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2020年7月20日 (月)

お盆の墓参り

『浅草・今戸の慶養寺の門前に、〔嶋屋〕という料理屋がある。
 表構えは大きくないが、奥行きが深く、裏手は 大川(隅田川)にのぞんでいて舟着きもあるし、気のきいた料理を出すので、秋山小兵衛も 贔屓にしていた。
 秋になると、 あぶらの乗った沙魚を酒と生醬油でさっと煮つけたものなどを出して、小兵衛をよろこばせる。
 だが、いまは秋ではない。
 この年の、 梅雨の晴れ間の或 る夜のことだが、嶋屋から座敷女中に見送られて外へ出て来た客が、今戸橋の北詰を右へ曲がった。
 右手は慶養寺の土塀、左手は山谷堀 である。この客は中年の侍で、総髪 も手入れがゆきとどいているし、夏羽織と袴をつけた 風采 も立派なものであった。 侍は、かなり酒をのんでいるらしい。
 いかにも、こころよげに山谷堀沿いの道を歩む侍の前へ、ぬっと夜の闇の中からあらわれた男がいる。土塀の裾に屈み込んでいたのだ。 これも侍……いや、あきらかに浪人者であって、 柿色 の布で顔を隠し、着ながしの裾を 端折り、帯に草履をはさみ、跣 になっている。
 背丈の高いその浪人が、総髪の侍に
「よい、ごきげんですなあ」
 と、笑いかけた。
「おぬしは……?」
 油断なく一歩 退った侍へ、浪人の後ろ手に隠していた棍棒が闇を切り裂いて襲いかかった。
「う……」
 辛うじて身をひねり、これを 躱したが、息つく間もなく打ち込まれた棍棒に頸すじ 叩かれて、中年の侍は大刀の柄へ手をかけたまま倒れ伏した。
 死んだのではない。気をうしなったまでだ。』

 ご存知、池波正太郎氏の『剣客商売 十三 波紋』から『敵』の出だしである。

 この「浅草・今戸の慶養寺」というのが、我が家の菩提寺。曹洞宗霊亀山慶養寺であります。

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 東京は7月にお盆をやる。今年は7月19日にお施餓鬼を開催するというので、その前日に墓参りに行ってきた。

 曹洞宗霊亀山慶養寺というのは結構古いお寺だったようで、龍門寺十二世良寮和尚(承応2年 1653寂)が開山となり、寛永2年(1625)浅草蔵前に創建、その後、現在の台東区今戸へ移転したと言われている。

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 初代・林家正蔵師のお墓があるらしいので、以前、探してみたことがあるんだが、よくわからなかった。

『天保13年6月5日(1842年7月12日)没。享年62。エピソードとして、当時では珍しく火葬をし、燃やした時に棺桶に仕込んであった花火が上がって、参列者を驚かせたという話が伝わっている。』という、まあ、さすがに噺家っていうエピソードですね。

 林家正蔵は二代目が婿養子で3~6代目までは別の家の姓の人が受け継いできたんだが、7代目で海老名竹三郎という本名の人が継いだんだが、その8代目でまたまた別の姓になったんだが、8代目が林家彦六になって海老名家に林家正蔵を返却して、現在の9代目林家正蔵(旧名:林家こぶ平/本名:海老名泰孝)となったそうだ。

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 多分「林家正蔵の墓」というのはないだろうけれども、かといって初代が「海老名」性であれば「海老名家の墓」なんだが、それもはっきりしない。今度、墓参りに行ったら場所を聞いてみよう。

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 ところで、「角田家之墓」というのも、このお寺にはいくつかある。

 この二つ並んでいる「角田家之墓」のどちらかは我が家の墓、もう一つは私の従兄弟が受け継いでる墓であります。

 さあ、どちらがどちらでしょう?

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RICHO GRDⅢ @Imado Asakusa ©tsunoken

『波紋 剣客商売 十三』(池波正太郎・著/新潮文庫新装版/2003年2月15日刊)

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