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2020年9月14日 (月)

今や、風前の『東京路地裏横丁』って、どういうことなんだろう?

 う~ん、もう『東京路地裏横丁』ったって、どれだけ残っているんだろう。

Photo_20200910171501 『東京路地裏横丁』(山口昌弘・著/CCCメディアハウス/2015年9月28日刊)

 本書に書かれている「路地裏横丁」は目次から以下の通り(ただし、既になくなっている横丁には取り消し線が、私が言ったことのない横丁はアンダーラインが施されています)。

宿 ゴールデン街/新宿 思い出横丁/新宿 思い出の抜け道/渋谷 のんべい横丁/三軒茶屋 三角地帯周辺/吉祥寺 ハーモニカ横丁/西荻窪 南口駅前と柳小路/自由が丘 自由が丘横丁と駅周辺武蔵小山 駅前路地裏飲食街/神楽坂 かくれんぼ横丁とその周辺/大森 山王小路飲食街(地獄谷)/銀座 路地裏小路/神田 今川小路/立石 呑んべ横丁

 おお、結構行ってるじゃないか。優秀、優秀!

 って、別に威張るほどの問題じゃないんですけれども、まあ、それなりに私も路地裏の飲み屋横丁には行っているんだな、ってなことを確認した。

『東京の路地裏横丁は戦後まもなく、焼け野原となった場所に闇市や屋台などの小さなお店が重なるように集まってできたところが多い。渋谷ののんべい横丁で六〇年、お店をやっている女将さんに話を聞くと、当時この辺りは一面野原で雑草が生い茂っていて、その場所に屋台と同じ広さの三坪ほどの小さなお店を、くじ引きであてがわれたそうだ。戦後の何もない時代に人々の憩いの場として生まれたのが路地裏横丁なのである。まさに昭和の面影を今に残す横丁だが、再開発により年々その姿を消している。二〇二〇年の東京オリンピック開催に向けて、今後ますます再開発が進むと予想されるが、その時、ここに収められた路地裏横丁がどれだけ残っているのか心配である。』

 っていうのが、本書の著者・山口昌弘氏の弁なんだが、勿論、自分が親しんでいた「路地裏の飲み屋横丁」がなくなるっていうのが悲しいというのは良く分かるんだが、でも、そうやって町というのが新陳代謝していきながら生きながらえるっていうのも、もう一つの「街の生命」の事実でもある。

 昔を懐かしがるのも感性のひとつなら、新陳代謝する街のその変化ぶりを楽しむのも、もう一つの感性のありかたである。

 いずれにせよ、「路地裏横丁」なんていうものは、最早、なくなる定めにある存在である。そんな「失われた街」を回顧することは大事ではあるけれども、大切なことではない。そんな街に拘泥することには意味はない。「消え去るものは消え去る」のである。

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 渋谷のんべい横丁を裏から見ると、こんな感じ。これはのんべい横丁全盛期には見えなかった。

LEICA M-E LEITZ SUMMICRON 35mm f2 @Shibuya ©tsunoken

  『東京路地裏横丁』(山口昌弘・著/CCCメディアハウス/2015年9月28日刊)

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