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2019年12月

2019年12月31日 (火)

今年もご愛読、ありがとうございます

 今年も一年間「tsunokenのブログ」にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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 今年はNiftyのブログ・システムが変更になった際に間違えた操作をしてしまったために、3月20日に私のブログ「tsunokenのブログ」が壊れてしまった。

 そのために、それまで普通に毎日300~400ページビュー(PV)を稼いでおり、たまに4ケタを数えるまでになったブログが、途端にゼロからの再スタートと言うことになってしまった。それでも最近は50~80PVとなり、たまには4ケタ、3ケタを稼ぐようになったのは、皆様のご愛読のおかげです。

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 そんなわけで一年間のブログの総括は今年はなし。

 まあ、別にPVによってお金を稼いでいるわけでもないので、なにかブログが壊れたことでの経済的損失もないし、別に、それまでと方向性が変わったわけでもないし、まあ、今まで通り毎日街をブラブラしながら写真を撮影し、それにどうでも良いコメントをつけて投稿するという以前と変わらないブログ姿勢であります。

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 ただし、ここのところ本に関する文章が減ってきているのが、我ながら気になってはいる。書店通いは相変わらずだし、Kindleでの読書は続いているんだが、本に関する投稿はあまり多くはないなあ、というのがちょっとした反省点。

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 来年は以前の姿勢に戻って、少し「本ブログ」を増やさなければな。

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 と、少し反省。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Azabu Juban ©tsunoken

2019年12月30日 (月)

阿佐ヶ谷パールセンター商店街

 JR中央線の阿佐ヶ谷駅で降りて南口を出ると「阿佐ヶ谷パールセンター」というアーケード付きの商店街にブチ当たります。

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 阿佐ヶ谷駅南口から青梅街道を走る東京メトロ丸の内線の南阿佐ヶ谷駅のそばに出る、およそ700m位の結構大きな商店街です。

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 毎年、夏になると「阿佐ヶ谷七夕まつり」というものを開催して、かなり賑やかに七夕飾りがアーケードを埋め尽くします。

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 実はこの商店街のそばにあったアニメーション・プロダクションのマッドハウスという会社もこの七夕祭りに参加していて、その時上映したり放送しているアニメ番組のキャラクターなんかを使った七夕飾りを天井からぶら下げていて、結構、話題になったりしていたんですね。

 マッドハウスは角川アニメなんかも制作していて、結構、ヒット作に恵まれた制作会社だったんですがね……。

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 私が初めてマッドハウスと付き合い始めた時期が、講談社が「SF新世紀レンズマン」という「超コケ・アニメ」の劇場版を製作し、その後、私のプロデュースで「GALACTIC PATROL レンズマン」というこれまた超コケのテレビ・アニメ・シリーズを作っていた頃なんですね。

 当然、その年の七夕祭りにはマッドハウスの製作で「レンズマン」に出てくる「ブリタニア号」という、宇宙戦艦の七夕飾りが出ていたわけです。が、多分、マッドハウスの歴史上一番町ゆく人たちから無視された七夕飾りだったんじゃないかな。

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 残念ながら、今やマッドハウスは無くなってしまっており、マッドハウスが入っていた青梅街道に面したところにあるビルも取り壊されて、現在はマンションを建設中です。ついでにマッドハウスが入っていたビルの階下には「書原」という、これまたユニークな本屋さんがあって、結構、マッドハウスとの直接の付き合いがなくなってからもちょくちょく南阿佐ヶ谷に行って、立ち寄っていた本屋さんではありました。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 ©tsunoken

2019年12月29日 (日)

断捨離は何のため?

 一日おいて、まだまだ「断捨離噺」は続きます。

 で、断捨離をすませた私の足は銀座に向かいます。

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 行く先は「銀座教会堂ビル」。と言っても、別に断捨離で得たお金をカトリック教会に寄付するというわけではありません。

 実はこのビルの最上階、8階にあるんですね。

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 中古カメラで有名な「レモン社」です。

 このレモン社、新宿にマップカメラがオープンするまでは、多分、都内で一番ライカのカメラとレンズが豊富にある中古カメラショップだったんじゃないだろうか。ここの店の特徴は「委託販売」が多かったこと。その販売方法には、四谷三丁目のカメラ買取専門店アローカメラ/我楽多屋の野田社長はちょっと辛い点をつけていましたがね。

 ただし、現在のレモン社はナニワグループという大阪の中古カメラ店の傘下に入ってしまっていて、以前の商法とはちょっと異なっているようです。

 銀座に行けばこのレモン社と数寄屋橋交差点にあるスキヤカメラ・ニコンハウスに行くのが、私の定番コースなんですね。まあ、ニコンハウスは路面店なので覗きやすいということからかな。スキヤカメラの本店とか、カツミ堂にも以前はよく行っていたのだが、それらのお店はフィルム・ライカのみでデジタル・ライカは扱っていないので、最近はあまり覗かなくなってしまった。

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 私の最初のライカ「ライカM3・ダブルストローク」を買ったのもここレモン社。

 その後、ライカM5とM6ブラックを買ったのも、レモン社だったと思うし、そのライカで使うレンズもかなりのものはレモン社で買ったのであります。

 そう、そんな3台のライカを手放してしまったのは何故だかはもう覚えていないのだが、「ええっ、全部売っちゃったらライカないじゃない」ってことで、再び今度はシルバーのライカM6を買ったのは、新宿のマップカメラじゃなかったかな。

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 先週もマップカメラに敵情視察に出かけたし、まあ、今日も同じく敵情視察であります。あっ、「敵情」ではなかったですね。

 要は、今回の目的は上にも書いた通り「デジタル・ライカ」なんですね。

 これまでは、私にとってライカっていうのは「アナログ・ライカ」だったんだけれども、「デジタル・ライカ」も進化してきて、だんだん普通に使えるカメラになってきたし、そろそろAPS-Cサイズ・センサーの「EPSON R-D1s」から35mmフルサイズのライカに買い替え……、ってな具合になってきたんですね。もう勝手に。

 ということで、最近はデジタル・ライカを求めて東京をウロウロって感じです。

 もうちょっと安くならないかなあ、ってことで。

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 って、それじゃあ「断捨離」じゃないじゃないか、っていうご指摘は誠に真っ当、間違いのないご指摘なんですね。

 だって、ここで新しいカメラを買っちゃったら、確かに駐車場代はかからないけれども、私の家の「カメラ庫」には、更にいっぱいのカメラ(結構、既にいっぱいに近いのです)で埋まってしまうんですね(まあ、「駐カメラ代」はかからないですけれどもね)。

 それじゃあ、「断捨離」じゃないじゃん。

 今度はカメラの「断捨離」か。

 う~ん、もうそれは私の世代じゃないだろうな。

 ヨロシクね。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Ginza ©tsunoken

2019年12月28日 (土)

昨日は官庁御用納めだったんだけれども……以前と変わったところ

 昨日は12月27日で28日は土曜日の為、昨日が官庁御用納めの日だった。

 以前、御用納めの日に「凄い光景」が見られたので、現在はどうなっているのか気になって、霞が関まで出かけてきた。

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「凄い光景」ってどんなことなのか?

 実はもう既に数十年前のことになってしまうのだが、テレビアニメの制作担当をしていた私は、暮れの最期の制作話数の音響作業のために麻布のアオイスタジオに向かっていた。当時は、まだ麻布には地下鉄が走っていない時代だったので、音羽の講談社から有楽町線で桜田門まで行って、そこからタクシーで麻布に向かうというのが最速の方法だったのだ。

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 で、桜田門駅から地上に上がって来た時に、その「凄い光景」に出くわしたのであります。

 どんな「光景」かというと、桜田通りを一面に「黒い高級車、勿論、運転手付き」が覆いつくして、まさしく「黒グルマ渋滞」の様相を呈していたんですね。これはもう何と言うか、まさしく「凄い光景」だし「異常な光景」でもあったわけです。

 要は、御用納めの日に、監督官庁へ挨拶回りをする、いろいろな会社の社長さんたちの集団だったのであります。まあ、如何にも「昭和」な光景ですね。今更「お上」じゃねえだろうってことなんですけれどもね。今なら。

「そんなくだらないことに時間を潰すなんて」っていう言葉が「働き方改革」の現在なら当然出てくる批判であることは当然なんですけれども、当時はそれだけ役人が威張っていた時代だったんですね。

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 さすがに昭和はとうの昔のこととなり、平成も終わって今や令和の時代。

「働き方改革」は、さすがに「ブラック」と言われていた国家公務員の世界にも浸透しているかのように、結構、静かな霞が関官庁街だったのであります。

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 で、そのまま新橋駅まで行ってみれば……。

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 サラリーマンの聖地、新橋は相変わらず数多くのお父さんたちで賑わっていましたがね。

 これって雇っている企業がブラックなのか? あるいは、雇われているお父さんたちが情けないのか? どっちなんだ!

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Kasumigaseki Shimbashi ©tsunoken

2019年12月27日 (金)

令和の断捨離はクルマ

 ということで、昨日のブログのつづき。

 実際の「断捨離」の話。

 実は、私、結構これまでも断捨離ってやつはやっているんですね。

 一番最初は、カミさんの実家の断捨離。

 結局、カミさんの実家を売却することになり、屋根裏部屋にあった昔からの「大事なもの」と書かれた数多くのガラクタを処分したんだが、一回では足らずに、二回処分を「何でも屋さん」にお願いして、都合、300万円ほどかかってしまった。

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 一番最近は5年ほど前に、現在のマンションが建替えなって上石神井から引っ越してきた少し前。

 一番最初の断捨離は、カミさんの母親が長期入院することになり、実家に誰も済まない状態になったため、上石神井にカミさんの母親も一緒に住める、かなり大きい家を買ったんだが、これが7LDKで、なおかつ地下に2台分入る駐車場あり、更にリビングは10畳以上もありという物件。

 結局、地下の部屋は私の書庫となったんだが、これがどんどんたまるはたまるは、結局、上記の引っ越しの際に数百枚のジャズのレコードを友人に譲ったり、数千冊の本を吉祥寺の古本屋で引き取ってもらったりした。

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 それに比べると、今回の断捨離「クルマを売る件」は作業的にはかなりラクだった。

 引き取り業者に我が家へ査定に来てもらって、引き上げ日を決定して、後日、陸送業者にクルマを引き取ってもらった、というだけ。

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 私のクルマ遍歴は、いちばん最初がニッサン・バイオレット(PA10)という、当時はニッサンの方がトヨタよりラリーに力を入れていて、東アフリカ・サファリラリーなどで大活躍したクルマだ。私はこれをダートトライアル仕様にして乗っていた。その次はやはりニッサン・ガゼールというスポーツタイプのクルマで、これもラリーでは活躍したクルマだ。私のガゼールはノーマルだったが、夜な夜な愛知県と岐阜県の県境のダート道を走っていたのである。

 その後は、カミさんと結婚したこともあって、ラリーまがいのことはやめて、ボルボ→メルセデス・ベンツ190Dという八王子自動車学校の教習車のお下がり→ランチア・テーマという、都内の渋滞を走るとすぐにオーバーヒートしてしまう如何にもイタリア車らいクルマだった。ただし、同じランチア・テーマでもフェラーリ・ディノのDOHC V6を載せた「ランチア・フェラーリ」じゃなくて、ノーマルのランチア・テーマ。次がBMWとちょっと「フツー」に堕落して、最終的にはこのメルセデス・ベンツC200に。ボルボ以降はすべて中古車で手に入れたクルマ。

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 ところが、5年前に本駒込に引っ越してきてからは、都内に出かけるときには大体電車かバスだし、近郊都市に出かける時だけくらいしかクルマは使わなくなってしまった。まあ、都内をクルマで移動すると駐車場探しに苦労をするだけで、なんかムダなんですね。ヘタをするとクルマを使って外出するのが月に一度もなくなってしまいそうになり、無理やり用事を作ってクルマで出かける、なんてことになってしまう。

 さらに、近郊都市(つまり北は茨城、栃木、群馬、南は神奈川の鎌倉以西、山梨といったところ)に行った場合は、帰りはグリーン車に乗っちゃえばお酒を呑みながら家まで帰れるという特典があります、クルマじゃそうはいかないもんね。

 こうなると、毎月の駐車場代金やら、自動車税、損害保険、2年に一回の車検費用なんてものがムダにかかってしまう。クルマが必要ならレンタカーやらカーシェアリングなんかを利用すればいいし、実際に、これまでも地方に旅行にいった際なんかは、電車や飛行機で現地に赴くと、そこれレンタカーを借りるなんてフツーにやってたもんな。

 ということで、少しは身軽になったってもんだ。

 ただし、これには続きがあるんですがね……。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Hon Komagome ©tsunoken

2019年12月26日 (木)

『独居老人スタイル』って、やっぱりね

 博覧強記の都築響一氏のちくま文庫新刊テーマは「独居老人」である。

Photo_20191222155801『独居老人スタイル』(都築響一著/ちくま文庫/2019年12月10日刊)

『いま、世の中でいちばん情けない種族は「独居老人」ということになっている。いっしょに住んでくれる家族もなく、伴侶もなく、近所づきあいもなく、食事は3食コンビニ弁当、最後は孤独死したまま気づかれず、残った屋敷はゴミ屋敷……みたいな。
 でも、独居老人って、そんなに憐れむべき存在だろうか。統計によれば高齢者の自殺率で、いちばん多いのが三世代同居、いちばん低いのが一人暮らしだという。ひとりで生きることの寂しさやつらさより、家族関係のもつれのような、ひととひととのごちゃごちゃのほうが、はるかにひとのこころを壊すのだ。』

 として都築氏が紹介する「独居老人」は16人。

秋山祐徳太子 アーティスト 片付けるってのは、消極的なことですよ。
首くくり栲象 アクショニスト 早く壁にぶち当たりたいんです。
鈴木惇子 スナック・ママ タバコ屋と寿司屋と焼肉屋があれば、どこでもいいの!
美濃瓢吾 画家 絵描きになるには毎日、家に居ればいいんだ。
水原和美 輸入用品雑貨店経営 同年代の友達なんて、つまんないからひとりもいない!
田村修司 本宮映画劇場館主 手伝ってくれるひとなんて、だれもいないんだよ。
戸谷誠 画家 絵は病気なんですよ、つい飲んでしまうように、つい描いてしまう。
ダダカン アーティスト/ハプナー なんにもしないでいられたら、それでいいんです。
荻野ユキ子 早稲田松竹映画劇場お掃除担当 退屈しないよ、頭の中が休んでるヒマないからね。
新太郎 流し やめちゃうのは学があるからだよ、学問がないから続いているの、それだけ。
磯村遜彦 舶来居酒屋いそむら・主人 24時間ぜんぶ、自分のために使えるんやもん。
川崎ゆきお 漫画家 電子書籍は野菜を直販するようなもんや、きたないけど売ってるんや。
ブッチャリン 道化師 歩くって、止まるのが少ないって書くんです。
坂東三奈鶴 日本舞踊家 彼氏はいるわよ、飲み友達ね。
三代目長谷川栄八郎 津軽三味線奏者/民謡歌手 台本なんていらねえ、ぶっつけ本番でやっちゃうもん。
川上四郎 日曜画家 ようするに好きなんだね、女性が。

 とは言うものの、以前、グリコの恰好をして都知事選に立候補した秋山祐徳太子氏の家なんか、完全にゴミ屋敷だもんなあ。

 秋山祐徳太子氏の家は多分、都営高輪一丁目アパートという、隣が今度、上皇夫妻が移り住んでくる予定の高松宮邸という、アパートと呼ぶには似つかわない高級マンションなんだが、本書の写真によれば典型的なゴミ屋敷。お母さんが存命の時まではお母さんがどんどん片付けてしまったらしいが、亡くなってしまってからは、誰も片付ける人がいないもんだから、完璧なゴミ屋敷になってしまっている。

 まあ、しかし振り返ってわが身を見れば、現在、妻と二人暮らしをしている現在のマンションでは、いずれどちらかが「独居老人」になる訳なので、これはあまり他人事として笑って読んでいるわけにはいかないのだ。

 まあ、上の16人でも女性の場合は家もかなり片付いているようだが、基本的に男はダメですね。勿論、秋山祐徳太子氏みたいなヒドイ例から、比較的片付いている人もいるんだけれども、基本的には男の独居老人の家はモノが溢れていたり、まあ、溢れていなくても、基本、ゴチャついてる家が多い。

 やっぱり「断捨離」をしないといけませんね。

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NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Jimbocho ©tsunoken

『独居老人スタイル』(都築響一著/ちくま文庫/2019年12月10日刊)

2019年12月25日 (水)

人形の家?! 家?!

 いやあ、ちょっと数日前に、以前35年ほど前に住んでいた練馬区の大泉学園に、ちょっとした用事があって行ってきたんですがね。

 そのお隣の家の前の「置物」というか「焼き物」というか、なんか訳の分からない彫刻と言うか、彫塑というか、焼き物というか、まあ、陶器のそんなものがいっぱい置いてある家が隣にあったんだが、その数がここ数年にわたって増々増えて行ったっていう話。

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 いやあ、凄いなあ。

 こんなに置いちゃって、玄関の出入りはどうするんだろう、なんて問題は、まあ、その陶器人形を集めている人にとってはどうでもいいことなんでしょうね。

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 勿論、今流行りの信楽狸もちゃんといます。

 しかし、まあ、とにかく「凄い!」としか言いようのない数ではあります。

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 まあ、お隣の奥さんにしてみれば「亭主の物好き」で始まったものが、いつの間にか「偏執狂」的なものに発達してしまったんで、ちょっとこまったわ。と言うところなんだろうけれども、

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 まあ、「亭主の物好き」に対する妻の反論としての「何、バカなこと考えているんじゃないのよ!」的な発言はなかったんだろうな、この家ではね。

 こういう「変な家」があるから、たまに練馬方面へ行くのも面白い。

 NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D ©tsunoken

2019年12月24日 (火)

千住宿の外れはやっぱり刑場

 これまで何度も紹介してきた日光街道(奥羽街道)千住宿なんだが、今まではどちらかというとJR北千住駅から北の方ばかりを書いてきたような気がする。

 確かに、北千住駅から日光街道(国道4号線)に出る道の南側の方に千住宿の本陣とかがあったり、江戸時代から有名な名倉医院とか、水戸街道との分岐点とかがあったりして、まあ北側よりは南側の方が見ていて如何にも宿場街の跡という雰囲気がタップリで、まあ、如何にも昔の宿場町を歩いているという感じがするのでそれは当然なのである。

 しかし、実は日光街道千住宿というのは、隅田川を挟んでもっと江戸城に近い現在の南千住から始まる宿場だったんですね。

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 で、今日は北千住駅から日光街道へ出る道を左折して南千住まで行くことにする。まあ、北に行こうが南に行こうがおなじ「旧日光街道」なんですけれどもね。

 北行する道は「宿場通り」と名付けられていて、南行する道は「千住ほんちょう商店街」となっている。

 う~ん、ほんちょう商店街としては北側にちょっと負けたって感じですかね、別に商標登録なんてしているはずはないのに、敢えて南行する道に「宿場通り」をつけなかったのは、なにか意味があるのでしょうか。対抗意識かな。

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 その辺の「ツッパリ」具合を受け入れていた(?)のが、千住ほんちょう商店街の裏にある「学校法人潤徳学園 潤徳女子高等学校」なんであります。

 校門の前で少し観察をしていたんですけれども(なんか、そんなことをしている時点で「怪しい老年」ってことで警察に通報されそうですけれどもね)、今は普通に可愛らしい女子高校生が通っている学校らしい。

 いやいや、私が中学生のころは「潤徳女子」って言えば、スカートの長さはくるぶしまでの「ツッパリ」(わあ、懐かしい響きだなあ!)高校生が通う学校と言うことで、足立区では超有名な高校だったのである。もう、中学生としては近づくだけでも怖かった。

 まあ、「ツッパリ系」だから潤徳に入るのか、潤徳に入っちゃうと周りに影響されて、だんだんスカートの裾が下に降りちゃうのかは分からないが、まあ、そんな感じの学校だったんであります。

 しかし、自分のところの娘が潤徳しか合格しなかったっていう時の親の心境って、どうだったんでしょうかね。要は自分の娘が「ツッパリ認証」されたのか「ツッパリ予備軍」に合格したってことだもんなあ。

 まあ、足立区の親父はそんなことは気にしない鷹揚な人が多かったのかな。まあ、いずれにせよサラリーマンの町ではなかったからな、足立区は。

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 で、そのまま千住ほんちょう商店街の先をそのまま行くと足立市場に行きます。

 隅田川の千住大橋畔にある足立市場はその地の利によって鮮魚や野菜など多種類のものを扱って賑わったそうだったのだが、当然、それは同時に日光街道の千住宿にあった市場だったという、もう一つの地の利もあったんだろう。そう、ものを仕入れるついでに宿場女と〇〇しちゃおうって、なんか、男ってどうしようもないですね。

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 で、千住大橋なんだが、残念なのは今の千住大橋はあるんだけれども、出来れば松尾芭蕉が隅田川を降りたって、千住宿から「奥の細道」に旅立った、昔の千住大橋がどの辺にあったのか、今の千住大橋の袂には記念の公園はあるんだが、じゃなくて「この場所」ってのがあるといいんだがなあ。

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 で、北千住から南千住と区を超えて、河を超えていくと、日光街道の千住宿の南側の外れ、南千住駅前にある小塚原(「こづかっぱら」と読む)回向院に出ます。

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 この徳川家の紋が掲げられている回向院って何だ?

 実は「解体新書」で有名な江戸の刑場だったんですね。昔は島流し以外はほとんど「死罪」つまり「死刑」だったんで、刑場に行けばいくらでも死体解剖が出来るってわけだったんでしょうね。杉田玄白もいいところに目をつけたもんだ。

 東海道品川宿の外れにある「鈴ヶ森刑場」や、中山道板場宿の北のはずれにある近藤勇斬首の場所とか、要は、江戸に出入りする人たちに対して、「お江戸は怖いところだぞ!」って言うためだけのために、宿場の前後にはこんな刑場が作られていたんだろうな。「お前ら、お上に逆らうと、こんな目に遭うぞ」ってなもんですね。

 でも、そんなことには一切気にしなかった人たちがそれ以上に多かったってところが、その後の日本の発展の基礎になったんでしょうね。

 まあ、誰も人様の死刑なんて、自分には関係ないって感じで受け止めるもんなあ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Kita Senju & Minami Senju ©tsunoken

2019年12月23日 (月)

「トリセツ」だけじゃあ分からないこともある

 最初の『妻のトリセツ』では黒川さんは「編著」の立場、二作目の『夫のトリセツ』では全面的にご自分で書いている「著者」の立場。

 この微妙な立場の違いが2冊の本の方向性と言うか、内容が異なる理由なんだろうなあ。

 一作目『妻のトリセツ』はまあ、男と女との違いを「男脳」と「女脳」の違いと言うところから「男女対等の見方」でもって解き明かしているんだが、二作目『夫のトリセツ』では、黒川さん自身の夫との関係に関する記述が大半で、まあ「羨ましい夫婦愛の姿」の姿もあるし、なんか「子ども自慢の母親のエラそうな姿」にも見えるし、まあ、こうなっちゃうと「いいじゃない、夫婦で仲良くやれていれば」って気分で、実はほとんど黒川さんの自分語りでもって完結してしまうのだ。

 う~ん、それじゃあいけないんで(何で?)、まあ「トリセツ」話をしようかな、ってわけで。

Photo_20191218155901『妻のトリセツ』(黒川伊保子・編著/講談社+α新書/2018年10月18日刊・『夫のトリセツ』(黒川伊保子・著/講談社+α新書/2019年10月17日刊)

 基本的なことを言ってしまえば、男と女にはそれぞれ「男性脳」と「女性脳」ってのがあって……

『女性脳は、自らの身を守らないと子どもが無事に育てられないため、危険回避のためのネガティブトリガーのほうが発動しやすい傾向にある。身の周りにいる、自分より力が強い者には、特にそうなる。一方で、全身で頼ってくる小さき者にはポジティブトリガーがが発動されやすい。「夫にはひどく厳しく、子どもやペットにはべた甘い」が母性の正体であって、男たちがロマンティック憧れる「果てしない優しさ」が母性なんかじゃないのである。』(『妻のトリセツ』より)

『人類の男女は、哺乳類のオスとメスである。生存戦略が正反対なので、この「とっさの側」が正反対なのである。
 荒野や山に狩りに出て、危険な目に遭いながら、仲間と自分を瞬時に救いつつ、成果を出さなければ生存も繁殖も出来なかった男性脳は「遠く」を見て、とっさに問題点を指摘し合い、「ゴール」へ急ぐようにチューニングされている。』(『夫のトリセツ』より)

『一方、授乳期間が長く、生まれてから1年も歩けない子どもを育てる人類の女性たちは、「近く」を見つめ抜いて、大切な人の体調変化を見逃さず、とっさに共感し合うようにチューニングされている、共感とプロセス解析のために、事が起こったときに、気持ちを語り合う傾向が強い。感情で記憶を引き出すことで、脳が経緯を再体験するので、気づきを生み出せるからだ。
 このため、距離感を測りにくく、結論から簡潔に言う、というのは苦手である。』(前同)

 という違いがあって、その違いが畢竟、夫と妻の仲たがいの原因なのだ、と言ってしまえば簡単、しかし、そう簡単に語ってしまったら面白くない、ってところで「トリセツ」なんだが……。

 基本的に私は「取扱説明書」ってのは読まないで、その機械(カメラでもいいし、家電でもなんでも)を使い始める人間だ。でも、それで困ったことはあまりなくて、まあ、困ったときにはじめてマニュアルをを読んで、「おお、なるほど」なんて納得して、再度その機械を使い始めるということで、ずっと生きてきた。本来、マニュアルっていうのは、そのジャンルの機械に初めて触れる人が使うもので、そうでない人は、まあ、大体、使い方は心得ているっていうわけなのだ。なので、男女間の問題に関して「トリセツ」が必要だなんて考えている人は、やっぱり「人生の修行」が少ないんじゃないの? って、感じがするんですね。

 そういう意味じゃあ、やっぱり「トリセツ」に夫婦関係を頼んじゃうような人は、元々、夫婦失格なんじゃないかと思えるんですね。

「男性脳」と「女性脳」じゃないけれども、男(本来は「雄」)と女(これも本来は「雌」)という具合に、その存在を「人間」というものを特別な存在として考えずに、我々人間も哺乳類やら霊長類の一部の動物だと思っていれば理解できるのだ。

 つまり、雄と雌は本来別の生き物なのだ。生物にとって一番大事なのは種族保存である。で、その種族保存を本能的に持っているのは「雌」なんですね。要は「種族保存」というのは「母系社会」であるっていうこと。じゃあ、雄は何をしているのかっていうと、普段は何もしていなくて、まあ、バガボンドみたいな生活をしているんですね。それが、雄雌とも「盛りが付いて来る時期」になると、雄は自分の「雄性」を売り込む動きを一生懸命やっていて、雌にそれが受け入れられた雄だけが雌とセックスすることを許され、交尾をするわけですね。

 で、その後なんだけれども、人間の夫婦だけは、その後もお互い相手に対していろいろ不満を言いながら、なんとなくその後の人生を一緒に過ごしてしまうんですね。

 人間以外の動物はそうはいかない。

 雄は雌とセックスできればもうそれでおしまい。「夫婦関係」なんてものは、一部の霊長類を除いては、動物の世界にはない。なんか、いくつになっても若い女性に魅かれてしまうオッサンがいる人間に比べれば、まあ、なんと潔いかなとも思えるんだが、まあ、それが人間以外の動物の当たり前の世界。

 つまり、人間以外の動物の世界では、雄は雌とセックスしたところでお役御免、あとは勝手に生きて行けば? って感じで、勝手に生きればいいし、雌としては、後は子どもを産んで、他のメスとも協働しながら子育てを必死になって行って、子どもを大人になるまで育てるのが人生の最大のテーマなのだ。

 そこでは、人間の夫婦みたいな「子育てしながら、夫の面倒も見なけりゃいけない」とか「子育てが終わっても、まだ亭主が生きていて、ジャマ」みたいなストレスの原因はない。

 まあ、人間の世界では、基本的にキリスト教文化の「一夫一婦制」が根付いてきてしまっているんで、それはそれでいいんだが、その結果として『妻のトリセツ』とか『夫のトリセツ』みたいな本がベストセラーになるってのはどうなんでしょうね。

「トリセツ」でどうにかなるもんじゃないと思うんですけれどもねえ。

 『妻のトリセツ』(黒川伊保子・編著/講談社+α新書/2018年10月18日刊)

  『夫のトリセツ』(黒川伊保子・著/講談社+α新書/2019年10月17日刊)

2019年12月22日 (日)

やっぱり『TOKYO NOBODY』が一番衝撃的だ

 もう言わなくなった石原慎太郎都政の唯一の善政であった「東京都写真美術館」で『中野正貴写真展「東京」』を見る。

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 中野正貴は、1955年に福岡に生まれ、1956年に父親の転勤に伴って東京へ移り住んで、そのまま現在に至るまで東京在住の写真家。

 1979年に武蔵野美術大学を卒業してデザイナー兼カメラマンとなり、2001年「TOKYO NOBODY」で46歳で日本写真家協会新人賞を取り、2005年に「東京空景」で50歳になって第30回木村伊兵衛賞を取ったという、まあ、写真家としてはかなり遅咲きに類する写真家ではあるのだろう。

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 で、その中野正貴氏が今回都写美で挑戦したのが、やっぱり「東京」なんだなあ。

「東京」というのは、まあ、現在では他の中国やインドなどの大都市に人口では抜かれてしまっているが、それでも「東京を撮影している(アマチュアもプロも含めて)写真家の数」で競えば、多分、いまだに東京が一番なのではないか。

 まあ、私のそのひとりか。

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 今回の写真展では、中野正貴のこれまでの写真集「TOKYO NOBODY」「東京窓景」「TOKYO BLACKOUT」「TOKYO FLOAT」に、今回この写真展に合わせて撮影した「TOKYO TOWER」が展示のすべて。

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 そのなかでも一番ショッキングなのは「TOKYO NOBODY」のパート。

 上の写真は渋谷駅の銀座線ホームのちょっと以前の風景なんだけれども、見事にクルマや人などの「動いているモノ」が写っていないんですね。人やクルマがあまり出ていない時刻に、超長時間露出でもって動いているものの姿を消すっていう方法は知っているのだが、どうもそれだけではないようだ。

 その証拠が下の写真。皇居のお堀の写真なんだけれども、そこにはちゃんと動いている鳥が写っている……、けれども、周囲には動いているものはまったく見えない。

 これはどういう撮り方をしたんだろう、っていう命題ですね。

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 勿論、そんな写真ばっかりじゃないです。

 そこにあるのは、「懐かしい東京」「懐かしい人々」の写真で一杯です。

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 東京都写真美術館『中野正貴写真展「東京」』は2020年1月26日まで開催中。詳細はコチラを参照。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Yebisu ©tsunoken

2019年12月21日 (土)

Amazonから「おすすめKindle本」が来た

 たまに来るAmazonからの「Kindleおすすめメール」なんだけれども、今回はかなりたくさんの「おすすめ」が来たので、ちょっとそれをネタに……。

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 しかし、こうして見るとなんか全然統一性がない「おすすめ」だなあ。

 最初の2点はまあ「経済学と経営学」に関する本なので、経済学部卒としてはそれもありなんて感じなんだけれども、読書の傾向としてはそんなに経済学や経営学の本は読んでいないのだがなあ。

 講談社学術文庫の4点がすべて日本史に関するものなんだなあ。そんなに日本史について私の興味があったのか、とAmazon様にお知らせいただいた気分だ。でも、そんなに日本史に関する本を私がAmazonから買っていたのかなあ?そんなに買ってはいなかったはずなんだけれどもなあ。私の日本史に関する興味なんて、せいぜいNHK大河ドラマレベルのお話なんですけれどもねえ。

「遠野物語」「夢十夜」は歴史っていうよりは民俗学の本に分類されるだろう。確かに、「遠野物語」は岩波文庫版の他に、森山大道の写真集「遠野物語」も持っているし、勿論、Kindle版でも持っている。最初は岩波文庫版で持っていたんだが、持ち運び用にKindleで買ったのを覚えている。ただし「夢十夜」は持っていないので、このメールのおかげで買ってみようかなという気分になったので、Amazonとしては戦略的に大成功というところかな。

 で、「夢十夜」はKindleで買った。お値段は0円(!)。

 ただし、「エリアの騎士」「BROTHERS-ブラザース」は良く分からない。この種のコミックスは買ったことはないし、Amazonがどんなマーケティングの手法を取っているのかは理解できない。取り敢えず、どんな本か買ってみようかな、ってところでAmazonの戦略に引っかかったのか。

 そうなんだ。

2019年12月20日 (金)

「からし焼き」を求めて十条銀座へ行ったんだが

 昨日、書き忘れてしまったんだけれども、「2019 国際ロボット展」は21日(土)まで。

 入場には事前登録が必要なので、コチラで登録してください。

 で、今日の話なんだけれども……、「からし焼き」って何だ?

『よく熱した鍋で豚肉を炒め、その残り油を利用して今度は豆腐を炒めます。これに昆布とカツオでとったダシ、醤油やみりんがベースとなったタレ、生姜や唐辛子を加えて煮込みます。このときに一緒に加えられるのが、驚くほど大量のニンニク! 味が整ったら豚肉と豆腐をいっしょの器に盛って、薬味のネギとキュウリを添えます。』

 う~ん、酒の肴にぴったりな感じだなあ。で、その「からし焼き」が十条のソウルフードだというので、行ってきました十条駅へ。隣の板橋駅から乗ったら、板橋駅は駅ビルを作る工事をやっている関係で改札口なんかが大分変っている。十条駅も……、って思ったんだけれども、以前と全然変わっていなくてちょっと安心、もっと落胆。

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 でまあ、十条駅に行けばそれは当然「十条銀座」にまず向かうわけですね。

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 久しぶりの十条銀座だけれども、昔と全然変わっていないなあ。

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 しかし、十条銀座を歩いて環七まで出てしまっても、その途中に「からし焼き」を出す店はない。

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 ああそうか、と思い出して、十条銀座とは十字に交わる横道の方が食べ物屋さんが多かったなと思って取って返し、脇道に入っていろいろ歩いたのだが、最近、インドや東南アジアの料理を出す店は増えたんだけれども、「十条のソウルフード=からし焼き」を出す店はやっぱり見つからない。

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 ちょっとデスぺレートな気持ちになってバス通りの方へ来てみたら、踏切の手前の信号脇にあるじゃないか。「背脂 中華そば 天 十条からし焼き」の看板が。

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 まあ、取り敢えず「からし焼き」の店を見つけることが出来たので、じゃあ「いずれお邪魔しましょう」ってことで、今度は東十条方面へ向かう。

 おお大衆演劇の「篠原演芸場」も健在だ。うん、よしよしなんて思って家に帰ってきたら……。

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 なんだ、「からし焼き」は「十条のソウルフード」じゃなくて「東十条のソウルフード」らしい。

 それが分かっていたら、逆に東十条から行ったのになあ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Jujo ©tsunoken

2019年12月19日 (木)

「国際ロボット展」へ行ってきた

「2019 国際ロボット展」に行ってきた。

 ロボットと言っても、別にガンダムやパトレイバーなどの「人型戦闘用ロボット」ではなくて、産業用のロボットなのであります。

 まあ、「人型戦闘用ロボット」というものが、アニメの世界だけでなく、実際の世界に存在し得るのかというテーマは取り敢えず脇に置いておきます。

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 なんで、そんなロボットについて興味を持ったのか? というのが下のネット記事である。

「書類」とか「印鑑」とか、およそ「ロボット」という現代技術とは何の関係もなさそうなものとがなんでつながるんだろう、という興味があったのだ。

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 国際ロボット展は東京ビッグサイトの西棟、南棟とりんかい線のお隣駅、東京テレポート駅脇にある東棟というかなり広い場所で行われており、予め行く場所を決めて行かないと、一日かかっても全部回り切れないだろう。ということで、昨日は西棟のデンソーウェーブのブースだけを見てきた。

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 で、下の写真が人協働ロボットの「COBOTTA」くん。

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 人型ロボットではないけれども、なんとなく人間の腕みたいな気がする二本のアーム(つまり「腕」ですね)で書類をめくってスキャンし、書類の内容を確認する。二本の腕の間にある印鑑と朱肉に注目。

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 で、内容を確認したら印鑑に持ち替えて、さっきの朱肉に付けて、書類に捺印します。

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 しかしなあ、どうも理解できないのは書類とか印鑑とかって、昔の仕事のやり方の残滓でしかなく、世の中だんだんそんなものをなくしていって、仕事をスピードアップしていこうという時代に、今更「印鑑を押すロボット」って何だ? おまけに結構スピードはゆっくりで、なんかあんまり仕事のスピードアップには繋がらないような気がする。

 どうせこんなバカバカしいことをロボットにやらせるのならば、上半身だけでもいいから人型ロボットにして、なんか「ロボットが人間の真似をしているぞ」的なユーモアがあってもいいような気がしてきた。例えばデンソーウェーブという、トヨタ系のデンソーの子会社なのだから、豊田章男社長そっくりの人型ロボットが書類をスキャンして、なんか嫌々ながら印鑑を押すなんて演出をしたら面白かったのになあ。

 えっ? ダメ? そんな恐ろしいことって?

 その位のユーモアは許してくれそうな社長だけれどもね。実際は違うのかな?

 おお、やっと人型ロボットがあったぞ……、って言ってもこれは国際ロボット展とは何の関係もないことはご存知ですね。

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NIKON Df AF NIkkor 20mm f2.8 D @Tokyo Big Sight ©tsunoken

 

2019年12月18日 (水)

「羽子板市」は「歳の市」

 昨日から浅草羽子板市が開催されている。19日まで開催されているので、今から行っても間に合います。

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 開催場所は浅草寺の境内。仲見世は同じように開いているんだけれども、普通、浅草寺の境内には仲見世の店は入ってこないし、軽飲食店だけなので、それはそれで面白い。

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 ただし、「羽子板市」はもともとは羽子板市じゃなかったって話。

『正月用の歳の市といえば江戸中期頃までは、浅草に限られていました。 一方、浅草寺のご縁日は毎月18日であり、17日18日両日は歳の最後の縁日として、一年の無事に感謝し、来年も良い年にと願う納めの観音詣の日でもあることからなお一層にぎわいを示し、江戸の年中行事でした。武家や大店は、家来や奉公人に用心籠や長持ちをかつがせ、大挙して浅草にくり込み、毎年きまった店で買い、帰りには料理屋へ寄って威勢をつけるのが、見得の様にもてはやされた様です。明治以降は、正月用品の購入も通常の店屋で用を足す様になり、歳の市の面影は次第にすたれて来て、現在では江戸末期から流行しだした羽子板市に重点が移り、盛況を続けております。』

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『羽根つきは古く室町時代から行われた遊びで、500年ほど前の永享年間には、初春を寿ぐ遊びとして、宮中で男組女組に分かれて競技をしている記録が残されています。その頃にも羽子板には松竹梅や花鳥の図を描いておりましたが、江戸時代に入ると押絵細工を応用する様になり、浮世絵画家も応援して、図柄の構成や色彩も華麗になりました。更に江戸末期、当時流行の歌舞伎役者の舞台姿の似顔絵を貼り付ける様になってからは、江戸の女性の爆発的な人気を集め、殊にその年の当り狂言の人気役者の羽子板がずらりと並んだ浅草観音の羽子板市には、江戸中の女性が胸をときめかせて出かけたと云われております。又、羽根は生まれた児が邪気をはねのけ、すこやかに育つ事に通じますので、昔から女児の出産には必ず羽子板を贈る習わしがありました。子供の成長を願って羽子板を贈り、はねつきをして新春を寿ぐ、まことに日本的な心根やさしい、美しい風情と申せましょう。』(引用は、いずれも浅草観光連盟の公式サイトより)

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 まあ、これは大宮氷川神社の十日市の時にも書いたんだけれども、要は農閑期ビジネスのひとつで、世田谷のボロ市もそうだし、年の暮れに行われる行事として、神社やお寺が場所を貸して開催し、店は売り上げ、寺社は賽銭と出店者からの割り前を受けるというウィンウィンの関係になったビジネスだったんですね。

 まあ、寺社のやりかたに口を挟んじゃいけないんですけれどもね。

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 暮れに浅草に行ったらいつも行くのが、この「粋れん」のお店。

 この時期になるともう次の歳の干支の動物の張り子がもう外に出ているんだけれども、今年はまだ店の中に引っ込んでいます。

 表に出たら年賀状用に撮りに来ようかな。

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NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Asakusa ©tsunoken

2019年12月17日 (火)

横浜本牧埠頭A突堤

 休日のみなとみらい、赤レンガ倉庫、山下公園付近の混雑を避けて、本牧埠頭まで足を延ばした。

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 横浜港の埠頭は大桟橋を除いて後は貨物専用なので、山下埠頭、本牧埠頭、大黒埠頭などはすべて一般車は進入禁止になっている。

 唯一、山下埠頭A突堤だけは横浜クルージングクラブというクラブがあるので、一般車でも入ることが出来る。船が間近で見られるのは大桟橋とここだけである。ただし、個人所有のヨットなどのため、大きな船は間近ではみられないが。

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 本牧埠頭からの遠望は、一番手前が横浜市IR構想にある山下埠頭で、その向こうに横浜ポートタワーとかランドマークタワーが見えて、それはそれで横浜港という港の一部ではあるが、とは言うもののそのスケールの大きさが良く分かる。

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 しかし、なんとなくこの波止場に佇んでいると "Sittin' in the morning sun / I'll be sittin' when the evening comes / Watching the ships roll in / Then I watch them roll away again, yeah" なんて、オーティス・レディングの「ドック・オブ・ベイ」(原題: (Sittin' on) The Dock of the Bay)の歌詞が頭に浮かんでくる。

 まあ、そんなことは横須賀の海軍基地を目にしても同じなんだが、考えてみれば「ドック・オブ・ベイ」は軍港じゃなくて、一般の港の話なんだよな。

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 しかし、ここは日本の港。

 こんな感じの雑草に覆われた警告看板なんかを見ると、「いいなあ」なんて感じてしまうんですね。

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 埠頭の主もいるし。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Yamashita Yokohama ©tsunoken

2019年12月16日 (月)

目黒シネマ

 JR目黒駅前のビルの地下にある映画館が、名画座として有名な目黒シネマだ。

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 実はこの目黒シネマが入るビル自体が大蔵映画の持ち物で、その大蔵映画の直営館が目黒シネマっていうわけなのだ。

 大蔵映画っていうのは、ご存知の通り新東宝から分かれた成人映画専門の映画会社として知られた通りの大蔵映画。昔はOP(大蔵ピンク)チェーンと呼ばれた映画館系列も持っていた。現在は、大蔵映画自身は映画館の経営(と不動産業)だけに経営資源を絞って、映画の製作・配給業務はオーピー映画という別会社を作って運営しているらしい。

 ということで、目黒シネマは当初からポルノ・ゲイ映画路線は歩まずに、名画座として旧作やメジャー映画館で上映しないような作品の掘り出し上映企画なんかをよくやっていた。そんなこんなで、私もたまに行って映画を見ていた劇場ではあったのだ。

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 で、一昨日行ってみたら、おお、『AKIRA』を上映しているではないですか。

『AKIRA』の舞台は2019年のNEO東京。翌年に2回目のオリンピックを控えて、大改造中の東京が舞台なのである。1988年公開の『AKIRA』だったのだが、その中で予言していたのが2020年の東京オリンピックだったんですね。その辺はアーチストの慧眼としか言いようがないのだが、多分、この目黒シネマでの上映は今から30年以上前の古いドルビー音響のプリントなんだろうな。

『AKIRA』は劇場公開バージョンは35mmドルビー音響版と、70mm磁気4chバージョンがあり、ディスク版も通常のDVDとDTSバージョン、その後音響を全面的に入れ替えたブルーレイ版がある。更に2020年には「4Kスキャン&リマスター版&HDR版、5.1音源のリマスター」というブルーレイ版が新たに出されるらしい。それから比べると、ここの映画館で上映されるバージョンは、まあ、残念ながらかなり昔の劇場上映版なんだろうなあ。バンダイナムコあたりは2020年に向けて再び『AKIRA』を少しばかり盛り上げようという動きがあるのだが、肝心の配給会社の東宝がなんかあまりそういう動きに積極的でないのが、ちょっと残念だ。

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 おお、キヨコの似顔絵だ! ただし、映画では本当はセリフはoffなんですけれどもね。この絵とセリフがあるのはコミック版だけです。

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 で、目黒と言えば権之助坂。

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 権之助坂と言えば「とんかつ とんき」なんだけれども……、どこに行ってしまったんだろう。

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 なんか、最近場所が分からなくなってしまったんですね。

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NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Meguro ©tsunoken

2019年12月15日 (日)

田中長徳氏の重厚長大な写真集『WIEN MONOCHROME 70's』

『作成されたのは14年前の2005年。1,000部限定の上、書店販売されなかったという幻の写真集』なんだそうだ。でも、私はこの本、小宮山書店という古本屋さんで買った、ということは昔直接買った人が古本にだしちゃったんだろうか。

 この480ページ、重量2.5kgに及ぶ分厚い写真集に掲載されている数少ない田中長徳氏の文章は以下のものだけ

『私と妻は1973年の5月5日に日本の横浜港を出て、5月11日の朝にウイーンに到着した。
それから7年と半年の時間をウイーンで過ごした。
妻はウイーンに音楽の留学で行ったのだが、私には特に仕事もなかったから、古いライカを手にしてウイーンの街を歩き回ることが仕事になったのだ。この「良き生活習慣」は1980年に日本に帰国してからも継続した。
つまり暇さえあればウイーンに出かけて、写真を撮影していた。
今になってウイーンを撮影してすでに30年が経過したことに気がついた。
この本ではその1970年代の仕事をまとめてある。

田中長徳』
(上記文章および、その、中国語訳、英語訳、ドイツ語訳)

 いやあ、田中長徳氏の本(写真に関する本だろうが、写真集だろうが)に関して、これほどまでに文章が少なく、とにかくいさぎよく「写真だけで勝負した」(のかな?)本はこれが初めてである。いや、もしかするともっとあるのかもしれないが、私の知っている限りではこれが初めてである。

Wien-monochrome-70s『WIEN MONOCHROME 70's』(田中長徳著/東京キララ社/2005年2月2日刊)

 あの世紀の名著『銘機礼賛』三部作(日本カメラ社/これは写真集ではないので当たり前)は言うに及ばず、『東京ニコン日記』(アルファベータ)や『田中長徳写真集 写真機店 プラハ,ウィーン,フランクフルト』(アルファベータ)、『ウィーンとライカの日々 DAS WIENER LEICA TAGEBUCH 1973-1996 CHOTOKU TANAKA』(日本カメラ社)などの「写真集」と思われる本や、いくつかの田中氏の写真関連本を所有している私なのだが、これほどまでに文章が少ない田中長徳氏の本はない。

 むしろ田中長徳氏は「写真集は少ないのだが、写真やカメラに関する蘊蓄はものすごいものがある写真家」として世間には認識されていて、なんか「写真家」としては「写真機家」の副業ではないか、なんて冗談も出ている状況ではあるのである。

Wien-monochrome-70s_20191206100101©Chotoku Tanaka

 でもまあ、「写真」というものが、初期のシュールレアリズム時代を除いては、「写真機」というものが媒介しないと存在しない表現形式だとするならば、「写真家=写真機家」というレーゾンデートルもあるのであろう。

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 つまり、写真家が写真だけで自己表現をしようと思ったのであれば、それは「文章では語りつくせない内容を写真と言う形式で語らねばならない」ということで、そのためには多くの写真画像が必要になる、ってことなのかな。

 まあ、ド素人の自称写真家兼自称執筆家ではこんなことしか言えないんですよね。

  う~ん、哀しいなあ。俺はその程度の写真家でしかなく、ライターでしかないんだよな。

 蓄積がないんですね。

(田中長徳著/東京キララ社/2005年2月2日刊)

2019年12月14日 (土)

筒井之隆氏のこと

 なんか突然なんだが筒井之隆氏のことを思い出した。

 筒井之隆氏って何者なんだ? っていう疑問を持つ人は多いだろう。

『安藤百福発明記念館(愛称:カップヌードルミュージアム)館長
 1944年1月、大阪府生まれ。同志社大学卒。1967年、読売新聞大阪本社入社、1985年、日清食品株式会社入社、宣伝部長、マーケティング部長、広報部長、取締役、常務取締役を歴任、2005年から常勤顧問(現在も)。2006年~2009年立命館大学経営学部客員教授。2011年から「カップヌードルミュージアム」館長。』という人。(横浜中法人会サイトより)

 作家・筒井康隆氏を長男とする4人兄弟の末っ子でもある。

Dsc_00132_20191213154301日清食品ホールディング東京本社 NIKON Df NIKKOR 24mm f2.8 @Higashi Shinjuku ©tsunoken

 1986年にOAV『バリバリ伝説 筑波編・鈴鹿編』という二部作を製作発売し、翌87年には『あいつとララバイ』と一緒に劇場公開した講談社は結構バイク乗りたちからは支持されている出版社だったんだが、私自身も両作品のプロデューサーであり、同時に製作中の『AKIRA』を準備しつつ、次なる展開を目指していろいろな試行錯誤をしている最中だった。

 そんなときに講談社の『ヤングマガジン』で日清カップヌードルレーシングチームという、MFJノービスクラスに参加しているチームがあり、それとのコラボレーションを企画していた。

 1989年の日清カップヌードルレーシングチームはエースライダーに青木三兄弟の長男、青木宣篤を配置し、HONDA CBR400の改造レーサーで戦っており、何せ日清食品という大メーカーがスポンサーになっている関係から、カップヌードル・レースクィーンなんていうハデな演出をしていたのである。

 勿論、1989年の鈴鹿4時間耐久レースは青木宣篤組が優勝したんであります。もう、チームは大騒ぎ、レースクィーンたちも大はしゃぎ。

 レースクィーンは3人いて、一人はあの岡本夏生さん、もう一人は当時は蒲池幸子さんで後の坂井泉水(ZARD)さんで、もう一人の名前は忘れてしまった(ゴメン)。蒲池幸子さんはその頃は、松田聖子(本名:蒲池幸子)さんの従姉妹じゃないかって言われていたんだけれども、そうではなかったらしい。でも、何となく聖子似の(というかそれ以上に)可愛らしい女性だったっていう記憶はありますね。岡本夏生さんは、当時からまんま岡本夏生。昔からあのまんま。それも見事! 皆さん、当時のレースクィーンでは当たり前のハイレグ水着で走り回っていました。

 レースクィーンったっていつまでもやれる職業じゃないので今後どうなりたいの? という質問をしたら、岡本さんは「売れっ子タレント」、蒲池さんは「歌手」といって、もう一人の人は「やくざの情婦」と言っていた。最後の一人の夢が叶ったのかどうかは分からないが、岡本さん、蒲池さんは取り敢えず夢を叶えたんだから大したもんだ。まあ、ZARDの最期は残念だったけれどもね。

 で、その頃、日清カップヌードルレーシングチームをスポンサーとして支えていたのが、当時は日清食品の広報部長だった筒井之隆氏だったのだ。

 私自身が小説に目覚めたのは、1967年に『週刊 平凡パンチ』に連載を開始した五木寛之氏の『青年は荒野をめざす』がきっかけだった。その後、五木フリークとなって、五木寛之氏の小説はほとんど読んでいたんだが、そのうちに大河小説『青春の門』を発表した頃から違和感を感じ、あまり五木氏の作品は読まなくなってしまった。

 で、その次に夢中になったのが筒井康隆氏の作品であった。ただし、初期のSF作品ではなくて、どちらかというとスラップスティックな作品群が多かった。その後、『月刊 噂の真相』あたりで「笑犬樓の逆襲」というエッセイを発表し始めた頃からが、私が筒井康隆フリークになった切っ掛けだったのかもしれない。

 そんな筒井康隆氏の弟が日清食品の広報部長なんてものをやっているなんてことは、日清カップヌードルレーシングチームと関係が出来るまでは知らなかったわけで、名刺交換をして「あれっ?」ってなもんで、「もしかしたら」という疑問に「その通りです」という筒井之隆氏が答えてくれたというのがきっかけだったのだ。

 って、話だけなんだけれどもね。

Photo_20191213154401カップヌードルミュージアム横浜 ©日清食品ホールディングス

 思い出したのは、それだけの事。

2019年12月13日 (金)

大田区東雪谷を往く

 6月1日のブログ『サントリーロコモアCMの駅』で紹介した東急池上線の石川台駅なんだが、駅前に「グリーンロード 石川台駅前商店街」っていうのはあるんだけれども、むしろ石川台周辺の一番大きい商店街は、駅前から坂を下りて行った先にある「石川台 希望ヶ丘商店街」なのであります。近所で一番大きい商店街っていっても長さは1km位しかないですけれどもね。

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 なぜ、そんなマイナーな商店街のことを知っているのかと言えば、以前、ちょくちょく通っていたからなのだ。

 この、希望ヶ丘商店街の中ほどにあった個人書店が大田区の書店組合の重鎮で、更に大田区の図書館の仕事もやっていた関係で、しばしば打ち合わせのために訪れていたのだった。現在は店も畳んじゃっているし、大田区の図書館の方もどうなってしまっているのかは私は知らない。 

 で、まあ、そういうことなので、現在この希望ヶ丘商店街には書店は一軒もない。

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 しかしこの「石川台 希望ヶ丘商店街」ってなんか形容矛盾なんですよね。

「石川台」って言ったって、石川台の駅からどんどん坂を下って一番低い呑川河畔の谷底を川と並行に走っているのがこの商店街。「希望ヶ丘」なんて地名の場所もこの近辺には見当たらない。

 まあ、谷底の土地なのでせめて名前だけは「〇〇台」とか「〇〇ヶ丘」なんて名前にしたいという、土地の人たちの思いなんだろうなあ。何せ、この土地の住所自体が「東雪谷」だもんなあ。谷ですよ谷。

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 商店街はホンの少しだけ歩けばすぐに終わりが着て、あとは住宅がひたすら並んでいる街になってしまう。

 時折聞こえてくる東海道新幹線の通過音。「ああ、そうか、あの辺を今、歩いているんだな」という感覚が蘇る。

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 商店街から抜け出ると、環七方面へ抜ける広い道に出る。すぐそばには新幹線のガードが……。

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NIKON Df AF NIKKOR 50mm f1.8 G @Higashi Yukigaya Ota City ©tsunoken

2019年12月12日 (木)

井の頭公園から三鷹へ向かう玉川上水脇の道が好きだ

 吉祥寺まで行ったので、井の頭公園から三鷹へ抜ける玉川上水沿いの道を歩いた。

 玉川上水沿いの道には二つあって、北側が「御殿山通り」という対面交通の道で武蔵野市にあり、反対側が「風の散歩道」というちょっと「?」な名前の井の頭公園から三鷹駅に向かう一方通行の道である。こちらは三鷹市にある。つまり玉川上水が三鷹市と武蔵野市の分かれ目になっているわけだ。

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 御殿山通りの方は三鷹と吉祥寺を結ぶ井の頭通りの裏道になっていて、それなりに交通量は多いのだが、風の散歩道(このネーミングってこそばゆいだけで、なんとかならないものだろうか)の方はあまり車も通っていなくて、静かで歩きやすい道だ。

 周辺の家々も三鷹市の規制もあるのだろうか、二階建てから三階建ての民家が多く、それも加わって静かな散歩道になっていて、散歩には適した道なのである。

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 途中に作家の山本有三が1936(昭和11)年から1946(昭和21)年の間家族とともに住んだ家をそのまま残した、三鷹市山本有三記念館というものがあって、その雰囲気もいいのだが、同時に周辺の家もそんな山本有三の家の雰囲気を壊さない配慮をしているようだ。

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 途中、三鷹駅に近づくと、井の頭通りと結ぶむらさき橋通りというのがあって、そこから三鷹寄りはマンションなどの中層建築も出現してくる。そのむらさき橋通りに面して5階建てのビルがあるのだが、それが株式会社ぴえろ(元・スタジオぴえろ)の本社社屋である。

 私がスタジオぴえろ(当時)と社長の布川ゆうじ(郁司)氏と仕事をしたのは、「バリバリ伝説」「あいつとララバイ」などのオリジナル・アニメ・ビデオを製作した頃なので、1986年から87年の頃だった。スタジオぴえろが武蔵小金井の貸しビルから三鷹駅前のマンション2フロアに移転してきた頃で、多分、スタジオぴえろの経営も一番厳しい頃だったのだろう。布川氏からは三鷹の駅前の飲み屋などでいろいろ苦労話を聞かされたものだった。

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 山形県出身の布川氏は、東京に出て来てグラフィックデザインの勉強をし、いつかは原宿セントラルアパートにデザイン事務所を開くという夢を持っている青年だったのだが、いつの間にかタツノコプロの仕事をはじめ、アニメーションの世界に入ってしまった人だ。原宿セントラルアパートの夢は、セントラルアパート自体がなくなってしまったので潰えてしまったが、でも、三鷹市に自社ビルを持ったんだから、まあ、アニメの世界では成功者のひとりなんだから、よしとするかってところですかね。

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 風の散歩道には適当な感覚でこんな感じのベンチもあって、散歩中に一休みなんてこともできる。まあ、道自体は1km足らずなんですけれどもね。

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 三鷹駅のそばに来ると「三鷹橋」という橋があって、その先は三鷹駅の地下に潜って北口の脇でまた表に出てくる。

 勿論、太宰治の玉川上水入水自殺の解説なんかが三鷹橋脇にはあります。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Mitaka ©tsunoken

2019年12月11日 (水)

『消えゆく横丁』

「横丁」って何だろう。

『広辞苑(第六版)』によれば『横町【よこちょう】(「横丁」とも書く)表通りから横へ入った町筋。よこまち。』ということだそうで、なんか納得がいかないなあ。じゃあ、ということで本書でも引用している国文学者の小林一郎氏によれば、『「横丁」とは江戸などに見られる計画造成の城下町で、碁盤の目状に配置された大通りと大通りの間の建物の間をぬって、街路の奥の裏長屋や反対側の大通りへ達する細い私道、路地のことであり、「横町」とは密集した都市部に防火帯として新設され公的に認知された大通りとその沿線に並ぶ街区のことだという。』という方に何となく納得できるものがある。

 さらに引用を重ねると……

『太平洋戦争も終わりに近づいた1944(昭和19)年から45(同20)年にかけ、日本全国に米軍爆撃機による空襲が続いた。焼夷弾による火災から鉄道や軍施設などの要衝を守るため、市街地の各所に建物を立ち退かせ防火帯とした「建物疎開」が行われたが、戦争が終わり空襲がなくなると、その空き地に庶民が好き勝手に露店を開いた。これが戦後の闇市である。闇市は数年のうちに駅前の広大なマーケットや屋台街へと発展し、その後、自治体主導の駅前再開発や露店撤去令によって整理や移転を余儀なくされる。
 今日我々が「横丁」として愛慕する飲み屋横丁の多くは、戦後に誕生したマーケットや屋台がグループにまとまり、相応なスペースに移転して肩を並べた狭小な小胆外の名残である場合が多く、「〇〇横丁」「〇〇小路」などと愛称が命名されたのである。』

 っていう、藤木氏自身の筆になるものが一番シックリする。要は「闇市」の名残なんですね。で、闇市がなくなって横丁(飲み屋横丁や飲み屋小路)になって、それも既に/そしていずれかにはなくなってしまう。

 要は腰巻に書かれた「在りし日の酒場のかげを求めて」っていう本なんである。

Photo_20191207150001『消えゆく横丁 平成酒場始末記』(藤木TDC・文/イシワタフミアキ・写真/山崎三郎・編/ちくま文庫/2019年5月10日刊)

 著者の藤木TDC氏は1962年、秋田県の生まれ。東京に出てきてレンタルビデオ店で働きながら、アダルトビデオブームによる創刊ラッシュのアダルトビデオ専門誌でアダルトビデオの関連ライターとしてデビュー。エロメディアの評論家となり『噂の真相』などでサブカルチャー系の評論家としてスタートした人物である。

 つまり、取材で日本中を飛び回りながらも、盛り場の表通りにあるクラブとかバーには足を向けずに、ひたすらその裏通りにある場末のバーや飲み屋に通い、その余りにも庶民的な佇まいや客あしらいに親しみ、その雰囲気に溺れ、酒に溺れ、(多分)そこの女にも溺れたんじゃないかな。まあ、あまりそういうところに若い女性はいないんですけれどもね。まさにサブカル。

 私も仕事で(全国というほどではないが)いろいろな地方都市の「飲み屋横丁」ってのにも行ったし、そこに親しんだ経験はかなりある。まあ、それなりの歳だしね。ただし、そういった「裏道の飲み屋横丁」も行ったけど、もう一つ表の「普通の繁華街」にも仕事の関係で通ってもいた。

 どっちがいいかと言えば、そりゃあ表通りのクラブやバーの方が女性も若いし、客の雰囲気は基本的には「前向き」だ。そりゃそうだよね、だって、来客の大半は「社用族」であります。そんな人たちが後ろ向きの話ばっかりしていたんじゃ、会社は潰れますがな。ということで、客の本音を聞きたけりゃ、やっぱりテメエの金で飲む「裏通りの飲み屋横丁」なんですね。裏通りには人件費のかかるクラブなんかはなくて、ママとホステス1人か2人のバーか、おばちゃん(お婆ちゃん?)が一人でやっている焼き鳥とかおでんなんかの店だ。

 まあ、はっきりしていて来ているオジサンたちの雰囲気は「殺伐」としていますね。でも、そんな殺伐のなかの優しさっていうか、そんな、男同士の戦いと(男は戦わなければならない)、同時にいたわり合いの景色があるのが、まあ「裏通りの飲み屋横丁」なんですね。

 本書には『第一部 東京の消えた横丁』として、「人生横丁/百軒店/彦左小路/丸三横丁/今川小路/神田小路/四十五番街/五間堀長屋/呑んべ横丁/下北沢駅前食品市場/大井新地/三原橋地下街/さくら新道/リバーサイドおでん屋街/花月園競輪場・川崎競輪場」が紹介されているが、一方、『第三部 再生する横丁』として、「新宿ゴールデン街・花園街(東京都新宿区歌舞伎町)」「ハーモニカ横丁(東京都武蔵野市吉祥寺本町)」「静岡ゴールデン横丁(静岡県静岡市葵区黒金町)」「ションベン横丁(大阪府大阪市淀川区十三本町)」「夜明け市場(福島県いわき市平字白銀町)」もちゃんと紹介。

 これはこれで旅の楽しみが増えるってもんだ。

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Epsn00672_20191208212201 吉祥寺ハモニカ横丁2態です。

 (藤木TDC・文/イシワタフミアキ・写真/山崎三郎・編/ちくま文庫/2019年5月10日刊)

2019年12月10日 (火)

今日は大宮氷川神社十日市大湯祭本祭り

 今日は大宮氷川神社十日市(とうかまち)大湯祭(だいとうさい)の本祭りである。

 大湯祭って何だ?

『大湯祭は当社の特殊神事中最も著名なもので、元は当社の男体社、女体社、簸王子社の内の簸王子社の祭祀と伝えられ「武蔵州足立大宮氷川太明神縁起之書」によれば至徳二年(1385)12月10日に干柴薪を焼いて炉壇のようにし、これを踏む火剣祭礼を行ったとあり、また延宝年間(1673~1681)の社記には既に大湯祭の文字が見えて居りますので、相当古い時代から行われて来た祭典と思われます。「大湯」の由来は釜で湯を沸かし、その湯により清めを行った為と伝えられます。12月10日の本祭に酉の市がたつ為、十日市(とおかまち)・熊手市ともいわれます。11月30日より12月11日まで12日間に亘る長い祭典です。』

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 大湯祭には「前斎」「本祭り」「後斎」とあって、前斎は

『前斎 11月30日~12月9日
 毎夜7時半に境内にかつての火祭りを伝えるかがり火をたき上げ祭事を行いますが、この火にあたると無病息災、火防の御神徳にあずかれるといわれます。11月30日より大湯祭本祭の為に神職は神社に篭り潔斎致します。』

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 本祭は

『本祭 12月10日
 本祭のお供え物は米、酒、百味膳、菱餅、海老、長芋、串付の大鮒になります。百味膳(百取膳ともいいます)は海川の物八種、山野の物八種で一膳とし、種々の神饌をすべて熟饌(調理した神饌)にして、本殿、摂末社あわせ百膳をお供えします。この日は特別に御祭神の大己貴命(大国様)と少彦名命(恵毘須様)の御影(福神札)や福熊手、福財布、福種銭を授与しております。
 また伊勢の神宮の御神札(神宮大麻)はこの日から授与いたします。10日の神札授与時間は0時から23時までとなります。
 この日にあわせて酉の市がたつ為、十日市(とおかまち)ともいい、境内や参道に熊手や神棚(宮型)、様々な露店など約1000軒が立ち並び、大いに賑い手締めの声と拍手の音が響き渡ります。』

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 そして後斎は
『後斎 12月11日
解斎のお祭で本殿祭の後、饗膳式(きょうぜんしき)という古式床しい直会の儀が執り行われ「幾久(いくひさ)、幾久」と社頭隆盛の言祝ぎを発し、神酒を拝戴致します。』

 という形で執り行われる。(引用は大宮氷川神社公式サイトより)

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 まあ、大宮氷川神社は鷲神社ではないので、11月の酉の日(年によって2~3回)に行われる「お酉様」ではなく、この時期の大湯祭に合わせて熊手を売るんだろう。

 まあ、お酉様の熊手売りっていうのは、農家の農閑期ビジネスのひとつなので、別にお酉さまではなくともいいのだ。ってことで、ここ大宮氷川神社では12月10日の十日市(とうかまち)に開催されるっていうことなんだろうなあ。別に鷲神社の熊手売りだって、別に宗教とは何の関係もないもんなあ。そうか、だから全国の神社で熊手を売っているっていうわけなんだ。

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 境内では「氷川神社の四季と大湯祭」のパネル展を開催中。

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 ご興味のある方は、お運びを……。

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 大宮氷川神社に行く際は、大宮駅じゃなくてそのお隣のさいたま新都心駅で下車して、旧中山道から右に枝分かれする氷川神社の一の鳥居から参道を約2kmを延々と歩くのが、正しい参詣方法です。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Omiya ©tsunoken

2019年12月 9日 (月)

「女の子がパジャマで外出できる街・西荻」って、誰が言ったんだ?

 いつの頃か「女の子がパジャマで外出できる街」という言い方で、メディアが西荻を賑わせたことがあった。

 まあ、荻窪と吉祥寺という繁華街に挟まれた中途半端な街である西荻窪は、逆にそれなりに繁華街の近隣地として住みやすい町であるのは確かだろう。アパートなどの家賃も荻窪や吉祥寺などに比べるとかなり安いらしい。

 アパレルメーカーのGUが2018年8月23日から29日までネットで行った「これまでにパジャマ・部屋着で外出したことがありますか?」というアンケートをとったところ、「はい」が52.81%、「いいえ」が47.19%という結果だったとのこと。

 まあ、女の子もホンのちょっとした外出については、着替えるのも面倒くさいっていうことなんだろう。まあ、その辺はパジャマ(か、あるいはパジャマ代わりのジャージー)で耳にタバコを挟んでパチンコ屋にいってしまう男どもと、女の子も一緒ってことなんですね。

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 商店街などは充実しているのだが、あえて「外出着」で出かけなくても、近所のコンビニなんかにちょっとした買い物に行くのには、普段着でもOKだろうし、もうちょっとラクしてパジャマでもOKってことなんだろうなあ。

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 確かに、西荻窪の「中途半端さ」はいろいろな「ラクな生活」を許してくれそうな雰囲気に満ち満ちている街ではある。本来は郊外へ向かう私鉄沿線でよくある雰囲気なんだけれども、それがJR中央総武線の駅であるってところがミソなんでしょうね。

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 なんせ23区杉並区のハズレではあるのだが、乗り換えなしで新宿まで20分、東京駅まで30分っていう近さである。

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 交通至便で、家賃も安い、ということは街の物価も安いし、おまけにライブハウスや骨董屋さん古本屋さんなど、何となく文化っぽい雰囲気もある街なんだなあ。「西荻文化」って言葉もあるしね。

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 西荻と武蔵野市吉祥寺の境目には東京女子大学があります。

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 そうか東女(とんじょ)のお嬢さんで西荻在住の人たちが「パジャマで外出」している女子なのかな。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Nishiogi ©tsunoken

2019年12月 8日 (日)

田中長徳氏の「TODAY KYOTO」 in『Camerahorics』

 一年前にホビージャパンから出版された『Cameraholics』というムックの特集タイトルが「-ライカ-なぜライカなのか?」であり、とにかく全編「ライカ特集」だったんだが、この秋に出た『Cameraholics VOL.2』も実に「ライカだけ」のムックだったのだ。

 まあ、確かにライカというのは「ライカ・サイズ」のカメラの発祥の元ではあるし、こだわる価値のあるカメラであるのはその通りなのだが、だからと言って「何故ライカばっかり?」なのと思って奥付を見たら、要は『Cameraholics』の編集発行人と株式会社ホビージャパンの社長が松下大介という人物で、「ああ、なんだ社長の趣味のムックか」ってわけなのだった。

Cameraholics(「Cameraholics VOL.2」ホビージャパン/2019年11月30日刊)

『私は頑固だからずっとフィルムのライカを使い続けている。その理由は簡単であって、もし私がフィルムライカからデジタルライカに転向してしまったら、絶対にフィルムライカに戻らないという変な自信があるからだ。私はめんどうくさがり屋なので絶対そうなるに決まっている。これが私がデジタルライカを今まで使わなかった最大の理由だ。
 ところが今回はいつもと様子が違う。ライカM10-Dというデジタルライカでの撮影だ。このカメラはかなりマニアックで、背面液晶がなく、当然ライブビューもない。一方で、フィルムライカでもないのに巻き上げレバーが付いている。撮影中は果たして写っているのか写っていないのかわからない。つまりフィルムライカで撮影しているのとまったく同じスタンスで撮影が進行するのである。
 フィルムカメラの撮影の充実感というか不安感はまさにこれで、現像が上がるまで丁半博打の結果がわからないのである。ライカM10-Dはそのフィルムライカっぽい感覚が気に入った。』

 というのが田中長徳氏の「言い訳」。

 今回のセットはライカM10-DにレンズはSummilux-M 21mm f1.4 ASPHという、まあ、最新のカメラ+レンズの組み合わせである。

 なんかなあ、田中氏はnoteやFacebookで見てみると、オリーブ色のライカM10とライカMモノクロームでレンズはNoctilux 50mm f0.95 ASPHを日常的に使っていて、確かにめんどうくさがり屋らしく完全にデジタル・シフトしており、おまけにあれだけバカにしていたノクチルックス f0.95を常用レンズにしているもんなあ。

 まあ、EPSON R-D1sなんかも今でもたまには使ってはいるようだが、基本的にライカ使いの田中氏がライカに走るのは理解できるんだけれども、私も使っているEPSONを田中氏も使っているという親近感が少し薄れてきてしまっている。まあ、私ごときシロウトが超プロの田中長徳氏と張り合っても何の意味もないのだが、う~ん、ちょっと悔しい。

 ただし、田中氏のように画廊で展示したり、雑誌などに写真を寄稿したりしているプロではなくて、私のようにブログなんかで記事にするようなタイプにはデジタルカメラの方がラクではある。

 しかしなあ、こうなっちゃうと私もデジタルライカが欲しくなってしまう、ってことでライカ・ブティックがある表4に広告を出している新宿のMAPカメラや、当然、ライカ社のマーケティング的には大成功ってことになってしまうのでありました。

 う~ん、やっぱりデジタルでもライカなんだよね。Mモノクロームかなあ。

(「Cameraholics」「Cameraholics VOL.2」ホビージャパン/) 

2019年12月 7日 (土)

摩利支天徳大寺は商売の神様?

 JRの御徒町駅からアメ横方面に見える不思議な風景に摩利支天徳大寺というお寺がある。

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 場所はまさしくアメ横のど真ん中。JRのガード下の店舗の並びの向かい側だ。

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 摩利支天徳大寺って何だ?

『摩利支天徳大寺 縁起

当山(徳大寺)は江戸時初めの寛永年間に慈光院日遣上人によって創建され、正式には日蓮宗妙宣山徳大寺と申します。また、仏教の守護神である開運大摩利支尊天を奉安することから摩利支天徳大寺とも称し、下谷広小路(現在の上野広小路)に位置したことから、下谷摩利支天とも呼ばれて参りました。
 寺宝として奉安する摩利支天像は、江戸時代中期の京都にて霊夢感得されたご尊像と伝わり、宝永五年(一七〇八)九月に当山へ安置されました。その一連の経緯は、文化十二年(一八一五)に発行された『摩利支天略縁起』に、次のように記されております。
「当寺奉安の摩利支天尊は、施無畏の後身、聖徳皇太子の御手彫なり。下総正中山法華経寺、第五十五世、成遠院日達上人、京北叡昌山本法寺貫頂として、既に正中輪番に下らんとて、東方弘通の擁護を祈られしに、或夜夢らく、尊天来臨ましまし、東の方に立たせ給うと。実に其年正月二日の夜なり。覚めて後、見に一?の霊像を感得し見るに、夢に拝する如く異なることなかりき。躬暫くも離たず。弘通功成りて、帰京の日、霊夢の事を思い、此尊天、東土に縁のましますとて、即ち当寺に什襲奉安し、永く自他の利益を仰ぎ願う。」
 以後、聖徳太子の御作と伝わる御尊像に開運吉祥の御利益を授かろうと、全国よりの絶えざる善男善女の参詣により山門は俄然活況を呈し、いつしかその門前通りは下谷広小路の摩利支天横丁と呼ばれるようになりました。
 時代は明治へと移り、江戸が東京と改められると、上野の街は東京市下谷区に編入されました。この頃には、毎月亥の日の御縁日に摩利支天横丁を中心に多くの露店が立ち並び、大変な賑わいを見せるようになります。その後、大正十二年の関東大震災、昭和二十年の戦災による火災類焼によって、堂宇は二度にわたり灰燼に帰しましたが、奉安の御尊像は幸いにもその都度焼失を免れて参りました。
 そして終戦後の混乱期、闇市の出現などによる町並みの変化に伴い、移転再建が検討されながらもこの地に留まり、昭和三十九年十一月、堂宇再建の悲願が結実され全伽藍の復興を果たし、今日の姿に至っております。本堂正面の扁額「威光殿」は、威光の化身たる大摩利支尊天の拝殿の意として、吉田茂・元総理大臣の揮毫により寄贈されたものであります。
 寛永の時代より凡そ四百年、寺社町として栄えた上野広小路の地に残る最後の寺院として今日も大摩利支尊天をお祀りし、有縁の清衆の現世安穏、後生善処の浄願を祈念致しております。』(摩利支天徳大寺のサイトより)

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 アメ横の成立なんかよりよっぽど古い縁起があるわけで、でも、『門前通りは下谷広小路の摩利支天横丁』なんて呼ばれたりしたり、『毎月亥の日の御縁日に摩利支天横丁を中心に多くの露店が立ち並び』なんてところ、まさしくアメ横の元々の姿だったのかもしれない。

『終戦後の混乱期、闇市の出現などによる町並みの変化に伴い、移転再建が検討されながらもこの地に留まり』というところが、アメ横の神様(仏様?)であるらしいところだ。

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 現在は、摩利支天の境内ともいえる場所がある側は二木ゴルフや二木の菓子などに貸していて、まあ、多分ここの家賃収入が摩利支天大徳寺のかなりな収入のもとになっているのかもしれない、というか周辺にも相当の地所を所有しているんだろう。

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 まさしくアメ横と共に存在しているお寺なんだろう。商売の神様ではないけれども、しっかりアメ横を支えているお寺なのであります。

NIKON DF AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Okachimachi ©tsunoken

2019年12月 6日 (金)

錦糸町は北口もなかなかいい街だったんだ

 昨日は文京区役所でちょっとした仕事をした後はヒマだった(まあ、いつもヒマですが)ので、文京区役所の前から錦糸町駅前に行く都バスに乗ってみた、っていうか以前から一度乗ってみたかった路線ではあるんだよな。

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 行程は、まず文京区役所の前から春日通りを本郷三丁目、上野広小路、御徒町駅前、厩橋とまっすぐに進んで右折、清澄通りに入ってすぐに石原一丁目の横網町公園前で左折して蔵前橋通り、まっすぐに行って大平四丁目で右折して四ツ目通りを進んで錦糸公園前を右折して北斎通りをほんの少しだけ行って錦糸町北口駅前で終点。結構、東京の下町エリアをのんびり走っているバスなんだよなあ。

 おお、おまけに厩橋から先は警視庁墨東警察署管内じゃないか、って分からない人は『逮捕しちゃうぞ』を読んでね。

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 なんとなく錦糸町っていうと、一番上の写真、南口の江東楽天地なんかがあるエリアを思い浮かべてしまうし、江東楽天地に昔あったロープウェイのことをブログに書いたことがある。

 まあ、私なりに小さい頃に親しんだ町ではあるのですね。

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 でも来てみると、意外と錦糸町駅北口周辺もいろいろご縁があった場所ではあったのだ。

 駅北口そばにある錦糸公園は第二次世界大戦当時は空襲から街を守るための「火除け地」として使われたらしく、戦後もそのまま残されている。

 公園の端にあるお稲荷さんもその有様をずっと見守ってきたんだろうなあ。

 で、実は私がいま住んでいるマンションの管理会社がこの公園の北隣にあるオリナスタワーに本社があって、マンション完成から3年間管理組合理事長を務めていた私も、そこに毎年数回セミナーだのなんだのって顔を出していたことを思い出した。

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 ああ、結構盛んに顔を出していた街だったんだ。

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 おまけに錦糸町駅北口駅前を走っている北斎通りってのも、両国からこの地まで走って四ツ目通りドン突きになっている道だったのだ。

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 あまり来なくなっちゃうと結構冷淡になってしまうものですね。

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NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Kinshicho ©tsunoken

2019年12月 5日 (木)

日暮れの逆光写真が面白い

 冬至まではまだ三週間ほどあるが、今の頃が一番早く日暮れになる時期だそうだ。

 だとすると今頃の時期が一番「夕暮れ写真」を撮影しやすい時期ということになる。

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 夕暮れ写真と言えば、こんな狭い道の向こうに太陽があって、そこから陽の光が入ってくる写真が上手い具合に撮れるってことだろう。

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 太陽がまっすぐに当たる壁面と、完全に日が当たらない壁面のコントラストも面白い。

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 つまり逆光写真って言うことなんだろうけれども、逆光写真というと一番それを多用するのがモデルのポートレイトなんかの写真だろう。ただし、モデル写真の場合は基本的に逆光で撮るんだが、その一方、カメラの後ろからレフ板やライティングなどで明るくして、背景の逆光のボケ加減とのバランスをとるということになる。

 風景写真やスナップなどの場合は、その明部と暗部のバランスを頭の中でうまく調整するということなんだが、最近のデジカメだと、この辺をカメラが勝手にバランスをとってしまい、あまり面白い写真にはしてくれなくなってしまうものが多い。

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 そこへ行くと、エプソンのR-D1sだと、結構、昔のカメラと同じように、カメラ側で勝手にバランスを取るようなことをしないので、昔のフィルムカメラと同じような明暗のバランスになってしまって、実はそれが面白かったりするのだ。まるで、昔のフィルムカメラのような感じの写真になる。

 まあ、上の写真はフレームに太陽が入ってしまった失敗例ではあるんですがね。かなり補正してこんな感じ。

 ちょっとやりすぎでした。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Komagome & Sugamo ©tsunoken

2019年12月 4日 (水)

高輪ゲートウェイ駅を通過する(だけ)

 たまたま三田に用事があったので都営地下鉄三田線で三田まで行った。

 三田まで行ったので「ああ、そうか!」ってなもんで田町駅まで行ったのだった。

 何が「ああ、そうか!」なのかって? え~、別に火急の用事なんてものではなくて、っていうかこの歳になると「火急の用事」なんてものはありません。なんせ「毎日が日曜日ですから」ね。

 え~と、要はですね、去る11月16日にJR山手線と京浜東北線の田町・品川間で各上下線4線の総入れ替えがあったったんですね。つまり、新駅「高輪ゲートウェイ」開業へ向けての大仕事、山手線2線、京浜東北線2線を東に出来た高輪ゲートウェイ駅の方へ移動しつつ、東から2番目にある京浜東北線北行きの路線を、一番西に移すという大工事なんであります。

 その結果がどうなったのか? というのを見届けに行ったのであります。別に、私が行かなくてもいいんだけれども、要は「暇なんですよ」。まあ、要は山手線で田町から品川まで行って、とって帰って京浜東北線で品川から田町方面まで行くっていうだけのアホな旅。

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 田町駅を出発した山手線外回りはすぐに国道15号線から枝分かれした札の辻からきた陸橋(都道日比谷芝浦線)の下を通ります。

 それを過ぎるとすぐに山手線の外回りと内回りを越える京浜東北線北行きの跨線橋に出会います。

 その後は、跨線橋を左に見ながら、高輪ゲートウェイ駅に入っていきます。

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 勿論、駅に入っていくんですが、まだ駅は開業していなくて、開業は来年、2024年に「グローバルゲートウェイ品川」として街びらきして、駅もその時から本開業です。

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 なあんてことを考えているまもなく品川駅に到着です。

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 この山手線の内側にある空き地のもうちょっと先の高輪ゲートウェイ駅脇がグローバルゲートウェイ品川の本格的再開発地、になるわけですね。ああ、面倒くさい。

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 品川駅から見た高輪ゲートウェイ駅の遠望。

 今度は逆方向で、京浜東北線北行きでもって高輪ゲートウェイ駅を通過してみようと思ったんだけれども、いやあ、なんたって東京です。電車の最前列は普通の鉄道オタクやら、(私みたいな)ニワカ・オタクやら、なんやらがいっぱい乗っていて、写真は撮ったんだけれども、レンジファインダーの限界と言いますか、まあ、上手くは撮れなかったんで「ボツ」です。

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 まあ、予定しないで撮影した場合は、大体こんな風。

 普段は、結構「今日はどこで、なにを撮ろうかな」なんてことを考えて、カメラとかレンズを決めていたりしているんです。シロウト写真と侮るなかれ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Takanawa ©tsunoken

2019年12月 3日 (火)

月島に行ったら「もんじゃ」じゃなくて交番でしょ

「月島もんじゃストリート」っていうのがあるのは知っているんだが、いつ頃からそんなネーミングができたんだろう。

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「もんじゃ焼き」というのは都内全域に分布しているわけではないらしい。古くからの店が残るのは墨田区・江東区・台東区・葛飾区・足立区・荒川区等の下町に限られる。まあ、確かに私が子どもの頃過ごしていた足立区ではよく見かけたが、あとは北千住とか浅草くらいでしか「もんじゃ焼き屋さん」ってのは見なかった記憶がある。

 月島なんて街は、その存在すら知らなかった。

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 東京都中央区月島の「西仲通り商店街」は「もんじゃ焼きの街」「もんじゃストリート」と呼ばれ観光客で賑わう。月島には現在もんじゃ屋が75店ほどあるが、歴史のある店は数店であり、ほとんどは1980年代後半の「もんじゃブーム」で他の商店からくら替えしたものである。っていうんだけれども、その通りだろうなあ。

 まあ、大半の店はもんじゃ焼きだけではなくお好み焼きも提供しているというのは、別に月島だけじゃなくて、足立区のもんじゃ焼き屋さんでも浅草でも、お好み焼きも出しているもんなあ。

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 で、というか、じゃなくて、っていうか、何で皆「月島=もんじゃストリート」なんだってことがこのブログの本題。

 そうじゃなくて、月島と言えば月島警察署の交番でしょ、っていうのが今日の本題なのであります。

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 月島西通り商店街(もんじゃストリート)の二番街と三番街の間にある元交番。現在は月島警察署西仲通り地域安全センターという呼び名になっていて、本来の交番ではなくなっているんだが、元々は月島警察署の西仲通り交番という、警視庁最古の交番だったのであります。

 その交番が昔のまま、というかそれよりも前は木造だったらしいんだけれども、関東大震災の後、レンガ造りの交番になっていまでも残っているというのが凄いですね。

 昔は周りは平屋かせいぜい二階建てのしもた屋とか商店だったのが、現在はほとんどビルになってしまっているのだが、その中で昔のままの交番があるっていうのがいいじゃないですか。多分、出来た当時はモダンな交番っていうことで有名になったんだろうなあ。

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 本当の月島名物はもんじゃ屋さんじゃなくて、こっちの交番なんですよ。

 って、言わなくちゃね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f5.6 @Tsukishima

2019年12月 2日 (月)

江戸八角箸は健在だった

 8月21日のブログ「佃島の今」でもって、『あれっ? そういえば一膳10,000円以上する江戸八角箸で有名な「漆芸 中島」という箸屋さんがなくなってしまっていて、普通の民家風になってしまっている。』なんて書いたら、写真家の田中長徳氏からフェイスブックで「橋(箸の間違い:引用者注)屋さんは単に建て替えのようです」なんてメンションをいただいてしまったので、どうなっているのか確かめるために行ってみた。

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 確かに、以前はしもた屋風の町家だった「漆芸 中島」がこんな風に変わってしまったので、中島も閉店なのかなと勘違いをしていたようだ。

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 しかし、近寄ってみればウィンドウの中に、確かに「江戸八角箸」の文字が。

 要は、8月に行った頃は、まだまだ建物が新築なったばかりで、まだ完全に出来上がっていなくて、その時はお店がまだ入っていなかったのかもしれない。

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「江戸八角箸って何だ?」って?

『武士は帯刀して往来を闊歩していましたが、食うためには傘張りなどの副業で生計を立てなければならない時代。そんなとき、御家人たちが下町で竹箸を作ったのが始まりでした。その後、大正時代に竹が木にとってかわり、江戸木箸が生まれたのです。

 四角の角を削って八角にした八角箸は、持った時の感触がよく、先が鋭くなっているため豆やこんにゃくなどもつかみやすい。また、男箸は23.5cm、女箸は22.5cmと一般に売られている箸より若干長めなので使いやすいと評判です。

先代から受け継いだ希少な材木で作られた江戸八角箸。手に持つと馴染み、コンニャク・イカ・蕎麦が軽くつかめます。』

 ってのが、「漆芸 中島」のサイトからの写し。

 お値段は最高で一万円以上するが、使いやすさでは最高のお箸です。って、使ったことがあるような書き方ですが、実は、私はまだ使ったことがない。

 ダメだなあ、こりゃ。

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 この奥に見える高層マンションのどれかが田中長徳氏がお住まいのマンション。

 一度か二度ほど、住吉神社でお姿をお見かけしたことはあるんだが、お声をかけたことはありません。

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 う~ん、なんかセルフポートレイトになってしまいました。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Tsukudajima ©tsunoken

2019年12月 1日 (日)

神楽坂は見番横丁がおススメ

「見番」って何だ?

「その土地の料理屋・芸者屋・待合 (まちあい) の業者が集まってつくる三業組合の事務所の俗称。また、近世、遊里で、芸者を登録させ、客席に出る芸者の取り次ぎや玉代 (ぎょくだい) の計算などの事務を扱った所」ということなんだけれども、そもそも「三業組合」って何だ?

『料理屋・芸者置屋・待合の3種の営業が許可された三業地(または前2者のみの二業地)は、公安委員会(第2次大戦までは警察署)から営業許可を得た特殊地域を示し、3者が合流して三業組合(同業組合の一種)を組織している。花柳街とほぼ同義に用いられ、20世紀前半における市街地の主要な遊興地帯であった』(Wikipedia)

 まあ、神楽坂の料亭や芸妓さんたちを束ねていた組合のことなんですね。組合が出来る前は置屋さんなんかを指していた。勿論、現在はそんな法律もなくなってしまったので、「三業地」なんて言葉も公式的にはなくなってしまっている。

 ふ~、結構面倒くさいですね、今や使われない言葉を解説するってのは。

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 でも、神楽坂の裏の方の道に見番があるので「見番横丁」なんて呼ばれる道が今でもあるんですね。

 この家が「東京神楽坂組合事務所」という「見番」。現在は料亭が4軒、芸妓さんが17名所属しているらしい。

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 神楽坂は飯田橋駅前の繁華街で、表通りの商店街もなかなか捨てがたい街並みではあるのだが、その一歩裏側に入った道もなかなか風情があってよろしい、という話。

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 神楽坂商店街から神田川方の裏道も料亭や昔からの居酒屋、作家やシナリオライターが「カン詰め」になって原稿書きをするので有名な「和可菜」なんていう和風旅館なんかがあって、それはそれで風情がある街なんだが、神楽坂商店街の東京理科大学側の裏道もなかなか捨てがたい味がある街なのである。

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 それが見番横丁なんかがある辺りである。

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 神田川方面の裏通りはどちらかというと料亭というよりは居酒屋風のカウンターの店が多いのだが、こちらの見番横丁周辺はもうちょっと大きな料亭風が多くて、いかにも芸妓さんたちの出番があるようなお店が多い。そのために、神田川方面よりは入りづらそうな、「一見さんお断り」風の店が多い。

 まあ、現在はそんな店ばっかりじゃなくなっていますがね。

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 この二又、左が神楽坂商店街の方へ抜ける道で、右側が見番横丁です。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Kagurazaka ©tsunoken

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