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2020年1月11日 (土)

原宿セントラルアパートの頃

 明治通りと表参道の交差点、神宮前交差点に面したところに現在あるのは、東急プラザ表参道原宿なんだが、ここには昔「原宿セントラルアパート」という建物があった。

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『初めは1958年(昭和33年)、米軍関係者など特別な人々を対象とした共同住宅(アパート)として完成した。完成当時、所在地住所は東京都渋谷区穏田一丁目で、これが1965年(昭和40年)の住居表示施行によって神宮前4丁目に変わった。
 昭和30年代後半になると、アパートは上層階に事務所、下層階に店舗が入居するという形態になった。これに伴い、アパートにはカメラマン、コピーライター、イラストレーターなどのクリエーターが多数入居、ここに事務所を構えることが文化人のステータスとなった。
 また、1階に入居していた喫茶店 『レオン』は、マスコミ関係者が多く集まることで知られた。』(Wikipedia)

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2019年12月12日 (木)のブログ『井の頭公園から三鷹へ向かう玉川上水脇の道が好きだ』で書いたぴえろ(旧スタジオぴえろ)の布川郁司氏が東京に出て来て、デザイナーの勉強をしながら「いつかはオレも」と考えていたのが、その原宿セントラルアパートに事務所を持ちたいということだったらしい。 

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 近所にある同じ「アパート」でも、1926年(大正15年)に作られた同潤会青山アパートとは異なり、階下に商業施設が入ったというところが新しいところだった。上の住居部分にはコピーライターやカメラマンなどの当時の若者の「憧れの職業人」の事務所があり、階下には打ち合わせのためのカフェなんかもあって、布川郁司氏でなくとも、当時の若者が「いずれはオレも原宿セントラルアパートに事務所を」と考えてもおかしくない時代ではあった。

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 1985年頃、『バリバリ伝説』のOVAを製作担当をしていた私は、その作品の音楽部分をビクター音楽産業(当時、現JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)が制作していたということもあり、ちょくちょく、原宿セントラルアパートの隣にある原宿ピアザビルにあるその会社を訪れていた。

 で、まあ、そのついでに原宿セントラルアパートの中にあるカフェなんかに行って、ダンスエクササイズなんかをやっている女性たちを眺めながらコーヒーを飲んでいたりしていたのだ。

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 でも、その女性たちって、ウィークディの日中からそんなことをやっていて、生活は大丈夫だったんだろうか?

 まあ、大丈夫だったから、そんな時間からダンスエクササイズなんてやれたんだろうな。そういう時代(バブルな時代?)だったんですね。日本中が、何となく「自分たちは金持ちだ」なんて幻想に揺れていた時代ではあったんだろうなあ。そういえば「竹の子族」なんていうのが出現してきたのもこの時代だ。竹の子族のチーム名のつけ方が今の子供たちに対する「キラキラネーム」の元になったんじゃないか、って話もある。

 原宿セントラルアパートは1998年に無くなって、その後、ティーズ原宿となり、2011年に東急プラザになった。

 いやあ、まさしく「強者どもの夢の跡」だなあ。

 なお、今日・明日は名古屋にいますので、Facebook経由でこのブログを読んでいる方、明日だけは「http://tsunoken.cocolog-nifty.com/tsunoken/」で、お読みください。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Jingumae ©tsunoken

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