無料ブログはココログ

chotoku.note

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

フォト

« 吾妻橋は東京のカレル橋なのだろうか? | トップページ | 横浜中華街の異変 »

2020年3月 1日 (日)

『営業はいらない』といっても、別に起業ばかりをうたいあげているわけではない

『営業マン受難の時代を証明するかのように、この 20 年の間、営業マンの数は2001年の968万人から、2018年にはついに864万人にまで減少した。これはピーク時に比べて、約100万人の営業マンが消滅したことを意味している。
 営業マンが減少している原因としては、前述したインターネットの普及のほか、流通構造の革新や合理化もその要因の一つとして考えられる。』

『ただ気になるのは、「営業・販売事務従事者」の数が大きく伸びている点だ。この事実を最初に指摘したのは恐らく、統計データ分析家の本川裕氏であるが(プレジデントオンライン 2019年9月9日の記事参照)、調べてみればたしかにその増え幅は実に、56 万人から 70 万人へと 14 万人にものぼる。』

『なぜ営業職全体は減っているのに、営業事務職が増えているのか。それは足で稼ぐ従来型の「外回り型営業マン」の数が減る一方、セールステックと総称される営業支援ツールを駆使する「内勤型営業マン」が増えているためである(詳細は第3章で検討)。
 営業マンは今、間違いなく激動の時代に突入している。』

 というのが三戸氏の最初の指摘なんだが、まあ、考えてみればそれは当たり前の話で、パソコンやインターネットがなかった頃の営業スタイルと、それ以後では異なって当たり前であり、まさしく、それくらいインターネットというものの登場は人類世界に大きな変革をもたらしたんだって言うことが分かる

Photo_20200220091701『営業はいらない』(三戸政和・著/SB新書/2020年2月5日刊)

 理論的帰結として共産主義に至るマルクス主義なんだが、実はマルクス自身は共産主義者でも社会主義者でもなく、ごく普通のブルジョワジーだった。まあ、さほど裕福なブルジョアではなかったけれども。ところが、このマルクス主義経済学が革命も何にも経験せずに、この資本主義社会でもって実現しそうになっている。まあ、コンピュータやインターネットというものが、それだけ革命的だったんだともいえる。つまり、『生産手段の自由(所有)』と『身分的拘束からの自由』である。

『マルクスは『資本論』の中で、1日工場で働く労働者の日給が1万円だったとき、もしその日の労働が生み出した利益が2万円なら、差額の1万円に相当する労働は資本家に搾取されると考えた。
 また、同様にマルクスは、労働者については「〝二重の自由〟を保持しなければ、労働者として搾取され続ける」と言っている。二重の自由とは「生産手段の自由」と「身分的拘束の自由」だ。』

『インターネットを中心としたテクノロジーの進歩によって、今やビジネスを起こすために多額の資金を有する必要はなくなった。』

『今、ビジネスのスタートや生産性向上のために必要なインフラのコストは一気に下がっている。同時にインターネットの急激な広がりによって、手に入らない情報はなくなり、情報はフラット化している。
そして現代社会には、奴隷制度が存在しているわけではないし、「身分的拘束」もない。日本においてもこの数十年で自由な転職が随分と可能になった。自ら社畜であり続ける必然性はまったくない。
 昨今の起業環境の充実や、フリーランスが社会的に受け入れられつつある風潮を考えると、身分的な拘束からは限りなく自由な状態にあると言えるだろう。
 すなわち私たちは、不当な搾取を受けたくなければ、生産手段の自由においても、身分的拘束の自由においても、資本家の支配から逃れることが可能になったのだ。
 しかし、それでも今、多くの人が「自分は自由だ」とは思えないままでいるとしたら、その原因を私は、会社に帰属することによる安心感と引き換えに、多くの人が「戦略立案の自由」を奪われているからだと考えている。』

『あなたが真の自由を手にするためには、「生産手段の自由」と「身分的拘束の自由」を獲得するとともに、第三の自由である「戦略立案の自由」を、自らの手でつかまなければならない。』

 そうなんだ。もう誰しも「誰かの経営する会社」に入社して、「そこの上司の指示によって」面白くもない仕事をする必要はないのだ。ポイントは自ら新しいビジネスを見つける能力と、そのビジネスを実現する開発能力だろう。

 勿論、その仕事のスタートアップ時は小さな商いであるだろう。それを大きく発展させるのか、あるいは身の丈に応じて「小商い」でもって運営させていくのか、それはあなた次第だ。

 今や、もうほとんどマルクスが夢見た「『生産手段の自由(所有)』と『身分的拘束からの自由』」が手に入る時代になったのである。

 もう、面白くもないサラリーマンなんかやめちまえ!

 っていうか、それでもサラリーマンが面白いのは、「自分の身の丈よりもずっと大きい金額を、まるで自分のもののように動かせる」とか「自分一人じゃできないような大きなプロジェクトを、まるで自分が起こしたように実現できる」ってことなんですね。自分が「会社の歯車のひとつだ」と感じた時は、最早、あなたは会社員である必要はない。あなたには「決定権」はない、「支配権」はない、そんな状況を知った時、あなたは会社員を辞めるべきか・続けるべきか、決めるときだろう。

 『営業はいらない』(三戸政和・著/SB新書/2020年2月5日刊)

« 吾妻橋は東京のカレル橋なのだろうか? | トップページ | 横浜中華街の異変 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 吾妻橋は東京のカレル橋なのだろうか? | トップページ | 横浜中華街の異変 »