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2019年12月14日 (土)

筒井之隆氏のこと

 なんか突然なんだが筒井之隆氏のことを思い出した。

 筒井之隆氏って何者なんだ? っていう疑問を持つ人は多いだろう。

『安藤百福発明記念館(愛称:カップヌードルミュージアム)館長
 1944年1月、大阪府生まれ。同志社大学卒。1967年、読売新聞大阪本社入社、1985年、日清食品株式会社入社、宣伝部長、マーケティング部長、広報部長、取締役、常務取締役を歴任、2005年から常勤顧問(現在も)。2006年~2009年立命館大学経営学部客員教授。2011年から「カップヌードルミュージアム」館長。』という人。(横浜中法人会サイトより)

 作家・筒井康隆氏を長男とする4人兄弟の末っ子でもある。

Dsc_00132_20191213154301日清食品ホールディング東京本社 NIKON Df NIKKOR 24mm f2.8 @Higashi Shinjuku ©tsunoken

 1986年にOAV『バリバリ伝説 筑波編・鈴鹿編』という二部作を製作発売し、翌87年には『あいつとララバイ』と一緒に劇場公開した講談社は結構バイク乗りたちからは支持されている出版社だったんだが、私自身も両作品のプロデューサーであり、同時に製作中の『AKIRA』を準備しつつ、次なる展開を目指していろいろな試行錯誤をしている最中だった。

 そんなときに講談社の『ヤングマガジン』で日清カップヌードルレーシングチームという、MFJノービスクラスに参加しているチームがあり、それとのコラボレーションを企画していた。

 1989年の日清カップヌードルレーシングチームはエースライダーに青木三兄弟の長男、青木宣篤を配置し、HONDA CBR400の改造レーサーで戦っており、何せ日清食品という大メーカーがスポンサーになっている関係から、カップヌードル・レースクィーンなんていうハデな演出をしていたのである。

 勿論、1989年の鈴鹿4時間耐久レースは青木宣篤組が優勝したんであります。もう、チームは大騒ぎ、レースクィーンたちも大はしゃぎ。

 レースクィーンは3人いて、一人はあの岡本夏生さん、もう一人は当時は蒲池幸子さんで後の坂井泉水(ZARD)さんで、もう一人の名前は忘れてしまった(ゴメン)。蒲池幸子さんはその頃は、松田聖子(本名:蒲池幸子)さんの従姉妹じゃないかって言われていたんだけれども、そうではなかったらしい。でも、何となく聖子似の(というかそれ以上に)可愛らしい女性だったっていう記憶はありますね。岡本夏生さんは、当時からまんま岡本夏生。昔からあのまんま。それも見事! 皆さん、当時のレースクィーンでは当たり前のハイレグ水着で走り回っていました。

 レースクィーンったっていつまでもやれる職業じゃないので今後どうなりたいの? という質問をしたら、岡本さんは「売れっ子タレント」、蒲池さんは「歌手」といって、もう一人の人は「やくざの情婦」と言っていた。最後の一人の夢が叶ったのかどうかは分からないが、岡本さん、蒲池さんは取り敢えず夢を叶えたんだから大したもんだ。まあ、ZARDの最期は残念だったけれどもね。

 で、その頃、日清カップヌードルレーシングチームをスポンサーとして支えていたのが、当時は日清食品の広報部長だった筒井之隆氏だったのだ。

 私自身が小説に目覚めたのは、1967年に『週刊 平凡パンチ』に連載を開始した五木寛之氏の『青年は荒野をめざす』がきっかけだった。その後、五木フリークとなって、五木寛之氏の小説はほとんど読んでいたんだが、そのうちに大河小説『青春の門』を発表した頃から違和感を感じ、あまり五木氏の作品は読まなくなってしまった。

 で、その次に夢中になったのが筒井康隆氏の作品であった。ただし、初期のSF作品ではなくて、どちらかというとスラップスティックな作品群が多かった。その後、『月刊 噂の真相』あたりで「笑犬樓の逆襲」というエッセイを発表し始めた頃からが、私が筒井康隆フリークになった切っ掛けだったのかもしれない。

 そんな筒井康隆氏の弟が日清食品の広報部長なんてものをやっているなんてことは、日清カップヌードルレーシングチームと関係が出来るまでは知らなかったわけで、名刺交換をして「あれっ?」ってなもんで、「もしかしたら」という疑問に「その通りです」という筒井之隆氏が答えてくれたというのがきっかけだったのだ。

 って、話だけなんだけれどもね。

Photo_20191213154401カップヌードルミュージアム横浜 ©日清食品ホールディングス

 思い出したのは、それだけの事。

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