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2020年1月14日 (火)

「定年後の生き方モデルは大府にある」のか?

「おっさんずラブ」とか、なにかと「おっさん」がもてはやされているようなんだけれども、現実はそんなことはまったくなくて、普通に「世の中からジャマにされているジジイ」がいるだけなんだよなあ。

 だから「定年後の生き方モデルは大府にある」って言われちゃってもさあ、こんな定年後なんて送りたくないというのが、私なんかの本音なんですよね。

 だってさあ、定年後の男の人生って「メシを作る」ことだけなのか? 「ベンチを修理する」だけなのか? 「アイロンがけ」をちゃんとやってればいいのか?

 ボーッと、コロッケを作っていればいいってもんじゃないよ! って、チコちゃんに叱られそうだな!

 こんなジジイには、私はなりたくないっ! というのが映画を見ての単純な感想でした。

3_20200113110401 ©おっさんずルネッサンス製作実行委員会

 監督の高野史枝さんにとっては2015年に製作・公開した『厨房男子』に続く2作目である。

 前作ではもっと単純に「厨房に入って自ら料理作りに励む男たち」を嬉々として記録していたイメージがあるんだが、どうなんだろうか。

 出てくる男たちも、高野氏の知り合いから始まって、様々なつながりのある男どもで、遂には高野さんの御主人の音響効果技師の高野裕夫氏や、小さいころから料理を仕込んだ息子の高野弘樹氏など、基本的に高野氏の知り合い関係に取材をし、それで映画の基本骨格を形成し、最後の「〆(しめ)」みたいな感じで、愛知県大府市の男女共同参画センターである「石ヶ瀬会館(ミューいしがせ)」のメンズカレッジやそのOBで作る男楽会のメンバーによる、怒涛のコロッケ作りでもって大団円を迎えるという構成で、なかなか楽しめる映画の構造であった。

 それが、今回は初めからミューいしがせが取材対象であり、基本的な取材はすべてミューいしがせのメンズカレッジや男楽会なのである。

 まあ、今回は大府市も少し映画に出資している関係もあるのか、あえてミューいしがせを取材対象の中心に添え、その活動のレポートが映画の中心主題である。勿論、それを否定するつもりはまったくないのだが、何か、それで高野氏はいいの? っていう気もするんですね。

 映画のナレーションからすると、愛知県の大府市というのは名古屋市の隣にある街で、どうもトヨタ関連の会社や工場が多い街らしい。つまり、そこに育った男たちは「大トヨタ」の傘下で、かなり官僚的な組織の中で長年働いてきた男たちなんだろう。官僚組織っていうのは、基本的に前例主義で、仕事をするのに「頭を使う」ことよりも「体を使う」ことを求められる世界である。そうやって、長年、頭を使わずに生きていて、ある日、「定年」という名前の卒業式を迎えると、突然、その日から「自分が何をして定年後の長い人生を送ればいいのか」分からなくなってしまい、基本的には「何もしない毎日」を送ることになってしまい、いわゆる「濡れ落ち葉」といわれる人生を送ってしまう人が多いようだ。

 社長ははっちゃけているので、なんか自由な雰囲気なのかなとも思うかもしれないが、その下はしっかりとした官僚組織でもって支えているのが「大トヨタ」なのであります。宮内庁みたいなもんか。まあ、あのくらい会社が大きくなっちゃうとそれもしょうがないのかなとも思える。なんせ、日本の株式上場総額トップの会社だもんなあ。要は、会社としては日本で一番のお金持ち。

 その中でも、「いやいや、これではイカン」と考えた人たちが、思いを馳せるのがミューいしがせのメンズカレッジなんだっていうことなんだろう。

 勿論、そんな生き方を否定するつもりは、頭からない。「いやあ、なんとか『生き甲斐』を見つけられてよかったですね」とまあご同慶の行ったり来たりではある。

 でも、それって映画にして面白い題材なんだろうか? という疑問が湧いてくるんですね。

 だってさあ、「料理を作る」ことだけが人生なのか? 「ベンチを修理する」ことだけが人生なのか? 「アイロンがけ」をちゃんとやることだけが人生なのか? 「コロッケ作る」のが人生なのか?

 う~ん、まあ、それも人生かも知れないのだが、別にそれだけが「男の人生」じゃないでしょう。もっともっと、いろいろやることはあるはずなんだけれどもなあ。あるいは「あったはず」なんだけれどもなあ。

 基本的なことを言ってしまえば、この映画の本来のテーマは「男女共同参画社会って何なんだろう」っていう大きなテーマがあるはずなんだ。それが単に定年後の「おっさんず」が右往左往する様を記録しても、ちょっと面白くないっていうか、ちょっと的外れなんじゃないかと思うのである。むしろ「男女共同参画社会」のテーマは、定年後の世界ではなくて、むしろそれ以前の時代からあって、定年後の世界に関して言えば、その総仕上げのような社会であるはずなんだなあ。

 高野さんにとってみれば、男女共同参画社会の入口は「男子厨房に入る」というところから始まって、その後、様々な世界に全面展開するという形態をとるはずなんだ。ならば、もう既に定年後のジジイたちにかかわるよりは、それ以前の男子に対する提言をしてもいいんじゃないだろうか。いや、むしろそのほうが「男どもにとって」は有益になるんじゃないかと思うんだが、どうだろうか。

 もしかすると、この映画、前作の『厨房男子』とセットで見ると面白くなるのかもしれない。勿論、『おっさんずルネッサンス』が前座で、『厨房男子』が本命である。そうすると、『おっさんず』でもって「おお、定年後にもこんなことをやっている人たちがいるのか」と認識をもった「おっさん」たちが、『厨房』でもっと楽しい世界があるんだなあ、という感想を持つにいたるのではないだろうか。

 映画『おっさんずルネッサンス』は現在、名古屋市東区にある名演小劇場でロードショー公開中で、その後、横浜、大阪、京都でも公開予定だそうだ。出来たら、その際は『厨房男子』『おっさんずルネッサンス』の二本立てで公開して欲しい。 

Photo_20200113153701 ©おっさんずルネッサンス製作実行委員会

Dsc_00262_20200113153701©tsunoken NIKON Df AF NiKKOR 24-85mm f2.8-4 D @Nagoya

 舞台挨拶をする高野監督。隣の凛々しい顔つきの女性が、カメラパーソンの城間典子さん。

 城間さんは京都造形芸術大学の映画学科映画製作コース専攻出身の才媛。一言だけ彼女に言いたいのは「監督の言うことだけを撮影していてもダメだよ。カメラマンはカメラマンとしての視点があるはずなんだから、それを監督に対して主張してもいいのだ。」とまあエラそうなことを言ってしまうのだが、要は「映画には捨てカットが必要なんだ」ってことです。

 捨てカットは監督に言って撮ってもいいし、勝手に撮ってもいい。「捨てカット」なので、基本的には本編では使われないのが前提なんだけれども……。

『実は、編集時に何となく欲しくなるカット』なんですね。それがあるとないとでは「映画の豊かさ」が違ってきます。特にドキュメンタリーでは必要なんです。

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