無料ブログはココログ

chotoku.note

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

フォト

« 2020年3月 | トップページ | 2020年5月 »

2020年4月

2020年4月30日 (木)

Golden "Stay Home" Week初日

 残念! シャープマスクは当たらなかった。アベノマスクは欲しくはなかったけど、シャープマスクは欲しかったんだよなあ。まあ、次の抽選日に期待しましょう。で、2回目はいつ頃かなあ?

L10016742

 ということで昨日は「ゴールデン・ステイホーム・ウィーク」の初日であります。ところで、ゴールデンウィークって映画業界用語だって知ってた? 昔は……、あ、昔話はやめよう。気になったらWikipediaあたりで調べてね。

 なので、あまり遠出はせずに、我が家のご近所巡りであります。

L10016832

 本郷通りと並行して走る旧中山道(白山通り)の間は文京区本駒込3丁目から1丁目なんだが、表通りはまだしも、この裏通りとなると、とにかく狭い、狭い、狭い。狭い道が連なっている。

L10016842

 で、やたら目に付くのが「この先、道幅狭し、車の通り抜けできません」という看板やら……「自動車通り抜けできません」という看板。

L10016882

 まあ、それだけ古くからある道だし町だし、ってことなんだけれども、まあ、こんな町に住んでいて、何かあっても救急車なんかが入ってこられない道が多いって言うことなんだ。

L10016862

 かろうじて入れる道もあるんですけれどもねえ……。

L10016892

 大学病院などの救急指定病院は沢山ある文京区なんだが、問題は救急車の出入りが出来ない道が沢山あって、その場合、どうしたらいいんだってことなんですね。

L10017022

 古い町には古い町らしいいいところが沢山あるんだけれども、でも、そこに住むにはなんらかの覚悟がいるっていうお話。

LEICA M-E URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Hon Komagome & Hongo ©tsunoken

2020年4月29日 (水)

パンデミックの下の十条銀座

 今日から、いよいよゴールデン「自粛」ウィークです。

 ということで(何で?)、家から近くで「蜜」になりやすい商店街……、ってことで十条商店街へ行ってきた。う~ん、全然話に必然性がありませんねえ。

 まあ、いいか。

正しく予防して、新型コロナウィルスから身を守り、みんなで、乗り越えていきましょう」というプラカードが掲げられている商店街でありますが……

L10016712

 まあ、商店街自体は普通に営業をしています。

L10016602

 普通に営業をしているお店なんだけれども、やっぱり手作りマスクなんかを売っている用品店なんかが目立ちます。

L10016532

 営業を「自粛」している飲食店なんかも目立つんだけれども……、

L10016522

 一番目立ったのがパチ・スロ店ですね。

 ここは小池都知事の要請を受け入れて閉店しています。パチパチ……

L10016692

 まあ、お邪魔したのは「蜜」になるような時刻じゃなかったんだけれども、まあ、後は普通に営業をしているお店が多いんで、やれやれってところでしょうか。

L10016492

 お隣の商店街のぬいぐるみのクマもホッとしていることでしょう。

L10016432

 って、なんか生ぬるいレポートだなあ。

 まあ、普通に営業をしている商店街を見て、安心したってところでしょうね。いつになったら、日本中が「普通に」なるんだろう。

LEICA M-E VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Jujo ©tsunoken

2020年4月28日 (火)

『秘境旅行』

「民俗学は、風俗や習慣、伝説、民話、歌謡、生活用具、家屋など古くから民間で伝承されてきた有形、無形の民俗資料をもとに、人間の営みの中で伝承されてきた現象の歴史的変遷を明らかにし、それを通じて現在の生活文化を相対的に説明しようとする学問である。」(Wikipedia)

 というとおり、民俗学では古くからの民俗資料を蒐集することが数多く行われており、更に風俗資料などに関しては写真で蒐集することが多い。宮本常一などの民俗学者は積極的に写真を自らの資料収集に使っていた。

 そんな意味では「民俗学者」と「写真家」というのは近しい存在なのである。

Photo_20200323153101『秘境旅行』(芳賀日出男・著/角川ソフィア文庫/2020年1月25日刊)

 ちなみに「芳賀日出男」を調べてみると「日本の写真家、民俗研究家」という記述を目にする。芳賀日出男氏が「写真に興味があって、その後、自分の写真の志向が民俗学的なるもの」に移って来たのか、「元々民俗学に興味があって、その方法論として写真を採用」したのかどうかは分からないが、日本・世界の祭り・民族・民俗芸能の写真取材を行ってきているということ自体は、写真家でもあり民俗学者でもあるという、この二つの職業(?)の類似性を物語っている。

 取り敢えず、本書の目次から内容を紹介すると……

ノサップー北海道ー
すさまじき流氷、それは国境の岬の春のことぶれ(昭和36年調査)
網走ー北海道ー
日本国籍を持つ北アジア系のオロッコ族を訪ねて(昭和36年調査)
恐山ー青森県ー
白昼に死者を呼び出す? 不気味な巫女市の裏面(昭和28、34、36年調査)
西馬音内ー秋田県ー
亡霊を迎えて三夜の陶酔、異様な真夏の夜の祭典(昭和35年調査)
妻良ー静岡県ー
誰でも行ける南伊豆の秘境、純朴な四季の風物詩(昭和17年より37年にわたる調査)
隠れ里の花祭りー愛知県北設楽郡ー
年末から正月に神々を招待、徹夜で舞う神楽の里(昭和35年より37年にわたり調査)
舳倉島ー石川県ー
海女二千名が夏を過ごす孤島! 裸体の楽園で暮らす(昭和28、37年調査)
木地屋の村めぐりー福井県・石川県
深山に住み日本工芸の伝統を守るロクロ師の生活(昭和35年調査)
宇波西神事ー福井県ー
三方五湖をめぐって行われる神秘的な祭りの全貌(昭和35年、36年調査)
山の中の民俗博物館ー広島県ー
一校長の執念! 民具の蒐集品が国の宝となる!(昭和37年調査)
大東町ー島根県ー
生活派の観光地、日本一の養鶏町となった鍵は?(昭和35、36、37年調査)
外泊ー愛媛県ー
四国のさいはて、海賊根拠地? 奇妙な石垣の村(昭和35年調査)
壱岐ー長崎県ー
島民の四分の一が集まる年に一回の春市を訪ねて(昭和37年に二回調査)
福江島ー長崎県五島列島ー
新興宗教へ改宗したかくれキリシタンの生活を探る(昭和37年に二回調査)
甑島ー鹿児島県ー
昔話を語り伝える老人たちが住む南海の離れ島!(昭和31年調査)
沖之永良部島ー鹿児島県ー
夕映えの珊瑚礁の岬で、島民たちは飲んで唄う(昭和30、31、32年調査)
久高島ー沖縄県ー
沖縄本島から離れた孤島に住む白衣の巫女と対面(昭和31年調査)

 以上、まあこの角川ソフィア文庫版自体が1962年に秋元書房から刊行されたものの復刻版なので、調査の年代はかなり古い。昭和30年前後から37年にかけての調査というか撮影なのであります。今から60年ほど前の記録である。当然、この本を読んで、祭りや風俗に興味を持ったとして、じゃあ、現代にその祭りや風俗を撮影に行こうと考えても、実際に行ってみれば本書のような写真なんぞは撮れないのである。

「舳倉島」の海女に興味を持ったとして……

『舳倉島に渡った海女は、輪島の街にいた時とは気風が一変するほど快活になって海への闘志をたくわえる。お天気がよくて凪ならば毎日のようにあわびをとりに出かける。海女の乗る小舟には櫓をこぐ父、夫、兄弟などの肉親の男性が相乗りする。七、八十隻の小舟がいっせいに漁場にさしかかると、海女は船の舳先に立ってさっと沖衣を脱ぐ、サイジとよばれる褌一本になり、小舟の上にすっくと立ち上がって天候や波の具合、伴舟のありさまを見る。
 私はその時の海女のトルソーをいつも素晴らしいと思って眺める。さんさんたる真夏の太陽に光る健康な肌はまぶしく美しい。それにましてたくましい。』

 という名文につられて輪島沖の舳倉島に行っても、同じ風景は絶対と言っていいくらい会えないのだ。当然、海女さんは褌一本なんかで仕事はしない。現代の海女さんはウエットスーツを着ているのだ。

 とは言うものの、例えば祭りなどに昔の風俗が残されていたりもしている。というか、多分、祭りくらいにしか、昔の風俗は残されていないのかもしれない。ということで、皆、古くからの祭りがあるというと、皆してカメラを抱えて撮影に来る。

 結構、皆、「秘境旅行」には憬れる。

 何なんだろう。なくなったものへのノスタルジーなのだろうか。

『秘境旅行』(芳賀日出男・著/角川ソフィア文庫/2020年1月25日刊)

2020年4月27日 (月)

そりゃあホコテンだってやってないよな

 小池都知事から"Stay Home Week"宣言が出ちゃった以上は、もうどこにも出かけられないなっていうことで、新橋まで出張って、神田まで歩いた。

 って、おいおいそれじゃあ外出自粛じゃないじゃないか、ってことなんですけれども、まあ、このアホはどうしようもないですな。でもまあ、そんなに人に迷惑を与えるような外出じゃないので許してくださいな。ちゃんとマスク(アベノマスクじゃないよ)もしているし。

Dsc_00052_20200426170301

 で、まあ、いつもの新橋駅で降りて銀座通りを歩くっていう、私の(後期)写真人生の原点みたいな撮影場所を歩いたわけです。

 しかし、本当に銀座通りは人出がないなあ。まあ、インバウンドがなくなって中国人の数が激減したところまでは覚えているんだが、いやあ、ここまで見事に少なくなっているんですね。

Dsc_00082_20200426170301

 勿論、「歩行者天国」なんてものは実施していない。

 銀座の「歩行者天国」は1970年(昭和45年)8月2日に、当時の美濃部亮吉都知事の指示で、ここ銀座通りほか、新宿、池袋、浅草などで実施されたのが一番最初だ。うん、渋谷が入っていないのが、まさしく「時代」ですね。まだ、渋谷は今みたいな「繁華街の代名詞」じゃなかったんだ。渋谷はまだ用賀とか二子玉川へ至る「江戸の出口の町=田舎町だったんですね。

Dsc_00132_20200426170401

 勿論、皆さん従順な都民ばっかりだから、結局、銀座通りは本当に人通りは少なくて、っていうか本当に「人っ子一人として歩いていない」っていう感じですね。

Dsc_00182_20200426170401

 勿論、いつも銀座に行けば必ず覗く、銀座ニコンプラザとか、本の教文館とかアップルストアとか伊東屋なんかも、みんな閉店しているので、やっぱり銀座は既に「死んだ街」になっているんだな。

 デパートも開店していないし、もう、行くところはありません。

Dsc_00242_20200426170501

 勿論、「死んだ街」とはいえ、そこで「生きている人」はいるわけで、そんな人たちのために街は「待っている」のであります。

Dsc_00292_20200426170501

 あとは「いつ」街が生き返るのだろうか……、ってことなんですよね。

NIKON Df AF NIKKOR 85mm f1.8 @Ginza ©tsunoken

2020年4月26日 (日)

荒川遊園地が工事中だってのは知っていたけれど

「ステイホーム週間」だっていうので外出はできない……、って言うんだけれども、まあ、そうもいかなくて、でもあまり遠出はな……、ってことで我が家から歩いて行ける場所ってことであらかわ遊園地まで行ってきた。

 あらかわ遊園地は東京さくらトラム(プッ!)、もとい、都電荒川線の「荒川遊園地前」で下車すれば、250mほど行けば正門に至る。脇に昔の都電荒川線が飾ってあるのですぐにわかる。

L10015292

 勿論、あらかわ遊園地は現在リニューアル工事中だっていうことはわかっている。昨年秋ごろから工事が始まっているのは知っている。まあ、もうそろそろリニューアル後の姿が少しは見えるかなあなんて考えていたんだが、いやいやとんでもない、まだまだ先の「2021年夏頃オープン」っていう、さすがに荒川区立の遊園地らしいのんびりした構えで、そうか、2年越しの大工事なんだな。

L10015402

 しかし、完成予想図を見ても、以前の遊園地との違いはさほど見えず、まあ、以前のあらかわ遊園地と同様、あまりスリリングな乗り物は一切なくて、観覧車とメリーゴラウンド、園内一周する機関車が中心の遊園地らしい。

L10015462

 これまではあらかわ遊園地まで行った時は、園の前を右に行って隅田川へ出るっていうコースだったんだけれども、昨日は東の方に出た。

 するとやっぱりあるんですね。「船方神社」です。

L10015532

 由来書がある。

『船方村鎮守の船方神社は、江戸時代、鬱蒼とした森の中にあって十二天の森・十二天社と呼ばれました。本殿の右脇柵内にある十二天塚と彫った石碑は、次の伝承にもとづいて建てられたものです。
 昔、この地域の荘園領主の豊島清光は子供に恵まれず、熊野権現の神々に祈願して一人の姫を授かります。成人して足立少輔に嫁がせましたが、心ない仕打ちを受けた姫は入間川(=荒川【現在の隅田川】)に身を投げ、十二人の侍女も姫を追って身を沈めたという話が六阿弥陀伝承のなかにあります。十二天とは、この十二人の侍女をさすと同時に帝釈天をはじめとする神々をいいます。これを密教では世の中を守る神々として非業の死をとげた人々を鎮魂するため塚などの祭壇にまつりました。
 密教と深く結びついた熊野信仰もまた、十二所権現・十二社・熊野権現・王子宮・若宮と呼ぶ分霊が、平安時代末期から室町時代にかけて全国各地にまつられましたが、熊野信仰が盛んだった荒川流域の村々では悲しい侍女達の地域伝承と密教の十二天や熊野信仰とが結びつき、船方村の十二天社としてまつられたものといえます。
 なお、この伝承は江戸時代、六阿弥陀参詣の札所寺院によって縁起化されました。しかし、荒川に身を沈めたのは清光の姫ではなく、足立庄司の姫だという伝承、姫の父親に実在しなかった人物の登場する点や伝承の時代設定とは異なる奈良時代の高僧の行基が登場する点などのように付会性が強く、縁起の内容は寺院により少しずつ異なって伝えられています。
 平成六年三月
        東京都北区教育委員会』

L10015542

 うん、なるほどなあ。

 ってことは、隣のあらかわ遊園地も、むかしは船方神社の境内だったのかなあ。

L10015562

 あらかわ遊園地、都電荒川車庫を過ぎて、梶原で名物「都電もなか」を買って帰ろうと思ったんだが、残念、昨日は休みらしくて買えなかった。

L10015722

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Nishi Ogu ©tsunoken

2020年4月25日 (土)

コロナ禍の中のとげぬき地蔵縁日はどうなったか

 毎月「4の日(4日、14日、24日)」は巣鴨とげぬき地蔵の縁日だっていうことで、4月5日のブログ『不要不急の地蔵通り縁日』で、前日のとげぬき地蔵の地蔵通りの縁日の様子をレポートしたんだが、(まあ、別に私のブログのためにそうなったわけなのではなかろうが)その結果、「このご時勢になんたる不謹慎!」ってことで世間からバッシングを受けてしまった。

 ってことで、昨日は24日。四月の三回目の縁日の日はどうなんだろう、という興味で行ってきた。そう、まあ所詮「興味」なんだよなあ、この男は。自分の問題としてはぜ~んぜん、考えていない。

L10009352_20200424151001

 まあ、4日の縁日で顰蹙を買って14日には縁日を中止、おまけに当日はあまり天気も良くなくて、でまあことなきを得たんだけれども、じゃあ晴れて良い天気だった昨日はどうだったのか?

L10009402_20200424151101

 まあ、当然というか、何と言うか、人通りは少ないですね。屋台なんかは全然見えないし、まばらな人波があるだけです……。

L10014852

 当然、お地蔵様に詣でる人の姿も少なく、境内は閑散としています。

L10014902

 地蔵通り商店街のお店もお休みをしちゃっている店舗も目立って、当然、いつもお昼時はお客さんでいっぱいのときわ食堂なんかもお休みをしています。まあ、それだけ人出が少ないっていうことなんですね。

L10014942

 とは言うものの、ちゃんと来るところには人が来るもんです。「来るところには、来る」「来る人は、来る」「同じ人が……、やっぱり来る」ってなもんでしょうか。

「マルジの赤パンツ」なんかも店のシャッターを一部下ろしちゃって、あまり人が店の中に入らないように気を遣っているんでしょうが、なんか、そのために帰って群がる人が目立っちゃっています。店にとってはいい宣伝になるんでしょうが、でも、あまり拡がっちゃうとねえ、またバッシングにあっちまいますぜ。

L10014962

 でも、そのお隣が「お墓の相談」のお店っていうのもねえ、まあ、「おばあちゃんの原宿」ならではなんでしょうけれども、何かね。

L10014972

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 & LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Sugamo ©tsunoken

2020年4月24日 (金)

「つつじ祭り」は中止だが、つつじは満開だ

 例年、六義園の枝垂れ桜(しだれざくら)のお花見が終わると、根津神社の躑躅(つつじ)祭りというのが文京区の習わしで、この後には白山神社の紫陽花(あじさい)祭りが控えているというスケジュール。

L10014742

 ツツジの旬はもう少し後、5月上旬が見頃。

L10014692

 というのが普通なんだがねえ、勿論今年は新型コロナウィルス禍でもって六義園のお花見に引き続き、根津神社のつつじまつりも残念ながら中止になってしまった。あじさい祭りまでには収束するのかなあ。

L10014682

 お祭りは中止になってしまったんだけれども、当然、つつじ本人(?)はそんなことと関係なく、ちゃんと季節になれば勝手に咲くのであります。人間がこのコロナウィルス禍でもってすっかり萎縮しちゃっているけれども、自然はそんなことは関係ない。

L10014562

 つつじは勝手に咲くのだけれども、「人間がやる行事」の方は、残念ながら中止であります。

 つつじ苑も入園禁止になってしまって……、って言ったって実は私はこのつつじ山のつつじ苑に「お金を払って」は行ったことはありません。っていうか、別につつじ山に入らなくっても十分つつじを楽しむことはできて、まあ、アップで花をみられるかどうかっていうだけの話なんです。本来、つつじは間近で見る花ではなくて、「全山つつじでいっぱい」というのを楽しむ花なのだ。

L10014602

 なので、根津神社の境内に入れば、つつじ山が入山禁止でも、関係なく誰でもつつじの咲く様を楽しむことが出来ます。

L10014612

 勿論、つつじに興味はなくっても、こんな親子でアメリカンフットボールを楽しんでもいいんです。弟がクォーターバックでお兄ちゃんがラインバッカー、でお父さんがワイドレシーバーか。しかし、このお父さん、場所柄、東京大学アメリカンフットボール部ウォリアーズのOBなのかなあ。帽子からは確認できなかった。

L10014772

LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Nedu Jinja Shrine ©tsunoken

2020年4月23日 (木)

コロナな日々から

 まあ、毎日々々「コロナ、コロナ」で嫌になっちゃいますね。

 一体、いつまで続くんでしょうね。家にはまだ「アベノマスク」も来ないし、って別にアテには全然していないんですけれども、まあ、来れば来たでネタにできるんで、いくらかの楽しみにはしているんですけれどもね。

L10013512

 ってことで、昨日はちょっとした用事があったので文京シビックセンターまで出かけた。文京シビックセンターへは、千石から白山通りを歩いて行けばちょうど5,000歩あまり。往復すれば約10,000歩というところで、まあ、いい散歩コースってところでしょうか。

L10014072

 しかし、どの店に寄っても「新型コロナウィルスの〇〇で云々……」っていう貼り紙が出ていて、だから何なのよってところではあるのではあるのだが、じゃあ「店閉めちゃえば」ってな気分にはなかなか慣れないでいる。つまり、それでは市民生活が成り立たなくなってしまうので、まあ、おっかなびっくり店を開いて営業をしている、ってわけですね。

 まあ、そんな感じじゃあ、あまり売り上げも期待できないでしょうねぇ。

L10014112

 まあ、普段と変わらずにやっているのは、こんな三代将軍の乳母、春日局を祀った、文京区春日の東京メトロ丸の内線の脇にある「出世稲荷」くらいなもんでしょうか。って言っても、要は「普段」というのが「誰もいない」というのが常態なんで、こんなに本堂の前に人がいる! ってのが不思議な位。

「お前! 仕事サボって、何やってんだっ!」って、言いそうになっちゃいました。

L10014172

 春日局っていうのは徳川家光の乳母として有名な人なんだが、元々は明智光秀の家臣、斎藤利三の娘、斎藤福だったわけで、なんせ父親の主君が主君だったわけで、結構波乱万丈な人生を送った人だったらしい。

 大河ドラマ『麒麟が行く』で、どこかでこのお福さんが出てくるんじゃないかと楽しみにしているんだけれども、どうなんだろう。なんせ「三日天下」の光秀が主役なので、どちらかというと周辺の人物描写が重要になる番組なので、そのへんにお福さんも描かれる可能性があるんだけれどもなあ。

L10014192

 全日本柔道連盟もなんかコロナ騒ぎに巻き込まれてしまって大変らしい、なんて、もはや柔道とは関係ない生活になってしまったので、気楽なもんですけれどもね。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Bunkyo ©tsunoken

2020年4月22日 (水)

昨日は文京区立小学校の登校日

 相変わらず六義園は休園中だ、ってまだまだ東京都の自粛令は終わっていないんだから当たり前か……、なんて思っていたら、ウチの前にある文京区立昭和小学校になにやら人の姿が……。

L10014032

 どうも昨日は文京区立小学校の一斉登校日だったらしく、久々に子どもたち投稿する姿が見えたのは嬉しかった。

 ただし授業などは行われずに、なんか、学校から大量のプリントなんかを受け取って早々に帰る小学生の姿が同時に見えたのはちょっとがっかりかな。

L10013992

 私は私で、それを見ながら、ほぼ毎月一回行く、医者への通院の途を歩くのだった。

L10013692

 医者は文京区千駄木っていっても私の家からおよそ30分ほど歩いて行ける場所にある。まあ、いい散歩コースですね。

L10013822

 医者に行くには、この“鎮守様“の境内を通って……(あれっ? すこし水平が狂っているなあ。あまり人のことはいえませんね)

L10013852

 いまや「感染症病院」として有名な都立駒込病院の敷地を抜けると行けます。さすがに駒込病院は新型コロナウィルスの院内感染はないようで、周囲を歩いていても別に何も怖くはないです。

L10013932

 駒込病院は「道坂遺跡」とか「駒込貝塚」なんかがあった場所にあって、なんか由緒のあるらしい場所なんだが、遺跡を示すものはこの標示と遺跡を示す石標だけ。

 ちょっと残念かな。

LEICA M-E KONICA M-HEXSANON 50mm f2 @Hon Komagome ©tsunoken

2020年4月21日 (火)

一年前のある日のこと

 テレビでは今日も相変わらず「新型コロナウィルス」の話題ばっかりで、なんか面白くない。

 といって、朝から一日中雨で出かけられない。

 まあ、こういう日は、以前書いたブログでも読んで過ごそうか、ということで昨年の4月15日のブログを読んでみた。

Epsn00112_20200420153901

2019年4月15日 (月)
統一地方選、第2弾がスタートしたわけなのだが
 六義園も桜は終わり、テーマも「大名庭園でつつじを楽しむ」に変わったんだが、いよいよ統一地方選も第2弾になり都内の区議会議員選挙戦が始まった。』

 というのが、その書き出しで、東京都はその第2弾だけが昨年行われ、区長と区議会議員を選ぶ選挙が4月21日に行われ、その告示が4月14日に行われたという日であった。

 うん、まあ、その頃には一年後にこんな大騒ぎをしていることになるとは、誰も予想はしていなかったわけである。今年だったらなあ、もう完全に「新型コロナウィルス」という言葉が争点になっていたんだろうなあ。

Epsn00072_20200420154001

 無印良品銀座店がプランタン銀座を出て独立店舗になったのがこの4日。他の無印良品とは異なって、食料品やホテルなんかもある総合的な店舗ビルになったのだった。

Epsn00202_20200420154001

 まだまだ、「オリンピック、パラリンピックは2020年」っていう風に皆考えていて、それを疑うものは誰一人いなかった。

Epsn00252_20200420154001

 ウィークデイでもこの人だかりのビックカメラ有楽町店っていうのも、今年の感覚からはまったく「信ジラレナイ!」。まあ、讀賣ホールの何かのイベントなんだろうけれども。

Epsn00382_20200420154001

 まあ、使っている写真はブログに使ったものではなく、同じ日(2019年4月14日)に別に撮ったものですけれどもね。

Epsn00352_20200420154101

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Ginza, Yukakucho & Surugadai ©tsunoken

2020年4月20日 (月)

晴れた日の日曜日は児童公園巡り

 昨日はよく晴れた日曜日だった。

 六義園は相変わらず休園だったんだが、お隣の六義公園およびその周辺の児童公園は、テレワークに対応していないお父さんたちもお休みってことで、沢山の子供たちが遊びに来ています。ただし、文京区における新型コロナウィルスの感染者は昨日のところで39名なので、それほど多いわけではないのだがなあ。

L10013532

 文京区の本駒込周辺や、北区の田端周辺には児童公園が沢山あって、子どもたちが遊ぶ場所には事欠かない。

 まあ、そういう意味では、教育機関なんかも多いし、子育てには向いている地域なのかも知れない。

L10013542六義公園

 文京区は本郷台地の上に展開している場所で、田端周辺はその下の町、ということでその途中の坂に多くの児童公園は展開している。

L10013322

 多くは、昔武家屋敷だった場所とか、商家の屋敷があって、その庭園があった場所に作った公園であり、場所柄、そんな武家屋敷が多かった場所だったっていうのも、幸いしているのかもしれない。

L10013372東中里公園

 これが千代田区あたりだと、もっと大きな武家屋敷ばっかりで、小さな児童公園なんかはなくて、それこそ日比谷公園みたいな大きな公園になってしまう。

L10013402

「本郷もかねやすまでは江戸のうち」という言葉にあるように、既に一番最初の朱引図では江戸府外だった駒込近辺は、上級武士の住む場所ではなくて、それでも、商家などの大金持ちなんかが屋敷を構えていた場所なので、それがちょうど児童公園なんかを作る大きさにあった土地だったのかもしれない。

L10013442田端公園

 それが児童公園の数多さにつながっているのかなあ。

L10013282富士前公園

 いずれにせよ「安心して子育てが出来る街」として自慢にもなっているのであります。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Hon Komagome & Tabata ©tsunoken

2020年4月19日 (日)

『スイッチ 5月号』

 昨年、9月9日に94歳で亡くなったロバート・フランクの大特集である。

5『SWITCH Vol.38 No.5 May.2020』(スイッチパブリッシング/2020年4月20日刊)

 一番ありがたいのは、アメリカ版に書かれたジャック・ケルアックの序文が邦訳されて掲載されていることである。

Rimg00052_20200418110701©Robert Frank

 私が持っているのは、このSTEIDLアメリカ版 "THE AMERICANS" なので、このジャック・ケルアックの序文付きなのだが、まあ、さほど難しい言い回しをするわけでもないジャック・ケルアックの文章なので、まあ、邦訳が付いていなくても何とか読めるのであるが、意味の分からない表現なんかもあるので、やっぱり邦訳はあったほうがラクだ。

 まあ、でも、やっぱり本当のところは良く分からない。それが外国語の文章を読んだ際の日本人すべての反応なんだけれどもね。

Rimg00022_20200418110701©Robert Frank

 勿論、ジャック・ケルアックの序文は、この写真集の解説ではない。まあ、ジャック・ケルアックが写真を見て、その感想の上に立ってエッセイを書いていると考えればいいのだろうか。

Rimg00062_20200418150501 ©Robert Frank

 エッセイの最後の文章は以下の通り;

"To Robert Frank I now give this message: You got eyes.
 And I say: That little ole lonely elevator girl looking up sighing in an elevator full of blurred demons, what's her name & address?"

Rimg00042_20200418110701©Robert Frank

「ロバート・フランクにいま、俺はこのメッセージを送るーーあんた、ー目があるよ。
 そして俺は言うーーぼやけた悪霊たちで混んでいるエレベーターで、上を向いてため息をついているさみしいエレベーターガール、あの子の名前とアドレスは?」(柴田元幸 訳)

 うーん、この翻訳はどうなんだろう。まあ、誤訳ではないんですけれどもねぇ。

 なお、神田のgallery Bauhaus で開催される「ロバート・フランク大回顧展」に関しての告知が26ページに掲載されているんだが、、ここに書かれている日程はコロナウィルスの感染のおかげで変更になっているので、要注意。

 『SWITCH Vol.38 No.5 May.2020』(スイッチパブリッシング/2020年4月20日刊)

『アメリカンズ THE AMERICANS - ロバート・フランク写真集』(Robert Frank・著/山形 浩生・訳 /JICC出版局/1993年11月1日刊/アメリカ版:STEIDL / National Gallery of Art, Washington)

2020年4月18日 (土)

パンデミックの街から

 まあ、今更なんだが、不要不急の外出はダメっていうので、取り敢えず池袋西武の三省堂にでも行って巣ごもり用の本でも買おうかなっていう調子で池袋まで出たんだが……。

L10013152

 そう、現在池袋西武百貨店は食品売り場を除いて休業中。

 なので、三省堂をスルーして地上に上がってジュンク堂に行こうと思ったんだけれども、食品売り場から三省堂に向かう地下通路が閉じられてしまっている。んで、やむなく池袋駅まで戻って東口中央の出口まで向かい、そこから地上に上がる。

 地上に上がってみれば、目の前にあるビックカメラのカメラ館はやっぱり休業。池袋西口店カメラコーナーの店員がコロナに感染しちゃったからなのか。他のビックカメラはカメラ館じゃないので普通に営業しているので、要は「カメラ」つながりなのかなあ。

 しかし、実は池袋ビックカメラのカメラ館はつい数年前から1~3階までをなんか訳の分からない雑貨やら、小型家電やらの店になってしまって、要はインバウンドっていうか、中国人向けの店になってしまって、実は「カメラ館」は4階から上に縮小されてしまったんですね

 まあ、縮小されても8階は中古アナログカメラのフロアであるなんていう点だけは、さすがにビックカメラの本店は池袋だってところの矜持なんでしょうか。多分、ビックカメラの年長社員が頑張って中古カメラコーナーを守ったんだろうなあ。ただし、私ここでカメラを買ったことはありません。レンズか何か小物を買った記憶はあるなあ。

L10013162

 で、地上に出ても南池袋公園も(公園で何でかなあ?)閉鎖されてしまっているし……

L10013202

 ここはサッカーグッズの店なんだけれども「臨時休業」です。

L10013222

 ってなことで、やっぱりさすがに今まで「空気読めない人」(あ、俺もそうか)でいっぱいだった池袋も、かなり人出が少ないようでありました。

L10013192

 なんか、そのせいか、人々が外出しなくなってせいか、UBAR EATSの自転車が最近いろいろなところで、やたら目立つんだよなあ。

L10013232

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Ikebukuro ©tsunoken

2020年4月17日 (金)

コロナ! コロナ!! コロナ!!!

 ツール・ド・フランスが当初の6月27日(ニース発)から7月19日(パリ着)までの予定が、8月29日から9月20日までということに決まったようだ。これにともない、三大ツールの残りふたつも、5月に開催予定だったジロ・デ・イタリアや9月開催予定だったヴェルタ・ア・エスパーニャも変更ということで5月に変更日程が決まるらしい。ヨーロッパでは最大の夏のイベントだけに中止という決定は避けたかったのだろうが、果たしてそれまでにこの新型コロナウィルスのパンデミックが収まるのだろうか。

 ヨーロッパが舞台のレースなので、まだまだ、予断は許されないだろう。 

L10012882

 ということで、毎日毎日、寝てもコロナ、起きてもコロナで嫌になっちゃいますね。本当に「鬱」。

 まあ、あまり遠出するのもなんなので、昨日も同じく、いつもの本郷通りの散歩カメラです。

L10012892

 本郷通りを歩いていても、そこらじゅうに「コロナウィルス」がらみの貼り紙やら、構内立入禁止の看板ばっかりで面白くない。

L10013002

 神田明神隣の写真ギャラリー"Gallery Bauhaus"も臨時休業になってしまっており、4月22日から8月1日がPart 1、9月9日から11月14日がPart 2という長期開催予定の『ロバート・フランク大回顧展』も取り敢えず延期というのは決まったんだが、日程変更してやるのか、あるいは中止なのかもいまのところ決まってはいないようだ。昨年、清里フォトミュージアムで行った「ロバート・フランク展 – もう一度、写真の話をしないか。」がイマイチだったので、今回のGallery Bauhausの写真展はかなり気になっていたんだけれども、どうなってしまうんだろう。

L10012992

 で、お隣の神田明神に詣でてみたんだけれども……

L10012962

 こちらも「恒例祭祀と境内の清掃は、神職が閉場通り執り行います。」と書いてあるんだが、一方「明神会館、文化交流館、資料館、各種売店は臨時閉館とさせていただきます。」ってな具合で、これで毎年5月に開催されている神田祭はどうなっちゃうんだろう。「神田神社では、毎朝コロナウィルス鎮静祈願を行い、一日でも早い収束を祈念してります。」とも書いてあるんだけれどもなあ。

L10012972

 アトレ秋葉原も「アキバファンの皆様へ」ってな掲示で、しばらく閉館のお知らせです。

L10013082

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Hongo Tori Ave. ©tsunoken

2020年4月16日 (木)

盛り場からずっと離れて

 アメリカのトランプ大統領が、中国嫌いの挙句、WHOへの拠出額を停止することを表明したそうだ。まあ、国際主義と一国主義の間を揺れ動くアメリカの対外政策なんだが、モンロー主義の時代の「米欧関係」と、第二次世界大戦後の「アジア覇権→世界覇権」を任された時代の「嫌中主義」とでは、意味合いが全く違う。

 結局、それが象徴するのはアメリカ合衆国の相対的な地位の低下なんだろう。メキシコを通じた違法難民の問題にしても、対中東政策にしても、アジア政策にしても、すべてはアメリカの力の衰えの象徴なのである。

 まあ、第二次世界大戦後のヨーロッパはフランス中心で(後にドイツも加わって)動かしていくから、アメリカにはアジアを任せるという形での世界分割をした。それに対抗してアメリカはアメリカ中心主義の国際連合を作って世界支配をしようと思ったんだけれども、そのためには諸外国にいろいろ援助の手を差し伸べなければならないということが、最早、限界に達したので、結局「America First」になっちゃたんだなあ。

L10012412

 ということで、今日も今日とて「不要不急の外出」であります。

 ただし、盛り場には行かない。

L10012562

 盛り場には行かなきゃ行かないで、それなりに面白い物件にはブチ当たるんですねえ。

 新目白通りを早稲田でバスを降りて明治通りを越えて北上すると下落合へ向かう。

 下落合駅の手前で左へ曲がると西武新宿線の踏切を渡り、落合水処理場へ向かって分流している神田川沿いに歩いていると、何か面白そうな物件が見つかる。

L10012652

 どうも、川沿いに立っている家の一部が傾いている。

 この傾きの原因について、いろいろ抗議しているらしいんだが……。

L10012722

 なんか、やたらいろいろと書いてあるんだが、なんか何を書いているのか分からないのだ。

L10012682

 なんとか解読しようと思って、いろいろ読んでみたのだが、どうも訳が分からなくなってくる。

 どこかに抗議をしているようなのだが、まったく意味が分からない。抗議の意を表しようと思うんだったら、もうちょっとわかりやすく書いてもらわないとなあ。

 理解ができない。

L10012802

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Hon Komagome, Nishi Waseda, Ochiai & Takadanobaba ©tsunoken

2020年4月15日 (水)

ハンコを押すために出社した。

 たまたま乗った山手線に面白いポスターを発見。

「ハンコを押すために出社した。」というのがキャッチコピー。それに前後して「テレワークが始まった。」というサブコピーと「本当に必要な仕事って何だろう。時間をかけるべき仕事って何だろう。企業のペーパーレス化を支えるSmartHRは、今日も全国20,000社で採用されています。」というボディコピーが効いている。

Photo_20200414153701©SmartHR

 SmartHRという会社は「クラウドを使用した人事労務ソフト」を手掛ける企業らしい。SmartHR社の4月6日付のプレスリリースには『医療・介護領域における人材紹介・派遣サービス大手のTSグループ(株式会社TS工建、株式会社ティスメ、メディアメイド株式会社、本社:大阪府大阪市、代表取締役 CEO:笹井 英孝)は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大により、これまで紙で行っていた入社手続きを非対面で完結すべく、株式会社SmartHR(本社:東京都港区、代表取締役:宮田 昇始)が運営するクラウド人事労務ソフト「SmartHR(スマートエイチアール)」を2020年4月1日より導入したことをお知らせいたします。
 これにより、新入社員の受け入れ時に必要となる雇用契約書およびその他の入社手続き書類のオンライン上で申請・締結が可能となりました。』とある。

 まあ、要はテレワークとかハウスワークとか、要はオフィスとかデスクとかに縛り付けられない仕事の進め方というものを実現するためのソリューションを提供する会社がSmartHRという会社なんだろう。

L10012062

 いやあまさに時宜にかなったコマーシャル・メッセージというところなんだろう。

 この日、まさしく丸の内のオフィス街、つまり三菱村の総本山がどうなっているのかというテーマで見に行こうというその直前にみた車内ポスターなのでありました。

L10012172

 それもあるけれども、「医療・介護領域における人材紹介・派遣サービス大手のTSグループ」ってのが、たまたま私の息子が所属している会社だった、ってのもあるんですけれどもね。別に息子が所属する会社がそんなリモートワークのソリューションを提供している方の会社ではなくて、利用しているだけの立場なんだけれども、でも、取り敢えずは息子も今やリモートワークで週に半分位しか出社はしなくてもいいらしい。

L10012222

 で、行った先の丸の内だって、殆ど社員は出て来ていないんだろうな、っていう予想通り人の少なさではある。

 丸の内に着いたのが12時過ぎなので、今までだったら周囲のビルから「三菱村」の各本社に勤めるサラリーマンがワラワラと出て来て昼飯をどうしようかと、数人ごとのグループでウロついている、っていうのが普通の光景だったのだが、そんな姿はまったく見られずに、ほとんど歩く人は見られないという「奇妙な光景」があるのみなのだ。

 まあ、例えば三菱重工だって、生産の現場はとにかく「人」が動いていなければ、現場は動かないけれども、本社のデスクワークをやっている連中は別にオフィスにいなくても、家でパソコン(メールとチャット)があれば、なんだよ会社は動いているじゃないか、ってなもんなんですな。

L10012252

 じゃあ、丸の内のオフィスワーカーってなんなのよ。彼らが普段オフィスでやっていることは「何なのよ!」。

 結局、権謀術数に明け暮れて、如何に部署とか会社という名前の「小権力」、部署という名の「小権力」をつかむのかという、それぞれの会社の「小さな権力争い」をするために、毎日毎日会社に出勤してきているっていうことなのか。でも、その彼らの動きが、自分では意識していないだろうけれども、多ければ数万人の運命を左右する結果となったりするんだから、結構、その罪は重たいってことなんですね。

 まあ、このコロナウィルス禍が終わってみたら、その辺の『半沢直樹』やら『下町ロケット』などの、丸の内だけで仕事をしている人たちの足元が危うくなってくれると、もうちょっと現場の人たちを救えるんだけれど……、っていう風にはならないだろうなあ。多分。

 小説だけの世界なんですね。所詮。

L10012302

 結局、前に戻っておしまいなんだろうなあ。

 なんせ、明治政府と一緒にこの国を作ってきた三菱が、第二次世界大戦に負けても、財閥解体してもなお復活し、未だに日本を支配している国なんだもんなあ。

 そうか、ポイントは長州か。未だに「長州政権」だもんなあ。

 じゃあ、もう一度「薩長抜き」で明治維新ををやりますか。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Marunouchi ©tsunoken

2020年4月14日 (火)

『GR読本』

 田中長徳氏の本では『銘機礼賛』三部作と『東京ニコン日記』『偽ライカ同盟』とか『ライカと味噌汁』なんてものの他、写真集やらなにやらいくつもの著作は持っているんだが、肝心の中川右介氏が発行人で、田中長徳氏が主筆を務める『カメラジャーナル』は持っていなかった。

 そんな『カメラジャーナル』のMOOKを手に入れた。題して『21ミリ欧州大決戦編 GR読本2』である。

 田中氏の21mmレンズ偏愛ぶりは『東京ニコン日記』を読めば良く分かるし、その影響を受けて私も21mmレンズが最も頻繁に使うレンズなんだけれども、なるほどなあ、そういうことだったのね。

GrカメラジャーナルBOOKS⑥ 21ミリ欧州大決戦編 GR読本2』(田中長徳・著/編集発行人・中川右介/アルファベータ/2002年7月15日・刊)

 M型ライカのファインダー変遷を見てみると……

M3 50mm~135mm
M2 35mm~90mm
M4 35mm~135mm
M5 35mm~135mm
M4P 28mm~135mm(+75mm)
M6 28mm~135mm
M7 28mm~135mm
M8~M10 基本的にM7と同じ(但し、M8以降はデジタルカメラ)

 ということなので、ライカ社としては基本的な広角レンズは28mmまでというのが公式見解なんだろうけれども、実際には、1958年にシュナイダー・クロイツナッハのOEMでスーパーアンギュロン21mm f4(後にf3.5に進化)レンズを供給していて、まあ、今やライカの超広角レンズの定番となっているのは21mmなんですね。エルマリート28mmでは、まあ広角ではあるけれども、That's Wide Lensではないのでありますな。やっぱり、21mm。

 まあ、トリ・エルマー16-18-21とか、スーパー・エルマー18mmなんてレンズも最近はラインナップされているようだし、ズミルックスやスーパー・エルマーで21mmのレンズも出てはいるようだが、多分、それらのレンズは「レンジファインダー・デジタルの世界で一号機という名誉ある地位を、たかだか日本のパソコンメーカーのエプソンRD1に取られてしまった」が故のライカとしての「最後っ屁」みたいなもんで、ズミルックス21mmやスーパー・エルマー21mmを除けば、あまりそれらの「この広角レンズで一勝負」という感じは感じられないのだ。

 そういう意味では、35mmフルサイズ(=デジタルカメラでの表現/フィルム・カメラならそのままのサイズ)における一番普通に写る広角レンズと言えばやっぱり21mmなのだ。

 私も長い間ライカに使っていた一番広角のレンズと言えばエルマリート28mm f2.8 だったんだけれども、現在多用しているVOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4を買ったきっかけっていうのが、実はエプソンRD1sなのだった。APS-Cサイズの撮像素子を持っているエプソンRD1sにとっては21mmレンズは35mmフルサイズ換算で32mmということなので、まあ標準広角レンズとしては使いやすいサイズ。その後、やっぱりもうちょっと広いサイズのレンズが欲しくなって、上記のレンズを買ったんだが、やっぱり32mmというのが、ちょっと中途半端な感じがして、もうちょっと完全な超広角レンズが欲しくなって、VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6を手に入れて、エプソンRD-1sでは一番多用していたレンズだった。

 その後、デジタル・ライカM-Eを手に入れて、基本的に私の標準レンズはそのVOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4になった。12mmも使ってみたのだが、やっぱりこれでは広角過ぎて、例えば砂町銀座商店街なんかのかなり狭い道ではそれなりに上手く行くんだけれども、まあ、普通の写真ではちょっと広すぎるかなという感じで、今のところ私のライカM-Eでの「つけっぱなしレンズ」は21mmになったというのが、私のレンズ変遷。まあ、ニコンDfでも常用レンズはAF NIKKOR 20mm f2.8 Dなので、まあ似たようなレンズサイズを使っているんだな。

 しかし、面白いのは普通一眼レフのカメラを買うと、最初は標準で着いている50mmで撮影しているうちに、その次にほしくなるのが望遠レンズなのであります。で、だんだん長い焦点距離のレンズをかき集めている最中に、どこかで「ライカ」の存在を知る。レンジファインダー・カメラというものの存在を知るっていうか、私たちぐらいの世代になると、まず「高級カメラ=一眼レフ」となって、その後に知るのが「レンジファインダー・カメラ」というものが「ある」って言うことなんですね。

 実は、そのバックボーンにはベトナム戦争がある。

 つまり、要は岡村昭彦氏とか、沢田教一氏とか、石川文洋氏なんかの戦争カメラマンの存在と、彼らのカメラ武装なんですね。基本的には、35mmはライカM2(か、M3にメガネ付き35mm)、50mmはライカM3、135mmか200mmがニコンFっていうカメラ3台持ちっていう姿に憬れた。カッコよかったんですよね、ヘルメットを被って、首にはライカ2台とニコン1台を抱えて、ニコッと笑っている。なんか、その写真を見るだけで、彼らが米軍や南ベトナム軍が隠しているベトナム戦争の実相を暴くヒーローみたいに思えた。

 まあ、その後のテイタラクは見ての通りで、いつのまにかサラリーマンとして定年を迎えてしまった。

 あとは余生を生きていくだけなんだけれども、その時に、数少ない死ぬまでの趣味が、まあ、ちょっと大げさだけれども「写真」ってわけで、その時にカメラ初心に戻ったのが「レンジファインダー・カメラは基本広角、一眼レフは基本標準~望遠」ってことなんだ。まあ、気分だけでもベトナム戦争の従軍カメラマンってところで。

 となると、やっぱり(現代の東京では)ライカは21mmだよな。

 そういうことが初めから分かっていたって言うところが、やっぱり写真家としての田中長徳氏のスゴイところなんだろうなあ。

21mm_20200409145401ライカM-EとVOIGHTALANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 が、現在のところ、私の最高の組み合わせ。

L10008162

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Hon Komagome ©tsunoken

 『カメラジャーナルBOOKS⑥ 21ミリ欧州大決戦編 GR読本2』(田中長徳・著/編集発行人・中川右介/アルファベータ/2002年7月15日・刊)古本でしか入手できません。

2020年4月12日 (日)

パンデミックの街から

「不要不急の外出は控えよ」という政府の指示があるんだけれども、そう簡単には「不要不急の外出」を控えるわけにもいかない事情がある、んじゃないだろうか。

 なんてことを無理やりこじつけて不要不急の外出をする。

L10011902

『ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや 反古 のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその 鼠 どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうということを。』

 というのは一昨日のブログに引き続きカミュ著『ペスト』からの引用で、一昨日とは異なって、こちらは一番最後のセンテンスである。結局、「ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろう」日々を、今、私たちは過ごしている訳なのである。

L10011952

 もう、街を歩いていても、殆ど人はいないし、当然、店もほとんどは閉まっている。

L10011962

 いまはそれでも数日間、そうやって姿勢を低くして、台風を避けて過ごすことで凌げればいい……、と言われているんだが……。

L10011982

 そんなことで済むんだろうか。

 まあ、数日、数週間、数ヶ月……、過ぎればいつかは「ペスト」と同じく終焉の時期を迎えるんだろうけれども、でも、それがいつなのかは分からないし、誰もそれを予測できることではない。

L10011992

 問題はそれなんだよなあ。

 要は「いつ頃になったら、収束が見えるのか」っていうことなのだ。

 勿論、いずれは収束するんだろうし、それから一年経ったら、みんなパンデミックなんて忘れて、オリンピックにうつつを抜かすんだろうけれども、でも、その時には、一年前の苦労を思い出さなければいけないんだろうな。

L10012022

 そして

『ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや 反古 のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその 鼠 どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうということを。』

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Komagome & Sugamo ©tsunoken

荒川サイクリングロード下流編

 まず最初から言い訳を……。

 荒川サイクリングロードの写真を撮ろうと思って、田端駅から荒川土手行の都バスに乗って宮城二丁目で降りて荒川土手右岸を目指すつもりでいた。で、田端駅前の停留所からの都バスは、北千住駅前行き、荒川土手行き、豊島五丁目団地行きの3路線だと思っていたら、もう一つ「江北駅前」行きというのがあるのを発見。

 えっ? 江北駅って聞き覚えがないなあ、何線? と思ってじゃあその終点まで行ってみようかと方針変更。その辺が融通無碍というか、行き当たりばったりというか、このブログのイイカゲンな所ではあります。

 で、乗ってみたら、何だ、日暮里舎人ライナーの江北駅っていうのがあったんだ。そうか最近この電車に乗っていなかったのでうっかり忘れていただけだったんですね。江北駅というのは池袋東口から荒川土手を経て西新井駅に行くバスが尾久橋通りと交差する場所にあって、ドイト西新井店や以前ゴルフ練習場があった(現在はビックカメラとスーパーマーケットのライフになっている)ところにある駅だったんです。ドイトにはよく来たんだけれども、荷物を運ぶ必要があったのでクルマで来ていた。

L10011432

 ということなので、江北駅前から尾久橋通りを扇大橋方面へ歩くことにした。なんだ宮城二丁目で降りればよかった。

 しかしなあ、世間では新型コロナウィルスで大騒ぎしているけれども、そんなこととは関係なく、早くもツツジの花が開いている。まだ、サクラだって散っていないのに、なんでもうツツジなんだろう。なんか、その辺にも我が国の異変が現れているのかもしれないな。

L10011552

 なんてことを考えている間に荒川に架かっている扇大橋に到着。

L10011562

 荒川サイクリングロードというのは荒川放水路の両岸を走っていて、右岸コースの上流は国営武蔵丘陵森林公園(別名:東松山森林公園)から、荒川の河口まで連なっているおよそ100kmの道で、朝霞の辺りから両岸を走っている。普通、赤羽岩渕あたりで上流コースと下流コースに分かれている。以前、サイクリングを毎週末やっていた時期は、その日の状態に応じて、今日は調子がいいし、時間もあるので上流コースを鳥羽井沼か東松山森林公園まで往復100km超コース、そうでない日は下流コースを河口まで往復50km位を走っていた。基本的に平坦コースなので、ロングライドには適しているコースであります。

L10011572

 上流コースは荒川右岸コースになるので、私の場合、上流コースも下流コースも基本的に右岸コースを走ることが多かった。まあ、右岸コースの方がコースも整備されているし、広くて更にロードバイクの数が多いということなどがその理由だった。

L10011662

 勿論、ロードバイクじゃなくても走れるし、競技志向の人ばかりではなく、ロングライドや、それこそママチャリで走っている人もいるし、サイクリングロードといっても、別にジョギングやマラソンランナーなんかもいる。

L10011722

 まあ、そんなこんなで新型コロナウィルス禍を忘れさせる一日だった。

L10011732

 私もビアンキ・カーボン「L'UNA」を部屋で眠らせているだけじゃなくて、久々にライドしようかな。

L10011862

LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Ohogi Adachi ©tsunoken

2020年4月11日 (土)

立川立飛砂川

『この記録の主題をなす奇異な事件は、一九四*年、オラン(訳注 アルジェリアの要港) に起った。通常というには少々けたはずれの事件なのに、起った場所がそれにふさわしくないというのが一般の意見である。最初見た眼には、オランはなるほど通常の町であり、アルジェリア海岸におけるフランスの一県庁所在地以上の何ものでもない。』

 突然の引用で申し訳ない。実はこれ、アルベール・カミュ著(宮崎嶺雄訳)新潮文庫版『ペスト』の書き出しである。

 別に、今日のレポートとは何も関係はないんだけれども、何となく都心の人混みを避けて出かけた立川という街に行くというので、混雑を避けて逃避するような気分で、そこまでに至る中央線の中で読んだ本だった。新型コロナウィルスのパンデミックに悩まされている日本人が、私と同じく、この『ペスト』を読む人が多いようで、この翻訳本が重版を重ね、ミリオンセラーになったそうである。なんとなく第一章を読み終えたところで立川駅に到着。

 立川駅は北口に出る。

 南口はいかにも昔からの町らしく、かなりゴチャゴチャした街並みなんだけれども、北口は元々が日本陸軍の立川航空基地、戦後になってアメリカ空軍の立川基地があった場所なので、それが返還された後はかなり広い街並みが広がって、南口とはまったく異なった様相をみせている。

 そんな立川駅北口を出るとまず目に入ってくるのが「風に向かって」というタイトルの少年の銅板造形である。如何にも、「飛行機の街・立川」を象徴するモニュメントである。

L10010942

 そのまま、立川駅を背にして歩き始めると、基本的には東大和市上北台駅と多摩市多摩センター駅を結ぶ多摩都市モノレールに沿って歩くことになる。

 この立川駅に近いところの多摩都市モノレール沿線の風景、街の造形はモノレールを挟んでまるで未来都市を歩いているような気分になる。

 あっ、ごめんなさい! 私は「未来都市」を理想の都市と考えていなくて、どちらかというと『華氏451度』的な「快適な都市」をイメージしているんですけれどもね。

L10010962

 もう少し歩くと、いたるところにこの「TACHIHI」とか「立飛」という看板が目立ってくる。

 この立飛ホールディングスという会社が、立川駅北口方面の総合開発を実現した不動産兼デベロッパーなんだが、元々の名前は「立川飛行機」という名前の、日本陸軍航空隊の軍用機の製造やメンテナンスを行っていた会社。

 大本は日本軍艦を作っていた石川島播磨重工の一部門だったんだけれども、その後、陸軍の中心的な航空隊基地が立川に移ってしまったので、それに従い、航空機製造及びメンテナンス企業として立川飛行機を設立。その後、第二次世界大戦が終わって、立川基地は横田基地、そして羽田飛行場にその座を渡すまでは米軍及びアメリカの民間機の飛行場として接収され、軍からの下請け事業もなくなった立川飛行機もその広大な土地を運用するのが目的の立飛企業となり、その後、立飛ホールディングという名前の、不動産兼デベロッパーになったというわけ。

L10011022

 そんなバックボーンを持つ立川市だけあって、公園の遊具もやっぱり飛行機なんですね。

 ただ、やっぱりこんなプロペラ機が未だに主流なんだろうか?

 小さな子ども達にとって、こんなアタマにプロペラをつけた飛行機自体を見る機会は調布飛行場かホンダエアポートのそばに住んでいる子どもたち以外にはないだろうし、自分たちが乗ったりして父母の故郷に帰る飛行機だって、大体はジェット機のはずなんだけれども、でも、公園に置いていある飛行機のモニュメントはプロペラ機なんですね。

 う~ん、子どもの造形感覚のなかでは、今でも「飛行機=プロペラ機」っていう刷り込みがあるのかなあ。「きかんしゃトーマス」みたいなものなのかなあ。

L10011092

 その立飛ホールディングスの中心地が立飛駅前にある「ララポート立川立飛」なんだが、そんなものは立川市にもっている立飛ホールディングスにとってはホンの一部の土地だったっていうのがすごいんですよ。

 まあ、やっぱり「土地を持っている」ってのが、一番強いんだなあ。やっぱり「土地神話」っていうのは、別に何の咎めのなく未だに続いているのであります。

L10011142

 ってなことを考えているうちに、モノレール(芋窪街道沿いに走っている)と五日市街道の交差点である砂川七番の交差点に至る。

L10011262

 五日市街道は以前、上石神井に住んでいた頃にはほとんど毎週末拝島方面へサイクリングで走っていた道なので、まあ、ここから先は道を歩いていても「見るものはない」状態だってことは分かっているので、砂川七番から玉川上水まで一駅だけモノレールに乗って帰って来た。

L10011322

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Tachikawa ©tsunoken

2020年4月10日 (金)

文京区周縁部を往く・江戸川橋編

「文京区周縁部を往く」なんて書いてしまってから失敗に気が付いた。

 だって、「東京周縁部を往く」なら、江戸川、荒川、多摩川あたりのかなり広い部分を取材できて「東京周縁部を往く」というのも、かなりメジャーな企画(?)になったんだが、文京区っていったらそんなに大きな区ではなくて、基本的に不忍通り、音羽通り、春日通りの三つの通りの周辺を歩いてしまえば、もうそれでおしまいってなもんなのである。

 なので、今日、不忍通りを本駒込から歩いて、護国寺まで行って、そこから江戸川橋まで歩いちゃうと、そこは文京区と豊島区の境を歩いてしまって、もう半分歩いちゃったわけで、もう行くところはない。あとの残りは不忍通りを反対に根津近辺まで行って、そこから本郷通りへ上がって、お茶の水まで行ってしまえば、もう行くところがないってことに、歩いた後で気が付いた。

L10010482

 戒厳令が出ている東京なので、確かに道を歩いてる人の数はかなり少ない。一方、車道を走る自動車の数はそれ以前とはあまり変わらない状況で、まあ、普通に都市機能は生きているのだということが分かって、少し安心。

L10010532

 護国寺前からは不忍通りを離れて音羽通りに入るんだが、講談社も現在はテレワークに入っていって、会議なんかもやっちゃいけないってなことになっているそうだし、OB会の社友会も現在は日直は週1日だけになってしまっているようだ。

 まあ、前にも書いたけど、出版社なんてテレワークで十分機能する企業なので、別にテレワークで困っている社員なんていないだろう。まあ、仕事が終わった後に飲みに行けないって言うことくらいが、せいぜい「困ったこと」というレベルなんでしょうね。

L10010592

 マツダがCM撮影で使ったヘアピンカーブで有名な「鷺坂下」は、写真家・田中長徳氏の実家があったところで小日向台と音羽の岡場所を繋いでいた坂道であります。

 鷺坂を左に見てちょっと先まで行けば、神田川に架かる江戸川橋の交差点。

L10010632

 江戸川橋の交差点で新目白通りを渡って、神楽坂方面へ少し行くと左手に見えるのが「子育て地蔵尊」がある。

 ここから先は文京区と新宿区の区境になります。この辺り、お隣は新宿区神楽坂。

L10010662

 で、子育て地蔵尊を左へ曲がると地蔵通り商店街がある。

 巣鴨の地蔵通りに比べると随分こじんまりとした商店街なのだが、多分、それは現在の姿で、昔はもうちょっと賑やかで、規模も大きな商店街だったんだろうということが容易に想像される。ただし、旧中山道だった巣鴨地蔵通りと、普通の下町の商店街だった関口地蔵通りでは初めから規模を比べるのにも無理がある。

L10010742

 で、商店街があるのが文京区関口で、商店街が終わるとそこは新宿区西五軒町、出版販売大手のトーハンがあるのが東五軒町で、その川の反対側がTOPPANホールなので、もはやそこは飯田橋の圏内になってしまいます。

L10010762

 う~ん、本当に文京区って狭い区なんですね。

LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Bunkyo City ©tsunoken

2020年4月 9日 (木)

では、神田はどうなっているんだ

 一昨日、東京・千葉・埼玉・神奈川・大阪府・兵庫県・福岡県の一都一府五県(残念でした、愛知県とか名古屋市は入らなかったんだよね~「名古屋スルー」ってことで……)に「緊急事態宣言」が発令されて「国難状況」の日本であるが、それでも外出するtsunokenである。

 ただし、今日は「大義名分」があるんですね。まあ、それは後ほど……。

L10009862

 しかしまあ、いつもは「まったくウィークデイの真昼間っからよくいるなあ、オタクめらが」なんていうくらい、オタクのみなさんでいっぱいの秋葉原もなんか閑散としていて、歩きづらいというか、歩きやすいというか、なんかなあ。

L10009902

 お昼ごろに神田まで行ってもそれは変わらず、相変わらず閑散とした状況だ。

 丸の内なんかと違って丸の内の大企業の下請け企業とか中小企業が多いはずの神田駅周辺のオフィスなので、普段なら昼食を摂りに来たサラリーマン諸氏で混雑するこの地なんだけれども、もう完全に「死んだ街」になっていますね。

 まあ、それだけ「テレワーク」「在宅勤務」「リモートワーク」っていうのが、中小企業レベルまで降りて来ているのかなあ。

 まあ、「雨が降っても、槍が降っても会社に出ろ!」なんていうブラックな働き方が、新型コロナウイルス騒動をきっかけになくなってくれれば、それはそれで新型コロナウイルスのもたらした良い影響なのかも知れない。何かのきっかけがないと人間なんて変われないものなのだから、この新型コロナウイルスの影響を良い方向に向けて、社会を変えていければいいのだがなあ。

 この騒動が収まったら、また元のブラックな働き方に戻っちゃうんでは意味がない。

L10009922

 で、私が何で神田まで来たのかと言えば、下の写真、つまりいつもの斎藤コーヒー店で、いつものフレンチブレンドを買いに来たんであります。ね、決して「不要不急の外出」ではないでしょ。ちゃんと「食料品を買いに来た」んだから。

L10009942

 しかし、「コーヒーを買いに来る」というのが、「不要不急の外出」にならないのかどうかは、結構、難しい問題だ。

 要は、コーヒーを「必要不可欠な食品」であると考えるのか、あるいは「単なる嗜好品」ととらえるのかという違いなんだけれども、当然それはその属する国とか民族によって違うわけだ。フランス人やイタリア人だったら、コーヒーは「必需品」だけれども、中国人やイギリス人だったら、「そんなもんは無くても、いい!」ってなっちゃうわけですね。う~む、奥が深い問題だなあ(でもないか)。

L10009972

 上の写真は安倍晋三氏の妻で、森永のお嬢さん、安倍昭恵さんが経営する「UZU」というお店です。神田のホテルの裏にあります。「獺祭」などの山口県のお酒がいろいろ置いてあるお店のようです。私は行ったことはありません。

 例の「私的『桜を見る会』」をやって物議をかもしたお店ではないようですがね。

L10010012

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Kanda ©tsunoken

2020年4月 8日 (水)

『死せる街』

 画家エゴン・シーレは妻エディトが大戦前後に流行していたスペイン風邪にかかり、シーレの子供を宿したまま、1918年10月28日に死去。シーレも同じ病に倒れ、彼女を追うように10月31日に亡くなった。まさしく20世紀初頭のパンデミック=スペイン風邪で亡くなったエゴン・シーレにちなんで、21世紀初頭の現在の状況を新型コロナウイルスによるエゴン・シーレの作品『死せる街』で表現することになるとは思わなかった。

Theoldcity『死せる街』©Egon Schiele

 まあ、なんか不気味な絵ではあるけれども、別にこれはスペイン風邪に襲われた街の絵ではない。というか『死せる街』というタイトル自体がエゴン・シーレがつけたものではなくて、多分、後の評論家たちが勝手につけたタイトルらしくて、それはその評者たちがこの絵を見て、更にエゴン・シーレの人生から考えて、勝手につけたタイトルなのだろう。

L10010252

 むしろ現代における『死せる街』とはこんな街なのかというのが、今日の東京の街なのではないかというお話。

 ちょっと用事があって池袋の街に出かけたんだけれども、いつもの雑踏がない池袋っていうのも、なんか不思議な気分である。いつもは混雑していてとにかく歩きにくい池袋という街に対して毒づきながら歩いているんだけれども、逆にこれだけ歩行者の少ない街を見ると、逆に何故か、その寂しさに対して怖くなってくるっていうのも、ちょっと不思議な感覚だ。

L10010142

 その思いは池袋駅の地下通路に行ってみると更に強まる。

 駅の地下通路って、例えば新宿駅や東京駅みたいに、基本的に行き来する人たちは「東から西へ・西から東へ」という基本的に「一次元」(直線=平行)的な動きになるので、人混みで混雑してもさほど苦労はしないでまっすぐに歩けるんだけれども、こと池袋駅の地下通路って、これに輪をかけて「二次元」(平面=十字交差)的な人の動きにになるので、もう全くカオス状態でまっすぐに歩くどころか、慣れていない人だったら、もう自分がどこを目指して歩いているのかが分からなくなってしまうというレベルの問題になってしまっていた。

 その「カオス」の池袋駅地下通路が、もうまったく誰ともぶつからずに歩けるような「広い通路」になってしまっているんですね。

L10010162

 いやあ、普段からは信じられない光景です。

L10010192

 しかし、そうなるとこちらも贅沢なもんで、今まではそんなカオス状態の池袋駅地下通路を憎んでいたものが、今やそんな状態を懐かしがっていて、昨日のような「歩きやすい池袋地下通路」を憎んでいるっていう状態になっている……、なんてね。

 それだけ、今や東京もみな外出を控えているんだなあ。なんて、不要不急の外出をしている人間が、偉そうに言えることではないですがね。

 まあ、同じ六義園でも、お隣のこちら六義公園は同じ都営なんだけれども、普通に開園しているし、子どもたちの元気な声がこだましている。明日からはこちらの六義公園はどうなっちゃうんだろう。都営だし……。

 う~ん、こうなると小さい子たちの元気な声が、我々年寄りにとっては一番の「癒し」だけれどもなあ。

L10010282

 でも、ちょっと少ない。

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Ikebukuro & Hon Komagome ©tsunoken

2020年4月 6日 (月)

文京区の小学校入学式

 結局、「東京ロックダウン」にはならなかったんだけれども、まあ、日本人の順応性から、それぞれの判断で「不要不急の外出」はしなくなるわけで、その辺が「市民革命」が根付いているヨーロッパと違うところなんだろうなあ。まあ、未だに日本人には「お上」っていう意識があるもんなあ

 で昨日の話。

 我が家のベランダから文京区立昭和小学校の校庭が真正面に見える。毎朝、そこから元気な小学生が始業前に飛び回っているのを見るのは、なかなか楽しいものである。それがあるから今のマンション(つまり建て替え前のマンション)を買ったんだだけれども。

 昨日はなんか、朝早くから校庭に椅子を並べたりしているので、てっきり「今日は新入生の入学式か」と思ったんですけれどもね。

Dsc_00012_20200406203901

 昨日の夕刊を読んでみたら各地の小学校の入学式の様子が報道されていて、日経新聞には杉並区の久我山小学校の入学式の様子が写真付きで載っていた。それによれば「会場を体育館から校庭に変更し~国歌や校歌の斉唱はなく~」校長の呼びかけなど約10分で終了というものだった。入学式用に並べられた椅子も、隣との間隔をかなり広く開けた配置になっている。

Dsc_00042_20200406203901

 それからすると文京区はさらに簡素なやりかたで、校庭に間隔をおいて椅子は並んでいたのだが、新入生がそれに座って入学の行事を行うこともなく、なんか奥の方のテーブルで書類を受け取ると、それでおしまいというようなやり方だったようだ。

Dsc_00152_20200406203901

 まあ、荷物置き場として椅子は使っていたようだが、でも、それだったらそんなに間をおいて椅子を並べる必要はなく、やはり何かの行事をやるつもりだったんだけれども、結果としてそれはやらなくなったというような、慌ただしい行事変更があったんだろうな。

Dsc_00222_20200406203901

 まあ、それも今年の小学新入生にとっては、後になっていい思い出にはなることだろう。「私の小学校入学式は新型コロナウイルス騒動でやらなかったんだ」ってな思い出である。

Dsc_00172_20200406204001

 私たちの世代のような「オイルショックによる不況で、大学を出たけれども内定取り消し」なんて悲惨な思い出よりはいいかな。

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f2.8-4 D, AF NIKKOR 80-200mm f2.8 @Hon Komagome ©tsunoken

んじゃあ、荻窪はどうなのよ

 私がアニメーション制作にかかわっていた頃、荻窪っていうのはちょっと(私的に言えば)不思議な立ち位置にいた街だった。

L10009202

 隣の阿佐ヶ谷には、『幻魔大戦』などで知られるマッドハウスとか下請けながらいい仕事をしていたマジックバスという制作会社があって、西荻窪には前期の押井守作品や高橋留美子原作の作品を作っていたスタジオ・ディーンなどがあった。

 勿論、西荻のもうひとつ先の吉祥寺にはあのスタジオ・ジブリや、『王立宇宙軍』のガイナックスなどがあったし、その先の三鷹にはすたじおピエロなんかもあったし、その後には我がアキラ・スタジオなんかもあったんですね。

 そんな状況の中で荻窪だけはアニメ制作スタジオとはあまり縁がなかった街ではあったのだ。まあ、「マジックバスは荻窪だ」っていう人もいるかもしれないが、まあ、それは無視。

L10009012

 私と「荻窪&アニメ」のかかわりで言ってしまうと、まずはここ杉並公会堂ですね。

 OVA「逮捕しちゃうぞ」の第1話のイベントを開催したのが、ここ杉並公会堂だった。実は、それに先立って神戸でもイベントをやって、その時にコミック版「逮捕しちゃうぞ」のキャラである「ストライク男」を演じたのは私だったんだけれども、ここメイン会場の杉並公会堂では、原作者である藤島康介氏に、無理やり「ストライク男」を演じさせたのでありました。まあ、こういうところで拒否しないところが、この人のいいところだろうな。

 もうひとつ言ってしまうと、遡ってあの『アキラ』の音楽録りを行った場所のひとつが杉並公会堂だったのであります。芸能山城組の山城祥二氏に言わせると、ここ杉並公会堂、三軒茶屋の昭和女子大人見記念講堂、文京区本郷の尚美ミュージックカレッジの尚美バリオホールが都内では音響的に一番いいホールだということで、はいはい、ちゃんとその3か所で録音させていただきました。いやあ、本当に金のかかる映画ではありましたね。

 その後、しばらくは荻窪との関係はあまりなかったんだけれども、西武新宿線上井草に本社がある「ガンダム」のサンライズが大友克洋作品の『スチームボーイ』制作のために、ここ荻窪駅前の青梅街道沿いの1階がドコモが入るビルの2階にCGスタジオを作って起動し始めた頃に、再び荻窪通いが始まった。

 もう既に『SF新世紀レンズマン』の時代は既に過ぎ去って、「CG=スパコン」じゃなくて、普通のオフコンやワークステーションでもって、CGスタジオが出来ちゃう時代になっていたのだ(今や、パソコンでもある程度は可)。

L10009112

 K談社は『スチームボーイ』には参加していなかったのだが、『アキラ』(以後)のマーチャンダイジング関連の仕事が沢山あったり、ジブリの宮崎駿氏が主宰する「ツール・ド・信州」なんかにいつのまにか巻き込まれた関連で、結構、このサンライズ荻窪スタジオには結構行ったりして、スタッフとも親しくなったりしていた。

L10009132

 しかしまあ、そんなこちら側の変化とは関係なく、荻窪の町は変わっていないんですね。

 店の裏のゴミ捨て場に捨てられてあった割りばしの数でもって売り上げの誤魔化しがバレちゃって、税金の追徴金を取られてしまったことで知られる春木屋も、いまや普通に営業してるし……

L10009172

 駅前のアーケードを通ってみれば……

L10009182

 喫茶店「邪宗門」はいまだ健在であります。

 しかし、この邪宗門に支店があるなんて、知らなかったなあ。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Ogikubo ©tsunoken

2020年4月 5日 (日)

不要不急の地蔵通り縁日

 小池都知事から「不要不急の外出は避けるように」という指示が出たので、まさしく「不要不急の外出」で巣鴨は地蔵通り商店街へ出かけたのだった。

L10009652

 毎月「4の日」つまり、4日、14日、24日は巣鴨のとげぬき地蔵・高岩寺の縁日で、いろいろ屋台が出たり、出店が出たりして面白いのでよく出かけるのだが、当然「不要不急の外出は控えるように」という都知事の指示に対して、まさしく「おばあちゃんの原宿」たる巣鴨地蔵通商店街はどうなっているんだ、っていう興味からでありました。

L10009392

「おばあちゃん」たちは、多分、都知事の「言いつけ」に対しては前向きに受け入れて、縁日とはいえあまり出てこないのではなかろうか、なんて考えていたんですけれどもね。

L10009352

 まあ、普段の縁日の時のように、まさしく原宿竹下通りもかくやと思わせるような人出はなかったんだけれども、それでもかなりの人出で、まあ、元気なおばあちゃんたちがいっぱいでありました。

L10009402

 まあ、バスや電車に乗って、わざわざ巣鴨に出てこようかというおばあちゃんたちなので、皆、それなりに元気なんだろう。これなら新型コロナウィルスに罹っても重態化することもないだろうと少し安心。でも、少し心配。

L10009442

 巣鴨地蔵通りの縁日というのは、JR巣鴨駅方向がメインエントランスになっているので、入り口からとげぬき地蔵のちょっと先までは、お好み焼きやらイカ焼きやら、焼きそばなんかのよくあるお祭りの屋台みたいなものが多く、お地蔵様から少し奥へ行った、都電荒川線の庚申塚駅が近くなると、古着や骨董品なんかを並べた、世田谷のボロ市とかパリの蚤の市もかくやという、まさしく「市」という感じの出店が多くなる。

L10009592

 まあ、この辺は縁日を仕切るテキヤか何かの人がいるんだろう。あるいは高岩寺自身が仕切っているのだろうか。

 私は、この「ボロ市」的、「蚤の市」的な出店の方が、なんか昔からあるお寺の門前市のような感じがして、お祭りの屋台よりは好きなんですけれどもね。

L10009552

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Sugamo ©tsunoken

2020年4月 4日 (土)

中華そば おはる

 東京メトロ東西線を茅場町で降りて澁澤シティプレイスを出て門前仲町方面へ向かって永代通りを東に進む。

Dsc_00212_20200403202901

 とにかくこの辺、日本橋から東に進んで深川方面はやたら江戸時代に出来た運河が多く、ちょっと行くと橋を渡らなければならない。

Dsc_00032_20200403202901

 まず霊岸橋をわたり、その次に隅田川にかかる永代橋をわたる。

 永代橋を渡ると、そこから先は深川一帯に至り、昔の遺構を記す説明板などが目立ってくる。

「赤穂義士休息の地」「佐久間象山砲術塾跡」「澁澤栄一宅跡」という具合。

Dsc_00102_20200403202901

 で、その澁澤栄一宅跡を永代通りを挟んで反対側にある古びた建物を発見。あっ、まあ「古びた」っていても歴史的建造物っていうわけではなくて、普通の小さな木造家屋のメチャクチャ古い家っていうこと。単に「古くて、壊れそうな」家っていうだけのこと。

Dsc_00232_20200403203501

 大島川西支川にかかる福島橋のたもとにある「中華そば おはる」という店だ。

Dsc_00242_20200403203001

 近づいてみると、洗濯物なんかが干してあったりして、人はいるようなんだが、店「中華そば おはる」はやっているのか、やっていないのか。

Dsc_00262_20200403203001

 店の裏側に回ってみても、う~ん、どんなもんだか分からない。

Dsc_00202_20200403203101

「中華そば」と「おはる」っていう、なんか「名前の乖離」っていうのが気になったんだが、どうも既に閉店してしまっているようなのだ。

 うーん、もうちょっと早く見つけておけばよかったなあ。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Eitai Koto ©tsunoken

2020年4月 3日 (金)

テレワークって、思ったより簡単じゃん! からの……アキダイ!?!

 実はK談社のOB会である「社友会」で、静岡県の浜松市のY書店という大書店とタイアップしたイベントを仕掛けていたんですね。

 で、そのY書店のことをよく知っているtsunokenは、その企画の言い出しっぺの人と、K談社の営業担当者を繋いだ関係から、いつの間にかそのイベントのプロジェクト・メンバーになってしまっていたんです。で、いろいろその打ち合わせをしているうちに、新型コロナウィルスの騒動が起こってしまった。まあ、でも当初はそんなに心配をしないで企画の打ち合わせを進めていたメンバーだったんだけれども、なんか段々怪しい雰囲気になってしまって、世間では「テレワーク」をすすめるような状況になってきて、K談社も基本的にテレワークが当たり前になってきて「会議はやるな」なんてことになってしまった。

L10008782

 う~ん、じゃあ社友会の方はどうするんだってことになったわけなんだけれども、まあ、取り敢えずここのところ頻繁に会って会議をしている「Y書店プロジェクト」もテレワークにしましょうっていう話になった。

「Y書店プロジェクト」の中心メンバーは、現在Y書店の会長職にあるS氏(実はK談社出身)と同期入社の昭和48年(1973年)組の人たち。幸い全員メール環境にあり、お互い「顔を会わせての会議はなし・すべてメールでやりとり」ということで一致し、この3月後半以降は、今流行りの「テレワーク」で仕事をすることになった。

 とまあ、結構、上手く行くもんですね。要は誰かの発言に対するリアクションを「全員返信メール」で意見を提出、それに対して参加者全員がやはり「全員返信メール」で返すという方法。資料は「添付ファイル」でやりとりすればよい。

 まあ、結局イベントは今回は中止、半年ほど先延ばしという結論となったわけなのであるが、なんだ意外とテレワークって簡単じゃん、ってのがやってみた感想。

L10008802

 まあ、考えてみれば、出版社の仕事なんて会社に出てこなければならないのは入稿作業くらいなもので、そのほかの「実質的な仕事」ってのは全部テレワークで済んじゃうんですね。実際、編集者なんて会社にいる間なんてのは、遊んでいるのと同じで、まあ隣の編集者と無駄話をしているのが普通。編集会議・企画会議で自分の企画を通しちゃたら、あとは会社とは関係なく仕事を自分の仕事を進めている。まあ、下手すりゃ入稿作業だって、現在は印刷会社もデジタル入稿でOKなので、会議が終わっちゃったら、あとは勝手に仕事をしてねってなのが出版社の仕事の現実。

 まあ、マンガ関係の原稿以外はね。

 あとは営業担当者との打ち合わせくらいなもんで、それだってテレワークで済まそうと思えば済んじゃう。

L10008822

 まあ、考えてみれば編集会議・企画会議なんてものは、編集長やベテラン編集者の独演会になってしまうのが普通なんで、そんな余計なものが無くなってしまえば、かえって仕事がスムーズに進むってもんだ。

 大体、編集者なんてものは企画のネタを拾ってくるのが本来の仕事。だとしたら、そのネタは編集部の机に座っていても出てこない。取り敢えず『書を捨てよ、町にでよう』っていうのが編集者の基本的な姿勢じゃなければいけない。

 いやあ、良い経験をしたなあ、ってのが感想であります。

 で、チャンチャン、で終わってしまってはなんか中途半端なので、まさしく蛇足の一足。

 練馬区と杉並区で展開している「アキダイ」という食品スーパーがあって、いつもなにか食品事情に変化があると秋葉弘道社長がテレビニュースなんかに出演しているんだが、その本店が練馬は上石神井にあるっていうカミさんの話。私は行ったことがなかったので、どこにあるのか確かめに「不要不急の外出」で行ってきたってこと。

L10008852

 私が上石神井に住んでいたのは、まだ現役のサラリーマンをやっていた頃のこと。毎日、家に帰るのはほとんど深夜っていう感じなので、家の周囲にどんなお店があるのかなんてことは知らない。ところが、カミさんは毎日家にいるわけで、ご近所の状況は良く知っていて、テレビでアキダイや秋葉社長が出てくると、まるで自分が会ったことがあるように話していたんですね。

 で、ここのところアキダイと秋葉社長が、このコロナウィルス禍でもってやたらテレビに出まくっている。じゃあ、そのアキダイって何処にあるんだろう。ってことで、西武新宿線は上石神井で降りて、アキダイを求めて隣の武蔵関方面へと歩いてみたんだが……。

L10008892

 なんだ、アキダイ武蔵関本店って、上石神井で降りて上石神井中央通り商店街をすっかり抜けて、富士見通りも抜けて、西武新宿線のお隣の駅武蔵関駅のすぐそばにあった。カミさんに言わせると「上石神井の駅のそば」だったんだけれども、何だ、上石神井どころか武蔵関じゃんっていうだけの話。

 う~む、主婦の行動範囲って、思ったより広いんだなという感想であります。

 それだけ。

LEICA M-E ELMARIT-M 28mm f2.8 @Kami Shakujii & Sekimachi ©tsunoken

2020年4月 2日 (木)

明大前!

 京王線の明大前駅に久しぶりに降りてみた。

 明大前は昔仕事で付き合っていた女性マンガ集団「CLAMP」が仕事場を置いていた場所で、『魔法騎士レイアース』『カードキャプターさくら』なんかのアニメーション化の企画や制作にからんでいた私も、昔はたまに顔を出していた場所ではある。

L10008232

  そんな感じなので「行けば、どんなところだったのかはすぐに思い出せる」と考えて駅に降り立ったわけなのであるが、なんかどうにも駅前の感覚から始めて、まったく昔の記憶を思い出せないのだ。

 なんなんだろう、この感覚は?

L10008242

 取り敢えず、どうもメインの商店街らしい「明大前 すずらん通り」を進んでみても、何も思い出せない。

L10008252

 確か、住宅街の中に共同の住まいと仕事場があったんじゃなかったろうかと、別の道を進んでみても、以前の想い出は何も残っていないのであった。まあ、確かに20年も前の記憶だ。CLAMPのリーダーの大川七瀬さんだって既に50歳を過ぎた「いいおばちゃん」になっているわけで、下手をすれば街で出会っても分からないかもしれない。

L10008312

 甲州街道がある方と逆の線路際を進んでいると、「笹塚駅~仙川駅間連続立体交差工事」の看板と用地囲いがある。

 そうか、まだまだこの京王線周辺は変化を遂げている最中なんだ。

L10008382

 まあ、明大前駅の周辺自体がどちらかというと住宅街なので、20年という時間の変化の中で、いろいろ変わってしまっている部分が多いんだろう。なおかつ、線路周辺も大分変ったしまうようだしなあ。

 まあ、CLAMPさんももう既にいないかもしれないしね。

L10008392

 やむなく甲州街道を笹塚に向かって進むと、代田橋の駅のそばに玉川上水が外に顔を出している場所があった。

L10008482

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 Matsubara ©tsunoken

2020年4月 1日 (水)

「カメラは耐久消費財」だった時代のおはなし

 四谷三丁目の中古カメラ屋さん「我楽多屋」の二代目のブログで知った本なのだが、結構、面白い。

 問題はあくまでも1974年12月段階での予測だっていうこと。

『将来はキャノン、リコー、松下、富士、小西六だけが生き残り、ニコン、ミノルタ、ペンタックス、オリンパスは下請けになるという衝撃の予測がある』というのがカバーに書かれた惹句なんだけれども、別にこれはエイプリルフールじゃないです。

 う~ん、45年前の大胆な予測ってことなんだけれども……。

Photo_20200317221801 『カメラ戦争残酷物語』(泉豊・著/エール出版社/1974年12月30日刊)©Arrow Camera & Garakutaya

 うーん、面白いなあ。今から45年前の未来予測なんだけれども、カバーに書かれているものの中で、当然、当たっているものもアリ、外れているものもアリ。泉豊という著者がどんな人なのかは調べても分からないのだが、少なくとも写真家ではないことは間違いない。だからこそ「あるメーカーに対する特別な思い入れ」がないので公平な判断が出来るとは思うのだが、それでも、結局、未来予測はできないということの証明でもあり、むしろ、そんな方向から読んでみると面白い。

 じゃあ、上の惹句に挙げられている企業の現状がどうなっているのかを見ると……

☆キヤノンは、カメラ、ビデオをはじめとする映像機器、プリンタ、複写機をはじめとする事務機器、デジタルマルチメディア機器や半導体露光装置(ステッパー)などを製造する大手電気機器メーカー。
☆リコーは、事務機器、光学機器などを製造するメーカーである。2011年10月、HOYAよりPENTAXイメージング・システム事業を買収し、ペンタックスリコーイメージング株式会社を完全子会社として発足させた。ペンタックスのブランドと、デジタル一眼レフ機のKマウント機や645マウント機、ミラーレス一眼カメラのQマウント機などの多マウント展開を活かし、コンシューマー向け製品やサービスの強化に取り組む方針を打ち出した。
☆松下(パナソニック)は、日本の大阪府門真市に拠点を置く電機メーカー。白物家電などのエレクトロニクス分野をはじめ、住宅分野や車載分野などを手がける。ミラーレス一眼などに関してはライカにOEM供給している。
☆小西六(コニカ株式会社)は、かつて存在した日本のカメラ、写真用フィルムメーカー。2003年のミノルタとの合併により、現在はコニカミノルタとなったが、同社は2006年3月をもってカメラ、フィルム関連事業より撤退している。ミノルタ株式会社は、かつて日本に存在したカメラ・複写機を主力とする大手光学機器メーカー。本社は大阪市中央区安土町に存在していた。日本の光学機器メーカーとしてはコニカに次いで2番目に古い歴史を誇るが、現在は、同社との株式交換による経営統合や事業子会社の合併を経て、コニカミノルタとなっている。コニカミノルタ株式会社は、日本の電気機器メーカーである。 かつては子会社のコニカミノルタフォトイメージングを通じて、カメラやデジタルカメラ、フィルムなど写真関連用品も扱っていたが、2006年3月限りで撤退した。コニカミノルタ株式会社は、日本の電気機器メーカーである。 かつては子会社のコニカミノルタフォトイメージングを通じて、カメラやデジタルカメラ、フィルムなど写真関連用品も扱っていたが、2006年3月限りで撤退した。カメラは、旧コニカ、旧ミノルタの歴史を引き継いでいたが、ソニーに引き継がれた。

☆株式会社ニコン(英: Nikon Corporation)は、日本の光学機器メーカー。カメラ、デジタルカメラ、双眼鏡、望遠鏡、顕微鏡、ステッパー、メガネ、測定機、測量機、光学素材、ソフトウェアなど光学関連装置の大手メーカーであり、三菱グループの一員。

☆オリンパス株式会社(英語: Olympus Corporation)は、日本の光学機器・電子機器メーカーである。

 どうだろうか? 「当たっているもの=キャノン、リコー/外れているもの=ニコン、オリンパス」なんだけれども、その中身はどう違うんだろう。

 一番重要なポイントは、泉氏が本書を書いた1974年、今から46年前には予想が出来なかった社会の変化があったっていうことなんですね。それは何か?

 この40~50年間の変化、特にメディア関連で行ってしまえばデジタル革命のおかげで大きな変化があったわけであります。映像関連分野が多分一番大きな変化があったジャンルではないかと思えるのではないか。デジタルカメラの出現と、それのメディア化である。「携帯電話が持つカメラ機能」は、そのままその撮影した映像がメディアとして他のメディアに「普通に」流通してしまう時代になったのだ。

「携帯電話→スマートフォン」へと移行する段階で、それは「単に携帯電話で撮影した静止画を他人に見せる」ためのメディアから、「他人に見せると同時に、自分でも自らの静止画として保存するもの」になったのだ。

 つまり、それまで「カメラ(スチールもムービーも)」というものが持っていた「現実を写実的に留めるもの」「現実を動画でもって再生するもの」という特権的な立場を、すべてのスマホユーザーに解放してしまったということなのである。

 で、今やカメラ(これまでの単機能的スチールカメラ)がどういう立ち位置にいるのかを考えるんだが、私たちのような戦後教育を受けてきた人間にとっては、もうそれは「耐久消費財=実用品」ではないということを、まず最初に自覚することだろう。

 耐久消費財としてのカメラという考えであれば、ひとつにはそのカメラを持っていること自体に意味がある、という考え方がある。まあ、現在ではライカM3がどれほどの市場価値(値段)があるのかは、ある種のライカユーザーにとっては一番の興味の的なんだろうけれども、カメラが耐久消費財ではなくなってしまった以上、それが市場でいくらの値段が付くのかを期待してはいけない。だって、「ライカって何?」という人が今のカメラ人種っていうか写真人種なのである。っていうか「えっ? ライカ? あのピントを合わせなきゃいけない面倒なカメラ」ってなものであります。

 ということなので、実は本書が書かれた45年前とは違って、今や「カメラは耐久消費財」としての特別なメカではなくて、単なる「趣味の存在」であり、結局は「ブランド商品」なのであります。

 まあ、それが上手く行ったのがライカですね。一時はニコンの一眼レフ攻勢に対応しようとしてミノルタと組んだライカはそれに負けた。負けたライカは、最早一眼レフ競争に巻き込まれないために、自らを「ライカというブランド品を作る企業」と定めて、技術開発競争には巻き込まれない姿勢に転じたわけで、そうしたら、やっぱりライカの「ブランド性」は大したもんで、再度「さすがはライカ」という具合に世界は(? あるいは日本は?)動いたわけですね。その一方、ミラーレス一眼はパナソニックからOEM供給を受けているんだから、まあ、ちゃっかりしたもんだ。

 後は、日本の(それはやっぱり)ニコン辺りが「ブランド・ニコン」を出すとしたらどうなんだろうなあ、ってことなんですね。ニコンも、これまでにニコンS3とかSPとかの復刻版を出してみたりして、「昔のニコン」にファンがいることが分かったんだから、今度は『新製品としての「昔のニコンS3/SP/F」』『デジタル・ニコンSP』なんてのが出てくれば、ライカどころか、ロレックス(クォーツウォッチには決して手を出さなかった)に比肩するほどの「ブランド商品」になると思うんだけれどもね。ただし、お値段が百万円超えすることは必至だなあ。

 まあ、「ブランド商品」を作り続けるというのは、「新商品を開発」し続けるというのとは、まったく逆の「ブランドを守る」という、また違った難しい問題があることは分かるんだけれどもね。

 

  『カメラ戦争残酷物語』(泉豊・著/エール出版社/1974年12月30日刊)古本でのみ手に入ります。

« 2020年3月 | トップページ | 2020年5月 »