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2020年7月 2日 (木)

〽東雲のストライキ

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 東雲節という歌が昔あった。歌は昔も今もあるんだからこういう言い方はそぐわないか。

 でも、いまは誰も歌わないし、メディアにも出てこないのだから「昔あった」でいいのかな。

 何故か知らないけれども、私もどこかで聞いた記憶がある歌なんですけれどもね。

「〽何をくよくよ川端柳
 焦がるるなんとしょ
 水の流れを見て暮らす
 東雲のストライキ
 さりとはつらいね
 てなこと仰いましたかね」

 っていうのがその歌詞。YOU TUBEでどうぞ。

 まあ、この最後の「てなこと仰いましたかね」ってところで、それまで謡いあげてきた歌の歌詞を、卓袱台返しにひっくり返してしまうんですがね。しかし、そこまでの歌詞も、じゃあ何か意味があるのかって言えば、なんともはや、まったく意味がないってのも面白い。その辺の「意味のなさ」が好きで、子どものときに聞いたこの歌が、なんかずっと気になってきたんですね。まあ、歌といっても「端唄」なんですけれどもね。

「何なんだろう、この歌って?」てのが気になって、で長いこと、この「東雲のストライキ」の「東雲」って、東京江東区の「東雲」のことだと、私は思っていた。

 東雲に行くにはりんかい線の東雲で降りるか、東京メトロ有楽町線の豊洲で降りて東雲方面へ「東雲橋」を渡って行く。

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 渡った先の江東区東雲の街は、まあ、なんというかとにかくマンション、マンション、マンションなのであります。完全にマンションの街。

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 で、昔、ここ東雲には飛行場があって、まあ、小型機とか軽飛行機みたいな飛行機が飛んでいたらしいんだが、今、その跡地がどこなのかを探したんだが、まったく分からない。

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 りんかい線の東雲駅のそばに都バスの大きな車庫があるんだけれども、この辺りだったのかなあ?

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 ってことで、マンション群の中を歩いていても面白くないので、りんかい線で帰って来た。

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 で、『「東雲のストライキ」の「東雲」って、東京江東区の「東雲」のこと』なのかっていう問題なんだが。全然、違うようでした。

 名古屋説と熊本説ってのがあるようで……

『名古屋の事件に由来するとする説
歌詞の内容については、名古屋で起きた廃娼運動に関わる事件に由来するとする説が広く流布している。
そのひとつは、東雲(しののめ)という名の娼妓が廓を脱出した一件を歌ったものとする説であり、もうひとつは東雲楼という廓で娼妓のストライキがあったとする説である。前者については、娼妓の東雲が、アメリカ人宣教師の助力を得て退楼したなどとされる。後者については、名古屋旭新地(中村遊廓)の東雲楼でストライキがあったとされるが、当時の経営者であった川島勇次郎は、そのような事実はなかったと後に証言している。

熊本の事件に由来するとする説
1900年、全国的な廃娼運動は九州にも及び、熊本でも自由廃業を行うものが出てきたとき、熊本一と言われた二本木遊郭の妓楼「日本亭」(その直後に「東雲楼」と改称)の経営者であった中島茂七は、それに対処する上で中心的な役割を担った。その状況を受けて、「東雲」、「中島茂七」、(番頭だったとされる人物の名である)「斎藤」などを歌い込んだ風刺的な歌詞が成立したという。また別の説では、借金減額を求める娼妓たちの動きが東雲楼にあったともいう。』(Wikipedia)

 まあ「東雲」という言葉自体は「夜明け前に東の空が茜色に染まる」という現象を示したもので、要は東京の東の外れにあった場所なので、そんな名前が付いただけ、ってことらしい。

 なんかつまらないオチでスミマセン。

LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Shinonome ©tsunoken

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