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2020年3月

2020年3月31日 (火)

サクラ5態

 いよいよ東京ロックダウンかと思ったら、昨日の新規コロナウィルス感染者は13人と二日間60人を超えたこの土日に比較して、新規感染者が減ったからであるとは思えないのだが、結局ロックダウンの発表はなし。

 まあ、やれやれというところで、昨日に引き続き我が家から行けるお花見スポットの紹介です。といっても、どこもお花見禁止というか、「お控えください」状態ではあるんですけれどね。

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 昨日もお知らせしたとおり、六義園は臨時休園。昨日もそうだったけど、結構、門前まで来てから休園を知る人も多いのだが、普通は家を出る前にそんなことは調べてから来るんじゃないかなとも思うんだけれども、どうなんだろうか。

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 本郷通りを北上して坂を下がってまた上ると旧古河庭園です。

 勿論、ここも都営公園なのでお休みです。六義園とは違って、ここに来るには駒込駅から降りて坂を一回下がってまた上るという面倒な行き方をしなければならないので、あまり人はいない。まあ、東京メトロ南北線の西ヶ原で降りれば近いんだけれどもね。

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 その旧古河庭園の前にあるのが平塚神社です。

 こちらは別に公営の庭園ではなくて神社の境内っていうだけなので、別にお花見禁止ではありません。ただし、『おかしな刑事』『浅見光彦シリーズ』でおなじみ「平塚亭」はやっていないので(というか、しょっちゅう休んでいて、大体いつやっているのかが分からない)、お団子を買って桜見物とはいきません。

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 さらに本郷通りを北上すると、そこは徳川八代将軍吉宗が作った(と言っても、別に吉宗が作ったんではなくて、作ったのは造園家で、吉宗はそれを指示しただけ)飛鳥山公園。

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 飛鳥山公園は北区立なので別に東京都の指示は受けないんだけれども、一応、都に右へ倣えってなもんで、「花見については、お控えください」というソフトな掲示。う~ん、ガムテープで隠されたところに何が書かれているのかが気になるなあ。

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 で、最後は染井霊園です。ここは都営だけれども公園じゃないので、別に花見をしていても叱られそうではありません。

 見事な桜です。でも、お花見をしている人はいません。

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 こんなお墓で? って思う人もいるんだけれども、結構、こんなお墓に囲まれて花見をしている人が例年いるんですよ。

 まあ、あまり天気が良くなかったからなあ。

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Hon Komagome Komagome & Takinogawa ©tsunoken

2020年3月30日 (月)

本郷通りを東大まで歩いて行ったんだが……

 首都ロックダウンかという緊張感に満ちた毎日ですが、そんな緊張感が微塵もないtsunokenは相変わらず不要不急の外出であります。

 と言っても、まあ文京区内の移動なんで許してくださいね。

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 六義園も本日休園になってしまった。が、まあ今年は金曜日までは普段からある茶店はやっていたが、枝垂れ桜の時期にも特別の出店はなかったわけで、まあ、昨日の小池都知事の指示で閉園となったものだ。まあ、都営の公園だからね。

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 とは言うものの、本郷通りには吉祥寺や浄心寺という桜の名所はいくらでもあるので、花見をしたい人には花見場には困らない。

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 不要不急の外出とは言え、別に行く当てもない単なる散歩なので、東大本郷キャンパスまで行って一休み。それで帰りも歩いて帰ってこようかな、なんて考えていたんだが……。

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 なんと東大もコロナウィルスでもって休校。

 学生証なり、なんらかの入構証がないと入れなくなってしまっている。

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 なんともはや……。

 キャンパスで一休みしてから、帰りも歩いて来ようと思ったんだけれども、そんな気もうせてバスで帰ってきてしまった、というテイタラクでございました。

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Hongotori Ave. ©tsunoken

2020年3月29日 (日)

渋谷はるのおがわプレーパーク

 一昨日のつづき。

 小田急線参宮橋駅を出て、代々木八幡方面へ歩いて行くと線路わきに「春の小川 歌碑」というのがある。

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 なんか、ガニマタでカメラを構える怪しいオヤジの姿が写っていますが、気にしないでください。

 隣に渋谷区教育委員会が作った説明板がある。

『春の小川』歌碑
                           代々木五丁目65番
 ここにはかつて清らかな小川が流れ、黄色のかわいらしい”こうほね”が咲いていたので、河骨川(こうほねがわ)と呼ばれていました。春になると、岸辺にはれんげやすみれが咲く、のどかな所でした。
 明治三十二年(一九〇九)から代々木山谷(現代々木三丁目三号)に住んでいた国文学者の高野辰之氏は、このあたりの風景を愛して、しばしばこのほとりを散策していたといわれています。そして、今も歌い続けられている『春の小川』を作詩して、大正元年(一九一二)に発表しました。この詩は、小学唱歌となり、現在に至るまで広く愛唱されています。
 現在、河骨川は暗渠となり、もはや当時のおもかげはありませんが、この詩から明治末ごろの付近の様子を知ることができます。ここにある歌碑は、このことを永く後世に伝えるために、地元の篤志家が建設し、渋谷区に寄贈されたものであります。
                     渋谷区教育委員会』

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 つまり「〽春の小川は、さらさら行くよ」という曲とともに、この河骨川という川が実は、宇田川町あたりにまで暗渠で流れ渋谷駅の辺りで地面に川面を表す渋谷川の上流なのだということがわかる。

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 で、この「春の小川歌碑」の前にあるのが「渋谷はるのおがわプレーパーク」なのであります。

「プレーパーク」(しかしなんで「プレイパーク」じゃなくて「プレーパーク」なんだろう?)っていうのは、文京区の六義園脇の六義公園でもたまに開催しているんだが、こんな常設の公園でプレーパークがあるのは知らなかった。

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 代々木公園側の入り口わきにはこの公園についてのことわり書きがある。

『ここは「自分の責任で自由に遊ぶ」公園です。
 子どもたちが「やってみたい!」を最大限カタチにするチャンスのある遊び場です。
 子どもたちが自由に遊べるためには「事故は自分の責任」という考え方が基本です。
 地域のおとなたちと渋谷区が協力してこのプレーパークをつくっています。
 こわれているところをみつけたり困ったことがあったら、スタッフやプレーリーダーといっしょに考えたり作ったりしましょう!
                   渋谷はるのおがわプレーパーク』

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 渋谷区っていうのは、青山にあったこどもの城なんかもそうだったけれども、結構、子育てにはよい施設がいろいろあった区だったんだけれども、こどもの城はクローズしてしまっただけで、その後の開発はまったく進んでいないようだし、なんか中途半端で「子ども対策」「子育て施策」も立ち消えになってしまったようなのだ。

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 渋谷駅前再開発も現在は大事だとは思うけれども、一方、子育て施策に手を抜いてしまうと将来どうなるのか、そちらの方が気になる。

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LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Yoyogi ©tsunoken

2020年3月28日 (土)

みなとみらいは横浜なんだろうか?

 今日にも小池都知事が東京ロックダウン(都県境封鎖)を発令しそうなので、そのまえに神奈川県に行って来よう、ということで横浜まで行ってきた。う~ん、権力者っていうのは、一生で一度でもいいから、こんな「戒厳令」とか「外出禁止令」とか、いわゆる「強権発動」ってのをやってみたいと考えるのかな。まあ、なんとなくそんな気持ちも分からないではないが。

 私の母親は、2.26事件の時に街を歩いていて、雪に長靴が埋まってしまって難儀をしている時に、兵隊さん(まだ少女の時の母親なので、決起部隊なのか治安部隊なのかは分からない)が引っこ抜いてくれたという思い出を語ってくれたことがあったが、なんかそんな「街の緊張感」を感じさせるのは神田カルチェラタン以来だ。

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 で、なんで横浜なんだ、横須賀だって鎌倉だって小田原だってあるじゃないか、というところなんだけれども、川崎には先週行ったし、だとしたら一番手近なのはどこかといえば横浜なんですね。で、横浜。まあ、理由なんてどうでもいいじゃないですか。

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 ただ、昨日行った「みなとみらい」って横浜なんだけれども、なんか横浜らしいところじゃないですよね。

「みなとみらい」っていうのは、横浜駅周辺と関内・伊勢佐木町という二つに分断された横浜都心部を一体化させる「横浜都心部強化事業」として、1983年に着工された事業の結果出来た街のことである。

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 実はその大半は埋立地で、もともと海だったところだ。まあ、それを言ってしまったら関内だって同じじゃないかといえば、その通りなんだけれども、関内はまだ安政五年(1859)の頃の埋立地なので、当然、私が生まれた時から「あった」わけですね。でも、横浜駅周辺は、私が子どものころには何にもないところだったし、海ももうちょっと近いところにあった記憶がある。

 私が子どもの頃の「横浜」っていうのは、現在の京浜東北線の北側、少し山がちのところのイメージで、横浜駅周辺、桜木町や伊勢佐木町なんかが横浜のイメージだった。実は、その辺りだって昔の「東海道の横浜=神奈川宿」からみればかなり海側というか、実は「海」そのものだった場所もあるんですね。

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 なんかその辺の「作られた街」感が、なんか「みなとみらい」をどこかよそよそしい感じがする街に仕立て上げているのではないだろうか。

「みなとみらい」のパシフィコ横浜や横浜駅に近い方にはタワーマンションが沢山作られて、「みなとみらい」を定住者の街にしようという横浜市の狙いがあるのはわかるんだが……、まあ、難しいだろうな。要は「周辺に雑多な町」がないんですね。もう、買い物は横浜そごうしかないっていう感じで……。まあ、街は雑多がいいんであって、あまりにも整備された街っていうのは魅力がない。

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 はたして、「みなとみらい」が「Tha's Yokohama」となる日は来るんだろうか。

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 まあ、あまり期待はしていませんがね。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Yokohama ©tsunoken

2020年3月27日 (金)

在日ブルガリア共和国大使館

 今日も今日とて、不要不急の外出。

 もう何年前くらいのことだろうか、多分、1990年ころのことだったと思うのだが、フランスはカンヌで開催されていたMIP-COM(秋)かMIP-TV(春のカンヌ映画祭の直前)というテレビ番組の国際見本市があって、当時の講談社国際部と映像セクション(つまり、アニメ番組の海外番販)が毎回参加していた頃の話。

 ある年、私がそれに参加することになって、どうせヨーロッパに行くついでなので、カンヌの帰りにどこか寄ってもよいということになって、ブルガリアの首都ソフィアに行くことにした。何故、ブルガリアだったのかというのは後述。

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 現在はブルガリアもEUに参加しているので、短期の観光目的の滞在にはビザなしで入国出来るんだけれども、当時はまだ事前にビザを取らないと入国できない規則だったので、わざわざブルガリア大使館まビザを申請して、2週間ほどかけて獲得したという経験がある。

 ブルガリア大使館ってどこにあるんだろう? と言うところから始まって行ってきたのが小田急線参宮橋駅。

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 駅を降りて駅前商店街を代々木八幡方向へ進むと……

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 商店街も途切れて住宅街に入ってくる……

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 と、突然閑静な住宅街のど真ん中に在日ブルガリア共和国大使館があった。

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 昔はなんか大きな洋館の屋敷(多分、昔の貴族かなんかの屋敷を接収したんだろう)みたいな雰囲気だったので、普通のビルになってしまった姿に、思わず見落としてしまいになりそうだったんだけれども、確かにブルガリア国旗が掲揚されている建物だったので、そこが在日ブルガリア共和国大使館であることは間違いはなかった。でも入口がどこにあるのかが分からないし、「在日ブルガリア共和国大使館」という表札もない。

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 少し先へ進んで右折し急な坂をエッチラオッチラ上って更に右折すると、そこが一番上の写真「ブルガリア共和国大使館公邸」だった。

 やっぱり大使館そのものは坂の下にあった建物らしい。

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 しかし、なんでブルガリアだったのかというと、その頃、私と組んでいたある映画プロデューサーが五木寛之氏との口約束で「ソフィアの秋」の映画化権を持っていて、その映画化の可能性を探るという理由でソフィアに行こうとしたというわけ。まあ、一種の観光なんだけれどもね。そんなことをしていたってことが、まさしくバブルの反映なんですね。

 で、そのビザっていうのがすごくて、普通のビザなんてイミグレーションでポンとスタンプを押してくれるものだと思っていたら、当時のブルガリアのビザっていうのがすごくて、こんな感じのブルガリア共和国の国章をかたどったシールを大げさにパスポート1ページにドンッと貼ってあったのだ。

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 いやあ、凄いもんだ。当時はそのくらい外国から人が来るってことは、ブルガリアにとっては大事なんだったんだろうなあ。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Yoyogi ©tsunoken

2020年3月26日 (木)

明けてみれば「なべて世はこともなし」ってか?

 一晩明けてみたら「東京オリンピックは1年延期」って、なんなのよ。

「中止だっ!」「いや、2年延期だっ!」なんて大騒ぎしていたものが、なんか1年延期で、訳が分からないトランプ米大統領が「私も賛成」って、お前なんか何の関係もないだろうに!

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 ってことで、不要不急の外出で明治神宮外苑まで出かけた。

 なんか嬉しそうに新国立競技場の前の五輪モニュメントの前で記念撮影している人たちがいた。

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 モニュメントの前には日本オリンピックミュージアムがあるんだが、その前にはヒマネタ用の写真や映像を撮影するために派遣されたカメラマンたちが面白くなさそうに撮影をしていた。そりゃそうですよね、所詮、ヒマネタですもんね。下手をすりゃボツだし、その可能性の高い取材なのである。面白くないよねぇ。

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 約1年の延期となった東京五輪・パラリンピックの追加費用について、大会組織委員会や国際オリンピック委員会(IOC)が現時点で、最大3千億円程度と試算しているらしい。

 まあ、そのくらいの金額だったら東京都の大予算でどうにでもなるし、どうせJOC、IOCとの持ち合いになるんだろうから、たいした出費じゃない。 

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 新国立競技場はもう出来ちゃっているし、草野球の聖地に作ったサブトラックも完成している。まあ、2年後じゃなくて1年後には元の草野球の聖地に戻るんなら、まああまり文句も出ないだろう。

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 なんてことを考えながら、脇のテレビを見ていたら、小池都知事の会見で「今週末は不要不急の外出を控えてください」だって。いやあ「外出禁止令」とか「都県境封鎖」なんてのが出る者と思って期待していたんだが、「なんだ、その程度か」ってなもんですな。今まで言ってきたことと同じ。

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LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Gaien ©tsunoken

2020年3月25日 (水)

高輪ゲートウェイに行ってきた

 3月14日に暫定開業した高輪ゲートウェイ駅に行ってきた。実は本開業は2024年なので、現在はあくまでも暫定開業中であり、だからこそなんか中途半端な感じのオープンではあるのであります。

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 とは言うものの、山手線としては1971年の西日暮里駅以来49年ぶり、京浜東北線としては2000年のさいたま新都心駅以来の新規開業なのであり、まあ「めでたい、めでたい」(?)っていうほどではないか。

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 駅は開業したけれど、駅の周辺の開発はまだまだこれからだ。

 駅と国道15号線の間は取り敢えず線路を外して整地をしたところまでの状態で、これから新しいビルや街路などが出来始めるのだろう。多分、それが2024年。当然、それまでに出来上がって入居が始まるビルなんかもあるので、それに先立って今年、暫定開業をしたっていうところなんだろう。取り敢えず駅舎と駅に着く道路だけが出来ている感じで、まあ、そんな感じなので実際にこの駅で乗降しなければならない客はあまりいない。

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 現在のところ、駅の出口は国道15号線側、都営地下鉄浅草線・京浜急行の泉岳寺駅側だけにあって、反対側の港区芝浦中央公園がある海岸通り側に行く方法はない。つまり、高輪ゲートウェイ駅の海岸側に住んでいる人(結構、マンションなんかも多い)たちは品川駅か田町駅にいくしかないということなのだ。(実は一つだけあって、それは後述する)

 駅の周囲を見てみると、品川寄りの方になんか中途半端な橋が見える。要は、橋の部分はあるんだけれども、そこに上がる階段とかは何にもない。

 もしかすると、この橋が海岸通り側に出る跨線橋になるのかもしれない。

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 駅舎に入ってみると、品川寄りはこんな感じでバリアーが出来ていて、まだこちらは開放する予定はないようだ。つまり、この品川寄りの出口から出て、左に行けば海岸通り、右に出れば国道15号線というふうに、さっきの橋になるんじゃないだろうか。

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 ところで、先に「実は一つだけあって、それは後述する」と書いたのがここで、国道15号線の高輪大木戸あたりを鉄道線路側に入る狭い道があるんだけれども、別名「提灯殺し」、あるいは「行灯殺し」と呼ばれているガード下の道があるのだ。ここを通れば(ちょっと長いけど)反対側に抜けることはできます。

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 何故「提灯殺し」なのか? 実はこのガード、高さが1.5メートル位しかなくて、それを知らずにJRの下を通ろうとしたタクシーが、屋根の上にある提灯(あるいは行灯)を壊してしまうということが沢山あって、今や有名になったガードなのだ。

 まあ、馬場康夫氏が監督をしたホイチョイ・ムービー『メッセンジャー』を見た人は、このネタ知っていると思いますがね。ただし、このガードも4月12日からは車両通行全面停止になってしまうので、運転手さんたち、ご用心。

 要は、まだまだ&もろもろ「暫定開業」で本当の駅開業はあと4年待ってね、っていうことだったのだ。4年後には開業日に来よう。

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 原宿駅にも行ったけど……、まあ、いいや。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 Takanawa & Harajuku ©tsunoken

2020年3月24日 (火)

銀座写真2020.3.22

 なんともタイトルのつけようがないので、単純に「銀座写真2020.3.22」である。

 勿論、新型コロナウィルスの流行で「不要不急の外出」は控えなければならないご時世であるし、もとよりインバウンドの大幅な減少で、休日の銀座を歩く人の姿も少ない。

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 何が「Wellcom 2020」だよ、なんて言ってはいけない。東京都にとってはオリンピックを予定通り開催できるかというのは、経済的にも政治的にもかなり大きな問題なのである。勿論、「大きな問題」であることはあるのだが、じゃあ「死活問題」なのかと言えば、他の都市とは異なって、東京都の経済地盤はそんな脆弱なものではない。東京都は大阪府ではないし、福岡市でも札幌市でもない。

 天下のTOKIOなのだ。

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 でもねえ、こんなに閑散とした「歩行者天国」(この言い方も懐かしいんだが、今でもこの言葉を使っていたことを再認識……、いやあ、再発見だなあ)っていうのも、初めてである。

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 前にも書いたけれども、私の小学生時代の「カメラ生活」の始まりは西新井大師だったんだけれども、大人になって、サラリーマンになって、仕事でカメラが必要になって最初に買ったNIKON ニューFM2を仕事以外で街撮りに持ち出したのが、銀座の歩行者天国で、今から30年くらい前。

 かなり昔に教えてもらった「写真術」ってのが、まったく問題なく使えるっていうのも、その時知った。まあ、「写真術」なんて言っても、実はそんなものはなくて、要は露出と焦点合わせだけなのでありますけれどもね。

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 カメラをデジカメに持ち替えて、東京及び近郊の書店を訪問し、その書店で現在イチオシの本を紹介しながら、講談社関連のWebサイトで書店の宣伝するという企画を通して、始めたのが今から10年くらい前。そこで紹介した書店の何割が現在残っているんだろう。

 写真を撮って、テキトーな文章を載っけて一丁上がりっていう、現在のこのブログの形式のやり方っていうのは、実はこの時に考え出した方法論。まあ、それを飽きもせずに今でも続けているだけっていうことなんですね。

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 そう考えてみると結構私の「写真生活」ってのも長いんだなあ。

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 後期の写真生活の中でも大体月に一度くらいは「銀座写真」を撮りに日曜日に銀座に繰り出していたのであります。

 ってことから考えてみると、本当に珍しい位に人出も少ない銀座なのでありました。

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 大体、ゴロゴロとスーツケースを引きずりながら歩いている人が全然いないもんな。結構、イイ感じで歩けるのであります。

LEICA M-E KONICA M-HEXANON 50mm f2 @Ginza ©tsunoken

2020年3月23日 (月)

『上級国民/下級国民』

「上級国民/下級国民』というタイトルは当然以下のことからなのだ。

『2019年4月、東京・池袋の横断歩道で 87 歳の男性が運転する車が暴走、 31 歳の母親と3歳の娘がはねられて死亡しました。この事件をめぐってネットに飛び交ったのが「上級国民/下級国民」という奇妙な言葉です。 事故を起こしたのは元高級官僚で、退官後も業界団体会長や大手機械メーカーの取締役などを歴任し、2015年には瑞宝重光章を叙勲していました。たまたまその2日後に神戸市営バスにはねられて2人が死亡する事故が起き、運転手が現行犯逮捕されたことから、「池袋の事故を起こした男性が逮捕されないのも、マスコミが”さん”づけで報道しているのも『上級国民』だからにちがいない」「神戸のバス運転手が逮捕されたのは『下級国民』だからだ」との憶測が急速に広まったのです。』

 ただし、本書ではそんな「上級国民」と「下級国民」という分け方を、そんな卑近なジャーナリスティックな例えではなくて、もうちょっと政治経済学的に分けてみようという姿勢なのだ。

Photo_20200217212601『上級国民/下級国民』(橘玲・著/小学館新書/2019年8月1日紙版刊・2019年8月6日電子版刊)

『現代社会では、「エリート」や「セレブ」は「努力して実現する目標」です。「上層階級(アッパークラス)/下層階級(アンダークラス)」は貴族と平民のような前近代の身分制を表わしていましたが、その後、階級(クラス)とは移動できる(下流から「なり上がる」)ものへと変わりました。それに対して「上級国民/下級国民」は、個人の努力がなんの役にも立たない冷酷な自然法則のようなものとしてとらえられているというのです。
 いったん「下級国民」に落ちてしまえば、「下級国民」として老い、死んでいくしかない。幸福な人生を手に入れられるのは「上級国民」だけだ──。
 これが、現代日本社会を生きる多くのひとたちの本音だというのです。』

『なぜ世界じゅうで同じ現象が起きているかというと、私たちが「知識社会化・リベラル化・グローバル化」という巨大な潮流のなかにいるからです。その結果、世界が 総体としては ゆたかになり、ひとびとが 全体としては 幸福になるのとひきかえに、先進国のマジョリティが「上級国民/下級国民」へと分断されていきます。
 これは産業革命(知識革命)によって成立した「近代」が完成へと向かう〝進化〟の不可逆的な過程なので、「立憲主義」を踏みにじる政権を 罵倒 したり、「グローバリズムの陰謀」を唱えて貿易戦争を引き起こしたり、中央銀行がお金を刷りまくったりしても「格差拡大」を止めることはできないでしょう。』

 結局、そんな「知識社会化・リベラル化・グローバル化」という潮流に乗れたのか乗れなかったのかというのが、いわゆる「上級国民/下級国民」の分かれ道という訳なのだ。

 じゃあ、それはどうすれば解決できるのかといえば、その流れ自体は世界中の潮流の中の出来事なので、個人的に努力して「知識社会化・リベラル化・グローバル化」の波に乗るしかないというのが、実は正解でしかないのだろう。でなければ「下級国民」として、「日本人」であるという以外に誇るものがない「日本人アイデンティティ主義者」になって、「嫌韓・反中」の「ネトウヨ」になるしかないということなのだろう。つまりそれは「白人であるという意外に誇るものがない」アメリカのプアホワイトと同じ状況で、メキシコや中南米からの違法入国を防ぐために、国境に高い壁を作れと言っているトランプ支持者と同じレベルってことなんですね。

 まあ、個人的には「セレブ」になるのは無理としても、せめて「エリート」に近い存在になって、「下級国民=ヤンキー」から抜け出すしかないようである。

 勿論、あえて「下級国民=ヤンキー」にとどまって、そこからの革命(上級と下級の逆転)を目指すことも可能ではあるだろうが、問題はそんなことを言いだした元「下級国民=ヤンキー」に対して、本来のそして大半の現実の「下級国民=ヤンキー」は、多分彼らを支持しないだろうということである。そんな上向き思考があれば彼らはいつまでも、自らが「下級国民=ヤンキー」であることを望まないはずなんだ。

 まあ、結局はSNSなどのメディアが上級国民だけの持ち物ではなくて、というかむしろ下級国民のための「愚痴のはけどころ」になってしまっている状況が、そしてそんな「下級国民の愚痴」をマスコミが面白がって取り上げるために、なんかそんな彼らの意見がメジャーな言論であるかのように取り上げられてしまっているという不幸があるんだろう。

 まあ、「脊髄反射」だけはやめようね。

『上級国民/下級国民』(橘玲・著/小学館新書/2019年8月1日紙版刊・2019年8月6日電子版刊)

2020年3月22日 (日)

吉例・桜写真……で、何なんだろう?

 まあ、花の写真にはほとんど興味はないのだが、まあ、時期も時期なので桜写真、ってことで王子から石神井川沿いを歩いた。

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 王子スタートと言えば、当然まずはここ扇屋の卵焼きですよね。

 古典落語「王子の狐」に出てくる料理屋「扇屋」で、人間に騙されちゃった王子神社の狐のお母さんのお話で有名な扇屋の現在の姿はまあ、ビル前の屋台風の店でしかないが、やっぱりここの卵焼きを知っている人は知っている。

 ここで卵焼きを買って、桜見物にいくんでしょうね。行く先は石神井川ばかりではなく、当然、飛鳥山公園もあります。

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 まあ、さすがに石神井川コースには飛鳥山コースみたいにはブルーシートを敷いている「花見=宴会コース」の人はいなくて、途中の階段やら、河辺の段になったところに座って桜見物をしている人が多い。いいですね、これなら上野公園みたいに酔っぱらって喧嘩する人なんかはいません。

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 さて、ここからしばらくは「桜の花写真」です。ご堪能ください……。

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 なあんて言って、それは写真2枚でおしまい。

 石神井川の桜はもっと上流の方まであるんだが、ある事情があって私の桜の旅は、今日はここでおしまい。板橋区に「加賀」という地名を残す「加賀前田家下屋敷跡」加賀公園で桜見物の旅はおしまいなんです。

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 しかし、加賀前田藩って、現在の東大本郷キャンパスが大名が住んでいた上屋敷、配下の侍が住んでいたのが現在六義園である中屋敷、配下の平尾氏および武士が住み、中山道を下ってきた前田藩主が江戸入城に際し一泊して着替えなどを行ったのが、ここ下屋敷、更に深川に米などの食料を備蓄していた蔵前屋敷はあるし、明治に至っても現在の東大駒場キャンパスになった前田侯爵邸なんていうものまで含めると、どれだけの財力を誇っていた大名なんだかわからなくなるほどの大大名なんだなあ。当然、北陸は石川県のみならず富山県や福井県は属領だったわけで、その財力はさすがに徳川家も恐れおののいたらしい。

 まあ、前田家としては、だからと言って徳川に抗って天下を狙うよりも、今の前田家の財力を安定的に維持することの方に注力したという判断をしたんだろう。

 元々、前田利家は自分が天下を取ることよりも、その参謀であることの方に目指すものをもっていたらしいので、それはそれで武士の生き方なんだろうな。

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 トップになって、人の手のひらに乗っかっちゃって踊りまくる人(豊臣秀吉みたいなね)もいるし、その下で手のひらに乗せて「実」を取る人(まあ、それが前田利家とか明智光秀とか石田光成とか)もいる。まあ、天下は取れなくても、その参謀でいることに快感を覚える人もいるんだ。

 まあ、加賀前田家のそんな「深謀遠慮」の姿勢が、現在の金沢の繁栄ぶりに結果としてなっているのであれば、それはそれで「後世に善政を」残した、ってことなのかもしれないなあ。

LEUCA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Ouji & Takinogawa ©tsunoken

2020年3月21日 (土)

越境感覚・川崎潜入記

 大阪府の吉村洋文知事と大阪市の松井一郎市長が、そろって新コロナウィルスを封じ込めるため、大阪府と兵庫県の府県境をシャットダウンして、大阪府と兵庫県の間の人の行き来を止めてしまった。「おおやるな大阪府。国境警備隊ならぬ府県境警備隊を持ってるんだ。スゴイ!」なんて感激しながら、まだ都県境封鎖をされていない、東京都と神奈川県なので、今のうちに行っておかないと行けなくなってしまうだろう、ということで、神奈川県に潜入してきたので、そのルポルタージュをお届けしたい。

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 東京都から神奈川県に至る瞬間。ここから先は前人未到の地だ!

 あっ、いけない! パスポートを持ってこなかった。と思ったんだけれども、パスポートは国が発行するものだから、都県移動では関係ないか。まあ、マイナンバーカードと運転免許証があるので、何とかなるだろうと考え、都県境を越境することに成功!

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 京急川崎駅で大師線に乗り換えて、終点の小島新田駅まで行く。

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 小島新田はもう完全に川崎工業地帯である。昨日が3月20日という休日でなければ、多くの我が労働者たちの姿が見られたことだろう。

 逆を言えば、地縁血縁もないし、怪しいサングラスをしてライカなんかを首から下げて如何にも戦前のソ連スパイ・ゾルゲみたいな、見かけない顔をした私なんか完全に「怪しい奴」ってことで、治安警察に駆け込まれて臨検・逮捕されたところだ。まあ、問題は私がどこからどうみてもロシア人には見えないってことなんだなあ。典型的な日本人。ああ、だからこそ怪しいのか。

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 ただし、この近辺は工場跡地が整備されて「キング スカイフロント」という研究開発拠点になっている。

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 なぜ「キング」なのかというのは単純で、この地の住所が「川崎市川崎区殿町」だからなんだが、じゃあ、なんで「殿町」なんだというのは良く分からない。

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 元々、いすゞ自動車の工場があったところなんだけれども、それが栃木などに移転した後を、研究開発拠点として整備。各社の医薬品などの研究施設が稼働中及び建設中で、これから更に開発が進んで、日本の医薬品の開発の中心になっていく構想であるという。

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 多摩川べりに出るとその先は東京都大田区羽田。羽田空港であるが、現在進んでいるのが羽田空港と、ここ「キング スカイフロント」を結ぶ橋が建造中だ。

 つまり「キング スカイフロント」と羽田空港を直接結んで、研究者たちの移動を助けようという壮大な計画なのだ。そうなると、現在は一棟しかないホテルも増えるんだろうな。

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 そこまで確認したのち、私は小島新田に取って返し、今度はJR東海道線で川崎から東京へ戻った。

 多摩川を無事越えたとき、何故か臨検にも会わず無事戻れたことに安堵した私がいた。思わず、背中には冷や汗が流れた。今日もヤバイ人生だったなあ……?

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Kawasaki Convert from Color to Monochrome ©tsunoken

2020年3月20日 (金)

HARUMI FRAG は大丈夫なのか?

 HARUMI FRAG (ハルミ フラッグ)って何なのか?

 実は、東京都が2020年オリンピック・パラリンピックのための選手村を作って、それらの大会が終了後、分譲あるいは賃貸用のマンションとして販売する計画なのだ。場所は晴海埠頭の客船ターミナルのすぐそば、っていうか晴海の人工島の一番先の部分だ。

 それがねえ、今や東京オリンピック・パラリンピックがどうも2020年から2022年に延期開催ということになりそうな気配が濃厚になってきたので、今ハルミフラッグ近辺がどうなっているのかを見てきた。

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 取り敢えず、晴海客船ターミナルの展望台からハルミフラッグを一望してみる。

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 なにせ晴海埠頭の一番最先端だ。対面にはレインボーブリッジが見えてフジテレビなどのお台場の施設も目の前に見える。

 一方、都心部の湾岸地域なども目の前に見えて、見晴らしはよく、さぞや夜景は奇麗だろうなあという予測を十分させられる。

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 建物は既に完成していて、現在はその付帯施設や公園などを作っている最中で、それらもオリンピックまでには間に合いそうだ。

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 予定では2020年オリンピック・パラリンピックで選手村として使用した後は、数ヶ月かけて住居用にリフォームして2023年3月から入居できる予定であるそうだ。既に2019年から販売を開始しており、どの程度売れているのかは分からないが、いったん東京都が選手村用に用地を獲得して、マンションを作る各デベロッパーに販売するという方法を取っているらしいので、「湾岸地域のマンションとしては」かなり安い金額で販売されているらしい。

 現在、晴海まで行く方法は都バスしかなくて、最寄り駅の都営大江戸線勝どき駅までも歩いて20分ほどかかる状況だが、マンション完成後はBRT(Bus Rapid Transit)などを走らせて新橋駅まで10分位でつなぐ構想らしいので、現在とは異なりかなり都心までのアクセスは良くなるだろう。

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 しかしねえ、オリンピック・パラリンピックが2020年から2022年に変更になってしまうと、当然、選手村としての使用も2年ズレるわけで、ということはこれらのマンションを買う人たちの入居も2025年以降になってしまうわけだ。いまから2023年の入居っていっても結構長期戦だと思うんだけれども、それがさらに2年も伸びてしまうと、それこそ入居する人たちの人生設計にも関わった来てしまう問題だ。特に小学生の子供なんかがいる家庭だと大きな問題だ。

 マンションの頭金は別としても、ローンの返済開始は入居してからなので、まあ、それまでに少しはお金を貯めておくことはできるだろうが、最終返済の時期が延びることも当然あるわけで、それも人生設計にかかわる問題だ。

 選手村の辺りは高層マンションはないのだが、勝どきに近い黎明橋のそばにはいくつかタワーマンションがあって、こちらは既に入居が始まっているようだ。こちらに住んでいる人たちもBRTの運行が2年先になってしまうと、ちょっと計算が狂ってしまうなあ。

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 まあ、そんなことは私の問題ではないので、どうでも良いことなのだが、なんか気になるなあ。

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「Grow with Google」っていうサテライトオフィスの提案なんかがあるところがHARUMIらしい。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Harumi ©tsunoken

2020年3月19日 (木)

不要不急の外出で小日向散歩カメラ

 コロナウイルス蔓延にあたり不要不急の外出は控えてください、なんて言われてその気になってしまっては、私みたいな定年オヤジは家から一歩も出られなくなってしまうじゃないか。

 ということで、今日も今日とて不要不急の用事で出かけるのだ。と言っても、昨日は文京区内のみの移動。茗荷谷駅周辺の文京区小日向近辺であります。

 講談社がある音羽の谷底から北へ登って行った先が目白台で、南に坂を上って行った一番上が小日向台。地名は「小日向」なのだが、まあ丘の上で陽もよく当たった場所なので小日向という地名になったのだろう。江戸以前はその陽当たりのよさから多くは畑地だったらしいのだが、江戸中期から明治に至って武家屋敷や文人などが多く住む町になったらしい。

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 スタートは東京メトロ丸の内線茗荷谷駅から。

 駅前の都バス営業所があった場所は、中央大学が定期借地権を獲得して法学部を持ってくるらしい。工事は今年の6月着工、2023年3月竣工らしいので、3年後の入学式から、ここ中央大学茗荷谷キャンパスで授業が始まるんだな。

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 そんな春日通りから一本裏側の道に入ると、もうそこは閑静な住宅地。ただし、ここ拓殖大学国際教育会館とか少し大きい建物が気になる。この拓殖大学国際教育会館って、戦前は東方文化学院という建物で、戦後は一部が外務省研修所となり、東京大学と外務省が共同運営していたんだけれども、東大がそれを本郷キャンパスに移転したために、売りに出されることになった。ただ、その時、同所に大規模マンションが建設されることに懸念を持った地元住民によって「旧東方文化学院の建物を生かす会」が結成され、保存運動が展開された。当初は東京大学が買い取るように要望をしていたが財政問題などから買い取りを拒否、最終的には至近に本部キャンパスがある拓殖大学が、同会の運動に理解を示したことから、財務省は同建物の保存を条件に払い下げが実施された、というもの。

 まあ、アジアとの関係を大事にする拓殖大学らしい買い物ではあるが。

 そういえば、この小日向辺りにはマンションなんかもあるんだけれども、それもみな三階建てまでの小規模マンションのみである。やっぱり、地元住民の運動の成果なのかなあ。

 で、もう少し行くと鳩山邸(鳩山会館)の裏口に至る。

 正門は谷底の音羽通りにあるのだが、実際に鳩山邸があるのは音羽通りから坂を上がった先。なので、本当はコチラが正門であってもよさそうなものであるが、まあ音羽通りの方が広い道なので、そちらが正門になったんだろう。

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 そこからもうちょっと行くと、パジャマ柄の少し派手目の家があるんだけれども、そこが故十八代目中村勘三郎の家。その前あたりから急な坂を降りると坂の下の水道通りに出る。

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 水道通りの名前は、もともと神田上水があった場所を暗渠にして作った道路だから。比較的真っ直ぐに走っている表側の神田川と違って、コチラの神田上水あと(水道通り)はクネクネ曲がっていて、いかにも川を暗渠にして作った道らしい。

 で、この水道通りの小日向側にはお寺が多くあり、ここ本法寺というお寺は夏目漱石の菩提寺である。写真の左端にあるのがその説明板。

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 そのまま水道通りを進むと国際仏教学大学院大学があるんだが、そここそが十五代将軍徳川慶喜邸跡。

 徳川慶喜は慶應三年(1867)30歳のときに大政奉還をして静岡に蟄居したのち、1897年に巣鴨、1901年に慶喜が生まれ育った小石川後楽園そばの、ここ文京区春日(旧小石川区小日向第六天町)屋敷を作って移転し、46年もの「余生」の後、77歳で1913年に亡くなった。

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 そのまま水道通りを進むと左側に丸の内線が地上に出る辺りに至ると、左側に中央大学後楽園キャンパス(理工学部)がある。

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 というところで、中央大学茗荷谷キャンパスに始まり、後楽園キャンパスに終わるお話は、おしまい。

 いやあ「オチ」がついたなあ。

 よかった、よかった。

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Kohinata ©tsunoken

2020年3月18日 (水)

異常な日常

 昨日は彼岸の入りなので我が菩提寺に墓参に出かけた。

 場所が浅草の今戸なので、帰りは浅草寺に寄って浅草散歩でも、というわけだったんだけれども……。

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 しかしまあ、なんという寂れた様子だ。

 当然、外国人の姿は見られるのだが、大半は欧米人。これまで大量に見られた中国人や韓国人の姿はまったく見られない。ついでに日本人の姿も少なくて、やはりコロナウィルスの関係で全体的に人出も少なくなっているようだ。

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 当然、中国人と韓国人は入国制限がかかっているので、姿が見られないのは当たり前なんだが、これまであんなに大量に来ていたアジア人の姿が見えないのは、まあ、ちょっと異常な感じもしないではない。

 雷門前の人力車夫も、なんか車夫の方が観光客より多くて、お客さんを奪い合っている感じだ。

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 まあ、逆に言っちゃうと、これまであんなに大量に来ていた人たちの姿が見られないのは快哉なのであるが、一方、あまりにも人出が少ないのも、これまた寂しいもんだ。いやまあ、人間なんて勝手なもんですね。

 いやあ、こんな閑散とした浅草仲見世って、もしかすると生まれて初めてかも知れない。

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 ところで、下の写真は我が家のそばの小石川中等教育学校。

 こちらのオリンピックは別にコロナウィルスの影響もなかったようですね。

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 ここのところ「変わらない日常」ってのがテーマだったんだけれども、こんな状況をみてしまうと、やっぱり「異常な日常」ですね。

 やっぱり「日常」は「変わらない」方が安心できる。

LEICA M-E VOGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Asakusa & Hon Komagome ©tsunoken

2020年3月17日 (火)

大宮二題目「土呂? 登呂?」

 大宮駅東口を出て旧中山道を北へ行く。

 前はそのまままっすぐ旧中山道を北上して宮原まで行ったことがあるんだが、その手前、旧中山道と東武アーバンパークライン、JR宇都宮線のガードが交差する手前で右に曲がると、大宮氷川神社の裏側に出る道になる。

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 少し歩くと氷川神社の裏門の方に出て来て……

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そのまま行くと、大宮公園に至る。

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 そのまま大宮公園を抜けると……

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 埼玉県護国神社というのがある。

 大宮氷川神社の裏にもう一つこんな神社があるなんて知らなかった。要は、神社・公園・神社っていう具合の連鎖で神社が並んでいるんだ。

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 そのまま進んで、東武アーバンパークラインの踏切を渡ると「盆栽町」というところに出る。

「盆栽町」というのは、『1923年(大正12年)の関東大震災で被災した東京小石川周辺の盆栽業者が当時通称「源太郎山」と呼ばれていたこの地に移住して形成された地区である。盆栽業者たちは東京の壊滅を機に、煤煙などで汚染された都心を離れて、盆栽栽培に適した広く、清涼な水・空気のある土地に移ることにした。目をつけたのが関東ローム層の良質な赤土に恵まれた、草深い武蔵野の山林地帯であった北足立郡大宮町・大砂土村の町村境付近(現在のさいたま市北区盆栽町の南東部)であり、土地一帯を購入して、東京の先進都市を参考に街づくりをはじめた。
 近い将来、自動車が普及することを考えて、当時の住宅地としては過剰に広い区画道路を碁盤の目に整備した。道の両側にはさくら、もみじ、かえで、けやきなどの木々が植えられた。また業者と愛好家のための街づくりを趣旨として、移住者に対して、盆栽を十鉢以上保有(たてまえ)、平屋に限る、生垣にする、門戸は開け放つ、などの条件をつけた。当時、何もない場所に民間人が一から町を作り上げた点で、非常に珍しい存在であった。』(Wikipedia)という町。

 なるほど、結構キチンと区画整理されている道の両側に一軒の面積がかなり大きな盆栽農家が並んでいる。

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 盆栽町からはすぐにJR宇都宮線土呂駅なので、そこでJRに乗って帰って来た。土呂は土呂でも登呂じゃない……って、何を言ってるんでしょうか?

 最初に「土呂駅」というのを目にした時に、静岡の「登呂遺跡」を思い出して、こっちの「土呂」にも遺跡なんかがあるのかなあなんて早計をしたんでありますが、まあ、たまたま同じ「とろ」というだけで、もともと関係はなかったんであります。そんな「当たり前」のことにやっと気づいたってわけであります。

 これもまた「変わらない日常」?

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Omiya ©tsunoken

2020年3月16日 (月)

OMIYA Painter's LANE

 大宮駅東口を出ると駅前通りと旧中山道の間を結ぶ小さな道がいくつもある。

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 そんな小道を行くと、それぞれ特徴のある飲み屋街なんかになっているんだが、このさくら小路を入って左に曲がると……

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「OMIYA Painter's LANE 大宮画家の小道」というのがあって、(多分)埼玉在住の画家などが自らの作品を展示販売するスペースがある。

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 どういうシステムになっているのか、誰が運営しているのかは分からないし、「毎月開催」っていっても毎月第何日曜日なのかもわからない。まあ、ちょくちょく来ている人たちには分かるんだろう。

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 ホンの短いスペースのなかに何人かの画家の人たちが自分の作品を出品していて、販売もしているようだ。

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 私はたまたま出くわしただけなので、なんの予備知識もないままに出会ってしまったという感じで、ただただ何となく通り過ぎてしまったんだが、ちょっともったいないことをしてしまったなあ。

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LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Omiya ©tsunoken

2020年3月15日 (日)

結局「変わらない日常」って……

 結局、「変わらない日常」ってなんだろうかと考えてばかりいた一週間であった。

 私にとっての「変わらない日常」と塚原達哉氏にとっての「変わらない日常」の違いは何なのか?

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 私にとっての「変わらない日常」というのは、こんな写真で表せられるような、まさしく私が毎日を送っている「日常」でしかない。実はそれは、「私にとっての退屈で堪らない日常」っていう意味なんだ。

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 しかし、1970年の塚原氏は「変わらない日常」を求めてはるばるスペイン、ポルトガル、パキスタンまで足を運んだ。

 多分、そこには「退屈」どころか、むしろ緊張感に溢れる、そんな「変わらない日常」があったのではないだろうか。塚原氏にとっての「変わらない日常」というのは、決して「昨日と同じ毎日=日常」ではなくて、「変化する毎日=それが変わらない日常」だったのではないだろうか。

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 そういうことであれば、私だって毎日生きている東京の街の中で緊張感をもって過ごせる「変わらない日常」を送ることが出来るかもしれない。

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 多分、それは「発見」ということなのかも知れない。

 毎日、毎日、緊張感をもって過ごすことが出来るのであれば、毎日が新しい発見と共にあるわけで、それはそれで緊張感に溢れた「変わらない日常」を送ることが出来るのだ。

 そんな緊張感を持った毎日を……、送れるのかな?

 要は、「最前線と同じ緊張感を持って写真を撮れるのか?」っていう問題なんだけれども…………。

LEICA M-E ELMARIT-M 28mm f2.8 @Sukiyabashi & Hon Komagome ©tsunoken

2020年3月14日 (土)

「変わらない日常」tsunoken版②

 少し前、西五反田のニコン工場跡を見に行った時の「変わらない日常」。

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 大井町駅から光学通りを通ってニコン工場まで行くまでの道すがら。

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 ニコン工場跡から品川区役所前を通って大崎に行くまでの、これまた道すがら。

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 写真に意味はない(と、私は考えている)、意味を付与するのは、結局は添えられたキャプションなのである。

 それは写真で内容を説明する報道写真でも同じで、やはり写真は自ら物語らない。

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 そんな写真は見る人を束縛しない写真だ。見る者はその写真を見ながら自由に、勝手に妄想を始める。それが本来の写真表現に向かい合う「見る者の考え方」じゃないのかな。

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 しかし、やっぱりエプソンR-D1sで21mmというと35mmフルサイズ換算で32mm。なるほどなあ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Oimachi & Hon Komagome ©tsunoken

2020年3月13日 (金)

東京周縁部を往く・練馬土支田

 これまで「東京周縁部を往く」というシリーズ(というほどの物でもないですけれどもね)は、殆ど多摩川や荒川、江戸川などの大きな河川でもって東京と隣県を隔てている場所を取り上げてきたんだが、実は東京都と埼玉県の境目は荒川の一部を除いては黒目川や毛長川などの小さい河川が多く、そのために取り上げてこなかった。

 ということなので、「今回は……」ということで練馬区の土支田までやってきた。

 土支田までは都営大江戸線で光が丘まで乗って、その先は「土支田循環」というバスに乗って「土支田八幡」か「土支田地蔵」で降りれば簡単。

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 取り敢えず土支田地蔵に詣でた後は、「稲荷山 憩いの森」とか「清水山の森」とかいう方向を目指して歩く。

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 清水山とか稲荷山とか言っても、別に周囲より高い山があるわけではない。というよりも高台に存在する練馬の土地から、白子川の流れによって削り取られた河岸段丘が、川から見れば山のように見えるっていうことなんですね。

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 カタクリの群生地である清水山の森の隣が稲荷山 憩いの森で、その隣が土支田八幡神社である。

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 で、そんな段丘の森を作ったのが、この白子川である。

 白子川は練馬区大泉7丁目あたりにある井頭公園から流れを発していて、笹目橋付近の板橋区三園で新河岸川に合流するという川で、多くの場所で東京都と埼玉県の境目を流れている。

 下の写真の右側が練馬土支田で対岸が埼玉県和光市である。

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 ところで、都営大江戸線が開通した当時からスタートした「大江戸線延伸運動」はどうなったんだろう。

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 取り敢えず、光が丘から先は土支田、大泉町、大泉学園町を通ってJR武蔵野線の東所沢につながる路線は決まったらしいのだが、まだいつ頃それが開通するのかは見えていないようだ。取り敢えず大泉学園町までは先行して開通するみたいですがね。これで、これまでバスで大泉学園駅か石神井公園駅、あるいは光が丘まで出るしかなかった土支田あたりの住民は便利にはなるだろう。

 ただし、都営大江戸線の大泉学園町駅は、西武池袋線の大泉学園駅とは全然別の方で、駅からずっと北に行ってバスの終点がある場所のほうらしい。つまり都営大江戸線が他社路線と交わるのは西武池袋線の練馬駅のみということになり、大江戸線の朝晩のラッシュが凄いことになるんだろうな。

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Doshida Nerima ©tsunoken

2020年3月12日 (木)

「変わらない日常」tsunoken版

 新型コロナウィルスによる新型肺炎の蔓延は、もはやパンデミックの様相を呈してきているんだが、そのせいもあるのか、いつもは人出の多さを誇る”おばあちゃんの原宿”もほとんど人影はない。

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 そんな「変わらない日常」なんだが……

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 上の写真から始まる6枚の写真は、「おばあちゃんの原宿」から旧中山道を北上した、庚申塚からJR板橋駅に至る地点の「変わらない日常」の写真なんですね。

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 実はある人の写真のマネです。

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 誰の写真かは言わないですけれども、まあ、「写真機家」としても有名な写真家の写真の真似って言っちゃったら、もはやネタバレですかね。

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 上の写真は明治通り沿いの掘割というところにあった「天国」という名前のパチンコ屋さんです。

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 その裏に回ったら天国につながる階段があったというのが、その某「写真機家」の説なんですがね……、そのお……ちょっと……。

 まあ、いいか。

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 しかし、あまり意味のない「いつもの写真」なので、画像をセピア調にしてみたんだが……、「本当に」全然意味がないことがわかった。

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Sugamo & Takinogawa ©tsunoken

2020年3月11日 (水)

やっぱり、コロナウィルスなのかなあ

 一昨日、ストライプハウスギャラリーに行った後に、まあ、いつものコースで六本木ヒルズ経由で、六本木ミッドタウンまで行った。

 六本木ミッドタウンにはフジフイルムホールディングスが入居していて、その関係で「フジフイルムスクエア」というのがあって、そこでいろいろな写真展をやっているので、たまに行ったりしているのだった。

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 で、言ってみたら……ありゃりゃあ! コロナウィルスの関係でお休みなんだと。

 うーん、別にそんなに人が沢山集まるようなイベントじゃなかったんだけれどもねぇ、所詮、写真展なんてね。

 ストライプハウスなんて私一人しかいなかったしなあ。まあ、コロナウィルスに乗じて経費節減ってのが富士フイルムの狙いなのかな?

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 まあ、そんなわけで「写真展ネタ×二本立て」を狙ったんだけれども、それが叶わなくなってしまったっていうテイタラク。

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 まあしょうがないので、檜町公園をブラブラ歩きながら赤坂見附まで歩こうかななんて考えて、歩き始めたんですが……、真昼間からサングラスに首からライカをブラ下げてフラフラ歩いている男なんて、実に怪しい奴なんですね。特に、檜町公園で遊んでいるお母さんと子供達にとってはね。

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 デザインサイトの「㊙展」もやっぱりコロナウィルスでもって閉館。

 なんかなあ、皆してコロナウィルスを理由にして仕事をサボっているっていう感じなんですね。もう、そんなことやっていて日本経済はどうなっちゃうんだ! なんて言っても、今は届きません。

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 な~んて、赤坂見附まで戻ってきてみれば、一ツ木通りの老舗「金松堂書店」はまだまだ(元気かどうかは知りませんが)営業中。やれやれ。

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 それ以外の赤坂のお店はもうなんだかかんだか分からなくなってしまっています。もう、昔の赤坂じゃない。

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Roppongi & Akasaka ©tsunoken

2020年3月10日 (火)

塚原琢哉写真展・変わらない日常 1970

 六本木のストライプハウスギャラリーから『塚原琢哉写真展 Unchanged Life from 1970 Spain, Portugal, Pakistan (変わらない日常 1970 スペイン,ポルトガル,パキスタン)』の案内状が来た。

 ストライプハウスギャラリーには何度か行ったことがあるが、その「何度か」の中で、どこかで住所を書いたことがあるのかなあ。まあ、でなかったら案内状なんかは来るはずなんかはないんだけれどもね。

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 塚原琢哉氏は1937年の生まれらしいので、浅井慎平氏、立木義浩氏、森山大道氏などと同年代。

 浅井氏や立木氏みたいな若い頃からの華々しい活躍はなかったけれども、その底流に流れている思想は同じものがあるんじゃないだろうか。要は、幼少期に日本の敗戦というものに立ち会った結果としての、リベラリズムと平和主義、そして庶民の生活を最上の物と考える、言ってみれば「庶民主義」。

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『世界には歴史と伝統を守りながら、質素に暮らす民族と庶民が数多くいる。「変わらない日常」が長く続いて、家族や子供達が元気に暮らせることが真の平和だと思うようになった。」

 と写真展の小冊子に書く塚原氏ではあるのだが、つまりそれは権力者に対する庶民の生き方のことである。そんな庶民の生活を求めて塚原氏は1970年にスペイン、ポルトガル、パキスタンへの旅を行ったそうだ。

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 スペイン、ポルトガル、パキスタンという国々の共通点って何だろう?

 実はその三国に共通の文化と言えば、イスラム教なのである。

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 スペインの南端ジブラルタルの対岸はアフリカのイスラム教国モロッコである。コルドバにはイスラムの美しい建築様式のアルハンブラ宮殿もある。日本にキリスト教を布教させたフランシスコ・ザビエルはポルトガルから日本にやってきた。しかし、そのポルトガルにも大学などの教育・研究施設があり、その一つの要素がイスラムであることは間違いはないのかもしれない。

Photo_20200309171601©Takuya Tsukahara

 塚原氏と話が出来た。

 この「変わらない日常」というテーマの一連の写真は1970年、つまりいまから50年前の撮影らしい。当然、その50年の間に大分町は変わってきているだろう。あるいは、そんな時代の変化にもかかわらず、ほとんど変わっていない町もあるんだろう。

 そんな町を切り取ってきた塚原氏のカメラはライカM3、レンズは21mmというので、時代から考えればスーパーアンギュロン21mmだろう。

 21mmというレンズは、手前に大きく人を入れて、その後ろにある背景も同時に捉えられるレンズだというのが塚原氏のレンズ選択の理由。いやあ、実は私も一番使っているレンズが21mmレンズ(スーパーアンギュロンでなないが)なのでなんか意気投合してしまった感じでありました。

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ストライプハウスギャラリー 塚原達哉写真展は3月16日まで開催中。公式サイトはコチラ

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Roppongi ©tsunoken

 「変わらない日常 1970」は本になっていないので、塚原氏の代表作と思われる本を紹介。『60年前の記憶 遥かなる遠山郷』(塚原琢哉・著/信濃毎日新聞/2017年11月15日刊)

2020年3月 9日 (月)

『考えるピント』って何?

「ピント」という言葉はオランダ語の「brandpunt」から来ているそうだ。「brand」というのは「燃える・焦げる」というような意味で、「punt」というのは英語の「point」つまり「点」ということ。まあ、要は「焦点」っていうことで、つまり英語の「フォーカス(focus)」なんだけれども、何故、我が国では昔から「フォーカス」という言葉よりも「ピント」っていう言葉が流通したんだろう。

 機械としての「写真機」はイギリスが発祥の地だし、表現技術としてのカメラはフランスが先に発展していた。でも、何故オランダ語の「ブランドプント(発音はいい加減)」がイギリスのフォーカスより先に我が国に入ってきたんだろう、と考えるんだが、まあ、やっぱり写真術が日本に入ってきた幕末期は、オランダからの通商が当時の江戸幕府では正規ルートだったから、ということになるんだろうなあ。

 いろいろネットを見ていたら、田中長徳氏の『考えるピント』の元ネタが、小林秀雄の『考えるヒント』だということを書いていた人がいるんだが、でも、その2点の本の接点が見当たらないんだよなあ。一方は「単なるクラシックカメラ実用入門」だし、かたや「大上段に構えた『考えるヒント』」だぜ。

 もしかしたら、田中長徳氏にとっての「クラシックカメラ実用入門」というのは、小林秀雄が大げさに考えた「人生の生きる知恵」みたいなもんなのかなあ。

(しばし黙考……)ああ、そうか。両方とも「大きなお世話」ってことなのか、なるほどなあ。納得、納得。

Photo_20200301153601『考えるピント クラシックカメラ実用入門』(田中長徳・著/岩波アクティブ新書/2002年9月5日刊)

 いやいや、実際にはまあそれは岩波書店の編集者のセンスなんだろうなあ。しかし、あまりいいセンスではないなあ。

 多分、田中長徳氏は別に小林秀雄の「考えるヒント」なんて本のことは気にしていなかっただろうし、基本的にはサブタイトルの「クラシックカメラ実用入門」というテーマに沿って文章を書いているのであるわけだ。

 要は、現在のところ各社が競ってスペック競争を行っているデジタルカメラの世界は、とにかく3ヵ月か半年過ぎれば、以前のデジカメは「旧型」となってしまい、途端に以前のモデルが旧型となってしまう「陳腐化」の世界に向かってまっしぐらに進んでいる。それに対して、最早、ニューモデルも出てこなくなってしまったフィルムカメラに関しては、最早、そのカメラはすでに「旧型」に属していて、そのジャンルで「進化」はしないということで、まさしく「クラシックカメラ」というジャンルに属しているんだけれども、でも、そのフィルムカメラで未だに撮影している撮影者たちはいっぱいいて、その人たちにとっては、「デジタルよりアナログのほうがいい!」っていう神話があるって言うことなんですね。

 一方、今の若い人たちはデジタルカメラがカメラ体験の最初だという人が多く、そんな人たちにとっては撮影しても現像するまでは何がどう写っているのか分からないフィルムカメラという存在が新鮮で、いつの間にかフィルムカメラの方にやってきたという人たちがいる。こういう人たちは、「デジタル・カラー撮影→フィルム・カラー撮影→フィルム・モノクロ撮影」という、私たちの世代とは全く逆の方向へとカメラ人生が進んでいるっていうのが面白い。

 あっ、そうか。

 だとすると、この本2002年の刊行なんだけれども、実際には今現在2020年に再び刊行すると面白いかもしれないなあ。つまり、2002年の頃はまだまだフィルムカメラもまだデジタルカメラに伍していた状況だったんだけれども、今やフィルムカメラは一部のアーティスティックなカメラマンやハイ・アマチュアの物になってしまっていて、「お仕事カメラ」は完全にデジタルカメラの世界になってしまっている。

 だからこそ、そんな時代だからこそ、フィルムカメラという存在が面白いのである。

 岩波では既に休刊扱いになっているようなんだが、再刊すれば(岩波じゃなくても、どこの出版社でもいいけれど)、それなりに面白いかもしれないなあ。

『考えるピント クラシックカメラ実用入門』(田中長徳・著/岩波アクティブ新書/2002年9月5日刊)もう古本だけでしか手に入れられないようです。

2020年3月 8日 (日)

ムサコ噺最終章・武蔵小金井・はけの道

「ムサコ三題噺」の最後は武蔵小金井なんだけれども、別に武蔵小金井の人たちは「ムサシコガネイ」を「ムサコ」なんて呼んではいなかった。そりゃそうだよね。別に武蔵小金井の人たちはわが町を「ムサコ」なんて呼んでブランド化することなんかは初めから考えていないし、そんなものはつい最近ブランド化しようとして武蔵小杉の人たちが言い出したことなんだからね。で、同じ多摩川といっても国分寺崖線の上にある武蔵小金井が、武蔵小杉みたいに大雨で下水道が溢れちゃうなんてことはないですもんね。

 でも、その武蔵小金井にも今年の春にはタワーマンションが竣工するようで、そうなるとそのタワーマンションの住民辺りから「ムサシコガネイ」を「ムサコ」って呼びましょう的な動きが出て来そうで、なんか怖いですね。「ムサシコガネイ」は「ムサシコスギ」でもないし、「ムサシコヤマ」でもないんですけれどもねえ。

 で、今出た「国分寺崖線」というものが武蔵小金井あたりにあって、ちょうどその「崖線」の下の道が武蔵小金井駅からすぐ南にいってところにあるので、行ってきた。

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 武蔵小金井駅を南に出て、小金井街道を南下すると前原坂上の交差点を過ぎるとすぐに多摩信金があるので、そこを左に曲がると急な坂を降りて金蔵院というお寺があるので、そこを左に曲がると、国分寺崖線の下の道「はけの道」がある。

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「ハケ」というのは縄文時代に起源をもつ古い言葉であるという説があり、また、アイヌ語のパケ(端を意味する)を語源とする柳田国男説があるらしい。 ハケによって雨水や地下水が隔てられるため、水の多いハケ下では稲作が、水の少ないハケ上では畑作が多く営まれるなど、ハケは生活に大きな影響を与えてきた。 つまり、武蔵小金井の「はけ道」は「ハケ下」の道ということなんだろう。

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 勿論、「はけ道」と言っても、別に特別の道ではなくて、普通に住民が行き交う生活道路なんですけれどもね。

 で、武蔵小金井のはけの道を往くと、「はけの森美術館」というのがあって、そこの前には「はけの小路」という狭い狭い緑道があるんだが……

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 それを抜けると、多摩川の支流である野川に出る。野川というのは多摩川がこの上流の方で南に流れを変えたために、新たに国分寺あたりの湧水を集めて出来た川で、勿論、多摩川の支流のなかでもかなり重要な川ではある。

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 野川沿線に出るとかなり開けた場所に出て、昔はこの辺が田圃だったらしいのだが、現在は武蔵野公園として整備されていて、子どもたちが賑やかな声を響かせている。

 武蔵野公園に出たところに説明板が。

『西之台遺跡B地点
 この遺跡は、国分寺崖線(はけ)の湧水を取り囲む武蔵野段丘上にあり、遊水池の西側をA地点、東側をB地点と呼んでいます。昭和三十年に初めてB地点発掘調査が行われ、旧石器時代(約三万五千年前から一万五千年前)の遺跡であることが分かりました。昭和四十八・四十九年に大規模な調査が行われ、関東ローム層の中から十三層にも及ぶ年代を異にする旧石器時代の生活の跡が発見され、多数の石器や礫群と呼ばれる調理場の跡が見つかりました。
 特に最も深い第X層から出土した石器は、三万年前をさかのぼり、現在のところ武蔵野台地で最も古い時期のものとして注目されています。

 平成十八年三月
    小金井市教育委員会』

 う~ん、この位置から見るとまさしく国分寺崖線のありさまが良く見えるなあ。手前が低地で、突然崖が上がって台地になる、という。

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 野川沿線の公園にはこんなレリーフがあった。

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 説明板がなくなってしまっているので、レリーフの意味は分からないのだが、多分、旧石器時代の狩りのありさまみたいだ。

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Koganei ©tsunoken

2020年3月 7日 (土)

船橋・金杉台団地

 JR、京成電車、東武アーバンパークライン(笑)の船橋駅北口から20分ほど新京成バスに乗ると金杉台団地に着く。

 行く方法は、医療センター経由と、市立体育館・市民プール入口経由の二通り。医療センター経由だと、途中に何もない。

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 金杉台団地って何なんだろう?

 金杉台団地(かなすぎだいだんち)は、千葉県船橋市金杉台にある住宅団地で、1970年(昭和45年)に旧日本住宅公団により造成された大規模な公団住宅である。基本的に分譲団地なんだが、団地の一部を構成する賃貸用建物のみ、独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)が管理する。

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 同じ船橋市とは言っても、海に隣接している船橋の町から、丘の上に上がってきた台地上にあるのが金杉台団地。まあ、船橋の町が津波にあってとしても、ここまでは来ないだろうっていう場所にあるわけですね。でも当然、団地の中は坂道ばっかり。住民は坂道をエッチラオッチラ歩かなければいけない。

 建物は全部5階建てという中層住宅なので、エレベーターなどの設備はなく、住民は今度は階段をこれまたエッチラオッチラ歩いて上がるしかないわけですね。

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 開発されてから既に50年が過ぎている団地なので、最初の頃に入居した人たちはもう既に傘寿(80歳)か卒寿(90歳)っていう位の年齢である。

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 しかしながら、団地のショッピングセンターも、まともに営業しているのはセブンイレブンと郵便局くらいしかない。

 後は、お隣の夏見台か船橋駅近辺までバスで行かないと、ろくな買い物もできないような場所にある。

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 まあ、それでも金杉台団地の住民にしてみれば、東京の高島平団地なんかよりは高台にあるというメリットがあるだけましだ、っていう意識も少しはあるのかもしれない。

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 そういう場所に数十年も暮らしていると、それが当たり前になっているので、さほど苦にはならないのかなあ。

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 それは現在そこに暮らしている人たちの問題なので、別に問題はないんだが、そこで暮らしている人たちが亡くなった後が問題だなあ。

 誰も、その団地の住居を受け継ぐ人はいないだろうし、かといってそこが再販売されるほどに需要があるわけでもなさそうだっていうことなんですね。

 ヘタをすると「不良資産」になってしまうもんなあ。

LEICA M-E VOIGTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Kanasugidai Funabashi ©tsunoken

2020年3月 6日 (金)

文京グリーンコート

 我が家(と言ってもマンションですけれども)の斜め前にあるのが文京グリーンコートという施設であります。

 竣工当時は、映画やテレビドラマのロケでも良く使われていた。

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『旧理化学研究所時代に由来する科研製薬本社のあった土地に建設され、1998年に竣工した。センターオフィス棟には現在も科研製薬の本社、関連会社、労働組合が入居している。
 オフィスビルであるセンターオフィス、オフィス・店舗複合ビルであるイーストウィング、東急スポーツオアシス 、オフィスビルであるウエストウィング、高層住宅であるビュータワー本駒込A棟・B棟、中層住宅であるテラスから構成される。』(Wikipedia)

 というのが、その一般的な説明。

 当然、そこに入居するオフィスとは何の関係もない地域住民である我々はセンターオフィスなんかには入れないので、中の様子がどうなっているのかは分からない。

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 理化学研究所(理研)というのは国の施設で、現在は埼玉県和光市に本拠地が置かれており、その他、全国に研究施設は存在する。

 例の「STAP細胞はありま~す」でお馴染みの小保方晴子さんは、ここ理研の研究員だが、和光市ではなく関西の方の研究所だそうだ。

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 理研は1917年(大正6年)に国の科学研究を推し進めるために出来た組織で、当然、元々は国立だったが、現在は独立行政法人になっている。まあ、何せ国の研究施設なので、生物化学兵器なんかの研究をやっていたというヤバい噂や、1941年には原子力爆弾の研究を始めていたんだが、アメリカの方が一歩速く完成されてしまった、なんて歴史がある。まあ、広島原爆の際の政府発表は「特殊爆弾」なんて表現をしていたんだが、実は政府首脳は「原子爆弾」だったってのは、先刻ご承知だったのだ。

 原子爆弾の理論的には日本側もすでに実証済みだったんだが、実際にそれを実用化するには至らず、アメリカに一歩速く完成させられてしまった、というのが真相だったようだ。

 この原子力爆弾の開発を行っていた理研の仁科研究所の跡が、日本アイソトープ協会として、現在も駒込に残っている。

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 メインは製薬会社からの委託研究なんからしくて、STAP細胞やスーパーコンピュータ「京」なんて最先端の研究はごく一部の分野らしい。

 勿論、トップシークレットの研究は理化学研究所がすべての情報を独占して、国民には「知らしむべし、寄らしむべし」っていう国家方針は変わらないままに現在まで至っているのは、つい最近のコロナウィルス問題でも同じ状況ではあります。

 勿論、その他の普通の研究は、結構、ノンビリ研究が出来ていたいい組織ではあったそうだ。

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LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Bunkyo Green Court ©tsunoken

2020年3月 5日 (木)

元祖「ムサコ」はどうなのよ…って、話

 2月27日のブログで『同じ「ムサコ」というけれど……』で書いた通り、別に「ムサシコヤマ」は以前は「ムサコ」なんて自分たちの町を呼ばないで、普通に「ムサシコヤマ」って呼んでいたんだが、「ムサシコスギ」が自分たちの町を「ムサコ」なんて呼ぶようになったんで、「ムサシコヤマ」も自分たちの町を「ムサコ」って呼ぶようになった。そこで「私がムサコに住んでいると言うと、『あの下水があふれた街でしょ?』と勘違いされることが多いです。テレビで『ムサコ』という名前を聞くたびに、わが街のことを言われているようで……。これまでイメージのいい街だったのに一気に地に落とされました。完全なとばっちりです。」なんて文句を言っている人のことを「田舎者」呼ばわりをしてスミマセン。

 でも、やっぱり以前は「武蔵小山」は「ムサシコヤマ」だし、「ムサコ」なんて呼んでいるていう話は聞いたことがなかった。

 じゃあ、本家本元の「武蔵小杉=ムサコ」は、今、どうなっているんだっていうのを見に行った。

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 まあ、はっきり言って私が持っている「武蔵小杉」のイメージっていうのは、基本的にNECなんかの工場があった場所で、タワーマンションの街っていうイメージはない。

 なので、東横線武蔵小杉駅で降りると、私は基本的には綱島街道側には出ないで、聖マリアンナ医大病院やイトーヨーカドーがある方に出るんですね。昔はこちらが駅の表側だったんだが、今や「駅裏」扱いだもんなあ。

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 しかし、武蔵小杉って言えば、やっぱりこちら側だよね。

 法政二高や法政アメフト部の町なんですね。以前、法政アメフト部トマホークス(今は「オレンジ」)の名前を勝手に使っていた、選手たちにちくわを買わせていた青木監督の整体の店なんかもあったりして、基本的には法政大学や法政二高がブイブイ言わせていた町だったんですね。

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 綱島街道を元住吉の方へ少し歩くと、左側に「川崎平和館」というのがあるんだけれども、それこそ武蔵小杉が工場の街だったっていう証拠で、そのために米軍の空襲に遭い、街が徹底的に壊されたからこそ、戦後、それを繰り返さないことを目的にできた建物なんですよ。

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 いかにも、私鉄沿線とJR南武線っていうローカル電車の駅の街、っていうイメージの武蔵小杉はよかったなあ、なんて気に浸っていても意味はない。

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『あの下水があふれた街でしょ?』っていうイメージもすっかり克服して、普通の街になっている武蔵小杉ではありました。

 でも、タワーマンションのリセールバリューってどうなっちゃうんだろう。

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 しかし、超広角レンズに目が慣れっちゃっているせいか、35mmだとやっぱり「引き」が乏しいなあ。やっぱり28mmか21mmの方がスッキリする。

LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Musashi Kosugi ©tsunoken

2020年3月 4日 (水)

新宿カンバン事情

 まあ、盛り場に行けば、そこはフリの客を呼び込むために店の看板を出しておくことは重要だということが良く分かる。

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 とは言うものの、最近は写真看板というか、手描きじゃなくて店の店員(?)あるいはモデルの写真を使った看板が多くみられるのは、やはり時代の変遷ではある。

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 昔は大きな看板は看板屋さんが手描きで作ったものである。

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 それじゃあ、その店にどんな子がいるのかが分からないじゃないか。フリの客をどうやって呼び込むんだ? っていう疑問には簡単にお答えしよう。

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 店に勤めている子の顔写真を店の入口脇辺りに飾ってあったんですね。

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 それでもって新規のお客さんは自分好みの子がいる店に入っていくっていう訳なんだが……、写真とは似ても似つかない子が出てきたりして、びっくり!

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 でもまあ、そこは我慢してお付き合いするんですね。だって、下手すると奥の方から怖いお兄さんが出てくるかもしれないじゃないですか。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Shinjuku ©tsunoken

2020年3月 3日 (火)

いつもの散歩道から

 前日、ちょっと歩きすぎたんで、今日は近所をちょっとお散歩っていう感じで、本郷通りをブラブラ、東大農学部まで出かけた。

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 ま、そりゃ東大農学部に行けば、最初は上野英三郎先生と忠犬ハチ公像に詣でなければいけないでしょうね。農学部の正門を入ってすぐ左にあります。

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 ブラ ブラ 東大農学部キャンパスに行けば、普通は野球部の球場に行きますよね、えっ? 行かない。

 まあ、そういう人もいるでしょうけれども、我々は別に農学部に感心があるわけでもないので、まあ、野球部か。東京六大学野球リーグはいいよな。最下位になっても、別に「2部降格」なんてものがないのが「東京六大学野球リーグ」、なんせ6チームしかないんだもんね。とにかく、「緊張感」ってものがありません。春のシーズンは5月か。その頃にはコロナウイルス騒動は収まっているだろうか。六大学が無観客試合なんてシャレにもならないからなあ。

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 で、再び本郷通りに出てみれば、今更・訳の分からない「KISS」の看板って、何よ? てなもんですね

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 で、そのまま本郷通りを進むと、東大正門前に至り、そこを右に曲がって、「まんさだ」というフルーツパーラーの前を過ぎれば……

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 木村伊兵衛氏の名作「本郷森川町交番」の撮影場所です。今は消防団の倉庫になっていて、交番はもうないですけれどもね。

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 まさしく「何もない一日」ってなもんですね。

LEICA M-E VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Hongo ©tsunoken

2020年3月 2日 (月)

横浜中華街の異変

 横浜中華街で食事をしようという約束があったので、夕方になって京浜東北線関内駅からいつもの横浜公園を通って中華街まで行った。

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 でも、なんか雰囲気が変なんですね。

 行ったのは土曜日の夕方。普段なら猛烈な人出で歩くのもままならないほどなんだが、いえいえ、この日はまったくそんな状態じゃなくて、普通に悠々歩ける状態。

 えっえ~、こんな中華街初めて見た、ってなもんです。

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 もう、呼び込みの声だけが空しく響き渡っているっていう感じです。

 まあ、勿論その原因は例のコロナウィルスの蔓延という問題なのでしょうね。

 勿論、クルーズ船が泊っている大黒ふ頭と横浜中華街は、同じ横浜といっても、かなり離れているし、そこで罹患した人が中華街に来るっていう訳でもないのだろうが、何かみんな「中国が発生源」→「中国人が沢山いる」→「中華街は危ない」ってな感じで、避けちゃっているのかなあ。

 横浜中華街にいる中国人はほとんどが二世か三世という、実はほとんど日本人ばっかりだし、実は中国語を話せなくなってしまっている中国人が、横浜中華街の中国人の実態なんです。

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 街には春節の飾りなんかが出来ていて、本当はもっともっと人出で賑わっているはずなんだけれどもなあ。

 いつもは基本的に中国人が沢山いる関帝廟なんかも、なんか閑散としています。

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 もう、なんかね「中華街=中国人=コロナウィルス」っていう、超短絡思考だけが走ってしまって、「もう、中国人がいる場所は避ける」ってな感じなんですかね。

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 まあ、半年も過ぎればそんな話は「なかったこと」になっちゃうんでしょうけれども、今はそのことだけで頭がイッパイっていうのが、普通の日本人の感覚なのかなあ。

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 なんか、日本人の思考法も所詮「単純」かつ「浅薄」なんですかね。

 まあそうか、だから安倍晋三「単純・浅薄」内閣がもっちゃったんですね。そうか、理解、理解。

LEICA M-E LEIZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Chinatown Yokohama ©tsunoken

2020年3月 1日 (日)

『営業はいらない』といっても、別に起業ばかりをうたいあげているわけではない

『営業マン受難の時代を証明するかのように、この 20 年の間、営業マンの数は2001年の968万人から、2018年にはついに864万人にまで減少した。これはピーク時に比べて、約100万人の営業マンが消滅したことを意味している。
 営業マンが減少している原因としては、前述したインターネットの普及のほか、流通構造の革新や合理化もその要因の一つとして考えられる。』

『ただ気になるのは、「営業・販売事務従事者」の数が大きく伸びている点だ。この事実を最初に指摘したのは恐らく、統計データ分析家の本川裕氏であるが(プレジデントオンライン 2019年9月9日の記事参照)、調べてみればたしかにその増え幅は実に、56 万人から 70 万人へと 14 万人にものぼる。』

『なぜ営業職全体は減っているのに、営業事務職が増えているのか。それは足で稼ぐ従来型の「外回り型営業マン」の数が減る一方、セールステックと総称される営業支援ツールを駆使する「内勤型営業マン」が増えているためである(詳細は第3章で検討)。
 営業マンは今、間違いなく激動の時代に突入している。』

 というのが三戸氏の最初の指摘なんだが、まあ、考えてみればそれは当たり前の話で、パソコンやインターネットがなかった頃の営業スタイルと、それ以後では異なって当たり前であり、まさしく、それくらいインターネットというものの登場は人類世界に大きな変革をもたらしたんだって言うことが分かる

Photo_20200220091701『営業はいらない』(三戸政和・著/SB新書/2020年2月5日刊)

 理論的帰結として共産主義に至るマルクス主義なんだが、実はマルクス自身は共産主義者でも社会主義者でもなく、ごく普通のブルジョワジーだった。まあ、さほど裕福なブルジョアではなかったけれども。ところが、このマルクス主義経済学が革命も何にも経験せずに、この資本主義社会でもって実現しそうになっている。まあ、コンピュータやインターネットというものが、それだけ革命的だったんだともいえる。つまり、『生産手段の自由(所有)』と『身分的拘束からの自由』である。

『マルクスは『資本論』の中で、1日工場で働く労働者の日給が1万円だったとき、もしその日の労働が生み出した利益が2万円なら、差額の1万円に相当する労働は資本家に搾取されると考えた。
 また、同様にマルクスは、労働者については「〝二重の自由〟を保持しなければ、労働者として搾取され続ける」と言っている。二重の自由とは「生産手段の自由」と「身分的拘束の自由」だ。』

『インターネットを中心としたテクノロジーの進歩によって、今やビジネスを起こすために多額の資金を有する必要はなくなった。』

『今、ビジネスのスタートや生産性向上のために必要なインフラのコストは一気に下がっている。同時にインターネットの急激な広がりによって、手に入らない情報はなくなり、情報はフラット化している。
そして現代社会には、奴隷制度が存在しているわけではないし、「身分的拘束」もない。日本においてもこの数十年で自由な転職が随分と可能になった。自ら社畜であり続ける必然性はまったくない。
 昨今の起業環境の充実や、フリーランスが社会的に受け入れられつつある風潮を考えると、身分的な拘束からは限りなく自由な状態にあると言えるだろう。
 すなわち私たちは、不当な搾取を受けたくなければ、生産手段の自由においても、身分的拘束の自由においても、資本家の支配から逃れることが可能になったのだ。
 しかし、それでも今、多くの人が「自分は自由だ」とは思えないままでいるとしたら、その原因を私は、会社に帰属することによる安心感と引き換えに、多くの人が「戦略立案の自由」を奪われているからだと考えている。』

『あなたが真の自由を手にするためには、「生産手段の自由」と「身分的拘束の自由」を獲得するとともに、第三の自由である「戦略立案の自由」を、自らの手でつかまなければならない。』

 そうなんだ。もう誰しも「誰かの経営する会社」に入社して、「そこの上司の指示によって」面白くもない仕事をする必要はないのだ。ポイントは自ら新しいビジネスを見つける能力と、そのビジネスを実現する開発能力だろう。

 勿論、その仕事のスタートアップ時は小さな商いであるだろう。それを大きく発展させるのか、あるいは身の丈に応じて「小商い」でもって運営させていくのか、それはあなた次第だ。

 今や、もうほとんどマルクスが夢見た「『生産手段の自由(所有)』と『身分的拘束からの自由』」が手に入る時代になったのである。

 もう、面白くもないサラリーマンなんかやめちまえ!

 っていうか、それでもサラリーマンが面白いのは、「自分の身の丈よりもずっと大きい金額を、まるで自分のもののように動かせる」とか「自分一人じゃできないような大きなプロジェクトを、まるで自分が起こしたように実現できる」ってことなんですね。自分が「会社の歯車のひとつだ」と感じた時は、最早、あなたは会社員である必要はない。あなたには「決定権」はない、「支配権」はない、そんな状況を知った時、あなたは会社員を辞めるべきか・続けるべきか、決めるときだろう。

 『営業はいらない』(三戸政和・著/SB新書/2020年2月5日刊)

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