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2020年9月12日 (土)

『同調圧力』

 日本における『同調圧力』の原因は、市民革命という経験を経ないで近代化してしまったという、歴史的欠陥が日本にはあり、更にはそれが全然発達せずに、第二次世界大戦時の「隣組」制度になってしまったからだというのが私の考え方だったんだけれども、どうもそればかりではないらしい。

Photo_20200905171701 『同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか』(鴻上尚志・佐藤直樹・著/講談社現代文庫/2020年8月19日刊)

佐藤 その通りです。もちろんどの国も極限状態にありますから、それなりに同調圧力はあると思います。けれども程度のひどさという点で、日本は突出している。海外ではコロナ禍にあっても、ロックダウン反対などの大規模なデモがくりかえされるわけです。堂々と国の方針に逆らい、異論をぶつける人も少なくない。日本はどうでしょう。「ルールを守れ」「非常時だから自粛しろ」といった多数の声、つまりは同調圧力によって、異論が封じられています。たかだか数店舗のパチンコ店が緊急事態宣言下でも営業しただけで、店舗名が公表されたうえで激しいバッシングを受ける。感染者のプライバシーまで暴かれる始末です。怖いですよ、これは。
鴻上 僕もコロナが深刻化してからずっと、「戦時下」を生きていると思ってます。』

佐藤 じつは総務省の『情報通信白書』(二〇一八年版) に興味深い調査結果があるんです。これによると、欧米諸国に比べ日本は他人への不信感が強いという調査結果が出ています。すなわち、「SNSで知り合う人達のほとんどは信頼できる」かの問いに対して「そう思う・ややそう思う」が日本では一割ほどだが、ドイツは約五割、アメリカは約六割、イギリスは約七割にも上ります。また、ネットで知り合う人を信頼できるかどうか見分ける自信があると答えたのが、日本は二割ですが、英独仏は六~七割もありました。
鴻上 この調査結果には驚かされました。SNSで出会う人間を信用している日本人は、全体の一割しかいないのですから、これはもう、ネットで「炎上」が繰り返されるのも当然でしょう。
佐藤 欧米人が他人を信用できると答えるのは、見分ける自信と能力があると考えるからで、別に人が良いわけではない。まさにヨーロッパで一二世紀以降に成立した個人とは、人間関係を自立的に判断する能力をもつ人のことだと思うのです。一方、日本人は、「身分制のルール」 があるため、他人を信用できるか否かは、「世間」のなかでどういう地位や身分を占めるかによって判断してきた。これは、それを自立的に判断する能力が、日本では育たなかったことを意味します。人を見極める能力がないことが、根拠のない情報に踊らされ、パニックを起こしやすい理由となっているのではないでしょうか。

佐藤  結局、個人であるか、ないかということの違いだと思うんですね。「身分制のルール」 があるので、その人間が信じられるかどうかということを、僕たちは名刺や肩書で判断する。自分の目の前にいる相手がどのような組織に属しているのか。役職は何なのか。そうしたことで人間を信用するという判断の仕方が当たり前だった。ですから、肩書や属性などが不明である場合、相手がどのような人間であるのか、それを判断する能力が日本人はなかなか身についてこなかったんですね。
鴻上  SNSでデマが流されたとしても、例えば自分の「世間」に属すると思う人の情報だったら、それだけで信じちゃうんですね。そこに検証という作業が欠けています。』

鴻上  先にも話した通り、西洋の個人主義はキリスト教という一神教にすごく支えられた個人主義ですよね。つまり個人が強いわけではなくて、神に支えられるからこそ強い個人でいられる。もともと日本だってじつは一向一揆の加賀の歴史みたいに、農民が約一〇〇年間、百姓の国をつくったりしています。これは一向宗、つまり浄土真宗が支えとなっていました。宗教的に支えられると、日本の農民も、お殿様を城攻めしてやっつけて、自分たちで統治できる。しかしコロナ禍の時代、キリスト教やイスラム教みたいな一神教の支えがないまま、我々日本人が個人として強くなろうとすると、「国家」という幻想に支えを求める人びとが増えていく可能性は大きいでしょう。』

 そうか、ヨーロッパの個人主義の元は市民革命によって形成されたのかと思っていたのだが、もっとそれ以前に『キリスト教という一神教にすごく支えられた個人主義』だったのか。というか、キリスト教という一神教に支えられた個人が集まったからこそ、ヨーロッパの市民革命が成されたとするならば、初めから日本で市民革命が起きる可能性はなかったということになる。

 つまり、今更、日本国民の「同調圧力」だとか、「ネット市民」の 「ネトウヨ的ヤンキー気質」なんかは「治す薬はない」って言うことになってしまうなあ。

 まあ、だからこそ「ヤンキー気質」にまみれた安倍政権は長期化したんだろうし、同じく「ヤンキー気質」そのものの自民党政権も長続きするんだろうなあ。

 でも、その「ヤンキー気質」こそが「田舎者の外的世界に目をつぶった、仲間内だけの合言葉」みたいなもので、外の世界では全く通じない「仲間言葉」でしかないんですけれどもね。

 まあ、そんな社会が「世界に開けた国(都市・街)になんかなるはずはありませんね。このまま、世界からどんどん遅れていく国になっていくんだろうな。

 まあ、それもいいか……。

 『同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか』(鴻上尚志・佐藤直樹・著/講談社現代文庫/2020年8月19日刊)講談社は基本的に紙版・電子版は同時刊行です。

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