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2020年3月17日 (火)

大宮二題目「土呂? 登呂?」

 大宮駅東口を出て旧中山道を北へ行く。

 前はそのまままっすぐ旧中山道を北上して宮原まで行ったことがあるんだが、その手前、旧中山道と東武アーバンパークライン、JR宇都宮線のガードが交差する手前で右に曲がると、大宮氷川神社の裏側に出る道になる。

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 少し歩くと氷川神社の裏門の方に出て来て……

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そのまま行くと、大宮公園に至る。

L10001782

 そのまま大宮公園を抜けると……

L10001792_20200315162401

 埼玉県護国神社というのがある。

 大宮氷川神社の裏にもう一つこんな神社があるなんて知らなかった。要は、神社・公園・神社っていう具合の連鎖で神社が並んでいるんだ。

L10001812

 そのまま進んで、東武アーバンパークラインの踏切を渡ると「盆栽町」というところに出る。

「盆栽町」というのは、『1923年(大正12年)の関東大震災で被災した東京小石川周辺の盆栽業者が当時通称「源太郎山」と呼ばれていたこの地に移住して形成された地区である。盆栽業者たちは東京の壊滅を機に、煤煙などで汚染された都心を離れて、盆栽栽培に適した広く、清涼な水・空気のある土地に移ることにした。目をつけたのが関東ローム層の良質な赤土に恵まれた、草深い武蔵野の山林地帯であった北足立郡大宮町・大砂土村の町村境付近(現在のさいたま市北区盆栽町の南東部)であり、土地一帯を購入して、東京の先進都市を参考に街づくりをはじめた。
 近い将来、自動車が普及することを考えて、当時の住宅地としては過剰に広い区画道路を碁盤の目に整備した。道の両側にはさくら、もみじ、かえで、けやきなどの木々が植えられた。また業者と愛好家のための街づくりを趣旨として、移住者に対して、盆栽を十鉢以上保有(たてまえ)、平屋に限る、生垣にする、門戸は開け放つ、などの条件をつけた。当時、何もない場所に民間人が一から町を作り上げた点で、非常に珍しい存在であった。』(Wikipedia)という町。

 なるほど、結構キチンと区画整理されている道の両側に一軒の面積がかなり大きな盆栽農家が並んでいる。

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 盆栽町からはすぐにJR宇都宮線土呂駅なので、そこでJRに乗って帰って来た。土呂は土呂でも登呂じゃない……って、何を言ってるんでしょうか?

 最初に「土呂駅」というのを目にした時に、静岡の「登呂遺跡」を思い出して、こっちの「土呂」にも遺跡なんかがあるのかなあなんて早計をしたんでありますが、まあ、たまたま同じ「とろ」というだけで、もともと関係はなかったんであります。そんな「当たり前」のことにやっと気づいたってわけであります。

 これもまた「変わらない日常」?

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Omiya ©tsunoken

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