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2020年2月 5日 (水)

『まばゆい残像』金子光晴の残像を追って……

『そんなさなかに長崎・上海間の定期船復活のニュースを知った。早速、同じく旅が好きなライターの友人にこのことを話した。友人が当時連載していた週刊誌で記事にしてもらいたかったからだ。そして取り付けることに成功し、友人と長崎から上海へ向かうことになったのだ。
 私たちが乗った定期船は、正確には貨物船におまけのように数室だけ客室がついただけの貨客船だった。朝のうちに長崎の港を出て船は一昼夜海上を進み、翌日の夕方上海に着いた。船内の水道の蛇口からの水は錆色に濁っていた。驚いて船員に訊ねると、
「日本では水は高くて買えない。上海で積んだ水だ」
 という答えが返ってきた。
 私は長いあいだ甲板に出て海を見ていた。帰国するための数人の中国人も同じように甲板に出て遠くを見つめていた。彼らの多くは双眼鏡を持っていて、じっと遠くを見つめていた。真剣に見続けるものなど、どこにも存在しないはずなのに。』

『まばゆい残像』の上海に旅立つ部分の記述である。

Photo_20200124103401『まばゆい残像 そこに金子光晴がいた』(小林紀晴・著/産業編集センター/2019年11月27日刊)

 一方、小林紀晴の処女作『ASIAN JAPANESE』の書き出しは以下の通り。

『僕は長崎から上海へ向けて船に乗った。この六月に就航したばかりの貨客船の、その日の乗客は気抜けするほど少なく、一〇人ほどの日本人と二〇人ほどの中国人だけだった。
 日本人は、夏休みの最後に旅行に出た大学生や、中国語を操る中年男性など。中年男性は就学ビザが欲しいだけのために留学すると言った。そして数人のバックパッカーたち。
 中国人のほとんどは日本に働きに来て、その里帰りだった。みな大きな荷物を抱えている。いつでも甲板で、水平線の彼方を見ている姿があった。何故か、みな双眼鏡を持っていて、それは一刻でも早く故郷を見たい気持ちに映った。数年ぶりに帰るという若い女性は、幼い男の子を連れていた。その子は日本語しか喋れなかった。 
 僕はいつか上海に行きたいとずっと思っていた。それはずっと抱いていた憧れであり、シャンハイという言葉の響きであり、そして何より三年前、「あの旅」で出会った人の多くが、この地を異国での始まりの地としていたから、僕は上海を目指した。どんな街から彼らは旅を始め、何故西を目指したかを感じたかったのだ。』

 私が気になる写真家、小林紀晴の処女三部作、アジアで出会った日本人のバックパッカーに取材した『ASIAN JAPANESE』三部作は、まさしく金子光晴の旅を辿る路であったのか。

 う~ん、そうだったのか。

 でも、金子光晴と小林紀晴の、それぞれの旅の理由は異なる。

 金子光晴の旅の理由は妻の三千代の不倫という問題があり、その妻と恋人とのほとぼりを覚ますための、ちょっと残念な理由の旅であった。一方、小林紀晴の旅の理由は、新聞社のスタッフカメラマンをしている自分の存在に、たまらない退屈と、倦怠を覚えたからである。そのころ手に取った金子光晴の本『マレー蘭印紀行』に影響を受けて、「アジアだ」ということになり、数年を経て、その金子光晴の旅を追うようにして上海へ渡ったのが、小林紀晴のアジアへの旅のスタートだった。

 同じことと言えば、金子光晴は初めからフリーの身であり、小林紀晴は、やはり勤めていた新聞社を辞めて、フリーになってからの旅である。やはり自由な旅、しかしそれはその自由以上に不自由も抱えているんだけれども、そんな自由な旅ができるのは、フリーという身になってみないと経験できないものなのだろう。

 私もそんな「あてどもない旅」というものには憧れを持っていたのだが、結局、定年までサラリーマンを勤め上げることとなり、その中では「あてどもない旅」というものは経験しようがなかった。常に「帰ってくることが前提の旅」でしかなかったのだ。

 定年を迎えて、それこそ「あてどもない旅」をすることは可能になったんだが、いまだ、そのような旅をしたことはない。最近はバンや、それを改造したキャンピングカーなどで、一年中、どこかを彷徨って生きている人がいるらしい。それもいいなあ、と憧れを抱いているのも事実だが、しかし、そのような旅を送る気持ちにはなれないでいる。まあ、結局「帰ってくる場所を決めておかないとできない旅」っていう、情けない度に終始しているのが私の旅なんだよなあ。

 まあ、小林氏はその旅の結果『ASIAN JAPANESE』という傑作をモノにし、フリーのフォトジャーナリストとして基盤を作り上げ、現在に至っているのであり、それはそれで凄いことなのであります。

 う~ん、羨ましいなあ。

 結局、そんな重要なワンステップを踏むことなく終わってしまった、私の人生だ。

 まあ、それがサラリーマンのつらさというか、そんな風に、永年勤めていると、そうなってしまうんだろうなあ。

 『まばゆい残像 そこに金子光晴がいた』(小林紀晴・著/産業編集センター/2019年11月27日刊)

こちらもどうぞ。『ASIAN JAPANESE①②③』(小林紀晴・著/新潮文庫)

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