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2020年5月27日 (水)

戸越銀座

 もう面倒くさくなっちゃったんで、アタマに「コロナ・ネタ」は振りません。単純に「戸越銀座」です。

 まあ、もう普通です。もともと「インバウンド」なんて、たいして当てにもならない消費に期待している街ではありません。それが戸越銀座。基本的には地元消費だけ、多少は武蔵小山とか五反田あたりからの客もいる、っていう街です。

 武蔵小山商店街を出て中原街道を渡ると、そのちょっと先からは戸越銀座商店街が始まる。

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 日本全国に「〇〇銀座」という名前の商店街があるんだが、実はその第一号が戸越銀座商店街なのだそうだ。

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『1923年(大正12年)の関東大震災で大きな被害を受けたあと、低地であったため冠水に悩み、道路は雨のたびに泥濘(ぬかるみ)になる有様であった。同じように関東大震災で被災した銀座では、東京が国から援助を受けて大規模な復旧に乗り出した際に、道路舗装に使用していたレンガを撤去してアスファルト化することとなり、レンガが大量のがれきとなった。そこで戸越商店街では、不要になった銀座のレンガを貰い受けて道路に敷き詰め、排水や下水工事に活用した。戸越が震災からいち早く復旧できたのは、銀座から貰い受けたレンガによるところが大きかったため、この縁から戸越で商店会を設立する際に「戸越銀座商店街」と命名された。』(Wikipedia)

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 その戸越銀座が全国の「〇〇銀座商店街」のナンバーワンだということから考えると、以外と「〇〇銀座」というものの歴史がそれほど古くはないということに気づくんだが……。

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 それでも「1923年(大正12年)」という年代を古いと感じるか、あるいは意外と新しいと感じるかの違いだけであり、あまり意味のあることではないのだが、それでも明治年間ではなく、殆ど昭和といってもよいような時代であるということには、何か意味がありそうだ。

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 多分、それは「商店街」というものが形成された時代背景というものがあるに違いない。

 江戸時代には武士階級と庶民の階級の人々が住む場所は自ずと異なっていたのが、明治になってだんだんそれが「ないまぜ」になってくる歴史があって、そこにそれらの人々が買い物に出かける「商店街」というものが出現したんだろう。つまり武家の雇われ民は下町に買い物には出かけずに、御用聞きから物資を購入していたのが、江戸末期から明治初期までの武家のやりかた。そのうち、武家と町民を境目なく扱う「街」が出てくる。それが「銀座」なのだった。

「銀座」という街があって、周囲の様々な商店街が、その銀座にあやかりたいと考えて「〇〇銀座」と、自らの商店街を名乗るようになったのではないだろうか。

 まあ「本物の銀座」は、階級は問わずに様々な人たちが集まる街だったのに、「〇〇銀座」は、所詮、庶民の街だったという違いはありますがね。

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LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Togoshi ©tsunoken

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