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2019年11月23日 (土)

南平台とJCGL

 渋谷駅南改札を出て西口バスバスターミナルを越えると東急プラザがある。

 東急プラザから、そこから青山通りから名前を変える玉川通りを歩道橋で越えると、あとは東急本社方面へ登っていく山登りコースである。エッチラオッチラその上り道を上がると、その後は当然、これまた急な下り坂になるのだ。

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 で、下り坂を下りきったところにあるのが鉢山交差点。そのすぐ先が昔JCGL(ジャパン・コンピュータ・グラフィック・ラボ)があったところだ。

 JCGLって何だ?

『1980年、日本で最初の商業CGスタジオJCGL(ジャパン・コンピュータ・グラフィックス・ラボ)を渋谷区南平台に設立。JCGLは、2階建てのブティック風のつくりながら、地下にスタジオやマシンルームを備えるという遊び心に富んだものであった。来日時のビル・ゲイツも見学に訪れたという。
 1984年、製作講談社、配給東宝東和系で映画『SF新世紀レンズマン』を製作。宇宙船などを3DCGによって表現した。ニューヨーク工科大学の技術が導入されたものであった。
 機器の高機能化・低価格化に伴う所有機材の陳腐化や財務状況の悪化、特許に関する訴訟などによってJCGLは次第に疲弊し、ナムコ(現・株式会社バンダイナムコゲームス)に吸収される。当時のJCGLのスタッフは離散したが、日本のCG発展に寄与することとなる。
 1985年、スタッフ教育のためにJCGL内に発足した「CGカリキュラム研究会」は、その後、CG-ARTS協会へと発展し、CGクリエイター検定などを実施している。』

 っていうのがWikipediaのJCGLの解説だし、その創設者の金子満氏の紹介記事だ。

 じゃあ、金子満氏ってどんな人?

『映画配給会社東宝の重役を父として生まれる。
 慶應義塾大学法学部を卒業後、フジテレビジョンに入社。フジテレビの編成部で『日清オリンピックショウ 地上最大のクイズ』や『第7の男』『ゼロファイター』などを手掛ける。1964年に手掛けた『ゼロファイター』では制作方針の混乱から、当時のスポンサーが完成作品を敬遠して1969年まで「お蔵入り」を招く失敗を経験。その失敗を経て、フジテレビの社内留学制度で南カリフォルニア大学シネマスクールへ留学。さらに、メトロ・ゴールドウィン・メイヤーで研修を受ける。日本帰国後は『木枯し紋次郎』などのプロデューサーを経て、浜美枝と結婚。
 1974年にフジテレビから独立して、映像企画会社のMK COMPANY(エムケイ)を設立。エムケイでは『ウリクペン救助隊』『ラ・セーヌの星』や、中谷国夫の名で『大空魔竜ガイキング』の原作を手掛ける。その後も、エムケイのプロデューサー兼シナリオライターとして『名犬ジョリィ』や『太陽の子エステバン』を制作。
 1983年には東京工業大学の安居院・中嶋研究室と共同で2Dアニメーションの研究を行い、テレビシリーズのアニメ作品では世界初のコンピュータで描画・彩色した『子鹿物語』を制作。以降も『SF新世紀レンズマン』などのアニメ作品に携わる。1987年にはジム・クリストフらと、ロサンゼルスにメトロライトスタジオを設立。メトロライトスタジオが手掛けた映画『トータル・リコール』では、当時の最新技術だったモーションキャプチャシステムがうまく作動しなかったので、アーノルド・シュワルツェネッガーのビデオショットをハーフミラーで一枚ずつコンピューターモニターに投射して、モニター上の骸骨モデルをビデオの動き通りの位置に張り付けるロトスコープを採用。アカデミーの技術協会から「お金をかけなくても良い効果を生み出せる例」としてアカデミー特別業績賞を受賞する。
 1996年に、東京工業大学大学院後期博士課程修了(情報理工学)。慶應義塾大学環境情報学部及び同大学大学院教授を経て、東京工科大学メディア学部教授、同大学大学院教授となる。2010年に、東京工科大学大学院及び東京工科大学片柳研究所教授。東京工科大学片柳研究所のクリエイティブ・ラボで主宰を務める。また、東京国際アニメフェアで委員を務めるなど、精力的に活動をしている。』

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 まあ、まだまだ世の中コンピュータ・エイデッド・アニメーション(Computer Aided Animation)なんて発想がない時に、2Dアニメーションで講談社と組んで『子鹿物語』シリーズを製作し、その後はまだまだ未完成な「3DCG」と2Dアニメーションに合体させた無理作(と今では言える)『SF新世紀レンズマン』を製作し、ビジネス的には大失敗。パートナーの講談社も数十億円の赤字を出す結果となって、JCGLは解体し、金子氏もアニメ製作の最前線からは撤退し、東京工科大学の教授となって、まあ、今でもコンピュータ・アニメーションの研究をしています。

 まあ金子氏の挑戦を「早すぎた」なんて言って評価する人もいたんだが、世の中に早すぎたなんてことはなくて、金子氏がCGというものを事業化できると考えたこと自体はまったく間違っていなかったし、やはりこうした先駆者の苦労があってこその新テクノロジーなのだろう。世の中の「成功」の後ろには死屍累々というのは、まあ、やむを得ないのかな。

 私が金子氏と関わり合いをもったのは、その劇場映画『SF新世紀レンズマン』が完成間近になった頃。夏に公開された映画に引き続き、10月からはテレビシリーズを予定していて、そのプロデューサーを命じられたからなのであった。

 で、下の写真がJCGLです。

 なんかここがCG会社だとは思えないですよね。秘密はこの建物の地下にあるんです。

Tp04_jcgl_20191122112901Trilogy Future Studio Inc.のサイトより

 渋谷、南平台の瀟洒な住宅地の真ん中にある、これまた瀟洒なお屋敷にしか見えないんだけれども、ところがその地下にはスーパーコンピューターがドンと置かれて、その周囲に数十台のVAX-11というサーバーコンピュータが置かれて、毎晩毎晩徹夜で映像制作作業を行っていたのである。

 一時期、ここの駐車場にほとんど置きっぱなしになっているらしきシボレーカマロGT 7リッターっていう、リッター2~3キロしか走らない「バカクルマ」のオーナー(いやあバブルだったんですね)であるスタッフと話をしたことがあるんだけれども、「実は、殆どここの駐車場に置いたまんまなんでリッター何キロ走るか分からないんですよね」なんて言っていたのを思い出した。

「瀟洒な建物」の地上から見える部分には、金子満(KM)氏の映像企画会社MKや、浜美枝(本名:金子美枝子=KMK)氏の個人事務所KMKがあって、打ち合わせなんかでJCGLに行った際なんかにはボンドガールってどんな人なんだろうなんて期待して行ったんだけれども……、一度も会えなかった。残念!

 勿論、現在は既にJCGLの残滓なんてものすらなくて、場所がどのへんだったかもわからなくなっているんだが、周辺(らしき)場所を歩き回っていると、う~ん、なんかこの秀和レジデンスって以前にも見た頃があるぞ……、とか

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 この女性が立っている場所の奥の半地下のお店って、もしかしたらよく行っていた美味しい中華料理屋さんじゃなかったかしら……、とかうっすらと思い出してくる場所の特徴なんてものが透けて見えだす。

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 とすると、その中華料理店のある角から少し下がった場所にあるこの家が、昔のJCGLだったかなあ。

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 あ、だから別にどうということはないんですがね。

 単なる思い出、思い出。

 今のCGアニメ全盛時代の前に死屍累々なんてことは言いません。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Nampeidai ©tsunoken 

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コメント

JCGLの記事、読ませていただきました♪
オイラが入社したときは池袋だったんです。
南平台時代は知らないんです。
有難うございました!
インスタ→@hotmenustudio

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