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2020年5月

2020年5月31日 (日)

JR埼京線渋谷駅工事「渋谷ラビリンスへGO!」

 JR渋谷駅の埼京線が5月30日の始発から31日の終電まで、まるまる二日間止まって、取り敢えず埼京線の渋谷駅ホームが山手線と並行したホームになるそうだ。

 そのために、5月29日の22時頃から6月1日の4時ころまでの約54時間、埼京線や湘南新宿ラインの大宮方面はすべて新宿止まりとなり、一方のりんかい線や湘南新宿ラインの横浜方面、相鉄線などはすべて大崎止まりになるという施策がとられている。

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 山手線内回りホームから見た埼京線の工事の様子。

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 渋谷駅を利用するたびにこうした光景は見てきたんだけれども、要は山手線から埼京線(りんかい線、湘南新宿ライン)への乗り換えに際しては、山手線ホームから恵比寿方面へ数百メートル、完璧にズレた場所にあるホームに移動しなければならなかったのが、山手線と並列するホームになるってわけで、乗り換えがラクになるというわけ(理屈)なんですね。

 う~ん、ただし、言っておくと「乗り換えがラクになる」のかどうかは、今のところ分かりません。山手線に埼京線が加わったことで、かえって、何が何だか分からなくなっちゃったという人も出て来そうです。

 要は、ホームが上にあるほうから順に「東京メトロ銀座線」「JR山手線・埼京線(湘南新宿ライン・りんかい線・相鉄線)」「東京メトロ半蔵門線・東急田園都市線」「東京メトロ副都心線・東急東横線」、駅の西側には「京王井の頭線」が3階って……もう上から下から、訳が分からない状態で入り乱れているわけですね。それが単なる「平面の地図」じゃなくて、というかそれは完璧に無理なので、三次元の地図がないと分からないって言うんだから、まあ、多分、田舎から渋谷にきたお年寄りなんかは、もう迷子になること必定ですね。

 まさしく「渋谷ラビリンス」です。

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 元々は東急東横線渋谷駅を地下にもっていき、空いた地上空間に渋谷ストリームと渋谷スクランブルスクエアを作って、東急東横線の旧渋谷駅の脇をギリギリかすめて走っていた埼京線線路にホームを作れる空間を確保した、っていうことなんですね。

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 ってことは、まだこれで渋谷駅改造工事は終わったわけではありません。

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 最終的には、この後、山手線内回りをもう少し埼京線に近いところに移して、更に外回りを今のホームの位置まで移して、これまで「内回りが島式ホーム片側利用、外回りが単式ホーム」という変則的なホーム構造をしていた渋谷駅のホーム構造を普通の「島式ホーム」に戻す工事をもって、JR東日本としての渋谷駅改造工事の終了ということになるそうで、それがいつになるのかは、まだまだ先の発表になるらしい。

 なんか、それまでにまた新しい渋谷駅再開発計画が出来ちゃいそう。

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 まあ、何にもない場所に新しく街を作って開発するのであればどうということもないのだろうけれども、既に出来上がってしまった街を再開発するというのは、如何にも容易でないということの証左なのだろう。

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 もう、渋谷駅なんかは「立体パズル」です。それはそれで面白いんですけれどもね。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Shibuya ©tsunoken

2020年5月30日 (土)

品川駅港南口

 毎日のテレビニュースでお馴染みの「品川駅港南口」の風景です。

 昨日の品川駅港南口の風景です。まあ、別に何かの意味がある写真ではありません。

 勿論、朝の通勤風景みたいな時間じゃないので、あのテレビの映像のような「密」の映像ではないですが、それは単に撮影時刻の問題だけじゃない。つまり、それはカメラ・レンズの効果による詐術ではあるんですね。

 この写真は35mmフィルム(相当)のデジタル・カメラで28mmレンズ、つまり、感覚的には「超広角」で撮っているんだけれども、要は、これは広角レンズでもって撮った映像。同じ状況を撮影するんでも、この状況を85mmとかの望遠で撮っちゃうと、皆さんご存知のテレビニュースでお馴染みの「密」な通勤風景になっちゃうんですね。

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 いわゆる「望遠レンズの圧縮効果」ってやつで、「望遠レンズ」を使って、なおかつ「絞りを絞れるだけ絞って」(パンフォーカスを使って)撮影すると、皆さんが毎日ニュースで見ている「密になって出勤する品川のサラリーマン」の図が撮れるっていうわけです。

 まあ、実態を撮っているわけだから「ウソ」ではない。しかし、「現実をレンズの特性を使って誇張して映像を作っている」のは事実です。カメラマンはディレクターから「品川の通勤風景が『密』になっている様子を撮ってこい」っていう指令を受けているわけで、その映像をバックに「品川駅はやっぱり混んでますねぇ」ってなコメントをニュースキャスターが喋れば一丁上がりってな感じの番組づくりを、実は各テレビ会社はやっているわけですね。安易って言っちゃあ安易なんだけれどもね。

 まあ、要はテレビニュース(ていうかテレビ番組)っていうのは、すべて「予定調和」の中で動いているわけで、基本的には企画を立てた当初から「制作の方向性はブレたらいけない」っていう鉄則があるんですね。一時期、タモリ氏がそれを壊そうとしてた頃があったが、今はもうそれはやめちゃったみたいですね。

 まあ、タモリ氏もテレビ業界を主にしている人ですからね。

 要するに、テレビニュースでよく出てくる「東京駅丸の内北口」「新宿駅南口」「新橋駅前」「品川駅港南口」「渋谷駅ハチ公前」「原宿駅竹下通り口」ってのは、それぞれの場所によって、それぞれの「映像的役割」があって、そのために各テレビ局ごとにいろいろ使い分けていたんだけれども、なんか最近は各局ともみんな同じになってしまったっていうだけ。

 もうちょっとなあ、各テレビ会社のディレクター連中も今まで使っていなかった場所を探す努力をしないと、飽きられちゃうよ。

 もうちょっと、東京の街を歩いてロケハンしないとね。

 テレビ会社のオフィスにばっかりいちゃたら、街の空気を吸うことも出来なくなっちゃうよ。

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LEICA M-E LEITZ ELAMRIT-M 28mm f2.8 @Shinagawa ©tsunoken

2020年5月29日 (金)

「緊急事態宣言」解除の街から

 政府による「緊急事態宣言」が解除されたので、街に出てみた……、って、全然ウソで、それ以前から勝手に不要不急の外出を毎日していたんですがね。

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 まあでも「緊急事態宣言」が解除されたんで、街には人出も多少なりとは増えている感じが見えてきている。

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 でも、その一方で我が家の周辺では今日でも家族と過ごしているお父さんなんかも沢山いたりして、今でも継続して「ステイホーム」「テレワーク」をしているサラリーマンが数多くいるっていうことなんでしょう。

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 結局、「仕事は会社に出てきてやるもの」っていう古臭い概念に囚われていた「これまでの仕事のやり方」なんだけれども、やむなく「テレワーク」や「ホームワーク」を実施してみたら、結構それでも仕事ができちゃった、ならそのままテレワークでもいいんじゃね? っていう会社が出てきたのかもしれない。

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 テレワークで仕事ができちゃうんなら、それまで構えていた大きなオフィス、広いオフィスなんかは必要ないし、まあ、週に一回か、月に一回の「業務進行状況報告会議」とか「新規企画会議」くらいをやる場所があれば、会社はやっていけちゃうんじゃん。そんならこれまで毎月払っていたオフィスのレンタル料なんかの不動産支出とか、従業員の通勤費なんかが、いかに無駄なもんかってのが分かっちゃったんですね。

 結構、そういうことに気がついちゃった企業・経営者って多いんじゃないだろうかなあ。

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 ってなころで、「ポスト・コロナ」時代の働き方としては「時間で測る仕事量」ではなくて「成果で測る仕事効率」という具合に、日本人の働き方が変化するのかもしれない。

 私は出版社にいて「裁量労働制」ってやつで働いていて、「仕事は時間じゃない、成果だ」っていうのを経験してるんで、なんかそういう方が仕事のやり方としてはシックリするんですね。

 いまや、「皆で頑張るお仕事」じゃなくて、「一人ひとりが頑張るお仕事」の時代ですよ。勿論、人の手助けが必要なら、それはそれで、仲間同士で助け合えばいいってことですね。そのための「社内ネットワーク」でしょ(私はそんなもんに頼れなかったんで、「社外」ネットワークも使っていたんだけれどもね)。

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 もうね「残業したから偉い」んじゃなくて、「残業なんてしなくても、同じ成果を上げられるのだから、エライっていう時代に変わるんじゃないでしょうか。

 いやはや、「コロナウィルス禍のおかげで日本人の働き方改革ができた」っていうのであれば、まさしく「禍を転じて福と為す」という、一大成果ですね。

 本当にそうなるんだろうか?

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Waseda Yotsuya ©tsunoken

2020年5月28日 (木)

埼京線板橋駅滝野川口「喫茶ケルン」

 埼京線の板橋駅方面へ行く時は、基本的に巣鴨駅からとげぬき地蔵通りを抜けて、そのまま旧中山道を通って、埼京線の板橋駅踏切を渡って板橋駅の板橋口へ出てしまうので、「板橋駅の駅ビル工事」っていうものに気が付かないままで過ごしてしまった。

 ところが、昨日、反対側の滝野川口に出てみると、おお、駅ビルが出来ているではないか。

 そうか、板橋駅ビルっていうから、てっきり板橋口側(が、メインだと思っていた)に駅ビルができるのかと思っていたんだが、そうじゃなくて滝野川口だったんだな。

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 板橋駅の滝野川口といえば、そりゃあ新選組の近藤勇の処刑場所であり、近藤勇や土方歳三、永倉新八の墓がある板橋平尾宿の入口である。

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 実はそれと同時に、以前から気になっていた喫茶店があったんですね。

 それが、旧中山道にある「ケルン」という喫茶店。

「ケルン( Köln )」というのは皆さんよくご存じのドイツの都市の名前で、ドイツでは4番目に大きな都市で、ローマ帝国時代から大学都市として有名な都市であった。1848年、エンゲルスとマルクスが急進的な新聞『新ライン新聞』を発刊したことでも有名である。

 ところが、この「ケルン」というドイツ語には、同じ発音でもう一つ別の綴りがあって「ケルン(Kern)」というのがその「もう一つのケルン」なのである。

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 その、もう一つのケルンというのは、ハイキングなんかをやる人が良く知っている「ケルン=石塚」があって、山道なんかで、あとから来る人が道に迷わないようにする、道端にある石なんかを積んである目印というのが一つの意味で、もう一つの意味が(というか、多分、コチラが原義じゃないかと思うんだけれども)「コア、芯、核、中核」という意味があるのだ。

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 で、私なんかはこの「ケルン=中核」ってところに反応しちゃったんですね。

 私は学生運動はやっていなくて、それは高校生運動に参加していて学生運動の限界を見ちゃったっていうのがその理由なんだけれども、そんな中途半端な身でも、それなりに知識だけは身についていて、それで「ケルン」っていう店名に反応しちゃったんです。

「ケルン=中核」というか、私が学生時代には「ケルン」っていうのは「革命的共産主義者同盟全国委員会」つまり「革共同中核派」の、革命的共産主義者同盟革マル派からの呼び名だったのだ。

 学生時代の革マル派の友人が「ケルンは…、ケルンは」って言うんだけれども、最初は何を言っているのか分からなかったのだった、って話。

 まあ、それが頭に引っかかっていたので、何となく「ケルン」っていう名前が気になったってだけの話なんですけれどもね。

 勿論、この喫茶店の「ケルン」は「中核派」じゃなくて、山道の目印のケルンなんですよね。

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 勿論、板橋駅の板橋口の方も再開発が進んでいて、こちらはタワーマンションになるらしい。板橋駅の周辺には、もうちょっと先にUR都市再開発機構の賃貸タワーマンションがあるし、板橋もタワーマンションの街になってしまうのかな。

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LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Takinogawa ©tsunoken

2020年5月27日 (水)

戸越銀座

 もう面倒くさくなっちゃったんで、アタマに「コロナ・ネタ」は振りません。単純に「戸越銀座」です。

 まあ、もう普通です。もともと「インバウンド」なんて、たいして当てにもならない消費に期待している街ではありません。それが戸越銀座。基本的には地元消費だけ、多少は武蔵小山とか五反田あたりからの客もいる、っていう街です。

 武蔵小山商店街を出て中原街道を渡ると、そのちょっと先からは戸越銀座商店街が始まる。

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 日本全国に「〇〇銀座」という名前の商店街があるんだが、実はその第一号が戸越銀座商店街なのだそうだ。

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『1923年(大正12年)の関東大震災で大きな被害を受けたあと、低地であったため冠水に悩み、道路は雨のたびに泥濘(ぬかるみ)になる有様であった。同じように関東大震災で被災した銀座では、東京が国から援助を受けて大規模な復旧に乗り出した際に、道路舗装に使用していたレンガを撤去してアスファルト化することとなり、レンガが大量のがれきとなった。そこで戸越商店街では、不要になった銀座のレンガを貰い受けて道路に敷き詰め、排水や下水工事に活用した。戸越が震災からいち早く復旧できたのは、銀座から貰い受けたレンガによるところが大きかったため、この縁から戸越で商店会を設立する際に「戸越銀座商店街」と命名された。』(Wikipedia)

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 その戸越銀座が全国の「〇〇銀座商店街」のナンバーワンだということから考えると、以外と「〇〇銀座」というものの歴史がそれほど古くはないということに気づくんだが……。

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 それでも「1923年(大正12年)」という年代を古いと感じるか、あるいは意外と新しいと感じるかの違いだけであり、あまり意味のあることではないのだが、それでも明治年間ではなく、殆ど昭和といってもよいような時代であるということには、何か意味がありそうだ。

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 多分、それは「商店街」というものが形成された時代背景というものがあるに違いない。

 江戸時代には武士階級と庶民の階級の人々が住む場所は自ずと異なっていたのが、明治になってだんだんそれが「ないまぜ」になってくる歴史があって、そこにそれらの人々が買い物に出かける「商店街」というものが出現したんだろう。つまり武家の雇われ民は下町に買い物には出かけずに、御用聞きから物資を購入していたのが、江戸末期から明治初期までの武家のやりかた。そのうち、武家と町民を境目なく扱う「街」が出てくる。それが「銀座」なのだった。

「銀座」という街があって、周囲の様々な商店街が、その銀座にあやかりたいと考えて「〇〇銀座」と、自らの商店街を名乗るようになったのではないだろうか。

 まあ「本物の銀座」は、階級は問わずに様々な人たちが集まる街だったのに、「〇〇銀座」は、所詮、庶民の街だったという違いはありますがね。

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LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Togoshi ©tsunoken

2020年5月26日 (火)

武蔵小山も人出が多くなって……

「緊急事態宣言」が解除されちゃった。

 大丈夫かな……。あの人の言うことだからなあ……。ルイ14世と16世の見分けもつかない人だしなあ。

 当然、『成蹊スーパー内部生』としてはカール・マルクスの『ルイ・ボナパルトのブリューメル18日』なんて読んではいないだろうしなあ。っていうか、そんな本があること自体、知らないだろうなあ…………。

 ってことで、久しぶりに武蔵小山から戸越銀座へ。(なんのこっちゃ)

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 心なしか武蔵小山の商店街も人出が多くなったような気がする。

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 ただし、武蔵小山の駅前にはタワーマンションが二棟ほど建ってしまって(入居はまだみたいですが)、駅前にあった飲み屋街もなくなってしまっており、同時に商店街に出店する店も、地元資本がだんだん少なくなってきて、他の町でもよくみかけるチェーン店なんかが多くなっているような気がする。

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 まあ、町が変貌していくのは当然のことだし、同時に、だからこそ活性化していくエネルギーがそこには溢れているのである。

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 当然、商店街の売れ筋商品も時期によって異なるわけで、まあ、今の時期は圧倒的に「マスク」ですけれどもね。

 ああ、鬱陶しいな……。

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 商店街の出口近くにあるこの焼き鳥屋さんだけは以前からずっとある店で、なんとなくホッとできる店ではあります。

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LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Musashi Koyama ©tsunoken

2020年5月25日 (月)

アフターコロナへ向かうのか?

 東京都の新規感染者数もずいぶん減ってきて、「緊急事態宣言」解除し、東京都に出されていた外出自粛令(の、お願い)も停止されそうな気配がしてきた。

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 しかしなあ、いざとなるとそう簡単に外出自粛令を外しちゃっていいんだろうか、なんて天邪鬼な考えも出てきたりして、人間なんていい加減なものですね。外出自粛令が出ていた頃は、なんか余計なお世話ってな感じだったのにね。

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 ってことで、(最後のかな?)「不要不急の外出」でございます。

 行ってきたのは千駄ヶ谷。東京都有形民俗文化財「千駄ヶ谷の富士塚」がある、鳩森八幡神社から東京オリンピック・パラリンピック2021のメインスタジアムがある神宮外苑へ向かいます。まあ、特別変わった散歩コースじゃなくって、千駄ヶ谷から信濃町まで向かうコースなんですけれどもね。

 で、千駄ヶ谷の富士塚なんだけれども、毎年この富士塚は6月8日が「開山」の日っていうことで、お祭りがあるんだけれども、今年はどうなるんだろうかってことで見にいったんだけれども、まだ何もアナウンスは出てないなあ。

 例年通り開催するのかなあ、どうなのかなあ。

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 しかし、一方でいったん伸ばしたオリンピック・パラリンピックなんだけれども、本当に開催できるのかしら。

 もし開催するとなれば、この夏ぐらいには完全にコロナウィルス禍が終息して、「さあ、いよいよ東京オリンピック・パラリンピック2021に向かって邁進だっ!」ってなっていなければなりません。

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 勿論、施設関係については粛々と作業を続けられていて、まあ、実は今年開催でも問題はないっていう状態だってのは知っているんですがね。

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 問題はそれ以外の様々なこと。

 特に選手たちの準備状態やモチベーションなんかは大丈夫なんだろうか。出場選手たちの予選会なんかも再度やらなければならないだろうし、インターハイや高校野球なんかが中止になったりして、多くのスポーツイベントはいつ再開できるかは、まったく見えてません。

 更に世界中の競技関係者やアスリートたちは、まだまだ来年夏に東京オリンピック・パラリンピックが確実に開催できる見通しは出ていないと考えているっていうことなんですね。開催国日本が「出来ますよ」って言ったって、他の参加予定国が準備できていなければ、結局、オリンピック・パラリンピックは開催できないっていうことなんですね。

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 もういっそのこと、オリンピックなんて返上しちゃえば? なんて気分に、半分なっているんですけれどもね。私なんかはね。

 私は既に一回見ちゃったし。1964年にサッカーのオリンピック・ゲームは中学生の団体鑑賞で見ちゃったもんね。問題は、どこの国とどこの国のゲームだったか、それでどちらが勝ったのかも覚えていないっていう、まあ、低レベルの観客だった、ってことなんですけれどもね。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Sendagaya & Jingu Gaien ©tsunoken

2020年5月24日 (日)

東京周縁部を往く・毛長川、見沼代用水

 久々に見沼代親水公園まで行ってみたかったので日暮里舎人ライナーに乗ってきた。

 幸い空いていたので一番前の席に座れたのは初めて。まあ、言ってみればこれも都バスと同じ「バカ席」ってやつですね。運転手さんはいないけどね。

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 日暮里舎人ライナーは見沼代親水公園駅が終点。つまりそこから先は埼玉県草加市。つまり日暮里舎人ライナーは都営の電車なので埼玉県には行かないのだ。まさに、この駅が東京周縁部そのもの。

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 見沼代親水公園駅の脇には見沼代親水公園が見沼代用水沿いに走っていて(って、当たり前?)、見沼代用水は埼玉県行田市あたりで利根川から分岐して、その東縁大用水路が川口市の鳩ケ谷辺りを流れて、足立区竹ノ塚近辺で毛長川に合流している農業用水路。毛長川はこの辺りから足立区の花畑あたりで綾瀬川と合流している東京都と埼玉県の都県境を流れる川だ。

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 見沼代用水沿いに少し埼玉県方面へ歩くと、毛長川沿いに大関豪栄道が所属する大相撲の境川部屋があります。両国辺りの相撲部屋とは違って、マンション風の建物じゃないところがいかにも相撲部屋っていう感じでいいですね。

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 これがこの辺りで東京都と埼玉県を分かつ毛長川。

 あれっ? これって埼玉県側? いけね、ついつい橋を渡って埼玉県草加市に来てしまった。いかんいかん、これじゃあ小池都知事に叱られちゃうなあ。

 戻ろう、戻ろう……。

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 ってことで、東京都側に戻って見沼代親水公園を歩きます。このまま、公園沿いに歩いて行くと東武スカイツリーラインの竹ノ塚駅へ出ますが、今日はそちらには行かずに尾久橋通りを日暮里方面へ進みます。

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 日暮里舎人ライナーの舎人駅と舎人公園駅の間には「赤山街道」という道があります。

『赤山街道とは、江戸時代に関東地方発展の礎を築いた伊奈氏が、土木工事を推進する中で、拠点とした足立郡赤山(現川口市赤山)の赤山陣屋と現地との連絡や物資の輸送を目的として設けた道路。』ということで、「街道」という名前はついていますが、いわゆる大名が参勤交代で通ったような街道ではなくて、まあ、当時では「大きな道」という程度の意味。

 地味だけど、結構、昔の遺構なんかも残っている道のようなので、今度訪ねてみよう。

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LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Toneri

2020年5月23日 (土)

コロナ、コロナの秋葉原

 なかなか「緊急事態宣言」の解除は出ません。っていうか、安倍政権自体がいまや「緊急事態」なんですがね。

 もう、殆ど「死に体」状態です。

 まあ、東京はまだ暫くは自粛解除にはならないだろうなあってことで、今しばし、このコロナウィルスとは付き合わなければいけないっていうことでしょうね。

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 てなことで、「オタクの街」秋葉原に出かけたんですね、特に目的はありません。まさしく「不要不急の外出」。

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 勿論、秋葉原だって不要不急の外出で来ているのは私以外にはあまりいないようで、街は閑散としています。

 まあ、こうやって街は、そして国は順次疲弊していくのだろうなあ。

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 しかし、こんなに閑散とした秋葉原をみるのは、なんか拍子抜けっていうか、でも歩きやすいというか、うん、どちらがいいのかなあ。

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 まあ、やっぱりいろいろ人が蠢いている街が秋葉原っていう感じがして、なんか平衡感覚が取り戻せるのです。

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 いまや秋葉原も「マスクの街」になっている、っていうのもなんか可笑しいっていうか、あるいは逞しいっていうのか。

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 いずれにせよ、こんな「電車に乗っている人がみんなマスクを付けている」っていう風景が、なんか異常なんですよね。

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LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Akihabara ©tsunoken

2020年5月22日 (金)

「アベノマスク」が来たぞ!

 今頃になって「アベノマスク」が我が家にもやってきた!

Rimg00052_20200521094801Abenomask RICHO GRDⅢ ©tsunoken

 そもそも「アベノマスク」とは4月1日になって、安倍首相が突然、各家庭にマスクを配るということを発表したことがスタートだ。

『発端は4月1日、安倍首相が布マスクを一住所あたり2枚配布すると表明したことだった。
「国内でコロナ感染が確認されてから2カ月半が過ぎ、感染が拡大している最中にしてはお粗末な対応に、世論は炎上。ネット上では“アベノマスク”と揶揄され、ツイッターのトレンドで上位になった」(同前)
 海外からも嘲笑の的に。米FOXニュースは「エイプリル・フールの冗談か」と揶揄し、ブルームバーグ通信は「アベノミクスからアベノマスクへ」(電子版4月2日付)と報道。』(文春オンライン)

  そもそも何故安倍首相は突然そんな発表をしたのか。

『佐伯(さいき)耕三首相秘書官(44)が安倍首相に「全国民に布マスクを配れば不安はパッと消えますよ」と発案したのです。彼の進言に加え、3月に北海道の一部地域で実施したマスク配布が好評だったことも後押しとなった』(官邸関係者)(文春オンライン)

 バカですね。そんなことを発表したら国民が喜ぶと思ったんだろうか。まあ、如何にもこの人らしい、「国民から遊離した発想」であることは言うまでもなく、それが官僚の一言から出た話というのもおよそ想像できることではある。

 で、なおかつその発表から2カ月余りも経ってからの到着である。本当なら、発言から一週間くらいで国民に届けちゃったら、もう大人気で安倍チャン人気倍増だったんですけれどもね。2カ月もかかっちゃったらねえ……。

 そんなことをしているうちに、あれよあれよという間にマスクは街中に溢れかえる状態になってしまった。

 生活困窮家庭に30万円配るっていう話も、公明党に脅かされて、突然、全国民に特別定額給付金として10万円ずつ配るっていう話に変更したものの、未だにその案内状は我が家には届いていない。

 なんかスピーディーな対応という基本的に日本の官僚が一番できていない事柄に期待するものはなく、「まあ、相変わらずだな」という感想を持つのみである。

 まさしく、「官僚を使いこなす」のではなく、ただただ「官僚の言うことだけを聞く」なさけない政治家の姿ではあります。

L10019142_20200521155201LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Shin Okubo ©tsunoken

 それにしても、この佐伯耕三首相秘書官ってあまり評判のよろしくない官僚らしく。

 灘高校→東大っていう、いかにもなコースの奴らしいいんだが、まあ、多分人生で「挫折」ってものとは無縁の人だったんだろうなあ。

『高圧的な物言いに体型も相まって、いま佐伯氏は“官邸の金正恩”と称されています。官僚たちは佐伯氏を怒らせないよう神経を尖らせている。ただ、あまりの横柄さから、経産省では「もう本省には帰ってこられないだろう」と囁かれています』(文春オンライン)とのことらしい。これだから東大出身の高級官僚ってのは役に立たないんだなあ。

 さて、我が家に届いた「アベノマスク」はどうしよう。どこかに寄付でもするかな。

 もう、こんな使えないマスクなんていらないもん。

2020年5月21日 (木)

シニア世代専門の写真館

 巣鴨の地蔵通りをなんとなく歩いていたら、とげぬき地蔵のそばの裏道に「シニア世代専門の写真館 えがお写真館」というのを発見。

 こういう変なものがあるからブラリ街歩きはやめられないんだよな。

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「シニア世代専門の写真館 えがお写真館」って、なんだ?

『シニア・シルバー世代に「ベストショットを届けたい」という思いから東京・巣鴨にシニア・シルバー世代専門のフォトスタジオを構えました。
お客様とのコミュニケーションを大切にし、丁寧にヘアメイクをし、楽しく撮影していく。
出来上がった写真を見てご本人も周りの人も幸せな気持ちになれる。
そんな場所が「えがお写真館」です。』

 というのが「えがお写真館」のサイトに書いてある。

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 まあ、さすがに「おばあちゃんの原宿」というだけのことはある巣鴨地蔵通りなんだ。要はシルバー世代向けの写真館っていう訳なんだけれども、まあ、ひとつには「お葬式の遺影」を今のうちに撮っておきましょうっていうコンセプトの写真館らしい。

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 なんでも1月8日が「遺影撮影の日」らしいのだが、要は「遺(い=1)影撮(えいと=8)る日」の語呂合わせらしい。

 一緒に「えがお美容室」「えがお洋品店」「えがお爪工房」というのも経営していて、撮影を申し込めば髪のセットやドレスの選択、ネイル・ビューティーなんかまでやってくれて、トータルにコーディネートしてくれて、撮影までやってくれる写真館ということ。

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 カメラマンは桐島かれんの夫で、上田義彦の弟子らしい、土谷陽介氏という人。デジタル撮影でもフィルム撮影でも対応してもらえるらしい。で、年間12,000人の人が利用しているらしい。

 普通は「ありもの」の写真を葬儀屋さんが適当に修正して葬式の遺影にするものだと思ったいたのだが、わざわざ生きているうちに遺影を撮影する人がいるとは思わなかった。でもまあ、そのほうが自分としては納得できる遺影ができるってもんだ。

 問題は、葬式の際にそこに遺影を飾られているご本人はそれを見られないっていうことなんだなあ。

 あ、だから生きているうちに撮っておこうっていうのか。

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「えがお写真館」のコンセプトムービーはコチラ

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LEICA M-E ELMARI-M 28mm f2.8 @Sugamo ©tsunoken

2020年5月20日 (水)

立石から堀切へ

 京成押上線の四ツ木ー青砥間の連続立体交差工事は進んでいるんだろうか?

 京成立石駅前の再開発と同時に進められている工事は、取り敢えず土地の整理だけは進んでいるようだけれども、どうも、その後はあまり進んでいないような感じなんだけれども、どうなんだろう。2023年に竣工予定なんだけれども、なんか、あまり進んでいるようには見えないんだけれどもなあ。

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 取り敢えず、今日は立石駅通り商店街とか立石仲見世の方とは反対側に行くので、この辺はサラッと済ませます。

 今日の目的は、京成立石から水戸街道へ出て、そのまま北進して堀切菖蒲園方面です。

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 しかし、この京成本線の堀切菖蒲園から東、お花茶屋、四ツ木、京成立石、青砥、高砂あたりって結構好きな場所であります。

 何故なんだろうってことをよく考えるんだけれども、四ツ木からちょっと浅草方面へ行けば曳舟、押上に至るので、昔、私の父母の実家があった場所に近いところだ。そんなことで、何となく近い感じがするのだろうか?

 あるいは、荒川を一つ渡っただけなのに、かなり「田舎臭い」場所だからなのだろうか。荒川を一つ渡っただけなのに。こんなに田舎臭いって言ってしまえば、東武伊勢崎線の北千住を出ればやっぱり小菅以北はやっぱりかなり田舎臭いていう感じはあるなあ。

 それでもやっぱり早い時期に営団地下鉄日比谷線と相互乗り入れして「都心と直結」した東武線の方が、ホンの少し「都会化」したっていうんだろうか。

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 で、まさしく「田舎の駅」京成立石から北西の方向に行くと元トミー、現在のタカラ・トミー本社があって、そのすぐ先は葛飾区役所っていう、まあ京成立石・青砥って葛飾区の中心地だったんですね。

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 まあ、旧トミーとTVアニメシリーズ「GALACTIC PATROL レンズマン」を巡るプロデューサーとしての「もろもろ」の話は今は言っても意味はないから申しません。で、そのままタカラ・トミーの前を通り過ぎて、葛飾区役所も通り過ぎて、水戸街道へ出ます。

 水戸街道を四ツ木橋のそばまで行けば本田広小路に至り、そこを左折すれば堀切菖蒲園方面へ出る平和橋通りに出ます。

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 平和橋通りを進むと、すぐに金町からお花茶屋を通って綾瀬川に「四ツ木めだかの小道」となって流れ込む「曳舟川親水公園」があります。といっても、この辺には川の流れはないんですけれどもね。

 んで、この平和橋通りを歩いて面白いのは、こんなスガれた建物がいろいろ見られるってことなんですね。

 まあ、多分個人所有なんで、別に店が閉店になってしまっても関係ないやって感じで、「スバル」って看板があったらしいんだけれども、そんなの関係ないやってなもんなんでしょうねえ。こんな中途半端な看板なんてスバルがお金を出して外せばいいのになあ。

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 で、堀切菖蒲園のそばに行くとあるのが、ここ「立石バーガー」です。

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 あの有名な「立石バーガー」が立石じゃなくて堀切菖蒲園のそばにあったっていうのは、ちょっとビックリしたんだけれども、これまで何度か店の前まで行ったんだが、開店していた時は一度もなかったんだよね。

 一体、いつ開いているんだろう。

 しかし、さあ、足立区と葛飾区ってどっちが田舎なんだろうかなんて考えてしまうと……、う~ん、わからなくなってなってしまうなあ。

 はっきり言ってしまうと「両方とも田舎」なんだものなあ。

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Tateishi, Yotsugi & Horikiri ©tsunoken

2020年5月19日 (火)

新宿の街をモノクロで撮ると、森山大道風写真になるんだろうか

 紀伊国屋の店頭ではシュリンク・パックされていたので、表紙と裏表紙しか見ることが出来ない。まあ、表紙の写真で気が付くべきだたんだろうなあ。

 家に帰る途中の電車の中でシュリンクを外して表紙の裏を読めば"Moriyama Daido Rojo sunappu no susume by Daido Moriyama and Takeshi Nakamoto"の文字が。あれ? この本の題名って、見たことがあるぞ。ということで読みだしたんだが……

"What is the key advice you give to any beginner in snapshot photography?" This is the first question I ask Daido Moriyama when we meet to discuss the plan for this book.
Patienly (because he must have been asked this hundreds, if not thousands of times - no doubt giving the same answer), Moriyama replies:
"Well, the first thing I always tell anyone who askes me for advice is: Get outside. It`s all about getting out and walking. That's the first thing. The second thing is, forget everything you've learned on the subject of photography for the moment, and just shoot. Take photographs - of anything and everything, whatever catches your eye. Don't pause to think. That's the advice I gave prople."

 って、あれ?

How-i-take-photographs 『HOW I TAKE PHOTOGRAPHS』(森山大道・著/Laurence King Publishing Ltd/2019年刊)

 実はこれ、写真家・森山大道氏の光文社新書『森山大道 路上スナップのススメ』の英訳本だったんですね。

 ちなみに、上の英文の原文は以下のとおり。

『「スナップ撮影を始めるにあたって、もっとも大事なことは何ですか?」
 本書の企画が立ち上がったとき、森山大道にぶつけた質問だ。
 この質問に当人は、飽きもせずこう答えた。飽きもせずというのは、これまで彼が同様の質問に対する同様の受け答えを、おそらく幾百、幾千と繰り返してきたからだ。
「何が大事かと聞かれたら、僕は必ずこう答えてきた。『とにかく表へ出ろ』と。そして『歩け、とにかく歩け。それから、中途半端なコンセプトなどいったん捨てて、何でもかんでも、そのとき気になったものを、躊躇なくすべて撮れ』と」

 まあ、あとは何を言っても無理である。といって、別に海外の本をシュリンクして展示してある日本の書店の経営姿勢を云々という気はない。ただ、なんとなくアタマに入っているような気がしていた、森山大道氏の『森山大道 路上スナップのススメ』(光文社新書)の「砂町」のシーンに入っていた写真が英訳の本の表紙に掲載されていることに気が付かなかった私がバカだったっていう話。

 っていうことなので、ここは森山大道氏風新宿を撮った写真で誤魔化そうっていう魂胆です。

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RICHO GRD Ⅲ @Shinjuku ©tsunoken

『HOW I TAKE PHOTOGRAPHS』(森山大道・著/Laurence King Publishing Ltd/2019年刊)

『森山大道 路上スナップのススメ』(森山大道・仲本剛・著/光文社新書/2010年8月20日紙版刊・2011年11月4日電子版刊)

2020年5月18日 (月)

『チョートクのボクのカメラたち』

 プラハの有名な写真家ヨセフ・スデクにことよせて田中長徳氏は書く。

『私が興味を持っているのは、彼のアトリエの混沌なのです。スデクの代表作に「写真家の迷宮」と呼ばれる一連のシリーズがあります。それは30センチ×40センチの超大型カメラで撮影された、密着プリントのシリーズで、スデクの「フォトスタジオ小屋」のインテリア写真なのです。正面に据えられた巨大なデスク上は、ありとあらゆる物品に満たされて、そこではカメラとレンズと、プリントとクリスタルグラスと、イコンと十字架と、彫刻と油絵と、カーテンと書類と、手紙に包装紙に紙のヒモにクリップという具合に、そこではありとあらゆるモノが混沌とカオス化しているんです。この写真を見て、私が深い感動に打たれたのは、そこに表現者としての男の部屋の理想のスタイルを見たからでした。』

『写真家は「迷宮」を目指す!』と題された前書きなんだけれども、まさしくここにヨセフ・スデクの「アトリエの混沌」が、実はここ佃のタワーマンションにおいて展開されているのだった。口絵の写真はまさしく、そんな田中長徳氏の「カオス」が存在している。

Photo_20200515171401チョートクのボクのカメラたち』(田中長徳・著/グリーンアロー出版社/2000年12月20日刊)

 で、そんなカオスを展開している田中長徳氏所有のカメラ339台を紹介したのが、この1007ページ、998グラムになんなんとしている、今どきはやらない重厚長大な本なのである。はっきりいって内容を紹介するどころではない、というかまず無理だ。ということなので、その中からごく一部だけ、これまた私が興味を持っている「ムービー・カメラ」だけを紹介する。ただし、ムービーカメラと言っても劇場用映画の35mmカメラはほとんどなくて、16mmや8mmなどの「小型映画」であるところが面白いんだけれども……。勿論、16mmでもスーパー16というアパチュア・サイズのカメラなんかは十分劇場上映に耐える画面を提供していた。というものの、現在、劇場用映画もほとんどがビデオ撮影になってしまっていて、フィルムそのものが消えつつあるっていうところも、これまたノスタルジックでいい。勿論、ビデオカメラは一台も紹介していません。

 まず「アリフレックス16 ガンカメラ」が一番最初に登場するところからして、変態である。だって、だったら本来は基本モデルとしてのアリフレックス16STを最初に紹介して、その派生モデルとしてガンカメラを紹介するはずなんだけれども、そうはいかないのが田中長徳本なのである。

 で、いちいち解説していてはスペースが足りないので、あとはカメラの名前だけ列挙。

『アリフレックス16 ガンカメラ/シネマプロダクツ(CP)・GSMO/ソ連製16ミリカメラ・キナー16/フランス製16ミリカメラ・エクレールACL/シネコダックK100シングルポート/オイミッヒC16/ボレックスH8ダブルスーパー8改造機/ベルハウエルDL16スパイダーターレット/ボレックスH16 EL/ボレックスH8レフレックス/アリフレックス35-1/ライキナスペシャル/ロシア製35ミリ撮影機コンバス/カレナズーメックス/ロシア製16ミリ撮影機グラスノゴルスク3/エクレールカメマチックGV200スーパー/パテスーパー16BTL/アリフレックス16ST/アイモ35改造機/シネフレックスCAMERA PH-330-K/ボリューR16/カメックス レフレックス8/アトーンLTR54/バウアーA512/パテ9.5ミリ モトカメラ/パルボ35ミリ撮影機(カウンターMUHLE UND SOHN GLAUHUTTE)/アリフレックス16BL/カメフレックス16/35 スタンダード/キャノン1014XL/エクレールACL2/ボリュー7008S/ベルハウエルHR16軍用カメラ/ボレックス16プロ/アグファモベックス8/ベルハウエル フィルモ75(アールデコ)/ドイフレックス16/ミノルタオートパックD12/エクレール35戦前モデル/アケリー35』

 当然のことながら、田中長徳氏は基本的にヨーロッパの人であり、ウィーンの人なので、ミッチェルとかパナビジョンなどのハリウッド御用達みたいなカメラは入っていません。当然、それらのカメラはスタジオで使うことが前提なので、カメラ自体を数人で扱うことが必要になり、ヨーロッパ流の「シネマ・ヴェリテ」には向いていない。で、結局、田中氏の目の付け所は16ミリがベースで、プラス8ミリって言うことになるんだなあ。

 しかし、スチール・フォトグラファーである田中氏にとってはこれら16ミリや8ミリは、結局は「遊び」でしかないわけで、そんな「遊び」に大枚をはたいちゃうっていう「趣味人」ぶりには、相変わらず私なんかは身が引けてしまうのだった。

チョートクのボクのカメラたち』(田中長徳・著/グリーンアロー出版社/2000年11月20日刊)

2020年5月17日 (日)

南のニコン、北のコパル

「陸のトーコー・海のニッコ-」(陸軍の東京光学・海軍の日本光学)っていう言葉が戦前はあったらしいのだが、「トーコー」に近い場所なんだけれども、今日はそういう話じゃありません。昔の東京光学、今の「トプコン」があるのは都営地下鉄三田線の本蓮沼駅のそばなんだけれども、今日はその地下鉄三田線が地下から地上に出た最初の駅、志村三丁目で下車して駅前の急な坂道を登ります。結構、急坂です。

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 登った先は「志村城山公園」。ムムム、と思えばその通り。

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 登った先には「郷社熊野神社」があります。

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 当然、そこには「志村城跡」という碑とともに、志村城についての説明板がある。

『志村城は、康正二(1456)年に千葉自胤が赤塚城に入城した際、一族の千葉隠岐守信胤が入城して、赤塚城の前衛拠点とした。
 本丸は志村小学校を中心とする一帯の丘陵地で出井川と荒川をめぐらせ”守に易く攻めるに難し”といわれる堅城であったが、大永四(1524)年に北条氏綱に攻められて落城した。
 熊野神社は志村城二ノ丸にあたり、社殿は古墳上に建てられている。長久三(1042)年、志村将監が紀州から勧請したと伝えられており、千葉実胤が志村城の守護神と定めた。現在の社殿は昭和三十二年に改築されたものである。社殿の西側には今でも空濠の跡を見ることができる。
  平成五年二月
         板橋区教育委員会』

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 で、その熊野神社(志村城)の東隣にあるのが、本日のテーマ。「日本電産コパル」の本社と研究所であります。

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 2013年に日本電産の完全子会社になって「日本電産コパル」となってしまった「コパル社」は、もともと1946年に笠井正人という人が始めた個人会社でカメラのシャッターを作っていた。

 1949年には株式会社になって、ニコンの一眼レフの、初期F一桁シリーズ以外の中級機・初心者用のシャッターを作っていた。

 ニコンF一桁シリーズはニコンのフラッグシップ機なので、勿論、ニコン内製の横走り(布幕およびチタン幕)のフォーカルプレーン・シャッタを使っていたが、それ以外のニコマート、ニコンFM、FEなどの中級機及び初心者用モデルに関してはすべてこのコパル製縦走り金属製フォーカルプレーン・シャッターを採用していた。

 確かに、横走り布幕シャッターというのは、その静粛性に優位であり、上級機には欠かせないものだという当時の認識があり、初期のF、F2、F3まではニコンも横走りシャッターだったんだけれども、所詮ミラーアップをしなければならない一眼レフの場合、どんなに頑張ってもレンジファインダー機(要はライカであります)の静粛性には敵わないので、結局、ニコンもF4からはコパル製の縦走り金属製フォーカルプレーン・シャッターを採用することになる。

 実は、この縦走りフォーカルプレーン・シャッターの方がシャッター・スピードを上げられるっていうこともあって、静粛性の問題も大分向上したことで、ニコンもフラッグシップ機にも採用することになったのだ。

 勿論、現在のデジタル一眼もすべてこの縦走りフォーカルプレーンなのである。

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 それで面白いのが、品川区大井でカメラ本体の製作をしているニコンの重要なパーツであるシャッター・メカニズムが板橋区志村っていう、東京の一番南(本当は、キャノンの方が南なんだけれどもね)と一番北にある会社がそれぞれ協業しているっていうことなんですね。

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 なんか、どちらがどちらに近寄ることをしなかったってのが、なんか、面白いですね。

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Shimura ©tsunoken

2020年5月16日 (土)

中古カメラとコロナウイルスって、何の関係もないはずなんだけれどもなあ

 昨日のつづき。

 佃島から勝鬨に出て、晴海通りを銀座に向かいます。まあ、いつもの月島界隈の帰り道です。ひとつの方向としては越中島から門前仲町へ出て帰るか、あるいは銀座方面へ出るか、ってことですね。

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 銀座方面へ晴海通りを歩くということになると、私の場合、基本的にカメラ店(それも中古)巡りをするっていうことなんですね。

 ただし、この日は晴海から有楽町へと向かう右側だけなので、銀座のカメラ屋さんとしては代表的なカツミ堂には行っていません。もしかするとカツミ堂もやっぱりなあ……、なのかも知れません。

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 要は晴海通りの東側を歩くとですね、ナイルのカレー店の先に、最初にあるのが三原橋の三共カメラです。

 で、三共カメラに行ってみれば、「新型コロナウィルス感染拡大の防止の為 東京都からの要請を受け 令和2年4月14日から5月末日まで臨時休業します」

 という貼り紙が。

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 ええっ、そうなんだ。なんて考えてもう少し有楽町方面へ歩いてみれば、やっぱりスキヤハウスのニコンハウスも休業です。

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 それじゃあ、まあ、最後のたよりのレモン社でもって、スーパーアンギュロン21mmを探そうかと思ったんですけれどもね。

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 まあ、皆さんの予想通り、こちらも休業中。

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 まあね、中古カメラ屋さんなんて基本的に不要不急の店だよなあ。「フォクトレンダー21mm」を、やっぱり「スーパーアンギュロン21mm」に代えたいなんて言っても、そんなものマニアの勝手でしょ、って言われちゃうんだろうなあ。

 使っている本人にしてみると、結構な違いがあるんですけれどもね。

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 私が少しでも写真で仕事をしていれば「業務用なんで何とかしたい」って言えるんだけれども(だからといっても見つかる保証はないし、誰も相手にしてはくれない)、所詮は「一銭のお金にもなっていない『ブログ』用写真」だもんなあ。

 いやまあ、中古カメラが不要不急のモノであるっていうことはわかるんだけれども、だからっていって「新品のカメラにはコロナウィルスがついていなくって、中古にはウィルスいっぱい」ってこともないとは思うんですけれどもね。う~ん、やっぱりこれは中古カメラ屋さんイジメですよね。あんなガラガラの中古カメラ屋さんなんて、どんなに頑張っても「密」にはなりません。

 なんだ「アベシンゾウ」が悪いのか。

 もう「令和革命」か?

 どこかの政党がそれを言い出せば、ほとんどそうなっちゃう可能性もアリ。ただし、革命政権成立後に即、潰れちゃうんだろうなあ。それも、1980年代の学生運動を知っている世代だから知っている世界。

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Ginza ©tsunoken

2020年5月15日 (金)

佃島は佃島だった……当たり前か

 久々の佃島であります。

 コロナウィルス禍による外出自粛令もあって、都県境を越えないというよりも(西を除いて)山手線及び江戸朱引図内部だけの移動、という風に決めている。まあ、そういうこともあって、山手線の東側は超えてしまったんだが、佃島・月島はまだ江戸の内(「かねやす」よりは大分外ですがね)ということで、大江戸線で月島まで行ってきた。

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 といっても、別に普段の佃島とはなんら変わることのない、いままでの佃島でしかないんだけれども……。ただし、やっぱり歩いている人の姿は少ない。

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 佃島は、現在の地名としての「佃」と、元々の島「佃島」がある。勿論、「呑みねえ、食いねえ、江戸っ子だってねえ」「佃の生まれよっ!」っていう場合の(そんな「場合」があるのか?)「佃」はやっぱり「佃島」って言うことなんでしょうね。「月島」じゃない。

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 佃島といえば、何といっても佃住吉神社の夏祭ですよね。

 ってなことで、周囲を歩き変わってみると……神輿の担ぎ手を募集する「若衆募集」なんてチラシもあるんだけれども……

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 すぐそばには

「お知らせ 令和二年 住吉神社例祭(蔭祭)参拝式について 8月1日(土)に予定しておりました佃住吉講と連合睦会との恒例の参拝式は、新型コロナウイルスの終息不明の影響で中止となりました。
 尚、例祭の神事、その他の日程は追ってお知らせいたします。
                          佃住吉講」

っていうチラシが……。

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 そうか、今年はあの六角形のお神輿は担がないんだな、隅田川の川渡もないんだなあ、となると今更ながらコロナウイルス禍が恨めしい。

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 なんか「見た目」の佃島はいままでと変わりのない佃島なんだけれども、やはり時代はそこまで来ているだなあ。

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LEICA M-E VOGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Tsukuda ©tsunoken

2020年5月14日 (木)

官僚主義という宿痾について

 今回は、ちょっと真面目に考える。っていうか、そんなことごとを全然真面目に考えていない政治家の存在が気になるってことなんですね。

 最近のコロナウイルス騒ぎの様子を見ていると、まさしく「官僚主義という宿痾」というものについて考えさせられる。

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「官僚主義」とは何か?

 アメリカの社会学者であるロバート・キング・マートンの指摘によると

「規則万能(例: 規則に無いから出来ないという杓子定規の対応)
 責任回避・自己保身(事なかれ主義)
 秘密主義
 前例主義による保守的傾向
 画一的傾向
 権威主義的傾向(例: 役所窓口などでの冷淡で横柄な対応)
 繁文縟礼(はんぶんじょくれい)(例: 膨大な処理済文書の保管を専門とする部署が存在すること)
 セクショナリズム(例: 縦割り政治、専門外管轄外の業務を避けようとするなどの閉鎖的傾向)」

 などの特徴を備えている。

 基本的に言ってしまうと、一番典型的なのは「前例主義」と「セクショナリズム」というものに代表される。「規則にないからできない」「前例がないことはできない」「責任回避」「他の部署がやっていることは知らない」などという特徴をもっているのだが、しかし、それは「平時において」スムーズに業務を行う際には、実に効率的に働くものなので、一概に否定できるものではなのかも知れない。

 しかし、こうしたビヘイヴュアというものは、あくまでも「平時」における役人のあり方であって、「非常時」におけるあり方では一切ない。非常時には、もっと「非常な現場」にかかわる臨機応変の対応策が必要となるのだが、それができないというのが「官僚主義の宿痾」というものだ。

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 現在の自民党安倍政権が実にこの「官僚主義の宿痾」のとりこになってしまっているような気がしてならない。

 官僚が官僚主義になってしまうのは、ある種やむを得ないことなのかも知れない。つまり、彼らはあくまでも「平時」のやり方に慣れてしまっていて、いざ「非常時」になった際に、なかなかそれへの対応策はとれないものなのである。しかし、そうした時に力を発揮するのが「政治家」という立場の人たちなのだ。

 今回のコロナウィルス流行において、当初、PCR検査を早急に行わず、いろいろ条件をつけてコロナウィルスを蔓延させてしまったのは、まさしくこの官僚主義たるものの結果なのであるけれども、それに対して、敢えて異議を唱えて早急なPCR検査を実施させ、更にそれを健康保険対象にさせて蔓延を防ぐのが、本来の政治家の役割だったのだ。しかし、それを行った政治家はいるのだろうか。

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 ところが安倍政権はそんな官僚主義の上にドッカとあぐらをかいて、コロナウィルスの蔓延にも我関せずの立場を貫き通している。で、まあよく見れば安倍政権の厚生労働相は加藤勝信氏(東大卒・大蔵省出身)、経済再生担当の西村康稔氏(東大卒・通産省出身)という、今回のコロナウィルス禍を担当する両大臣とも官僚出身者なのである。

 翻って、2011年3月11日に発生した東日本大震災の際の菅直人首相や枝野官房長官の動きは、当時、「余計なことはするな」と言われたり、「首相は霞が関で統率を執るべきで、東電の原発事故の現場に行っても無駄である」なんて言われたりはしたんだが、それでは彼らが霞が関だけで動かなかったら、経産省や東京電力の役人(東電なんて役所と同じ)が何をやったんだろうか。多分、何もやらなかっただろう。つまりは、現在のコロナウィルス禍と同じである。

 そういう意味では、霞が関からは一歩も動かずに、役人が作った答弁書を読み上げるだけの政治家・安倍晋三よりは、まだ菅直人の方がマシだったということにはならないだろうか。

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 結局、東大卒の役人なんて「前例主義で答えのない問題には解決能力がない」人たちばかりで、有事には何もできない人たちなのである。そういう役人を叱咤して、役人が今までやったことがないことに挑戦させるのが政治家の役割である。ところが安倍政権にはそんな役人を使いこなせる人は皆無どころか、役人出身の内閣を平然と運営しているのだ。要は、彼ら政治家には役人を使って日本という国をどのように運営するのかというビジョンが全くない人たちばっかりなんだなあ。

 そうなるとねえ、やっぱり党人派の代表である田中角栄氏のような、役人が役人言葉で話し始めると「俺に分かるように喋れ!」と叱り飛ばすような政治家の出現を待望しますね。

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 なんか小利口で、役人に使われるような政治家にはご退場を願いたいものだ。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Kasumigaseki ©tsunoken

2020年5月13日 (水)

マスコミ入社でよくある設問

「何の共通点もない写真が5点ある。これに相応しいキャプションを200字以内で書け。」なあんて問題がマスコミとか出版社の入社試験で出そうである。

 んじゃあ、それを撮った人間(つまり、私本人)がそれについて自分で書こうっていうんだが。多分、それは採点者からはいい点はいただけないだろうな。まあ、筆記試験なんてそんなもんさ。

 で、どんなキャプションをつけるんだ?

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 まあ、しかし、なんかみんなこの「コロナウィルス禍」を乗り越えようとして一生懸命な(風を装って)感じで動いてますね。

 取り敢えずテレビの番組を見てるとそんなのばっかり。はっきり言って食傷気味です。実はそんなものは大嘘なんですよね。取り敢えず、今のところは「頭を下げておけば、嵐は通り過ぎるだろう」っていう、自分から何かをしようという前向きな発想はなくて、取り敢えず「今は何もしないでおこう」ってだけ。それじゃ、物事は解決しないんじゃないかと思うんだけれどもなあ。

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 街のそこここにある「神社」っていう存在も、なんか似たような位置関係にあるような気がする。

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 神社が普段から街の人たちにその存在が意識されることはほとんどないだろう。

 でも、年に一回のお祭りなんかがあれば、その時は町の人たちから注目されるんだろうけれども、まあ、町の人たちから注目されるのは一年でその時だけ、ってなもんですね。

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 みんな誰も「コロナウィルス禍」なんてものは自分の問題だとは思っていない。

 でもまあ、外に出るときにはマスクをしていないと、「他の人からどんな非難を浴びるかもしれない」のでマスクをして外出する。

 電車やバスに乗る時には、他人と最低一人分の空きスペースを作って座る。

 でもさ、人には自分なりの「安全圏」ってものがあるでしょう。それは、それぞれの自分が生きてきた経験の中で知り得てきたものである。

 だったら、その自分たちの「経験の中で知り得てきた」「安全圏」のなかで行動していれば、それはパンデミック社会であっても、基本的には「安全な」社会であるはずなのである。

 つまり、そんな「安全圏の中で生活していれば、一生、危険に侵されることなく生活できる」っていう、安寧を与えてくれるのが「鎮守様」っていうものなんだろうな。

 実は「鎮守様」は、何も守ってはくれないんだけれどもね。

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 こりゃ、筆記試験、零点だ。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D, LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Tabata, Kasuga & Yurakucho ©tsunoken

2020年5月12日 (火)

『東京カメラスタイル(TOKYO CAMERA STYLE)』っていう本が、バカバカしくて面白い

 テレビを見ていると、なんか「お尻の穴がムズ痒くなって」しまうような、「偽善的」な番組ばっかりで、なんか見る気がしなくなっちゃいますね。

 んで、アホな企画っていうか、なんともはや「東京でどんなカメラが、今、使われているのか全取材」みたいな本なんだが、だからってそれが何なのよ? ってなもんですね。

 要は、2004年以来東京に住んでいるカメラマン、ジョン・サイパル氏が東京で取材した3,000人を超えるカメラ愛好家から「貴方ノ持ッテイルキャメラ、見セッテクダサーイ」ってな取材をして、それをブログに載せていたので、それを面白がって本にしちゃったってなもんである。

 誰が読むんだろう。ああ、私が読んでしまったのか。

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『TOKYO CAMERA STYLE (東京カメラスタイル)』(John Sypal著/Thames & Hudson/2015年2月17日刊)

 ということで、収録というか撮影されたカメラ群を総括してみると以下の通り。

 順番は<メーカー(あるいはブランド名)><取材された台数><備考:機種名等>

35mmレンジファインダー
キャノン                   5
コンタックス             3 G2のみ
フェド                      1
フジフイルム             1
キエフ                      1
コダック                   1
コニカ                      3
バルナック・ライカ     2
M型ライカ               42
ライツ・ミノルタ        1 CL
ミノルタ                   2 CLEのみ
ニコン                      5
オリンパス                1
フォクトレンダー       7 Bessaのみ
ヤシカ                      2
ツァイス                   5 Zeiss Ikonのみ

中判レンジファインダー
フジフィルム             6
マキナ                      2
マミヤ                      5
プラウベル                1

デジタル・レンジファインダー
ライカ                    12

35mm一眼レフ
アサヒペンタックス    8
キャノン                15
コンタックス            6
エキザクタ               1
ライカ                     1
ミノルタ                  2
ニコン                   34
オリンパス               6
プラクチカ               1
ローライフレックス    1

中判一眼レフ
アサヒペンタックス    8
ブロニカ                  3
ハッセルブラッド       4
マミヤ                     3
ローライ                  1
ゼニス                     1

デジタル一眼レフ
キャノン                  2 5D,d MK3
ニコン                     1 D50

35mmハーフサイズ
オリンパス               5 Fのみ
リコー                     1 オートハーフ

35mmコンパクト
コンタックス            1 T2
フジフィルム            1
コニカ                    1

デジタル・コンパクト
リコー                    2 GRD

中判二眼レフ
アルペンフレックス   1
マミヤ                    1
ローライフレックス   8

中判ワイド
ハッセルブラッド      1

大判
ホースマン              1
リンホフ                 1

トイカメラ
レゴ                       1
ロモグラフィ            2
スーパーヘッズ         1

インスタントカメラ
フジフィルム           1
コニカ                    1
ポラロイド              3

その他
手製中判360度レンズ付き 1

合計 240

 まあ、それは2015年という発行年度を見ると、まさしくその時代らしい様相を呈しているんだなあ。

 ちょうど、アナログからデジタルへの移行期であるというのが、この一般日本人、でもちょっとカメラオタクが入っている日本人がが持っているカメラの状況から見て取れる。

 基本的には、まだアナログ一眼レフとアナログ・レンジファインダーが一般的だったんだろうなあ。「ニコン一眼34台」と「M型ライカ42台」っていうのがそれ。「一眼レフというのはしっかり写真を撮りたい人」用、「レンジファインダーはカッコつけて写真を撮りたい人」用って感じの使い分け作法があったかなかったか。

 35mmハーフサイズではオリンパスが5台とも「オリンパス・ペンF」っていうのは好感度。あの、ペンタプリズムがない形態の一眼レフっていうのがすごくユニークで、本当はミラーレス一眼の究極のスタイルだと思うんだが、「やりだしっぺ」のオリンパスがペンタプリズム付きのミラーレス一眼だもんなあ。

 35mmレンジファインダーの「フォクトレンダー」と「ツァイス」っていうのは、両方とも「旧フォクトレンダー」「旧ツァイス」じゃなくて、日本信州のコシナ製であることはご明察の通り。

 ちょっと残念なのはレンジファインダー・デジタルでライカがM8、M9などで12台あるんだが、それに先行してデジタル・レンジファインダーを出したエプソンRD-1を誰も持っていなかったのがちょっと残念。ちなみに、「RD-1」っていうのは「レンジ・ファインダー・デジタル1号機」っていう意味で、かなりエプソンとしては力が入っていたんだと思うんだけれども、まあ、ライカが本気でデジタル戦略を始めちゃって、更にそれまで以上にブランド戦略に走っちゃったてんで、そうなると「こりゃ敵わんわ」ってなもんで、エプソンはカメラから撤退しちゃったのはちょっと残念。最近、私もデジタル・ライカを手に入れちゃったんでまったく使わなくなってしまったんだが、エプソンRD-1sは以前は一番使っていたレンジファインダー・デジタルカメラで、なかなか「黒」の表現が好きだったんで良かったんだけれども……、少しは使ってあげないとなあ。

 まあ、まだデジタル一眼レフでは、キャノンが2台で5D、とMK3、ニコンがD50が1台だけという時代で、まだ35mmフルサイズ・デジタル一眼もそれこそミラーレス一眼なんてのも、まだまだ先のお話という時代だったんですね。

 で、問題は「そんなことを研究して何になるの?」ってことなんでしょうけれども、まあ、何にもなりませんね。

「考現学」としては意味があるんだろうけれども、しかし「考現学」自体が、まあ知識人のお遊びみたいなものなので、これまた今後に残りそうもない。

 まあ、取り敢えず、「現状どうなのかな」ってことを確認するためには、何となく役には立ちそうだが、それだけですね。

 ああ、それが面白いのか。

Photo_20200511133701©Jhon Sypal

 腰巻にも使われている写真なんだが、今どきフラッシュ・ガンなんて使っている人がいるんだ!

 『TOKYO CAMERA STYLE (東京カメラスタイル)』(John Sypal著/Thames & Hudson/2015年2月17日刊)

2020年5月11日 (月)

『百鬼園写真帖』の楽しみ方

 内田百閒氏と言えば『阿房列車』シリーズでお馴染み「元祖・乗り鉄」として有名だし、法政大学の元祖航空研究会会長だったこともあり、基本的に「乗り物」に関する「ヲタク」的感性の持ち主として知られているわけであるが、こんな本があることは知らなかった。

 そうか百閒先生は日本における「元祖・撮り鉄」というか、「元祖・カメラオタク」っていうか……、要は「ヲタク」だってことは分かったいたんですけれどもねえ。

 で、早速、買って読んでみたんだが、嗚呼! 残念! 元祖カメラオタクの本なのではなかった。

Photo_20200508163801『百鬼園写真帖 内田百閒集成24』(内田百閒・著/ちくま文庫/2004年9月10日刊)

 内田百閒氏は1889年(明治22年)生まれである。ドイツでウル・ライカが作られたのが1913年なので、百閒氏24歳。

 巨大飛行船グラーフ・ツェッペリン号が来日したのが1929年8月。この時、ツェッペリン号の船長の胸に輝いていたのが初期のバルナック・ライカであったのは有名な話であり、多分、一般の日本人がライカ・カメラを目にした初めての経験ではないかと言われている。だとすると、百閒先生40歳にしてライカと出会うなんて言って、それはそれ、百閒先生、年齢的にはカメラオタクになってもよかった年齢ではあるのだが、どうもそんなエッセイはないようだ。

 文庫本の表紙に描かれているカメラの写真があるんだけれども、それは乾板式のボックスカメラで、まだまだ個人的なマニアが持つカメラではない。とすると、それは百閒先生が使ったカメラではなくて、まさしく百閒先生が「写真と云う物は横暴である。」という怒りを発した新聞社などのカメラマンが使っていたと思われるカメラなのかも知れない。

 やっぱり、カメラオタクが登場するのはライカやコダックなどの135カメラ(35mmフィルム使用のカメラ)が登場する時期まで待たなければならなかったのであります。

 まあ、「元祖乗り鉄」だからといって、何も他にもカメラオタクである必要はない。まあ、私の勝手な思い込みでしかなかったっていう訳。

 しかし、「この位の時期にしては」あるいは「この位の時期なので」、なのかは知らないが、いかにも「元祖乗り鉄・阿房列車の内田百閒先生」らしい写真や、普段着の先生の姿やら、宴会に挑む先生、などなど、まあ、さすがに1867年(慶應3年)生まれの内田百閒先生の先生、夏目漱石氏などの世代に比べると、残された写真は多くなっている。

 更に、面白いのはその内の何割かは百閒先生自身が撮影直後に気が付いてカメラの方を向いている写真があるってことなんだなあ。まあ、その辺が「写真と云う物は横暴である。」という本の腰巻にある百閒先生の言葉に現れているのかもしれない。

 まあ、いずれにせよ、まだまだスチール写真が「ニュー・メディア」であった時代のお話なのでありました。

『百鬼園写真帖 内田百閒集成24』(内田百閒・著/ちくま文庫/2004年9月10日刊)残念ながら、今は古本じゃないと買えない。是非とも重版を……。

2020年5月10日 (日)

東山道武蔵路

 江戸・東京から京都三条大橋へ至るのは東海道だというのが当たり前だと思っていてんだけれども、実はそうじゃなかったっていう話。

 考えてみれば当たり前なんだけれどもね。で、それを確かめるために、取り敢えずはJR中央線西国分寺まで行く。西国分寺駅を出て東へ府中街道を渡ると案内標識が見えてくる。

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「東山道武蔵路跡(とうさんどうむさしみちあと)390m」という標識。

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 少し広い道に出て南に進むと東京都公文書館の前にその説明板が見えてくる。

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 説明板は東山道についてのかなり詳しい説明と、その道のこの地の遺跡としての「武蔵路」の遺構についての説明。

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 7世紀に律令制が確立されて、それに基づく「五畿七道」というものが整備された。武蔵国は相模国の東に接する海沿いの国であったが、京都からは近江・美濃・飛騨・信濃・上野・下野・陸奥と連なる本州の内陸国が属する東山道に属することとなった。その際に、上野国府(前橋)→群馬県の新田郡→邑楽郡から埼玉県の吉見、川越、所沢と南下する東山道武蔵路という分岐道を作って武蔵国府へと至る道を作ったらしいのである。まあ、武蔵国って昔はその程度の存在だったってことなんだろうなあ。

 また、考えてみれば中世までは国分寺や府中が武蔵国の中心であり、太田道灌の時代はこの辺がどうだったのかが良く分からない。

 江戸が武蔵国の中心になったのは、1603年に徳川家康が征夷大将軍になって江戸幕府を開いてからのことなので、東海道が江戸日本橋から京都三条大橋までのメインルートとなったのは、やはりそれ以降のことなのだった。

 なんとなく、東京から京都は東海道でしょ。東海道はお江戸日本橋から京都三条大橋まででしょ。っていうのは、最初に武蔵国から京都までの道が出来てから1000年も後のことだったのであり、それまでは現在で言うところの「中山道ルート」に近い道、「東山道」が中世までの本道だったのであります。

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 武蔵路の説明板から少し南下すると、現在の武蔵国分寺の薬師堂があって、そこから更に国分寺崖線にそって急な坂道を降りていくと……。

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 (昔の)武蔵国分寺跡にでます。

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 ここを西に折れて府中街道方面へ行けば武蔵国分尼寺跡を経て西国分寺駅、東へ行けば国分寺街道を経て国分寺駅へ出ます。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Kokubunji ©tsunoken

2020年5月 9日 (土)

マーキング

 いつぞやのブログで「私のブログは犬が縄張りを徘徊する時に、自分の存在を示すためのマーキング=犬のションベンみたいなもんです」って書いたんだが、今日のブログはまさしくその通りな「犬のションベン写真」なのです。それ以上のものでは絶対ありません。

 だからといって「犬のションベン写真」なんてタイトルをつけるわけにもいかないので「マーキング」。

 ワン、ワン。

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 天気は五月晴れ。汗をかくほどの天気なので家を出て、さてどこへ行こうかということなのだったが、特に目的はない。

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 ということで、不忍通りを上富士交差点から坂を降りて谷中方面へと歩いたわけです。

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 道灌山下からよみせ通りを通って、谷中銀座へを歩を進めたのですが、やっぱり「密」を避けたのか、やっているお店も少ないし、客さんの姿もまばらです。

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 谷中銀座の裏の方には東京美術学校(現・東京藝術大学)の設立にかかわり、また日本美術院を創設した岡倉天心の旧居跡があって、そこが岡倉天心記念公園があります。

 まあ、公園っていってもそこらの児童公園みたいな小さな公園なんだけれども、残念ながら遊具には最近どこの児童公園にもあるように、使用禁止のテープが貼られています。

 いくら「コロナウィルス禍」だからって、そんなに子どもにイジワルしなくたっていいのにね。

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 で、谷中小学校の前に出てきたので、上野桜木町方面へ坂を上ります。

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 と、何故かしもた屋風の店なんだが、「TOKYO BIKE」っていう自転車屋さんがあります。

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 この辺のアンバランスぶりが、いかにも「下町」ですね。

 そこから先は、昔、トシちゃん(もう分からないだろうなあ、田原俊彦です)主演で映画『課長島耕作』(笑)のロケに使った上野寛永寺の境内を通って、鶯谷から帰ってきた。

 っていうだけの話。

 本当、単なる「犬のションベン写真」だなあ。

 Bow-wow

NIKON Df AF NIKKOR 50mm f1.8 G @Yanaka ©tsunoken

2020年5月 8日 (金)

フォルクスワーゲン・ビートル!

 先日、荒川区の小台から尾久に向かっている途中で見つけたフォルクスワーゲン・ビートル。

 あまりの美しさに思わずパチリ。ホィールキャップのクロームメッキにウットリです。

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 フォルクスワーゲンっていうのは、1935年に最初の試作車を完成し、1938年のベルリン・モーターショウで発表したクルマである。

 設計者は、あのポルシェ生みの親、フェルディナンド・ポルシェ博士である。ポルシェ博士であるから、当然エンジンは空冷、エンジン配置はRR(リアエンジン・リアドライブ)方式である。

 もともと、このクルマはアドルフ・ヒトラーが1934年のベルリン・モーターショウで発表した国民車(フォルクス・ワーゲン)構想に従って開発されたクルマで、まさしくナチス政権の大きな柱の事業として重用される目論見だったんだが、第二次世界大戦が勃発したために、フォルクスワーゲン製造会社は軍需生産会社に移行し、キューベルワーゲン、シュビムワーゲンなどの軍需車両などを、やはりポルシェ博士が開発して生産し、結局、民需車としてのフォルクスワーゲンは生産されなかったという、ちょっと悲しい運命にあってしまった。ただし、キューベルワーゲンとかシュビムワーゲンっていうのはRR車じゃなくて、普通のジープタイプだったってのはちょっと残念。軍用車でRRてのはダメだったのかなあ。

 1945年にドイツが降伏してドイツが連合国の支配下に置かれると、フォルクスワーゲン製造会社は危うく撤収されようとしていたが、イギリス軍が管理下において「フォルクスワーゲン・タイプ1」として製造を開始。以外にもドイツの代表的な国民車が、実はドイツ人ではなくてイギリス人によって始められたっていうのが、ちょっと不思議ではありますね。

 1948年になってオペルの幹部によって経営がされるようになったのだが、当時のアメリカやイギリスの主要メーカーから調査をされたフォルクスワーゲンだったのだが、その特異な「空冷・リアエンジン・リアドライブ」というメカニズムが米英の保守的なメーカーからは理解されずに、収用対象にならずに済み、フォルクスワーゲン社はドイツの民族系企業として存続されるようになった。

 ところが、その米英の自動車産業から無視されたフォルクスワーゲン・タイプ1がビートルという愛称で世界中に親しまれ、西ドイツの戦後復興に大貢献したことはご存知の通り。特に、それこそ「フォルクスワーゲンは無価値」という評価をしたヘンリー・フォード2世のお膝元であるアメリカ合衆国で大ヒットしたことは有名で、その後のヒッピー文化の中でも「ビートルはアンチ・アメリカの象徴」みたいに、若い人たちから評価された。

 当然、日本にもたくさんのフォルクスワーゲン・ビートルは、当初は中古車として輸入されて、その後には堂々新車として輸入される世になった。ただし、日本に輸入されたフォルクスワーゲンはブラジルか南アフリカなどで生産されたモデルではあった。

 というか、それだけ多くの国で生産された車種だったってことですね。

 1974年になって、フォルクスワーゲン社はそれまでのレイアウトと全く違った「水冷・フロントエンジン・フロントドライブ・ハッチバック」のワーゲン・ゴルフを開発して世界的なベストセラーとなり、フォルクスワーゲン・タイプ1は1978年に生産を終了した。

 というのが、まあ、フォルクスワーゲン・タイプ1・ビートルの歴史。

 つまり、この写真のようなビートルは、どんなに新しくても40年以上も前のモデルっていうこと。

 まあ、自動車というと耐久消費財の一つではあるんだけれども、さすがに40年以上、第二次大戦後すぐの頃のモデルだったら70年も前のモデルということになる。

 それがこんなに錆ひとつない形で残っているだけでもスゴいことなんだけれども、ごく普通に街乗りに使っているっていうだけでも、このクルマのオーナーのクルマ愛ってものが伺われる。

 当然、ナンバープレートを見れば、多分、このクルマのオーナーが新車でこのクルマを手に入れたんじゃないことは分かる。

 中古か大古か知らないけれども、手に入れた当初から既に相当古い車ではあったんだろう。でも、それを少しずつ修理ってことではなくて、レストアしながら現在の形に復元して、そして毎日このクルマを転がしているんだろうなあ。当然、それこそ故障なんて日常茶飯事だろうし、勿論、故障した時はサービス工場に入院するんだろうけれども、それも楽しいクルマ道楽っていうようなものなのだと考えていたんだろうなあ。

 私も「故障と言えばイタリア車」であるランチアに乗っていたことがあるんだけれども、東京の渋滞にハマればオーバーヒート、ちょっと何かがあれば入院って感じで、さすがに嫌になってしまって手放してしまったことがある。まあ、私も欧州車が好きでいろいろ乗ってきたんだけれども、このフォルクスワーゲンのオーナーほどには車を愛していなかったのかもしれない。

 こういう、キレイに乗っている中古車・大古車を見てしまうと、なんか、尊敬しちゃうんですね。

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 えっ? 日本車でそんなのないかって? う~ん、日野コンテッサ1300SとかホンダS600とか、いすゞ1600GTとかですかねえ。それぞれ、部品探しのためのオーナーズ・クラブがあります。もう、私なんかお近づきになれない「超マニアック」な世界です。

LEUICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Oku ©tsunoken

2020年5月 7日 (木)

新大久保韓流通りがマスク通りに

 そういえばあの韓流通りはどうなっているんだろう? と、新大久保まで行った。

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 新大久保っていっちゃえば、ハットグとかトッポギとか、なんかわけの分からないものを食べながら歩いている若い女の子やら、韓流スターのグッズを買い求めるおばさんたちで、昼間っから人混みでいっぱいの街だったんだが……。

 今やそんな人たちは人っ子一人いません。ホントーに見事なくらい誰もいないんだなあ。以前の「蜜」の状態が信じられない閑散ぶりです。

 韓国ではコロナウィルス禍での都市封鎖も終了し、街は賑やかさを取り戻しているようですが、まだまだそれが日本のコリアンタウンにまでは波及していないようです。

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 当然、そんな人たちを相手にして商売をやっている食べ物屋さんなんかも全然開いていなくて、とにかく目立つのが「マスク屋さん」だけなんです。

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 まあ、お洒落をしたい女の子たちが街にやってこないので、そんな子たちを相手にしていた韓流コスメティックのお店がみんなマスク屋さんになっています。

 えっ? えっ? マスク屋さん?

 あんなに日本では手に入らなかったマスクが、そこここで大セールをやっています。

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 なんだ、新大久保に来ればあんなに苦労してマスクを探さなくても良かったんじゃないか……、って思った貴方、それは間違っています。

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 まあ、多分、コロナウィルス騒ぎも大分収まった韓国なんで、それじゃあ、ってなもんで未だにマスク騒ぎをしている日本に行けばいい商売ができるってなことを考えて新大久保にやってきた……、ってところなんでしょうね。それはちょっと浅はかだったんですね。

 日本ではコロナウィルス禍はまだまだ終わっていないけれども、残念ながらマスク騒動は峠を越したようで、以前ほどには大騒ぎをしない状態になっています。それは一昨日のブログでも書いた通り。

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 ってことで、今や「蜜」どころか「疎」の新大久保でした。

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 街ではやたらUber eatsが目立つ今日この頃なんですけれどもねえ、なんか、この会社も危ういらしい。

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Okubo & Kagurazaka ©tsunoken

2020年5月 6日 (水)

提灯殺しガードって何だ?

 3月25日のブログ「高輪ゲートウェイに行ってきた」で少しだけ触れた「高輪の『提灯殺し(行灯殺し)』ガード」、正しくは「高輪橋架道橋 高輪トンネル」について書く。

 そのブログにも書いた通り、映画『メッセンジャー』で小ネタにしているので、気になる方は買うか借りるかしてご確認ください。ホイチョイムービーなので結構楽しめる映画です。コロナウィルス禍で外出もままならない毎日なので、たまには自宅で映画を楽しむなんてのもいいんじゃないでしょうかね。

 飯島直子が若い! 可愛い! それだけでも観る価値あり!

Photo_20200501151901 「メッセンジャー」(原作:ホイチョイ・プロダクションズ/監督:馬場康夫/脚本:戸田山雅司/製作協力:プルミエ・インターナショナル/製作:フジテレビジョン、小学館、ポニーキャニオン/1999年8月21日公開/DVD:ポニーキャニオン)

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「提灯殺し(行灯殺し)のガード」に行くには、まずJR高輪ゲートウェイか都営地下鉄泉岳寺駅で下車して、ほんの少しだけ国道15号線を田町方面へ進み、高輪大木戸跡の手前で右に曲がります。

 現在は入口が工事中みたいな感じになっているので要注意ですが、それは自動車の侵入を防ぐためなので、自転車や歩行者は別に気にしないで入ることが出来ます。

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 で、道の入口からちょっとしたクランクがあってガードの入口に至ります。

 もうそこで既に「低いぞ!」ってな感じがあるのですが、高輪側の入口の高さは1.6~1.7メートル位なので、ちょっと姿勢を低くすれば歩いて通れます。

 まあ、この辺がこの道を知らないタクシーの運転手さんが間違えるところで、「まあ、こんなものなら気をつけて通れば大丈夫!」なんて間違った判断をしちゃうんですね。

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 ところがこのガード、先へ行くと更に一段天井が下がってくるんですね。

 もう、1.5メートル位。もう、腰まで屈めないと歩けません。

 ここで、運転手さんは気づきます。「このまま行けば、天井を打っちゃうかもしれない」ってね。で、実際に「ガッチャーン!」なんて音がして、運転手さんは自覚します。「ああ、やっちまったよ!」ってなもんですね。

 まあ、あとはこの結果を営業所に戻ってどうやって言い訳しようかってことですね。「お客さんから、このルートを通るように指示された」とかなんとか。

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 まあ港南側の出口を出てみると、その天井の低さが良く分かります。

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 もうメチャクチャ低い。そういう意味では、多分こちら側からこのガード下を通ろうってタクシーはいなかったんでしょうね。そんな意味では、高輪側の方の案内がちょっと不親切だったんのかな。でも、高輪側にも、見えづらいけれども「高さ1.5m」という表示はあったんですけれどもね。

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 港南側を出た先は、東海道新幹線の本線と、大井埠頭の操車場との分岐点なんですね。

「メッセンジャー」原作:ホイチョイ・プロダクションズ/監督:馬場康夫/脚本:戸田山雅司/製作協力:プルミエ・インターナショナル/製作:フジテレビジョン、小学館、ポニーキャニオン/1999年8月21日公開/DVD:ポニーキャニオン)

LEICA M-E VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Takanawa ©tsunoken

2020年5月 5日 (火)

コロナな日々のゴールデンウィーク

 えーっと、今日のブログではちょっとした実験を行っているので、普段とはちょっと見え方が違うかもしれません。といっても、別に特別なことではなくて、撮影してきたデジタル写真の画像は「2560pixel×1704pixel」に縮小してブログに掲載していたんだけれども、今日のブログでは、縦横倍の「5120pixel×3408pixel」で掲載しています。

 まあ、ブログで読んでいる状態ではほとんど画質には変化はないと思うけれども、写真をクリックするとブログのオリジナル画像が出てくるので、それなりに精細な画像になります。ただし、問題は画像をクリックした時に大きな画像が出てくるまで、少し時間がかかるっていうことと、所詮はブログに載せるためにどのみち縮小した画像でしかない、オリジナルの画像からは基本的には縮小しているっていうこと。

 読みづらいという方はコメント欄やTeitterあるいはFaceBookなどでご意見をお寄せください。まあ、ブログ全体が重くなっちゃうので、どうしようかとは考えているんだけれどもね。

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 ここからがブログの本文。

 実は昨日の朝、ポストに入っていたチラシが上の写真。

「緊急販売 不織布マスク・次亜塩素酸水 数量限定 5/4~10までの7日間限定」という触れ込みの「地域の皆様へ 数量限定で即売会開催」という宣伝文句。

 特別販売会場っていうのが駒込駅東口の駅前らしいので行ってみたんだが……。

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 う~ん、なんか長蛇の列でもできているのかなと思ったんだけれども、全然そんなことはなくて、皆さん行列に並んで「密」な状態にもならずに買えているようです。

 まあ、もう皆さん自分の家でのマスクの必要量は確保しちゃったんで、今更「マスク売ります」って言われても、既に動かなくなってしまっているんですね。

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 公園へ行っても、こんな入口に門がない公園なんかは遊具に「使用禁止」の貼り紙と共に遊具に乗れないようにテープで入れないようになっている。

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 貼り紙には「ごめんね」なんて書いてるんだけれども、でもねえ、家で鬱々しているのも嫌になっちゃった子たちが公園に来てもこんなんじゃねえ。

 東京都や豊島区の公園はこんな感じで、門を閉じちゃっているか、門がない公園では遊具に乗れなくなっちゃっています。文京区の児童公園なんかはそんなこともないのになあ。

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 駒込っていえば「カメラのハヤシ商事」なんだけれども、なんかゴールデンウィークはお休みみたいです。

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 どこかに出かけるったって、外出自粛じゃ郊外に花でも撮ろうかなんていうわけにもいかないし、どうしてるんでしょうねえ。

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 まあ、それこそどうでもいいことなんですけれどもねえ。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Hon Komagome & Nakazato ©tsunoken

2020年5月 4日 (月)

『鎌田式「スクワット」と「かかと落とし」』が面白い・やれそう

 3月25日に「緊急事態宣言」がでて、小池都知事から「不要不急の外出は控えるように」という指示が出て一ヵ月が過ぎたわけであるが、コロナウィルス禍は一向に収まる様子は見せない。

 まあ、「不要不急の外出」ということでいえば、毎日毎日不要不急の外出を繰り返して、まったく都知事のいうことを聞こうとしないtsunokenではあるのだが、しかし、やはり少しは気にしていて、なんとなく「運動不足」という感がなくもない。で、見つけたのがこの本である。

「スクワット」というのは、昔、バスケットボールをやっていた頃は、バスケットボールのディフェンスっていうのは基本的に中腰(スクワット状態)で行うので、そのトレーニングの一つとして取り入れていたこともあり、経験はあるんだが、「かかと落とし」っていうのは聞いたことがなかった。

 なになに、どんなもんかな?

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70歳、医師の僕がたどりついた 鎌田式「スクワット」と「かかと落とし」』(鎌田實・著/集英社/2019年5月29日刊)

 別に鎌田氏は外出自粛令がでたからスクワットを始めたのではない(当たり前か)。

『3年前、体重が80キロまで増えた。

 僕は身長171センチ。高校時代の体重が72キロで、その後、少しずつ増えて、多いときで75キロにはなったけれど、だいたい70キロ台前半をいったりきたりしてきた。「ちょい太」でいいというのが蒲田流。でも「ちょい太」どころではなりつつあった。

 何かしなくては、と危機感を持ったとき、10年以上、講演会で推奨してきた「スクワット」や「かかと落とし」が頭に浮かんだ。それまでも時々家で行ってはいたけれど、毎日真剣に取り組むようになった。

 3年たって、今、体重は70・9キロ。60キロ台が見えてきたのがうれしい、ウエストは9センチ減。僕はおいしいものを食べるのが大好きだから、昨日も、仕事仲間とボリュームたっぷりのロシア料理を楽しんだけれど、71キロをキープ。どうも、筋肉がついて、代謝がよくなり、体重が増えにくくなっているみたいだ。

 病気の予防や悪化防止のためにも、「スクワット」「かかと落とし」などの「筋活」と「骨活」、後で紹介するたんぱく質重視の食事「たん活」を始めてほしい。』

 というのが能書き。で、鎌田式「スクワット」ってどういうものなのか。

レベル1 はじめての人向き 反動スクワット ふだん運動になれていない人はまずこちらから。腕の力を利用するので、高齢者にも無理がありません。「1セット10回×1日3セット」

レベル2 少し慣れてきたら イスありスクワット 通常のスクワットほど、腰を落とさず、膝も曲げすぎないので、膝に負担をかけたくない人、徐々に体を慣らしていきたい人はこちらを。続ければこのスクワットでも大きな効果がでます。「1セット10回×1日3セット」

レベル3 負荷を加えた、僕のオリジナル 鎌田式 スロースクワット 手の反動や、支えを使わず、脚の筋肉だけで行うので、さらにハードになります。かがんだ姿勢をキープして脚に負荷を加えることで、マイオカインの分泌がより期待できます。徐々に回数を増やして、いずれ10回できるようになれば素晴らしい。「1セット5~10回×1日3セット」

レベル4 同時に、骨盤底筋も鍛える 鎌田式 スーパースクワット レベル3のスロースクワットの動きに合わせて、骨盤底筋も意識して力を入れたり抜いたりします。失禁予防に効果が期待できるほか、腹筋などのインナーマッスルを鍛えることで、ウエストやおしりが引き締まってきます。「1セット5~10回×1日3セット」

 その他にもジムで行う「ワイド・スクワット」とか「バーベル・スクワット」というものもあるらしい。

 ふむふむ、なんとなくスクワットとしては基本的なものなので、私にもそんなに難しくはなさそうだ。ただし、一番最初の「反動スクワット」の項でも書いているんだけれども「膝がつま先より前に出ないようにします」っていうのが、実は結構キツくて、普通に腰を下ろすのではないやりかたが、慣れないと割と大変なのであります。それだけは知っている。

 じゃあ「かかと落とし」ってどんなものなのだろうか。これは私は経験がないので、かなり興味はある。

『「かかと落とし」は、つま先立ちの状態からかかとをストンと落とす、重力を利用した運動。骨を再生する骨芽細胞に刺激を与えて強い骨をつくり、骨密度を上げる効果が期待できる。』

 というものだそうだ。

「かかと落とし」はさほど難しいものではないようだ。

レベル1 かかとに刺激を与えて骨密度アップ かかと落とし 基本の「かかと落とし」。必ずイスの背やテーブル、台所のシンクなどに手を添えて行います。シンプルだけれど、毎日、まめに続けていれば、骨芽細胞に刺激を与えて、骨密度のアップが期待できます。「1セット10回×1日3セット」

レベル2 骨と筋肉のための 鎌田式 かかと落とし レベル1に慣れてきた人はこちらを。基本の「かかと落とし」の前につま先を上げる動作を加えます。これが意外ときついけれど、脛の筋肉を鍛えるので、つまずきやすくなった人に、オススメ。「1セット10回×1日3セット」

 なるほどね、いずれにしてもそれほど難しいトレーニングではなさそうで、今すぐにでも始められそうな運動ではある。

 よし、明日からは『鎌田式「スクワット」と「かかと落とし」』トレーニングを、「1日10,000歩の写真ウォーキング」に加えてやってみよう。あ、まあ、写真歩きは別にトレーニングでもなんでもないですけれどもね。

 『70歳、医師の僕がたどりついた 鎌田式「スクワット」と「かかと落とし」』(鎌田實・著/集英社/2019年5月29日刊)

2020年5月 3日 (日)

コロナ騒ぎで分かってきた「日本はいまだにデモクラシーの国じゃない」ということについて

 本日のブログのエントリーは、書いてある文章と、掲載している写真とは何の関係もありません。ま、たまにはそういうこともありますね。おまけに「明日のココロだあ」がちょっとズレちゃいました。別に、何か意味があるわけではないのですがね

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 昨日は初夏を思わせる暑さで、なんかそれでもう「高温・多湿に弱い」といわれるコロナウィルスなんか死んでしまうんじゃないか、って気分なんだけれども、でも、そうはなかなかいかないようです。

 やっぱり東京では150人を越える感染者が出たようです。

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 今日のテーマはそんなコロナな日々における日本人の気になるビヘイヴュアについてなのです。

「ビヘイヴュア(behavior)」ってのは、行動、態度、振る舞い、挙動、行為、素行、動作、習性、行儀、品行、反応、作用、調子などを表す英語なんだけれども、「ある国民のビヘイヴュア」という場合は、その国の国民が示す基本的な行動様式・思考形式をも示す言葉なのであります。

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 何を言いたいのかっていうと、このコロナウィルス禍に際して国や地方自治体が執る施政方針などの方策についてなのです。

 ヨーロッパのフランスやイタリアなどの「市民革命を行った先進デモクラシー国家」では、コロナウィルス蔓延とともに即座に「ロックダウン(市中閉鎖=外出禁止令)」を実施しました。しかし、我が国では最初は小池都知事が最初はロックダウンという言葉を口にしたけれども、結局、それは行われず、「外出自粛のお願い」でもって実施をしたわけです。

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「外出禁止令」とは何だろう?

 まあ、言ってみれば「戒厳令」の一歩手前の措置で、当然、外出する市民は即取り締まりの対象になるわけで、見つかれば直ちに拘留されることになる。フランスなどで実施されたロックダウンとはそういう意味の措置で、日本の「外出自粛」とはとてつもなく異なる「強い」「国の方針」なんですね。

「外出自粛のお願い」は、こんな「外出禁止令」とは天と地ほども異なる緩やかな措置で、別にその「お願い」の主旨に背いて外出したって、別に警察や軍隊(自衛隊)に拘留されるわけでもなく、せいぜいテレビ・ニュースで「こんな日にもパチンコしている人がいます」って報道されることもあるってだけで、誰も周囲の人にとやかく言われる問題ではないのです。

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 で、たとえばそんな外出禁止令が出たフランスがどうだったのかと言えば、実は「食事の買い物に出かける」という「いかにも」な理由をつけて、結構、パリ市民なんかは外出禁止令もものかわ、そんなもの全然無視して外出しています。「国の指令なんて無視する」というのは、実は「フランス国民の市民権」なんですね。

 まあ、日本における「外出自粛のお願い」も、フランスにおける「外出禁止令」も、実際に運用してみたらほとんど結果は変わらないっていうことなんですね。

 じゃあ、なんでそれほどに両国の国民性は違うんだ? ってことなんだけれども、要は「市民革命」を国民自らの手で成し遂げた「ブルジョワジーによるデモクラシー」が根付いている国と、明治維新っていうはた目には「市民革命」だと思われてしまうようだが、実は徳川政権から薩長政権に「武士から武士への権限移譲」、つまり「武士から市民への権力移譲」がなかった歴史しか持っていなかった日本。第二次世界大戦後、天皇制を倒して共和制に移行すべしという各国の意見を差し置いて、天皇制維持へ動いたアメリカの意向で現在の姿になった日本。という大きな違いがある。

 結局、支配構造は江戸末期から明治初期、大正、昭和初期の頃から全く変わっていないのが、現代の日本の「変な姿」なのであります。

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 フランスでは国家の権利よりも市民の権利が優先される、まさしく「デモクラシーの国」なんだけれども、日本はいまだに国家の権利が市民の権利より優先されている「オウトクラシー(専制主義)の国」なんですね。まあ、ファシズムとまで言わないのは、私の優しさです(本当は、日本は「ファシズム国家」だと思っています)。

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 なんか、コロナ騒ぎで見えてきた「日本人の従順ぶり」っていうか、未だに民主主義が定着していない後進性っていうか、まあ、もっと嫌な「同調圧力」ってのがいやで、書いちゃいました。

「外出自粛」なんて言われて、そのままその言葉を無批判に受け入れて言うことを聞くっていうのは、なんかおかしくはないですか?

 だからってパチンコ屋に行けとは言わないけれどもね。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Gokokuji Temple ©tsunoken

2020年5月 2日 (土)

麻布十番から高輪へ

 コロナウィルス禍で外出を自粛しております。まあ、そういう意味では「正しい都民」なんでしょうかね、私も。

 でも、家を出て、ちょっと町を歩けば、ちょっとくらいは電車に乗って……、てな気分にはなりますね。で、電車に乗って多少は出かけるんだけれども、現状では、基本的には「山手線の内側(+少しは外側)」って感じで、昔の「江戸朱引図」の中だけの移動という、まあ、自分なりに「正しい都民」のつもりではいるんですけれどもね。旧江戸ですよ、江戸。

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 てなことで、昨日は麻布十番とか、その先の高輪あたりまで駒込から地下鉄で行ってきた。まあ、山手線の内側なんで別に問題はないでしょう(!?)。

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 しかし、麻布十番も人通りは少なくて、まあ、繁華街ではあるけれども、特に人ごみになるほどではないというのが普段の麻布十番商店街なんだけれども、それにもまして人通りが少ないのであります。

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 麻布古川橋脇の小川書店は東京都書店組合青年部の幹部だったお店で、なかなか元気のある店主がいるお店なんだけれども、まだ店に出ているんだろうか。ちょっと中を覗かなかったのが残念。

 古川橋を渡れば白金・高輪と呼ばれる場所に至る。高輪と言えば北里大学、白金と言えば聖心女子学院(中・高)がある場所なんだけれども、そちらにはいかずに伊皿子坂方面へ向かうと、聖母マリアの仏教的表現ではないか(というのは神田教会の神父様の見立てなんだけれどもね)魚籃観音で有名な浄土宗三田山魚籃寺の前を通って伊皿子上の交差点へ出る。

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 伊皿子坂上と言えば、上皇ご夫妻が現在住んでいる旧高松宮邸である仙洞仮御所と、その並びにある豆大福の松嶋屋であるのだが、なんでも昭和天皇がその松嶋屋の豆大福が好物だったそうである。

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 ところが、この松嶋屋、あまり商売っ気がないというか何と言うか、午後2時頃に行ったのだが、もう既にすべての商品が売り切れになってしまっていた。

 まあ、高輪の優雅なお店ってところでしょうか。

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 ってことで、泉岳寺境内を通って帰ってきた。というだけの話。

 泉岳寺周辺、っていうか高輪周辺の話は明日のココロだぁ。

LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Azabu Juban & Takanawa ©tsunoken

2020年5月 1日 (金)

VIEW SUICAカードの中吊り広告が面白い

 いよいよ5月に入ったんだけれども、コロナウィルス禍の解決はまだまだ先が見えないし、こんな好天気の下でも、なんか気分がスッキリしないですね。国民一人当たり10万円給付するって言ったって、そんなもんあらかじめ支払っている税金が返ってくるだけだし、このコロナ騒ぎが終わった後になって、それを理由にハイパーインフレがおこったって知らないよってな風情の安倍(鈍感)政権じゃなあ。大体、総理大臣も財務大臣もそんな財政政策の基本が分かっていない人たちみたいだからなあ、本当に怖いです。

 で、そんな嫌な話はさておいて、面白い広告があったんですよね。

 つい先日、JR山手線の車内でみた中吊り広告であります。

 まあ、JR東日本がやっているSUICAカードの各種提携カードの宣伝なんだけれども、そのイラストになんか「違う」感じを捉えたのであります。

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 それがこれ。

 なんか「COPY」って書かれたペンタプリズムのフロント面を見せる一眼レフカメラなんだけれども、そのこちら側から見て右肩にあるのが、なんか小型ストロボにも見えるし、あるいは見え方によっては、ニコンFに装着したニッコール2.1cm f4用ビューファインダーみたいに見えるんですね。

Dsc_00602_20200426170801©鳥山明

 JR東日本のサイトのSUICAカードのプロモーションサイトを見ると以下の通り。

 まあ、JR東日本とビックカメラの提携カードのコマーシャル・メッセージなんだけれども……。

View©鳥山明

 う~ん、見方によってはビューファインダーじゃなくて小型のクリップオンストロボにも見えるんだけれども、ニコンFに「COPY」って意味は分からないし(まあ、鳥山明氏はそれなりに商業主義的な判断力はあるので、あえて「NIKON」とはいれなかったのかも)、もしかしたらニコンFとは限らない。ただし、ニコンFには確かに正面から右上に巻き戻しクランクがあって、その部分にクリップオンストロボ(あるいはフラッシュ)を装着するためのホットシューはあるんだけれども、それには同時にビューファインダーを取り付けられるし、ニコンF当時には超広角の「ニッコール21mm」はなんて考えると……、結局これは「ニッコール2.1cm f4用ビューファインダー」だと考えるのが一番正しいんじゃないんだろうか。なんせマニアックな鳥山明氏のことだしなあ……。

 さらに、当時はそんな小型のクリップオンストロボなんてあったのかなあ。

 ニコンFやF2の時代にはまだ以前のレンジファインダー・ニコンと同じような超広角レンズしかニコンでは準備できなくて、バックフォーカスの長い超広角レンズしかできなかった、んでそんなレンズを無理やり一眼レフのカメラに使えるように、レフレックスカメラのミラーをアップして(つまり一眼レフのファインダーを殺して)装着するレンズを作った、っていうか当時はそうせざるを得なかったんだなあ。

 現在はレトロフォーカス型の超広角レンズが出来ているので、私がDf用に使っている20mmレンズも普通に一眼ファインダーで使えます。

 その写真(ニコンFとニッコール2.1cm、そして右上〈左肩〉にあるのがそのビューファインダー)がこれ。ほら、SUICAのCMと似てるでしょ。

21mm_20200426214901©NIKON

 勿論、メインのレンズとは連動していないので、距離は目測で行うしかない。それでなんで一眼レフなの? ってことなんだけれども、まあ、21mmレンズなんてファインダーで距離を合わせなくても、目測でフォーカス合わせは十分ということなんですね。

 確かに、田中長徳氏の『東京ニコン日誌』を見れば「ニコンF、ニッコール21ミリ」なんて、そんな組み合わせで撮った傑作写真ばっかりだもんな。

 『東京ニコン日記』(田中長徳・著/アルファベータ/1998年6月1日刊)

NIKON Df AF NIKKOR 85mm f1.8 ©tsunoken 

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