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2020年7月27日 (月)

「なぜ京橋に画廊・骨董が多いのか」ということについて

 銀座の裏通りから京橋にかけての場所にはギャラリーがかなり多くみられる。

 銀座通りの裏道あたりは現代作家の個展や、現在の絵画グループなどの共同展などが開催されていることが多い。

 京橋あたりには、表通りには国立近代美術館のフィルムセンターから独立した、ナショナル・フィルム・アーカイブなどがあるので有名だが、そのから一歩裏道に入った場所にはギャラリーというより、むしろ画廊と呼んだほうが良いような場所が沢山ある。

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 いろいろなビルのそこここにある画廊なんだが……

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 銀座のギャラリーに比べると、現代作家というよりは古典的な作家や、昔の作家の作品が展示されている……、というよりは「展示する」という目的よりは、販売目的で展示されている作品が多くみられる。

 なかには骨董品店とでも呼ぶ方が相応しい店もある。

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 その京橋近辺なのだが、『京橋から日本橋に続く「東仲通り」は戦前から骨董美術商の集まる町で、「京橋美術骨董通り」と呼ばれています。現在でも100を超えるギャラリーなどが軒を連ね、春には「東京アートアンティーク~日本橋・京橋美術骨董まつり」を開催しています。世代を問わず国内外の多くの人が、日本の美術、骨董に親しみ、作品に触れる機会を作りだしています。』というんだが、じゃあ何故、京橋に画廊が多いのかというと……

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『昭和22年には京橋区と日本橋区が合併して中央区となり、昭和27年にはブリヂストン美術館が開館し周囲に画廊も増え美術と骨董の拠点となりました。』

 っていうのだ。

 えっ? ブリジストン美術館ができたのが、周囲に画廊が増える理由だったのか。

 なんだ、『江戸時代の頃、浮世絵などの版元が京橋辺りに多くあって、それが画廊やギャラリーが京橋近辺に多くなった原因である』てな解説がどこかにないだろうかってネットを調べてみたんだが、「浮世絵の版元としては有名な蔦屋重三郎が一流版元の並ぶ日本橋通油町に進出」という記述くらいで、別にそれが現代の画廊や骨董屋さんに繋がっているというようなことはないようだ。ちょっと残念!

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 勿論、写真のギャラリーもあります。

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LEICA M-E KONICA M-HEXANON 50mm f2 @Kyobashi ©tsunoken

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