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2020年9月

2020年9月30日 (水)

翔猿関の母校、江戸川区立上一色小学校を訪ねる

 波乱の大相撲九月場所でしたが、何と言っても興奮したのが、新入幕の前頭十四枚目、翔猿正也関の快進撃でしたね。

 千秋楽、もしあの時、正代関に翔猿関が勝ってしまったら、優勝決定戦にもつれ込んで、更にもし、それに翔猿関が勝ってしまったら、前代未聞の新入幕力士の平幕優勝という、まーさに、まーっさに前代未聞の出来事が起こってしまったかもしれません(実は1914年に両國勇治郎という力士が、当時は一週間の大相撲開催で新入幕優勝という記録があるそうだ)。

 私もその「前代未聞」に期待したんだけれども、まあ、世の中はそんなに都合よくは行かないもので、正代関の初優勝という結果に終わったわけですね。

 で、その翔猿関が東京都の出身だというので、その出身校を訪ねてきました。

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 場所はJR総武線小岩駅の北口を出て、蔵前橋通りを西進、中川に架かる上一色橋のすぐそばにある(あった)江戸川区立上一色小学校です。

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 上一色橋というだけあって、その辺りが昔「上一色」という住所だったらしく……、一番上の写真の緑道も上一色用水という名前の川だったらしい。

「上一色天祖神社」とか「上一色幼稚園」なんかもあって、そのそばに上一色小学校あるはずだと思って探したんですが……、見当たりません。

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 上一色天祖神社のすぐ裏に学校のプールみたいなのがあるので、校庭側に回ってみると「東京シューレ江戸川小学校」というのを発見。

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 この東京シューレ江戸川小学校というのは、東京シューレという学校法人が運営する不登校などの障害を持った子どもたちのための私立学校。運営する東京シューレ学園のサイトには『東京シューレは1985年に学校外の子どもの居場所として始まったフリースクールで、主として不登校の子どもと親の支援を行なってきました。33年間で6~20歳の子ども・若者約4000人が、この場所で学び、育っており、1999年には東京都よりNPO法人の認証を得ました。特定非営利活動法人(NPO法人)東京シューレによるフリースクールやホームエデュケーションネットワーク、そこから生まれた公教育である東京シューレ葛飾中学校、親・保護者へ向けた支援・相談・学習活動など、ニーズに応じた形で、多くの方々とつながる輪を広げています。』とある。

 中川の土手に上がって学校全体を見渡せる写真を一枚。

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 実は、江戸川区立上一色小学校は昭和29年(1954年)、当時爆発的に東京の人口が増えていた時期に、江戸川区立西小岩小学校の分校として設立された学校で、水泳の池江璃花子選手も同じ西小岩小学校の出身だとか。

 その後、東京都の人口も減少に転じ、平成31年(2019年)に江戸川区立上一色小学校は閉校になり、再び江戸川区立西小岩小学校に併合になりました。

 まあ、それだけ江戸川区も人口が減ってきてしまったっていうことなんでしょうね。まあ、日本の人口が減ってきているので、今後もこうした学校の閉鎖っていう問題がかなり増えてくるんだろう。

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 校庭側の門に「江戸川区立上一色小学校」時代の掲示板を発見!

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 やっぱり、ここだったんだ。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Kami Isshiki Edogawa ©tsunoken

2020年9月29日 (火)

あゝ上野駅……じゃないよ

 菅義偉自由民主党総裁が「集団就職で東京に出てきた」っていうまことしやかない話があるそうだが、それはトンでもないお話しなんですね。

 大体、昭和23年(1948年)生まれの菅氏が、昭和30年代の高度成長期の初期に見られた、現場の低賃金労働者を確保するために、東北や九州などの地方から、東京や大阪などの大都市に、中卒者を大量に運び込むための政策としてとられた「集団就職」の対象者であるわけはないのだ。

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 だって、菅氏が集団就職をもししたんだったら、それは中学卒業年だから昭和39年(1964年)になるんだが、それは経済企画庁が「もはや戦後ではない」といった1956年はとっくに過ぎて、日本はオリンピック景気に湧いていた時期なんですね。

 大体、集団就職と言えば「三丁目の夕陽」とか、NHK朝ドラ「ひよっこ」のお話でしょ。

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 上野駅のホームの端には『ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを 聴きにゆく』という石川啄木の詩が展示されているんだが、最早、そんなものに気をとられる人はいない。

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 上野駅の前には、今でも作曲・関口義明、作曲・新井英一、唄・井沢八郎の大ヒット曲『あゝ上野駅』の碑が掲げられていて、今でも上野駅は「集団就職の駅」という認識があるんだが、今や、「集団就職」っていうものそのものが低賃金労働者を大量に生み出した非人間的な政策であるということになっているんだが、そういった点についてはメンションが必要だと思うんだが、そんなものは知らないよ、ってのが世の中の考え方なんだろうか。

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 いずれにせよ、秋田県の名門県立高校を卒業後、アルバイトをしながら法政大学を出た菅氏がそんなに偉いのなら、三流都立高校を卒業後、日本テレビでアルバイトをしながら中央大学を出た私だってもっと評価されてもしかるべくなんだけれども……、あれっ? 比較にならないか。

 まあ、そんな菅氏に忖度したのか、上野駅でやっていた「秋田産直市」です。

 あ、私も以前秋田で食べた「いぶりがっこ」が美味しかったので、お土産に買ってきました。

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 上野駅前の東京メトロの本社の裏には、中古カメラ店「千曲商会」があります。

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 店の中はアナログカメラとレンズでびっしり。

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 以前は、アメ横にも中古カメラ店がいくつかあったんだけれども、今やアメ横カメラとここだけになってしまった。

LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Ueno ©tsunoken

2020年9月28日 (月)

画家の小道は毎月第三日曜日に開催です

 画家の小道は毎月第三日曜日、大宮駅東口ウエストサイドSt.内で開催されます。

 一昨日の日曜日、荒川区の尾久に用事があったので、田端駅で降りて尾久まで歩き、さて意外と簡単に用事が済んだので、このまままた田端に引き返すのもなんだ、ってなことで尾久から大宮までいった。

 大宮の「画家の小道」が、今はどうなっているのかが気になったのでね。

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「画家の小道」というのは、大宮駅東口の駅前にある「さくら小路」と「West Side St.」の間にある小さな裏道で開催される、絵画のフリーマケットみたいな催しだ。

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 この狭い道が、その会場。

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「いかにも」な絵が飾ってあって、その脇に小さな「画家の小道」という看板が付いている。

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 ところが毎週ここで「画家の小道」は開催されていると思ったんだが、一昨日行った時は何にも開催されていないばかりか、それでもいいやってなもんで、自分の絵を出品させている画家なんかもいなかった。

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「画家の小道」っていうのは、実は主催者がちゃんといて、その下でけっこうキチンと開催されている、絵画の展示即売会だったんですね。

 てっきりフリーマーケットみたいに、勝手に自分の絵を持ち込んで、勝手に展示して即売しているのかと思ったんだが、そうではなかったようで、相済みません。

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 ということで「画家の小道」の公式サイトはコチラ

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LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Omiya ©tsunoken

2020年9月27日 (日)

山下給油所の自動販売機

 大相撲が面白い状況になってきたなあ。もう、誰が優勝してもおかしくない感じだ。まあ、やっぱり一番優勝して面白いのは「翔猿」ですね。江戸川区の出身ってのも面白いし、幕下下位からの優勝ってメッチャクチャ面白いですよね。

 もう、興奮しています。

 それとは何の関係もないんだけれども……。

 先日、横浜の中華街から山下公園に行った際にみた面白い光景(と、勝手に思った光景)。

「タクシーのりば」「㈱奥村商会」「山下給油所」「火気厳禁」と書かれた自動販売機があった。

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 自動販売機なのに「給油所」とあるんだが、別に自動販売機は「油」を売っているわけではないし、自動販売機には給油機はついていないようだ。そんなヒマじゃないよ、って言われそう。

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 自動販売機で「火気厳禁」ってのも、剣呑だなあ。別に、火がつきそうなものは置いていないのになあ。

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「タクシーのりば」って言ったって、別にそれらしき看板とかがあるわけでもない。

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 なあんてくだらないことを考えながら撮影行を行っていたりします。

 要はこれ、ブログのテーマになりそうなネタを探しながらの撮影行なので、とにかく何かネタにしなけりゃってなもんで、悪戦苦闘している様子が見え見えってわけで、ブログの秘密の一端を明かしちゃったりしている訳です。

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 まあ、あまり面白そうなネタにはなっていないですけれどもね。無理矢理!

 そういう日もあるっていうことです。

 単に「写真を撮りに街に出る」ってだけじゃあね……、やっぱり。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D & AF NIKKOR 50mm f1.8 G @Yokohama Chinatown & Yamashita ©tsunoken

2020年9月26日 (土)

五反田と言えばIMAGICAでしょ

「五反田と言えばIMAGICAでしょ」っていうくらい、五反田には通った。

 IMAGICA(旧称「東洋現像所」っていう方が、私には馴染みがあるけどね)の五反田。東京現像所の調布。同じく調布にあるけれども東映化学。などが東京の映画フィルム現像所。

 東映化学(現在は東映ラボ・テック)は、東映との合作の時くらいしか使わなかったので、基本、フィルム現像はIMAGICAか東京現像所が「当たり前」だった。

 まあ、現在は化学フィルムなんかは使わないので「現像」っていう言い方はしないで、「ポストプロダクション」って言うんですけれどもね。

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 私が知る限り、昔から五反田の目黒川沿いにIMAGICAはあった。

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 それは何故か? っていう当然の疑問はわくわけで、現像の廃液を目黒川に捨てるため、って言っちゃったら皆さんビックリしますか?

 IMAGICAの社史にはそんなことは書いていないけれども(多分)、本当の理由はそうであるにきまっている。

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 昔は廃液処理なんてものはしなくて、皆、下水に流していた。っていうのは個人で現像ドラムで現像して、「押し入れ暗室」でもってプリントをしていた時代から、「そんなもの当たり前」だったのであります。

 う~ん、今から考えると実に乱暴な考え方であるし、環境のことを全く考えていないやり方だって言うことも分からないではないのだが、昔はそんなもんだった、っていうしかない。

 環境問題を訴える映画であっても、実際に製作する際には、そんな反環境問題的な作り方をしていたんですね。だって、他に方法はなかったんだもの。

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 ってことは、化学フィルムを使わない現代のデジタル映画作りに関しては状況は変化しているんだろうか。

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 五反田の街も大きく変わったんだが、映画作りの方法論も以前とは全く異なってしまっている。

 実際には初号試写まで現像所は使わなくても映画を作れるようになってしまったんだもんなあ。実際には監督のコンピュータの中だけで完結してしまう映画作りって、どんな感じになるんだろうなあ。

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LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Higashi Gotanda ©tsunoken

2020年9月25日 (金)

五反田の地面師詐欺物件はどうなっているのか

 五反田の目黒川沿いにあった海喜館という古い旅館が地面師に利用され、積水ハウスが63億円の詐欺にあった話は、当時誰でも知っている事件だったんだが、あれから3年の月日が経って最早巷間忘れ去っている事柄になっている。

 まあ、世の中そんなもんですよね。事件が社会を賑やかしているうちは皆注目するけれども、それが過ぎてしまえば忘れちゃう、っていうところですよね。でも、それを忘れていないのが、当時、その旅館を撮影しに行ったトーシロー写真家なのでありました。

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 その海喜館の跡地が更地になって次の開発を待っている状態である、という話を聞いたので早速見に行ったわけです。何だ、俺も忘れていたんだな。

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 元海喜館は完全に解体されて更地になっており、周囲は工事用の壁が作られていて、数メートルおきに作られたのぞき窓からしか中をうかがい知ることは出来ない。

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 ただし、建設用の機材とか工具とかは置かれていないので、まだ今後の開発用途が決まっていないのかもしれない。

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 この土地を管理しているのは旭化成不動産レジデンス株式会社というところ。

 旭化成不動産レジデンスというのはマンション建て替えなどの都市開発事業をメインに賃貸やら売買仲介などの事業を行っている会社。

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 多分、まだ開発の方向性が決まっていないのかもしれない。

 場所はJRと東急池上線の五反田駅のすぐそばだし、すぐ脇は目黒川。オフィスビルを作ってもすぐに入居者は見つかるだろうし、マンションを作っても(というか「億」ションになる可能性の方が高いが)分譲希望者はすぐにいっぱいになるだろう。

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 旭化成不動産レジデンスが幾らでこの土地を手に入れてのかは知らないが、山手線の駅近物件だし、目黒川が目の前にあって多分春の桜の季節には満開の桜を借景で楽しめるところだ。まあ、それなりのビジネスにはなる場所だろうな。

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『五反田に残る怪奇の旅館「海喜館」』として知られた建物だたんだが、これがごく普通のオフィスビルやマンションになってしまうなんて、ちょっと寂しいといえば寂しいんだが、まあ、それもやむを得ないことなんだろう。

LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Nishi Gotanda ©tsunoken

2020年9月24日 (木)

横浜市旭区二俣川

 新宿から相鉄線相互乗り入れで二俣川へ行く。

 二俣川へは以前、JRと乗り入れをしていないときに、横浜から行ったことがある。その時は台地の縁にある南口を出て、早速始まる上り坂にえらく苦労した思い出がある。

 で、今回は北口の低地にある出口を出る。

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 北口を出ると真ん前が厚木街道である。この駅前交番がある二又を左へ行くと現在の厚木街道。右が旧厚木街道である。ちょっと歩いてみたんだが、何にもない。まあ、もともと厚木街道の宿場でもない二俣川なので何もなくて当たり前なんだが……。「当地区と鶴ヶ峰駅周辺地区は、横浜市が策定した「ゆめはま2010プラン」において「二俣川・鶴ケ峰副都心」として、横浜市の副都心に指定されている。」(Wikipedia)というから、もうちょっと「何かがある」街かとも思ったんだが、実はそうでもなかったんですね。

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 で、駅前の商業ビルや小さな商店街を歩くんだが、特に何かの特徴のある町ではない。

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 で、駅からまっすぐ北へ行く道を歩くと、「試験場通り」という名前がついているんですね。何なんだろう? 試験場って?

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 取り敢えず真っ直ぐに歩いて行くと、道は段々上り坂になっていって、山の上を嫌でも目指すことになる。

 なんだ、結局「駅から山登りをしなければ家にたどり着けない二俣川」なんだな。

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 で、どんどん山道を登っていくと……

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 ありました。神奈川県がんセンターの隣に「神奈川県警察運転免許試験場」です。ああ、それで「試験場通り」なんだな。

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 ってなことで、神奈川県では運転免許を取得しに行ったり、書き換えに行ったりすることを「二俣川へ行く」というそうだ。

 まあ、東京都民が「鮫洲に行く」とか「小金井へ行く」なんていうのと同じ意味で使っているのか。まあ、しかし、なんで運転免許試験場って、どこも駅前の便利な場所にないんだろう。

LEICA M-E ELMARIT-M 28mm f2.8 @Futamatagawa ©tsunoken

2020年9月23日 (水)

久しぶりに行ったんだけど、高崎はどうなっているのよ?

 少しはコロナ禍も収まりを見てきたという判断なんだろうか、都県境を越えた移動に対してもあまりお咎めがなくなってきた、ということなので、久しぶりに高崎まで行ってきた。

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 しばらく高崎には行っていなかった間に、随分高崎駅前が変貌していた。

 以前は高崎駅前と言えば、高崎駅ビルの高崎モントレーと高崎高島屋が二大商業施設として君臨していたんだけれども、新たに高崎オーパという8階建ての商業ビルが高崎駅西口の真ん前に出来て、ドッドーンと構えていたのだった。これで高崎にも東京に展開する目立ったショップの多くが出店することになって、ますます高崎駅前に人が集中するということになるのだろう。

 まあ、高崎駅前に行けば、東京に行かなくってもいい……、っていう風にはならないだろうなあ。

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 駅前に人々が集中するということは、大昔の高崎一番の繁華街「中央銀座商店街」はますます寂れていくのでありました。

 っていうか、既にもう寂れ始めてとっくに20~30年位経つんだけれども、全然、それは改善されずに今のようなテイタラクを迎えたっていうだけのことなんですけれどもね。まあ、そんなに世の中前向きに考える人たちなん化、いないもんなあ。

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 一人当たりのマイカー所有台数で全国一を誇る群馬県は、昔から都市周辺の道路にいろいろ駐車場付きの商業施設が出来て、都市の中心部の商店街がどんどん寂れていく、いわゆる「ドーナツ現象」が昔から言われていたんだけれども、結局、それに対する何らの手も打たれず、ますます中心部の商業施設は寂れる一方、もう既に20年前くらいからこんなシャッター通り商店街になってしまっていた。

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 それでも高崎駅まで行くのにこの商店街を通る人も多かった時期には、退店してしまった後にクラブやスナックなんかもできていたんだが、最近はそうした新規出店もなくなってきてしまって、一日中、シャッターが開かない店が多くなってきている。

 今、数少ない開店営業している店は、家屋と店を自己所有しているところだけ。他人から借りて家賃を払っている店はすべて退店してしまい、いい方でクラブなんかに商売替え出来たところだけ生き残っている。

 要は、単なる高崎駅までの通り道っていうだけの道。まあ、雨が降った時は助かりますがね。

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 このオリオン座という映画館も高崎で唯一の洋画専門の映画館だったんだけれども、もう10年以上前に閉館してしまい、取り壊すのかなと思ったんだけれども、未だに取り壊していない……、ってことは未だに跡地の買い手がついていないっていうことなんだろう。

 高崎市としてはこの中央銀座商店街をどうするつもりなんだろうか。

 どうせならアーケードも壊して、普通の通りにしてから、なにか再開発のための施策を打てないものなのだろうか。

 いっそのこと、最早、残っていても意味のない商店街なので、全部ツブして、一大マンション街にしてしまう手もあるかもしれない。

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 実は同じ高崎駅なんだけれども東口って、もともと「駅ウラ」の何にもない町っていうか、高崎競馬場があるだけの町だったんだけれども、今や高崎駅至便の住宅地になっている。

 下の写真が高崎駅東口の写真。

 写っていないけれども、左にあるのがヤマダ電機本社(LABI1高崎店)、もうちょっと先にはビックカメラもある。タワーマンションの右に見えるビルの1階には中古カメラ屋さんもあります。いいでしょ。

 で、このタワーマンション、『クライマーズハイ』を書いた横山秀夫氏のオフィスがあります。横山氏は前橋市在住なんだけれども、仕事場は高崎。まあ、高崎の方が東京から来た編集者が便利だろうっていうのがその理由。

 同じ群馬在住の絲山秋子さんは、高崎だけど駅前には住んでいないようです。

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 中央銀座商店街の表側というか旧中山道沿いのメインストリートには「シネマテークたかさき」が頑張っている。いまや高崎に残っている映画館は高崎市郊外のイオン高崎とこのシネマテークたかさきだけになってしまっている。

 頑張れ! シネマテークたかさき!

 って言うのはお気楽だねえ。

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LEICA M-E ELMARIT-M 28mm f2.8 @Takasaki ©tsunoken

2020年9月22日 (火)

東京都町田市玉川学園

 小田急線に乗って行くと、登戸から先は神奈川県、ただし町田だけは東京都……、だと思っていたんだけれども、実は町田駅の一つ手前の玉川学園駅も、まだ東京都だったんですね。

 知らなかった……。

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 玉川学園駅は「当然」玉川学園の前にある小田急線の駅なんですね。

 正面が玉川学園です。まさしく「駅前」(ちょっと歩くけどね)。

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 玉川学園っていうのは『成城学園から1929年(昭和4年)に枝分かれして、当時成城学園の幼稚園・小学校・高等女学校・高等学校の校長事務取扱だった小原國芳が創立した。前後して成城学園から分かれた和光学園創立による和光大学も敷地が隣接している。キリスト教精神に基づいた宗教教育を行っている(ただし、キリスト教学校教育同盟などには加盟していない)。』(Wikipedia)っていう学校。

 そういえば、玉川学園の一つ手前、鶴川駅と玉川学園駅の中間辺りの線路の反対側に和光大学があります。

 う~ん、結局、独立したとはいえ、成城学園と同じく、小田急沿線に自分の学校を作っちゃうんでしょうかね。もっと、違うところに作ればいいのにね。結局、小田急沿線に「成城文化圏」を作りたかったのかなあ?

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 で、東京都町田市玉川学園一丁目を町田駅方面へ歩き始めます。

 でも、町田駅近辺とは違って、この辺はとにかく山がちの地形なんですね。やっぱり、多摩丘陵の南側の地域だけあって、とにかく坂道が多い。わたしなんか江戸の人間なんで、とにかく「坂道が嫌い(特に上り坂)」ってなもんで、とにかく坂道に出会っちゃったら、「下に行く」んですね。

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 ところが坂を下りてきてこの場所に着いてしまうと、「さあ、どちらにする?」ってなプレッシャーが私を襲うんです。

 左に行けば下り坂、右に行けば上り坂、ってことは単純に左に行けばいいんだけれども、「いやいや、これは何か謎があるぞ」と考えて、さらにGoogle Mapを確認して、右の上り坂を行くのです。

 Google Mapを見るとこの先に川があるらしい、だとしたら右の坂を上ってもすぐに下り坂に変じて川に出るはずだ、左に行っても結局、川に至らず、結局、右の上り坂に行くような道がある。っていうことで、右の道を選んで小さな峠を越えることになる。

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 結局、その判断は正しく、小さな峠(っていうほどのもんでもないです)を下りてみると、南大谷という交差点があって、脇には恩田川という川が流れている。

 普通、川があると川上から川下へ歩いて行けば、上り坂はないし、川沿いに歩いて行けば、普通はどこかの町に出るものだ。という基本的な地図の読み方から考えて、そのまま恩田川沿いに歩いて行こうかとも思ったんだけれども、

 う~ん、その川を渡る橋の麓にバス停があったんですね。それも「町田駅前行き」ってのが。なんか、こういうの見ると、もう歩こうという気がしなくなってしまうのですね。ダメダ、こりゃ。

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 んで、そこからバスに乗って小田急線町田駅まで行ったんだけれども、なんだ、さっきのバス停から15分程度で町田駅前についちゃったんですね。

 なんだ、歩いても行けたんですね……、なんちゃって、その気もないくせに。

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 で、町田から新宿までロマンスカーで34分。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f2.8 @Machida ©tsunoken

2020年9月21日 (月)

じゃあ、羽田空港はどうなっているのか

 HICityはわかったんだが、肝心のHaneda Airportはどうなっているんだろう。

 って、昨日HICityに行った時についでに行けばいいのに、なんで行かなかったんだろう、なんて考えながら、今日は品川から京浜急行で羽田空港まで行ってきた。

 コロナ禍でもって国際線、国内線ともに航空会社が大いに苦戦しているという状況が、「10月1日からは東京都民もG0 To Troubleキャンペーンい参加できる」ということになって、少しは変化が起きているんだろうか、というのが、その興味の元。

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 JALグループがメインの第1ターミナル、ANAグループがメインの第2ターミナルの順番に見てきたんだが、一月ほど前とは異なり、かなり多くの乗降客が来ているという状況は見て取れた。

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 とは言うものの、以前の賑わいというか、混雑ぶりを知っている立場からすると、やっぱり随分乗客の姿は少ないなあ。

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 ターミナルの客が少ないということは、当然、周囲の店舗のお客さんも少ないわけで、「閑古鳥が鳴く」というほどではないが、いずれの店も混雑しているような様子は見てとれない。

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 とにかく、待ち合い場所の椅子が足りなくて困ってしまうような、以前の状態にまではまだまだ時間がかかりそうだ。

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 これが、東京都民がGo To Troubleキャンペーンに参加を許される10月1日には、以前のような賑わいを取り戻せるのだろうか。

 10月1日にもう一回来てみよう。

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 航空関連所で有名な田辺書店は第2ターミナルのそばです。

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LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Haneda Airport ©tsunoken

2020年9月20日 (日)

天空橋のHICityに行ってきた

「HICity」って何だ?

 分かりませんよね? つまり「HANEDA INNOVATION CITY」っていう、東京モノレールと京浜急行の天空橋に出来た「商業兼研究開発拠点」のことなんだけれども、なんで天空橋に? って部分も含めて、どんなところなのか見てきた。

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 天空橋駅は羽田国際ターミナル駅の一つ手前の駅で、昔、唯一の羽田ターミナルビルがあった時には、まさしく「羽田空港駅」だったんだけれども、国内線の第1・第2ターミナルビルが出来て、国際ターミナルビルが出来てからは、完全に羽田空港で仕事をしている人の一部関係者だけが乗り降りする駅になってしまい、昼間はほとんど乗降客がいない駅になってしまって、モノレールも京浜急行も各駅停車以外は全部通過駅になっていた。

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 まあ、そういう広大な「空き地」なので何でも作れちゃう場所はあるんだけれども、じゃあ、何を作るんだ? ってなことになって、多分、これはまさしく「多分」なんだけれども、お隣の川崎市が「川崎キングスカイフロント」っていう、川崎市の多摩川下流部にある殿町で、市が健康・医療分野の研究拠点として開発を進めている約40ヘクタールの地区の再開発に着手したっていうこと。国際戦略総合特区などに指定され、税制支援が受けられる。名称の「キング」は「Kawasaki INnovation Gateway」の頭文字のほか、殿町の「殿」から「KING(王)」を連想することに由来。「スカイフロント」は羽田空港との近さや世界とのつながりを示すという。ってな方針を出して、ちょうど羽田空港との間に多摩川河口を渡る橋を建設中というのに刺激されたんだろうなあ。

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 ということで、こちらは「HANEDA INNOVATION CITY」ってな感じで、「HICity」って名前をつけて、7月3日にオープンしたのであります。

 って言っても、こちらは「研究開発拠点」と言うためには、まだまだ肝心の研究開発拠点的なオフィスや研究施設もないし、なんかどうなっているのかなあ? ってな感じで、取り敢えず商業施設だけ先にオープンしちゃいました、ってな感じなんですね。まあ、その辺が東京らしいっていえば、東京らしいんだけれども。

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 面白いのは3Fルーフ上に出来ている「足湯」。

 なんで「羽田で足湯?」ってなことなんだけれども、まあ、それはどうでもよい。

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 ポイントは羽田空港のターミナルビルや駐機場が目の前に見えるってことなんですね。

「えっ? 足湯につかりながら飛行機の写真をとるのかよ?」

 ってアホなことは言わないこと。別に、足湯だけつかってもいいし、飛行機だけ撮ってもいいんです。基本的に羽田で飛行機写真を撮ろうと思うと、今まではターミナルビル屋上から撮るしかなかったんだけれども、もう一つ撮影ポイントが増えたっていうことなんですね。ターミナルビル屋上から撮ると、ボーディングブリッジに繋がっている飛行機か、滑走路を走っている写真なんだけれども、こちらHICity屋上から撮ると、もう一つ駐機場の写真が撮れるってことなんですね。

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 ってことで、唯一の現在オープンしている飛行機関連施設っていいうのがこれ。LUXURY FLIGHTっていうフライトシュミレーターゲーム。でもねえ、ここは羽田空港なのでやっぱりボーイング787とかの方が合うんだと思うんだけれどもなあ、"F/A-18 Super Hornet” ”F-35 Lightning  2" "F-16 Fighting Falcon" って、皆、米軍の戦闘機じゃないか。こんなの横田あたりでやればいいのにね。

 それこそゲームはなくて、本物のJALかANAが使っているフライトシュミレーター辺りを航空ファンがいじれるっていう方が、なんか羽田らしいって思うんですけれどもね。

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 で、最後に、唯一の研究開発拠点らしい展示ってのが、東京都立産業研究技術センターですかね。

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「おそうじロボット」だそうです。

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 う~ん、こんなものだけが研究開発じゃないんだろうけれどもなあ。

 ってことで、HICityの公式サイトはコチラ

NIKON DF AF NIKKOR 20mm f2.8 D & AF NIKKOR 80-200mm f2.8 ED @HICity ©tsunoken

2020年9月19日 (土)

伊勢佐木町通りは横浜橋のすぐそば

 昨日のブログで横浜橋商店街への行き方を書いたんだが、「横浜→高島町→桜木町→関内→伊勢佐木長者町→阪東橋」と横浜市営ブルーラインを乗ると自分で書いておきながら、阪東橋を下りた際にとにかく横浜橋商店街ばっかりを探して、途中の駅の名前を確認するのを忘れてしまった。

 商店街を取材して、さてどうやって横浜まで戻ろうかなを思って、横浜橋商店街の隣にある大通り公園まで出てきたところで気がついた、大通り公園にある行き先表示板に「伊勢佐木町」という表示があるのに……。

 そうか、ブルーラインに伊勢佐木長者町っていう駅があったじゃないか。ってことは、要は伊勢佐木町の商店街が側にあるんだ。って、あまり方向音痴じゃないことには自信があったのだが、ちょっとくじかれたなあ。

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 要は、「横浜→高島町→桜木町→関内」までは根岸線(京浜東北線)と並行に走っているんだが、関内を出ると行き先を北に変えて弘明寺とか湘南台の方向へと向かっているのだった。で、その途中にあるのが「伊勢佐木長者町駅」。普通ならばわかるはずなんだけれどもね。

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 ということで、久しぶりの伊勢佐木町通りを歩いた。

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 伊勢佐木町通りは関内駅のそばの伊勢佐木町1丁目の入口からかなり奥の7丁目まで続いていて、最後は公園になっている。

 横浜橋商店街から入る伊勢佐木町通りは、伊勢佐木町6丁目辺りに入るわけで、結構奥の方になる。っていうか、伊勢佐木町通りは一番奥までへも何度も来ているんだから、そこから横浜橋商店街だってすぐそばなのに気がつかなかったんですね。

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 所詮、それは「他人の街」っていう程度の、私の認識の甘さなのかもしれない。

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 例えば、それが自分の住む町だったりするのであれば、もうちょっと詳しく、町を縦横無尽に調べるんだがなあ。やっぱりいろいろな街に愛情をもって接するっていうことが必要なんだろうなあ。

 と、思わず「反省」。

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 ごめんね横浜、ごめんね伊勢佐木町。

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2020年9月18日 (金)

横浜橋通商店街に行ってきた

 菅義偉氏が総理大臣になったということで、なんか横浜橋商店街が大いに沸き立っているっていう話を聞いたので、行ってみた。

 横浜駅から横浜地下鉄ブルーンラインに乗って、横浜駅から5つ目「坂東橋」駅で降りれば、すぐそばが「よこはまばし」商店街であります。ついでに言ってしまうと、阪東橋駅がある「大通り公園」っていうのは元々「吉田川」という川があったところを地下鉄建設のために埋め立てて出来た公園らしい。

 多分、このあたりに吉田川を渡っていた橋があって、それが「横浜橋」だったんだろうな。で、それが商店街だけの名前として残って「横浜橋商店街」って、ことになったんでしょうね。

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 ポイントは、菅義偉氏がこの横浜橋商店街のそばに住んでいたことがあったんだろうか、ってこと。

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 確かに、選挙区は神奈川2区で横浜市西区・南区・港南区が選挙区範囲なんだけれども、もともと菅氏は秋田の出身なんで別に地盤ということではない。なんで、南区なんだけれども西区のギリギリの境目にある横浜橋商店街は「菅氏が住んでいたかどうかとは関係なく」(選挙区としては)「地元」ということになるんだろうなあ。まあ、要は「流れに乗っちゃえ」っていう、正しい方向なんです。

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 昔、住んでいたのかどうかは分からない。でも、今や菅氏が住んでいるのは『菅氏の自宅は横浜駅から徒歩5~6分に位置する41階建てタワマンの中層階の一室。購入時期は総務相時代の2007年で、部屋は98平方メートル。価格は1億5000万円にも上るという。
 マンションのビューラウンジからは海や横浜ベイブリッジを眺望することができる。周囲には商業施設が立ち並び、生活にも便利な絶好の立地だ。
 登記簿によると、購入と同時にこの物件を担保に5000万円を借り入れているが、約10年で完済しているから、やはり普通のサラリーマンとはワケが違う。』(日刊ゲンダイデジタル)

 ってことだから、多分、今住んでいるのは西区、横浜駅ののそばののタワマンなんでしょうね。

 別に、もともと菅氏は南区の下町の代表ではないんですよ。

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 まあ、別に商店街の方でも「菅効果」は別に菅氏自身がどうこうということとは関係なく、「菅効果」でもって「横浜橋商店街」が注目されればいいやってな感じの、「便乗効果」でしょうからね。

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 ってなことなので、ポスターや飾りでは「菅政権」の誕生を喜んでいるような姿を見せているようなところはあるんだけれども、だからと言って、菅政権と同沈する気はありません。

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 単に、「菅政権誕生」を商売のネタにしているだけなんですね。

 そりゃそうだ。

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LEICA M-E VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 ASPHERICAL @Yokojamabashi Minami Yokohama ©tsunoken

2020年9月17日 (木)

東京周縁部を往く:南小岩駅前昭和通り

 なんか最近「都県境」方面へ行かなくなってしまったので、あまり「県境」意識がなくなってしまったのかなあ。実は、この日も何となく総武線に乗って、駅の順番は「亀戸→小岩→新小岩→平井→市川」っていう感じで千葉県に入るのかなという、大間違いをしてしまった。

 実は、この駅の正しい順番としては「亀戸→平井→新小岩→小岩→市川」だったんですね。

 なんとなく乗っていて、気がついたら千葉県市川市。こりゃあいかんと、慌てて電車を降りてホームの反対側の中野行に乗って、小岩まで戻ってきた。

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 小岩駅の南口駅前からは左からサンロード、昭和通り、フラワーロードという三つの商店街が拡がっている。

 まあ、いかにも「見た目」から言っても、更にその名前から言っても「昭和通り商店街」が一番古そうなので、昭和通りを進むことにする。

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 いやあ、如何にも「昭和」っていう名前の通り、その「闌れっぷり」がいいですね。

 まさしく昭和の匂いがプンプン。

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 昭和通りの真ん中辺には小さな小さな水天宮があります。人形町の大きな水天宮と同じく水商売、安産、子授け、子育てにご利益がある神様であります。といっても、人形町の水天宮みたいには人出はなく、地味に地味に、小岩昭和通り商店街の脇に、ひっそりと鎮座ましましています。

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 近所にはこんな小さな子どもの遊び場なんかもあって、風情があります。

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 昭和通りが柴又街道、千葉街道とぶつかる辺りが昭和通りの駅とは反対側の終わり。

 ますます闌れた商店なんだが、もう既に閉店していて、こんな長屋形式の商店なんかもあるのだが、残念!

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 たいした収穫もなく、小岩駅へ戻ってくるのです。

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 そんなにネタが欲しけりゃ、フラワーロードの方を歩けばいいのにね。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Minami Koiwa ©tsunoken

2020年9月16日 (水)

所沢駅東口が大変身!

 西武線の所沢駅と言えば、賑やかな商業地である西口と対照的に東口は西武鉄道の本社があるだけで、あとはだだっ広い駅前のバス停があるだけの空間という感じだった。

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 西口は西友ストアと西武デパート、ビックカメラなどの大きな商業施設と、所沢陸軍飛行場が日本の航空発祥の地であることから命名されたいかにも所沢市らしい名前の「プロぺ通り」なんていう商店街があって人通りが多いんだが、東口には、特に夜になってしまうとほとんど人通りのない閑散とした街になってしまうのであった。

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 それがこの9月2日にグランエミオ所沢という商業施設が所沢駅の上にグランドオープンして、かなり人通りが変わったようだ。

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 グランエミオというのは、西武グループの不動産事業を担う企業「西部プロパティーズ」が運営するショッピングセンターのことで、エキナカ商業施設である「Emio(エミオ)」を経営している。2007年にEmio練馬を開設したのが、そのスタート。

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 グランエミオ所沢は2018年3月に第1期オープンをして、取り敢えず所沢駅西口側をオープン、2020年9月3日に西口から東口まで全部が完成・オープンしたというわけなのだ。

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 と言っても、別に他の大きなショッピングセンターとは特に変わったところはない。

 ポイントは、以前は所沢駅自体には商業施設はなくて、駅前のデパートや商店街にその仕事は任せていたんだけれども、遂に鉄道会社自身が商業施設の運営まで始めてしまって、それもエキナカという一番有利な場所で展開しているっていうことなんだなあ。

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 面白いのは、西武鉄道の主要駅でありながら、一方、クルマ社会でもある所沢市のショッピングセンターなので、4階以上のフロアは駐車場になっているっていうこと。エキナカの商業施設で駐車場完備ってのも珍しい。

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 ただし、東口方面はもともと「エキウラ」だったので、いまだに利用客が少ないらしく、今後、周囲の施設を更に開発して、更に東口利用の乗降客を増やすことが課題だろう。

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 ってことで、特急ラビューで帰って来た。池袋まで21分。

LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Tokorozawa ©tsunoken

2020年9月15日 (火)

戒厳令を越えて、横浜に行ってきた

 10月からは東京都も"GO TO TROUBLE"の対象になるそうだ。

 ってことは、小池都知事が要請する「不要不急の都県境を越えた移動の自粛」というのもなくなるのかなあ。ということで久々に東京都と神奈川県の境を越えて横浜に行ってきた。

 いやあ、感慨深い。今まさしく都県境を越えた瞬間です。3月21日のブログ「越境感覚・川崎潜入記」以来の多摩川越えだもんなあ、結構、考え深い。

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 京浜東北線を関内で下車して横浜公園を通る。この日はハマスタでDeNA戦があるようで、その準備をしている様を横目で見ながら中華街へ向かう。

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 って、あれ?

 結構、人が出ているじゃないか。横浜でクルーズ船がコロナウィルスのパンデミックの始まりを告げた頃には、さすがに中華街も人出が少なかったんだけれども。まあ、確かに中国人っぽい人たちは少なくて、日本人らしき人たちが人出の大半ではありますな。

 まあ、横浜中華街は別にインバウンドに頼らなくても人出は問題ない、っていう街なんだろうな。実際、横浜中華街に中国人観光客が増えてきたのも、実はそんなに前からじゃなくて、最近のことだもんなあ。

 っていうか、なんで中国人とか韓国人とかって、外国に行ってもチャイナタウンとかコリアンタウンとか行きたがるんだろうなあ。せっかく、外国に行ったんだから、やっぱり外国情緒を味わいたいじゃないですか。それが、なんで外国に行ってまで、自国にこだわるんだろう。

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 その辺は昨今観光地になった街とは違う、まあ、観光地としての貫禄みたいなもんでしょうか。もともと、横浜中華街とか元町とかって、日本人しかいなかったもんなあ。

 この改造バイクも、なんか横浜中華街風で、結構イイ感じではあります。『AKIRA』風でもないし、なんかレトロ風な感じもあり、いやあ、目立つこと目立つこと。走るところを見たかったんだけれどもなあ。

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 中華街をでて、山下公園へ行けば、やっぱり週末ですから多くの家族連れが芝生の上で三々五々過ごしています。

 ホテル・ニューグランドも、東京駅ステーションホテルと同じく、一度宿泊してみたいホテルなんだが、なんか、未だに宿泊できていないホテルのひとつなんですね。一応、このレストランで世界で一番最初に出したと言われる、スパゲティ・ナポリタン、ドリア、プリン・アラモードは一応は制覇しているんだけれども、未だ経験していないのが、大晦日に一斉に轟かせる港に停泊している船の汽笛なんですね。

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 なかでも、やっぱり一番感慨深いのが氷川丸の汽笛だそうだ。

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 う~ん、これは何としてでも聞いてから死にたいもんですねえ。

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 なあんてことを考えながら、湘南新宿ラインで東京に帰って来たのでした。

NIKON Df AF NIKKOR 50mm f1.8 G / AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Yokohama ©tsunoken

2020年9月14日 (月)

今や、風前の『東京路地裏横丁』って、どういうことなんだろう?

 う~ん、もう『東京路地裏横丁』ったって、どれだけ残っているんだろう。

Photo_20200910171501 『東京路地裏横丁』(山口昌弘・著/CCCメディアハウス/2015年9月28日刊)

 本書に書かれている「路地裏横丁」は目次から以下の通り(ただし、既になくなっている横丁には取り消し線が、私が言ったことのない横丁はアンダーラインが施されています)。

宿 ゴールデン街/新宿 思い出横丁/新宿 思い出の抜け道/渋谷 のんべい横丁/三軒茶屋 三角地帯周辺/吉祥寺 ハーモニカ横丁/西荻窪 南口駅前と柳小路/自由が丘 自由が丘横丁と駅周辺武蔵小山 駅前路地裏飲食街/神楽坂 かくれんぼ横丁とその周辺/大森 山王小路飲食街(地獄谷)/銀座 路地裏小路/神田 今川小路/立石 呑んべ横丁

 おお、結構行ってるじゃないか。優秀、優秀!

 って、別に威張るほどの問題じゃないんですけれども、まあ、それなりに私も路地裏の飲み屋横丁には行っているんだな、ってなことを確認した。

『東京の路地裏横丁は戦後まもなく、焼け野原となった場所に闇市や屋台などの小さなお店が重なるように集まってできたところが多い。渋谷ののんべい横丁で六〇年、お店をやっている女将さんに話を聞くと、当時この辺りは一面野原で雑草が生い茂っていて、その場所に屋台と同じ広さの三坪ほどの小さなお店を、くじ引きであてがわれたそうだ。戦後の何もない時代に人々の憩いの場として生まれたのが路地裏横丁なのである。まさに昭和の面影を今に残す横丁だが、再開発により年々その姿を消している。二〇二〇年の東京オリンピック開催に向けて、今後ますます再開発が進むと予想されるが、その時、ここに収められた路地裏横丁がどれだけ残っているのか心配である。』

 っていうのが、本書の著者・山口昌弘氏の弁なんだが、勿論、自分が親しんでいた「路地裏の飲み屋横丁」がなくなるっていうのが悲しいというのは良く分かるんだが、でも、そうやって町というのが新陳代謝していきながら生きながらえるっていうのも、もう一つの「街の生命」の事実でもある。

 昔を懐かしがるのも感性のひとつなら、新陳代謝する街のその変化ぶりを楽しむのも、もう一つの感性のありかたである。

 いずれにせよ、「路地裏横丁」なんていうものは、最早、なくなる定めにある存在である。そんな「失われた街」を回顧することは大事ではあるけれども、大切なことではない。そんな街に拘泥することには意味はない。「消え去るものは消え去る」のである。

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 渋谷のんべい横丁を裏から見ると、こんな感じ。これはのんべい横丁全盛期には見えなかった。

LEICA M-E LEITZ SUMMICRON 35mm f2 @Shibuya ©tsunoken

  『東京路地裏横丁』(山口昌弘・著/CCCメディアハウス/2015年9月28日刊)

2020年9月13日 (日)

『東大全共闘 1968-1969』

 渡辺眸氏の同名の親本が出ていたのは知っていたし、実際に手にしたこともあるのだが、実は買っていなかった。

 渡辺眸氏の本で持っていたのは唯一『1968新宿』(街から舎/2014年8月26日刊)、1968年に東京写真専門学校を卒業した渡辺氏が、新宿の街を撮り始め、最終的には新宿駅西口で活動していたフォークゲリラなどの運動に収斂していく様を同時間で捉え、最後は1968年10月21日の国際反戦デーへと収斂していく一冊ではあった。

Photo_20200911150401 『フォトドキュメント 東大全共闘 1968-1969』(渡辺眸・著/角川ソフィア文庫/2018年4月25日)

『初めて本郷のキャンパスに入ったのは、そんな頃。
飲み友達のデザイナー、山本美智代さんのアパートを何度か訪れていた。彼女の夫である義隆さんと顔を会わせることは、めったにない。たまに話し込んで遅くなるとドアが開き、ヌッと長身の義隆さんが姿を現すのだった。』

 と書くのが、新宿の街頭闘争の取材から東大全共闘という拠点での闘争に取材対象が変わってきている。

『連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして仆れることを辞さないが、力を尽くさずして挫けることを拒否する』という有名な、安田講堂内に残された落書きにある通り、東大闘争というのは元々は医学部の研修協約闘争から始まった、あくまでも「学生運動」でしかなかったし、日大闘争もまた古田重二良会頭による不正経理を糾弾する学生たちの「学生運動」であった。

 本来ならば、そうした学内運動でしかない全共闘の運動に対して、国家権力が介入し、両運動の代表者が逮捕されるということは有り得ない筈なのだ。60年安保闘争とは異なったフェーズの出来事ではあるのだが、そこに敢えて介入した国家権力というものの存在が、何かを予想させるものがあった。

 大学の学生自治組織としては、全国の大学自治会があって、その全国組織が全国学生自治会連合、いわゆる全学連なんだが、新左翼党派が領導する自治会もあるんだが、大半の大学の自治会は日本共産党系(民主青年同盟)の傘下に収まっていて、実はこの民青系全学連が、肝心の時には反学生・反革命の立場になって、国家権力と一緒になって学生運動を抑圧する側に立ってしまうんだということを証明したのが、この1960年代後半の学生運動の特徴でもあった。

Photo_20200912191901©渡辺眸

 2007年10月に本書の親本が出版された時のことが「あとがきにかえて」に記されている。

『出版が実現したのは、ある写真展で久しぶりにKokoこと山岸享子さんに会えたから。新潮社の瀧本さんを紹介していただいた。』

 それがきっかけだったらしい。ちなみに山岸享子さんという人は、写真のキューレーターとして有名な人だった。

『十年前、こうして新潮社から出版された『東大全共闘 1968-1969』を読んで、「今の学生にも見てもらいたいので、東大の五月祭で写真展をやりませんか?」と連絡をくれたのが、当時東大生だった藏本くん。角川書店に就職した彼が、五十周年だからと文庫化の提案をしてくれて、再編集版の今回の本が生まれました。』

 というのが、今回の文庫版のあとがき。

 どのくらいの部数を刷ったのかは分からないが、新潮社もなかなか懐の深いところを見せるもんだなあ。

L10026242_20200912191601権力の象徴ってことではないですが……。LEICA M-E ELMARIT 28mm f2.8 @Kandabashi ©tsunoken

 『フォトドキュメント 東大全共闘 1968-1969』(渡辺眸・著/角川ソフィア文庫/2018年4月25日)

2020年9月12日 (土)

『同調圧力』

 日本における『同調圧力』の原因は、市民革命という経験を経ないで近代化してしまったという、歴史的欠陥が日本にはあり、更にはそれが全然発達せずに、第二次世界大戦時の「隣組」制度になってしまったからだというのが私の考え方だったんだけれども、どうもそればかりではないらしい。

Photo_20200905171701 『同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか』(鴻上尚志・佐藤直樹・著/講談社現代文庫/2020年8月19日刊)

佐藤 その通りです。もちろんどの国も極限状態にありますから、それなりに同調圧力はあると思います。けれども程度のひどさという点で、日本は突出している。海外ではコロナ禍にあっても、ロックダウン反対などの大規模なデモがくりかえされるわけです。堂々と国の方針に逆らい、異論をぶつける人も少なくない。日本はどうでしょう。「ルールを守れ」「非常時だから自粛しろ」といった多数の声、つまりは同調圧力によって、異論が封じられています。たかだか数店舗のパチンコ店が緊急事態宣言下でも営業しただけで、店舗名が公表されたうえで激しいバッシングを受ける。感染者のプライバシーまで暴かれる始末です。怖いですよ、これは。
鴻上 僕もコロナが深刻化してからずっと、「戦時下」を生きていると思ってます。』

佐藤 じつは総務省の『情報通信白書』(二〇一八年版) に興味深い調査結果があるんです。これによると、欧米諸国に比べ日本は他人への不信感が強いという調査結果が出ています。すなわち、「SNSで知り合う人達のほとんどは信頼できる」かの問いに対して「そう思う・ややそう思う」が日本では一割ほどだが、ドイツは約五割、アメリカは約六割、イギリスは約七割にも上ります。また、ネットで知り合う人を信頼できるかどうか見分ける自信があると答えたのが、日本は二割ですが、英独仏は六~七割もありました。
鴻上 この調査結果には驚かされました。SNSで出会う人間を信用している日本人は、全体の一割しかいないのですから、これはもう、ネットで「炎上」が繰り返されるのも当然でしょう。
佐藤 欧米人が他人を信用できると答えるのは、見分ける自信と能力があると考えるからで、別に人が良いわけではない。まさにヨーロッパで一二世紀以降に成立した個人とは、人間関係を自立的に判断する能力をもつ人のことだと思うのです。一方、日本人は、「身分制のルール」 があるため、他人を信用できるか否かは、「世間」のなかでどういう地位や身分を占めるかによって判断してきた。これは、それを自立的に判断する能力が、日本では育たなかったことを意味します。人を見極める能力がないことが、根拠のない情報に踊らされ、パニックを起こしやすい理由となっているのではないでしょうか。

佐藤  結局、個人であるか、ないかということの違いだと思うんですね。「身分制のルール」 があるので、その人間が信じられるかどうかということを、僕たちは名刺や肩書で判断する。自分の目の前にいる相手がどのような組織に属しているのか。役職は何なのか。そうしたことで人間を信用するという判断の仕方が当たり前だった。ですから、肩書や属性などが不明である場合、相手がどのような人間であるのか、それを判断する能力が日本人はなかなか身についてこなかったんですね。
鴻上  SNSでデマが流されたとしても、例えば自分の「世間」に属すると思う人の情報だったら、それだけで信じちゃうんですね。そこに検証という作業が欠けています。』

鴻上  先にも話した通り、西洋の個人主義はキリスト教という一神教にすごく支えられた個人主義ですよね。つまり個人が強いわけではなくて、神に支えられるからこそ強い個人でいられる。もともと日本だってじつは一向一揆の加賀の歴史みたいに、農民が約一〇〇年間、百姓の国をつくったりしています。これは一向宗、つまり浄土真宗が支えとなっていました。宗教的に支えられると、日本の農民も、お殿様を城攻めしてやっつけて、自分たちで統治できる。しかしコロナ禍の時代、キリスト教やイスラム教みたいな一神教の支えがないまま、我々日本人が個人として強くなろうとすると、「国家」という幻想に支えを求める人びとが増えていく可能性は大きいでしょう。』

 そうか、ヨーロッパの個人主義の元は市民革命によって形成されたのかと思っていたのだが、もっとそれ以前に『キリスト教という一神教にすごく支えられた個人主義』だったのか。というか、キリスト教という一神教に支えられた個人が集まったからこそ、ヨーロッパの市民革命が成されたとするならば、初めから日本で市民革命が起きる可能性はなかったということになる。

 つまり、今更、日本国民の「同調圧力」だとか、「ネット市民」の 「ネトウヨ的ヤンキー気質」なんかは「治す薬はない」って言うことになってしまうなあ。

 まあ、だからこそ「ヤンキー気質」にまみれた安倍政権は長期化したんだろうし、同じく「ヤンキー気質」そのものの自民党政権も長続きするんだろうなあ。

 でも、その「ヤンキー気質」こそが「田舎者の外的世界に目をつぶった、仲間内だけの合言葉」みたいなもので、外の世界では全く通じない「仲間言葉」でしかないんですけれどもね。

 まあ、そんな社会が「世界に開けた国(都市・街)になんかなるはずはありませんね。このまま、世界からどんどん遅れていく国になっていくんだろうな。

 まあ、それもいいか……。

 『同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか』(鴻上尚志・佐藤直樹・著/講談社現代文庫/2020年8月19日刊)講談社は基本的に紙版・電子版は同時刊行です。

2020年9月11日 (金)

夏の終わり(秋の始まり?)の砂町銀座

 だいたい、新しい広角レンズを手に入れると、砂町銀座か十条銀座などの昔からある商店街にテスト撮影に来る。

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「昔からある商店街=ゴミゴミ、ゴチャゴチャしてた狭い通りにある商店街ってことで、短いレンズのテスト撮影には向いている……、と勝手に考えている。

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 更にこうしたいわゆる「下町の商店街」というもののすぐ裏には現在は個人の住宅が拡がっているんだが、昔はこうした住居は手工業の町工場だったところが多かった。

 そうした町工場では社長夫人なんて言ってしまっては失礼にあたる、オヤジさんのおかみさんも一緒に仕事をしている。そんなおかみさんが、取り敢えずご飯だけを炊いて、あとは近所のお総菜屋さんなんかでおかずを仕入れて、おやじさん一家と社員も合わせて簡単な夕食にする、っていうのが下町スタイルの夕食風景なのであります。まあ、「三丁目の夕陽」の世界ですね。

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 思い出してみれば、私が育った足立区の関原商店街っていうのもそういう種類の商店街であって、砂町銀座とか十条銀座などとは比較にもならない無名の商店街ではあったんだが、商店街の性格としては、砂町や十条などと同じような「下町の商店街」ではあった。

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 まあ、一種の「懐かしさ」もあって、こうした「下町の商店街」っていうものに郷愁を持っているんだが、一方では東急沿線あたりの周辺に拡がる「現代の商店街」には、残念ながらあまり親しみはわかない。その代表選手がサザエさん通りがある東急田園都市線桜新町辺りなんかの街並みだ。

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 基本的に言ってしまうと、そこここにある住宅っていうのが、玄関とは別に「勝手口」がある家の建て方である。

 現在住んでいる文京区本駒込の大和郷辺りの家の作りが実はみんなこの「勝手口」付きの家で、みんな敷地100坪以上の、お屋敷の造りの家である。多分、御用聞きの三河屋のサブちゃんなんかが昔は毎日訪ねてきたんだろうなあ。

 長谷川町子さんが桜新町に居を定めたのは何時頃の頃からかは知らないが、ああした暮らしは当時の日本ではまだまだ高望みの生活ではあったはずだ。まあ、その辺が自分の経験以外のものを描けなかった長谷川町子さんの限界って言えば限界なんだが、でも、そうした暮らしに日本中が憧れていた時代ではあったんだろう。

 ある意味での、日本人の当時の理想の生活スタイルが、サザエさんの生活でもあったのであろうなあ。

 今更、テレビ番組の長寿の理由ではないんだと思うんだが……。

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LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Kita Suna Koto ©tsunoken

2020年9月10日 (木)

南砂町元八幡

 久々に砂町銀座にでも行こうかと思って、地下鉄東西線の南砂町駅で降りて丸八通りを歩き始めたんだが、いつも気になっていた通りがあったので、砂町銀座の前にそちらをちょっと深訪してみようかと考えて、「元八幡通り」を歩いた。

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 元八幡通り自体は、まあ、普通の商店街ですね。ただし、かなり闌れた商店街っていう感じで、都バスが走っている道なので、昔はそれなりにこの地域の中心的な通りだったんだろうけれども、最近は近所にイオンなんかも出来ちゃって、ますます闌れっぷりに磨きがかかったという感じでしょうか。

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 いいなあ、この闌れっぷり。

 なんかモータースに置いてあるバイク自体がメチャクチャ闌れているっていう感じが、まさしく闌れっぷりに磨きがかかっちゃっているっていうかなんていうか……。

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 で、元八幡通りを真っ直ぐに行って、東京シティ信用金庫がある十字路を右に行くとあるんですね。

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「富賀岡八幡宮」です。

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 由緒書きを読んでみれば……

『当宮は深川富岡八幡宮の元宮として、また、砂村総鎮守として広く知られており、その創建は古く、藤原鎌足の孫、藤原豊城卿が下総守に任じられ下向のみぎり、天平勝宝元年(七四九年)に創立された区内屈指の古社であります。
 当宮と深川八幡宮との関係は、この地が宝六島と呼ばれていた寛永初期、京より永代島に移り暫く当宮を拠点に活動していた長盛法師が、当宮に奉祭されていた「八幡像」を、深川八幡宮に移し勧請したことにあります。この「八幡像」は、源三位頼政、千葉氏、足利尊氏、鎌倉公方基氏、菅領上杉氏から太田道灌へと伝えられ、特に道灌より厚い崇敬を受けていたものであります。」

 とある。

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 えっ えっ えー。

 深川の富岡八幡宮の元宮だってぇ?

 富岡八幡宮の創建に関しては『創建1627年(寛永4年)、菅原道真公の末裔といわれる長盛法印が神託により、当時永代島にと呼ばれた小島に創祀したのが始まりとされる。』(Wikipedia)とあるので、話の筋は通っているなあ。

 なるほど、寄り道っていうのもやってみるもんだ。意外なところに、意外なものがあったりするのである。 

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 富賀岡八幡宮には富士塚があります。八幡様にも富士山信仰はあるんだなあ。

nLEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Minami Suna Koto ©tsunoken

2020年9月 9日 (水)

本所林町って、どこだ?

「本所林町の粗忽長屋に住む甚兵衛さんのお話」というのを昨日のブログで書いたので、「じゃあ、その『本所林町』ってどこなんだ、っていうのを確かめに行った。

 ただし、現在の墨田区には「本所林町」という名前の地名はない。昔の「本所区」の時代には、現在の竪川のあたりが林町だったらしいのだが、それは以前にも行ったことがあって、まったく昔の面影もない町になってしまっているので、ここは天邪鬼にも現在の「墨田区本所」に行ってきたのでありました。

 都営地下鉄大江戸線の蔵前で降りて、春日通りを東へ進むと厩橋で隅田川を渡る。渡った先が「墨田区本所一丁目」という具合で分かりやすい。

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 そのまま、春日通りを横十間川へ向かって一丁目~四丁目までが「本所」であります。それ以外に墨田区で「本所」の地名が付いた場所はないので、取り敢えず春日通り沿いに歩く。

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 まあ、いろいろ歩くんだが、目の前に現れるのは、いつもの墨田区の見慣れた姿。

 表通りにはないんだが、裏通りには行ってみればそこここにしもた屋があるし……

 畳表なんかのお店があって、いかにも下町ってかんじですね。

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 こんな感じの小さな町工場やら竪川からの流れの自動車工場なんかが目に付く。

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 おお、『堀の内』の主人公・甚兵衛さんが息子の金坊を連れて行った風呂屋があるぞ。はたして江戸時代から営業をしていた湯屋なんだろうか、どうなんだろうか。

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 なあんてことを考えて歩いていると、すぐに横十間川に出てしまう。

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 ここは墨田区本所四丁目。厩橋から歩いても1キロ程度しかないのが、「墨田区本所」の実態なんだなあ。

 勿論、下町のシンボル「東京スカイツリー」が見えます……、って左の方に見えるのは現在の「粗忽長屋」であるマンションかな?なーんて下らないことを考えている私の方が粗忽者でした。

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 お後がよろしいようで……

LEICA M-E ELMARIT-M 28mm f2.8 @Honjo Sumida ©tsunoken

2020年9月 8日 (火)

落語『堀の内』

 落語「滑稽話」の外題で『堀の内』というのがある。

 本所林町の粗忽長屋に住む甚兵衛さんのお話というのが、『新編 落語の落』(東洋文庫 611)の解説で、『粗忽者』というタイトルなんだが、私が聞いた限りでは『堀の内』というタイトルで熊五郎さんが主役の噺の方が多く演じられているようだ。

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『あわて者の熊五郎は、自分のそそっかしい癖を信心で治そうというかみさんの提案で「堀の内の御祖師様」へ毎日お参りに行くことにする。しかし、そそっかしい男が行くまでの間にトラブルを引き起こさないわけもなく、自分がどこに行くのかを人に尋ねたり、落ち着こうと他人の家に勝手に上がりくつろいでから道を聞くようなトンチンカンな行動に出る。

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 そんなトラブルを起こしつつもようやく堀の内の御祖師様(おそっさま)に着いて、いよいよお参りをしようとするが、あろうことか財布ごと賽銭箱へダイブ…この件は賽銭の前払いにしてもらうとして済ませ、腹も減ったことということで今朝かかあに持たされた弁当を頂くことにするが、風呂敷と思っていたのはかかあの腰巻き、弁当だと思っていたのはマクラだということに気づき、空腹の苛立ちもあり、急いで帰宅し、かかあに怒鳴りつける…が、何故かかかあは笑っている。その理由を問うと、入るべき家を間違えて別の家のかかあに怒鳴りつけてることを教えられ、急いで謝罪を…自分のかかあにしてしまう。事の成り行きを聞いたかかあは呆れかえる。

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 気を取り直して息子の金坊と湯に行こうとするが、おんぶしようとする金坊がやけに重い…と思っていたらかかあだったという一ボケをまたかましつつも湯屋について服を脱ごうとするがなぜか店の者が嫌がる。それもそのはず、入るべき湯屋の隣の床屋に入ってしまっていたのだから…

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 そんなドッタンバッタン劇を繰り返しつつ、湯に入って金坊の背中を流そうとするが見ると入れ墨がされている…と思えば別人のヤクザだった。ここまでミスが重なると熊も息子に八つ当たり気味に苛立ってくるが、今怒ってもしょうがないのでとりあえず背中は流してやることにする。ところがいつまで洗っても金坊の背中が途切れない…と思っていると、気づくと湯屋の羽目板を洗っていたのであった。』

 という滑稽話なんだが、しかし時代は江戸時代の頃の設定なんだろう、なんせ本所林町という蔵前橋の東にある下町長屋が出発点で、そこから江戸を横断して、中野鍋屋横丁から少し行った杉並区の堀の内にある「やくよけ祖師」で有名な日蓮宗本山、日円山妙法寺のお話なのだ。

 昔の人の健脚ぶりには驚かされるのだが、まあ当時はその位の距離を一日出歩くことなんかは当たり前だったんだろう。

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 ところでその妙法寺のご利益なんだけれども、別に「そこつの癖直し」というのは入っていない。まあ、この「ご利益一覧」から見れば「諸祈願」ってところなんだろうけれども、せっかくだから「粗忽直し」ってのも入れてほしいなあ。

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 あっ、そうか。別に熊五郎さんはお祖師様に詣でても、別に粗忽は治っていないのか。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f2.8 @Horinouchi Suginami ©tsunoken

2020年9月 7日 (月)

『東京、コロナ禍。』非ジャーナリスト的視線

 いずれは出てくるだろうと思っていたタイトルの写真集が出た。

 まあ、こういうものは「早いもの勝ち」なので、先に出したほうが有利になる。そういう意味では「ジャーナリスト的」な考え方なんだけれども、写真を撮る視線は決してジャーナリストのものではない。

Photo_20200902161601『東京、コロナ禍。』(初沢亜利・著/柏書房/2020年8月10日刊)

 解説の佐々木中氏はこうした初沢亜利の視線をこう描く。

『前々作『沖縄のことを教えてください』(赤々舎)刊行の折、初沢氏との対談で語ったことをもう一度繰り返すことにする。沖縄を撮ること、このことには4つのレベルが存在する、と。断じて3つではなく、4つである。

 レベル1。「南国の楽園としての沖縄」を撮ること。つまりツーリズムの欲望の対象としての沖縄を撮ること。

 レベル2。「『真の』沖縄、政治かつ政治的暴力の発言の場としての沖縄」を撮ること。レベル1の写真たちに抗して、抑圧され差別と貧困に喘ぎそして闘争を組織してきた沖縄の人々とその生の場としての沖縄を撮ること。

 レベル3。美的な対象としてのみ「沖縄」を撮るのでも、政治的対象としてのみ「沖縄」を撮るのでもない。言うなればレベル1とレベル2の相克をあえて忘れて、「等身大」の写真家として「等身大」の沖縄を撮ること。あたかも素朴な身辺雑記のような装いすら時には纏い、彼はレベル1とレベル2のあいだを往還しながら、そのどちらも巧みにすり抜けるような写真を撮り続けるだろう。

 レベル4。美的なものに自閉するでもなく、政治的なものを露出させるのみでもなく、その2つを搾取する「等身大」の、素朴を装った悪辣さに溺れるでもないこのレベル4の写真とは一体何だろうか。それは、「対象に拒絶されていること自体を撮ること」である。「写っているその当の事態に何もすることができず、距離を保って無力を晒していることそれ自体を撮ること」である。

 と。

 う~む、なんという弁証法であろうか。

 そんな哲学者の後付けとは関係なく、写真家は目の前の事象を撮影し続ける。

 今は「コロナ禍」であるのか、そうではないのかにかかわらず、写真家は街を歩きながら目の前の事象を撮影し続けるのである。たまたま、現在撮影している時点が、2020年のコロナ禍にある東京だったということでしかない。わずかな違いは、写されている人たちの殆どが、コロナ対策用のマスクを着用しているというだけなのである。

 それを取り除けば、「2020年の東京の風景写真」なのである。

 で、それでいいのである。

Photo_20200904123102©初沢亜利

 本写真集で一番面白かった写真は、巻末のパノラマ写真であります。

 これのどこが「コロナ」なんだと言えば、べつにどこも「コロナ」じゃない。そういうところが「コロナ」なんだ。

『東京、コロナ禍。』(初沢亜利・著/柏書房/2020年8月10日刊)

2020年9月 6日 (日)

「坂のある街」が好きになった理由

 もともと生まれ育った環境は坂のない町だった。

 足立区に育ち、その後、30代までは練馬区に住んでいた当時は「坂」とは無縁の生活だった。

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 結婚して、妻の実家のそばである本駒込に移り住んでからが、「坂のある街」の生活になった。

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 坂のある街での生活というのは、当然「坂の上の町」と「坂の下の町」で異なった生活上があるわけで、それが昔は「坂の上の武家屋敷に住む侍の生活」と「坂の下の町に住む町人の生活」というのが、江戸の生活だった。

 ただし、これは江戸(東京)の町の元が関東ローム層でできた武蔵野台地に出来た江戸城を中心に開発され、その江戸の武士たちの生活を下支えする町民たちを、江戸では武蔵野台地の先の江戸湾の埋立地を中心とする場所に住まわせたという関係からできた町の分断があったわけである。

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 こうした棲み分けから出来たのが「山の手」と「下町」であり、それを往還する関係というのは、身分制の下にはなかった考え方だった。

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 こうした「山の手=武士の町」と「下町=町人の町」との分断は、しかし、明治維新を越えて次第に薄くなり、現在ではさほど意識されることもなくなっている。

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 意識されることは少なくなったとはいえ、しかし、やはりそこには「坂の上の生活」と「坂の下の生活」という、身分制ではないがなんとなく「生活感の違い」のようなものがあるのではないだろうか。

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 坂の上の町には日当たりのよい場所が多く、なんとなく住みやすさにつながっているような気がする。

 とは言うけれども、別に、現在では「坂の上と下」の分断はなく、「坂の上の生活」と「坂の下の生活」が異なるわけではない。

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 というところまで考えて来て、やはりこれは東京独特の考え方なんだということに気がついた。

 大阪や名古屋にそうした「坂」は存在しないし、京都には「洛中」と「洛外」という区分けはあっても、それが坂で分断されているわけではない。

 つまり「坂の上」と「坂の下」でもって異なる生活があるという考え方が、東京独自の考え方だっていうことなのだ。

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LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Kagurazaka ©tsunoken

2020年9月 5日 (土)

田園調布も西口と東口では違う

 東京都大田区というのは不思議な区で、北西部には田園調布という典型的なお屋敷町を抱える一方、国道1号線あたりから南東部分は「下町ロケット」に代表される町工場などが林立しており、一番海に近い東の端は羽田空港という、三つの貌を持った区である。

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 一番、北西部にある田園調布というのは、ご存知の通り渋沢栄一が作った田園都市株式会社が開発・分譲した住宅地で、そのパンフレットにはこう書かれている。

『日本の田園都市を建設するにあたり「田園都市という言葉はその起源から考えてみますと、今日わが国で用いられている意味とは少しその趣を異にしているように思われます。本社の如きも田園都市株式会社という商号を用いていて居りますものの、英国では田園都市と銘打って始めた事業の内容に比べますとだいぶ相違した点もありますから、ここに簡略ながら田園都市ということについて一言申し述べようと存じます」』

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『「イギリスの田園都市では工業地域の工場へ通勤する労働者の住宅地を主眼にするのに反して、わが田園都市に於いては東京市という大工場へ通勤される知識階級の住宅地を眼目といたします結果、いきおい生活程度の高い瀟洒な郊外新住宅地の建設を目指しております」また「イギリスの田園都市は工業地域、農業地域も一体に作りますが、日本の田園都市は住宅のみの建設に限定し、田園を冠する限り、その住宅の建設される地域はつぎの要件を満たすことが必要であります」』

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 ということで、初めから「高級住宅地」というイメージで開発された田園調布は、多分、その前年開発分譲された文京区本駒込の大和郷(やまとむら)をひとつのモデルケースとして開発されたのであろう。

 ただし、地形的に面白いのは、田園調布の場合、住宅地として開発分譲されたのは、現在の東横線田園調布駅の西側、国分寺崖線の上にある「坂の上の街」なのである。

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 当然、「坂の上の街」がある以上、「坂の下の町」(なんで「まち」の感じが違うんでしょうね)があるわけで、コチラは高級分譲地ではなく、現在は商業地となっている。東横線田園調布駅の西口側なんですね。

 個人住宅ばかりが並んでいる西口側の田園調布に比べて、東口側の田園調布は商業ビルや雑居ビル、個人商店などが並んでいて、まあ、言ってみれば「山の上の田園調布三丁目(西口)」と「下町の田園調布二丁目(東口)」という、港区の「麻布台」と「麻布十番」の関係が、ここにもあるのだ。

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 ただし、麻布の場合は「麻布台=仙台藩下屋敷」「麻布十番=商人町」という身分的な違いがあったんだが、大正時代に作られた田園調布には(タテマエ上は)そんな身分制の違いはない……、んだけれども、やっぱりちょっとなんかなあ、っていう違いが歴然とある。

 基本的に言っちゃうと、やっぱり田園調布三丁目の住人は、田園調布二丁目を見下している、っていうか何て言うか。

「おお、貴方も田園調布ですか。で、何丁目?」ってな会話がありそうだな。

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 で、その田園調布三丁目なんだけれども、 一般社団法人田園調布会っていう町会があって、まあ、一般社団法人ってところは大和郷会のマネなんだろうけれども、その町会の会則でもって「当初分譲した面積100坪を分筆してはならない」っていうような規定があるらしい。

 問題は、既に第一次分譲から100年近くなって、ってことは三代くらいの時代を経ているわけで、遺産相続の際に以前の土地の面積では他人に売れないために分筆して売りたい遺族の意向が生かせないということになってしまう。当初は「分筆」なんてことは考えていなかった初代分譲地所有者たちはそれでよかったかもしれないが、何代か後の遺産相続者としてはそんな決まりがあったんでは、土地代が高すぎて売るに売れないという問題が起きてしまった。

 まあ、そのために、「住み人不在」のお屋敷がかなり多く出て来ているという問題が、現在の田園調布会の喫緊の課題になっているそうだ。

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 他人事なんでどうでもいいんですけれども、今後、要注目の話題ではあります。

LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Denenchofu ©tsunoken

2020年9月 4日 (金)

どっこい「かまたえん」は、まだやっている

 豊島園が8月いっぱいで閉園になってしまった。

 まあ、街中の遊園地としては、なかなかリニューアルも難しいし、っていう理由は分からないでもないが、しかし、後楽園(現在は東京ドームシティ)っていうもっと都心の遊園地の例もある、そりゃあ経営は大変だと思うけれども、やり方はあったはずで、結局それは西武鉄道という会社の経営の問題なんだとは思うんだけれどもなあ。だって、閉園後の場所に「ハリーポッター」を呼ぶていう考え方自体が、もう、なんというかジリ貧ですね。大阪のUSJで既にやっていることをなんで豊島園でやるんだ? ってなもんですね。

 もうこのまま、西武鉄道はどん底まで堕ちていくんだろうか?

 まあ、それとは何の関係もないんだけれども、2019年の9月1日に川越丸広デパート屋上の「わんぱくランド」が閉鎖され、その中でも一番人気があった「わんぱくホィール」という観覧車も同時に使用が終わってしまって、こうした都会の真ん中のデパート屋上の遊戯施設というものがなくなってしまい、大掛かりな施設自体が数少なくなってしまっているなかで、まだまだ蒲田は頑張っている、っていう話。

 鎌田東急プラザ屋上の、「かまたえん」にある「幸せの観覧車」です。まだ、現役です。動いてます。

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 昔は錦糸町の江東楽天地とか、渋谷の東横百貨店なんかは、お隣のビルとの間にロープウエイを結んでお客さんに空中遊覧を楽しんでもらおう、なんて結構大掛かりな施設を作ってお客さんに提供していた。

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 多分、そのころ(第二次大戦後10年頃1955年位までの頃)の東京って、米軍の無差別爆撃によって壊滅的に破壊されてしまたった街をどうやって立て直すかということが一番のテーマであり、人を呼びよせるエンターテインメントをどうやって演出するかというのが、大規模な商業ビルのテーマだったんだろう。

 その大げさなものがビル間ロープウェイだったんだろうし、ビル単独では屋上遊園地だったんだろうなあ。

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 とにかく、昔はデパートの屋上には必ず遊園地(的)なものがあり、要は、買い物に来た母親についてきた子どもたちを飽きさせないような遊戯施設を屋上で提供していた、っていうことなんでしょうね。

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 しかし、今でもお母さんと一緒のデパート買い物に付き合わされた子どもたちはいるわけだ。でも、その子たちが母親の買い物に付き合わされて飽きちゃったときに、「屋上の観覧車」なんてないんだからどうしているんだろうか?

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 ああ、そうか。そんな時に子どもたちがお母さんに連れられてくるのが「ゲーム売り場」なんですね。まあ、デパート的にはおもちゃ売り場の隣。

 で、子どもたちはニンテンドーとかナムコなんかのゲームをやって、満足して家に帰るっていう寸法なんでしょうね。

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 しかし、子どもたちはそんなゲームをしても、多分、マシンに負けちゃうでしょうね。何度やっても負け続けで、かえってストレスたまりそうなんだけれども、今の子どもたちはその位のストレスは大丈夫なんだろうか?

LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Kamata ©tsunoken

2020年9月 3日 (木)

豊海水産埠頭

 豊海水産埠頭が若者のデートスポットだっていうので、どんなところか見に行ってきた。

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 豊海水産埠頭があるのが中央区豊海町という分かりやすい名前。

 行く方法は、東京駅丸の内南口から豊海水産埠頭行きに乗って終点まで行くのが一番ラク。もう一つは都営大江戸線に乗って勝どき駅で下車して、清澄通りを新島橋を渡って水産埠頭まで歩くという方法。

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 新島橋を渡るとこんな立体交差がある。

 これは晴海埠頭のオリンピック選手村から築地の旧魚河岸脇を通って環状2号線に合流して、神宮の国立競技場まで続く道になる予定の道。まあ、はたしてそれがそういう目的で使うことになる道になれるのかどうかは、今のところ誰も知る由もない。それもコロナ次第か。

 ただし、この新島橋を渡ってもそこはまだ中央区勝鬨。

 もうちょっと歩くと、清澄通りを横切ってこんな防潮扉がある。ここから先が中央区豊海町。水産埠頭がある場所だ。

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 着いてみても「水産埠頭」というけれども、波止場があるわけでもなく、こんな倉庫(それもほとんどが低温倉庫)があるだけで、港はない。昔は対岸が築地魚河岸なので、こちらと対岸の波止場で魚を陸揚げしたりしていたんだろう。

 勿論、現在は魚は港で陸揚げした後はトラック輸送がほとんどなので、昔の陸揚げの拠点が、そのままトラック流通の拠点なのだろう。

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 しかし、こんな殺風景なところが何で「デートスポット」なんだろう?

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 ということで埠頭の方に回ってみると、ああそうか、真正面にレインボーブリッジが見えて、その反対側が竹芝桟橋とその周辺のビルが見える湾岸の夜景の見事さが見える場所だったんだ。

 つまりポイントは「ナイトスポット」だったんですね。

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 つまり、若い男女がそんな夜景をみながらロマンチックな感傷にひたる場所だったんだな。

 車を停める場所はいくらでもあるし、車で豊海水産埠頭まできて、ロマンチックな気分になって……、それからどこへ行くんだろう?

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LEICA M-E KONICA M-HEXANON 50mm f2 @Toyomi ©tsunoken

2020年9月 2日 (水)

渋谷 MIYASHITA PARK

 毎日毎日変貌を遂げる渋谷の街。

 東京オリンピック・パラリンピックが予定されていた2020年辺りが目標なのかと思ったら『昨年9月には高さ約180メートルの大規模複合施設「渋谷ストリーム」が開業。また今年11月には渋谷エリアで最も高い約230m、地上47階建ての大規模複合施設の「渋谷スクランブルスクエア第I期(東棟)」が開業しましたが、その後も2027年度まで再開発プロジェクトが目白押しです。』ということで、なんとあと7年も再開発が続けられるんだとか。

 ということで、取り敢えず今年の7月に渋谷宮下公園跡に作られた、その名も「MIYASHITA PARK」に行ってきた。

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 宮下公園跡に作ったので「宮下パーク」って、なんか安易なネーミングだなあとも思うんだが、まあ、いいか。その理由は後ほど。

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 MIYASHITA PARKの構造は、原宿寄りのNORTHと渋谷寄りのSOUTHに分かれていて、基本的には3階建ての構造で、1階は建物の外から入る飲食店など。なんか、すぐそばにある「のんべい横丁」の現代版、きれい版みたいな感じである。

 2階と3階が飲食店とブランドショップが並んでいる。

 面白いのは、まあ、今どきですね、入口の脇にモニターの前に立つと体温が表示される装置が置かれている。私は35.9度だったので、堂々と入れます。

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 まあ、内部は如何にも渋谷のショッピングビルっていう感じでお店が並んでいたり、そこここに「お休みスポット」なんかが用意されていて、「ビル自体が街」っていう、渋谷によくあるショッピングビルの作りですね。

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 3階まではショッピングビルなんだけれども、そこから屋上に上がるエスカレーターがある。 

 そこを上がると、まさしくそこにあるのは渋谷区宮下公園なんですね。まあ、もともと区営の有料駐車場の上にあった宮下公園を2層あげて3階の上に作ったってことなんですね。渋谷区の発想としては。

 もともと、空中利用の宮下公園なんだから、それが2層上げただけってことなのでした。だから建物の名前は昔のままの「MIYASHITA PARK=宮下公園」っていう訳。

 奥に見えるのが、ビル3階から上に伸びているホテル。まあ、これもオリンピック目当て何だったんだろうが、まあ、御愁傷さまってことでしょうかね。まあ、渋谷なんで、お客さんには困らないでしょうがね。

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 で、宮下公園を歩いていると何故かビーチバレーボールのコートがあります。

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 以前の宮下公園にはこんなもんなかったなあ。まあ、ネットに囲まれた運動場なんかがあって、サッカーなんかの練習をしている人たちはいましたけれどもね。 

 で、最後はやっぱり「のんべい横丁」です。

 MIYASHITA PARKに行く途中でこののんべい横丁の裏側が見えるんだけれども、なんかそれだけが新しい発見だったなあ。

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MIYASHITA PARKの公式サイトはコチラ

LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Shibuya ©tsunoken

2020年9月 1日 (火)

赤羽岩渕赤水門青水門

 9月になっても、まだまだ暑い日々が続いています。

 皆さん、お元気ですか?

 ということとは何の関係もなく……。

 東京メトロ南北線の赤羽岩渕駅で下車して北本通りを少し歩くと新荒川大橋に至る。

 今日はここ赤羽岩渕で荒川、隅田川、新河岸川が合流して分岐する二つの水門のお話。

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 新荒川大橋を行くと二つの川に挟まれた堤防の上に出る。

 右が新河岸川、左が荒川であります。

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 堤防をしばらく歩くと見えてくるのが荒川旧水門(赤水門)である。

 左の上流側が荒川で、水門を越えた先が隅田川。

 昔は荒川の下流がそのまま隅田川であり、大昔からたびたび水害に悩まされていた「あばれ川」として、荒川は有名であった。首都である東京が毎年台風時期になると水害に悩まされるというのは大問題であるということで、大正2年、岩淵の荒川と新河岸川の合流点から隅田川とは別の荒川の下流域を作ることに着工し、荒川放水路を作ることにした。

 何しろ現在のような機械化された道具もない時代、工事は難航を極め、ようやく大正13年(1924年)になって、岩渕水門(赤水門)が完成し、そこから隅田川に水を流し、荒川放水路と隅田川の二本川体制になったわけだ。

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 ただ、その赤水門も地盤沈下などで使い勝手も悪くなり、新たに別の水門を作る必要が出来てきた。

 ということで昭和57年(1982年)に新たな水門(青水門)が出来て、こちらを運用することになった。

 とはいうものの、古い赤水門も運用できるようになっており、青水門が故障した時には赤水門を使えるようにはなっているらしい。

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 青水門から見た隅田川の始まり。

 左の土手の向こう側が荒川(旧・荒川放水路)、正面が隅田川(旧・荒川)で、右の方から隅田川に合流するのが新河岸川。

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 両水門と新河岸川の間には国交省の荒川下流河川事務所があって、その一部に荒川知水資料館が設置されている。

 荒川の二つの水門の歴史、荒川の歴史などを学べるようになっているんだが、現在はコロナ禍でもって入るにはネットでの予約が必要だ。

 荒川知水資料館の予約サイトはコチラ

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 しかし、赤羽のセンベロ飲み屋街は相変わらず盛況で……、しかし、こんなクソ暑い日に、昼間っから呑んでいたんじゃ完全にバテますね。

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LEICA M-E ELMARIT-M 28mm f2.8 @Akabane Iwabuchi ©tsunoken

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