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2020年4月26日 (日)

荒川遊園地が工事中だってのは知っていたけれど

「ステイホーム週間」だっていうので外出はできない……、って言うんだけれども、まあ、そうもいかなくて、でもあまり遠出はな……、ってことで我が家から歩いて行ける場所ってことであらかわ遊園地まで行ってきた。

 あらかわ遊園地は東京さくらトラム(プッ!)、もとい、都電荒川線の「荒川遊園地前」で下車すれば、250mほど行けば正門に至る。脇に昔の都電荒川線が飾ってあるのですぐにわかる。

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 勿論、あらかわ遊園地は現在リニューアル工事中だっていうことはわかっている。昨年秋ごろから工事が始まっているのは知っている。まあ、もうそろそろリニューアル後の姿が少しは見えるかなあなんて考えていたんだが、いやいやとんでもない、まだまだ先の「2021年夏頃オープン」っていう、さすがに荒川区立の遊園地らしいのんびりした構えで、そうか、2年越しの大工事なんだな。

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 しかし、完成予想図を見ても、以前の遊園地との違いはさほど見えず、まあ、以前のあらかわ遊園地と同様、あまりスリリングな乗り物は一切なくて、観覧車とメリーゴラウンド、園内一周する機関車が中心の遊園地らしい。

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 これまではあらかわ遊園地まで行った時は、園の前を右に行って隅田川へ出るっていうコースだったんだけれども、昨日は東の方に出た。

 するとやっぱりあるんですね。「船方神社」です。

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 由来書がある。

『船方村鎮守の船方神社は、江戸時代、鬱蒼とした森の中にあって十二天の森・十二天社と呼ばれました。本殿の右脇柵内にある十二天塚と彫った石碑は、次の伝承にもとづいて建てられたものです。
 昔、この地域の荘園領主の豊島清光は子供に恵まれず、熊野権現の神々に祈願して一人の姫を授かります。成人して足立少輔に嫁がせましたが、心ない仕打ちを受けた姫は入間川(=荒川【現在の隅田川】)に身を投げ、十二人の侍女も姫を追って身を沈めたという話が六阿弥陀伝承のなかにあります。十二天とは、この十二人の侍女をさすと同時に帝釈天をはじめとする神々をいいます。これを密教では世の中を守る神々として非業の死をとげた人々を鎮魂するため塚などの祭壇にまつりました。
 密教と深く結びついた熊野信仰もまた、十二所権現・十二社・熊野権現・王子宮・若宮と呼ぶ分霊が、平安時代末期から室町時代にかけて全国各地にまつられましたが、熊野信仰が盛んだった荒川流域の村々では悲しい侍女達の地域伝承と密教の十二天や熊野信仰とが結びつき、船方村の十二天社としてまつられたものといえます。
 なお、この伝承は江戸時代、六阿弥陀参詣の札所寺院によって縁起化されました。しかし、荒川に身を沈めたのは清光の姫ではなく、足立庄司の姫だという伝承、姫の父親に実在しなかった人物の登場する点や伝承の時代設定とは異なる奈良時代の高僧の行基が登場する点などのように付会性が強く、縁起の内容は寺院により少しずつ異なって伝えられています。
 平成六年三月
        東京都北区教育委員会』

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 うん、なるほどなあ。

 ってことは、隣のあらかわ遊園地も、むかしは船方神社の境内だったのかなあ。

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 あらかわ遊園地、都電荒川車庫を過ぎて、梶原で名物「都電もなか」を買って帰ろうと思ったんだが、残念、昨日は休みらしくて買えなかった。

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LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Nishi Ogu ©tsunoken

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