無料ブログはココログ

chotoku.note

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

フォト

« 中古カメラとコロナウイルスって、何の関係もないはずなんだけれどもなあ | トップページ | 『チョートクのボクのカメラたち』 »

2020年5月17日 (日)

南のニコン、北のコパル

「陸のトーコー・海のニッコ-」(陸軍の東京光学・海軍の日本光学)っていう言葉が戦前はあったらしいのだが、「トーコー」に近い場所なんだけれども、今日はそういう話じゃありません。昔の東京光学、今の「トプコン」があるのは都営地下鉄三田線の本蓮沼駅のそばなんだけれども、今日はその地下鉄三田線が地下から地上に出た最初の駅、志村三丁目で下車して駅前の急な坂道を登ります。結構、急坂です。

L10021492

 登った先は「志村城山公園」。ムムム、と思えばその通り。

L10021502

 登った先には「郷社熊野神社」があります。

L10021592

 当然、そこには「志村城跡」という碑とともに、志村城についての説明板がある。

『志村城は、康正二(1456)年に千葉自胤が赤塚城に入城した際、一族の千葉隠岐守信胤が入城して、赤塚城の前衛拠点とした。
 本丸は志村小学校を中心とする一帯の丘陵地で出井川と荒川をめぐらせ”守に易く攻めるに難し”といわれる堅城であったが、大永四(1524)年に北条氏綱に攻められて落城した。
 熊野神社は志村城二ノ丸にあたり、社殿は古墳上に建てられている。長久三(1042)年、志村将監が紀州から勧請したと伝えられており、千葉実胤が志村城の守護神と定めた。現在の社殿は昭和三十二年に改築されたものである。社殿の西側には今でも空濠の跡を見ることができる。
  平成五年二月
         板橋区教育委員会』

L10021782

 で、その熊野神社(志村城)の東隣にあるのが、本日のテーマ。「日本電産コパル」の本社と研究所であります。

L10021512

 2013年に日本電産の完全子会社になって「日本電産コパル」となってしまった「コパル社」は、もともと1946年に笠井正人という人が始めた個人会社でカメラのシャッターを作っていた。

 1949年には株式会社になって、ニコンの一眼レフの、初期F一桁シリーズ以外の中級機・初心者用のシャッターを作っていた。

 ニコンF一桁シリーズはニコンのフラッグシップ機なので、勿論、ニコン内製の横走り(布幕およびチタン幕)のフォーカルプレーン・シャッタを使っていたが、それ以外のニコマート、ニコンFM、FEなどの中級機及び初心者用モデルに関してはすべてこのコパル製縦走り金属製フォーカルプレーン・シャッターを採用していた。

 確かに、横走り布幕シャッターというのは、その静粛性に優位であり、上級機には欠かせないものだという当時の認識があり、初期のF、F2、F3まではニコンも横走りシャッターだったんだけれども、所詮ミラーアップをしなければならない一眼レフの場合、どんなに頑張ってもレンジファインダー機(要はライカであります)の静粛性には敵わないので、結局、ニコンもF4からはコパル製の縦走り金属製フォーカルプレーン・シャッターを採用することになる。

 実は、この縦走りフォーカルプレーン・シャッターの方がシャッター・スピードを上げられるっていうこともあって、静粛性の問題も大分向上したことで、ニコンもフラッグシップ機にも採用することになったのだ。

 勿論、現在のデジタル一眼もすべてこの縦走りフォーカルプレーンなのである。

L10021572

 それで面白いのが、品川区大井でカメラ本体の製作をしているニコンの重要なパーツであるシャッター・メカニズムが板橋区志村っていう、東京の一番南(本当は、キャノンの方が南なんだけれどもね)と一番北にある会社がそれぞれ協業しているっていうことなんですね。

L10021802

 なんか、どちらがどちらに近寄ることをしなかったってのが、なんか、面白いですね。

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Shimura ©tsunoken

« 中古カメラとコロナウイルスって、何の関係もないはずなんだけれどもなあ | トップページ | 『チョートクのボクのカメラたち』 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 中古カメラとコロナウイルスって、何の関係もないはずなんだけれどもなあ | トップページ | 『チョートクのボクのカメラたち』 »