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2020年8月

2020年8月31日 (月)

藝術新潮「猥褻とは何か」

 約2ヵ月遅れで、一昨日、やっとツールドフランスが始まった。

 一日目は大雨でレースの大半が「ツーリング状態」。最後の2kmだけのスプリント・レースをやったっていう、いかにも「勝ち負けよりも、モラルを前提とする」らしい開幕ではありました。これから2週間あまり、毎晩、暑い夜が続くんだけれども、しばらくはガマン、ガマンですね。

 レース前の選手たちがみんなマスクをしてるんで、このままマスクをしてレースをやるんかいなと思ったんだけれども、レースが始まったらみんなマスクを外してました。まあ、当たり前だよね。マスクをしたまんまだと酸欠なっちゃうもんね。

 ってなこととは何の関係もなく……

 えー、今どき「猥褻とは何か」って、『藝術新潮』なにを今更血迷ってるんかな、なんて考えたんですが……、何でだろう?

 ってことで、私も騙されました。「猥褻」っていう、不思議な漢字に。

 あー、えーと「読めるけど書けない漢字」ってのがあって「薔薇(バラ)」なんかもそうなんですけれども、あの「猥褻(ワイセツ)」って漢字がその王様ではないだろうか。

 でも、この「猥褻」っていう言葉、漢字で書くと「別に?」っていう感じだけれども、カタカナやひらがなで「ワイセツ/わいせつ」って書くと、なんとなく「わいせつ感」が漂うっていうかなんというか、変な感じ(漢字)ですね。っていう言葉遊びは措いといて……。

 読めるし、以前はけっこうこの「猥褻罪」ってやつで取り締まられた画像・映像(昔は文章なんかも)あったりはしたんだけれども、最近この猥褻罪を取り締まる「刑法175条(わいせつ物頒布等)」でもって取り締まりを受ける事案ってのも少なくなっているのではないだろうか。まあ、巷には国内ではどうしようもない海外サイトからのセックス映像やらなんやらが無法状態で日本国内にも持ち込まれていて、もはや世の中は「猥褻罪」で取り締まりようもない状態になっている。

ただし、この刑法175条「わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役又は250万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする(第1項)。有償で頒布する目的で、前項の物を所持し、又は同項の電磁的記録を保管した者も、同項と同様とする(第2項)。」っていう規定は廃止になっているわけではなく、今でも生きているわけで、しかし、どうにもこうした「無意味な法律」ってのも、どこかで精査した上、いらんモノはコメ兵に売ろう!(by Nagoya)

 で、改めて「日本における『猥褻』とは何だったんだろうか」というテーマを取り上げたのが『藝術新潮』なのでありました。

Photo_20200827164601 『芸術新潮 2020年9月号』(新潮社/2020年9月25日刊)

 表紙は、今や猥褻罪で取り締まられることもなくなってしまった写真家・荒木経惟が女性モデルの肛門方面から陰部を撮影する画像に始まって、巻頭グラフが『元祖「腰巻事件」』で有名な黒田清輝氏の「裸体夫人像」から始まった『巻頭グラフ 禁じられた名作』、木下直之氏の論稿『猥褻の誕生』から始まって……

202008274©黒田清輝/新潮社

 『1 猥本出版の王・梅原北明と昭和』のあと『ニッポン「猥褻」年表』を挟んで、『2「チャタレイ事件」狂騒曲』『3 春画研究の闘士ありき林美一と「国貞裁判」』『4 「愛のコリーダ」猥褻代理戦争』『みうらじゅん×辛酸なめ子対談 「エロの決め手は”ギャップ”にあり!』『5 実録! ヘアヌード解禁前夜の攻防』『荒木経惟 「写真という”事”自体がワイセツなんだ」』『6 21世紀のわいせつガチンコ裁判 コミック篇」』『7 春画ルネッサンス 無修正解禁から展覧会への道』

 番外編で Sep 2020 Geijutsu Shincho art NEWS memories で『追悼 写真家・倉田精二のヌードはこんなに凄かった!』というのが加わって、『藝術新潮』2020年9月号の「猥褻特集」一丁上がりです。

202008271©新潮社

 面白いのはpsrt 5 の「実録! ヘアヌード解禁前夜の攻防」かな。

『写真時代』における編集長・末井昭と写真家・荒木経惟のコラボレーション・ワークは1980年代の愁眉の的だった。「アダルト誌の流れを汲みながらも、猥雑からアートまでエロの写真表現を格段に広げ、陰毛を巡る警察との攻防も、陰毛がダメなら剃ればいい、というようなゲリラ的戦術をあの手この手で繰り広げた。警察による警告を毎号のように受け、88年には遂に摘発され廃刊に追い込まれたのだが、荒木さんと「写真時代」の活動はヘア解禁の前段を成し、荒木さんはタブーを破るべき期待の人となった。』

 として、荒木経惟氏へのインタビュー『写真という”事”自体がワイセツなんだ」に続く。

202008272©新潮社

『そもそも荒木さんが最初に女性を撮ったのはいつなんですか?
荒木 生まれようとしたとき、振り向いて撮ったのよ、女陰を。それが始まりなんだよ。80年の俺の歴史っていうかさ、80年分を赤ちゃんでうまれたときにやっちゃったんだよ。』

 いやあ、お見事ですね。

202008273©倉田精二/新潮社

Photo_20200827215001  「芸術新潮 2020年9月号」の注文はコチラまで(https://www.shinchosha.co.jp/geishin/)

2020年8月30日 (日)

ノーファインダーの夏

 まだまだ「真夏」の今年の8月後半。

 カメラはニコンDf、レンズはAF NIKKOR 20mm、絞り優先モード、レンズの絞りはf11かf16なのだから別にオートフォーカスにしなくても、基本的に全周フォーカスがあっている状態なので、すべてがノーファインダーで撮影OK。私は構図も決めないし、なんとなく「この辺りを写してるんだなぁ」って感じでシャッターボタンを押す。

 それでも©は私に付いちゃう写真っていう著作物(?)の不思議ってやつですね。

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 駒込富士前の停留所から、駒込駅南口発秋葉原駅行きのバスに乗る。

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 お茶の水方面とか、一月半に一回、日本医大付属病院に検診に行く時によく使う路線である。歩くときもあるけど、今日は暑いのでバス。

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 なので、バスの中からノーファインダーでパチリ!

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 東大本郷キャンパスっていうのは、家から歩くと大体5,000歩くらいで通常目標歩数の半分位で、ちょうどよい一休みの場所である。

 ということなので、家から本郷通りを歩くときは、この東大がちょっとした一休みの場所になる。

 おまけに、この東大本郷キャンパスってのはまさしく撮影ポイントに溢れた場所なんである(ただし、「ごく陳腐な」という形容つきでね)。そう、まさしく「陳腐な撮影スポット」に溢れた東大本郷キャンパスほど、日本の地方の高校生やら、何故かアジアからの観光客が沢山来る場所はないんじゃないだろうか。

 浅草に行くアジアからの観光客は東大には行かないだろうし、東大観光をするアジア人って、何を求めて東大を見に来るんだろうか。

 いまや、東京大学はアジアで上位ではあるけれども、トップの大学とは言えない。

 1位は中国の精華大学だし、2位も中国の北京大学。3位がシンガポールのシンガポール国立大学、4位と5位が香港の香港大学、香港科学技術大学、6位にまたまたシンガポールの南洋理工大学があって、やっと第7位に東京大学が入るっていう状況だ。

 そんな「アジアでは普通の大学」のキャンパスなんかを見て、何が面白いのかなっていうのが、この春までの東大周辺住民(まあ、本駒込が「周辺」なのかは、ちょっと措いといて)の感覚ではあった。

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 ただし、今年は春からのコロナウィルス禍でもって、東大も学生証を持っているか、何かの関係で入館証を持っている人じゃなくては、正門も赤門も入れなくなってしまった。なので、せっかくの「陳腐な撮影スポット」も、いまや「見がたい撮影スポット」になってしまったっていう訳。

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 おかげでつまらない陳腐な撮影スポットを撮影しなくなって(というか撮影できなくなって)良かったのかもしれない。

 結局、「つまらない撮影スポットを撮影する」っていうのは、実に無駄な撮影なのでありますね。それこそ、フィルムカメラ時代にはそんな無駄なことはしなかった筈だ。

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NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Hon Komagome, Hongo & Ochanomizu ©tsunoken

2020年8月29日 (土)

東京ビッグサイト!

 東京ビッグサイトに行った。

 勿論、何かのイベントに行ったわけではない。

 というか、本来ならばこの東京ビッグサイトは2020東京オリンピック・パラリンピックの国際プレスセンターになっているはずで、そうでなければ夏のコミックマーケット(夏コミケ)をやっていたはずの場所なのである。

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 まず最初はオリンピックのプレスセンターが来るので、今年は夏コミケは無しね、ってことになった。

 コミケサイドも、まあオリンピックは国家行事、コミケはオタク行事なので、それは国家行事の方がオタク行事よりも上かもしれないヨクワカラナイケド、ってなわけで今年は夏コミケは諦めた。ところがコロナウイルス禍でもって2020東京オリンピック・パラリンピックは中止に……、ということになったんだが、だからと言って今更「夏コミケやります」ってわけにもいかず、っていうかコミケ自体が「三密」の元凶であり、コミケ会場はクラブどころじゃない、ムチャクチャな混み方なので、初めから出来るはずも無かったんですがね。

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 ってことで、今更ゆりかもめの東京ビッグサイト駅に行っても誰も降りる人はいない。というか、朝夕の通勤時間以外ではゆりかもめ自体の乗客がほとんどいない状態。そうか、こんな場所に通勤で来る人もいるんだな。IDC大塚家具とかパナソニックの人たちとか……。

 りんかい線もガーラガラ。

 周辺を歩く人はほとんどいない状態で、歩いているのは、まあ株式会社東京ビッグサイトという東京都の外郭団体というか外郭株式会社の社員ぐらいなもの。

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 結局、東西の展示場もまったく開いていないし、中に入ることもできない。まあ、入ったって何にもないんだけれどもね。

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 これもついでに書いてしまうと、まあ、何も撮るものはない状況は理解した。で、せっかく東京の外れまで来て撮影したので、ビールでも飲んで喉を潤わせて一休みして帰ろうかなとレストランを探したんだが、考えてみれば<イベントはない>→<ビル自体も開いていない>→<人はいない>→<当然、店は開いていない>って訳で、ビールなんかは飲めるわけもないじゃないか。

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LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Tokyo Big Sight ©tsunoken

2020年8月28日 (金)

「絹の道」の出発点は?

 7月22日のブログ「町田市は東京都なのか、神奈川県なのか」で、町田の駅前にある道標に「絹の道 北方 はちおうじ」と書いてあるのを紹介したので、その「はちおうじ」ってどこなのかを訪ねてきた。

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 実は「はちおうじ」とは言っても現在の八王子の中心地、JR八王子駅がある場所からは山をいくつか越えた、「八王子市鑓水(やりみず)」という場所。JR横浜線や京王相模原線の橋本駅を降りて、南大沢行きのバスに乗って、多摩美大前の次「絹の道入口」で下車して少し山を登ったところに「八王子市絹の道資料館」というのがあるので、今日はそこを目指す。

 ところで、この「絹の道入口」っていうバス停は英語で"Silkroad Ent."って表記するんですね。まあ、それは当たり前なんだけれども、あらためてシルクロードって書かれちゃうとなんか普通じゃないっていうか、大袈裟な感じで面白いですね。

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 バスを降りて大栗川を渡る御殿橋(ごてんばし)という橋を渡ると上り坂になる。え~、実はここからが八王子の「絹の道」の始まりです。

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 坂の途中の右側が、元々は八木下要右衛門という屋敷があった場所に出来た「八王子絹の道資料館」です。

 この八木下要右衛門という人は八王子鑓水の生糸商で「石垣大尽」と呼ばれた人だそうで、多分、八王子の絹商人の中でも結構ブイブイ言わせていた人なんだろう。ところで、この絹の道資料館の前の坂道が、まさしく絹の道で、現在は舗装されているが、もうちょっと先まで登るとまっすぐに上がる未舗装の昔の道が残されていて、そこに「絹の道」の碑が建っている。その先が鑓水峠で、片倉などを通って八王子市の中心部へ至るのである。

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 八木下要右衛門の屋敷というのは相当に大きかったようで、何棟もあったようだ。その跡の一部に建てられたのが絹の道資料館で、その周辺には昔の建物があった土台跡なんかが残っている。

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 内部は絹織物の機織り機などがあって、周囲に鑓水と絹の道の歴史が十項目に分けて記されている。あ、八木下要右衛門の屋敷の模型なんかも展示されていて、その大きさが分かります。

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 鑓水と絹の道の歴史十項目は以下の通り。

1 桑都縞市
2 養蚕の発展
3 武州多摩郡鑓水村
4 生糸商人の成長
5 黒船来航と鑓水
6 世界につながる絹の道
7 生糸貿易
8 鑓水商人と道了堂
9 西洋文明の道

 ときて、「絹の道とキリスト教の布教」「自由民権運動と絹の道」という、なんとなく我々にも理解できるお話が出てくる。

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 で、最後が

10 生まれ変わる絹の道

 というテーマで、1908年(明治41年)に横浜鉄道(現JR横浜線)が開通し、以降は鉄道輸送でもって生糸や絹製品は横浜まで運ばれることとなり、「絹の道」は衰退することになったという。

 特に、明治以降は八王子で作られた絹織物や生糸だけではなく、群馬や山梨、長野などで作られた絹製品を八王子で一度集積して、そこから横浜に運んで海外へ輸出するようになって、八王子の絹取引の中心が鑓水から現在の八王子市の中心部分に代わったものとみられる。

 ユーミンの実家(荒井呉服店)もそんな八王子の絹織物の店の一つだったんだろう。どうでもいいけど。

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「絹の道資料館」を紹介する八王子市のサイトはコチラ

LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Yarimizu Hachioji ©tsunoken

2020年8月27日 (木)

ロシア製24時間計を使い始める

 ロシア製軍用時計 Vostok Komandirskie K35 を使い始めた。

 実は、以前にもロシア製24時間機械式腕時計を使っていたことがあるので、ロシア製24時間式腕時計は二度目の経験である。

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 あまりクォーツの腕時計は好きではないので、これまで使っていたのが「セイコー5スポーツ」という自動巻き時計だったんだが……

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 この6月の長雨の中で使っていたら、盤面が下のような具合にになってしまった。

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 スポーツウォッチなのでウォータープルーフのはずなんだけれども、どうもこの時計、購入してすぐに盤面のガラス面が傷つき始めて、かなり傷々の状態になってしまった。なので、多分この表面から水分がしみ込んでしまって、表のガラス面の裏側に水分がついてしまい、腕に巻いているとそれが蒸発してガラス面の裏がこんな状態になってしまい、もう時計の盤面が見えなくなってしまったのだ。

 ということで、なんか面白そうな時計はないかなとAmazonで購入したのが、このVOSTOK KOMANDIRSKIE K35という腕時計。お値段は14,850円。まあ、オモチャだと考えればそれほど高くはない。

"BOCTOK"と書いてあるのはロシア表記なのだろう、で英語表記にすると"VOSTOK"。"KOMANDIRSKIE"っていうのは英語の"commander”なので「指揮官」なんだが、「指揮官時計」っていうよりも、まあ要は軍用時計っていう意味なんだろう。勿論、機械式の自動巻き時計である。

 で、面白いのはこれが24時間式時計だって言うこと。

 以前持っていた24時間式時計も軍用時計だった。この24時間計っていうのは、長針はひと回りで1時間なんだけれども、短針がひと回りするのに24時間かかるっていうこと。つまり、普通の12時間計だとお昼の12時と夜中の0時に長針と短針が重なるんだけれども、24時間計の場合はお昼の12時には長針は真上になるんだけれども、短針は一番下、つまり12時間計の6時と同じ形になる。当然、夜中の12時が一日に一回だけ長針と短針が重なる。

 普通の時計ならロシア製の時計でも12時間計が多いのだが、何故か軍用時計だと24時間計が多くなるのは何故だろうか。軍隊は(多分)24時間表記なので、それに合わせて時計も24時間計なのだ……、本当なのだろうか。

 以前持っていた24時間計も軍用だったと思う。

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 取扱説明書が入っているんだけれども、ロシア語表記しかないので何が書いてあるのかはまったく分からない。それでも、リューズを回転させて浮き上がらせて、自由に動かせる状態にすると時刻合わせが出来ることはわかった。

 後は手巻きも出来るらしいのだが、その方法が分からない。ロシア語、ワカラナイデスネ。

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 まあ、使っているうちにわかるだろう。

2020年8月26日 (水)

ウォーターズ竹芝って、何だ?

 JRの駅を歩いていたらいつの間にか目にしていた「ウォーターズ竹芝」の文字。

 どんなものなのだろうか、と思って浜松町駅まで行った。

 浜松町駅から竹芝桟橋へ行く道の左側にある都立芝商業高校の脇を左に曲がるとありました。アトレ竹芝と四季劇場の文字。

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 もともと、四季劇場っていうのはここよりゆりかもめの汐留駅よりににあったんだが、そこが自由劇場という劇団四季の自前の劇場になって、アトレ四季というJR東日本の建物と一緒になって『JR東日本四季劇場「春」「秋」』というのが新しくできた劇場。基本的に劇団四季のミュージカルなんかを上演する劇場のようだ。

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 劇場の他は、さすがに「アトレ」という名前をつけているだけあって、いろいろなショップが入る予定みたいなんだけれども、なんかまだまださっぱりした感じ。

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 お隣にはタワー棟があって、キーテナントはヤクルト。さらに上層階にはメズム東京というホテルが入って、その下にはショップが入るっていう方式のオフィス・ホテル・ショップ混在ビル。

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 隅田川のクルーズ船がこんなにいっぱいあるのは初めて見た。これが劇場棟とタワー棟の真ん中にあって、手前の芝生広場といい感じのポイントになっている。

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 竹芝と言えば、以前は竹芝桟橋くらいしか有名な施設は無くて、私も小学生の頃だったか、竹芝桟橋から一晩かけて大島まで行った記憶ぐらいしかなかったところだ。

 その後、竹芝桟橋周辺の整備がなって、ニューピア竹芝とかインターコンチネンタルホテルなんかは出来たんだけれども、でも周辺には倉庫などしかなく、東京都産業貿易センターで一年に一回開催されていたガレージキットのフェスティバル位しか興味がなかった場所ではある。

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 ただ、その東京都産業貿易センターも新しいビルになって、産業貿易センターだけでなく、貸しビルもやるようだし、浜松町の竹芝側もオフィスビルが増えてきた。

 結構、まだまだ都心再開発の余地はあるんですね。

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ウォーターズ竹芝の公式サイトはコチラ

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Takeshiba ©tsunoken

2020年8月25日 (火)

久々の西新井大師はColor-Skoparで……スロットカーレーシングにハマった時期を思い出す。

 西新井大師に行ったのは久しぶりだった。

 8月20日の暑い日だった。西新井大師真言宗豊山派五智山遍照院總持寺にも人出はなく、毎年夏にはいろいろなイベントがあるのだが、それもない状態で、本当に人出のない西新井大師であった。まあ、この辺は、それでも人出がある柴又帝釈天とは大違い。

 まあ、その辺が「寅さん」効果でしょうかね。

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 というか別にその記事を書くために西新井大師へ来たわけではない。

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 実はここのところ超広角での撮影は、これまで使っていたCOSINA Voightlander Color-Skopar 21mm に代わって、新しく手に入れた中国は深圳のメーカー銘匠光学製のTTArtisan 21mm f1.5 ASPHというレンズで撮影していたんだけれども、なんかこのTTArtisan 21mmって結構重いんですね。

 重さを比較してみたら「TTArtisan 412g vs. COSINA VOIGHTLANDER Color-Skopar 21mm f4 136g」という具合でかなり違う。そりゃあそうだよなあ、方や「f1.5」という明るさを実現するためには、それなりに口径の大きなレンズが必要になってくるわけで、「f4」という割り切ったレンズとは違ってくるわけである。

 実際に方からカメラを首から下げてみると、かなり「おじぎ」をしちゃう感じなのであります。

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 まあ、三倍も重さが違えばかなり使い勝手も変わってくるなあ。

 基本的に21mmレンズっていうのは、屋外で使うレンズだし、まあ、明るい場所で使うレンズである。基本絞り開放でf4の明るさがあれば、昼間の明るさであればそれで充分である。

 ということで、この日は久々にVoightlander Color-Skopar 21mm f4をLEICAに装着して撮影したって訳。

 画面に空なんかが入っていると、その辺の周辺光量不足があるけれども、まあ、それもレンズの味だと思ってしまえば、どうということもない。

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 一方で、例えば東京都写真美術館あたりで展示室の中を撮ろうなんて不遜なことを考えた場合は、やっぱりf1.5の明るさは必要になってくるだろう。

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 まあ、買ったばっかりだったので、その嬉しさってのもあったのか、あるいはレンズテストの意味もあったのか、TTArtisan 21mmばっかりを使っていたんだが、要は撮影シチュエーションによってレンズは使い分ければいいんだ、っていうだけの話。

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 そういえば、この西新井大師の裏手にスロットレーシングのサーキットがあったのを思い出した。

 トヨタS800のプラモデルを改造したスロットカーを持って、よく通ったなあ。今日のテーマとは何の関係もないけど。

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LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Nishiarai ©tsunoken

2020年8月24日 (月)

『23区大逆転』

 同じ池田利道氏の前著『23区格差』は結構面白かったんだが、まだその当時は2020東京オリンピック・パラリンピックがあるのが前提条件だったので、『23区格差』の予想は意味があったといえるんだが、嗚呼、残念! 本書が書かれた2017年9月というタイミングでは、現在のようなコロナウィルス禍は予想だにされていなかったし、さらに言ってしまうと、その結果、2020東京オリンピック・パラリンピックも、一年暗記どころか、どうも開催が危ぶまれているなんてことは、予想だにしなかった頃でもあるので、それもやむを得なかったのかもしれない。

 ううむ、本てのは発行時期っていうのは重要なんですね。

23_20200814140701 『23区大逆転』(池田利道・著/NHK出版新書/2017年9月10日紙版刊・2017年9月11日電子版刊)

 まあ、取り敢えず読んでしまったので、まとめておこうか。

『家族のあり方や人々の暮らし方が変われば、その集合体であるまちも当然大きく変化する。 20 世紀の終わりごろ、住むという視点から見た東京 23 区の評価は「西部山の手>副都心>東部>下町>都心」だった。この順番を誰もが疑わず、都心はドーナツ化によって人口が減るのが当たり前だと考えられていた。
 しかし、それから 20 年そこそこしか経っていない現在、「都心居住」こそが東京 23 区を語る最大のキーワードになっている。さらに本書で詳しく述べるが、都心居住が次のステージへと進展を見せる中で、トレンディエリアは都心から下町へと広がり始めている。もともと出生率が高い東部と、「消える豊島」に代表される副都心の関係も入れ替わった。』

『時代の動きを先取りする「東京のいま」は「地方の未来」であり、「地方のいま」はやがて人口減少を余儀なくされる「東京の未来」だ。
 そういう意味でも「いまさら逆転など望めない」とあきらめ顔の地方の方が、東京という鏡越しに自分たちの住む場所を見ることで、これまで気づかなかった別の姿を知るきっかけになれば、これ以上のことはない。』

 という書き出しは現在も変わっていない状況だ。

 ところが、どうもその動きがコロナウイルス禍と東京オリンピック・パラリンピックの中止ということで、若干、様変わりしているのだが……。

 残念ながら本書の各章は、最早、無駄な問いかけになってしまった。

 曰く

第1章 いま23区で何が起こっているか
 1 東京一極集中と23区の生存競争
 2 「本質回帰」が潮目を変える
 3 縮小する東京東部の格差
第2章 23区の地殻変動をテーマ別に見る

 ということで「第3章 総点検! 23区逆転のシナリオ」に至るわけであるが、まあ、取り敢えず23区それぞれのテーマだけを記しておこう。

 港区 ── セレブのまちの未来とは? 
 中央区 ── 超強気の人口増加策の大きなつけ
  この中央区の項で一番象徴的なのは以下の部分である。

『人口増加の要因のひとつとして、区は晴海に建設されるオリンピック選手村が大会終了後マンションに転用されることをあげている。正しくは、選手村の転用に加え、オリンピック後さらに2棟の50階建てタワーマンションが新設される。』

 もうこれがすべて「なし」になっちゃあうんだもうなあ、どうする中央区。

 江戸川区 ──「子ども王国」のさらなる充実
 江東区 ── 区内格差を克服できるか
 足立区 ── 北千住だけが足立じゃない
 葛飾区 ──「昭和のまち」は、サバイバル力ナンバーワン
 荒川区 ── 地域コミュニティを維持する仕掛け
 千代田区 ── 懸念される高齢者の孤立化
 墨田区 ── スカイツリー効果は広がるのか
 練馬区 ── 必要なのは「山の手意識」からの脱却
 台東区 ── インバウンド観光客をうならせるデザイン力
 品川区 ──「おもてなしタウン」のブーメラン力
 北区 ── 狙うは都心居住の次なるステージ
 大田区 ── 民泊から下町ボブスレーまで
 板橋区 ── まちぐるみで取り組むリノベーション
 文京区 ── 坂の下から吹き上がる風

 まあ地味な文京区なので、あまり語ることは多くはない。

 世田谷区 ──「世田谷プライド」の虚々実々
 渋谷区 ── 渋谷再開発で若者のまちはどう変わるか
 目黒区 ── 資産リッチなまちならではの課題
 杉並区 ── アニメは「稼ぐ力」の決め手になるか
 中野区 ── 子ども人口大逆転の深層に迫る
 新宿区 ──「量のまち」から「質のまち」へ
 豊島区 ── 池袋から大反撃が始まる

 う~む、それなりに各特別区のテーマっていうのがあるんだなあ。

 でも、終章に至ってしまうと、やっぱり時代の相ってのが見えてくる。

 つまり……

終章 オリンピックは23区をどう変えるのか

 う~ん、もう残念ですねえ。

 オリンピックなんて、最早、やらないことにほぼ決定しているんだもんなあ。

 こんなところにも「2020オリ・パラ中止」の影響は出ていて、もう、こんな本買う人はいないよなあ。

 『23区大逆転』(池田利道・著/NHK出版新書/2017年9月10日紙版刊・2017年9月11日電子版刊)

2020年8月23日 (日)

小言幸兵衛

 麻布古川の家主で幸兵衛さん。のべつまくなしに長屋を回って小言を言っているので、あだ名は「小言幸兵衛」。細かいことにうるさい家主で、訪れた店子希望者にまで何かと説教を垂れて追い返してしまう本末転倒ぶり。おかげで空き店から貸家札の剥がれたためしがない。というのが落語『小言幸兵衛』のネタ。

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「麻布古川」というから、港区麻布の古川橋から仙台坂に至る、現在の港区南麻布1丁目と2丁目辺りのお話なんだろう。

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 東洋文庫 611『落語の落(さげ)1』によれば……

『題の通り口やかましい家主、借家人が来ると、身分職業を聞き、何かと難癖つけて追い返す。とゞ鉄砲鍛冶が来て、高飛車に談判する。流石の家主驚いて、御商売はと聞くと「鉄砲鍛冶だ」「道理でポンポン言いなさる」は苦しい落だ。この話は小さんが例の常磐津の喉を聞かせるという、一種の道楽落語と言ってよかろう。家主の口を借りて、芝居の道行き話しに、常磐津の出語りと来る、所謂家寿太夫の喉を爰でお聞に入れる。尤も小さん以外で、この話をやる者もあるが、筋は同じでも常磐津は抜きにする。』(『新編 落語の落(さげ)(1)』より

 小さんなんだが、何代目なのかはわからない。また、同じ趣旨の話では『貸家探し』というネタもあるらしい。

 仙台坂の上の方は仙台藩の下屋敷があった場所なので、当然この「麻布古川」というのは坂の下の方のお話である。

「家主」というのは、所謂「大家さん」のことで、長屋の持ち主からその管理を委託された人で、オーナーではないことが多かった。「大家と言えば親同然。店子と言えば、子も同然」という言葉があったそうだが、それは、店子(長屋の住人)から家賃の回収をするだけでなく、公的な保証人の役割もしたところからきた言葉。例えば、ドロボーが入ったら、店子の代理で奉行所に届けを出したり、結婚の世話をしたり、就職の斡旋をしたり、あるいは店子の不始末があった際には大家も共同責任をとらなければかったり、などなど、それほど大事な大家の立場でありながら、しかし、オーナーではない。ということは、あまり先々のことを気に病んで店子を選り好みしていては、当然、オーナーへの実入りも減ってしまうということで、それはオーナーとしてはちょっと困ってしまう存在なのであっただろう。

 その辺、小言幸兵衛さんはどうしたんだろう。

 もしかしたら、オーナー家主だったのかもしれない。大店のご主人だった人が隠居して、小遣い稼ぎのために長屋を作って経営していた、っていう話なら、別に長屋からの収入がなくても生活できるので、それは小うるさく借家人に口出ししたり、借家人を選り好みしていたって言うことにも納得がいく。

 現在の南麻布1丁目2丁目辺りの雰囲気からそんな「幸兵衛長屋」の存在を感じさせる建物なんかはまったくないが、古川橋からほんのちょっと渋谷方面へ歩いたところにある四の橋を渡った先に「白金商店街」というのがある。

 ここにも長屋こそないが、賃貸アパートなんかもあって、何となく「小言幸兵衛長屋」なんかがありそうな雰囲気の街並みなのである。

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 白金辺りで麻布を想像しながら街歩きってのも一興かな?

LEICA M-E ELMARIT-M 28mm f2.8 @Azabu & Shirokane ©tsunoken

『新編 落語の落(さげ)(1) 』(海賀変哲・著/小出昌洋・編/平凡社 東洋文庫 611/1997年2月10日刊)

2020年8月22日 (土)

日光街道千住宿の入口は南千住コツ通り

 国道4号線の千住大橋の北千住側に隅田川の舟渡しがあり、松尾芭蕉はそこで隅田川下流の小名木川あたりから乗ってきた舟を下りて「奥の細道」に旅立った。という逸話があり、千住大橋の北側、千住青果市場のそばに「奥の細道 矢立初めの地」なんていう碑があったりするんで、なんとなく日光街道は、日本橋から神田、上野を通って千住大橋に至る、現在の国道4号線なのかと思っていたのだけれども、実はそうじゃなくて、昔の日光街道(奥羽街道)は日本橋から東の方に延びて馬喰町を通って浅草の脇を通り、泪橋を経て現在のJR常磐線南千住駅あたりから千住大橋を渡って現在の国道4号線に合流する道程だったのであります。

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 南千住の駅そばには小塚原(こづかっぱら)回向院があります。

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 この小塚原回向院こそが、昔の千住宿の手前にあった小塚原刑場で処刑された人たちの菩提を弔うお寺だったんですね。

 まあ、この「宿場の前後には刑場がある」っていうのは、東海道品川宿の鈴ヶ森刑場や、中山道板橋宿の新選組の刑場なんかと同じ、江戸を出入りする人たちに、「お上に逆らうとこうなるんだぞ」的な、庶民に対する「戒め」だったらしいのだが……。

 そんなものは、本当の大衆の怒りにあってしまうと、もはや何の戒めにもならないということを、私たちは私たちの歴史の中で学んできている。

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 で、その小塚原回向院から千住大橋へ向かう道が「コツ通り」って言うんですね。

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 これがなんで「コツ通り」って言うのかについては、荒川区の説と、普通に町で言われている説があるらしい。

 荒川区の公式説では「小塚原(こつかはら)」から来たのが、「コツ通り」だという説。

 普通に言われているのは、小塚原刑場で殺された死骸は火葬されず土葬のまま埋められたので、その辺りを掘ればいくらでも骨が出てきたから「コツ通り」だという説。

 まあ、普通どちらの説を信じるかって言えば、まあ、お分かりですよね。

 で、このコツ通りが昔の日光街道であり、コツ通りの出口が日光街道千住宿の入口だったっていう話。

 なんとなく、お江戸日本橋から北上して上野・下谷・三ノ輪ときて千住大橋を渡るのが日光街道(奥羽街道)だと単純に考えていたんだけれども、そうではなかったっていうお話。

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 で、どうでもいいんだけれども、南千住と言えば、私にとっては「尾花」なんですね。

 この日は夏休みでお休みなんだけれども、要は「鰻屋さん」です。

 尾花の鰻は、すべて「天然もの」「大鰻」で注文してから「捌いて、蒸して、焼く」っていう作業をするので、注文してから蒲焼が出てくるまでは、結構時間がかかります。で、それまでの「繋ぎ」で、肝焼きに熱燗でしのぐんだけれども、それがいいんですね。もう、夏でもここに来たら熱燗なんです。

 まあ、その辺は「駒形どぜう」と同じかな?

 ポイントは、鰻蒲焼の旨さもさることながら、それが味わえるまでの時間の過ごし方を味わうっていうのが、如何にも江戸っ子の粋みたいな感じがして、その辺が、場末の江戸っ子だって味わってみたい、てなことでよく通った店なのである。

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「コツ通り」は、まあ、どうでもいいけれども、「尾花」は夏季休業が終わったら来ようかな。

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SCOPAR 21mm f4 @Minami Senju ©tsunoken

2020年8月21日 (金)

「映画看板の街」が、いつの間にかに「映画猫看板の街」に

 青梅市っていえば「映画看板の街」というイメージで売り出していたんだけれども、最近「映画猫看板の街」になったらしいので、見に行った。

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 そもそもなんで青梅市が「映画看板の街」になったのか。

 実は青梅市内に在住していた映画看板絵師、久保板観(くぼ・ばんかん)という人がいて、1994年に青梅市が「昭和レトロの街」として観光客を集める目玉として昭和の洋画・邦画の看板を再現して街中に飾ることにしたっていうのがきっかけらしい。ところが今年の2月に久保氏が死去し、新作の供給が途絶えてしまった。

 もともと、青梅市は養蚕が盛んで、カイコや繭のサナギを食べるネズミを退治する動物として、猫が飼われて親しまれていたそうだ。で、墨絵作家の有田ひろみ氏や地元出身・在住のアーティストが街の町のあちこちに猫の絵やオブジェを展示したというのが始まりらしい。で、もともと映画看板を管理していた住江町商店街振興組合が、青梅の新たな観光の目玉として「猫」を前面に押し出そうということになったという。

 なので、以前は完全に昔の映画館の前にかかっていた映画看板そのものが街中のいろいろなところに展示されていたのだが、「猫」なので、どちらかというと「猫を使った映画ポスターのパロディ」っていうものになったようだ。

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『猫と共に去りぬ』と『OLDAYS 三丁目のタマ』

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 下は、左から「すがすにゃしい」っていう「三ツ矢サイダー」のパロディ。『猫はつらいよ フーテンの寅(どら)』、『風邪の姉のニャウシカ』、『猫たちの沈黙』、『ニャーン』です。元ネタはわかるよね?

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『怪猫二十面相』に『第三の猫』

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 ニャリリン・モンロー、トニー・ニャーティス、ニャック・レモン主演『お熱いのが苦手』といった具合。

 勿論、これらは展示されているもののホンの一部。

 ぜひ、一度行ってみることをお勧めします。

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 住吉神社には招き猫がいることでも有名で、門前には猫のヘタウマ風オブジェが飾られてています。

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 青梅駅にはまだ映画看板も残っているんだけれども、どうなっちゃうんだろう。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Ome ©tsunoken

2020年8月20日 (木)

墨田区京島キラキラ橘商店街

 墨田区押上というのは私の両親の実家があったところで、私も住んだことはないが、小さいころ何度か行ったこともあって、なんとなく親しんでいる街ではある。で、押上の隣町が京島である。

 京島の町名の由来は東京の「京」と向島の「島」を合わせた名前だそうで、う~ん、なんというかその安易さが、如何にも東京の場末らしいですな。

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 で、その京島を代表(?)する建物が、この四ツ目通りにある「斉藤製作所」なんですね。

 どうもこの、「どう見ても斜めに建っているんだけれども、倒れていないし、なのでツブレてはもいない、不思議な」建物なんですね。この斉藤製作所って、この辺によくある町工場の一つでボルトやナットなんかを製造販売している会社なんだけれども、今どき、こんな規模の会社が生きていけるんだろうか。っていうか、一番基本のボルトやナットってのが、こういう町工場で作られているのがスゴい。

 もしかしたら、第二次世界大戦の戦中の戦闘機に使う部品なんかもこういう町工場で作られていたんだろうか、なんてことを想像させる佇まいである。

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 で、その四ツ目通りから明治通り方面へ抜ける(筈の)ゴチャゴチャした道を歩いていると、途端に出くわすのが京島の中心的な商店街「キラキラ橘商店街」なのであります。

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 と言ってもねえ、すぐそばの京成曳舟駅前にはイトーヨーカドーがあるし、そのお隣の東武曳舟駅の周辺もショッピングセンターなんかが豊富にあって、はっきり言って「商店街としては、最早、終末期を迎えつつある」ってことでしょうか。

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 もうね暑いってこともあるのでしょうが、あるいは午後早い時間だったせいなのか、殆ど人通りのない商店街です。

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 結構、長屋形式のお店なんかもあって、面白そうな商店街だなあとは思っていたんだが、どうなんでしょう。

 なんか、既に商店街としての使命は既に果たしてしまった、という感じもないとは言えません。

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 いやあ、ドゥカティは単なる趣味です。

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LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Kyojima ©tsunoken

2020年8月19日 (水)

怪談「置行堀(おいてけぼり)」

 お暑うございます。

 ってことで夏恒例の「怪談話」です。

 お江戸の本所周辺には「本所七不思議」と言われる怪談噺・怪異噺があります。

 本所七不思議とは『置行堀(おいてけぼり)』『送り提灯(おくりちょうちん)「送り拍子木(おくりひょうしぎ)」』『「燈無蕎麦(あかりなしそば)別名「消えずの行灯」』『足洗邸(あしあらいやしき)』『片葉の葦(かたはのあし)』『落葉なき椎(おちばなきしい)』『狸囃子(たぬきばやし)別名「馬鹿囃子(ばかばやし)」』『津軽の太鼓(つがるのたいこ)』の七つ? うん? 八つない? まあ、いいか。

 そのうちのひとつ目『おいてけ堀」の跡がすぐそばにあるので、今日は、それをご紹介します。

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 まずJR総武線各駅停車の亀戸駅で降りて、越中島貨物線に沿って京葉道路を横切って、少し歩くと目指す江東区立第三亀戸中学校に出ます。

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 学校の周辺を歩いていると、正門前に「おいてけ堀跡」という碑があります。

 碑の脇には江東区教育委員会が作った解説版があります。

『おいてけ堀跡

「おいてけ堀」は、墨田区両国付近から江東区亀戸あたりにかけて残る伝説で、本所七不思議のひとつです。釣人が帰る途中、堀から「おいてけ、おいてけ」という声が聞こえ、獲物を置いて帰らないと、いつのまにかその獲物がなくなってしまうというものです。天明七年(一七八七)刊の黄表紙「亀山人家妖」(朋誠堂喜三二作・北尾重政画)に取り上げられていることから、一八世紀には伝承として成立していたようです。おいてけ堀の場所には諸説あります。本所や亀戸あたりでは、屋敷地を少し離れると田畑も多く、池や堀の周りには、夜になると人気のない寂しい場所があちらこちらにあり、こうした伝説が生まれたと考えられます。
 明治四二年(一九〇五)作成の一万分一地形図「深川」には、亀戸町字横川と清水の間(現在の第三亀戸中学校付近)の堀には「オイテケ堀」と記されています。同四三年刊の「東京近郊名所図会」其六では、この「オイテケ堀」を実地調査し、四方に樹木はなく釣堀のようになっていること、地元でおいてけ堀と呼ばれている場所が一か所だけではにことなどを記載しています。
「おいてけ堀」は、農村から町場へと変わっていく亀戸の面影を知る説話として伝えられ、近代以降も、錦絵・講談・落語・映画・小説などの題材とされています。

     平成二五年一二月    江東区教育委員会』

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 なあんてことを知って独り言ちていたんだけれども、実は亀戸のすぐそば、両国駅のそば、日本大学第一高等学校・中学校にも同じような説明板がありました。

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『置いてけ堀・御竹藏跡

 この辺りには、幕府の資材置き場だった御竹蔵があり、その周りには掘割がありました。
 ある日、町人がこのあたりの堀で釣りをしたところ、たくさん魚が獲れたので、気を良くして帰ろうとすると、堀の中から「置いてけ!」という怪しい声がしました。逃げるように家に帰って、恐る恐る魚籠をのぞくと、釣れた魚が一匹も入っていませんでした。
 これが本所七不思議の一つ、「置いてけ堀」の話です。話の内容や場所には諸説があり、置いてけ堀は「錦糸堀」との説もあります。作られたのは寛政年間(一七八九~一八〇一)といわれ、七つ以上の話が伝えられています。

                 墨田区』

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「錦糸堀」というのは、両国と錦糸町とつなぐ、現在は北斎通りと言われている道。道の真ん中に錦糸堀っていうのがあって、道と川が並行して走っている通りだった。

 まあ、この辺りは運河が東西南北に走っていた場所なんで、似たような話がいろいろなところにあるんだろうなあ。という風に、勝手に結論付けています。

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LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm  f2.8 @Kameido & Ryogoku ©tsunoken

2020年8月18日 (火)

USB HYBRID NECK COOLERを持って佃島へ行く

 さて、一昨日に買ったUSB HYBRID NECK COOLERはどんなもんだろうか? ということで、使い心地を試すために佃島へ行ってきた。

 なぜ佃島なのかというのは分からない。

 何か、別の目的があって行ったのかもしれないのだが、そんなものはあまりの暑さの中で忘れてしまったので、取り敢えず佃島なのか、っていうことにしよう。まさしく「不要不急の用事」ってやつですな。

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 さすがにこの暑さなので、佃島に行っても誰も人はいない。

 かろうじて木陰を探すと一休み。もう、暑くて暑くてあまり日向を歩く気にもならない。

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 それじゃあ、NECK COOLERのテストにはならないので、勇気を振り絞って(大袈裟!)日向に向かって歩き出す。

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 暑いですな!

 浜松市の天竜区では埼玉県熊谷市が持つ暑さの日本記録41.1度を記録したそうな。まあ、しかし浜松市天竜区って平成の大合併で浜松市に加わった場所で、本来の浜松市である浜松駅前周辺ではそんなには暑くありません。

 いやいや、コチラにはNECK COOLERがあるから百人力、こんな暑さ位は……こんな暑さクライは……、こんなあつさくら……、こんな……、やっぱり負けます。

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 問題は「背面冷却パネル」。

 首から外して手で触ってみると、まあ、多少はヒンヤリするんだが、首にかけるとなんだかあまり冷えない感じ?

 むしろ、昨日茶化してた首周りの前面ファンの方がそれなりに風を送ってくるので、なんとなく涼しく感じるようなのだ。でも、それは相対的な評価なので、そんなに涼しくない。まあ、風が来るだけ。

 まあ、でも背面冷却パネルよりは、実体として風を送ってくれるので、なんとなく『相対的に「涼しい」』と感じられないでもない。

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 前面ファンだけなら、それなりにもっと安い機材で買えるものが多い。やっぱりこのNECK COOLERの「売り」は背面冷却パネルのはずなんだから、やっぱりそちらが「涼しくなければ」ならないはずなんだけれどもなあ。

 さすがにここまでの暑さを設定していなかったのかもしれない。

 この暑さを前提としていた設計だったら、もっと背面冷却パネルのパワーを上げていただろうし、そうなると当然電源ももっと大きなものが必要になったかもしれない。

 多分、それでも買う人はいるだろうなあ、この暑さならば。

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 もう佃島は諦めて、っていうか普通は佃島からは門前仲町か、あるいは月島もんじゃストリートを通って勝鬨に行くんだけれども、もういいやって感じで、月島駅から有楽町線で帰ってきてしまった。

 有楽町線に乗ったら、まあ何ということ! 背面冷却パネルがよく効くんですねえ! って、当たり前か。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Tsukudajima Island ©tsunoken

2020年8月17日 (月)

USB HYBRID NECK COOLERは効くのかな?

 毎日毎日、お暑うございます。

 ってことで「USB HYBRID NECK COOLER」を買った。

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 切っ掛けは8月12日のブログ「暑い日は写真美術館へ逃げ込む」に対するN口A史氏のFACEBOOKでのメンション。

『首にするヘッドフォンみたいなファンをしてください!
たぶん
面白いので♪』

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 こういう挑発にはすぐに乗るtsunokenなのであった。

 で、こういう便利グッズみたいな、どうでもよいグッズに関してはやっぱりドンキでしょ、ということで早速、高田馬場の芳林堂に行くついでに1階のドンキにいってみた。

 手持ちのファンも置いてあるし、野口氏所望の首掛け式ファンもいろいろある。

 しかし、単なるファンでは扇風機と同じで絶対に涼しくなさそう。ということで発見したのがこの「首元を前面・背面からWで冷却!」っていうUSB HYBRID NECK COOLERであります。

 この商品、なかなかの優れもので「2種類の金属の接合部に電流を流す事によって、片方の金属からもう片方へ熱が移動するという特性を持つベルチェ素子板を首元背面に搭載。前面のツインファンと組み合わせることによって、効率的に首元を冷やすことができます。」っていうのが外箱に書かれた効能書き。

 首の背面に当たる部分にはセラミック製熱伝導パネルがあって、それにベルチェ素子板を挟んでヒートシンクがあるという構造。前面のファンは、まあ単なるファンです。

 ベルチェ素子とは『2種類の金属の接合部に電流を流すと、片方の金属からもう片方へ熱が移動するというペルティエ効果を利用した板状の半導体素子。直流電流を流すと、一方の面が吸熱し、反対面に発熱が起こる。電流の極性を逆転させるとその関係が反転する。また温度制御が可能なばかりでなく、温度差を与えることで電圧を生じさせることもでき、これをゼーベック効果という。
 材料としてはp型およびn型のビスマステルル系半導体などが用いられる。
 複数重ねることで熱の移動量を増やせる。』(Wikipedia)っていうんだけれども、はっきり言って、意味はまったく分かりません。

 その日はそのまま家に帰って、昨日、ドンキなら池袋の方が大きいしな、ってことで池袋のドンキに行ったんだけれども、売ってない。じゃあ、ということで高田馬場のドンキに行ったら「売るほどある」じゃないですか。

 ってことで早々に購入。お値段は税別3,990円。税込4,389円、レジ袋2円で〆て「4,391円」

 まあ、オモチャとしてはそれ相応のお値段かな。

 USBで充電するんだけれども、取り敢えずホンの少し充電した状態で確かめてみたら、確かに首元のヒンヤリ感はなかなかのもので、これは「いいね!」がつきそうな感じ。前面のファンはやっぱり単なるファンです。送られてくる風は、もうテンで温かい風です。全然涼しくない。

 連続使用時間は

前面ツインファンのみ
 弱  10時間
 中  8時間
 強  6時間
背面冷却パネルのみ
 弱  3.5時間
 強  2.5時間
前面ツインファン+背面冷却パネル
 強  2時間

 そうか、やっぱり背面冷却パネルがこの商品のウリなんだけれども、そちらの方がずっと電力消費量が多いっていうことなんですね。

 ってことは、往復の電車の中では使わずに、電車を降りて暑い中で写真取材をしている2時間、ほぼ10,000歩を歩く時間だけはなんとか持つ、っていう算段かな。

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 実は本当に期待しているのは「マーフィーの法則」なんですね。

 つまり「傘を持っていくと雨は降らない。傘を持っていかないと雨が降る」っていうやつ。

 こんな酷暑グッズを手に入れると、途端に暑さは解消して、秋になるっていう……。

 むしろそっちを期待しますね。

 USB HYBRID NECK COOLERは来年も使えるし。(なくさなければね)

2020年8月16日 (日)

桜新町・長谷川町子美術館

 昨日のブログの最後に『右下から伸びているのが東急世田谷線の線路で、左に延びる道が世田谷通りから左に分かれて桜新町を経由して用賀の世田谷ビジネス・スクエアに延びる道であります。』と書いた「世田谷ビジネススクエアに伸びる道」の下を東急田園都市線が走っているんだが、その途中にあるのが桜新町であります。

「桜新町と言えばサザエさん」ですね。

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 もう町中「サザエさん」なんですね。他に街の売り物がないとはいえ、いやはやここまで「サザエさん」だったとはね。

 不動産屋さんは花沢さんなんだけれども、お父さんが経営している不動産屋さんは「桜町不動産」という名前。どうせなら本物も「花沢不動産」にしちゃえばいいのにね。

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 で、桜新町の駅で降りて用賀方面へ少しだけ歩くと、そこから左折すると「サザエさん通り」です。

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 サザエさん通りを真っ直ぐに行って桜新町交番に至ると、そのすぐ隣が「長谷川町子美術館」です。

 実はこの長谷川町美術館というのは以前からあったんだけれども、今年の夏リニューアル・オープンしたのです。

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 下の写真が新しい長谷川町子美術館。で、そのまた下が長谷川町子記念館。

 なにがリニューアルなのかというと、以前は長谷川町子さんにかかわるものをすべて収録していたのが長谷川町子美術館だったんだけれども、道路を挟んで斜め前に長谷川町子記念館というのをオープンして、「美術館」の一部出展内容を「記念館」に移して、「美術館」と「記念館」の性格分けをして、「サザエさん」を中心とした展示を「美術館」の方へ、一方、それに入りきれなかったものを「記念館」にという具合に性格分けをしたという具合。

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 今回の「美術館」にはサザエさん一家の居間や長谷川町子さんの執筆部屋の再現なんかはあるようなんだが、以前の美術館にあった、桜新町のジオラマがあって、そこに自分の家を建てることが出来るっていう展示なんかなどうなっちゃったんだろうなあ。

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 もうひとつ面白いのは、美術館の脇に「世田谷区立桜新町一丁目緑地」っていう「通称:サザエさん公園」があるんだが、公園の中にサザエさん、波平さん、カツオくん、ワカメちゃん、タラちゃんはいるのだが、何故かフネさんとマスオさんがいないっていう不思議。

 何故、その二人だけハブられちゃったんだろう?

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 で、問題は(っていうほどのことではないが)この通称:サザエさん公園なんだが、多分、昔の誰かのお屋敷跡なんだろうけれども、どうみてもサザエさんの家よりはかなりデカいっていうことなんだなあ。

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 サザエさんの家も基本平家だし、庭には物干し場があったりして、現在の都内の基準で言っちゃえば、ちょっと大きな家なんだが、この公園ほどには大きくないもんなあ。

 もうちょっと小さめの敷地に、それこそ「サザエさんの家」を立てちゃったりしたら「おおっ! 世田谷区、スゴい!」って言ってあげるんだがなあ。

 残念!

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Sakura Shinmachi ©tsunoken

2020年8月15日 (土)

三軒茶屋も大分変ったな

 今日は世にいう「終戦記念日」ですね。

 8月15日が「戦争が終わった日」っていうのは、ポツダム宣言を日本が受け入れるっていうことを8月14日に相手国に伝えて、それを日本国民に天皇陛下が知らせた日が8月15日なんですね。なので、日本では8月15日が終戦記念日。

 でも、大日本帝国政府および大日本帝国陸軍・大日本帝国海軍の降伏文書調印式(つまり、それがポツダム宣言文書)は、9月2日に東京湾に停泊中のミズーリ号甲板上で行われ、アメリカ合衆国・イギリス・フランス・オランダ・中華民国・カナダ・ソビエト連邦・オーストラリア・ニュージーランドが調印して、それで正式の日本の降伏。ということなので、本来の戦勝終結の日は1945年9月2日で、アメリカの対日戦争終結記念日(V J DAY)は9月2日です。

 ただ、ポツダム宣言を受け入れるっていうことは、日本が「敗戦」を受け入れるっていうことなんだから、本来は「敗戦記念日」でいいはずなんだけれども、なんかやっぱり「敗戦」っていう言葉を使うことにお役人としては抵抗があるんでしょうか。

 負けは負けなんだから、仕方ないでしょ。

 ということなので、以前はこの日に靖国神社に集まる軍服オタクやら、自称右翼団体の連中を写しに行ってたんだけれども、ここ数年はもう飽きたので、今年も行かない(……と、思う)。

 なんてこととは関係なく……。と言っても、何となく戦後の焼け跡闇市の話が少しだけ入っています。というか、結局、現在の東京と日本は、そんな戦後の焼け跡闇市から、すべてがスタートしたのです。明治維新だってここまでの変化は日本という国に求めはしなかった。まさしく、ドラスティックな変化だったんですね。もしかしたら、それは明治維新以上の変化なのかもしれない。

 ということで、やっと今日の本題に入ります。

 三軒茶屋という地名は既に皆様ご存知の通り、『大山道(現在の世田谷通り)と分かれた大山道(現在の国道246号)が二股に分かれるところに、田中屋・石橋屋・角屋という三軒の茶屋が早くから店を営んでいたところから、道中の休みどころの目標として呼ばれだしたのが始まり』ということなんだけれども。そんなことはどうでもいい、むしろ、私が子どもの頃の記憶からすれば、渋谷と二子玉川を結んでいた玉川電鉄(玉電)という路面電車が、その支線である下高井戸まで行く世田谷線との分岐点があった場所、という、何となく荒川区の南千治、足立区の北千住に相当する「西の千住」的な感覚で捉えていた町である。

 勿論「茶屋」は茶を供するだけのところではない。その先は、言わないでもわかりますね……。まあ、宿場の飯盛り女みたいなもんで……。まあ、その辺が「西の千住」なんですね。

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 駅前には「ちゃんと」闇市から出来上がった仲見世商店街っていうのがあって、まあ、今でも昔の闇市時代からの名残りみたいな感じで営業をしている店がかなりある。

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「仲見世」も表側と裏側では随分違っていて……

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 こんな感じの店やら、こんな感じの飲み屋街が奥に行けば行くほど複雑に絡み合って、最後はどこが出口なのかがわからなくなる。

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 出口が分からなくなるっていうのは、同時に、どこから来たのか入り口も分からなくなるっていう訳で、結局、自分がどこにいるのかが判らなくなってしまい、このドヤ街にしけ込むしかなくなってしまうっていう算段なんだよなあ。

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 で、そんな三軒茶屋にも昔は映画館が5軒もあったらしい。

 私が知っているのは三軒茶屋中央劇場と三軒茶屋シネマだったんだけれども、それでも時たま「えっ? こんな作品上映してるの?」的な番組を組んでいたりして、2~3度足を運んだこともあった。三軒茶屋シネマも今あるのは看板だけになってしまった。

 まあ、三茶の先にOLMっていうアニメ会社があって、そこで『ああっ 女神さまっ』のスピンアウト版テレビアニメを、これまた変な経緯で途中からプロデュースを引き受けることになってしまって、進行中の劇場版『ああっ 女神様っ』の準備と並行して半年ほど通ったことがあった。OLM(オリンタル・ライト・アンド・マジック)というのはジョージ・ルーカスのILM(インターナショナル・ライト・アンド・マジック)から勝手に頂いた社名なんだけれども、なかなかいい会社で、現在は「ポケモン」で大当たりしている。

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 ってことで、最後は三軒茶屋キャロットタワーからの眺めで終了。

 右下から伸びているのが東急世田谷線の線路で、左に延びる道が世田谷通りから左に分かれて桜新町を経由して用賀の世田谷ビジネス・スクエアに延びる道であります。

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 この写真ではよく見えないんだけれども(肉眼では見えます)、SBSのはるか先には大山(丹沢山)が見えます。

LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Sangen Chaya ©tsunoken

2020年8月14日 (金)

人形町の映画スーパー屋さんを探したんだが

 昔、人形町の洋画の字幕を作っている会社に何回か通ったことがあるのを思い出した。

 まだパソコンなんてない時代、「手描き・縦書き」(字数制限アリ)でスーパーインポーズの文字を書いて、それをもとの映像のカットに合わせて撮影してネガを作り、元々のフィルムのインターネガとスーパーのネガを重ね焼きをして、上映用のフィルムを作るという作業工程なんだが、多分、今ではそんな面倒な工程は経ないで製作しているんだろうなあ。

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 なあんてことを考えながら歩いていたら日本カメラ社の前に出てしまった。『アサヒカメラ』が朝日新聞出版なので築地に会社があるんだろうけれども、『日本カメラ』の会社が人形町にあるのは知らなかった。

 なんか、「人形町」という街と「出版社」という種類の会社とがあまりそぐわない感があるのだが、考えてみれば人形町って日本橋のすぐそばだし、そんな下町文化の一つが「瓦版」屋さんだったりして、それが出版社になったっていうのなら、分からないでもない。そうか、人形町と出版社ってのは、ちょっとしたテーマになりそうだなあ。取り敢えず日本カメラ社が潰れる前だよなあ。

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 日本カメラ社のそばに文教堂書店があったので飛び込んでみたんだが、やっぱり『日本カメラ』はありました。

『日本カメラ』の発行部数はかなり下がっているのだろう、最近、我が家のそばの文教堂書店には配本がなくなってしまい、池袋まで行かなければ買えなくなってしまっているんだが、さすがにご近所さんの雑誌はちゃんと置いてある文教堂書店なのだった。

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 人形町という町は表通りは食べ物屋さんとかお土産屋さんなんかが並んでいるのだが、ちょっと裏通りに入ると小さな町工場なんかがあって、私が通っていた字幕屋さんもそんな町工場のひとつ、ってことで意外や意外、結構な工場街でもあったりしたんだが、最近はあまり町工場も見なくなってしまって、マンションなんかに変わってしまっていたりしている。

 まあ、商店街と町工場が混在しているっていうのが、東京の下町の典型的な作りなんだが、まさしく人形町もそんなセオリー通りの町だったんですね。

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 ということで人形町の裏道を、あちらこちら、ウロウロ……

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 どうにも昔のイメージが思い出せなくなってしまっているんだが、実は、町の方が昔とは全く変わってしまっているのだ。

 まあ、考えてみれば今から30年くらい前の話だもんなあ。

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 なあんてことを考えているうちに、再び日本カメラ社の前に出てしまった。

 ってことは、まあ場所的にはほゞこの辺で間違いないんだろうけれども、もうそんな字幕屋さんなんてもう無くなっちゃっているんだろうなあ。

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 しかし、久々の一眼レフニコンDfなんだけれども、やっぱりライカに比べると重いな。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Ningyocho ©tsunoken

2020年8月13日 (木)

Takanawa Gateway Fest 開催中

 いつの間にか、高輪ゲートウェイフェストが始まっていた。

 当初は3月14日の高輪ゲートウェイ駅開業に合わせて3月19日から開催予定だったんだけれども、コロナウィルス禍でもって開催延期となり、いつの間にか我々の記憶からも消えていた。

 それが7月14日から9月6日までに日程変更して既に開催していたのである。

202008111©JR EAST

 開催テーマは「どんなわくわくと、つながろう。」っていうもので開催内容は「テクノロジー」「アート」「モビリティ」「ミュージック」「フード」「ローカルカルチャー」「スポーツ」の各ジャンル。こうしたジャンルで「ワクワクするもの」を探そうということなんだろうけれども、う~ん、それだけではちょっと分からない。

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 まあ、もともと品川駅と田町駅の間のJRヤードの再開発事業の目玉として作られた高輪ゲートウェイ駅である。そんな新しい街の地域イメージとして「テクノロジー」や「アート」などを中心とした事業展開を考えていたJR東日本なので、やはりこのフェスティバルのテーマもそうしたものになってくるのだろうなあ。

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 会場は北半分が「フード」で、いろいろな店が出店しているスペース、南半分がいろいろなイベントが開催されるスペースになっていて、まあ、やっぱり当面の一番の売り物は「フードコート」なんだろうなあ。

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 会場はすべて大型テントでもって作られたイベントスペース。勿論、エアコンは入っているのだろうけれども、なんかイベント会場まで行くのが暑くて嫌になってしまいそう。

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 まあ、取り敢えずもう少し涼しくなってから行こうかな。

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 イベントの入場は事前に公式サイトから入場申込をして入る方式なんだが、今のところ、直接行っても少し待てば入れそうな雰囲気だ。まだ暑いので、お客さんはあまり来ていないようだ。行くなら今がチャンスかもしれない。

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 高輪ゲートウェイ・フェストの公式サイトはコチラ

LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Takanawa Gateway ©tsunoken

2020年8月12日 (水)

暑い日は写真美術館へ逃げ込む

 本当に暑い日だった。

 東京都は真夏日の35℃の発表があったんだが、そんなものは気象庁の百葉箱の中の温度なんで、実際の体感温度はもっとずっと上、38度くらいあったんじゃないか。体温よりも高い!

 最初は、新宿辺りで「新宿写真」の撮影でもかましてやろうかなと思って出かけたんだけれども、あまりの暑さに新宿で降りずに、恵比寿まで行って、東京都写真美術館に逃げ込むことにした。

 見たのは「あしたのひかり Twilight Daylight」という、新進作家の展示会。別に、誰の写真を見ようというのではない、私が知っている写真家がいるわけでもない。ただ私自身が東京都写真美術館の会員なので、会員証を提出すればタダで見られるっていうだけの理由なのであります。うん、こういう時には会員になっているメリットってのがあるんだなあ。

 別に「何を見たい」ってときじゃないときは、いいね!

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「新進作家」なので私が知っている写真家はいない。

 作品は岩根愛「あたらしい川」、赤鹿摩耶「氷の国をつくる」、菱田雄介「border」、原久路&林ナツミ「世界を見つめる」、鈴木麻弓「The Restoration Will」、の6名。

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 やはり「新進作家」なので、デジタルカメラで撮影した作品が多いのだろう、インクジェットプリントの作品が多い。

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 ただし、鈴木麻弓の作品と菱田雄介の作品には「発色現像方式印画」という方式の、現像方式をとっている。

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「発色現像方式印画」って何なのか調べてみたら、何だ普通のカラー印画紙のことらしい。
 特に鈴木麻弓の作品は、東日本大震災で水没してしまったカラー写真を復元したり、そのままプリントしたりしている作品が多く、撮影者も鈴木麻弓本人でなく、「佐々木厚 撮影」というクレジットが入っている作品が8点入っている。鈴木本人の作品もゼラチンシルバープリントの作品でフィルムを使用している写真である。

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 う~ん、フィルム撮影か。

 私もブログに使っている写真は、ほぼすべてデジタルカメラなんだが、「作品」として提出している写真はモノクロフィルムで撮影しているものが多い。

 久々にTri-Xでモノクロフィルムでの撮影もやってみようかな。

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LEICA M-E ELMARIT-M 28mm f2.8 @Tokyo Photographic Art Museum (今日は私の著作権を主張しません)

2020年8月11日 (火)

森山大道流ガイドブック?「TOKYO」

 本書の腰巻に曰く……

「森山大道が唯一無二の混沌を活写! 世界初、スナップで巡るガイドブック」と。

 そんな森山大道氏の写真がガイドブックであるものか。

Tokyo_20200807172401 『TOKYO』(森山大道・著/光文社/2020年6月30日刊)

「ガイドブック」で取り上げているのは「セントラル・エリア」が東京タワー、東京駅、皇居、国会議事堂、「六本木」が六本木ヒルズおよび六本木、「銀座と築地」が銀座、築地場外市場、新橋、歌舞伎座、「渋谷と原宿」がハチ公像と渋谷駅前、渋谷駅前交差点、明治神宮、竹下通り、表参道、新国立競技場、「新宿」が都庁ビルからの眺め、ゴールデン街、歌舞伎町、西新宿、新宿三丁目、新宿御苑、「浅草」が浅草寺、ホッピー通り、花屋敷、隅田川、合羽橋食器街、「上野」が西郷隆盛像、不忍池、谷中銀座、アメ横、「池袋」が池袋老眼鏡博物館、サンシャイン60、乙女通り、池袋西口公園(グローバルリング)、大塚(東京さくらトラム/都電荒川線)、赤羽一番街(せんベロ街)、「神田」が秋葉原、神保町、「東京湾」が羽田空港、品川水族館、お台場、「西東京」が井の頭公園、中野サンプラザ、中野ブロードウェイ、「東東京」が泪橋、東京スカイツリーとそこからの眺めという具合。

 なるほど、いかにも「ガイドブック」らしいロケ地の選択ではある。

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 森山大道氏は「あとがき」に書く。

『この本には、あの日のときめきを追い求め、路地に這い蹲るようにして彷徨き続けた末、僕なりの視点で捉えた、現代の東京の街並みが掲載されている。
 もし、この本と、そしてカメラを手に、この街を巡る人がいるならば、どうかそれぞれの視点で、興味の赴くままに、東京を活写してほしい。
 ただし、あなたが対峙するのは60年間、ここに暮らし日々レンズを向け続けたぼくですら、その正体を掴みきることができないでいる、ひたすらに巨大な混沌なのだと覚悟していただきたい。』

 結構、これは強烈なメッセージである。この本を読んで、東京の写真を撮る者に対する「そう簡単に東京を分かるわけではない」という宣言なのである。

 すごいなあ、この自信。まあ、それがないと写真家なんてやってられないよってことなんでしょうね。

 『TOKYO』(森山大道・著/光文社/2020年6月30日刊)電子版もアリ

2020年8月10日 (月)

ゴールデン街はどうなっちゃうんだろう?

 コロナウィルス騒ぎでもって自粛令が出ている東京で、はたして新宿花園ゴールデン街はどうなっちゃうんだろう、ってことで見に行ってきた。

 花園ゴールデン街の入口は昔「都電13系統・新宿駅前~水天宮前」路線がが走っていた場所です。しかし、新宿駅前から水天宮って、随分長い距離を走っていたんですね。「東京駅丸の内南口~等々力操車所」なんてもんじゃないな。

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 まあ、昼間に行ったって営業をしている訳ではないので、どんな様子になっているのかなんてわかるはずも無い。

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 そもそも花園ゴールデン街って、あまり行ってははいなかった。

 誰か先輩の編集者に誘われて行ったくらいで、自分から行ったという記憶はない。

 新宿で呑んでいたことはよくあったんだが、よく飲んでいたのが新宿三丁目の伊勢丹の駐車場のそばの映画関係者が良く来るバーだったりしていたんだっけ。でも、ゴールデン街にも映画関係者がよく行く店もあったんだが、そちらには行ってなかったなあ。

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 なので、ゴールデン街行きつけの店っていうのはなくて、そうなるとますます足が向かなくなってしまう。

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 いずれにせよ「自粛令」やら「休業要請」やらで、もはや営業的には青息吐息でやっているんだろうけれども、今のところコロナのためにツブれた店というのは未だ出てはいないようだ。

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 でも、この夏を乗り切れない店も何軒かは出てくるんだろうな。どうなっちゃうんだろう。

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LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Shinnjuku Hanazono Golden Street ©tsunoken

2020年8月 9日 (日)

「ハモニカ横丁」なのか「ハーモニカ横丁」なのか、はっきりさせてほしい

 吉祥寺と言えば、北口のサンロード周辺のゴミゴミとした一帯と、南口の井の頭公園周辺の商業地に分かれていて、そのどちらが好きかということで、結構、人が分かれる。

 まあ、単純に言っちゃうと、南口周辺が好きな方は、昼間の楽しみが好きな方、北口周辺は、まあ夜の街ですね。

 その北口のゴミゴミとした街の一角が「ハモニカ横丁」なんだが、実はそのすぐ隣に「ハーモニカ横丁」ってのがあるんですね。

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 この「ハモニカ横丁」と「ハーモニカ横丁」のどこがどう違うのか、いろいろ調べてみたんだが良く分からない。

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  Wikipediaによれば『ハーモニカ横丁のルーツは、第二次世界大戦後の1940年代後期、荒廃した吉祥寺駅前にできた闇市からである。その闇市の名残か、入り組んだ細い路地の中に小ぢんまりとした商店が混沌と立ち並ぶ様が、古き良き昭和の面影を残している。
 駅北口から平和通り、ダイヤ街、武蔵通りに面した位置にあり、横丁は東側(JR吉祥寺駅側)から仲見世通り、中央通り、朝日通り、のれん小路、祥和会通り、の5つの通りで構成される。
 飲み屋街としても有名であり、夜になると仕事帰りの客らが集い、昼とは違った賑わいを見せる。
 なお、現地に於ける表記は【ハモニカ横丁】と【ハーモニカ横丁】が混在しており、地元ではハモニカの方が通っている。』とあるんだが、う~ん、それだけでは「ハモニカ横丁」と「ハーモニカ横丁」の違いには触れていない。

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「ハモニカ横丁」あるいは「ハーモニカ横丁」は「仲見世通り、中央通り、朝日通り、のれん小路、祥和会通り」の五つの通りで構成されており、実際には「ハモニカ横丁」「ハーモニカ横丁」という名の「横丁」はないらしいのだ。

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 なんだそうなのか……、って知ってしまうとなんか街自体に興味がなくなってしまう。

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「ハモニカ横丁」という名前自体は亀井勝一郎が、小さな店が軒を並べて並んでいる様子がハーモニカのようだということで名付けたという話がまことしやかに伝えられているそうだが、亀井勝一郎がそんなに吉祥寺で毎晩酒を呑んでいたっていう話があるんだろうか。

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 亀井はお隣の町、三鷹に住んでいた太宰治とは良く付き合っていたらしく、そんな太宰との付き合いで吉祥寺でよく酒を呑んでいたのかもしれない。

 じゃあ、それで「ハモニカ横丁」と「ハーモニカ横丁」の違いが分かるかっていうと、わかるわけはないのでした。

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 一体、どう違うんだよ(怒)!

LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Kichijoji ©tsunoken

2020年8月 8日 (土)

本当の「お屋敷町」は松濤なのか駒場なのか

 渋谷区の松濤方面へ行く時は、まあ、普通は渋谷駅から東急百貨店本店方面まで行って、それを過ぎると松濤町に至るんだが、それとは逆に京王井の頭線で駒場東大前まで行って、駒場方面から松濤町に至るという方法がある。

 どう違うのかといえば、まあ、渋谷の谷底から松濤町に坂道を上っていくのか、あるいは目黒区駒場から松濤町・神泉方面へ坂道を下りるのか、という違いがある。まあ、坂を上がる方を選ぶのか、下がる方を選ぶのかという違いで、距離はあまり変わらない。

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 一番大きな違いといえば、渋谷駅という「超繁華街」を通っていくのか、目黒区駒場という「お屋敷町」を通っていくのかという問題。

 東大駒場キャンパスは加賀の前田家の私邸があった場所。東大本郷キャンパスが加賀前田家の上屋敷だったのと同様、こちらは私邸の場所を東京大学に提供したっていう、まさしく「超お金持ち」のお話なんです。

 加賀前田藩の上屋敷っていうことは、幕府にも認められた「公的な土地所有」ってことですよね。

 実は、この東大駒場キャンパスの周辺の土地すべてが前田家の持ち物だったらしく、東大駒場キャンパスも、実はその一部でしかなかったらしい。まあ、江戸時代から明治に至る時期なんで、「個人の持ち物」なのか「藩の持ち物」なのかなんてのは、もう無茶苦茶だったんでしょうねえ。

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 で、その東大駒場キャンパス周辺の地は、今もお屋敷町になっています。

 勿論、前田家みたいなトンでもない大金持ちが現代の世にいるわけもなく、でも、まさしく閑静な屋敷町という呼び名に相応しい街並みが東大駒場キャンパスの周辺には展開しているんですね。

 私なりに「お屋敷町の定義」なるものを考えてみると、「基本的にクルマ移動が多いので、駅までは便利でなくてもいい」「駅があると普通の人がやたら来てしまうので、できれば駅がないほうがいい」「ただし、クルマが走りやすいように、道はまっすぐに整備されていること」という条件にピッタリなのが、この東大駒場キャンパス周辺の、「目黒区駒場」なのであります。

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 東大の裏に出ると、まさしく「東大裏」という交差点を経て、山手通りを越えると現代のお屋敷町として有名な渋谷区松濤の町へ入ってくるんだけれども、果たしてここは駒場以上の「お屋敷町」なんだろうか。

 渋谷区松濤町を代表するものとしては「鍋島松濤公園」と「松濤美術館」ではないだろうか。

 鍋島松濤公園に関しては渋谷区の説明板がある。

「鍋島松濤公園の付近一帯は、江戸時代には紀州徳川家の下屋敷でした。明治時代になって、その跡地を購入した鍋島家が、士族授産のために開いた茶園に付けた名称が松濤園でした。松濤とは茶の湯のたぎる音から出た名で、この銘のお茶を生産していました。それがもとになって、昭和三年(一九二八)にこのあたりの松濤という町名が生まれました。
 松濤園のなかにあった、池を中心とするこの一角が現在の松濤公園です。大正十三年(一九二四)に鍋島家児童遊園地としての施設をつくった公開した松濤遊園地が、昭和七年(一九三二)十月に東京市に寄附され、昭和九年から渋谷区の管理に移り、戦後に区立の公園となりました。
 かつて渋谷区内には、数多くの自然湧水池がありましたが、開発名などにより著しく減少してしまいました。
 松濤公園の池は、数少ない湧水池として貴重であると同時に、池の周辺には昔ながらの面影が残されています。」

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 松濤という街を象徴するものとしては、この鍋島松濤公園と松濤美術館なんだけれども、これって両方とも松濤の町から一番下がったところにあるんですよね。

 基本的にお屋敷町は高台になければならない。つまり水害に絶対あわない町でなければならないからです。そうじゃないと、そんな災害の中で政治を動かすことが出来ないからです。

 なので、この公園と美術館は「お屋敷町」の中じゃないんでしょうかね。

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 ましてやねえ、そのすぐ先は円山町のラブホテル街です。

 以前、九州の麻生セメントの社長を親から引き継いで、その後に政界入りした、「未曽有(みぞゆう)」でお馴染みの麻生太郎氏が、松濤に屋敷を構えていて、ってそれは親の代から持っていた家屋敷なんですけれどもね。でそこに、これまた成り上がりのニュービジネスパーソン、楽天の三木谷浩史氏がまさしく成り上がりよろしく松濤に屋敷を買ったという情報を得て、嫌な感じを持ったらしいんだけれども、なんかなあ、そんなになんだかんだ言うほどの問題なんじゃないの? エラそうに、っていう感じです。

 所詮、すぐそばが円山町でしょ。今はラブホテル街だけれども、要は、以前は売春の街だったんですよ。

「江戸時代には甲州街道の脇街道であった大山街道(厚木街道、矢倉沢往還)の宿場町(ただし、人馬継ぎ立場ではない)として栄え、明治以降も花街として続いた。」(Wikipedia)ってのが円山町の由来。

 そんな街のそばにある「お屋敷町」って言ったってねえ、巣鴨の大和郷だって、そんなことはないぞ。(うん? 駒込三業地とかは?)

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LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Komaba, Shoto & Mariyama Cho ©tsunoken

2020年8月 7日 (金)

昔「神田カルチェラタン闘争」というのがあった

 毎日、毎日お暑いですね。もう、コロナウィルスより熱中症の方が怖いくらいです。

 で、今日は昔話。

 1968年6月21日、お茶の水の駅辺りから駿河台下へ向かうお茶の水通りをバリケードで封鎖する「神田カルチェラタン闘争」というのがあった。基本的には明治大学と中央大学の社学同が中心になって、日本大学のノンセクトが参加、その他、市民や高校生なども含まれる大衆運動だったんだが、警視庁の機動隊が撤去にくるとあまり大きな抵抗はなく、一日で収まってしまった闘争なのでありました。

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 2020年の現在からすると50年以上も前の話で、当時、高校生でこの闘争に個人で参加していた私(と言っても、バリケードの中をうろついて、時たま機動隊に投石していただけなんですけれどもね、党派にも属していなかったし)も、まあ、考えてみれば歳を取ったわけだ。

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 御茶ノ水駅もだいぶ様相が変わって、お茶の水口は変わらないが、聖橋口は丸善の前に移動して、ホームにつながるエスカレーターもできた。駅前の様相も随分変わってきている。

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 明治大学は今でも駿河台にあるが、中央大学は多摩の山奥に引っ越してしまい、今頃になってやっと市谷や茗荷谷などに戻ってこようとして悪戦苦闘している。

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 1968年には、世界的にベトナム反戦運動が盛り上がった。「沈黙することは戦争に手を貸すこと」という雰囲気さえ醸成されていた。ソルボンヌ大学(パリ大学の文学・語学部門)では、学制改革を要求する学生の激しい闘争で、カルチェ・ラタンやサンミッシェルで解放区を実現しただけではなく、労働者のストライキと工場占拠に波及し、フランスの5月革命と呼ばれる状況を引き出していた。

 このフランスのパリ、カルチエ・ラタンでの闘いに呼応しようとして起こったのが、東京の「神田カルチェラタン闘争」なのだった。

 1968年8月にオーストラリアで、アスパック(アジア太平洋閣僚会議)の開催が計画されており、日本からも外務大臣が出席の予定であった。社学同は、この会議が日本帝国主義のアジア再侵略への一歩であり、70年安保の実質化であると位置づけていた。

 そこで1968年6月21日、アスパック開催抗議の実力闘争を組もうとして、この「神田カルチェ・ラタン闘争」を呼びかけた。各地から集まった社学同700名は、中央大学中庭で集会を開いた後、「神田を日本のカルチエ・ラタンにせよ」というスローガンで闘争を展開し、駿河台の通り2か所に、中央大学や明治大学から持ち出した机などを使ってバリケードを築いた。

 当初のカルチェラタン闘争の目論見では、お茶の水橋のバリケードを起点に、解放区を本郷通りに進めて東大本郷キャンパスまで広げる予定だったらしい。

 まあ、確かに中央大と明治大だけでは、本場、パリのカルチェ・ラタンのようにパリ大学ソルボンヌ校のような最高学府が入っていないので、日本でも東京大学までは何としてでも解放区をつなげて、東大全共闘と一体になったベトナム反戦運動にしようという構想だったわけだ。

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 でも結局こうした街頭闘争っていうのは、背後に労働者や市民がいなければ、学生だけで戦えるわけもなく、早いところ終結せざるを得ないものなのだった。まあ、まさしく田舎出身のニワカ大学生が左翼小児病的に「革命」という魅惑的な言葉に踊らされていただけなんですね。

 まあ、高校生でありながら「ドイツ・イデオロギー」とか「経済学哲学草稿」、勿論「資本論」なんかも既に読んでいた(やたら背伸びしていた)東京の高校生たる私たちなんかに比べると、本当に田舎出身で初めて学生運動と出会ったような牧歌的な人たちのありようがおかしくてしょうがなかった、まあ、まさしく背伸びした人生の一時期だったんですね。

 まあ、その辺は市民革命の歴史を持つフランスと、徳川政権が薩長政権に移っただけで、そこに市民(ブルジョワジー、プロレタリアート)の参加がなく、「革命のない政権移譲」という経験しかない日本という国の違いだったんだろうか。

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 まあ、それ以来「日本では革命は起こらない」というニヒリズムに考え方が代わった、私なんですね。

LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Kanda Surugadai & Jimbocho ©tsunoken

2020年8月 6日 (木)

今日も暑いぞ、地蔵通り

 一昨日、一瞬慌てたのはパソコンがネットに繋がらなくなってしまったこと。こうなるとメールも出来ないし(まあ、スマホに転送指令を落としているので、実はメールは可能なんだけれども)、むしろ肝心なのはこのブログもチェックできなくなってしまう、っていうか数日は書き込みが終わっている記事があるので何とかなるんだけれども、その後はどうスル? って問題。

 この日は病院に行って、一日中、朝から晩まで検査が予定されていて、ネット環境修復の時間もなく大慌て。

「ええ~っ? どうしよう!」

 で、夕方、病院から帰ってきていろいろ調べたところ、なんてことなくてルーターのジャックを入れ差ししているうちに回復しちゃったっていう話。まあ、どうやらルーターの接触不良ってことなんだけれども、なんか、機械にバカにされているような気分だなあ。

 で梅雨が明けた途端、突然の猛暑である。

 気象庁発表の最高気温は32度くらいなんだけれども、都会のコンクリートの上にいる我々の体感温度では36度の真夏日レベルだ。

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 と、そうなると「おばあちゃんの原宿」巣鴨地蔵通り商店街にも、おばあちゃん達の姿はあまり見られない。

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 まあね、この暑さにプラスしてコロナウィルス騒ぎだ。

 おばあちゃんたちにとっては、暑さよりはコロナ騒ぎの方が外出を自粛する原因になっているのかもしれない。

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 縁日の日の地蔵通りのようなもう全くまっすぐ歩けない「密」状態から考えれば、かなり自由に歩ける状況なので、本来ならばありがたいところなのであるが、「写真を撮る身」として考えると、ちょっと残念。

「このクソ暑い日でもおばあちゃんたちは元気です」ってなキャプションかまそうと思って、巣鴨の駅前の銀行に来たついでに「ブログネタを一発拾って帰ろう」ってな感じで来たんですがね。

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 まあ、往々にして、そんな期待は裏切られるものです。

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LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Sugamo ©tsunoken

2020年8月 5日 (水)

「作品のない展示室」という試み

 で、昨日は間違えずに東京メトロ南北線→永田町駅→東京メトロ半蔵門線・東急田園都市線で用賀まで行ってきました。

 目指すは砧公園内にある世田谷美術館です。

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 世田谷美術館では、現在『作品のない展示室』という「展示」(?)を開催中。

「作品のない展示室」っていう「展示」って何だ? と思われるでしょうが、要は読んで字の如し、展示室は公開しているんだけれども、そこには作品展示はありません。っていうだけのこと。

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 展示室に入っても、別に何も展示していなくて、ガランとした展示室があるだけです。

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 まあ、だからっていう訳ではないでしょうが、入場無料です。

 おまけに、今回は展示室内部は撮影禁止ではありません。(ただし、一部に撮影禁止部分はあります)勿論、私は撮影禁止だろうが、著作権侵害にならない程度の撮影はしちゃいますがね。

 でも、撮影するものがありません。

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 世田谷美術館からの「ご挨拶」は以下の通り。

『私たちは、これまでに経験したことのない大厄災の時を迎えています。
 社会の隅々まで影響がおよぶなかで、世界中の美術館が、美術館本来の在り方を問い、展覧会等々の事業を見つめなおしています。予定していた展覧会も準備に支障が生じ、海外から作品を借用することがむずかしくなり、まったく将来の見通しが立てにくい状態です。
 そのような現状を考慮して、このたび「作品のない展示室」を、虚心にご覧いただくことにいたしました。世田谷美術館は、四季折々にさまざまな表情をみせる都立砧公園のなかに位置しています。砧公園は、春には桜が咲きほこり、夏は大きな木陰が涼風をまねき、秋は多彩な木々の紅葉を楽しめ、冬には時に素晴らしい雪景色につつまれることもあります。
 1986 年に開館した世田谷美術館は、建築家・内井昭蔵(1933- 2002)によって設計されました。そして、内井昭蔵は次の 3 つのことを、美術館設計の上でのコンセプトとしました。
「生活空間としての美術館」、「オープンシステムとしての美術館」、「公園美術館としての美術館」。
 こうしたコンセプトに基づき設計された世田谷美術館には多くの窓があり、また来館者を迎えるのも正面玄関だけではありません。周囲の環境と一体化しようとする、とても開放的な建物になっています。美術館は単に収集し、保存し、展示するだけではなく、音楽、演劇といったパフォーマンスなど、さまざまなジャンルの総合化の機能も重要視される施設です。
 実際に世田谷美術館では、開館以来、音楽会やダンス公演をはじめ、さまざまなプログラムを開催し、このたびの「作品のない展示室」でも、ギャラリーに「建築と自然とパフォーマンス」と題したコーナーを設 け、これまでの活動の一端をご紹介いたします。
 窓を通して砧公園の緑ゆたかな風景を眺め、可能ならば、自らの心のなかに、これまで見てこられた数々の展覧会の一齣でも想い浮かべてくだされば幸いです。』

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 まあ、そんな「ご挨拶」の通り、考えてみればこの展示室から見える砧公園の姿そのものが「作品」なのかもしれない。

 窓枠を「額」だと思って外を見れば、それはそれで「美術である」なんちゃってね。

 要は、考え様によっては「これは美術だ」ってことになるだろうし、もう一方の考え方としては「別に美術でも何でもない。単なる外の風景だ」っていうことになる、「ある種のコンセプチュアルアート/パフォーマンスアート」なのですね。

 あるいはジョン・ケージの『4分33秒』みたいなものか。

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 まあ、実際にはコロナウィルス騒ぎで美術展示が出来なくなった美術館スタッフの誰かが考え出した、苦し紛れの展示会なんだろうけれども、目の付け所はなかなか洒落ていますね。

 いやあ、世田谷美術館のスタッフはなかなかいいセンスを持っているんですねえ。さすがです!

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 表に回ってみれば、今度は私が多分アートの一部分になって、窓枠(額)に収まっているというわけです。

 参りました! 世田谷美術館!

 ただし、このテは次にやったら「ネタバレ」になってしまうので、今回一度だけの試みです。次のコロナウィルス騒ぎが起きたら……、どうするんでしょうねえ。

「作品のない展示室」の開催は8月27日まで。

世田谷美術館のサイトはコチラ

LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Setagaya Art Mmuseum ©tsunoken

2020年8月 4日 (火)

行き先間違えて芦花公園へ

 実は世田谷美術館にいくつもりが、間違えて世田谷文学館に行ってしまったという話。

 世田谷美術館に行くのなら東急田園都市線で用賀まで行くんだが、なんか間違えて新宿から京王線に乗ってしまった。

 何故だろう? 

 実は、ドキュメンタリー映画『東京裁判』の監督を務めた小林正樹氏が世田谷区在住だった関係で、東京裁判関連の書籍などを世田谷文学館に寄贈している。そんな関係から『東京裁判』関連の諸々の後処理をK談社でやっていた私と世田谷文学館の繋がりがいろいろあって、世田谷文学館からは毎月リーフレットが来ていなので、なんとなく世田谷〇〇館というと、文学館の方だとばっかり誤解をしてしまったっていうマヌケな話。もうK談社は定年で辞めちゃったんだけれどもね。

 京王線じゃないっていうのは、新宿で京王線に乗って「世田谷美術館」をスマホでググってみてすぐにわかったんだけれども、まあ、いいやじゃあ久々に最近の世田谷文学館でも覗いて来ようかなと考え、芦花公園駅で降りた。

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 駅から少し歩くと「ウテナ前」という京王バスの停留所があるので、世田谷文学館はこのすぐそば。

「ウテナ」っていうのは、勿論、化粧品のウテナです。基礎化粧品が多いので、あまりメディアでCMを打つような商品じゃなく、目にすることは少ないが、まだあるんですね。ここが今でも本社らしいんだけれど、表側はマンションになっているようで、会社はこのマンションの裏辺りらしい。でも、マンションの上には「UTENA」って書いてあるんだから、間違いはない。

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 ウテナ前を少し先まで行って左へ曲がると世田谷文学館であります。

 世田谷文学館では現在『安野モヨコ ANNORMAL」という展示を開催中(9/22まで)だったんだが、正直、安野モヨコさんの作品にはあまり興味がなかったので、結局、スルー。

 まあ、折角来たんだから「芦花公園にある芦花公園」にいって一休みしようということに決めた。

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 ウテナ前の道を更に進むと「粕谷延命地蔵尊」の交差点があるので、そこを左へ曲がると「芦花公園」正式名称は「蘆花恒春園」がある。

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 徳富蘆花は明治の文豪で、青山から東京府北多摩郡千歳村粕谷に引っ越してきて「恒春園」と名付けたものを1927年に蘆花が死去後、未亡人が東京市に寄付したのが、芦花公園の始まり。

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 園内には母屋、秋水書院(書斎と寝室。幸徳秋水にちなんで命名)、梅花書屋、蘆花自身の手植えの竹林、徳冨蘆花夫妻の墓(銘は実兄徳富蘇峰の手による)などが保存展示されているんだが、まあ、蘆花が生きていた頃は明治の大昔であり、現在のようには開発されていなかった、当時としては大田舎とはいえ、かなり広大な公園の敷地すべてが蘆花の持ち物だったというのは、明治の文豪の財産って、今からは考えられなかったほどだったんだろうなあ。

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 う~ん、私の財産なんて、私の死後、妻が東京都に寄贈しようったって、そんなケチなもの、文京区には受け取ってもらえないでしょうね。

 ああ、スミマセン。明治の文豪とじゃ比較になりませんよね。

LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Karasuyama & Kasuya Setagaya ©tsunoken

2020年8月 3日 (月)

『CONTACT:THEORY』写真家がコンタクトを晒すってどんな意味?

 お茶の水の靖国通り神田小川町3-1にある古書店「源喜堂」というお店が好きで、よく覗きにいっている。

 基本的には美術書の古書店なんだが、写真集などの写真関連の洋書も多く収蔵していて、そんな関係からちょくちょく覗いている店なのだ。

 で、その源喜堂で先日見つけたのが本書。

Rimg0001『CONTACT:THEORY』(LUSTRUM PRESS/1982/3/1)

 要は、写真家が撮影したままのコンタクトシート(密着焼き)と、その中から選んだ一枚を大きく焼いて、何故それを選んだのかを写真家自身が語るっていうスタイルの本なのである。43名の写真家が撮った写真のコンタクトが収納されている。

 その中のひとつAlan Lewis Kleinbergが撮影した「Underpants」という作品。「The underpants were one of several item I was assigned to photoraph.」(下着のパンツっていうのは写真に撮るように指示されたいくつかのアイテムの一つだ。)っていうだけのもので、特別なものではないということを言っているようなのだが。

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 前ページの36カットのコンタクトの内の28カット目、上から5段目の左から4カット目が、次ページに大きくプリントされている。そのカットが写真家アラン・ルイス・クラインバーグが求めていた写真だったらしいんだが、う~ん、何故なんだか分からない。

 単なる「デカパン」じゃん。っていう以上の意味が写真家にはあるようだ。私のような4流カメラマンには分からない理由があるようなんだ。しかし、クラインバーグのコメントからは、残念ながら私の語学力では読み取れなかった。

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 源喜堂は下の写真。

L10013012LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Jinbocho ©tsunoken

源喜堂のサイトはコチラ、ちょっとクラクラきます。

 まあ、実は日本にも同じ趣旨のような本があって、松本徳彦氏の『写真家のコンタクト探検』っていう本なんだけれども、そちらは写真家・松本徳彦氏が様々な写真家のコンタクトと「作品」として発表された写真についての対比を、評論家的視点からまとめたもので、それはそれで分かりやすい。これは4流カメラマンでも勉強にはなります。

 それに比較すると、本書は写真家自身がそのカットを選んだ理由を説明しているんだが、どうもね、なんかそれって写真家の言い訳みたいな感じがして、あまり面白くない。

 っていうか、松本氏の本もそうなんだけれども、写真家っていうのは発表した作品で勝負する人なんで、その素材を見て評価するっていうのは、ちょっと違うんじゃないかという気がするんだが、どうなんだろう。基本的に、発表に堪えないと写真家が考えた写真は、基本的には人に見せるもんじゃないんじゃないかなあ。

 どうなんだろうか?

『CONTACT:THEORY』(LUSTRUM PRESS/1982/3/1)

『写真家のコンタクト探検』(松本徳彦・著/平凡社/1994年3月18日刊)

2020年8月 2日 (日)

新三河島

 上野駅から日暮里を経て二つ目の駅が「新三河島」である。

 日暮里駅を出て、大きく右にUターンして明治通りと交差する部分にあるのが「新三河島駅」である。

 ひとつ先が「町屋」、その先が「千住大橋」などなど、それなりに見るモノがある駅が控えているんだけれども、ここ新三河島だけは実に地味、というか私も何度もこの駅を通ってきているのだが、これまで一度もこの駅で降りたことはなかった。

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 駅を出るとすぐに見つかるのが「藍染川西通り」という表示。

 そうかそういえばこの辺りって、もうちょっと北の方へ行ったら西日暮里駅であり、その北側が「よみせ通り」であり、そのよみせ通りというのは、もともと染井墓地あたりが水源であった谷田川であり、その谷田川の下流が藍染川であり、谷田川も藍染川もすべて暗渠になっていて、よみせ通りから先は「へび道」になっていて、最後は不忍池に注いでいる。

 新三河島あたりまで来てしまうと、なんとなくそんな藍染川の存在を感じられなくなってしまうのだが、実は近かったんだなあ。あるいは、藍染川の支流かなにかがこの京成線沿いにあったりしたんだろうか?

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 しかし、この新三河島駅から日暮里駅に向かって京成線沿いを歩いているんだが、いやあ、見事に何もないところですねえ。

 って言っちゃいけないのか。周辺は町工場みたいなものが沢山ある。他所からきた暇人にとってはあまり人通りのない道を歩いてると、なんか死んだ街を歩いているような気分になってしまうんだが、実は昼間はみんな町工場で仕事をしているので、要は町を歩いている人が少ないだけなんですね。

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 このあたり、住所は「荒川区西日暮里」なのであります。「新三河島駅」の住所も西日暮里なのに、何故「新三河島」なんだろうっていう疑問もわいてくる。

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 JR常磐線の三河島駅の開業が1905年、京成線の新三河島駅が1931年なので、まあ、その順番はわかる。でも、駅の住所が「西日暮里」なので、だったら西日暮里駅でも良かったんだけれどもね。一方、東京メトロ千代田線の「西日暮里駅」は1969年、JRの西日暮里が1971年開業なので、京成線的には別になんの問題もなかったはずだし、京成線の新三河島駅が西日暮里駅だったら、東京メトロとJRの西日暮里が別の名前になったかもしれないと思うと、楽しくなるんだが……。

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 なんてことを考えながら歩いていると、いつの間にか日暮里駅に着いた。

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LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Nishi Nippori ©tsunoken

2020年8月 1日 (土)

アメ横カメラ

 8月になってしまった。

 なんとかギリギリ8月にはいって梅雨明けしそうな天気なんだが、コロナウィルスといい、九州の長雨とかながびく梅雨といい、なんか日本がおかしくなってしまう前兆のような気がしてならない。

 昔、東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)の西新井駅のそばに住んでいた頃は、西新井駅から相互乗り入れしていた東京メトロ日比谷線に乗って、上野か仲御徒町まで乗って、アメ横まではよく行っていた。

 アメ横でよく買っていたのは、Gパンやジャケット、スニーカーなどの衣料品が多かった。まあ、特にアメ横で買えばそうしたグッズが安かったのか? といえば、もう既に、アメ横で売っている商品がアメリカ軍の放出品なんかじゃなくなっていたのでよくわからない。まあ、なんとなく雰囲気ですね。

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 そのうち、アメ横にのめり込んでしまって、腕時計やらジッポやらを買い始めた私は、JR(当時は国電)ガード下のアメ横から、そこからひとつ道を挟んだところにある、もっとアメ横ではディープなスポットに行くようになる。この辺り、もうゴチャゴチャしていて、片方の入口から入ると、どこに出るのかもわからなくなる迷路のような感じにお店が並んでいて、まあ、逆に言えばその迷路性が面白くて行っていたようなものだけれどもなあ。

 で、そのアメ横ディープ・スポットが「アメ横センタービル」という合同店舗になったのは1983年1月のことだった。

 まあ、この頃は仕事が一番忙しかった頃で、さすがにアメ横に行く機会も大分減ってしまい、アメ横センタービルという建物が出来たことも知らないでいた。

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 そんなアメ横センタービルの三階に出店しているのが、アメ横カメラであります。

 勿論、他のアメ横ローレックス屋さんなんかと同じで、中古カメラの専門店なのです……。

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 置いてあるカメラは、当然、ニコンFとかライカ、ハッセルブラッドなどのフィルムカメラのみ。その他の大判カメラとか、カメラ関連の付属品とか関連商品などなど……、これは通うに意味のあるカメラ店なのです。

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 と、言いながら私はこれまでこのアメ横カメラさんにお世話になったことはありません。

 なんだ、ションベンばっかりか、って言われそうですが、確かにそんな感じだったですね。

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 というか、ここ最近のアメ横センタービルで気になるのは、退店の多さである。

 結局、以前の闇市から出発したアメ横では店の大きさなんて1坪か2坪位しかなかった狭小店舗だったんだが、このアメ横センタービルになって店舗の大きさがかなり大きくなった。逆に、その店舗の大きさが家賃と売り上げのバランスを崩すことになってしまって、結果、売り上げが家賃に追いつけなくなったお店が順次退店することになったしまったのではないだろうか。

 まあ、それでもビルが出来たばっかりの頃は、退店店舗がでてもすぐに後の出店者がいたんだろうが、最近はそうではなくなって、空き店舗がやたら目立ってきているのではなだろうか。

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 栄枯盛衰というのはどこにでも、どんな商売でもあるものだからやむを得ないことなのかも知れないが、本来の「アメ横」つまりJR(当時は国鉄)のガード下で展開していた店は、今でも健在のところもあるし(まあ、退店したところも相当あるんだろうけれども)、まあ、コチラが本来のアメ横ですよってな感じで残っているのは、ご同慶の行ったり来たりってな感じですね。

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LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Ueno ©tsunoken

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