「銀座写真」って、何だ?
というか、別に「銀座写真」なんていう言葉はなくて、私がこのブログで言い出しただけのことで、あまり意味はないのだです。まあ、自分なりに「銀座写真」という理由があるんですけれどもね。
元々、私の「写真生活」っていうもののはじめは小学生の頃にたまたま写真好きの先生が初めた「写真クラブ」だったというのは以前にも書いた。その後、中学生の時にクロード・ルルーシュの『男と女』という作品を見た時、プログラムに掲載されていた「カメフレックスを覗くクロード・ルルーシュ」の写真に、「うわっ、カッコいい!」ってな感じになって、映画を好きになり、同時に映画作りが好きになりというかたちで、私の「写真生活」は、とりあえず「シネマ・ヴェリテ」の映画作りから始まったのだった。

大学生になり、日本テレビ報道部のアルバイトで、番組制作の補助(いわゆる「ボーヤ」っていうやつ)からフィルム編集助手になって、当時のテレビ報道の基本は16mmフィルムだったので、次第に、会社にあったベル&ハウエル・フィルモ、キャノン・スクーピック16、アリフレックス16SRなんかのムービーカメラをいじくってみたり(同録カメラのオーリコンだけは触らせてもらえなかった)して、なんとなく再度、私の写真生活は映画生活となり、遂にバイト代を貯めてボレックスH16を買うまでになったのでありました。
一方、高校時代から始めた映画評論なんかも『キネマ旬報』『映画評論』なんかの常連投稿者にもなって、この時代は、なんか完璧に映画を中心に回っていた時期ではあった。

一方、映画作りの方では……
結局、ボレックスを買いながらも、別に一作もマトモな映画を作れなくて(ラッシュだけはあります、今でも)終わってしまった学生時代なのであったのでありました。この辺、原将人の『おかしさに彩られた悲しみのバラード』なんだが、皆さんには分かりませんね。
要は、映画が好きで、映画を撮りたくて、カメラも手に入れたんだけれども、いざ、カメラを手に入れてしまってみたら「何を撮ればいいのか分からない」という状態になってしまった男の話、っていうのが『おかしさに彩られた悲しみのバラード』のテーマなんです。

この頃撮っていた私の映画のことを、私は「現象学的ドキュメンタリーの試み」と名付けていた。
「現象学的ドキュメンタリー」って何だ?
「現象学的ドキュメンタリー」って言ったって、別にそうしたジャンルのドキュメンタリーフィルムがあるわけじゃなくて、特に何かの事件のルポルタージュやニュースでもないし、要は普通の日々のなかのひとつひとつのシーンを撮影しながら、それにまつわる個人的な思いなんかを語る映画、という風に考えていた訳なのであります。
ん? 何だそれって?
う~ん、イメージとしてはジョナス・メカスの”ニュー・アメリカン・シネマ”や「リトアニアへの旅の追憶」なんですけれどもね。

オイルショックの影響で、アルバイトから潜り込もうと思っていた、その年の日本テレビ(というか、NHKとTBS以外の在京テレビ会社)は採用なしということになり、テレビを諦めざるを得なかったので、他の、それも学校推薦なんかがない会社を選んで、取り敢えず就職することにした。
「いずれ、独り立ちして映画で食っていくんだ」ってな思いもあったんだろうなあ、ということで大学を出た後は取り敢えず誰でも入れる出版社にでも入って、それからまた新しい人生設計をするんだ、ってのがサラリーマンになった理由。
別に嫌な会社ではなかったですが、いずれ、サラリーマンは辞めて、映画で食っていくんだって思っていたんですね、出版社に入った当時は。まあ、それがあったんで「編集志望より営業志望の方が入りやすいだろう」と安易に考えて、営業で入ったんだけれどもね。

しばらくはまあ普通にサラリーマンをやっていたんだが、会社に入って10年ほどしてから、実は会社が映像制作部門を立ち上げることになり、それまで名古屋支社というところで燻っていた私にもお声がかかり、いよいよ映像制作という、まあ、以前思い描いていた職種に就くことになったんだが……。まあ、プロデューサーって現場仕事じゃないので、ちょっとアレでしたけれどもね。
で、お約束の通り、結婚して、子どもが出来て、そうなると、これまたお約束の通り、カメラを手に入れたってわけなんだけれども、その手に入れたニコン New FM2が閉じていた私の写真生活を再開させる切っ掛けになったわけなのであります。
で、そのころ始まった銀座の歩行者天国なんかに出張っては、「街写真」を撮りまくっていたというのが、私の「銀座写真」の始まり。
そのうち、そんなスナップ写真を配置し、それに適当なキャプションをつけて発表するっていうスタイルのブログを始めたのが今から11年前、2009年11月のこと、「tsunokenのブログ」の始まり、始まり。

なんだ、「銀座写真」とは、その昔やろうとしていた「現象学的ドキュメンタリーの試み」の再現ということだったのであります。つまり、「私なりのシネマヴェリテ」ってわけで。

えっ? それって、単なる無意味?
う~ん、そうかもしれない。
LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Ginza ©tsunoken
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