟・巣窟」も、今や黄昏、もうすぐには無くなりそうです。

 行くなら今の内ですよ。まあ、パソコン・パーツでも見つけるか、っていうか自作パソコンでも挑戦して作ってみようかっていう人じゃないと、多分、自分が何をしに来たのか分からなくなると思いますがね。将棋の藤井君とかね。

 言っときますが、フィギュアショップはないし、メイドカフェもありません。

 基本的には「オタクの街」アキハバラってところには変わりはないんだけれどもね。

「オタク」の種類が昔とは違っている。

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LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Akihabara ©tsunoken

2020年10月 4日 (日)

竜ケ崎はやっぱり田舎だった

 以前は「佐貫駅」だった筈のJR常磐線の駅名が、いつの間にか「龍ケ崎市駅」に代わっていた。

 なんでだろう?

 実は『千葉県富津市にある内房線の佐貫町駅とは名称が似通っていたことから、佐貫町駅が最寄りのマザー牧場へ向かう旅客が誤って当駅で下車した事例が報告されている』(Wikipedia)って言うんだが、内房線は千葉から出ている路線であり、こちらは上野始発の常磐線の駅なので、路線が全く違うので、そんなの間違える方がおかしい。まあ、多分「佐貫は龍ケ崎市の町なので龍ケ崎の名前を駅名にしたい」というJR東日本の無理が通って今年の3月14日から「佐貫駅→龍ケ崎市駅」に変わったんだろう。

 ただし、旧佐貫駅から龍ケ崎まで走っている関東鉄道竜ケ崎線の駅名は「佐貫」のままなので、同じ駅で乗換駅なのに、片方は「龍ケ崎市駅」片方は「佐貫駅」のままっていう、「何か変だなあ」的な感じがする。まあ、関東鉄道竜ケ崎線の駅は「佐貫ー下地ー竜ケ崎」の3駅しかないので、片方に「龍ケ崎」の名前を使っちゃうと、「龍ケ崎市ー下地ー竜ケ崎」になってしまって、なんだか訳がわからなくなってしまうので、「佐貫」のままにしたんだろう。

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 以前仕事をしていたライターだったかデザイナーだったか忘れちゃったけど、そのひとで龍ケ崎在住っていう人がいて、そんな、普段は吉祥寺で仕事をしている人が、なんで茨城県のそれもド田舎の「龍ケ崎」に住んでいるんだ? って言う興味でもって、一度、龍ケ崎には行ったことがあった。その時はクルマで行ったのか、あるいは佐貫駅で竜ケ崎線に乗って行ったんだろうか。はるか昔の話なので、忘れてしまった。

 ただし、町のイメージとしては、そんなに賑やかな町ではないけれども、なんか歴史を感じさせる町ではあるなあ、というのがその時の感想だったような記憶がある。

 ただまあ、その人も仕事が混んでくると、もはや龍ケ崎なんかには帰れなくなって、ほとんどスタジオで泊まり込みで仕事をしていたなあ。

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 関東鉄道竜ケ崎線って3駅だけの超ローカル線なので、龍ケ崎市の中心部分である関東鉄道竜ケ崎線の竜ケ崎まで「じゃあ、まあ取り敢えず歩いて行ける距離なんだろう」なんて甘いことを考えて、JR常磐線の龍ケ崎市駅まえからまっすぐに伸びる「龍宮通り」っていうのを歩き始める。まあ、この時点で頭中には東武大師線のイメージがあったんですね。

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 歩き始めるんだが、龍ケ崎市駅をホンのちょっと離れてしまうと、周囲はもう何にもなくて、ただただ田んぼが拡がっているだけの、ただただダダッ広い空間が広がるだけなんですね。

 遥か彼方にNTTの中継局が見ることが出来るので、多分、その辺が龍ケ崎市の中心部なんだろうということで、それを目指して歩く、歩く、歩く……。

 クルマがビュンビュン走るメインの道路を歩いている人間なんて、私の他には誰もいない。たまに自転車に乗っている人とはすれ違うのだが、歩く人とすれ違ったのは、たったの一人だけ。唯一の救いは、9月の残暑が終わってくれたことだ。

 一緒に歩いてくれているのは田んぼのシラサギくらいのものです。

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 およそ90分ほど歩いて、やっと龍ケ崎市役所に至る。

 ここまでで既に1万歩以上歩いている。竜ケ崎線で3駅だけっていっても、結構、距離はあったんだなあ。東武鉄道大師線なんかとは比べ物にならないくらい、駅間が長いんだ。

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 竜ケ崎線の終点・竜ケ崎駅は龍ケ崎の市街の一番はずれにある。

 これは地方都市ではよくあることで、町が既に出来上がっている場合、駅は町はずれに作るっていうのが大原則だ。

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 本来は、ここから龍ケ崎市街を深訪っていうところなんだけれども、なんか疲れてしまったので、そのまま竜ケ崎線で佐貫駅まで乗って、龍ケ崎市駅から帰ってきてしまった。

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 今度は、もう一度竜ケ崎線に乗って来ようかな。

LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Ryugasaki ©tsunoken

2020年10月 3日 (土)

"BEYOND MEMORY" ROBERT FRANK RETROSPECTIVE

 7月から始まった『ROBERT FRANK RETROSPECTIVE(ロバート・フランク回顧展)』のPART Ⅱ「BEYOND MEMORY」が9月24日から始まったので、神田明神隣のギャラリー・バウハウスに見に行った。

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 前回のPART Ⅰ「ON THE ROAD」がロバート・フランクの名前を一躍世界に広めた写真集『THE AMERICANS』をベースに展開されたので、展示されている写真もどこかで見た作品が多かったんだが、今回はカナダのノバスコシア州マブー(MABOU)に新たに拠点を移した後の作品が展示されていて、見る作品はそのすべてが初見のものだった。

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 ノバスコシア州マブーはモントリオールから更に東へ行ったカナダの外れ。「赤毛のアン」で有名なプリンスエドワード島から更に東の外れ、先住民族が住んでいた場所をフランス人とイギリス人が入植して、一時はフランスとイギリスで領有権を巡って紛争があったような場所である。

 フランス語圏のモントリオールや英語圏のバンクーバーなんていう大都市は別として、カナダというのは基本的に「田舎町」だけの国みたいなもんだ。ましてやノバスコシア州のマブーなんて聞いたこともない町だ。

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 当然、撮影の対象も「THE AMERICANS」のような「人」ではなく、「人」と「人を取り巻く自然」という方向に向かっていたようだ。「THE AMERICANS」のような群衆が描かれているような映像はない。画面に映る人はせいぜい数人、あとはその人を取り巻く自然や、建物などの人造物がバックに見られ、写真展の解説によれば、多分に内省的な文章を写真に添えて書き込んでいたそうだ。

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 1924年生まれのロバート・フランクが1974年に渡米して、1955年から1956年渡ってアメリカ中をスナップして歩き、『THE AMERICANS』として発表。それが最初フランスで、そして次にアメリカで出版されるに及んで、世界中の注目を浴びる写真家となった経緯は知っているが、その彼がカナダのノバスコシア州に移住して、そちらで映画を撮ったり、写真を撮ったりするようになった理由は良く分かっていない。

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 ただし、そのマブーで撮られた多くの写真は、『THE AMERICANS』のような動的な写真ではなく、実に静的な静的な写真ばかりであるというのは、実際にその写真を見てから良く分かった。

 もしかしたら、ロバート・フランクという人は、元々、こうした静的な写真を撮る人だったんじゃないだろうか。もしかしたら『THE AMERICANS』にも、こうした静的な写真が見られるかもしれない。

『THE AMERICANS』を再見だな。

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 『THE AMERICANS』(Robert Frank/Steidl/2008年5月1日) 

LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @gallery bauhaus ©tsunoken

2020年10月 2日 (金)

またまたドブ板通りかよ? っていうけどさ

 まあ、横須賀に行けば、普通に京浜急行横須賀中央駅前から歩き始めて、ドブ板通り、ヴェルニー公園から海上自衛隊横須賀基地を見て、JR横須賀線横須賀駅から帰ってくる、っていうか、まあ、あとは戦艦三笠公園に行くか、ってなところが定番化してしまっていて、その繰り返しみたいな感じで、まあ、仕方がないのでオーティス・レディングの"The Dock of The Bay"なんかをからませて誤魔化しているんだが、しかしまあ、それが「横須賀」っていう街を「観光客」として見ていると、そういうことになるっていう証明なんですね。

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 所詮、私にとってYOKOSUKAっていうのは、観光で訪れる街でしかない。

 今はベトナム戦争なんかは遥か昔のことになってしまっている。なので、アメリカ海軍基地がある横須賀と言えども、戦争の雰囲気なんかは微塵もない。ってことで、我々日本人が横須賀に行くっていうのは、まあ、浅草に外国人が来るのと基本的に同じスタンスなんだろう。

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 結局、横須賀に来た私たちは、単なる「赤ゲット」の「おのぼりさん」みたいなもので、ブラブラ街を眺めてからは、あとは「お土産」を買って帰るだけの「通行人」でしかないのですね。

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 なので「GW BURGER(ジョージ・ワシントン・バーガー)」「Obama burger(オバマ・バーガー)」「TRUMP BURGER(トランプ・バーガー)」の後は「何バーガーになるのかな?」ってなくらいの低俗な興味しかわかない。

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 しかしまあ、横須賀ドブ板通りも、少し前までは如何にもアメリカ海軍の人も来てたのかなあ? なんて思わせるバーとかスナックなんかもあったんだけれども、いやあ、今や完全に「おのぼりさんがお土産をかうだけ」の街になりましたねえ。

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 それは逆に言ってしまうと、アジアに戦乱がないっていう、まさしく「平和の象徴」なんですけれどもね。

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 なんか、無責任に「もうちょっと緊張感がある方がいいかも」なんて無責任なことを言っている私がいるんですね。

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LEICA M-E KONICA M-HEXANON 50mm f2 @Yokosuka ©tsunoken

2020年10月 1日 (木)

鎌倉より逗子の方が好きだ

 今日から10月でGo To Troubleが東京都民にも適用されるから、ってわけではない。

 久しぶりの好天気なのでどこか見晴らしの良いところに行きたくなったっていうだけのこと、池袋から湘南新宿ラインに乗る。

 池袋から湘南新宿ラインと言えば、まあ、普通は横須賀線の鎌倉なんだけれども、私はそのひとつ先の駅「逗子」へ向かうことが多い。

 まあ、鎌倉は観光都市だから、とにかく人出が多いし、町の雰囲気も完全に観光地化して、人混みは多いし、俗化の度合いも凄いし、なんか落ち着かないんですね。まあ、観光地なんだから、それなりに俗化して様々な人たちを受け入れなければならないし、それこそ鎌倉という地の何たるかを知らない外国人も受け入れて、包み込まなければならないという使命もあるんだろう。

 なので、私の足はそのひとつ先の逗子へ向かう。

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 逗子駅を降りてみれば、駅前こそれなりに逗子・葉山地区のメイン駅なのだから立派なものなのだが、一歩、駅から外れると途端に逗子の町は「田舎の町」になってしまうんですね。まあ、もともと田舎なんだからしょうがないんだけれども。

 逗子駅から伸びる二つの道があるんだが、ひとつは京浜急行の新逗子駅に至る、逗子市役所への道。ただし、この道はすぐに終わってしまい、やっぱり逗子のメインストリートは駅前から右手へ伸びる銀座通りなんですね。

 まあ、この名称「銀座通り」ってだけで、「この町田舎」って決定ですね。

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 いいですね、この「銀座通り」っていう響き。

 もう、完全に「地元の人のための地元の通り」。決して観光客のための道ではないんです。

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 お店も観光客目当ての店や土産物店などはなくて、すべて地元の人のための日用品、日常品、食料品のお店ばっかりです。

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 で、その中になんだかわけの分からない、「趣味でやっているようなお店」なんかがあったりするんです。

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 で、その銀座通りを途中で左折すると「海岸通り」にはいって、そこは逗子開成中学・高校の通学路なんです。上から三番目の写真の道の左をゾロゾロ・ノロノロ歩いている高校生が、逗子開成高校の生徒たちです。

 でも、この子たちって、1910年に「ボート遭難事件」っていうのが起きて、のちに同校教諭の三角錫子の作詞で鎮魂歌として「真白き富士の嶺」が作られ、遭難地点に近い稲村ヶ崎に慰霊碑を建立したこととか、事故により引責辞任させられたボート部部長の息子である宮内寒弥は、事件をもとにした小説『七里ヶ浜』を1978年に発表し、平林たい子文学賞を受賞なんてことは知らないんだろうなあ。

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 さらに、1980年には「八ヶ岳遭難事故」っていうのもあって、その解決にもめていた時に、逗子開成高校OBだった徳間書店社長の徳間庸快氏が解決に乗り出し、後に逗子開成学園理事長になって、一時は校長も兼ねていたなんてことも……、知らないんだろうなあ。

 まあ、その辺も、西日暮里にある開成中学・高校の第二開成中学・高校として作られたんだけれども、別に資本関係もなくて、単に設立者が開成高校OBだったっていうだけの話で……、っていうことも……、多分知らないんだろうなあ。

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LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Zushi ©tsunoken

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