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2020年5月10日 (日)

東山道武蔵路

 江戸・東京から京都三条大橋へ至るのは東海道だというのが当たり前だと思っていてんだけれども、実はそうじゃなかったっていう話。

 考えてみれば当たり前なんだけれどもね。で、それを確かめるために、取り敢えずはJR中央線西国分寺まで行く。西国分寺駅を出て東へ府中街道を渡ると案内標識が見えてくる。

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「東山道武蔵路跡(とうさんどうむさしみちあと)390m」という標識。

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 少し広い道に出て南に進むと東京都公文書館の前にその説明板が見えてくる。

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 説明板は東山道についてのかなり詳しい説明と、その道のこの地の遺跡としての「武蔵路」の遺構についての説明。

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 7世紀に律令制が確立されて、それに基づく「五畿七道」というものが整備された。武蔵国は相模国の東に接する海沿いの国であったが、京都からは近江・美濃・飛騨・信濃・上野・下野・陸奥と連なる本州の内陸国が属する東山道に属することとなった。その際に、上野国府(前橋)→群馬県の新田郡→邑楽郡から埼玉県の吉見、川越、所沢と南下する東山道武蔵路という分岐道を作って武蔵国府へと至る道を作ったらしいのである。まあ、武蔵国って昔はその程度の存在だったってことなんだろうなあ。

 また、考えてみれば中世までは国分寺や府中が武蔵国の中心であり、太田道灌の時代はこの辺がどうだったのかが良く分からない。

 江戸が武蔵国の中心になったのは、1603年に徳川家康が征夷大将軍になって江戸幕府を開いてからのことなので、東海道が江戸日本橋から京都三条大橋までのメインルートとなったのは、やはりそれ以降のことなのだった。

 なんとなく、東京から京都は東海道でしょ。東海道はお江戸日本橋から京都三条大橋まででしょ。っていうのは、最初に武蔵国から京都までの道が出来てから1000年も後のことだったのであり、それまでは現在で言うところの「中山道ルート」に近い道、「東山道」が中世までの本道だったのであります。

Photo_20200509194701

 武蔵路の説明板から少し南下すると、現在の武蔵国分寺の薬師堂があって、そこから更に国分寺崖線にそって急な坂道を降りていくと……。

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 (昔の)武蔵国分寺跡にでます。

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 ここを西に折れて府中街道方面へ行けば武蔵国分尼寺跡を経て西国分寺駅、東へ行けば国分寺街道を経て国分寺駅へ出ます。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Kokubunji ©tsunoken

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