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2020年1月16日 (木)

山手線で一番影が薄い駅

「大学生に聞いた、山手線で一番影が薄い駅」ランキングというのがあって、見事第1位に輝いたのが「鶯谷駅」なんだそうだ。

 鶯谷に次いで、2位が田端駅、3位駒込駅、4位大塚駅、5位新大久保駅というのが続くらしい。う~ん、見事に山手線東北部の駅が連なっていますね。

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 鶯谷駅には山手線と京浜東北線のホームがあって、それと並行して宇都宮線・高崎線(つまり上野東京ライン)と常磐線も走っているんだが、すぐお隣が上野駅なので、それらの路線のホームはありません。確かに、乗換駅でもないし、特に学生さんたちから見れば、殆ど乗り降りはないだろうし、存在感が薄いと感じられても仕方がないのかもしれない。

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 でもね、鶯谷と言えば有名なのがラブホテルの充実ぶりなのです。

 もう、駅前にはそこここにラブホテル、ラブホテル、ラブホテルです。学生さんたちも今は使わないだろうけれども、これからは実に大いに使うことになると思うよ。なんてね。

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 ラブホテルにも使い方はいろいろあって、勿論、カップルで入っていくっていうのが一番ノーマルなんだろうけれども、男一人で入って、そのままずっと見ていると、その後に女の人だけが一人で入って行って、1時間もすると今度は女の人だけが先に出て来て、その後、男一人が出てくる、っていう使い方もあるようです。

 まあ、中でどんなことをしていたのかはご想像の通りだし、その男女の関係もご想像の通りです。

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 で、そんなラブホテル街の中心に位置しているのが元三島神社。別にラブホテルの守り神ではないだろうが、「ラブホテル」が「連れ込み旅館」と呼ばれていた以前から鎮座しています。

 そういえば、私の高校の同級生で家が鶯谷で連れ込み旅館を経営している奴がいたなあ。なんせ、下町の学校でしたからね。

『1281(弘安4)年発生した元寇において、伊予水軍を率いた勇将・河野対馬守越智通有は伊予国一宮大山祇神社に必勝祈願を行ったのち出陣し、大きな戦功を挙げ帰陣した。
 その折、夢で大山祇命の神託を受け、武蔵国豊島郡上野山内に分霊を勧請・奉斎したのが始まりであるとされる。
 1650(慶安3)年、上野山が寛永寺の寺地になった際に山内よりの社地移転を命ぜられ、金杉村(現・台東区根岸付近)に移転をとげた。
 1709(宝永6)年、その金杉村の社地が幕府用地とされたため、代替地として浅草小揚町(現・台東区寿)に再遷座した。
 金杉村の氏子から氏神様の遠方への遷座は不都合であることから、金杉・根岸の村民は協議を重ね、ついに金杉にあった熊野神社と合祀、これを元三島神社と称した。』(元三島神社由緒書きより)

 という、由緒ある神社なのです。

「谷中七福神」の一つ「寿老人」も鎮座しています。谷中七福神はこの鶯谷周辺のそこここのお寺や神社にあって、お正月には七福神巡りをする人が多く参拝しています。

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 そのラブホテル街から道1本を隔てたところにあるのが、台東区立根岸小学校。

 昔は「下町の学習院」と呼ばれた、これまた由緒ある小学校で、創立は明治4年(1871年)というから、殆ど日本の小学校で一番古いといってもいいんじゃないだろうか。

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 この辺、ラブホテルといういわば「下卑たところ」と小学校という「神聖なところ」が同時に存在していると言うところが、まさしく下町ですね。

 昨日からの「遊郭つながり」ではないですが。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Negishi Taito ©tsunoken

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