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2020年6月

2020年6月30日 (火)

21mm f1.5 開放絞り

 この日は午後からマンション管理組合の総会があるので遠出はせずに、午前中に巣鴨の染井霊園からとげぬき地蔵商店街、庚申塚商店街を抜けて明治通り掘割まで歩いて、TTArtisan 21mm f1.5 ASPHで最後のテスト撮影。

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 え~、つまり21mm f1.5というレンズで絞り開放で撮るとどうなるかっていうこと。

 これまで使っていたフォクトレンダー 21mmだと絞り開放でf4だから、それより3段も明るいレンズがどういう写りをするのだろうか。

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 フォクトレンダー 21mm f4だと基本的に全周合焦という感じで、アウト・オブ・フォーカスの部分というのはほとんど目立たない。

 それが同じ21mmでもf1.5になってしまうと、見事にボケが生じるんですね。勿論、50mmや35mmみたいな盛大なボケはないし、勿論、f4でも多少はボケは出てるんだけれども、さすがにf1.5という明るさだとしっかりとしたボケ部分が出てくる。

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 本当はもう少し被写体に近づいて撮れば、もっともっと「ボケ」が目立つんだけれども、もうちょっと近づかなければなあ。

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 しかし、こんな夕方でもない真昼間でf1.5が使えるっていうのも、1/4000秒というシャッターが使えるデジタル・ライカだからなのだ。フィルム・ライカだと1/1000秒が最速のシャッターなので、せっかくのf1.5も夕方とか夜にならなければ使えないのであります。

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 う~ん、中国製のレンズも結構使えるじゃん。というのがその感想なんだけれども、まあ多分レンズの設計図なんかもライセンスが公開されているんだろうから、その気になれば誰でも作れるっていうもんなんでしょうね。

 しかし、それにしても方や(中国製)60,000円、方や(ライツ製ズミルックス21mm f1.4)900,000円っていう値段の差って、単に中国とドイツの人件費の違いだけなのかしら。

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 これでTTArtisan 21mm f1.5テスト撮影はオシマイ。

 フィクトレンダー Color-Skopar 21mm f4というレンズ自体もどちらかというと、私の常用レンズだったんで、多分今後はTTArtisan 21mm f1.5が常用レンズになるんだろう。

LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH すべて開放絞り @Sugamo ©tsunoken

2020年6月29日 (月)

『年収100万円で生きる』って、どういう意味?

 ポイントはこういうことなんだろうな。

『周りに文化資本を持つ家族や知人がいない環境に生まれ育った人たちは、大学に進学することは「贅沢」であり、中学や高校を卒業すればすぐに働いて家計を助けるか、自立をするのが「普通」だと認識していることが多い。親からもそうあることを期待されているし、本人もその教えに従って「そういうものだ」と信じているためだ。
 そして親や親族、友人や知人も同じ境遇にあるため、実際には多くの企業の採用基準が「学歴重視」であるにもかかわらず、自分たちの「普通」を疑う余地はない。
 もしも貧困家庭に生まれ育った子どもに大学進学の意思があったとしても、実現までにはさまざまな障壁が立ちはだかる。そもそも進学についての親の理解が得られにくく、学費や受験料、塾代など経済的に大きな負担になるため子ども本人の決断だけではどうにもならずに、親に迷惑がかかることを懸念して大学進学を断念する子どもも多い。』

 その結果の「貧困の連鎖」なのだが、それをしも「自己責任」の範囲だという風に理解することはできないはずなのだが、しかし、それらを「自己責任」「自助努力の不足」その結果としての「貧困」という風に結論付ける社会はどうにかならないものなのだろうか。

 子どもたちに対して、すべての可能性を与えられるような社会になってはじめて、その結果としての「自己責任を問う」ような社会が出来るはずなんだけれどもなあ。

100 『年収100万円で生きる ー格差都市・東京の肉声ー』(吉川ばんび・著/扶桑社新書/2020年4月30日・電子版刊/2020年5月1日紙版刊)

 数多くの「貧困」の実例から、本書では16の証言を集めている。

証言1
窓のない密室で、息を潜めて暮らす「トランクルーム難民」
落合健太さん(仮名・44 歳)男性
出身地/山形県 最終学歴/短期大学 居住地/東京都 居住形態/倉庫に居候
年収/100万円 職業/警備員 雇用形態/日雇い派遣 婚姻状況/未婚

証言2
悪臭漂う、難民ご用達の「超激安ネットカフェ」
山北辰治さん(仮名・37 歳)男性
出身/福島県 最終学歴/高卒 居住地/大田区蒲田 居住形態/ネットカフェ
年収/110万円 職業/アルバイト 雇用形態/日雇い派遣 婚姻状況/未婚

証言3
後遺症と毒親の呪縛に苦しむ「ゴミ屋敷に暮らす生活保護受給者」
大森雄二さん(仮名・38 歳)男性
出身/岐阜県 最終学歴/大学 居住地/東京都板橋区 居住形態/賃貸アパート
年収/150万円 職業/清掃 雇用形態/生活保護受給中・不定期アルバイト 婚姻状況/未婚

証言4
母の遺骨を抱えながら「軽自動車に住む男」
篠原雄二さん(仮名・52 歳)男性
出身/埼玉県 最終学歴/中学校 居住地/不定 居住形態/車中泊
年収/ 85 万円 職業/製造系 雇用形態/日雇い派遣 婚姻状況/未婚

証言5
田舎暮らしが失敗の発端になった「転職漂流者」
津山敏夫さん(仮名・48 歳)男性
出身/千葉県 最終学歴/短期大学 居住地/千葉県千葉市 居住形態/賃貸アパート
年収/150万円 職業/生活保護受給中 雇用形態/生活保護 婚姻状況/既婚

証言6
うつ発症で一気に転落「中年マクドナルド難民」
平田正治さん(仮名・43 歳)男性
出身/福島県 最終学歴/専門学校 居住地/東京 居住形態/ファストフードで仮眠
年収/110万円 職業/倉庫整理 雇用形態/日雇い派遣 婚姻状況/未婚

証言7
地方営業所を転々……着地点が見えぬ「社内漂流者」
太田 徹さん(仮名・51 歳)男性
出身/千葉県 最終学歴/大学 居住地/北海道稚内市 居住形態/賃貸アパート
年収/450万円 職業/会社員 雇用形態/正社員 婚姻状況/未婚

証言8
脱派遣で就いた介護職も「外国人労働者の受け入れでクビ」
橋本隆二さん(仮名・42 歳)男性
出身/埼玉県 最終学歴/大学 居住地/埼玉県 居住形態/実家
年収/100万円 職業/元介護職員 雇用形態/アルバイト 婚姻状況/未婚

証言9
孤独と不安が怒りのトリガーに 「暴走あおり運転者」
林 弘重さん(仮名・56 歳)男性
出身/東京都 最終学歴/高校 居住地/東京都 居住形態/持ち家
年収/210万円 職業/配達ドライバー 雇用形態/契約社員 婚姻状況/既婚

証言 10
犯罪行為とはわかっていても……「空き家〝不法侵入〟生活」
太田龍二さん(仮名・48 歳)男性
出身/長崎県 最終学歴/工業高校 居住地/不定 居住形態/空き家を不法占拠
年収/ 90 万円 職業/フリーター 雇用形態/日雇い派遣 婚姻状況/未婚

証言 11
親の資産を食いつぶす「引きこもり中年」
里井邦明さん(仮名・38 歳)男性
出身/東京都 最終学歴/大学 居住地/東京都 居住形態/賃貸アパート
年収/ゼロ 職業/無職 雇用形態/なし 婚姻状況/未婚

証言 12
マスク転売するしかなかった……「新型コロナで失職した男」
有田博人さん(仮名・44 歳)男性
出身/東京都 最終学歴/専門学校 居住地/神奈川県 居住形態/社員寮
年収/300万円 職業/ホテル従業員 雇用形態/正社員 婚姻状況/未婚

証言 13
旦那が 45 歳でリストラ 「元専業主婦の悲哀」
木村 晶さん(仮名・46 歳)女性
出身/和歌山県 最終学歴/短期大学 居住地/埼玉県 居住形態/賃貸アパート
年収/120万円 職業/フリーター 雇用形態/アルバイト 婚姻状況/既婚

証言 14
一回3000円でウリ行為 「稼げない五十路風俗嬢」
立花 薫さん(仮名・55 歳)女性
出身/東京都 最終学歴/中学 居住地/東京都 居住形態/賃貸アパート
年収/110万円 職業/風俗嬢 雇用形態/フリーランス 婚姻状況/未婚

証言 15
女のタイムリミットに怯える「婚活難民女子」
佐伯悦子さん(仮名・40 歳)女性
出身/山梨県 最終学歴/大学 居住地/東京都 居住形態/賃貸マンション
年収/400万円 職業/会社員 雇用形態/正社員 婚姻状況/未婚

証言 16
歌舞伎町から出ずに放浪 「貧困娘の一日」
本間愛華さん(仮名・19 歳)女性
出身/神奈川県 最終学歴/高校中退 居住地/東京都新宿区 居住形態/主に歌舞伎町の出会い喫茶
年収/ 72 万円 職業/無職 雇用形態/なし 婚姻状況/未婚

「年収100万円で生きる」ことが可能なのも、それだけ東京が大きな都市であり、都市に住む人たちの階層も様々であることは事実なんだが、それでもなんとなならないもんだろうか、とも考えされられる。

 大学卒の学歴を持ってはいても、結果としてそれを生かすことが出来なかった人生。それは就職氷河期に当たってしまった不幸、リーマンショックに当たってしまった不幸、などなどがあるにせよ、ある部分「自己責任」とばかりが原因とはいえない。やはり、そうした「不幸」から、その人を救いあげることのできない私たちの社会の問題なんだろう。

 現在の「コロナウィルス禍」もまた、そうした貧困を生み出すきっかけになってしまうかもしれない今日、そうならない社会をつくりあげるにはどうすればよいのだろうか。

 私にはその方法論は見つけられない。

 田舎に帰ればいいじゃん、ってわけにもいかないんだろうなあ。

  『年収100万円で生きる ー格差都市・東京の肉声ー』(吉川ばんび・著/扶桑社新書/2020年4月30日・電子版刊/2020年5月1日紙版刊)

2020年6月28日 (日)

いつもの散歩道から:東京ゲーテ記念館

 今日のTTArtisan 21mm f1.5 ASPHのレンズテストは、ご近所散歩で駒込から西ヶ原を通って王子まで行ったので、そのメルクマールともいえる「東京ゲーテ会館」である。

 まあ、もうレンズテストではないですけれどもね。

 で、何故、北区の西ヶ原なんてところに「ゲーテ」なんだ? ってところですよね。

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 東京ゲーテ記念館とは、茨城県出身の実業家・粉川忠という人が個人で集めたドイツの詩人ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテに関する書籍や関連文献など、ゲーテにまつわる資料を生涯にわたってとにかくを沢山集めた資料館なのです。

 粉川は友人から聞いたゲーテの話に興味を持ち、ゲーテ・フリークになっちゃった人。

 とにかく数多くのゲーテにまつわる資料を集め、最初は1964年に渋谷に初代の東京ゲーテ記念館を開き、その内、渋谷が手狭になったので、1988年にここ北区の西ヶ原に移転をしたそうだ。当館は粉川忠が各地を隈なく探し・収集したゲーテに関する書籍を集めた図書館で、洋書・和書関係なく約15万点を所蔵していた。現在でもゲーテに関する資料を集めた図書館としては世界でも指折りの規模となっているそうだ。

 現在は子息の映画評論家にしてパフォーマンス・アーチストの粉川哲夫氏が二代目館長を務めています。

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 別に「何故、西ヶ原に?」という理由はあまりないようで、まあ、多分、「そこに土地があったから」ってことなんでしょうかね。

 東京ゲーテ記念館の前には「ゲーテ・パーク」っていう小さな空き地があって、東京ゲーテ記念館の前を走る「ゲーテの小路」という通りを駒込方面からエッチラオッチラ上ってきた人の小休止の場となっています。

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 ゲーテ記念館の前をもう少し上るとそこは本郷通りの西ヶ原一里塚の前の交差点。

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 数少ない都電が道路を自動車と一緒に走る通りを進むと、坂を下りて王子駅前です。

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 王子駅前さくら新道の飲み屋街は、以前は2012年の火事の後でも数軒は店を開いていたのですが、今は跡形もなく整備されてしまって、さて次に何が建つんでしょうか? まあ、何か新しい今風のビルになってしまうんだろうなあ。

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 ってことで、王子駅前から北区の地域バス「Kバス」に乗って駒込まで帰ってきます。

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 どーでもいいんだけれど、よく分からないのが、駒込駅前にあるこの看板「日本郷土民謡協会」っていう看板なんだけれども、「日本郷=やまとむら/土民=どみん/謡=うたい/協会=協会」、つまり「やまとむら・どみん・うたい・きょうかい」って、私は読んでしまったんですね。要は日本の土民の歌の協会ってことなんでしょうかねぇ。「土民」ってアイヌ民族なことかなあ、蝦夷とか熊襲のことかなあなんて考えていたんですがね。

LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Nishigahara,Oji & Komagome ©tsunoken

※勿論、違います。正しくは「にほん・きょうど・みんよう・きょうかい」っていう、日本の民謡を保護して、春と秋には文京シビックホールで民謡コンサート開催している団体でした。チャンチャン

2020年6月27日 (土)

超広角なら砂町銀座でしょ

 TTArtisan 21mm のレンズテストでは横浜の中華街に行ったんですけれどもね。

 横浜は脇の通りは結構狭いんだけれども、メインストリートは多少広がっていて、まあ、やっぱり狭くてゴチャゴチャした通りっていうのなら……、っていうことで砂町銀座まで出かけた。

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 我が家から砂町銀座まで行く方法は二通りあって、ひとつは都営地下鉄三田線で千石から神保町まで乗って、そこで新宿線に乗り換えて大島まで行く方法と、もう一つは駒込から東京メトロ南北線で飯田橋で東西線に乗り換えて南砂町まで行く方法だ。

 いずれにせよ大島か南砂町から砂町銀座までは少し歩くんだが、まあ、一日一万歩、歩くことを目標にしているんで、まあ、どうということはない距離ではある。ただし、昨日みたいに暑い日じゃなかったらね。

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 さすがに21mmの超広角レンズだと、このくらい狭くてゴチャゴチャした通りには適した焦点距離で、なんかいい感じである。

 砂町銀座はフォクトレンダーのウルトラ・ワイド・ヘリアー12mmでも撮影したことがあるんだが、まあ、21mm位がちょうどよい加減の焦点距離かも知れない。

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「銀座ホール」というお店は、中央区の銀座なのか、砂町銀座なのかは知らないが、なんかすごくレトロな感じの「ミルクホール」みたいで、これまたいい感じ。画面の真ん中からちょっと左に写っている小人みたいなお婆さんは、私が撮影した時には気が付かなかったんだけれども、どうも鏡に映ったお婆さんのようだ。

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 しかし、事前に危惧した通り、ちょっと行く時間が早かったようで、まだ開いていない店なんかもある。やっぱり砂町銀座は観光地じゃないので、もうちょっと遅い時間、出来れば夕方辺りに来ればもっといい写真が撮れたんだけれどもなあ。

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「坊主の接骨院 坊主の鍼灸院 『坊主』」っていうお店(?)は前からあったかなあ。

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 日差しの強い日で、なんか「光と影」のコントラストがよい加減ですね。

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 江東文化センターの小松崎軍次先生(元・江東区長)も暑そうだ。

 えっ? 昨日のブログで『「狭くてゴチャゴチャした町」っていうのなら東京には沢山あるし、それこそ砂町銀座なんて最高なんだけれども、でも、最初のテストでそこを選ばなかったというのは、まあ、自分なりに合理的な理由があるんです。
 まあ、それはいずれ砂町銀座を取材したときに解明されるでしょう。』って書いたオトシマエはどうつけるんだ? って?

 う~ん、そんなのありません。

LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Kitasuna ©tsunoken

2020年6月26日 (金)

TTArtisan 21mm Test Shooting in Yokohama China Town

 昨日のブログで書いた通り、中国は深圳にある銘匠光学が作った「TTArtisan 21mm f1.5 ASPH」っていうレンズが手に入ったので、早速、テスト撮影。

 まあ、レンズテストなんていっても、別に光学系の専門家でもないし、レンズに詳しい写真家でもなんでもない完璧なトーシロとしては、全くの印象批評でしかないけれどもね。でもまあ、新しいレンズを手に入れたそのすぐ後にはレンズテストをするのは当たり前。ただし、レンズテストって言ったって、取り敢えず「撮ってみました。さあ…」っていうだけ。これまで使っていたレンズと焦点距離が異なるレンズの場合は、このレンズテストは必須であるのだけれども、これまでもフォクトレンダーの21mmを使っていたので、レンズの使い勝手はそんなに変わるものではないので、ますます、このレンズテストは難しいものとなります。

 つまりは、私が素人だから。

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 ってことで向かった先はつい先週末に「都県境越境禁止自粛令」が解除になった神奈川県です。つい数日前に海老名市まで行ったので、既に「越境」はしています。ということで、横浜市です。

 何故、横浜なのか? つまりは21mmという超広角レンズの撮影を楽しむには「狭くてゴチャゴチャした町」っていうのが面白いんですね。でも、「狭くてゴチャゴチャした町」っていうのなら東京には沢山あるし、それこそ砂町銀座なんて最高なんだけれども、でも、最初のテストでそこを選ばなかったというのは、まあ、自分なりに合理的な理由があるんです。

 まあ、それはいずれ砂町銀座を取材したときに解明されるでしょう。

 で、それこそ都県境を越えた一瞬なんだけれども、もうこのシーンも飽きましたね。要は、毎回あるわけだし、そんなものを撮ってもねえ。

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 で、横浜は中華街です。

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 横浜中華街も少しずつ人出は戻ってきているようですが、いやあ、まだまだですね。

 以前は、基本的には日本人の観光客がまず基本にあって、それにプラスして中国人の観光客が来ていてメッチャ混んでいた、っていうのが最近のインバウンド観光立国である日本の更に横浜中華街の姿だった。

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 しかし、中国系の人たちってなんでそんなに「中華街」に行きたがるんでしょうかね。

 例えば、ロサンジェルスには「リトル東京」ってところがあるんだけれども、なんかすごく居心地が悪くて、なんでこんなところに日系の人が集まるんだろうっていうのが良く分からなかった。

 まあ、でもそこに行けば「日本語が通じる」ってのが昔の人には良かったんだろうか。それと同じで「中国語が通じるチャイナタウン」に、やっぱり中国人が集まるってことなんでしょうかね。

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 う~ん、だったら他所の国に行かなければいいんじゃないの? っていう風に思うんだけれども、でも、皆海外旅行には行きたがるんですねえ。

 でも、行った先でも自国の言葉が通じればいいっていう錯覚っていうのは大国の人にはあるようで、中国人とかアメリカ人とかなんかは、基本的に「外国事情」っていうものを知らない人が多いせいか、なんか自国の言葉が世界でも通用するとでも思っている「田舎者」が多いんですね。

 日本で英語(米語)が通じるわけないじゃん!

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 あれ? そうかレンズテストだったんですね。

 まあ、よくわからないけれども、フォクトレンダー21mmの場合は、絞りによっては画面の四隅になんとなく現れていた、ちょっとした暗部が、このTTArisan 21mm f1.5 ASPHではなくなったっていうのはいいですね。まあ、フォクトレンダーでもちょっと絞りを絞れば解消するんだけれども、最小絞りがf4だからね。

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 まあ、実はそんなものであっても、以前のフォクトレンダー21mmでは、それもまあ「レンズの味」なんて言っていたんですけれどもね。

 レンズテストにはなっていないなあ、これじゃあ。

LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH @Yokohama ©tsunoken

2020年6月25日 (木)

TTArtisan 21mm f1.5 ASPHが来た!

「TTArtisan 21mm f1.5 ASPHが来た!」っていったって、何のことだかわかりませんよね。

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「TTArtisan 21mm f1.5 ASPH」っていうのは、中国は深圳にある銘匠光学という会社が作った、ライカ・レンジファインダー用の超広角レンズのことです。

 深圳には銘匠光学ばかりでなく、七工匠(7 Artisans)というレンズメーカーもあって、やはりライカ・レンジファインダー用のレンズを作っていて、本家の「ノクチルックス 50mm f0.95」なんていう「暗闇でマッチ1本の光で撮影できてしまう」お化けレンズ、ライカ純正では100万円くらいするレンズに匹敵するレンズを5万円位で売っています。

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「TTArtisan 21mm f1.5 ASPH」もそれと同じコンセプトのレンズで、ライカでは21mmレンズっていうのは、昔はスーパーアンギュロン f3.5というのがあって、それが現在は20万円くらい。現在はズミルックスM 21mm f1.4 ASPHというレンズが現行レンズで中古で65万円、新品で95万円位で販売されています。

 私が現在使っている21mmレンズは、下の写真の右側にあるコシナ フォクトレンダー21mm f4というレンズ。左にあるのがTTArtisan 21mm f1.5です。フォクトレンダーが6群8枚というレンズ構成で、重さ143g。TTArisanは(一番上の写真の外箱に描いてあるとおり)11群13枚というレンズ構成で重さ440gっていう位だから、その大きさは目に見た通り。デカイ!重い!でも、三段明るい!

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 要は「ズミルックスM 21mm f1.4 ASPH」に匹敵するレンズを、かたや95万円、かたや6万円弱で購入できるっていう訳です。

 私の場合Amazonの定価58,500円のところ、特別割引があって55,575円で発注の翌日には着いてしまうっていうことなんですね。

 しかしまあ、最近は七工匠 7 Artisannsといい、銘匠光学 TTArisanといい深圳の新興レンズ会社の進出が目立ってきている。これらのレンズは両方とも名古屋に本社がある焦点工房という会社が代理店をやっていて、日本に輸入をしているんだが、この焦点工房という会社も陸孜豪(りく しごう)さんという中国人が経営しているらしい。

 まあ、現在はレンズのライセンスなんかもかなり公開されているらしいので、ライカ(ライツ)以外の会社もライカ(ライツ)レンズと同じものを作るのが可能になってきたらしいので、そうした動きの一つなんだろう。

 で、やたらライカ・ファンが多い日本(ニコンもキャノンもあるんだけれどもねえ)に焦点を当てて、市場浸透を狙っているんだろう……、っていうかライカ信仰がない中国市場なんかは初めから視野にはなかったんだろうなあ。

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 っていうことで、早々にテスト撮影……、って言ったってこんなに明るいんじゃあフォクトレンダー 21mm f4との比較はできない。

 もっと夕方になって撮らないと折角の「f1.5」の効果が分からないじゃないか。

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NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f2.8-4 D & LEICA M-E TTArtisan 21mm f1.5 ASPH ©tsunoken

2020年6月24日 (水)

東京周縁部を往く:新木場

 6月7日に定額給付金の申請書を送付したので、もうそろそろ出てるんじゃないかと思って池袋の銀行に行ったんだが、未だに振り込まれておらず、ちょっとイライラしながら、そのまま、有楽町線に乗って新木場まで行った。

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 新木場というのは、その名の通り、元々江東区の木場にあった、まさしく「木場」を新たにコチラに移して作ったので「新木場」という名前の土地になったというもの。

 今は、木材を水運で運ぶ時代ではなくなってしまったので、「丸太を水に浮かべて保管する木場」そのものは無くなってしまったが、新木場も「木」の街であって、周囲はいろいろな木材を扱っている会社が多い。

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 なので、駅前には木で出来たトーテムポールや「木のまち新木場」なんていうモニュメントがある。

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 駅前には、こんな鳶口をかたどったモニュメントなんかもあって、まさしく「木のまち新木場」なんであります。まあ、この木材と鳶口はコンクリート製ですけれどもね。

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 駅前のビルディングも、基本的にはコンクリート造りなんだけれども、一部には木材を使っており、やはりここも「木のまち新木場」なんですねえ。

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 新木場の駅前から明治通りを南へ進むと千石橋という橋を渡ると、その先にあるのが「新木場公園」であります。

 木場にある、まさしく「木場」の跡地にできた「木場公園」ほど大きくはありませんが、木場公園のように周囲にマンションや民家が沢山あって、住んでいる人が沢山いる場所ではそれくらい大きな公園が必要なのででしょうが、基本的には人が住む町ではないのです、新木場は。

 なので、木場公園にはお母さんと遊んでいるお子さんなんかが朝から沢山いるんですが、新木場公園にはそんな人影なんかはまったく見られず、まあ、周辺の会社に勤めている人たちがお弁当を食べたりしながらくつろぐ公園、っていうところなんです。

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 ということで、私も新木場公園で小休止。

 新木場駅の反対側に出ると、夢の島公園があって、その奥の方には第五福竜丸が保管してあるし、それにまつわるモノゴトなんかを展示してある場所があるのは知っているんだが、今回はそこには行かず、そのまま帰ってきました。

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 まあ、別に新木場に行こうとは朝には考えていなかったんですね。

 で、たまたま……

LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Shin Kiba ©tsunoken

2020年6月23日 (火)

雨の日は落穂ひろい

 外は結構どしゃ降りの雨である。

 新規の撮影にも出かけられないし、取り敢えず一日中家にいるしかない。

 そんな時は、以前撮った写真の中で使わなかったショットを落穂ひろい。

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 取り敢えず、家を出るときにはその日の撮影テーマを決めて出てゆくので、その日のブログテーマに沿わないカットは、掲載されずに終わってしまう。

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 で、たまに雨で撮影ができない日には、その日にカットしてしまった写真を使って無理矢理にブログを書くのであります。

 まあ、以前落としてしまったショットをこんな感じで生き返らせているっていう感じでしょうか。

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 なので、基本的に今日のブログにはテーマがない。

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 まあ、以前、同じ日に撮ったショットであっても、それに何かテーマがあるのかどうかは分からない。

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 それでも、なんとなくテーマらしきものをでっち上げてブログを書いているので、それからも落ちたショットは、まるでテーマ性はない。

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 それでもいいショットならいいんだけれども、もうこんな「凡」ショットばかりじゃあねえ。

LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Aoyama Roppongi & Azabu ©tsunoken

2020年6月22日 (月)

折角、海老名まで行ったのに……、バカな話

 折角、海老名まで行ったのに……、バカな話。

 3月21日には、東京都にも都県協越境自粛令が出る直前なので、それを予想して川崎まで行って、ついに翌日から越境自粛令が発動するというので横浜に行ってのち、たまにホンの少しだけ、間違えて越境したことはあるがほとんど自粛令を守って生活してきた。

 それが6月19日に解禁されたというので、早速、湘南新宿ラインと相鉄線が乗り入れしている新宿駅から、湘南新宿ラインの終点である海老名まで行ってきた。

L10000033LEICA M-E ELMARIT-M 28mm f2.8 @Shinjuku ©tsunoken

 で、一日海老名市を歩き回って、海老名市にある相模国分寺跡や瓢箪塚(ひょうたん山・国造塚)古墳などを見に行こうというわけである。

 現在の海老名市の中心部は相模川に面した低地にあるんだが、昔の相模国府は当然のことながら山の上にあって、海老名駅からは結構坂を上った上にある。なので、駅前から坂道を登ったり下りたりして、普通の平たん路を一万歩歩くのとは違って、かなり疲れる一万歩ではあるんですね。

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 相模国分寺跡は海老名駅前に展開する「ビナウォーク」という大きな商業施設の一番奥にあるTOHOシネマズから山を上がってすぐのところにあることは、以前にも行ったことがあるので知っているので簡単に行けた。

 で、次は瓢箪塚(ひょうたん山・国造塚)古墳だってことで再び歩き出したんだが、どこまで歩いても古墳にはたどり着けない。

 勿論、スマートフォンにデフォルトで入っているグーグルマップを頼りにして歩くんだが、どうもこのスマホ版グーグルマップっていうのがイマイチで、かなり近いところに来ているはずなんだけれども、なかなかたどり着けない。普段は事前にパソコン版のグーグルマップをコピーして持ち歩き、スマホ版はそれの補助として使うんだけれども、一度来たことのある町なのでちょっとナメてましたね。

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 もうあちこち歩き回っている間に自分が今どこにいるのかが分からなくなってしまい、山を登ったり下りたりしているうちに、どんどん道をロストしてしまい、なんかどんどん海老名市の中心から離れてしまっているようなのだ。

 ついに、自分が今どこにいるのか分からなくなってしまい、やむなく山を下り、バスが通っているらしい広い道に出て、バス停を探し、やむなく海老名駅まで戻ってきてしまった、というテイタラク。

 で、帰りはもうウンザリしているので、勿論、小田急線のロマンスカーで帰ってきました。

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 というだけなら、まあ、なんとかブログの記事にする写真は撮ってきているので、文章は書けるはずなんだけれども、これまた「ザンネーン」。

 撮ってきた写真をパソコンに取り入れるまではやったんだけれども、何故か、その写真を誤って消してしまったというか、こちらもロストしてしまったのでありました。まあ、デジタルデータの危うさなんてそんなもんで、ホンのワンクリックでデータを全部消去してしまうなんて、もう30年も前から経験しているんだけれどもなあ。

 で、結局、生き残った写真は新宿駅で撮った、湘南新宿ラインの電車のみっていうことなので、取り敢えずアップ。残りは、昨日、東京で撮った写真なのでした。

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 まだまだ、デジタル・ライカの取り扱いになれていないなあ。

 はやくマスターしなければ。

LEICA M-E KONICA M-HEXANON 50nn f2 @Kanda & Jimbocho ©tsunoken

2020年6月21日 (日)

混ゼレバ、混ゼルホド、オイシイヨ

 晴海通りを銀座から東銀座方面へ歩いて、昭和通りの交差点に出て左へ曲がると「ナイル・レストラン」っていうインド・レストランがある。

 1949年の開店っていうから、もうすでに71年も続いているインド料理の老舗なんですね。まあ、インドには「老舗」なんて言葉はないらしいので、別に「インド料理の老舗」なんてことは言っていません。でも、老舗は老舗。

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 ビハリ・ボースのインド革命なんていうのは関係ないので、新宿中村屋の「カリーライス」なんていうほどの歴史的存在ではないんだけれども、第二次世界大戦後、すぐに日本に来てインドレストランを開いたっていうのは、やっぱり当時のインドにとっての日本に対する憧れみたいなものがあったのかなあ。まあ、東京裁判の時のインド人、パール判事の判断なんかもあったりして、インドにとっては日本は身近な国という雰囲気があるのかな。

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 で、そのナイル・レストランの一番のおススメ・メニューが「ムルギー・ランチ」なのです。

『1949年の創業以来、変わらぬ味を守り続けているナイル定番のカレー「ムルギーランチ」。地鶏のももをたっぷり7時間煮込んだスパイシーなカレーと、鮮やかイエローライス、そして温野菜の甘味がカレーのコクと辛さに輪郭を加えてくれます。全部まぜてからお召し上がりください!』

 というのがその能書き。

 で、ムルギー・ランチを注文すると、配膳をしてくれたインド人のおじさん(大体、普通はご主人のG.M.ナイルさん)が「マゼレバ、マゼルホド、オイシイヨ」って言いながら、まず、鶏肉を骨から外して、更に、野菜と鶏肉とご飯をカレーでグジャグジャに混ぜてサーブしてくれるのだ。普通、鶏肉をさばくところまではしてくれても、そこから先はしませんよね。でも、ここナイル・レストランではもっともっとグジャグジャ・グジャグジャ・グジャグジャにしてくれるんだ。

 で、どうなんだって言えば、勿論、それはもう「マゼレバ、マゼルホド、オイシイヨ」っていう他はないほどの美味しさである。もう、グジャグジャのおいしさなんです。

 って、いうか日本人って、こういう「混ぜて食べる」文化が好きなんだなあ。

Photo_20200618162701©Nair's Restaurant

 インドから東側の東アジア文化圏って、特に「米」を米のまんま食べる文化の国って、基本的にこうした「お米とオカズを混ぜながら食べる文化」の国なのだろうか。

 インドは「ナン」という小麦で作ったパンが穀物の食べ方なんだと思ったんだけれども、インドも地方によっては「米を炊いて食べる」っていう地域もあるのかしら。それとも、日本に来てから、そんな食べ方を発見したのだろうか。

 いずれにせよ、少なくともアジアの東の端、韓国と日本は「ご飯とオカズをごちゃ混ぜにして食べる」文化ですね。韓国の「ビビンバ」、日本の「丼物」なんかはその典型例。昔、三遊亭圓生師が名古屋で「ひつまぶし」というものを食べて、「こんなに旨い食べ方があるのか」と感激した話なんかはその一例であります。

 おなじインド・レストランのアジャンタなんかではそんな食べ方を推奨してはいなかったんだけれども、ナイル・レストランで「混ぜれば、混ぜるほど、美味しいよ」って話を聞いちゃったからには、要は「自分なりに美味しい食べ方があれば、それに正直に食べればいいんだ」ってことに気が付いた。

LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Ginza ©tsunoken

2020年6月20日 (土)

追悼、アサヒカメラ終刊号

『アサヒカメラ』が今年の7月号で休刊になるそうだ。

「休刊」っていうのは商標登録の関係で、「廃刊」とか「終刊」とか言っちゃうと、その出版社はそのネーミングの権利を放棄したとみなされて、他の会社が同じ名前の雑誌を出せちゃうということになって、例えば朝日新聞出版じゃない出版社が、いずれどこかで、例えば『アサヒカメラ』とか『アサヒカメラ別冊』『アサヒカメラ別巻』なんて言う名前の単行本(あるいは雑誌・ムック)を出そうとした場合に、その『アサヒカメラ』という商標を使う権利がどっちの会社にあるんだろうか、ってなことで抗争がおこる可能性があるので、取り敢えず「休刊」とするっていうこと。

 まあ、実際にこれで『アサヒカメラ』という名前の雑誌は終わりになるということではありますね。

Photo_20200619105501『アサヒカメラ 2020年7月号』(朝日新聞出版)

 19ページに「休刊のお知らせ」というタイトルのご挨拶が掲載されている。

     休刊のお知らせ

「アサヒカメラ」は、この2020年7月号をもって休刊いたします。
 1926(大正15)年4月の創刊以来、長きにわたり、
ご愛読、ご協力くださったみなさまに、心から、お詫びとお礼を申し上げます。

 日本の写真文化とその土壌を未来へ繋ぎたいとの思い、
 そして、カメラそのものが持つ魅力と撮影の楽しさを多くの方に伝えたいとの思いから、
これまで力を尽くしてまいりましたが、通巻1125号となる今号をもって、
残念ながら歴史を閉じることになりました。

<中略>

 94年間、「アサヒカメラ」を愛してくださったみなさま、本当にありがとうございました。

     アサヒカメラ編集部

 以前は「写真雑誌」というと、この「アサヒカメラ」と「日本カメラ」、それに「カメラ毎日」という三大誌があって、例えば一番正統的なのが「アサヒカメラ」、マニアックな「日本カメラ」、山岸章二という特異な編集長がいて、森山大道などを発掘していわゆるコンポラ写真というものの存在を日本に知らしめた「カメラ毎日」という三者の立ち位置だった。その他、一時期は新聞社系の出版社が各社競って「写真雑誌」というものを出版していたんだが、最後まで残ったのがこの3誌。

 そのうち、「カメラ毎日」は毎日新聞の経営悪化も関係して10年以上前に姿を消して、いよいよ「アサヒカメラ」もおしまい。残されたのは「日本カメラ」だけということになったんだが、果たして「日本カメラ」はいつまで持つんだろうか。

 この3誌に引き継いで「写真時代」みたいな、ちょっとエロ系・マイナー系の出版社から出された写真雑誌が生まれたが、「写真時代」が荒木経惟を売り出したくらいで、エロ系・マイナー系の写真雑誌ブームは終わり、次に来たのが「フォーカス」「フライデー」などのいわゆる「写真誌」ブーム。この「写真誌ブーム」から宮島茂樹みたいな突撃型カメラマンなんかが輩出されてきた。

 このころから「アサヒカメラ」「日本カメラ」は「写真雑誌」ではなく「カメラ雑誌」という呼ばれ方をするようになった。つまり「フォーカス」「フライデー」は「写ったネタ」が重要なので、その写真をどんな機材で撮影したのかは関係ない、ので「写真雑誌」。一方「カメラ雑誌」は、ますますマニアックに「カメラ」や「レンズ」そのものに目を向けるようになって、どんどん、現実から離れてきたような気がする。カメラ雑誌であっても、先頭にあるフォトグラファーによる特集ページには、それなりにその時代に即した写真が並んでいたんだが、だんだんそれも薄れてきて、現実から遊離するような傾向になってきていたのであります。

 まあ、「カメラ毎日」がなくなってしまったのは、もう随分前のことなんだけれども、それはそれで残念ではあるのだが、『実に残念なことなんだが、「アサヒカメラ」がなくなったことは、あまり残念なことではない』って、えっ? 何を言っているんだ? 俺は。

 う~ん、要は「アサヒカメラ」って、あまりにも正統的で、読んでいてあまり面白くなかったんですね。それに比べて、「日本カメラ」の方が少しマニアックで面白かったり、「カメラホリック」みたいなライカばっかり追いかけているムックが出ていたりして、その他、デジタルカメラが普通になって、それらを含めたかなり広くてそれぞれの読者の好みに合わせたカメラ雑誌は、以前に比べるとかなり数多く出ているわけで、まあ、そういう状況の中で「アサヒカメラ」も淘汰される方に属してしまったって言うことなんでしょうね。

 まあ、時代の変化に朝日新聞社と朝日新聞出版が付いて行けなかったって言うこと、というか「写真」っていうものが、写真家だけがそれを公開できる特権的なものではなくなってしまって、どこの誰でも、自分が写した写真を、ネットやその他の方法で誰でも公開できる時代になってしまっている以上、最早、ジャーナリズム性では「ネット」にその座を明け渡してしまった写真雑誌としては、もはや写真メディアとしての存立基盤もなくなってしまった……、というのが、その墓名碑に刻みつける言葉でしかなかったということなのだろう。

 合掌

  

『アサヒカメラ 2020年7月号』(朝日新聞出版)

2020年6月19日 (金)

東京・銀座・コロナビル

 銀座通りを昭和通り方面へ二つはいって、銀座通りと並行して走っている裏通りが「銀座三原通り」という道である。その名の通り、銀座通りの裏通りでその先の4丁目へでると、もう既になくなっており、その痕跡ももうすぐなくなってしまう三原橋に出る道である。

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 銀座の道の中でかなり好きな道がこの銀座三原通りである。

 何が良いかと言えば、表通りの賑やかさに比べて、この三原通りはかなり古い昔の銀座を思わせるビルが多く残っていたり……

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 写真ギャラリーや画廊なんかが沢山あって、表通りにはない「銀座文化」が残っているような気持にさせられるからなのだ。

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 そうそう、昔、学生時代に映画を撮っていた頃にいろいろお世話になった16ミリ映画機材のレンタルやら、フィルム現像の窓口をしていた「サクラヤ」もこの三原通りにある。まあ、昔みたいにショールームとお店が1階にあった頃とは違って、現在は1階は不動産屋さんになってしまって、サクラヤはショウルームがあるのかどうかは分からなくて、4階に事務所があるみたいだ。

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で、その銀座三原通りを銀座2丁目あたりまで行くと、あるんですねえ。

「コロナ・ビルディング」が。

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 まあ、別にこの時代だから「コロナ」であるわけではなく、単に「コロナ電気商会」が持っているビルだから「コロナビル」っていうだけのことなんでしょうけれどもね。

 店は閉店していたので確かめることはできなかったんだが、ビルの入口に「RADIO LAMP BATTERY」って書いてあるので、まあ、昔風の電気屋さんっていう風情の店なのかなあ。

 まあ、こういう裏通りにいかにもありそうなお店ではあるんですねえ。

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 別に、現今の「コロナウィルス禍」とは何の関係もないんだけれども、どこか「こんな店の名前で申し訳ありません」って言っているみたいで、なんか可哀想。実は数日前にもこの店の前を通ったんだが、その時もシャッターは降りたまんまだし、この日もそれと変わらない状況。

 まあ、そんなことを言ってしまえば、「コロナビール」だって、石油ストーブの「コロナ工業」だってご同慶の行ったり来たりなんですけれどもね。

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LEICA M-E ELMARIT-M 28mm f2.8 @Ginza ©tsunoken

2020年6月18日 (木)

佃島説教所

 佃島まで行って、さて帰ろうかと月島方面へ向かうとあるのがこれ。「佃島説教所」

 ここはもう月島なんだけれども、何故、佃島なんだろうか? で、「説教」って何だ?

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 場所は、月島もんじゃストリートの佃島側の入口脇。

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 実はこれ、京都の西本願寺を本山とする浄土真宗本願寺派のお寺、っていうよりは単純に「築地本願寺」の出先で、でも修行の場としてのお寺ではなくて、地域の人たちに本願寺の経義・教養を説き、人々を仮導することを目的としたお寺の出先機関なのであります。で、「説教所」。

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 佃島と築地の本願寺との関係は大変深いそうで、築地本願寺の建設にも佃島の人たちが大いに協力しているそうだ。そして佃月島のランドマークの佃島説教所は、信心深い門徒講の皆さんにより護られてきた施設だそうだ。地域の方の集会場や葬儀、そろばん試験会場にも使われていたそうだ。 でも、なんで「月島」にあるのに「佃島」なんだろうか。

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 この「佃島(月島だけど)説教所」は昭和9年に創建されたのだが、今年の夏には解体されてしまうようだ。

 現在は、葬儀の場所として使っていることが多いようだが、地域の演芸大会なども開催されていたようで、佃島・月島の人たちの憩いの場所がひとつなくなってしまうということだそうだ。

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 解体された跡がどうなるのかは、まだ発表がないそうだが、どうなるのだろうか。

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 問題は「月島」にあるのに、何故「佃島」なんだってことなんだけれども、それが分かる方法はないんだなあ、これが。

LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Tsukishima ©tsunoken

2020年6月17日 (水)

"ASAKUSA" After the Corona

 東京都のコロナウィルス対策がステップ3になったので、安心してそれまで人が「密」になっていた浅草が言ってもよくなったようなので出かけた。

 以前から出かけようという気にはなっていたんだが、随分、我慢をしていたんですね。

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 勿論、テレビニュースなどで浅草がガラガラになっていることは知っていた。

 雷門の前も、人力車屋さんの方が観光客よりも多い位だ。

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 まあ、コロナウィルス禍でもって海外からの日本入国が制限されちゃったんで、その結果、とにかくインバウンドの人たちばっかりで一杯になっていた浅草浅草寺も、来る人たちは日本人ばっかりになってしまっていて、そうなるとこれだけ人がスカスカになるって言うことなのですよね。

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 でも、考えてみると外国人があれだけ沢山、浅草に来るようになったのは、ここ数年位のものではなかったのではないだろうか。

 木村伊兵衛氏が撮影した「永井荷風 東京・浅草寺 一九五四年」に写る浅草寺仲見世の写真だって、上の写真よりは多少多いだけの人出でしかない。

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 昔、私が小学生位のころには東武線西新井駅から浅草までは子供料金で多分10円位だった。

 10円でもって浅草に来たって何も出来るわけはないのだけれども、何か、浅草に来れば「何か面白いものが見られる」っていう気持ちで来たという記憶がある。まあ、もうちょっとお金を持っていれば、花屋敷とかに行った記憶はあります。

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 10円玉を握りしめて浅草まで遊びに行った私たちが見た仲見世の風景っていうのは、現在のコロナウィルス禍状況下ほどではないが、まあ、永井荷風の写真位の混み方で、まあ、それが普通の「浅草」っていうものだった。

 それでも、それは結構な人波で、仲見世を歩いていても、結構、興奮したものだった。

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 要するに、日本人だけ……、というか東京の下町や場末に住む人たちが通っていたのが、浅草観音様だったんで、元々、山の手の人たちは来なかったし、ましてや「外国人」なんてのは……、っていう存在だったんですね。浅草観音様浅草寺ってのはね。

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 まあ、元々、江戸の人たちの遊び場だった浅草なのである。

 つまり、今みたいな「日本人だけ」(もうちょっと言っちゃうと、隅田川近辺の下町・場末エリアの人間が)が来るというのが当たり前なのである。

 なんか、そんな昔を思い起こされる、最近の浅草ではある。

LEICA M-E EIMARIT-M 28mm f2.8 @Asakusa ©tsunoken

2020年6月16日 (火)

『僕とライカ』

 木村伊兵衛氏に関しては様々な書籍が出ていて、我々にとっては日本のアンリ・カルティエ=ブレッソンとも言うべき木村氏の資料的な写真資料には事困らない状況になっている。

 ちくま文庫の『木村伊兵衛 昭和を写す』五部作であり、『木村伊兵衛の眼 スナップショットはこう撮れ!』(平凡社)であり、『木村伊兵衛のパリ』(朝日新聞出版)などである。

 私なんかは「木村伊兵衛」という文字を見ると、ついポチッとしてしまう習性があって、実はこの文庫本を読み始めてから「あれ? この本、前に読んだことがあるぞ」と思って書棚をみたら、ちゃんとこの文庫本の親本があったっていうテイタラク。

 アマゾンでポチッとする前には、必ず書棚をチェックしよう。

Photo_20200611194501『僕とライカ』(木村伊兵衛・著/朝日文庫/2019年3月30日刊)

『僕とライカ 木村伊兵衛 傑作選+エッセイ』というだけあって、傑作選では57店の木村伊兵衛写真集になっていて、まあ、取り敢えずこの写真を見て木村伊兵衛氏の写真に興味を持ったら、次にはちくま文庫版を読んでくださいという導入になる。

Photo_20200611201001『西片町附近』という、超有名な木村伊兵衛氏のスナップ写真©Ihei Kimura

Photo_20200611201002今や全国的に有名な『秋田おばこ』©Ihei Kimura

 まあ、そういうことです。まあ、たいていの木村伊兵衛氏の本は読んでいるはずなんで、この本だって読んでないわけではないんだが、やっぱり見落としをしていたっていうことなんですね。でも、せっかく買ったんで悔しいのでもう一度読んだわけです。以前読んだ時とどんな違う感想が出てくるのか? 出てこないのか?

 まあ、プロのカメラマンっていうのはこういう存在なのか、っていうエピソードから

『僕の写真家としての生活も、もう相当長いことになる。その間に使ってみたカメラやレンズの種類は数知れない。しかし肖像写真や芸術写真を別として、速写を主とする報道写真風のものを作るのに使ったカメラだけを挙げてみても、グラフレックス(手札)、パルモス(9x12〔センチ〕)、コリブリ(3x4〔センチ〕)、メントール・ドライフィア(3x4〔センチ〕)、ローライフレックス(6x6〔センチ〕)、同じく(4x4〔センチ〕)、ライカ(A型、C型、D〔Ⅱ〕型、Ⅲ型)等がある。現在では殆どライカⅢ型ばかりを使っている。』

 でも、やっぱり木村伊兵衛氏と言えばライカM3だよな。

『もしだれかが私にM3の特徴はと聞いたとしたら「実ながら撮影できることだ」と答えるのが一番適当だと思っているほどである。この一年を通じて充実されたM3の機構がやっとわかってきた。それは個々に分析することなく撮影時に総合されて有利に働く性能を、認識することができたとも考えられる。ここにおいて初めて見ながら撮影する意義がはっきりしてくるのである。
 この機械の一番すぐれた点といえば、まず輝線測距ファインダーをあげなければならない。これは視野の大きな透視ファインダーで左右正像がほぼ自然大に示されている。つまり実物大に近いものがみえる(実際は0.93倍くらいに縮小されている)。その中に鏡で反射された光った画面のワクが浮かんでみえ(50ミリ要)、画面が暗い場合でも非常に明るく鮮明にみえる。』

 まさしくライカM3の評価としては正鵠を得た表現であろう。残念ながら同じライカでもM2以降のカメラのファインダーについてはどんな評価を下すんだろうかという思いは果たせなかったのであるが、まあ、多分少し辛口な評価を下すんだろうなあ。要はM2以降のライカはファインダー系統が若干設計をやり直して、M3に比べると少し(ホンの少しだけだけれども)見づらくなってきている。

 ましてや、それがデジタル・ライカになってしまったらねえ、もう「こんなものライカじゃねえや」って木村師匠は言いそうだなあ。

 『僕とライカ』(木村伊兵衛・著/朝日文庫/2019年3月30日刊)

2020年6月15日 (月)

白山神社とアジサイ祭

 毎年、この時期になると白山神社の紫陽花祭りに行くんだが、今年は当然のことながら紫陽花祭りは、根津神社のつつじ祭りに引き続き「コロナウィルス禍のために」中止であります。

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 とは言いながら結構人出は多いんですよね。結構「密」になっています。

 紫陽花の花も「密」になって咲いています。まあ、これは当たり前。

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 勿論、花はコロナウィルスとはなんの関係もないから、毎年この時期になれば満開です。

 毎年、紫陽花祭りの楽しみは蝸牛に会えることなんだけれども、いろいろ探したんだんだが、今年も空振り。「紫陽花と蝸牛」(読めるかな?)っていうテーマの写真はそうそう簡単にはとれるもんではないのです。何度も何度も通わないとね。

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 白山神社の紫陽花祭りの楽しみは、普段は入ることが出来ない富士塚に登れるって言うことなんだけれども、当然、今年は入山禁止になっています。

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 まあ、外から眺めて楽しむしかない。

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 帰りに白山駅前の「映画館」っていう名前のジャズ喫茶にでも寄って帰ろうかなと思ったんだが、こちらも昨日はやっていなかった。

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 駒込富士神社も今年は開山式は中止らしいし、本当にコロナウィルスめっ!

LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Hakusan ©tsunoken

2020年6月14日 (日)

コロナの春

 目黒に今年新しくできたフォトギャラリー「ふげん社」で「東京2020|コロナの春」という写真展が開催されているので、行ってきた。

 場所は目黒駅を出て権之助坂を下りて、山手通りの交差点を過ぎて大鳥神社わきの目黒通りを今度は上って、元競馬場前の先の左側にある。坂を下りたり上ったりするのが嫌な人は、目黒駅前からバスに乗って元競馬場で降りればよい。

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「ふげん社」とは、渡辺美術印刷株式会社という美術や写真集などの印刷会社がもともとが東京・築地にもっていた、コミュニケーションスペースだったのが、今年2月に目黒に移転したものらしい。1階が、カフェと本屋、2階を渡辺美術印刷の築地事務所とデジタルラボPapyrus、そして多目的ワークショップスペース、3階がギャラリーのスペースになっている。渡辺美術印刷は現在は自ら写真集や美術本の印刷ばかりでなく出版も手がけているようだ。

 まあ、この辺の方が築地よりは「お洒落なアートっぽい」町並みであるってことなんでしょうかね。まあ、私は全然そうとは思わないんだけれども。築地から見ていると、目黒近辺はそんな感じの街に見えるのかな。

 そのふげん社が6月11日からスタートしたのが「東京2020|コロナの春」という共同写真展。

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「東京2020|コロナの春」は土田ヒロミ氏と大西みつぐ氏の呼びかけに、Area Park、オカダキサラ、蔵真墨、GOTO AKI、小林紀晴、佐藤信太郎、John Sypal、田口るり子、田凱、中藤毅彦、新納翔、橋本とし子、普後均、藤岡亜弥、港千尋、元田敬三、山口聡一郎、Ryu Ikaの18名が応じて、20人で開催した共同写真展である。

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 勿論、彼らはマスコミ企業やジャーナリズムに日常的に雇われている写真家じゃないので、コロナウィルス禍と戦う医師たちとか、あるいはコロナウィルスに罹患した患者たちの写真をアサインメントで撮っているわけではない。

 むしろ、そこにあるのは、そういったことごととは無縁の立場のフリーの写真家の日常なのである。フリーってなんだろう?

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 共同出品者の一人である港千尋氏の写真が会場で販売していたので購入した。その小冊子には……

『出てはいけない、触れてはいけない、集まってはいけない、喋ってはいけない…人間が人間であることの根本が縛られているような状況のなかに、わたしたちの社会は陥った。目には見えないウイルスが、無数に増殖してゆく状況の中で、この文明は首根っこを掴まれたのだ。昨日まですぐそこにあった光と影と喧騒の日々が、手の届かないところへと後ずさりしている。街全体が透明なカーテンの向こう側へ、後ずさりしてゆく。

 それでもわたしたちはカメラをぶら下げて、そろり街角に出てみるのである。』

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 なんか、ヘボ素人カメラマンの私の日常を言い当てられているようだなあ。

 そう、プロフェッショナルな写真家も、私みたいなヘボ素人カメラマンも、カメラをぶら下げて、そろり街角に出てみる。ただし、その時撮った写真の発表の場が、どこかのメディアであったり、写真展であったりというところと、こんなブログしかないっていう違いなのかなあ。

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「東京2020 コロナの春」は6月28日まで開催中。ふげん社のサイトはコチラ

LEICA M-E VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Meguro ©tsunoken

2020年6月13日 (土)

国分寺崖線:野川河畔下流域を往く

 野川は多摩川の支流で国分寺あたりの湧水に流れを発して、その多くは武蔵野段丘面を多摩川が削りこんで作った国分寺崖線に沿って流れている。

 このブログでもこの野川と国分寺崖線については、その崖の上と下の対比など自然の形、営みなど自然が作ったものの面白さについては書いてきた。ただし、国分寺周辺辺りはよく書いていたんだけれども、下流域については書いていなかったので、今日は最下流域の多摩川と一緒になる辺りについて書く。

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 取り敢えず、小田急線成城学園前駅で下車し、西に向かって線路沿い(と言っても、駅周辺は地下を走っているのだが)を進んでいく。

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 しばらくは平坦で碁盤の目のようになっている成城のお屋敷通りを進むのだが、やがて急な下り坂に出くわし、そこを降りると、「喜多見不動堂の滝」に出くわす。

 まさに「国分寺崖線のハケ」と呼ばれる地形で、流れは多くはないが地下水が湧水となった滝がいくつか流れている。滝とはいってもチョロチョロ流れているような感じである。坂の上にある喜多見不動尊の信者たちが水行を行った場所らしいのだが、まあ、「滝行」というほどの流れではないので、そんなに厳しい水行ではなかったんだろうなあ。

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 で、その滝がある坂を降り切った場所が、まさしく野川の河畔である。

 正面の高いところにあるのが小田急線の線路で、この野川に架かる橋までは地下を走っていた。

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 野川河畔を下流に向かって、取り敢えず左岸を歩く。

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 途中で、右岸に渡り少し行くと「世田谷区立 次大夫堀公園」に出る。

 名主屋敷、民家、表門、消防小屋などが復元され、公園内の次大夫堀や水田とあわせて、江戸時代後期から明治時代初期にかけての農村風景を再現されている公園で、木陰なども多いのでここらで一休みしよう。ちょうど田植えが終わってすこし伸び始めた稲、母子連れでザリガニ取りをしている子ども達などを見ながら大休止であります。

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 次大夫堀公園を出ると野川河畔は何か工事を行っておりフェンスに阻まれ川は見えないので、東名高速道路と交差するちょっと先までは多摩堤通りを進む。東名高速から先は再び河畔を歩く。

 東名高速と第三京浜を過ぎるともうゴールはすぐそば。

 遠くに玉川高島屋SCとか楽天タワーなんかが見えるとゴール目前。手前はコヤマドライビングスクールです。

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 東急田園都市線の二子玉川駅の下で野川は多摩川に合流する。

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LEICA M-E VOUGHTLANDER URTA-WIDE HELIAR 12mm f5.6 @Seijo & Futako Tamagawa ©tsunoken

2020年6月12日 (金)

甲州街道常久一里塚

 大國魂神社を出た足は神社前の旧甲州街道を東へ進みます。

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 途中、「八幡宿」なんて碑があるんだけれども、この八幡宿というのは別に本陣、脇本陣、旅籠なんて設備はなくて、普通に農家がいくつかあっただけの村だったらしい。まあ、本格的な宿場というのは府中の中心部に近いところに行けばいくつでもあるので、多分、武士以外の旅人に寝る場所を提供する農家があったっていう感じなのかな。

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 更に東進して京王線の東府中駅前に来ると、旧甲州街道から南へ分かれる「品川街道」というのがあった。

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「品川道は、府中(武蔵国国府)の大國魂神社から国分寺崖線・多摩川沿いに品川(品川湊)・六郷付近まで続いた武蔵国南部の古道で、「品川街道」・「いききの道」・「いかだみち」とも呼ばれた。古墳がこれに沿って点在する。旧石川村で古代東海道(現在は中原街道が通る)と交差した。府中は甲府(甲斐国国府)と道で繋がっていた。」(Wikipedia)

 つまり、この品川道(品川街道)というのが旧甲州街道に先立つ大昔の甲州街道だったということらしい。

 その後、甲州街道は内藤新宿からスタートする現在の旧甲州街道になり、その結果、調布の西で品川街道の北側に旧甲州街道が新たにできて、品川街道は「街道」から格下げになって「品川道」と呼ばれるようになった、ということらしい。

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 ということなので、この品川街道一里塚の名称は「甲州街道常久(つねひさ)一里塚」と呼ばれている。

「この常久一里塚跡は、江戸初期に整備された甲州街道の日本橋から七里のところに設けられた一里塚の跡と伝えられているものである。』(Wikipedia)とあるとおり、既にこの段階で甲州街道は品川湊からではなくて、日本橋が起点となっていたのだった。

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「右 位奈記(いなき=稲城)」「右 不ち由宇(府中)」「左 五宿」という道程標がこの道が街道だったっていう証拠なんだろうけれども、別にこの道程標が中世に建てられたという証拠はありません。まあ、大分最近になってからだろうなあ。

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 このあと「しながわみち」は西武線や京王線に蹂躙されながら、調布駅のそばでまたまた旧甲州街道に合流します。

 しかし。そのあとすぐに、調布を過ぎると狛江方面へ、旧甲州街道からは分かれてふたたびしながわみちになります。

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LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Fuchu ©tsunoken

2020年6月11日 (木)

府中大國魂神社

 府中の大國魂神社に詣でる。

 って言ったって別に何か大國魂神社にお礼参りでもないし、何かの祈願で行ったわけではない。

 まあ、国分寺方面には最近行っていたんだけれども、そういえば府中には行っていなかったなあ、ということで久々に行ってきたっていうだけ。

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 まあ今更、大國魂神社についてお話することはありません。

 昔、府中は、というか「府中」という名前の通り、武蔵国の中心は府中にあったわけで、その遺構なんかも大國魂神社の脇に残されています。で、その北の方に国分寺があって、つまりこの府中から国分寺辺りまでが武蔵国の中心だったってことなんですね。

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 まあ、日本の古代からの宗教である神道と、海外からの渡来宗教である仏教との「世間の扱いの違い」が、多分、中心的なところにある大國魂神社と、ちょっと脇にある武蔵国分寺の関係なんでしょうね。

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 でもまあ、今の府中市の興味と言えばこれなんですけれども、今年のオリンピックはなし、当然、自転車競技のスタートもありません。ってことでなんか虚しい街中のオーナメントではあります。調布の飛田給には1964年の東京オリンピックのマラソンコース折り返し点のモニュメントが今でも残っているんだが、府中にそんなオリンピックのモニュメントが残されるんだろうかどうなんだろうか。

 私なんか府中市が「府中」っていうだけで、最早余計なモニュメントなんていらないって考えているんですがね。だって、徳川家康が江戸の中心を千代田区に持って行ってしまわなければ、今に至るも東京の中心だったかもしれない府中市です。

 オリンピック自体、来年だってやれるのかどうかは判りません(私は「ない」って方に賭けているんだけれどもね)。

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 大國魂神社といえば「烏の団扇」なんだけれども、7月20日の李(すもも)祭にこれを参詣人に配るもので、これで田をあおぐと虫がつかないということらしい。まあ、今や大國魂神社に詣でる農民なんていないでしょうけれどもね。まあ、「門口につけて門守(かどまもり)にする」っていうのは、今でもあるらしい。

 ただ、今年はコロナ騒ぎのおかげで「すもも祭り」はやらないみたいだなあ。

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 ってことで、大國魂神社の境内を出た私は、旧甲州街道を東進します。

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 果たして、そこに何があるのか……。

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 明日をお楽しみに。

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Fuchu ©tsunoken

2020年6月10日 (水)

東京周縁部を往く・久々の蒲田

 熱中症になりそうな暑い日だったが、とりあえずJR京浜東北線で蒲田まで行ってきた。

 もうあと一つで神奈川県へ越境してしまう寸前の駅なので、まあこれも「東京周縁部を往く」ですね

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 まあ、蒲田に行くと最初に行くのがここ、松竹蒲田撮影所跡です。昔、このあたりに川があったらしく、そこに架かった松竹橋という欄干だけが残っています。

勿論、現在は撮影所はなくてアプリコという大田区の施設や周囲の商業施設になっています。というか、蒲田撮影所の後に移った松竹大船撮影所もすでになく、松竹撮影所があったらしいという痕跡は「松竹前」というバス停があるのみです。現在、松竹が持っている撮影所は京都撮影所だけになっており、ということはまあ、今や松竹は映画会社じゃなくて映画配給会社になってしまっている、っていうことでしょうね。

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 再び、JR蒲田駅前に戻ってきたら、今度は京浜急行蒲田駅方面へ行きます。

 まあ、これが普通の歩行の方向。

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 駅前通りに入るとすぐ右にあるのが「カメラのウエダ」。

 かなり古いフィルムカメラが置いてあって、結構、飽きないで眺めていることが出来ます。

 基本的に国産の一眼レフカメラが多くて、ついこの間(って、いつだ?)まであった岡谷光学機械が作ったロードという距離計連動レンズシャッターのカメラも売れてしまったようだ。

 このロードというカメラ、諏訪湖の周辺で作られているということもあって、その後のエプソンRD-1という、世界で最初のレンジファインダー・デジタル・カメラの先駆的な存在というイメージで、結構、マニアから注目されているカメラなのだ。私はマニアじゃないから(エヘン)手を出さなかったけれども、実は今度行って、まだ残っていたら買ってしまったかもしれない(アレアレ?)。

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 ってなことを考えながら、京浜急行蒲田駅へ続く商店街「アスト」に入ってくると京急蒲田駅に向かって右側、蒲田公園の裏側がなんか大きな工事中だ。

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 低層階には商業施設が入るマンションビルになるようだが、う~ん、また駅前の風景が変わりますね。

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 そのまま京浜急行には乗らずに、環状八号線を羽田方面へ歩いて穴守稲荷まで。

 穴守稲荷駅前には羽田書店という小さな小さな本屋さんがあったんだけれども、いやいや、その名も「ブックカフェ 羽田ぷりん 羽月」としてまだまだ頑張っています。

 意外と小さなお店の方が頑張りようがあるっていうお話なんでしょうか。

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LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Kamata & Haneda ©tsunoken

2020年6月 9日 (火)

虎ノ門駅と虎ノ門ヒルズ駅の改札外乗り換え

 開業したばかりの虎ノ門ヒルズ駅に行ってきた。

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 我が家から虎ノ門ヒルズ駅に行くには、東京メトロ南北線で溜池山王駅で銀座線に乗り換えて一駅、虎ノ門駅で乗り換える。と言っても、別に虎ノ門駅から何かに乗るわけではなく、要は「銀座線虎ノ門駅」=「日比谷線虎ノ門ヒルズ駅」なのである。

 つまり、虎ノ門駅と虎ノ門ヒルズ駅は、虎ノ門駅で「乗り換え改札機」を通れば「同じ駅」という扱いになる。

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 ただし、虎ノ門駅と虎ノ門ヒルズ駅は400mほど離れており、虎ノ門駅から伸びた地下道は日比谷線の中目黒方面行きのホームにだけ繋がっている状態。北千住方面行きに乗るためには、一度地上に出て桜田通りを反対側へ渡って、そちらの入口から再び地下に降りなければならない。

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 虎ノ門から虎ノ門ヒルズへ伸びる地下道からは虎ノ門ヒルズへ地下で直接繋がっている入口があるのだが、中目黒方面から日比谷線に乗ってきた乗客は、虎ノ門から虎ノ門ヒルズへ行くのとは逆に、一度、地上に出て桜田通りを渡らなければならない。

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 まあ、実はまだまだ虎ノ門ヒルズ駅は工事が進行中で、いずれは両方のホームから地下道で虎ノ門駅にも虎ノ門ヒルズにも行けるようになるようだ。

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 そんなこともあってか、東京メトロでは、いったん改札口を出場して乗り換える場合の乗換え時間を、いままでの30分から60分に伸ばして対応。

 まあ、今でも南北線や有楽町線の飯田橋駅で東西線に乗り換える場合も、同じように乗り換え改札機を通れば30分以内なら同じ駅での乗り換えという扱いになるのと同じ。ただし、飯田橋駅は同じ名前の駅だが、こちらは駅名が異なるというのがちょっと違う。

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 まあ、乗り換え時間30分だとそうもいかないが、乗り換え時間60分となると、もしかしたらちょっとした買い物ぐらいはできる余裕があるので、日比谷線と銀座線の乗り換え時に虎ノ門ヒルズでちょっとお買い物なんて便利な使い方もできそう。

 特に、虎ノ門ヒルズの地下には環状2号線が走っており、そこを晴海から虎ノ門ヒルズまでBRT(Bus Rapid Transit)という新形式のバスを走らせる計画があり、交通の要衝としての虎ノ門地区というものが大きくクローズアップされることになりそう。となると虎ノ門ヒルズ及びその周辺の商業施設も拡充されるだろうし、利用者も多くなるに違いない。

 ますます、「お買い物に便利な虎ノ門ヒルズ」という言葉が出てきそうだ。

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 実は、この乗り換え時間の拡充は、将来的には「60分→120分」になる予定だという。となると、お買い物だけでなくちょっとした食事なんかも可能になってくるわけで、ますます楽しみですねえ。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Toranomon Hills ©tsunoken

2020年6月 8日 (月)

ふたつの『遠野物語』

「ふたつの『遠野物語』」とは言うまでもない、ひとつは柳田国男が著した名著『遠野物語 山の人生』であり、民俗学者としての柳田国男が遠野の人である佐々木喜善氏より聞き書きした遠野に古くからある数多くの民族伝承・民話を集大成したものである。もうひとつは写真家・森山大道が著した『遠野物語』であり、当然、そこには先行する柳田国男の『遠野物語』が存在するが故の「遠野行」なのであるが、実はそれが実際にある岩手県の遠野である必要があるのかどうかは関係ない。

『しかし、その遠野というのは、現実に固有の地名としてある遠野というよりは、僕にとって、もっとシンボリックな場所としての遠野なんです。だから、必ずしも岩手県の遠野でなくっても、たとえば中国山脈の脊梁に埋もれた村であっても、また数年先にはダムの底に沈んでしまうはずの九州の五木村でも、写真を撮るイメージのうえではさしつかえないということもいえるのですが、にもかかわらず、やっぱり遠野だったってことは、心情としてそのときの僕のこだわりが、どうしても遠野へ遠野へと向かっていってしまったということだと思います。』(「なぜ遠野なのか」より)

Photo_20200520194101『遠野物語』(森山大道・著/光文社文庫/2007年4月20日刊)『遠野物語・山の人生』(柳田国男・著/岩波文庫/1976年4月16日刊)

 私も一時期、遠野に何度か通っていた時期がある。

 勿論、それは柳田国男の『遠野物語』に魅かれて、彼が描いた「遠野」っていったいどんなところなのだろうか、という興味から花巻に宿泊して何度か遠野との間を往復しながら、河童淵とか、住家と馬小屋が一緒になった農家の建物とか、あるいは遠野の昔話を聞かせてくれる場所などに通ったのである。

 秋には「遠野祭り」という、遠野近辺の集落などでその集団が作られていて、彼らが昔から持続して持っている「鹿踊り(ししおどり)」の大集合なんかも何度か見に行ったりしていた。

 そこにあったのは……、要は「日本の田舎の集大成」みたいな「田舎の姿」であり、同時に、でしかなかった。

 森山大道氏は別に寒村の出身ではないし、大阪の郊外の生まれであり、そういう意味では(私も似たようなものなのだが)こんな「田舎の風景」とは縁もゆかりもない人物ではある。基本的に森山大道氏の写真は、都市に根差した写真なのだが……。

 それでもなお、私たちを引き込むその田舎町の誘引力って何なんだろう。

 もしかすると、私たちが原初的に持っている「田舎の風景への憧憬」なんだろうか?

 それを考えると、また遠野に行ってみたくなった。勿論、「ふたつの『遠野物語』」を持っていくのである。

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LEICA M3 SUMMILUX 50mm f1.4 TX-400 @Tohno ©tsunoken 9/20/2009

『遠野物語』(森山大道・著/光文社文庫/2007年4月20日刊)

『遠野物語・山の人生』(柳田国男・著/岩波文庫/1976年4月16日刊)

2020年6月 7日 (日)

MORIYAMA DAIDO'S "Tokyo : ongoing"

 定額給付金申請書がやっと届いた。

 小池都知事が住んでいる練馬区には、既に2週間以上も前に届いていたそうなのだが、「超高級住宅地」を背後に控えている文京区本駒込六丁目には、今頃やっとという感じですね。勿論、即、申請書提出です。これで今月後半に振り込まれるのかなあ。もう信じられないから、申請書のコピーはちゃんととってある。

 で、そんなこととは関係なく(実は、少しは関係あるんだけれども)、東京都写真美術館(TOP MUSEUM)がやっと再開したので「MORIYAMA DAIDO'S "Tokyo : ongoing"」を見に行く。

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 ついでに失効していた年間パスポートを再発行してもらうことに。

 来年の3月いっぱい有効で2,700円(例年は3,000円)なので、4回ほど行けばモトは取れてしまうのでかなりお得な年間パスであります。

 企画展もあるんだが、それ以上に多いのが収蔵展なのが東京都写真美術館なので、結構、写真のお勉強にはよい美術館だと思う。以前から、何度も書いている「石原慎太郎都知事の唯一の善政である東京都写真美術館」というのも、むべなるかな。まだ、小池百合子都知事にはこうした文化的善政ってのはないなあ。

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 ただし、今回の森山大道展はちょっとガッカリ。

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 何か新作展示があるのかなあと持っていたんだが……実は、新作は見られず、これまでに発表してきた作品ばかりが展示されている。

 会場は「モノクロ」の旧作と、「カラー」の新作に分かれているのだが、「アレ・ブレ・ボケ」でお馴染みのモノクロ写真は、既にこれまでいろいろな森山大道氏の作品集などで発表済みの作品のみ。

「カラー」作品も、なんかどこかで見たことがあるような作品ばっかりだ。

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 ただし、面白いのはとにかく「でっかい」作品になって展示されているのだが、モノクロに関しては、同時に「アレ・ブレ・ボケ」もとにかくでっかく引き伸ばされているので、その印画紙の粒子も同時に大展開。これが写真にとってはものすごい力強さになって見る者を惹き付けるんだなあ。

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 一方、カラー作品にはそうした「印画紙の粒子」というものは見られない。

 多分、その理由はカラー作品はデジタルカメラで撮影されているからなのではないだろうか。森山写真特有の「アレ・ブレ・ボケ」は見られず、多分、プリント時になされたであろう「原色を強調的にのせているプリント」でベッタリした映像が多い。

 まあ、それが森山カラー写真の特徴なのかもしれない。「アレ・ブレ・ボケ」に代わる、森山カラー写真の表現なのだろうか。

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 そうか、どうもデジタル撮影の場合のモノクロモードって、どうにも眠ったい画像になってしまうんだが、多分、それは「粒子」のない写真だからなのかも知れない。「化学」的な粒子と、「電子」的な画素との違いなのかなあ。

 やっぱり「デジタルはカラー」なのかな。こうなるとライカM10モノクロームってのを使ってみたくなるなあ(禁・物欲)。

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LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Ebisu ©tsunoken

2020年6月 6日 (土)

三ノ輪の「写真や」さん

 都電荒川線(現在、正しくは「東京さくらトラム」って言うんだけれども、なんかなあ)で三ノ輪橋まで行った。

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 目標はジョイフル三ノ輪商店街は最近どうなっているのか? という興味。

 まあ、基本的に「日々のお買い物の町」なので、別にコロナ騒ぎとは関係ないはずだし、それなりの人出はあるんじゃないだろうか、という興味からだったんだが……。まあ、実はそのためには出向く時間ってのがあるんだけれども、まあ、あまりそれは気にせずに。

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 もう一つは「撮り鉄」で有名な中井精也氏の「ゆる鉄画廊」であります。取り敢えずこちらの方が本命ってことにしておきます。

 最近はどんな展示をしているんだろう。

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 で、言ってみたら、あらあら「ゆる鉄画廊」は6月5日まではコロナでお休みだそうで、ホンのちょっと早すぎたなあ。

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 で、商店街を少し歩いてみたんだけれども、新しいお店を発見!

 称して「Gallery Photo Spot」どうも写真のギャラリーらしい。

 三ノ輪辺りって、まあかなり古い商店が多いっていうことで、昔風の写真屋さん、写真スタジオ、写場みたいなものが結構あったりするんですね。まあ、「写真を撮る」っていうのは、家族の大きな行事ってな感じで、写真を残そうっていう発想だったんだろうなあ。今では、誰でもカメラを持っている(スマホもカメラだし)時代になってしまったんで、それこそ家族で写真館で写真を撮るなんていうのは、結婚式くらいで、「写真を撮る」なんてのは家族の行事でもなんでもなくなってしまった。

 この町にギャラリーってのは、中井精也氏の「ゆる鉄画廊」しかないわけで、これを機にジョイフル三ノ輪もなんかギャラリー通りになると面白いなあ。まあ、「ジョイフル」っていう名前をつけているくらいなので、大昔は結構モダンな商店街だったのかもしれない。「ジョイフル・ギャラリー・ストリート」って、いいなあ。

 そうなったら、私も小さなギャラリーを持っちゃおうかな。半分は貸しギャラリーにして、残りの半分は私の恒久ギャラリーです。

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 写真屋さんって言えば、ジョイフル三ノ輪を出て国道4号線の対面に、一番上の写真にもあるような「写真や」っていう写真屋さんがある。

 何故、「写真屋」じゃなくて「写真や」なのかは店にシャッターが降りているので良く分からない。ちょっと三ノ輪あたりを調べてみたんだが、ちょっと見当たらなかった。

 隣が集文堂という本屋さんなので、今度聞いてみようかな。

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 三ノ輪を見た後は、いつものコース。新吉原女郎の投げ込み寺「浄閑寺」と、荒木経惟氏のご実家跡(ご実家は下駄屋なんだけれども、現在はありません)を訪ねて帰って来た。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Minami Senju ©tsunoken

2020年6月 5日 (金)

青山を往く

 緊急事態宣言が解けた(ただし、「東京アラート」が発動されちゃった)東京の街を歩いてみる。

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 取り敢えず渋谷で電車を降りたので、まず向かった先は宮益坂を上がった先にある「シアター・イメージフォーラム」。

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 ドキュメンタリー映画の上映が多いこのミニシアターであり、どちらかというと地味な作品が上映されているんだけれども、やっと再開できて関係者はホッとしていることだろう。

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 ただし、まだまだ本格的な再オープンというわけではないので、むしろ、これからどうやって映画館を盛り上げていくのかが、次なるテーマになっていくだろう。

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 青山通りを更に東進していくんだが、やっぱり以前に比べると人出は多くなってきているようだ。

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 と言っても、なんかみんなおっかなびっくりみたいな感じで、完全に以前の状態に復帰したとは到底思えない。

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 まあ、完全にコロナウィルスが日本から消滅するのはいつのことになるのやら分からないのだが、多分、それまではこんな状態が続くんだろうなあ。

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 ただし、街が陰鬱としていないのは何故なんだ?

 パリなんてコロナなんてなくたって、もはや堕ち往く陰鬱とした街なんだけれものなあ。「花のパリ」なんて大嘘で、沈みゆく旧大陸の象徴たる「パリ」なんだよねえ。

 それに比べると、まだアジアの東京は……、ってことなんでしょうか?

LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Aoyama ©tsunoken

2020年6月 4日 (木)

埼京線渋谷駅に行ってきたぞ

 5月31日のブログで埼京線渋谷駅のホーム移転の記事を書いたので、じゃあ、実際にどんな感じになっているのかを確かめに行ってきた。

 ただし、池袋駅から乗ったのは湘南新宿ライン逗子行でありました。まあ、大崎までは湘南新宿ラインもりんかい線も、同じ埼京線の線路上を走っているので問題ないか。

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 更に、もう一つ言ってしまえば、別にホーム移転したって言ったって、要は原宿方面へ数百メートル移動して、レールの位置を数十センチ高くしてホームの位置に合わせてっていう作業を行っただけ……、って言っちゃったらいけない。実は、結構大変な作業だったんですね。終わってみれば、ちゃんとその位置で改めて埼京線がちゃんと新しいホームにキチンと合わせた位置に来ているっていうのは、やっぱりすごいことなんだな。

 JR東日本エラい! パチ、パチ、パチ! まあ、実際の仕事をしたのは下請けの会社なんですけれどもね。

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 とはいうものの、まだまだ工事は途中で、ホーム自体もまだ仮設ホームだし……

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 ホームから下に降りて改札を出てみれば、まあ、これまでと同じなんか訳の分からない迷路のような通路が展開しています。

 ただし、この迷通路も、これまでのように毎週毎週変わっちゃうなんてことにはならないのかもしれないな。

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 ってなことで、まだまだ渋谷大改造劇は終わりません。

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 この迷路のような1階通路もしばらくは楽しめそうですね。

 結構、この訳の分からなさっていうのが……、面白くて、結構楽しんじゃったりしてるんですけれどもね。

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LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm F2 @Shibuya ©tsunoken

2020年6月 3日 (水)

天王洲Isleは寺田倉庫の街

 天王洲アイルは、『江戸時代末期に江戸防衛のため築造された第四台場をベースとして埋め立てが進んだことにより造成された』(Wikipedia)人工島である。

 また、『2010年代以降は芸術文化の発信地をコンセプトとして、地域内に音楽・絵画・フォトグラフ、現代建築など芸術に関連したコンテンツを集積している。また、同地域のほぼ全域は東京都港湾局によって、東京の水辺の魅力の向上や観光振興に資するため、運河などの水域利用とその周辺におけるまちづくりが一体となり、地域の賑わいや魅力を創出することを目的として地元が主体となった取組みを推進すべき地区として運河ルネサンス推進区域に指定されている。』(同・Wikipedia)

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 天王洲アイルに行くためには、東京モノレールやりんかい線の天王洲アイル駅から行くのが一番便利だが、私のおススメは、JR品川駅港南口から高浜運河を渡って、東京海洋大学前を過ぎて天王洲運河を渡るルートだ。

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 途中、フォトジェニックな天王洲ふれあい橋やボードウォークなんかを通っていく、なかなか気持ちの良い散歩道になっている。

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 IMA GALLERYというアートフォトのギャラリーなどのアートギャラリーや、運河に面したカフェやレストランなんかもあって、なんか東京じゃないところというか、あるいは東京のある種の最先端の場所という雰囲気の街ではある。

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 この天王洲地区の再開発の中心的な存在が寺田倉庫という倉庫業をメインとする会社であります。

 寺田倉庫は勿論倉庫業者として様々なものを扱っているんだが、特に寺田倉庫を特徴づけるのが「映画フィルムの保管」なのである。特に東宝映画なんかは、多分、そのほとんどが寺田倉庫扱いになっているのではないだろうか。

 実は、講談社がその昔、アメリカの公文書館でパブリック・ドメインになった東京裁判関連のフィルムを大量に買い込んだ際に、この寺田倉庫に大分お世話になった。その成果が4時間37分になんなんとする、小林正樹監督による超・長編ドキュメンタリー映画『東京裁判』として完成したのであります。

 ただし、結構、この寺田倉庫の保管料ってお高くて、映画完成後もずっと保管するためにはちょっと無理、ってなこともあって、もうちょっと保管料の安い調布にある共進倉庫に移動し、で更には高崎線神保原駅のそばにある講談社のストック倉庫に移動したっていう歴史がある。この「寺田倉庫→共進倉庫→講談社倉庫」への移動すべてに私がかかわることになってしまった。映画の製作にはまったくかかわっていなかったのだが、なんか、そのあとの責任だけは背負わされたっていう感じですかね。

 フィルムの保管っていうのは、温度や湿度のコントロールが必要で、それをなおざりにすると映像の劣化や、更にはフィルム自体の破損などの問題がある。結局、新たな成果、つまり商品を生み出さないけれども、でも廃棄するわけにもいかない大事な資料でもあるという、講談社にとっては「お荷物」扱いになってしまった映像素材は、最終的にどうなるのかは、既に私は知らない。

 もう、資料フィルムのリストなんかもなくなっちゃっているんだろうなあ。多分、資料フィルムと保管場所の紐づけなんかも、講談社倉庫に移されてからは、既にできなくなってしまっています。

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 どうせ講談社にはお金がうなるほどあるんだから、寺田倉庫でも良かったんですけれどもね。

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 あ、別に「恨み節」ではありません。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Shinagawa ©tsunoken

2020年6月 2日 (火)

『CRP JAPAN あの日の彼 あの日の彼女』

 ちょっと不思議なタイトルの写真集がKindle版で出ている。

「CRP JAPAN」という名のプロジェクトで、その主旨は……

『AmazonのKindle版、電子版写真集を制作するプロジェクトです。
2015年秋にはじまり、現在150人以上が参加し、250点以上の写真集が出版されています。
写真は撮るだけではなく、完成させ世界に向けて発表することが大切です。
前衛や傑作ばかりが表現ではありません。

日常の発露、思いつき、記録こそが写真の力です。
そして、ささやかでも発信する側になる第一歩。
出版印税(ロイヤリティ)35〜70%は、Amazonから本人に直接支払われます。』

 というもの。そのCRP JAPANというプロジェクトで既に十数冊のKindle版写真集が出ているようだ。

Photo_20200528212501 『CRP JAPAN あの日の彼 あの日の彼女 1967-1975 fable me fable u 1967-1975』(横木安良夫・著/2016年2月12日刊/Amazon Services International, Inc./オリジナル版:アスコム)

 ただし、この横木安良夫氏の写真集『あの日の彼 あの日の彼女 1967-1975』自体はCRP JAPANとは関係なく、Amazonではなくアスコムという出版社から出版されていた、横木安良夫氏個人の写真集なのだが、多分、「在庫切れ・再販未定」状態になってしまったので、横木氏が版権を引き上げ、自ら中心的存在になっているCRP JAPANプロジェクトを推進すべくAmazonから出版しているというものなのだろう。

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 この写真集については横木氏自身の解説がついている。

『この写真集は、1967年、昭和42年、18歳、僕が大学に入り写真を学びはじめてから、アシスタントを経て独立した1975年(昭和40年)26歳までに撮った写真で構成されています。』

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『この時代、日本は高度成長期、いわゆる団塊の世代の青春時代にあたるわけですが、ビートルズ、フォークソング、グループサウンズ、学園紛争、モータリゼーション、万博、アンアン、ノンノンの創刊、歩行者天国、そしてオイルショック等々、激動の時代でもありました。』

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『たしかに遠い未来は今のように行き先のない暗闇ではありませんでしたが、若い人間にとっては、やはり鬱屈した時代でもありました。』

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『そんな時代に、ひとりの若い男がカメラを持って未知の世界と遭遇したときの写真です。』

 1947年生まれの写真家田中長徳氏を思い浮かばせる、1949年生まれの横木安良夫氏の写真なんだが、「あの時代の日本ってこんな感じだったのかな?」と思わせる写真が全編にわたって展開されている。要は、まだまだ軍事的にはアメリカの支配下にあった日本だったんだよな。そういう意味では、政治的には「建前上は」アメリカから独立していたのかもしれないけれども、実際にはまだまだアメリカから独立していなかった日本だったんだ。

 私にとっては学生デモなんかの写真よりは、実は横田基地とか入間のジョンソン基地などのような、米軍基地周辺の風景が見られる写真や、1960年代から70年代のころの自動車の写真なんかが好きだな。

 まあ、ちょっと「学園闘争」を「学園紛争」と書いてしまうところには抵抗があるんだが……。

 ただし、こうした写真集などは、やはり判型が決められてしまっているKindle版よりはもう少し大きい判型を使える紙版の方が好ましい。取り敢えず、中古で紙版が出るまでのツナギとして買っておこう。横木氏のCRP JAPAN Projectへの応援という意味でね。

 使用機材は以下の通り(勿論、全部フィルムカメラ&レンズそして、つまりはフィルムです);
ASAHI PENTAX SP / SUPER TAKUMAR 20mm f4.5 / 28mm f3.5 55mm f18 / 105mm f2.8
NIKON F / NIKOMAT EL / NIKKOR AUTO 28mm f3.5 / 50mm f2 / 105mm f2.5 / REFLEX NIKKOR 500mm f8
KOWA SW 28mm f3.2
ZENZA BRONICA S2 / NIKKOR 50mm f3.5 / 75mm f2.8
OLYMPUS PEN S / D ZUIKO 30mm f2.8
RICOH AUTO HARF SE 25mm f2.8
CANON P / 50mm f1.4
CANON F1 / FD 24mm f2.8 / 50mm f1.4 / 100mm f2.8 / 200mm f2.8
HASSELBLAD 500CM / DISTAGON 50mm f4 / PLANAR 80mm f2.8
LEICA M4 SUPERANGULON 21mm f3.4
YASHIKA ELECTRO 35CC / COLOR-YASHINON DX 35mm f1.8
MINOLTA Hi-MATIC / F ROKKOR 38mm f2.7
FILM : KODAK TRI-X / PLUS-X / FUJIFILM NEOPAN SS / SSS /FUJI F100 / KONISHIROKU KONIPAN SS

『CRP JAPAN あの日の彼 あの日の彼女 1967-1975 fable me fable u 1967-1975』(横木安良夫・著/2016年2月12日刊/Amazon Services International, Inc./オリジナル版:アスコム)

 でもまあ、今となっては単なる「ノスタルジー」なのかな。

2020年6月 1日 (月)

渋谷といえばGraffittiでしょ

 渋谷駅で駅改造工事の様子を見た後は恵比寿に向かって明治通りを歩く。

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 渋谷から恵比寿と言えば、基本的に「Graffitti Art」でしょ。ということで、そのうちのいくつかをご覧あれ。

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 う~ん、このお店のバイクがGraffitti ? ってなところもあるんだけれども、何となくそんな『「落書き風」がいかにも渋谷でしょ』という主張にも見えて、思わずパチリ。

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 もうね、街の変電施設への落書きは当たり前みたいな感じになっていて、珍しくもなんともなくなってしまった。。

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 コロナウィルス禍で閉まっているお店も多く、そんな店のシャッターがもうキャンバスですね。

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 東京都写真美術館も、いよいよ6月2日から再オープンだ。

 少しづつ、街も「ポスト・コロナ」に向かって動き始めているようだ。

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 森山大道っていえば、やっぱり「東京」ですね。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Shibuya & Ebisu ©tsunoken

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