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2020年4月11日 (土)

立川立飛砂川

『この記録の主題をなす奇異な事件は、一九四*年、オラン(訳注 アルジェリアの要港) に起った。通常というには少々けたはずれの事件なのに、起った場所がそれにふさわしくないというのが一般の意見である。最初見た眼には、オランはなるほど通常の町であり、アルジェリア海岸におけるフランスの一県庁所在地以上の何ものでもない。』

 突然の引用で申し訳ない。実はこれ、アルベール・カミュ著(宮崎嶺雄訳)新潮文庫版『ペスト』の書き出しである。

 別に、今日のレポートとは何も関係はないんだけれども、何となく都心の人混みを避けて出かけた立川という街に行くというので、混雑を避けて逃避するような気分で、そこまでに至る中央線の中で読んだ本だった。新型コロナウィルスのパンデミックに悩まされている日本人が、私と同じく、この『ペスト』を読む人が多いようで、この翻訳本が重版を重ね、ミリオンセラーになったそうである。なんとなく第一章を読み終えたところで立川駅に到着。

 立川駅は北口に出る。

 南口はいかにも昔からの町らしく、かなりゴチャゴチャした街並みなんだけれども、北口は元々が日本陸軍の立川航空基地、戦後になってアメリカ空軍の立川基地があった場所なので、それが返還された後はかなり広い街並みが広がって、南口とはまったく異なった様相をみせている。

 そんな立川駅北口を出るとまず目に入ってくるのが「風に向かって」というタイトルの少年の銅板造形である。如何にも、「飛行機の街・立川」を象徴するモニュメントである。

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 そのまま、立川駅を背にして歩き始めると、基本的には東大和市上北台駅と多摩市多摩センター駅を結ぶ多摩都市モノレールに沿って歩くことになる。

 この立川駅に近いところの多摩都市モノレール沿線の風景、街の造形はモノレールを挟んでまるで未来都市を歩いているような気分になる。

 あっ、ごめんなさい! 私は「未来都市」を理想の都市と考えていなくて、どちらかというと『華氏451度』的な「快適な都市」をイメージしているんですけれどもね。

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 もう少し歩くと、いたるところにこの「TACHIHI」とか「立飛」という看板が目立ってくる。

 この立飛ホールディングスという会社が、立川駅北口方面の総合開発を実現した不動産兼デベロッパーなんだが、元々の名前は「立川飛行機」という名前の、日本陸軍航空隊の軍用機の製造やメンテナンスを行っていた会社。

 大本は日本軍艦を作っていた石川島播磨重工の一部門だったんだけれども、その後、陸軍の中心的な航空隊基地が立川に移ってしまったので、それに従い、航空機製造及びメンテナンス企業として立川飛行機を設立。その後、第二次世界大戦が終わって、立川基地は横田基地、そして羽田飛行場にその座を渡すまでは米軍及びアメリカの民間機の飛行場として接収され、軍からの下請け事業もなくなった立川飛行機もその広大な土地を運用するのが目的の立飛企業となり、その後、立飛ホールディングという名前の、不動産兼デベロッパーになったというわけ。

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 そんなバックボーンを持つ立川市だけあって、公園の遊具もやっぱり飛行機なんですね。

 ただ、やっぱりこんなプロペラ機が未だに主流なんだろうか?

 小さな子ども達にとって、こんなアタマにプロペラをつけた飛行機自体を見る機会は調布飛行場かホンダエアポートのそばに住んでいる子どもたち以外にはないだろうし、自分たちが乗ったりして父母の故郷に帰る飛行機だって、大体はジェット機のはずなんだけれども、でも、公園に置いていある飛行機のモニュメントはプロペラ機なんですね。

 う~ん、子どもの造形感覚のなかでは、今でも「飛行機=プロペラ機」っていう刷り込みがあるのかなあ。「きかんしゃトーマス」みたいなものなのかなあ。

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 その立飛ホールディングスの中心地が立飛駅前にある「ララポート立川立飛」なんだが、そんなものは立川市にもっている立飛ホールディングスにとってはホンの一部の土地だったっていうのがすごいんですよ。

 まあ、やっぱり「土地を持っている」ってのが、一番強いんだなあ。やっぱり「土地神話」っていうのは、別に何の咎めのなく未だに続いているのであります。

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 ってなことを考えているうちに、モノレール(芋窪街道沿いに走っている)と五日市街道の交差点である砂川七番の交差点に至る。

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 五日市街道は以前、上石神井に住んでいた頃にはほとんど毎週末拝島方面へサイクリングで走っていた道なので、まあ、ここから先は道を歩いていても「見るものはない」状態だってことは分かっているので、砂川七番から玉川上水まで一駅だけモノレールに乗って帰って来た。

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LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Tachikawa ©tsunoken

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