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2020年5月 8日 (金)

フォルクスワーゲン・ビートル!

 先日、荒川区の小台から尾久に向かっている途中で見つけたフォルクスワーゲン・ビートル。

 あまりの美しさに思わずパチリ。ホィールキャップのクロームメッキにウットリです。

L10015703

 フォルクスワーゲンっていうのは、1935年に最初の試作車を完成し、1938年のベルリン・モーターショウで発表したクルマである。

 設計者は、あのポルシェ生みの親、フェルディナンド・ポルシェ博士である。ポルシェ博士であるから、当然エンジンは空冷、エンジン配置はRR(リアエンジン・リアドライブ)方式である。

 もともと、このクルマはアドルフ・ヒトラーが1934年のベルリン・モーターショウで発表した国民車(フォルクス・ワーゲン)構想に従って開発されたクルマで、まさしくナチス政権の大きな柱の事業として重用される目論見だったんだが、第二次世界大戦が勃発したために、フォルクスワーゲン製造会社は軍需生産会社に移行し、キューベルワーゲン、シュビムワーゲンなどの軍需車両などを、やはりポルシェ博士が開発して生産し、結局、民需車としてのフォルクスワーゲンは生産されなかったという、ちょっと悲しい運命にあってしまった。ただし、キューベルワーゲンとかシュビムワーゲンっていうのはRR車じゃなくて、普通のジープタイプだったってのはちょっと残念。軍用車でRRてのはダメだったのかなあ。

 1945年にドイツが降伏してドイツが連合国の支配下に置かれると、フォルクスワーゲン製造会社は危うく撤収されようとしていたが、イギリス軍が管理下において「フォルクスワーゲン・タイプ1」として製造を開始。以外にもドイツの代表的な国民車が、実はドイツ人ではなくてイギリス人によって始められたっていうのが、ちょっと不思議ではありますね。

 1948年になってオペルの幹部によって経営がされるようになったのだが、当時のアメリカやイギリスの主要メーカーから調査をされたフォルクスワーゲンだったのだが、その特異な「空冷・リアエンジン・リアドライブ」というメカニズムが米英の保守的なメーカーからは理解されずに、収用対象にならずに済み、フォルクスワーゲン社はドイツの民族系企業として存続されるようになった。

 ところが、その米英の自動車産業から無視されたフォルクスワーゲン・タイプ1がビートルという愛称で世界中に親しまれ、西ドイツの戦後復興に大貢献したことはご存知の通り。特に、それこそ「フォルクスワーゲンは無価値」という評価をしたヘンリー・フォード2世のお膝元であるアメリカ合衆国で大ヒットしたことは有名で、その後のヒッピー文化の中でも「ビートルはアンチ・アメリカの象徴」みたいに、若い人たちから評価された。

 当然、日本にもたくさんのフォルクスワーゲン・ビートルは、当初は中古車として輸入されて、その後には堂々新車として輸入される世になった。ただし、日本に輸入されたフォルクスワーゲンはブラジルか南アフリカなどで生産されたモデルではあった。

 というか、それだけ多くの国で生産された車種だったってことですね。

 1974年になって、フォルクスワーゲン社はそれまでのレイアウトと全く違った「水冷・フロントエンジン・フロントドライブ・ハッチバック」のワーゲン・ゴルフを開発して世界的なベストセラーとなり、フォルクスワーゲン・タイプ1は1978年に生産を終了した。

 というのが、まあ、フォルクスワーゲン・タイプ1・ビートルの歴史。

 つまり、この写真のようなビートルは、どんなに新しくても40年以上も前のモデルっていうこと。

 まあ、自動車というと耐久消費財の一つではあるんだけれども、さすがに40年以上、第二次大戦後すぐの頃のモデルだったら70年も前のモデルということになる。

 それがこんなに錆ひとつない形で残っているだけでもスゴいことなんだけれども、ごく普通に街乗りに使っているっていうだけでも、このクルマのオーナーのクルマ愛ってものが伺われる。

 当然、ナンバープレートを見れば、多分、このクルマのオーナーが新車でこのクルマを手に入れたんじゃないことは分かる。

 中古か大古か知らないけれども、手に入れた当初から既に相当古い車ではあったんだろう。でも、それを少しずつ修理ってことではなくて、レストアしながら現在の形に復元して、そして毎日このクルマを転がしているんだろうなあ。当然、それこそ故障なんて日常茶飯事だろうし、勿論、故障した時はサービス工場に入院するんだろうけれども、それも楽しいクルマ道楽っていうようなものなのだと考えていたんだろうなあ。

 私も「故障と言えばイタリア車」であるランチアに乗っていたことがあるんだけれども、東京の渋滞にハマればオーバーヒート、ちょっと何かがあれば入院って感じで、さすがに嫌になってしまって手放してしまったことがある。まあ、私も欧州車が好きでいろいろ乗ってきたんだけれども、このフォルクスワーゲンのオーナーほどには車を愛していなかったのかもしれない。

 こういう、キレイに乗っている中古車・大古車を見てしまうと、なんか、尊敬しちゃうんですね。

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 えっ? 日本車でそんなのないかって? う~ん、日野コンテッサ1300SとかホンダS600とか、いすゞ1600GTとかですかねえ。それぞれ、部品探しのためのオーナーズ・クラブがあります。もう、私なんかお近づきになれない「超マニアック」な世界です。

LEUICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Oku ©tsunoken

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