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2020年1月12日 (日)

ちょっと強引なところもある『地形で解ける! 東京の街の秘密50』

 歴史に対してまっすぐに向き合うっていうことが、歴史を研究する者の基本的姿勢なんだろう。

 それに対して、あまりにも荒唐無稽なたとえ話をしてしまっては、歴史を研究する立場が全く失われてしまうのですがね……。

Photo_20200102152901『地形で解ける! 東京の街の秘密50』(内田宗治著/実業之日本社/2016年6月紙版刊・2016年10月21日電子版刊)

 まえがきにある「家康が20世紀からタイムマシンに乗って来たのではないか」というのはさすがに荒唐無稽ではありますね。

『家康は 75 歳まで生きた(1616年没)。当時としてはとてつもない長寿である。江戸時代中期、幕府が404名の大名の死亡年齢を調べたところ、死亡平均年齢は 49・1歳だった(『寛政重修諸家譜』)。合戦など絶えてなくなった時代にも関わらず、この資料では、大名の最も多い死亡年齢が 30 歳代( 77 名)ともなっている。それに比べての家康の長寿ぶりは、家康が 20 世紀の人間だとしたら、何の珍しいことでもなくなる(ただし実は上記の調べで、 80 歳代まで生きた大名も5パーセント近くの 19 名いるのだが)。
 家康は、その性格を「 啼かぬなら、啼くまで待とうホトトギス」とたとえられて広く知られた。織田信長のように啼かぬなら殺してしまえとか、秀吉のように啼かぬなら啼かせてみせる、といったせっかちな性格ではなく、鷹揚な人間とされた。これも自分が長生きし徳川政権が以後長く続くことを 20 世紀の人間なので知っていたと考えれば、納得がいく。』

 まあ、これはまさしく「妄想」なんだけれども 、その一方で『妄想はつきない。ついそう思ってしまうほど、東京の地形は謎に満ちている。この例に限らず、凸凹地図などで地形をじっくり見て、現在から過去への視点も加えれば、興味深いことが無尽蔵に現れてくる。』というのは事実なんだろう。

 本書は江戸(東京)の地形に関する「謎」から、それ以降のいろいろな事象へ至る道を考察している。

 基本的な章立ては以下の通り。

第1章 江戸城・皇居周辺の地形の謎
第2章 東京「丘」の秘密
第3章 東京の「谷」めぐりの謎
第4章 都会にのびるミニ山岳鉄道
第5章 水と川にまつわる話

 基本的には、私もこのブログでいろいろ書いているが、要は「山の手」の武家屋敷と、「下町」の町民の暮らしというのが、基本的に江戸の暮らしの基本であって、その「山の手」である「丘」と「下町」という名の「谷底」の関係をいろいろ調べてみると、東京という街の生活構造であり、同時に権力構造も見えてくるというお話が、本書の基本である。

 徳川家康が如何にして江戸の治水問題や地下水問題を解決したのか、というのは大体知ってはいたのだが、改めて本として読むってのも面白い。

 基本的なことを言ってしまえば『東京と、それ以前の都だった京都とでは、平野と盆地という地形上の大きな違いがある。この相違は誰にでも分かりやすい。もう一つあまり注目されていないが、人々が暮らす上で決定的な自然条件の相違があった。地下水の量がまったく異なるのである。
 京都盆地には、鴨川の伏流水が流れている。盆地の地下に天然の岩盤によるダムが形成されていて、多量の地下水を堰き止める構造となっている。京都盆地は巨大な地下ダム湖の上にあることとなる。そのため、平安時代の昔から、2メートルも井戸を掘れば、鉄分の少ない良質の水を豊富に得ることができた。
 東京の下町低地は、通常の井戸を掘っても塩分が混じり、生活用水として利用できない。江戸時代前半までの井戸はいわゆる浅井戸で、通常は3メートル程度掘ったものだった。』

 というまでの第1章と第2章が、まあ歴史における土地の形との関係に関するお勉強。第3章からあとは、東京の谷を巡る趣味編ですね。

 そんな感じで読んでいけば面白い。

 まあ、「東京」に至るまで引き続く「江戸の治水」なんですね。

 まあ、治水は都市インフラの基本だもんなあ。

『地形で解ける! 東京の街の秘密50』(内田宗治著/実業之日本社/2016年6月紙版刊・2016年10月21日電子版刊)

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