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2020年7月17日 (金)

馬喰町なのか、横山町なのか

 中央区の小伝馬町・大伝馬町から浅草橋へ抜ける道が馬喰町、現在は中央区日本橋馬喰町という。

 なんとなく、日本橋から北へ伸びる中央通りが昔の奥州街道・中山道へまっすぐ伸びる道であると考えてしまうんだが、実は浅草橋へ抜ける道が、そのまま浅草、南千住を通って奥州街道(日光街道)へ出るわけで、つまりコチラが昔の日光街道へ出る道だったんだろう。つまり、日本橋からまっすぐに北行する道は歩きの旅人の通る道で、少し東進して浅草経由で行く方法は、多分、荷物を運ぶ人、つまり仕事の人が通った道なのではないだろうか。

 で、そのための役馬の調達をしたのが、ここ日本橋馬喰町だったのではないだろうか。

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 馬喰町の由来というのがある。

『馬喰町の地名は天正年間(1573年-1593年)、幕府の馬労(博労)頭高木源兵衛、富田半七が居住し、この地にあった馬場を管理していたことに由来します。馬労(博労)は、馬や牛の仲介人のことです。初めは博労町と記されていましたが、正保年間(1645年-1648年)に現在の馬喰町と改められます。』(Wikipedia)

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 ところでこの「ばくろう」という言葉なんだが、上の二つに加えてもう一つの書き方がある。

 つまり「博労/馬喰/伯楽」の三つである。三つめは「びゃくらく」あるいは「はくらく」とも読むんだが、基本的には三つとも「ばくろう」と読む。「博労」と「馬喰」というのは、何となく如何にも馬を扱う労働者っていう雰囲気の言葉なんだけれども「伯楽」というと、なんかもうちょっと違う意味がありそうだ。

『博労、という言葉はそもそも伯楽という中国の言葉からきており、馬の良し悪しを見分ける名人という意味があります(日本民俗大辞典)。そこから馬や牛などといった家畜の治療をする人々のことをハクラク、バクロウと呼んだそうです。』(Wikipedia)

 この馬の良し悪しを見分ける名人という意味での「伯楽」は、中国では同時に神様扱いをされているくらい、地位の高かった人たちだったらしい。まあ、国内の戦が多かった中世の中国では、やっぱり闘いの主要な道具だった「馬」が、それだけ重要視されていたんだろう。

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 ところで、この日本橋馬喰町のすぐ隣、というか奥州街道に面しているのが馬喰町で、そのすぐ裏が日本橋横山町。JR総武快速線の駅は「馬喰町」なんだが、都営地下鉄新宿線の駅名は「馬喰横山」と、両方の地名を駅名として使っている。

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 日本橋横山町の歴史としては、横山町大通りの一部区間が江戸時代の日光・奥州街道に当たり、近隣に投宿する旅人向けの小間物問屋、紙煙草入問屋、地本双紙問屋等が軒を連ねていたらしく、その名残なんだろう、現在の馬喰横山あたりには、馬を扱う店は一軒もないが、洋服問屋などの問屋が多くみられる。

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 なんとなく、昔の町の雰囲気を町名に残しているのは「馬喰町」なんだけれども、昔からの商売を今でも実際に続けているのが「横山町」っていう訳で、ここは横山町の勝ち。

(って、何の勝ち負けなんだか分からないけど……)

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NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Bakurocho ©tsunoken

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