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2020年2月

2020年2月29日 (土)

吾妻橋は東京のカレル橋なのだろうか?

 私はまだ行ったことはないのだが、プラハには有名なカレル橋というのがあるそうだ。

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 カレル橋といのはヴルタヴァ川という川に架かっている橋なんだが、このヴルタヴァ川というのはチェコ語で、ドイツ語読みをするとモルダウ川という有名な川である。『ボヘミア盆地の水を集めプラハを通って南から北に流れ、エルツ山脈とズデーテン山脈に切れ目を通り、北ドイツ平原に流れ出てラベ川(エルベ川)に合流する。 さらに、ドレスデン、マグデブルク、ハンブルクなどの都市を潤して北海に抜ける。また、南に遡って、ボヘミヤの森をこえるとドナウ川に至り、黒海にそそぐ』(Wikipedia)という壮大な川である。

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 カレル橋はそのヴルタヴァ川に架かる橋の中で一番有名な橋で、チェコ一番の繁華街=観光スポットになっているらしい。昼間の橋の上には多くの露店が並ぶ。また、大道芸、見世物、ジャズ演奏なども行なわれる。夜は近くのプラハ城などがライトアップされて、橋の上からの眺めが良いというので、これまた人気の観光スポットになっている。

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 なぜそんなに有名な橋なのかというと、ヴルタヴァ川という壮大な川の中心点で、故にそこにチェコという国の首都が出来たから、ということのようだ。まあ、中世の話です。

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 中世の頃の都市と地方の運輸の基本は船だった。

 普通の日常の荷物は動物(馬、牛など)による荷車などの陸運だが、大きな荷物、大量の荷物などは船によって運ばれていた。

 江戸の浅草もそんな船による輸送の中心地だった。浅草からほど近い深川という場所はまさしくその中心地で、隅田川の河口にあるその地は、遠くは西の方からの農産物・海産物などの海運の上陸地であり、江戸城を作るための石が東伊豆から運ばれて来たり、蝦夷や東北地方からも珍しい文物がこの江戸まで送られ、隅田川を通って築地川、日本橋川、神田川などで江戸の町の中に運ばれていた。

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 江戸城まではちょっと距離はあるし、露店や大道芸、見世物、ジャズ演奏なんてものはないが、すぐそばには観音様という東京随一の観光スポットがある吾妻橋は、まあ、言ってみれば「東京のカレル橋」といってもいいのではないだろうか。(って、勝手に解釈)

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 まあ、そんなこと言っちゃうと、「じゃあセーヌ川のノートルダム橋はどうなんだ、テームズ川のロンドン橋はどうなんだ、って言うことになってしまうだろうし、「日本はチェコみたいなマイナーな国じゃないぞ」っていう国粋主義的な言い方もあるのでそれは無視。ってことで、それ以上は言及しませんけれどもね。

 まあ、まだ見ぬ「カレル橋」のことを勝手に身近な橋で遠望するってのもいいじゃないですか。

LEICA M-E VOIGTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 ©tsunoken

2020年2月28日 (金)

定点観測という訳でもないけれども

 たまたま家の前が六義園正門なので、カメラを持って家を出るときは、なんとなく習慣で六義園正門を撮影している。

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 それと同じような感じで毎日撮影しているのがこのカット。

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 最初は、もうオンボロになってしまった建物で、おまけに駅に近い物件なので、いずれ近いうちに解体されるだろうと思って、その時の「備忘録」的な感じで撮影を始めたんだけれども……。

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 裏側に回ってみるとこんな感じ。1階は店舗になっていて、2階はアパートみたいなんだけれども、最早アパート部分は入居者もいない状態で、入居者募集もないし、物件のオーナーとしては、最早、解体をまっているだけという感じなのだ。

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 表側に回ってみても、営業しているのはこの2軒だけ。いずれも小さな飲み屋で、しかし、あまり流行ってはいない感じの店があるだけ。

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 周囲は鉄筋コンクリートのマンションが建っていて、木造モルタルの建物の裏側も既に上の建物は解体されて無くなっていて、取り敢えず駐車場にしているっていう感じ。最後に残ったこの建物も、最早、時間の問題……、と思っているんだけれども、まだまだ「どっこい、残っているぞ」って感じでいるのは何故だろう?

 なんか「意地」を感じさせる建物であると同時に、最早、半分「廃墟」ってな感じの建物ではある。この飲み屋にいって、「解体話し」をネタに飲むのもありなんだけれども、なんかそれもちょっとコワいって感じもあるなあ。

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 もう追っかけるのは飽きました。

「定点観測」なんていうのは、やっぱり「無駄」なんだってことを感じさせる存在ではありました。

LEICA M-E ELIMARIT-M 28mm f2.8 @Komagome ©tsunoken

2020年2月27日 (木)

同じ「ムサコ」というけれど……

「ムサコ」というと普通は川崎市中原区小杉町あたりのことを指して、JR及び東急東横線の駅名が「武蔵小杉(ムサシコスギ)」なので「ムサコ」と呼んでいるんだが、同じような名前の場所が、同じ東急目黒線の「武蔵小山(ムサシコヤマ)」にもあって、どうも武蔵小山の住民が迷惑を被っているという話を聞いた。

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「私がムサコに住んでいると言うと、『あの下水があふれた街でしょ?』と勘違いされることが多いです。テレビで『ムサコ』という名前を聞くたびに、わが街のことを言われているようで……。これまでイメージのいい街だったのに一気に地に落とされました。完全なとばっちりです。」(「プレジデント」)。 

 なんて文句を言っている人がいるそうだ。

 でもなあ、以前から武蔵小山の住人が「私が住んでいる場所はムサコ」なんて言っているのは聞いたことがない。「ムサシコヤマ」っていうのは聞いたことはあるけれども「ムサコ」はないもんなあ。多分、「ムサコ=ムサシコヤマ」の人は比較的最近武蔵小山に引っ越してきたんだろう。で、自分の住んでいるところを「ムサコ」なんて呼んで、あの「ムサコ」みたいな感じのハイソな街というイメージに、武蔵小山をしたがっていたんだろうけれども、実は、以前からの武蔵小山の住民は、そんなことはまったく気にしていなかったのであります。別に武蔵小山はは住みやすい下町っていうだけで、別に「ハイソな街」じゃないもんなあ。

 まあ、武蔵小杉が「ハイソな街」って言うこと自体も大間違いで、以前はNECなどの工場地帯を再開発しただけだったんですけれどもね。

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 だいたい多摩川沿いのゼロメートル地帯みたいな武蔵小杉と、品川区の高台にある武蔵小山を同一視するってところで、その人がいかに「田舎者」かってことなのである。

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 とはいうものの、その武蔵小山もそれこそ武蔵小杉と同じような運命に向かって、今やつき進んでいるというのである。

 一番上の写真、「パークシティ武蔵小山ザ・タワー」というタワーマンションと、その低層階にあるショッピング・モール「ザ・モール」がそれ。

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 こんな「昭和 喫茶 ロマンス」なんて、ウィンドウに石原裕次郎なんかのスチールを飾っている、古式ゆかしい喫茶店とか、古くからある商店街には欠かせない焼き鳥屋さんなんかが、まだまだ残っているのが、もともと武蔵小山を特徴づくっている、いわゆる「昔からの商店街」模様。まあ、最近は地元資本のお店よりは全国資本の店が増えているような気がして、ちょっとそれが気になりますが。

 で、実は、タワーマンションやらショッピング・モールがある場所っていうのが、実は武蔵小山商店街の入り口わきというか商店街裏の飲み屋街だったんですね。

 結構、昼間っからやっている飲み屋さんなんかが多くて、でも、商店街からはちょっと裏手で隠れていて、商店街に来る奥様方と、昼間っから飲み屋に屯しているオヤジとはうまく隔てられていた。まあ、いろんな意味でそれぞれが住みやすい街ではあったのだ。

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 ところが、そんな飲み屋街はツブされてしまい、その地にタワーマンションやショッピング・モールは出来てしまうし、上記のパークシティ武蔵小山ザ・タワー以外にも、現在、いくつかのタワマンも建設中。

 そうなると、「台風で水浸し、電源停止」ということでは、まあありえないけれども、今、武蔵小杉で問題となっている「痛勤ラッシュ」っていう問題が武蔵小山でも起きてくるだろうということなのだ。

 武蔵小杉は現在JR横浜線、横須賀線(湘南新宿ライン)、東急東横線の三駅があるんだが、横須賀線と東急東横線のラッシュ状況がただ事じゃなくて、電車に乗れれば都心には近いんだけれども、問題は、「電車に乗るまで」で、それがものすごく時間がかかってしまうということなのだ。おなじことが武蔵小山でも起こるかも知れないっていうことですね。特に、ここは東急目黒線しかないから、取り敢えず目黒に行くまではこの路線しかないのだ。

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 その辺を、地元の人たちは「ムサコの呪い」というそうだ。

 まあ、でも同じムサコでも「武蔵小金井(ムサシコガネイ)」は、はじめから関係ないぞ。

 っていうか、やっぱり武蔵小山の人たちは、自分たちの町を「ムサコ」なんて呼んでなかったと思うんだけれどもなあ。

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Musashi Koyama ©tsunoken

2020年2月26日 (水)

確定申告を提出したんだが

 確定申告の書類を書いていたら、最後の方で「提出先は台東区池之端1丁目2番22号 上野合同庁舎 東京上野税務署内 税務署事務処理センター へ」という記述があったんで、「あれっ? 我が家の所轄税務署は本郷税務署のはずなんだけれどもなあ」なんて思ったんだが、まあ、お上に逆らって、後でイジワルされたらたまったもんじゃない、なんて考えて本郷ならぬ池之端まで提出に行ってきた。

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 いつもなら白山通りを歩いて行って、本郷追分の少し手前の本郷税務署に行くんだけれども、初めて池之端の上野税務署まで申告書の提出に行った。白山通りならそんなに誘惑のある道ではないのだけれども、上野はねえ、もう誘惑いっぱいなのであります。

 あ、「誘惑」って言ったって、別にソチラの方じゃなくて、写真関係なんですけれどもね。

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 取り敢えず提出をして、その後で「昨年までは本郷税務署に確定申告を提出していたんだけれども」と言ったら、なんとまあその返事が「いや、ここまで書類をちゃんと書いてあるんだったら本郷税務署でも受け付けます」だって!

 つまり、確定申告の提出って、申告書の書き方が分からない人が沢山いて、そんな人は上野に来てください、ってことだったらしいのだ。こちらは領収書関係はちゃんと保管しており、申告書も国税庁のプログラムに従ってパソコンで作っているので間違いようはないのだから、そんな人は最寄りの税務署で手続きができますってことらしい。

 なんだ、そんなことなら初めからそう書いていなければおかしいはず。なんで電車賃を払ってまで、わざわざ上野に行かなきゃならんのだ! って怒っても、ねえ、後から税務署にイジワルされてもなあ……、と、数年前に練馬の税務署にイジワルされた記憶があるので、それがよぎってスゴスゴと引き下がらざるを得なかった。

 (´Д⊂グスン

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 ってことで、腹立ち半分、ホッとした半分でもって、歩みは日本橋方向へ向かいます。

 日本橋に何があるのか? って、まあ、ちょっと気になるものがあって行くんですが、上野から日本橋なら中央通りを行けば、まあ、ちょっと距離はあるけど、当然、歩ける距離なんで、まあ、歩いて行ったわけです。

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 中央通りは末広町辺りからはご存知「アキバ」のオタク通りと化します。

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 まあ、オタクの人たちとはなるべく接触しないようにして歩くんだが、しかしまあ、中国人や韓国人オタクが日本に来ないって言っても、欧米人オタクは相変わらず秋葉原には来るわけで、連中が道のそこここで屯しているのを避けながら歩くのも面倒くさい。

 で、秋葉原、神田を過ぎて日本橋にたどり着くんだけれども、そこで何を求めたのか?

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 それは今のところ「秘密」です。

LEICA M-E ELMARIT-M 28mm f2.8 @Ueno & Kanda ©tsunoken

2020年2月25日 (火)

ダメはダメでも、ネタにはなるという話

 Googlemapを何の気なしに見ていたら、秋葉原駅のそばに不思議な名前の会社があった。

 題して「時間株式会社」。

Photo_20200221165501©Google

 ネットで「時間株式会社」で検索してもこんなロゴが出ているだけ。あとはなんか訳の分からないお笑いグループが出てくるYou Tubeにつながるだけ。

 ロゴとお笑いグループの関係性も良く分からない。

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 これは何だろうと思い、早速、秋葉原駅まで行った。

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 秋葉原駅を出て昭和通りを越え、総武線の南側を行くとホテルニュータウン秋葉原というのがある。

 そのちょっと先にショットバー・ラグーンというのがあるので、そこを右に曲がるとあるはずなんだけれどもなあ。

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 どうも、その辺りを歩き回っても「時間株式会社」なんてものは見当たらない。

 結構、周囲をいろいろ歩いてみたんだが、やっぱり見つけれらないのだ。勿論、貸しビルの中に入っているということの方が可能性はある、と考えて、色々なビルの入口まで行って、そのビルにどんな名前の会社が入っているのかをビル入口のプレートやら、入り口わきの郵便ポストなんかを見て回ったのだけれども……、でも、見当たらない。

 結局、それらしい「場所」に戻った来たんだが……、それが下の写真。

 三つ入口が並んでいるんだけれども、一番奥は「房丸」という飲み屋さんみたいなので外して、手前の二軒の入口に少し張っていたんだが、殆ど人の出入りはないし、かなりの時間待ってはいたんだけれども、結局、人の出入りはないので、確認はあきらめた。

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 っていうだけの、結局はオチもなんにもないっていうハナシ。

 でもまあ、それだけでもブログの一本ぐらいは書けちゃうっていう、実に情けない一本ではありました。

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 もし、どなたか「時間株式会社」について詳しい方がいたら、教えてください。

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Akihabara ©tsunoken

2020年2月24日 (月)

「名もなき家事」

「名もなき家事」って、一体何なんだ?

『家事は決して目立つ行為ではありません。
 そのため、やっている本人も「やって当たり前」と思い、
家族も「やってもらって当たり前」と思うようになってしまいます。
 本当は家事をがんばることは
 とても大変で当たり前なことではないのに……。
 本書で実現したいのが、なもなき家事の「見える化」です。』(「はじめに」から)

Photo_20200212195501『やってもやっても終わらない名もなき家事に名前をつけたらその多さに驚いた。 』(梅田悟司・著/サンマーク出版/2019年9月20日刊)

 ということで、「見える化」した「名もなき家事」は以下の通り。


リ・ポジションニング/タッパー神経衰弱/スポンジ一人旅/モンクの叫び/テッシュ格差/アンガーフルネス/嗅覚の覚醒/洗濯の選択/ペーパー逆回転/時間脳トレ/家庭砂漠/突然の濡れ場/早すぎる一手/道づくり/鍵レーダー/障害物玄関/健全な朝帰り/1桁カウントダウン


間隔感覚/姑の指先/相方探し/文具迷子/他人の尿ぬぐい/キッチン二毛作/セルフ人体実験/冷たい警告音/キッチン・ランチ/光速身支度/大掃除頼み/窓ストレッチ/詰め替え爆発/家事渋滞/裏の世界/思い出テロ/ぷちウィリー


君の名は?/ぬめりだけ取り/ホコリの舞/陰毛の陰謀/対岸からの知らせ/揺れる主婦心/ロス疑惑/カフェ難民/メモ・ファミリー/魔の二重買い/さまよう部位/大げさな声かけ/レジ・セレクト/レジ2回並び/セルフ潤い/ひよっこりポン/待ち人来らず


再配達門限/脱落者の救出/おまかせできないモード/バイ菌幻覚/語尾不足/手料理スルー/ネバネバの逆襲/米粒アタック/エコつぶし/生ゴミの意地/伸びしろへの期待/ゴミ袋2枚重ね/開閉地獄/うらはらな感謝/キッチン籠城/正座跳躍/直角回転/家事無限ループ

 ということで、一日70個もの「名もなき家事」があるって言うことなんですよね。う~ん、凄いな。

 しかし、この「名もなき家事」のネーミングでもって、実際どんな作業なのかはわかりますかねえ。

 でも、ひとつひとつを読んでみると、すべてが当たり前に「普通の家事」というジャンルで皆様行っているモノばかりなんですね。いわゆる<炊事><洗濯><掃除>という三大家事には含まれているんだけれども、でも、それでも「こんなことまで<家事>としてやらなければいけないのかっ!」というのが、上の70個の家事なんであります。

 私なんか、専業主婦のカミさんと結婚したので、独身で一人暮らしをしていた時期は、それらの「名もなき家事」のいくつかは自分でやっていたんだが、結婚してからは、まったく、すべて、カミさんまかせにしてまいりました。いやいや、ありがとうございました。家事ってたいへんなんですね、って言ってりゃいいのか?

 まあ、「家事」なんて完璧である必要なんかない。だって、みんな素人じゃないですか。プロの「家政人」って言ったら、それは「家政婦」ってことでしょ。彼女たちはそれを行うことで収入を得ているわけで、だったらその行いはプロである必要がある。でも、「主婦」ってのは、考えようによっては「プロ」じゃないんですね。プロだと思うと腹が立つ、アマチュアと言ってしまってはバカにし過ぎなので、まあ、別に家事でもって収入を得ていないのだから、まあ「ノンプロ」位に考えていれば、逆に感謝の念が湧いてくるもんです。

 著者の梅田悟司氏の本業はコピーライター。

 コピーライター時代に4ヵ月半に及ぶ育児休暇をとったそうで、その時の経験から「名もなき家事」に目覚めたようだ。各コラムのタイトルに付けられた「名もなき家事」なんだが、「うまく言い当てているし言葉としても面白い」という、いかにもコピーライターが書いた文章らしいものもあるが、「うーん、なんかなあ」っていうのもあり。

 まあ、コピーライターの「コピーと文章」って、「当たるも八卦、当たらずも八卦」っていうバクチみたいなもんだから、「概ねOK」っていう感じで読んでいただければいいのじゃないかな。

 読みながら「うん、そうそう」と共感するもよし、「えっ、えっー、違うよ!」でもよし。

 そういう風に読んでもらえるのが、多分、コピーライターとしては一番ありがたい読み方なのであります。

 そうですよね、仲畑さん、糸井さん。

 『やってもやっても終わらない名もなき家事に名前をつけたらその多さに驚いた。 』(梅田悟司・著/サンマーク出版/2019年9月20日刊)

2020年2月23日 (日)

古石場文化センターと小津安二郎

 東京メトロ東西線の門前仲町駅で降りて、富岡八幡宮の脇の道を南下、大横川、古石場川を渡ると、そこは「江東区古石場二丁目」。

 勘のいい方はすぐわかる通り、昔の江戸時代、大半は埋立地であった深川あたりのこの地区は、江戸城やその他の埋め立て地を作るために、各地から集められた石(城壁や運河を守った)を貯めておく場所だった。で「古石場」。

 そんな、(現在の)江東区古石場二丁目にあるのが「古石場文化センター」である。

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 この古石場文化センターなのであるが、結構、映画などの上映会なんかを盛んに開催していて、映画に随分配慮した文化センターなんだなと思ったら、その理由は下の写真、小津安二郎がこの地、深川の出身だったからなのだった。

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 古石場文化センターには「小津安二郎紹介展示コーナー」というのがあって、いろいろ小津に関する映画のスチールやら台本やらなどが展示されている。

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 うーん、こんな小津の人形なんかも展示されているんだけれども、まあ、それはどうでもいいか。

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 江東区と小津作品の関係も示されているんだけれども、まあ、あまり小津自身は深川のことは描いてはいないんだけれどもなあ。一種の深川の人たちの思い込みみたいなもんで、牽強付会ってのも、地元のファンとしては許されるんだろう。

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 ただし、展示コーナーの部分に飾られているアリフレックス35カメラなんだけれども、「小津監督が使っていたものと同時代のカメラ」っていうキャプションにはちょっとした違和感。確かに「小津と同時代」ってことは、まあ、多少は間違ってはいないこともないのだが、当時日本の映画界では一眼レフのアリフレックス35を使っている撮影所はなかったはず。当時は、まだまだミッチェルの二眼カメラの方が普通であり、スチールなんかを見ても、小津が一眼レフのアリを使っていたという写真は見当たらない。

 松竹撮影所が協力している展示なので、この辺はキチンと時代考証をして、古(いにしえ)のミッチェルカメラを展示して欲しかったなあ。

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 で、古石場を後にしてからは、今度は深川不動前の「門前茶屋」の特製深川めし「あさり蒸籠めし」で一杯ってのがいいですね。

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 古石場文化センター他では「江東シネマプラザ」という映画の上映会を開催していて、ちょっと昔の映画の掘り起こしなんかを盛んに実施しています。

 古石場文化センターのサイトはコチラ

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Furuishiba Koto ©tsunoken

2020年2月22日 (土)

西武新宿線の工事進捗状況を見に行った

 都内を走る私鉄のなかで今や数少ない「他社との相互乗り入れをしていない」西武新宿線は、なんかもう完全に東京のローカル線扱いになってしまっているんだが、それでもいろいろ改良工事を行っていて、中井駅・野方駅間の連続立体交差(地下化)事業が現在も行われている。

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 高田馬場から乗って、新井薬師駅で降りて、駅前の踏切を渡る。

 う~ん、如何にもなんか地下の方で工事をやっている雰囲気ですね。ここの地下駅は現在よりも少し北側に寄って、新井薬師駅の急カーブを緩和して、急行なんかがあまりスピードダウンをしなくても通過できるようになるらしい。

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 以前あった踏切そばの北口は高田馬場方面へ少し寄って、現在はホームの真ん中あたりに設営されている。

 この先の右側には以前東京ムービー新社(現・トムスエンタテインメント)のスタジオがあって、スタジオ設立(と言っても、以前、音楽学校があった場所をそのまま買い取った)当時は、「あんなに電車の線路に近いところに撮影台があったら、電車の振動で大丈夫か?」なんて言われていたらしいんだが、基本的にアニメ撮影はコマ撮りなんで関係なかったという話がある。

 その、トムスエンタテインメントのスタジオは線路の反対側に移ってしまっており、相変わらずそのスタジオで「アンパンマン」を製作しているらしい。まあ、今はアニメーション・カメラなんかは使わないで、コンピュータで製作しちゃうんで、ますます「線路に近い」なんてことは、どうでも良いことになってしまっていますね。

 新井薬師駅から沼袋駅に向かう。

 こんな感じで線路脇を歩いていると、どこで電車の地下化工事なんてやっているのかなんて感じなんだろうけれども、しっかりやっているんです。実際にはシールド工法でもって、電車が越える妙成寺川なんかの川底よりずっと下、地下数十メートルを掘っているんで、地上からは見えないだけで、掘った土は新井薬師駅、沼袋駅にある地上への出口で外に出しているんでしょう。で、多分その作業は深夜にやっているのだろう。で、我々の目には触れないってことで……。

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 この工事のポイントは中野駅前から伸びている「中野通り」。

 この道の正式名称は「都道420号線」という道路で、国道20号線からきて中野駅前から伸びている、山手通りと環七通りという二つの都道に挟まれた「抜け道」的な道で、かなり交通量は多い道である。

 問題は、その中野通りが西武新宿線の踏切でもって封鎖されてしまい、特に朝の渋滞の一番大きな原因であった。

 つまり、西武新宿線の「中井駅・野方駅連続立体交差事業」というのは、この都道420号線の混雑解消というのが「一番大きな」目的であって、新井薬師駅の通過線高速化とか、その後の、東京メトロ東西線との交互乗り入れっていうのは、(本当は、西武鉄道側ではそれが一番の目的なんだが)追次的な目的なのであります。という、まあ如何にも政商・堤康次郎の西武って感じですなあ。「三つ子の魂百まで」ってやつですね。

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 まあ、それはいいとして、沼袋氷川神社の境内からは、沼袋駅の工事状況が見えたりしています。

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 沼袋駅まで降りて来てみると、「鉄道地下化の工事をしています。2020年11月30日まで」という掲示版があるんだが、2019年7月1日に行われた中野区議会で「事業区間内において用地取得に協力が得られいない箇所があることと駅の地下部分を構築する工事やシールドマシンによるトンネル工事を進めているため、2020年度までに事業を完了するのは難しい状況にある」という報告があって、あと数年はかかる見通しのようだ。

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 その昔、新宿駅でJRと相互乗り入れする計画がツブれ、高田馬場駅での東京メトロ東西線との相互乗り入れ話も、なんか頓挫しているし、西武新宿線はどうなっちゃうんでしょうかねえ。ますます、池袋線との差が拡がっちゃうなあ。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Arai & Numabukuro ©tsunoken

2020年2月21日 (金)

佃島のお地蔵様

 何の気なしに来てしまった、いつもの佃島。この界隈の佇まいが好きでよく来るんだけれども、何か、昔のままの風情が残っている町並みがここにはあって、結構、好きな町ではある。

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 この町の片隅にあるのが「佃天台地蔵尊」なんだが……

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 これがなんとも不思議な場所にある、っていうか、なんかこんな家と家の間の、それこそ体を少しひねらないと通れない路地にあるんだなあ。

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 狭い路地を通っていくと、反対側に出る途中の路地の真ん中あたりに、大きな松の木に守られた、結構立派な地蔵堂がある。

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 地蔵堂の入口右側に「佃天台地蔵尊信徒一同」が作った「佃天台子育地蔵尊縁起」というのが置いてあったので、いただいてきた。

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『江戸時代の中期正徳五年(一七一五)~元文三年(一七三八)に在住された上野寛永寺崇徳院宮法親王が地蔵菩薩と厚く信仰され、自ら地蔵尊像を描き江戸府内の寺院にたまわり、地蔵尊造立を促されたと伝えられています。
 享保八年(一七二三)寛永寺の宮様、大明院宮、崇徳院宮、隋宜楽院宮の三代にわたり、律院建立を熱願されたことから、寛永寺第六世輪王寺宮の推挙を得て、比叡山に安楽律院、日光山に興雲律院、上野東叡山に浄名律院が建立され、その浄名律院(現在浄名院)建立の際、山内に地蔵尊像を描かれた崇徳院宮法親王が、松をお手植えされたので、地蔵寺といわれるやにも伝えられていますが、浄名院第三十八世に地蔵比丘といわれた妙運大和尚が、八萬四千体石地蔵尊建立を発願され、崇徳院宮の描かれた地蔵尊を拝写され全国の信者に賜ったことからとも伝えられています。
(八萬四千体とは、仏典に『無量寿仏 有八萬四千相 一一相客 有八満四千随形好・・・』に拠る)
 妙運大和尚が地蔵比丘といわれる所以は、嘉永三年(一八五〇)日光山星宮の常観寺に寓した際、地蔵尊信仰の縁にふれられ一千体の石地蔵建立を発願され爾後浄名院住職になられ、本格的に八萬四千体建立の大発願をなされたからといわれています。
 佃天台子育地蔵尊には、天台地蔵比丘妙運の刻銘があり、まさしく拝写されたお姿と同じく左手には如意宝珠、右手に錫杖を持たれております。また、この像を平らな自然石に刻まれていることも、たいへん珍しいといわれています。
 この地蔵尊に天台の二文字があることは妙運比丘が天台宗の僧であったから、いや天台宗の教義の一つに『一切衆生悉有仏性=人は本来的に仏である』とあることから、いつの頃かは定かではないですが、こう呼ばれ親しまれてきたのではなかろうかと考えられます。
 この佃天台子育地蔵尊は頑是ない子供衆の様々なことをご守護下さる本願がおありになりますと同時に長壽延命、家内安全、所願成就の地蔵尊といわれていることから古くから佃島の人々はもちろんのこと多くの人々に信仰され今日に至っております。』

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 そうか、佃島っていうとどうも住吉神社ばっかりが目立つんだけれども、それだけじゃないんだ。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Tsukudajima ©tsunoken

2020年2月20日 (木)

羽沢横浜国大駅に行ってきた

 先日、新宿から横浜桜木町に行くために湘南新宿ラインのホームに上がって、昨年11月30日に相鉄線が初めて他社路線との相互乗り入れを行い、新宿まで来ていることを思い出した。

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 で、昨日は初めて新宿から相鉄線で横浜方面まで行ってみることにした。

 新宿駅の2番ホームは完全に相鉄線用のホームになっていて、なかなかのJRの対応ではある。

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 ところが着たのは相鉄線のブルーの電車ではなく、いつもの見慣れた埼京線の電車。ただし、横浜方面からきた相鉄線乗り入れ電車は全部(JRも相鉄線も)新宿止まりで、ここから折り返して相鉄線方面へ行きます。

 まあ、どのみち武蔵小杉までは湘南新宿ラインと同じ線路を走るし、いつ相鉄線の電車が来るのかはわからないので、取り敢えずこの電車に乗っちゃえという感じで乗ってみた。しかし、なんで埼玉県を走らないのに埼京線なんだろう。

 電車は上述の通り武蔵小杉までは湘南新宿ラインを走って、武蔵小杉を出ると湘南新宿ラインからは分かれるんだけれども、その後もずっと並行して走っていて、新川崎までは湘南新宿ライン、その先鶴見までは東海道線と並行して走っており、その先の方で東海道線を外れて地下トンネルに入る。その後、長い長~い地下トンネルを過ぎると東海道新幹線とほんのちょっと交差して、貨物線の鶴見ヤードの辺りから新設路線らしい新しいレールの上を走っていく。

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 しばらくすると、この新路線唯一の新駅「羽沢横浜国大」駅に到着する。ここまで新宿から40分くらい。結構、遠いなという印象。

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 ここ羽沢横浜国大駅がJR東日本と相鉄線の引継ぎ駅。乗務員の交代もこの駅で行われる。

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 で、羽沢横浜国大駅で降りたんだが……、周囲はまさしく「何もない」。

 駅から離れて行けば住宅なんかもあるんだが、駅周囲は「何もない」。

 下の写真の右側が、実は以前からあるJR貨物の「横浜羽沢」駅。つまり、貨物線の駅なので、乗り降りする人はまったくいないわけで、ということは駅前にも商業施設なんかはできるわけでもなく、周囲の住宅に住む人たちも、多分、バスで相鉄線なんかの最寄り駅まで通っていたんだろうなあ。

 まあ、そう少しすると駅前に商業施設なんかもできて、さらに宅地開発も進んで、少しは賑やかな駅前になるんだろう。

 そうなったら、また来ようかな。多分、それまでは来ないだろう、っていうか何の用もないもんね。

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 で、再び相鉄線に乗って隣の西谷駅から横浜行きに乗って帰って来た。

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 まあ、羽沢横浜国大駅も西谷駅も似たような淋しい駅前なんだが、横浜駅までは近いし、新横浜までの新路線も計画中だとか。周囲の宅地開発が行われれば、結構、賑やかな街になるのかもしれない。

LEICA  M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Shinjuku & Yokohama ©tsunoken

2020年2月19日 (水)

デジタルカメラにとっての「セピア調」って、何なんだろう

 ライカM-Eの「彩度」調整のメニューに「低・中低・標準・中高・高」というカラー表示の際の選択肢があるんだが、モノクロについては「白黒・ビンテージ白黒」というのがある。そのビンテージ白黒で撮影した写真が今日の写真。つまり、いわゆる「セピア調」っていうことだ。

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「セピア」って何なんだ。

『セピア(sepia)とは、イカ墨のこと。ギリシア、スペインやイタリアなど一部の国ではコウイカそのものをも指す。セフィアとも。
 耐光性・耐水性のあるイカ墨由来のインクが漬けペン用として長く使われておりその色味についてセピア色と呼ばれていた。その後、イカ墨インクは粒子の粗さゆえに万年筆を詰まらせる事もあり消えていったが、初期の白黒写真の経年劣化が鶏卵紙由来の黄ばみと画像の退色が進むものでその色味がセピア色であった。それゆえに古写真由来の懐古的な事を示すイメージ色としてセピア色が定着した。』(Wikipedia)

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 そうなんだ。万年筆のインクといえば普通ブルーブラックが当たり前だと思っていたんだが、昔は黒だったんですね。それが経年劣化すると、いわゆる「セピア色」になったっていうわけか。

 でも、一番上の写真に「昭和の頃の白山上商店街」ってキャプションをつけても、誰も信じませんね。だって、昭和の頃の白山上にはこんなにマンションなんてなかった。右手のマンションがあった場所には、昭和の頃には本駒込あたりの男の子のたまり場だった「大成堂」という模型店があったんですね。

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 でもまあ、この上下の東大本郷キャンパス構内の、昔からある建物なんかを撮影すると、まあ、何となく「らしい」雰囲気が出てくる。

 特に、下の写真みたいに全体を明るくして、ハイライト部分を飛ばしちゃうと、なんか如何にも「昔の写真」みたいになっちゃうんですね。コレは面白い。
 でも、昔の写真だって、撮影時には普通のモノクロ画面だったわけで、初めからセピア調だったわけじゃない。つまりは疑似的な効果ってやつなんですね。

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 モノクロ写真っていうのは、13日のブログでも書いた通り、私の写真の原点みたいなものだから、未だに「写真」というと「モノクロ写真」というイメージがあります。まあ、でもこんな如何にも「それらしいモノクロ写真」ってのは撮らないだろうなあ。

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 なんとなく、「安易なレトロスペクティブ効果」っていう感じがして、好きになれない。

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Hon Komagome & Hongo ©tsunoken

2020年2月18日 (火)

『老人初心者の覚悟』

 阿川佐和子さんは1953年11月1日の生まれだそうだ。

 私は1951年9月22日なので、ちょうど2歳位の差がある。

Photo_20200204202201『老人初心者の覚悟』(阿川佐和子・著/中央公論新社/2019年12月25日刊)

『老化した自覚は薄い。しかし意識していないわけではない。あるいは、否応なしに他者から意識させられる機会が増えた。そういう年頃なのだろうか。
  花の色はうつりにけりのいたづらに
     我が身世にふるながめせしまに
 だからなんだ!
 強気になったり弱気になったりを繰り返す。年齢なんか関係ない、いくつになっても新たな挑戦はできるのだと明るく笑い飛ばしながら、ときどき心の奥で、「日毎に弱っていく現実を思い知り、その楽しみと哀しみを噛みしめることも無駄ではない」となだめ諭す自分がいる。』(「あとがき」より)

 まあ、私も日々体の老化と衰えを感じている毎日です。

 そのひとつは「歩くのが遅くなった」です。

 以前はどちらかというと人より歩くのは速かった。通勤していた頃は、駅を降りて前の方を歩く人をだいたい追い越してしまうような感じだったんだが、最近は、何故か前を歩く人に置いて行かれるような感じだ。う~ん、こりゃマズいってわけで筋トレでもやろうと筋トレに関する本などを買ったりはしているんだが、しかし、実際にそれを実行しなけりゃ意味ないじゃんって訳で……。

『「六十五歳以上の高齢者は、早めの非難を心がけてください」
 台風接近のニュースを見ながらふと気づく。そうか、私もその範疇か。
 不愉快なわけではない。が、自覚があまりにも薄い。そりゃあ、アンタはまだ前期高齢者の仲間入りをしたばかりだから自覚がないのは無理もないだろう。そう笑う人がいるかもしれない。しかし、たぶん……たぶんではあるが、私より歳上の七十代や八十代の方々とて、自分を「高齢者」とはまだ認めていないだろう。身体のあちこちが痛み、若い頃のように俊敏に動けなくなっていることは事実と認識しつつも、「いやいや、ワシは大丈夫。まだ老人ではないさ」と。
 現に今回の台風のときも、「ちょっと川の様子を見てくる」と言い残し、そのまま行方不明になった高齢者がどれほど多かったことか。』(「あとがき」より)

 まあ、阿川さんも高齢者っていったって、まだまだ「前期高齢者」の入口である。老け込む必要はないが、かといってまあもう少しすればもっともっと老化を感じる年にはなっていくんだろう。

 間違い電話への始末。

『「あ、もしもしぃ?」
 最前の女の子の声が出た。私はあえて声色を低くして、
「あの、今、間違い電話をいただいた者ですが……」
「あ、はい」
 やや慌てている様子。私は勢いをつけた。
「間違い電話をしたら、謝るのが人の礼儀ってものでしょ? 何も言わずに切るとはどういうことですか。失礼でしょう?」
「あ、申し訳ありません」
 即座に謝られた。目的は達成された。
「はい、じゃ」
 私はそそくさと電話を切った。』(「間違いの始末」より)

 なんてね、まあ、そんなことしたら完全に「コワーいおばちゃん扱い」されますな。

 むしろ、そんなことはせずに。忘れることですね。

 どうせバカな娘とオジサンのやったことなんだから。そういうことに対して、「もうしょうがないなあ」で済ませずに、キチンとクレームを返すことが、実は老化の始まりなのであります。

 もっとおおらかな気持ちでいましょうよ。

 『老人初心者の覚悟』(阿川佐和子・著/中央公論新社/2019年12月25日刊)

2020年2月17日 (月)

「世界の中古カメラ市」はじまる

 2月27日からの開催予定だった「CP+」はコロナウィルスの影響で開催を辞めてしまった。まあ、新型カメラに興味がない人間にとっては、あまり関係はないんだが、今年の各カメラーメーカーがどういった方向で動いていくのかを見通すためには参考になるイベントなので多少は気にしていたんだが、まあ、でも仕方ないかな、横浜っていう場所で開催されるということでもね。

 でも、I.C.S.輸入カメラ協会が主宰する「第42回 世界の中古カメラ市」が今年も松屋銀座8階で昨日から開催されている。どっちかっていうと「ジジイ関係」ではこっちの方が気になるんだけれどもなあ。

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 I.C.S.輸入カメラ協会というのは、老舗の中古カメラ屋さんたちの団体で、毎年春は松屋銀座、秋は東急東横店で開催されており、その開催中はジジイのカメラマニアたちが集結するのであります……、なんて書いているんだけれども、最近はフィルムカメラの復権とか、カメラ女子なんかの出現などもあって、ジジイばっかりじゃなくて若い人や女性の姿もよく見られるようになってきた。

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 我らが駒込(でも、文京区の方じゃなくて豊島区なんですが)の「カメラのハヤシ商事」もI.C.S.のメンバーじゃないけれども、毎回参加していて、その期間中はお店の方はお休みしています。

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 会場には「松屋創業150周年記念写真展」というのがバルナッククラブの共催で行われている。そういえば、これまでの中古カメラ市はお隣でワインフェアなんかをやっていたんだが、今年は松屋銀座の8階イベントフロアを全面的に中古カメラ市が使っており、いつもはワインフェアをやっている場所が写真展の場所になった感じだろうか。

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 私はと言えば、特に今回の中古カメラ市で探しているものはない。しいて言えば、セコニック・スタジオマスターの皮ケースが欲しくて以前から探しているんだが、あまり期待してはいない。というか、何故かこうした中古カメラ市に来るとムービーカメラの方に目がいってしまって、とはいうものの35mmのアリフレックスなんかはさすがに100万円以上するので手が出ないが、16mmのアリフレックスSTの3本ターレットに標準・広角・望遠の各レンズがついたもの30数万円、とかおなじアリSTのアンジェニュー10倍ズーム付き16万円なんて見ると、思わず手が出てしまいそうになる。

 ヤバイ、ヤバイ。

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 第42回世界中古カメラ市は2月21日まで松屋銀座で開催中。松屋銀座の公式サイトはコチラ

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LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOT-SKOPAR 21mm f4 @Ginza ©tsunoken

2020年2月16日 (日)

横浜拾遺、セルフポートレイト

 広角レンズで光源をバックにして撮影すると、撮影者の影が画像に入り込むっていうことはよくあることである。

 行った先は昨日の横浜写真のつづき、っていうか同じ日に撮影した写真から私自身が(その影が)映っている写真を集めただけで……。

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 いやあ、見事に自分の姿が写っていますねえ。これもさすがに12mmの超広角レンズでもって撮影している結果なんだが、私みたいなシロウト・カメラマンが撮影しても、単なる「おなぐさみ」にしかならないんですけれども……。

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 これが、リー・フリードランナーなんて著名なフォトグラファーが撮ると「Self Portrait」なんて写真集が出来ちゃうんだよなあ。

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 すごいよなあ、全編、自分が(あるいは自分の影が)写っているだけで写真集を作っちゃうんですよ。

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 そんなの私だってすぐにも作れちゃうんだけれども、でも、誰も買わないでしょうね。

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 まあ、こんな鏡の前で自画像を撮るってのもありますけれどもね。

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 たんなるスクリーンショットです。ポチッても買えません。もう、古本もないようですね。

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LEICA M-E VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Yokohama ©tsunoken

2020年2月15日 (土)

ゆりかもめの駅名が変わっていた!

 なんとなくグーグルマップを見ていたら、ゆりかもめの台場の次の駅の名前が、私が知っている「船の科学館」駅とは変わっていた。名付けて「東京国際クルーズターミナル」駅。

 ってことで、早速行ってみた。

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 実は以前OAV『逮捕しちゃうぞ』シリーズでネタに使っていた、船の科学館に隣接している屋外展示場にあった二式飛行艇がなくなったことは知っていたんだが、駅名まで変わったいたことは知らなかった。

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 ついでに、以前は船の科学館に隣接しておかれていた南極観測船「宗谷」も少し移動して、青海北ふ頭公園の方に移っている。

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 もうちょっと先まで歩いてみると、芸能人が麻薬や覚せい剤で捕まると拘留されることで有名な、湾岸警察署の裏にある青海客船ターミナルの沖合に、その「東京国際クルーズターミナル」が工事中だった。

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 なぜ、こんなところに国際線ターミナルが出来るのか。

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『晴海ふ頭の晴海客船ターミナルには、国際クルーズ路線に対応した出入国管理設備があるが、レインボーブリッジ(高さ52m)により大型クルーズ客船の寄港は困難で、品川埠頭、大井ふ頭の貨物用埠頭を利用するクルーズ船もあった。そのため東京の新しい玄関口として2020年東京オリンピックが開催される、2020年開業に間に合わせ、ターミナルビルの建設を決定した。 』(Wikipedia)っていうのが、その理由。

 レインボーブリッジって、それこそボーイング747ジャンボでもくぐれてしまう高さ・大きさがあるような気がしていたんだけれども、でも大型クルーズ船は通れなかったんだなあ。

Dsc_00332_20200214171401晴海客船ターミナル NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2 ©tsunoken

 ってことで、青海客船ターミナルの先に東京国際クルーズターミナルなるものを作っているのであります。そんなことはレインボーブリッジを作る時に考えておかなかったのかなあ、とも思うんだけれども、どうなんだろう。

 レインボーブリッジは着工1987年、竣工1993年なので、その当時は大型クルーズ船なんてものはなかったのか。なので、晴海客船ターミナルなんて、現在考えてみれば中途半端なものを作ってしまったんだろうなあ。

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 現在、建設中の東京国際クルーズターミナルはもう既に完成目前。大きさは横浜の大桟橋位の大きさなのかなあ。

 2020年7月14日が開業予定日でオリンピックに間に合わせ、終了後の秋にはクイーン・エリザベスが来航予定とのこと。

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 完成予定の予想図が置かれている。

LEICA M-E VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 21mm f4 @Aomi ©tsunoken

2020年2月14日 (金)

変態レンズ in Chainatown

「変態レンズ」って言っても、別に変なものが写るレンズっていうわけじゃなくて、これだけ(12mm)焦点距離が短くなると、普通に地面と平行の角度で撮っていれば普通に撮れるんだけれども、ほんのちょっと仰角でもって撮影すると、途端に周囲が歪んで見えるレンズだっていうだけのこと。

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 2月2日で江東区の砂町銀座が、その狭さから35mmの撮像素子には12mmレンズが向いているんじゃないかと、撮影行に行ったんだが、昨日は横浜中華街でもって、そのレンズ特性を見てみよう、という感じで行ってきた。

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 まあ、普通に水平写角でもって撮影している限りは、さすがに12mmだけあって両サイドの画面は若干流れるけれども、基本的にはまさしく「広角レンズ」っていう感じですね。

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 でもまあ、池波正太郎氏がご推奨の蓬莱閣も、ほんのちょっと仰角をつけるだけでホラこんな感じに「変態レンズ」たる自らの出自を明確に物語っています。

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 でも、角度を水平にしちゃうとこんな感じの、普通の広角レンズっていう感じになれる。

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 つまりは、超広角レンズっていうのは「基本的には水平写角」で撮るレンズなんだろうな。

 んなことは、以前、フルサイズ35mm(って、当たり前)の手持ちのライカM6に12mmレンズをつけて横浜中華街を撮影した際に分かっていたはずなんだけれども、まあ、改めてフルサイズ35mmデジタル・ライカで試してみたっていうだけの話。

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 以前の、APS-Cの撮像素子のEPSON R-D1sでは12mmというのは「普通の広角レンズ」っていう感じだったんだけれども、さすがに35mmフルサイズの撮像素子になると、本来の「超広角」になってくるんだな……、って当たり前のことに気が付いた。

 まあ、それが欲しくてライカM-Eを買ったんだけれどもね。

LEICA M-E VOIGHTLAMDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Yokohama ©tsunoken

2020年2月13日 (木)

写真の原点? カメラの原点?

 私が写真を撮り始めた頃、一番ロケーション場所として多く使ったのが西新井大師である。

 まあ、初詣とかお祭りの時期以外は、ごく普通のお寺であって、浅草や巣鴨とげ抜き地蔵みたいに外国人の姿はあまり見られないのがいいところだ。コロナウィルスの心配もないしね。

 何故、西新井大師なのか? という問いに対する答えも単純。

「家から近かったから」

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 そもそも私が写真やカメラに興味を持ったのが、下の写真の足立区立関原小学校の5年生の頃。当時、その学校では5年生になると自由参加のクラブ活動があって、たまたま写真の好きな先生がいて、その先生が写真クラブというのを始めたから。

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 先生の名前は既に忘れているが、西新井大師あたりで撮影会を行って、それを現像して焼き付けまでを指導してくれたことまでは覚えている。

 私が使っていたカメラは、もう名前は憶えていないが、裏紙付きの35mmフィルムでボルタフィルム(勿論、モノクロ)というのがあって、ライトパンSSというISO100の12枚撮りというのを使っていたカメラ。基本的には現代で言うトイ・カメラみたいなものだけれども、見てくれはライカM3に似せている。基本的に固定焦点で絞りは「大・小」の二つだけ、シャッタースピードはバルブとどのくらいのスピードなんだか分からないけれども、まあ、普通にシャッターを押せば「開いて閉じる」シャッター。まあ、やっぱりトイカメラだよなあ。モノクロなのでラチチュードが広かったんでなんとかみられる紙焼きは出来たんだけれども、カラーだったら多分見られたもんじゃなかったでしょうね。

 とっくの昔にネガは紛失してしまっています。

 まあ、西新井大師の撮影会も面白かったけれども、私が夢中になったのは、素通しの窓ガラスに空飛ぶ円盤とか宇宙船などを紙で作って貼り付け、それを撮影する「疑似特撮映像」が多かった。

 今考えると、なんでそんなものを面白がったのか、良く分からない。

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 当時、小学生が撮影会に持ってくるカメラなんて、殆どがトイカメラか、あるいは親父がカメラ好きで持っていたカメラを借りてきたなんていう代物ばっかりで、まあ、そんな時代だったんであります。

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 ひとり八百屋の娘でペトリV6を持っている子がいて、まあ、それも多分親父の趣味カメラを借りてきたんだろうが、それを羨ましがっていたことを思い出した。

 それで写真が上手かったのかと言えば……、まったく覚えていません。で、昨日、その八百屋を訪ねたら、いやあ、まだお店はやっていましたね。ただし、その娘も多分嫁に行っているだろうし、いまやお婆ちゃんですよね。会わなくてよかった。

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 その後、長じてスチールカメラへの興味はムービーに移って、キャノンのダブルエイトやエルモのスーパーエイトなどに移って、都内や札幌なんてところまで行って何を撮ったのかは覚えていないが、最終的にはボレックスのH16という16mmカメラを手に入れ、いろいろなドキュメンタリー・フィルムを作ったりしたんだけれども、結局、そのモノクロ・リバーサルで撮影したフィルムは、お金が続かなくなってしまい、未だに未完というテイタラク。

 サラリーマンを退職したらゆっくり・じっくり編集でもしようなんて考えて、未だにその撮影済みフィルムは持っているんだけれども、何もしていない、というこれまたテイタラクであります。

 う~ん、どうしようかな、このラッシュフィルム。

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LEICA M-E KONICA M-HEXISANON 50mm f2 @Nishiarai ©tsunoken

2020年2月12日 (水)

赤羽センベロ飲食街

「千円でベロベロになれる、おまけに昼間から呑める」赤羽一番街に行ってきた。

 残念ながら壇蜜さんと清野とおるさんの結婚を祝う看板はなくなってしまい、「本当に住みやすい街大賞 2019」の看板にかわってしまっています。まあね、もう既に昨年の11月のことですもんね。

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 まあ、そんなこととは関係なく、センベロ飲食街は相変わらず昼間っから呑兵衛がそこここの飲み屋さんに入り浸っています。

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 まあ呑み助は昼間だろうが夜だろうが、酒を呑みたい気持ちは同じなので、別に昼間っから酔っぱらって人様に迷惑を与えなけりゃ、別に問題はない。

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 ってな感じなので、以前は「昼間っからの呑み助」ってのは男の専売特許だったんだけれども、最近は女性の姿も良く見かけます。まあ、楽しけりゃいいんであって、別に女性が昼間っから酒を呑んでいたって、別に咎める人はいません。

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 壇蜜さんも、赤羽で昼間っから酒を呑んでいたのかなあ。一度でいいから会いたかったなあ。

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 なあんてことを考えている間に、本郷通り転じて北本通にでてしまいました。北本通は荒川を渡って埼玉県に行くと、なんか味気ない名前の「国道122号線」になってしまうんですが、元々は日光御成道という徳川将軍が日光に参内する際に通った道。江戸五街道のひとつ、日光街道は一般の人も通るので、それを避けて別の道を行ったのか、どうなのか。

 日光御成道は別名・岩槻街道とも言って、岩槻城で一泊して、その先は杉戸あたりで日光街道に合流します。ということは、やっぱり日光街道の江戸に近い場所は人通りが多かったので、将軍はそれを避けたのかなあ。

 新河岸川と荒川のたもとには日光御成道(岩槻街道)の岩渕宿問屋場跡の碑が立っています。ただし、将軍は岩渕あたりでは宿泊せずに岩槻まで行きました。

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LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Akabane ©tsunoken

2020年2月11日 (火)

谷中「へび道」

 日暮里駅を降りて夕焼けだんだんを通って突き当りに出ると、そこを南北に走るのがよみせ通り。

 左に折れてよみせ通りを南下すると、団子坂下の交差点から谷中方面へ行く道と交差して、そこにあるのが「枇杷橋跡(合染橋)」という交差点。

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 その交差点を渡ってその先に行くと、そこが通称「へび道」。

 へび道を進むと、とにかくクネクネと右に折れて、左に折れて、なんか延々と続くような感じの折れ曲がった道を進む。

 まさしく「へびみたいにクネクネ曲がりくねった道」なんですね。で「へび道」。

 道の右側は「文京区千駄木」、左は「台東区谷中」、という文京区と台東区の区界。まさしく「谷根千」の地。

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 この道はなんだ? と聞かれれば、まさしくこの道は川があった跡、川を暗渠にして道にしたために、川の流れのままにクネクネしたへび道になっている。

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 何故、こんなにクネクネした道ができたのか。

 もともと、ここには藍染川という川があった。

 藍染川はここの少し上流で藍染をしている場所が多くあったためにそういう名前が付いたのである。

 藍染川は王子あたりからの石神井川の分流であるという説もあるんだが、どうもそうではなく、藍染川の水源は豊島区の染井墓地あたりにあって、そこから流れ出した川は、現在の本郷通りの駒込駅の北、「霜降橋交差点」の辺りを流れて、そのまま、駒込駅や田端駅の間を流れて、谷中のよみせ通りを通って、へび道に入って、そこから後は真っすぐ不忍池に注いでいたそうだ。

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 ただし、ここへび道の前後の道は、これほどクネクネしていない。

 多分、道を作るに際して、流れをまっすぐにする工事をおこない、そのうえで暗渠にしたんだろうな。

 その先の、現在はへび道と呼ばれるような部分は、商店街じゃなくて住宅街だったので、あまり「道をまっすぐに」という考えはなかったのかもしれない。

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 ということで、上の写真の古本屋さんのところでへび道は終わり、あとはまた一直線って言っていいくらいに不忍池方面へ向かっていく。その先を不忍池まで歩いたんだが、川の残滓はまったく残っていない。

「谷根千めぐり」ってことで、日暮里から谷中銀座、よみせ通りを通って千駄木駅とか西日暮里から帰るのもいいが、もうちょっと足を延ばして、「へび道」を散策することが、まさしく「谷根千めぐり」の通なのであります。

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LEICA M-E KONICA M-HEXANON 50mm f2 @Sendagi & Yanaka ©tsunoken

2020年2月10日 (月)

出るべくして出た写真集『Selfies』

 毎朝のルーティーン作業として、ブログの前日のPV確認と記録、Twitterに同時アップしたブログ記事をFacebookにも移す(なんか、前は同時に配信出来たのだが、いつぞやから出来なくなってしまったのだ)、ブログを開いてそれを記録、更にPolarの前日の歩数・歩行距離・消費カロリーなどをチェックし記録というのがある。まあ、結構忙しいんですよね。

 あっ、その前に朝食後の二度寝ってのがあった。これはでも「作業」じゃないな。

Selfies『Selfies - セルフィーズ - vol.1』(株式会社blueprint/2019年8月31日刊) 

 ということで、今日は写真集「Selfies」であります。

「Selfy=セルフィー=自撮り」ってのは、スマートフォンの写真機能が発達して、実は今や普通のデジカメなんかよりもよっぽど高機能になってしまった現在、当たり前の時代になっている。それをInstagramやらFacebookなどにアップするわけである。

 で、それをInstagramやFacebookじゃなくて、出版社にデータを渡して、本にするってまあ、出るべくして、出た写真集なんだろうなあ。

 確かに、自撮りであるからカメラマン(たいていは異性である男性)の前で裸になるわけではないし、多少大胆なポーズでも遠慮なくできる。ここに、投稿された写真も、モデルの女性自ら自撮りをして、出版社に送った写真なのである。

 取り敢えず出演した(つまり自撮りした)モデル17名の、名前/年齢/職業/スリーサイズ B・W・Hをご紹介。

杏子/25歳/CA/90・60・88
美和/30歳/バーテンダー/84・58.83
アキ/27歳/グラフィックデザイナー/85・70・90
猪花はる/29歳/アートモデル/85・57・86
MAYUMI/34歳/主婦/98・70・89
あい/21歳/ダンサー/83・61・86
ようこ/27歳/ライター/75・60・89
いちこ/31歳/会社員/82・58・83
しの/26歳/会社員/75・64・89
さやか/35歳/キャバクラ/83・60・85
RINA/23歳/大学生/99・66・97
みなみ/22歳/大学生/78・60・86
十和子/33歳/接客業/92・63・89
なお/26歳/受付/87・56・89
魅音/28歳/フリーター/102・67・87
洋子/28歳/配信業/82・59・87
ユカ/26歳/会社員/90・67・96 

 データには以上の他に、「応募のきっかけ」と「撮影の感想」がそれぞれの出演シーンの最後についている。

「撮影の感想」には「家族と同居しているので、見つからないように撮るのがたいへんでした。」なんて可憐なものもあり、「大きい胸を見て欲しくて。もっと見て欲しかった。」という積極的なものあり、「家では裸族なので、その日常を撮るというのも、とても不思議なものだなと思いました。自分の体の変化を日々記録するということもなくなってしまった今、もう少しエロさが欲しいなと思いました。」とか「彼氏の家で撮ったのですが、彼氏に内緒だったので、会社に行っている間に「ヤバい! もうすぐ会社から帰ってきてしまう!」なんて愉快なものもある。

 まあ、皆さん大胆なものですね。

 出版社の応募に応えたわけなので、つまり自分で撮影した自分のヘアヌード写真が一般の人に見られるっていうことが前提の出演である。それでも、ここまで大胆になれるっていうのは、元々女性にはそうした願望があるのだろうか?

 当然、顔も写っているのだから、そんな街に出るのが怖くは(あるいは恥ずかしくは)ないのだろうか?

 う~む、その辺は男性の私には理解できないですなあ。

 『Selfies - セルフィーズ - vol.1』(株式会社blueprint/2019年8月31日刊)

2020年2月 9日 (日)

神田から神保町へ

 結局、横浜大貫屋で仕入れたアベノンの21mmファインダーは大きすぎて、なんか不満があるんだよなあ。かといって、ライカ製の21mmファインダーはお値段が高すぎて「これがファインダーの値段じゃないだろう!」ってな怒りもあって、結局、ファインダー基部が割れてしまった「先代・フォクトレンダー21mmファインダー」の後継者を探すべくいろいろネット上を調べていたんだが、結局、カメラのキタムラにそれがあることを発見! 

 ということで、昨日はそれを受け取りにカメラのキタムラ東京日本橋店に受け取りに行って、その後は、学生時代の友人の「元革〇派」のH坂氏と会う約束をしていたので、同じ神田なので神保町まで歩いた。

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 まあ、同じ神田駅から神田神保町への道である。近い近い、両方とも千代田区だしな、ってことで外堀(神田川)沿いに西の方へ進みます。

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 中央通り(銀座通り)から神保町方面へ行くので、当然、JRのガード下をくぐって行くことになる。

 あれっ? 中央線と山手線(&新幹線と上野東京ライン)の間にあるなんて、なんか超マイナーな雰囲気のある「丸の内新聞」なんて聞いたこともない新聞社があるんだなあ、なんだこれ? そんな新聞なんて聞いたこともないぞ。

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 調べてみたら、どうも自由民主党の衆院議員で渡海紀三朗という人の後援会で紀政会ってのがあって、その後援会が運営しているのが「丸の内新聞」ということらしい。

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 まあ、この渡海議員自身もなんか二世議員で、まあ、言ってみれば陣笠議員ですよね。陣笠でもこういう政治活動を「している風を装って、何かやる」ってのが必要なんだ。っていうか、兵庫10区の渡海議員の後援会の新聞社がなんで東京の千代田区にあるのか? ってのが不思議ですよね。

 そんなもん、地元でやれやっ! てなもんですけれどもね。

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 選挙民の皆さん、こんな陣笠議員に投票して自分たちの意志がどうにかなると思っているんでしょうかね? 単に、親父から票田を譲ってもらって代議士になったって、所詮、そんな輩は高邁な政治倫理なんてものは持っていなくて、ヒドイ場合には「稼業」としての「政治家」って、なんだよ? そんなものある訳ないでしょ、ってなもんですよね。

 もう、そんな二世議員だけは当選させちゃまずいんです。

 とにかく、どんな候補者でもいい、とにかく「二世議員」だけは、投票しちゃマズいですよ。国会議員は「稼業」じゃないんです。崇高な国に対する理想を持っている人だけが、「国政」の参加する資格を持っている、って思うんだけれどもなあ。

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 本当に、二世議員って、「バカ」ばっかり。

「未曾有(みぞゆう)」のA生太郎だけじゃないんですよね。まあ、「安倍チャン」もそうですしね。そうか、日本の政治制度がもう、ダメなのか。

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Kanda ©tsunoken

2020年2月 8日 (土)

無用の長物

 無用の長物「あってもかえって邪魔になるもの。あって益のないもの。」(広辞苑 第六版)

 でも、他人にとっても「無用の長物」でも、本人にとっては「有用のもの」ってのもあるんだよなあ。

 で、本郷の東大前にあるのが、「鳩山邦夫事務所」という建物。

 鳩山邦夫氏は既に2016年に亡くなっているし、長男の鳩山太郎氏はオヤジの地盤から都議に立候補したんだが落選。今は、何をやっているのかは分からない。次男の鳩山二郎氏は自民党の衆議員なんだが福岡6区の選出と、本郷とは何の関係もない。

 鳩山家としては「鳩山邦夫事務所」を運営している意味はないんだろうが、どうもこのビルの上階は貸しビルとして使っているので、まあ、それが現在の鳩山家の収入の一部くらいにはなっているのではないだろうか。そういえば、最近鳩山家の関係者を見たのは、NHKの大相撲初場所中継で砂かぶり席で観戦していた鳩山エミリーさんの姿くらいで、昔「カゼ、じきに(ジキニン)治って」なんて可憐な姿でCMに出ていたのとは大いに違って、なかなかの貫禄ではありました。

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 本郷3丁目まで行くと「かねやすビル」っていうのがあります。

「テナント募集」っていう貼り紙は出ているんだけれども、どうも、さほど一生懸命に売り込んでいる様子はないようで、もう随分経つんだけれども、いまだに1階の「かねやす」があった場所にはテナントは入っていないようであります。

 でも、2階から上はすべて埋まっているし、1階にはもともと「かねやす」の店舗があったんだがたいして客は入っていなかったようなので、まあ、1階で稼がなくてもいい、っていうのがかねやす側の判断なのかも知れない。

 まあ、多分「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」という川柳に合う会社が出てくるまでは、かねやすとしてはこの1階は貸すつもりはないのかもしれない。

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 もうね、「いらんものはコメヒョウに売ろう!」(名古屋弁で言ってください)じゃないけど、誰かに売っちゃった方が、多分、買った方は一生懸命購入費用を稼がなければならなくなるんだろうけれども、本郷に不動産を持っているお金持ちは、そんなことなんか考えていないんでしょうねえ。

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 結構、本郷あたりに住んでいる人、不動産を持っている人たちって、相当リッチな人たちなんだろうなあ。

「貸し」に出すんだけれども、「自分が気に入らない客には、貸さない」ってなもんなんでしょうかねえ。その辺の意気込みはさすがに「江戸っ子!」ってな感じなんですがね。

 あれっ? でも高見エミリーちゃんは「江戸っ子」じゃないなあ。

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 で、本当の「無用の長物」って、実はこれのことだったりして……。 テヘッ!

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LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28 f2.8 @Hongo ©tsunoken

2020年2月 7日 (金)

丸の内線、方南町行きに乗った!

 文京シビックセンターで用事を済ませて、さてこの後どこに行こうかななんて考えながら東京メトロ丸の内線の後楽園駅に行ったら、「方南町行き」の地下鉄がやってきた。

 そうか、丸ノ内線は去年の7月5日から、それまで中野坂上で乗り換えなければならなかった方南町方面に、直接乗り入れるようになったんだったな。ってなことで行き先は決まった! 方南町だ!

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 それ以前の丸の内線は、中野坂上で方南町行きに乗り換え、そこから中野新橋・中野富士見町・方南町の各駅には3両編成の別の線になってしまっていたんだが、それが1日何本かは知らないが、中野坂上で荻窪方面と方南町方面に行く路線に分かれることになったのだった。

 方南町方面には中野新橋駅のそばに中野車両基地があって、丸ノ内線(や、昔は銀座線も)の車両基地・工場がある。ところが丸の内線中野新橋には3両編成までしか対応するホームがなかったので、結局、6両編成の丸の内線の本線車両は中野新橋駅を通過して、中野車両基地まで走っていたのだった。

 それが3駅のホームが延伸して6両編成も受け入れられるようになって、昨年の7月からは池袋を出発した丸の内線が、方南町まで行くようになったっていうこと。

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 方南町駅も大分変って、環状七号線の方だが、エスカレーターやエレベーターで地上に出られるような出口が作られた。同時に、中野新橋駅なども、大分、旅客に便利なように駅は改造されたようだ。

 ってことで、方南町から中野新橋方面へ歩く。

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「火縄銃」なんかも買い取ってくれるお店なんかがある方南町駅前通りである、方南通りを西新宿方面へ東進すると、しばらくして神田川沿いにでると、そこが丸の内線の中野車両基地。

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 で、それを過ぎて左折するとほどなくして中野新橋の駅前に出ます。

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 やあ、池袋行きが来たなあ。

 まあ、方南町、中野富士見町、中野新橋それぞれの駅周辺の住民からは、取り敢えず中野坂上で乗り換えらなくてすむんで、便利にはなったんだろうなあ。

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 って、それだけ?

 まあ、そんなもんでしょ。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Honancho & Yayoi ©tsunoken

2020年2月 6日 (木)

いつもの、見慣れた、風景

 とまあ、そういうことでライカM-Eにフォクトレンダー21mmを装着して撮影行だ。

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 と言っても、別にどこか特別なところへ行くわけでもなし、何か、特別な目的がある訳でもなし、いつものブラブラ歩きの撮影行ってなわけです。

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 取り敢えず、四谷へ出て、新宿方面へ向かって歩いて行くか、ってなもんです。

 途中、車力門通りを荒木町方面へ向かって歩いて行くと、何故か「松平容保」のポスターが貼ってある。松平容保と言えば、私の母方の祖先、会津の最後の殿様であった京都守護職であり、最後まで薩摩軍と戦った徳川の武将である。

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 そうか、この辺は半蔵門からまっすぐ甲州街道を進んだ徳川の重臣の屋敷が多かった場所なんだな。

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 半蔵門からまっすぐ来た甲州街道沿いの町は丘の上というか尾根の上に存在していて、中心の道から南や北へ外れるとすぐにかなり急な下り坂になって谷底へ下りていく。

 で、降りて行った先が、なんだ「カメラ買います アローカメラ & 我楽多屋」か。結局、外付けファインダー探しなのか。

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 で、まあ、そこから甲州街道へもどって、更に新宿方面へ行き新宿三丁目へ行くと、やっぱりミヤマ商会っていう中古カメラ屋さんなんですね。

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 まあ、所詮、この男の行く先はカメラ屋なんだな。

LEICA M-E VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Yotsuya & Shinjuku ©tsunoken

 

2020年2月 5日 (水)

『まばゆい残像』金子光晴の残像を追って……

『そんなさなかに長崎・上海間の定期船復活のニュースを知った。早速、同じく旅が好きなライターの友人にこのことを話した。友人が当時連載していた週刊誌で記事にしてもらいたかったからだ。そして取り付けることに成功し、友人と長崎から上海へ向かうことになったのだ。
 私たちが乗った定期船は、正確には貨物船におまけのように数室だけ客室がついただけの貨客船だった。朝のうちに長崎の港を出て船は一昼夜海上を進み、翌日の夕方上海に着いた。船内の水道の蛇口からの水は錆色に濁っていた。驚いて船員に訊ねると、
「日本では水は高くて買えない。上海で積んだ水だ」
 という答えが返ってきた。
 私は長いあいだ甲板に出て海を見ていた。帰国するための数人の中国人も同じように甲板に出て遠くを見つめていた。彼らの多くは双眼鏡を持っていて、じっと遠くを見つめていた。真剣に見続けるものなど、どこにも存在しないはずなのに。』

『まばゆい残像』の上海に旅立つ部分の記述である。

Photo_20200124103401『まばゆい残像 そこに金子光晴がいた』(小林紀晴・著/産業編集センター/2019年11月27日刊)

 一方、小林紀晴の処女作『ASIAN JAPANESE』の書き出しは以下の通り。

『僕は長崎から上海へ向けて船に乗った。この六月に就航したばかりの貨客船の、その日の乗客は気抜けするほど少なく、一〇人ほどの日本人と二〇人ほどの中国人だけだった。
 日本人は、夏休みの最後に旅行に出た大学生や、中国語を操る中年男性など。中年男性は就学ビザが欲しいだけのために留学すると言った。そして数人のバックパッカーたち。
 中国人のほとんどは日本に働きに来て、その里帰りだった。みな大きな荷物を抱えている。いつでも甲板で、水平線の彼方を見ている姿があった。何故か、みな双眼鏡を持っていて、それは一刻でも早く故郷を見たい気持ちに映った。数年ぶりに帰るという若い女性は、幼い男の子を連れていた。その子は日本語しか喋れなかった。 
 僕はいつか上海に行きたいとずっと思っていた。それはずっと抱いていた憧れであり、シャンハイという言葉の響きであり、そして何より三年前、「あの旅」で出会った人の多くが、この地を異国での始まりの地としていたから、僕は上海を目指した。どんな街から彼らは旅を始め、何故西を目指したかを感じたかったのだ。』

 私が気になる写真家、小林紀晴の処女三部作、アジアで出会った日本人のバックパッカーに取材した『ASIAN JAPANESE』三部作は、まさしく金子光晴の旅を辿る路であったのか。

 う~ん、そうだったのか。

 でも、金子光晴と小林紀晴の、それぞれの旅の理由は異なる。

 金子光晴の旅の理由は妻の三千代の不倫という問題があり、その妻と恋人とのほとぼりを覚ますための、ちょっと残念な理由の旅であった。一方、小林紀晴の旅の理由は、新聞社のスタッフカメラマンをしている自分の存在に、たまらない退屈と、倦怠を覚えたからである。そのころ手に取った金子光晴の本『マレー蘭印紀行』に影響を受けて、「アジアだ」ということになり、数年を経て、その金子光晴の旅を追うようにして上海へ渡ったのが、小林紀晴のアジアへの旅のスタートだった。

 同じことと言えば、金子光晴は初めからフリーの身であり、小林紀晴は、やはり勤めていた新聞社を辞めて、フリーになってからの旅である。やはり自由な旅、しかしそれはその自由以上に不自由も抱えているんだけれども、そんな自由な旅ができるのは、フリーという身になってみないと経験できないものなのだろう。

 私もそんな「あてどもない旅」というものには憧れを持っていたのだが、結局、定年までサラリーマンを勤め上げることとなり、その中では「あてどもない旅」というものは経験しようがなかった。常に「帰ってくることが前提の旅」でしかなかったのだ。

 定年を迎えて、それこそ「あてどもない旅」をすることは可能になったんだが、いまだ、そのような旅をしたことはない。最近はバンや、それを改造したキャンピングカーなどで、一年中、どこかを彷徨って生きている人がいるらしい。それもいいなあ、と憧れを抱いているのも事実だが、しかし、そのような旅を送る気持ちにはなれないでいる。まあ、結局「帰ってくる場所を決めておかないとできない旅」っていう、情けない度に終始しているのが私の旅なんだよなあ。

 まあ、小林氏はその旅の結果『ASIAN JAPANESE』という傑作をモノにし、フリーのフォトジャーナリストとして基盤を作り上げ、現在に至っているのであり、それはそれで凄いことなのであります。

 う~ん、羨ましいなあ。

 結局、そんな重要なワンステップを踏むことなく終わってしまった、私の人生だ。

 まあ、それがサラリーマンのつらさというか、そんな風に、永年勤めていると、そうなってしまうんだろうなあ。

 『まばゆい残像 そこに金子光晴がいた』(小林紀晴・著/産業編集センター/2019年11月27日刊)

こちらもどうぞ。『ASIAN JAPANESE①②③』(小林紀晴・著/新潮文庫)

2020年2月 4日 (火)

横浜、野毛へ……、何しに?

 新宿のマップカメラに行った後に、新宿から湘南新宿ライン経由で横浜、桜木町まで行った。

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 相鉄線の新しい車両がJRに乗り入れてもう一月ほど過ぎているんだが、まだ、それに乗ったことはなかった。相鉄線で横浜に、とも思ったのだが、そうなると武蔵小杉から先は横須賀線から離れて、昔の貨物線を通って羽沢横浜国大駅経由で西谷までいってしまうので、今回は使えないなということで、相鉄線に新宿から乗るのは今回は諦めて、おとなしく湘南新宿ラインで横浜まで行った。

 相鉄線で行くのはいずれまたの機会に……、ということで。

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 桜木町で下車すると、表通りは通らずに裏の野毛の飲み屋街を通って京急黄金町方面へ。

 野毛と言えば「名門ジャズ喫茶 ちぐさ」であります。

『ちぐさは、横浜市中区野毛町に所在するジャズ喫茶である。
 1933年、吉田衛により開業(横浜市中区野毛町1-23にて)。当時6000枚のレコードを有したが、1945年の横浜大空襲で焼失。戦後、米兵向けのレコードを収集し再開した。
 日野皓正、秋吉敏子、渡辺貞夫らが通い、現在、毎年秋開催の「横浜ジャズプロムナード」の生みの親ともいえる喫茶店となった。1994年に店主が他界した後も、親族が営業を継続。しかし、地域の再開発計画により2007年1月31日をもって閉店した。所蔵レコードのうち3000枚は横浜市中央図書館に、家具や備品類は「ちぐさ会」と呼ばれる旧店時代の常連客やファンなどで構成された有志団体が、桜木町駅から続く「野毛ちかみち」の倉庫に保管した。
 2012年3月11日、旧店舗と同じ野毛地区の別の場所(横浜市中区野毛町2-94)で「ちぐさ会」による支援を得て営業を再開。運営も同会が行っている。二台の大型スピーカーとジャズのレコード、食器や家具類は旧店舗で使っていたものをそのまま使用している。』(Wikipedia)

 という由緒あるジャズ喫茶である。

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 この日も、店先を歩くと店内からジャズの音色が聞こえてきて「横浜に来た!」ってな気分になりますな。

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 でも、今日来たのはちぐさに行くのが目的ではない。

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 実は、新しくライカM-Eを手に入れたはいいが、多分、これから多用するであろう21mmレンズ用の外付けファインダーなんだが、フォクトレンダーの21mm用の台座が割れてしまい、カメラに付かなくなってしまったという問題が発生して、代わりのファインダーを探しに大貫カメラまで出張ったというわけ。

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 大貫カメラでは以前、EPSON Rd1sで使う12mmレンズ用の18mmファインダーや12mmレンズ用のファインダーを買ったわけで、結構、こうした小物の在庫が多くあるのを知っていたからだ。

 で、見つけたのがこれ。

 アベノンというメーカーのコバルックス(Kobalux)というファインダー。なんと¥5,000! 安い! で、早速購入。

 アベノンという会社は『1951年に創業した交換レンズ専門メーカー、コムラー。安くてよく写るレンズの提供に加え、望遠レンズ用コンバーターの「テレモア」の大ヒットにより、多くのアマチュアカメラマンの支持を獲得したが、一眼レフのマルチモード化の波に乗り遅れ1980年に倒産した。アベノン光機はコムラーで営業を担当していた阿部さんが1982年ごろに設立した会社。商品開発をコムラーOBが担うなど、まさにコムラーの正統を受け継ぐ光学メーカーだ。』というもの、実はそのアベノンも数年を経て倒産してしまったらしい。

 とにかくライカ用のスクリューマウントのレンズなんかを作っていて、オールドライカ・ファンからは親しまれていたメーカーだったらしい。

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 で、上の写真がそのコバルックスというファインダー。左に写っているフォクトレンダーの12mm用ファインダーと比べてもその存在感の大きさには、かえって使いづらい感じも無きにしも非ず。う~ん、しかし、小ぶりで感じの良いライカ純正のファインダーは高いしなあ。

 なんか、悩み多き外付けファインダ―なのであります。

LEICA M-E LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 @Shinjuku & Yokohama ©tsunoken

2020年2月 3日 (月)

Last Test Shooting by 50mm in Real Ginza

 取り敢えず広角系のレンズによる砂町銀座での撮影テストは終わったので、その後は「本物の銀座」に出て、今度は50mm標準レンズでのテスト撮影。

 まだ、35mmレンズでの撮影はやってないんだけれども、それは50mmと21ミリのテスト撮影をやっちゃえば容易に想像できるので、まあ、最早テスト撮影じゃないところで35mmの撮影はやります。

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 絞りをf8位に絞っても十分撮影できる状況だったんだけれども、敢えて絞り開放にして被写界深度を一番浅くして撮影を行った。要は50mmレンズの「ボケ効果」の検証ってことでしょうか。

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 ただし、持っている50mmレンズはコニカがヘキサー用に作ったM-HEXSANON 50mm f2というレンズ。以前は沈胴式のライカ・ズミクロン f2 やズミルックス f1.4 なんかも持っていたんだが、それらはドナドナしてしまい、気が付いたらライカ用の標準50mmレンズが無くなってしまったので、慌てて買ったのがコニカ・M-ヘキサノンというわけ。

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 いやいや、このヘキサノンもいいレンズで、優れた解像度を持っている。まあ、ズミクロンと比較してもまったく遜色はない。

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 ね、このボケ具合もいいでしょう。

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 カメラがライカだからって言っても、別にそれにライカ・レンズを使わないと撮影できないって訳じゃなくて、外部メーカーでもいいレンズがあればどんどん使ってよいのだ。

 それが「カメラ文化」っていうものですね。

LEICA M-E KONICA M-HEXANON 50mm f2 (Shooting by opening position) @Ginza ©tsunoken

2020年2月 2日 (日)

Test Shooting by 12mm in Sunamachi Ginza

 一昨日のブログにも書いた通り、21mmレンズでの感覚は大体わかった。ということで、昨日は、では超広角12mmではどうなんだろう、ということで、じゃあ一番いいのはかなり狭い商店街かな、ということで江東区は砂町銀座商店街でテスト撮影。

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 砂町銀座に行くには、私は東京メトロ南北線で飯田橋まで行って、そこで東西線に乗り換え、南砂町駅で降りてちょっと歩く、という行程。ところがウチのカミさんは、もともと千石のそばの出身なので都営地下鉄三田線で神保町で半蔵門線に乗り換え、大島駅で降りて、これまたちょっと歩くという行程で行くそうだ。

 まあ、いずれにせよ、最寄り駅からはバスというのがご推奨の行き方なんだが、私もカミさんも地下鉄駅を降りたらあとは歩き、という行程。要は、毎日の生活でもって1日10,000歩というのを目標にすると、まあ、その程度は歩きましょう、ということになるんですね。

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 で、超広角12mmレンズはどうなのよ。

 ということになると、以前のブログでも書いたけど、手持ちのLEICA M6に12mmレンズを装着して横浜中華街を撮影したことがある。その時はちょっとその「広角ぶり」にはびっくり、仰角をつけた撮影をすると完璧に「変態レンズ」になってしまうということを発見したのであった。

 じゃあ、砂町銀座での35mmフルサイズ・カメラでの12mmレンズはどうなのよ、ってことなんだけれども……。

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 いやあ、これが結構イイんですね。結構、使えるレンズだってことを発見しました。

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 やはり砂町銀座の狭さっていうか、そんな感じがフルサイズの広角レンズに合うっていうのが良く分かりました。

 う~ん、こんな狭い路地なんかを撮影するのには、このくらいワイドなレンズが合うんだなあ。うん、これはよい収穫だ。

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 ただし、こんなちょっと開けた場所を撮影すると、やっぱり「変態レンズ」だなあ。

 まだ、仰角をつけていないからいいんだけれども、これを仰角つけちゃうと、結構、トンでもなく変形しちゃうんですね。

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LEICA M-E VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Kitasuna ©tsunoken

2020年2月 1日 (土)

ライカM-E テスト撮影は続く

 一昨日、ライカM-Eが届いたので、早速、様々なレンズを使ってテスト撮影を試みている。

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 以前のEPSON R-D1sというAPS-Cサイズの撮像素子を持つカメラからの持ち替えなので、その辺のレンズの焦点距離と映った画像の関係に慣れることがその目的である。

 取り敢えずEPSON R-D1sとライカの違いを言ってしまうと、有効基線長がライカの方が8.9mm長いってことなんですね。その違いは今も持っているライカM6でも知っているんだが、とにかくフォーカスが合わせやすいということ。この程度の有効基線長の違いでこんなにも見え方が違うっていうことは、昔の戦艦大和の数メートルもある有効基線長って、どんな画像になっているんだろう。なんてことも気になったりして。

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 上下の写真は、ELMARIT-M 28mmで撮った写真なんだが、昔は超広角に属していたレンズなんだが、以前のEPSON R-D1sで数多く撮影してきたレンズが12mm、35mmフルサイズ換算で18mmのレンズなので、28mmというのは何となく標準レンズ的な感覚がある。

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 まあ、「慣れ」っていうものなのでしょうかね。何となくAPS-Cサイズの12mmで撮影し慣れちゃうと、フルサイズ28mmというのは、殆ど標準レンズ、35mmとか50mmという本来は35mmカメラでの標準レンズなんかを使っちゃうとほとんど望遠レンズを使う感覚になってしまうのである。

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 28日のブログで「私にとっての標準レンズは」という『アサヒカメラ』の特集のことを書いたんだが、結局、人によって「標準レンズ」という感覚は異なるってことなんだなあ。

 私も、EPSON R-D1sでは12mm、フルサイズのニコンDfでは20mmを日々使っていると、やっぱり本来は広角・超広角という域が普通の写真に思えて来てしまう、という感覚なのかも知れない。

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 下の写真はフォクトレンダー21mmで撮った写真なんだが、さすがにここまで焦点距離が短くなってしまうと、「やっぱり広角」って感じですね。

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 ということで、明日はEPSON R-D1sで常用レンズとして使っていたフォクトレンダー12mmでテスト撮影をやります。

LEICA M-E LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 & VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Komagome Sugamo & Otowa ©tsunoken

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