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2019年10月

2019年10月31日 (木)

巣鴨地蔵通り入口のゲートがなくなっちゃった

 RICHO GRD Ⅲ + WIDE CONVERTERでもって地蔵通りを写してみた帰りは、やっぱりこれだよなっていう感じで EPSON R-D1s + VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm でもって再度撮影しながら帰って来たわけです。

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 まあ、やっぱり普段から使っている取り合わせなので使いやすい、っていうかなんとなく撮影対象を裸眼で見て、その撮影イメージが見えてくるっていうのが不思議だ。勿論、フォクトレンダー12mmのEPSON R-D1s での撮影イメージはフルサイズ換算で18mmなので、21mmレンズの画角とほぼ一緒で、RICHO GRD Ⅲ+WIDE CONVETER と感覚的にはほぼ同じはずなんだけれども、なんかカメラを構えている雰囲気というか気分が違う。

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 で、いつもいつもの巣鴨地蔵通商店街の風景なんだけれども……

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 なんか違うんだよなあ……

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 なんなんでしょうね……。

 なんて考えながら歩いてきたら……

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 そう、地蔵通りの入口にある「巣鴨地蔵通商店街」のアーチが無くなっているんだよなあ。

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 いろいろネットを調べても分からない。でも、入り口以外のアーチはまだあるので、例えばアーチを作り変えているなんてこともあるのかもしれない。

 そういえば、以前は地蔵通り入口の右側にあった総合案内所が、江戸六地蔵眞性寺の門前に移っている。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Sugamo ©tsunoken

2019年10月30日 (水)

『日本カメラ』11月号は二大スナップシューター特集

『日本カメラ』(2019年11月号)は荒木経惟と森山大道という我が国の二大スナップシューターの巻頭コラボレーション写真とご両名の対談「令和を撮る」でスタートされる。

11『日本カメラ』2019年11月号(日本カメラ社)

 しかし、何となく風貌から荒木経惟氏の方が年上なのかと思ったら、森山大道81歳、荒木経惟79歳とは知らなかった。

 巻頭の写真は、森山大道¥氏が「中野ブロードウェイ」リコーGRⅢでカラー撮影。荒木経惟氏はペンタックスMZ-10・smc PENTAX 35-80mm・f4-5.6・コダックT-MAXでモノクロ撮影した「令和クルマド」という二題。さすがに機材にはこだわりのないお二人だけあって、その機材選定にもなんとなく理解できるところがある。というか、唯一のこだわりが荒木氏のアナログカメラ使用ってところなのだろうか。

 まあ、それぞれ以前より手掛けていた手法だったり、テーマだったり、いわゆる「森山写真」だし「荒木写真」なんですね。当然、ご両名とも既に一代をなしてしまった大家なので、今更撮影スタイルを変えるなんてこともなく、ごく自然に日本カメラ社の注文写真をこなしているという感じですね。

 対談の中で森山氏は言う。

『「勝手に撮るな」って言われて、撮らなかったらスナップ写真家はいなくなるし、もし街でスナップができなくなったら写真の世界はとても不毛だよね。みんな衛星無害になっちゃってつまらなくなる。それを気にして撮らないってのは僕の中にはないね。周りから色々言われようが、ゲリラ的にガンガン発表しちゃえばいいんだよ。』

 いやあ心強いですよね。まさしくスナップシューターならではの発言で、私なんかも力づけられます。

『――これまでで何かやり残したと思うような仕事はありますか?
荒木 うーん、そもそも何かやろうと思ったことがないというか、成り行きで撮ってるからね。基本的に終わりがないわけだよ。
森山 まったくその通りで、終わりなんかない。自分がプツッと終わったときが僕にとっての写真の終わりなのであって、それにすぎない。だから先の予定なんて立てている場合じゃない。今の毎日がいろんな刺激があって面白いわけで、それ撮ってるだけ。』

 なんて、ワクワクすることを今でも言っているんだなあ。

Photo_20191029164101特別付録の『巨匠2人による撮り下ろしポストカード「REIWA」』ってのがついているんだが、これじゃあ年賀状には使えませんな。

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『TODAY TOKYO 1964-2020 田中長徳』も連載中。「東京23区だけが東京であるはずもない。首都圏が本物の東京である。」って言って、川越に行っちゃってもいいのかなあ。

 まあ、それはいいんだが、この本を見て川越丸広百貨店の屋上に行っても観覧車には乗れません。っていうか、屋上遊園地自体が閉園していて、屋上には上がれません。まあ、大食堂のお子様ランチはあるんだけれども、「宝焼酎とウィルキンソン炭酸水」を飲んでお子様たちが乗る観覧車に乗っちゃいけませんね。

 『日本カメラ』2019年11月号(日本カメラ社)

2019年10月29日 (火)

GRDⅢにワイコンを付けてテストする

 10月25日のブログで『これが結構使えるケースでRICHO GRDシリーズ用の外付けファインダー GV-2 (28mm用)をカメラに装着したままでカメラをカバーできるケースなんですね。本来はデジタルカメラなんだから、外付けファインダーは使わないのが基本なんでRICHO GR CASEで十分なんだけれども、私のような「アナログ→デジタル」カメラの世代にとっては、ファインダーがないカメラは使いずらい。
 まあ、あとはRICHO GRD Ⅲの焦点距離なんだよなあ。
 GRDシリーズの基本焦点距離は(フルサイズ換算で)28mm、勿論そのためのワイドコンバーター(21mm相当)ってのがあって、私も持っているんだけれども、かなり図体が大きいコンバーターレンズなんで、使うのが面倒くさい、ってことなんで、「スナップ・シューター」派としては、ちょっと邪魔なんですね。』なんてことを書いたんだけれども、モノは試しなので、ワイドコンバーターをつけて撮影してみた。

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 GRDシリーズの基本は焦点距離6mm、フルサイズ換算で28mm、ワイドコンバーターが0.75倍なので、フルサイズ換算で21mmと、結構使える焦点距離になる。でまあ、それを持ち出して撮影をしてみたんだが……。

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 実はこのワイドコンバーターってのが結構曲者で、思ったよりデカいんですよね。

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 撮れる写真は、まあ如何にも21mmなんだけれども、結構取り回しには苦労するって程ではないけれども、なんかせっかく小型鮮明なGRDの良さが出てこない。

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 まあ、本来は28mmのレンズに無理矢理な感じで更にワイド化する装置なのだから当たり前と言えば、当たり前なんだけれども、結局、EPSON R-D1sに12mmで撮ったほうがなんかしっくりいくんだなあ。

 手に持った時のバランスなんかも、28mm時とはだいぶ異なった感じで、あまりバランスが良くない。

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 ってことで、再びGRD Ⅲは35mmフルサイズ換算で28mmのコンパクトなままで使い、よりワイドを撮るためにはEPSON R-D1s+12mmか、NIKONに20mmレンズということにすることで決定。

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 まあ、基本的にはカメラというのは普通に使用するレンズを使うことを基本に設計されているので、それに余計なものをくっつけるとバランスを崩してしまい。あまり「お洒落じゃない」という見本みたいなものだな。

RICHO GRD Ⅲ+×0.75 WIDE CONVERTER @Sugamo ©tsunoken

2019年10月28日 (月)

『我楽多屋で買ったモノ・マガジン』

 22日のブログ「昭和のカメラとレンズの写真展」の後に行った四谷は荒木町の我楽多屋さんで、ちょっとした買い物のお礼に頂いた本なのであります。

 我楽多屋開店30周年記念としてオリジナル缶バッジと一緒に配っていたもので、以前から本屋さんで探しても、Amazonで探しても手に入らなかった本なので有難くいただいたのだが……、ちょっと複雑な思いではあった。

 まあ、元出版社員としては、なんか無料で本をいただくってのは、ちょっと背徳的な感じがしてね……。なんせ、980円位だったかの買い物(「レンズフードケース付き、レンズフード」実はレンズフードケースが主目的)で、定価1,400+税の本と缶バッジですからね。なんか買い物に行って、実はトクをしちゃった、ってところ。

Rimg00032_20191026205601 『我楽多屋で買ったモノ・マガジン チョートク愛蔵コレクション100+1』(田中長徳著/東京キララ社刊・三一書房発売/2003年12月1日刊)

 通常なら書店で新刊を買った時に奥付を見れば大体その本がどんな状況になるのかは理解できる。この『我楽多屋で買ったモノ・マガジン』は我楽多屋さんの倉庫で眠っていた初版納品分をプレゼントということなので、当然「第1版第1刷」、つまり新刊見本として我楽多屋さんに納められたものの一部なんだと思うんだが、この本の現在が何刷なのかが分からない。

 大体、出版社が新刊を出す時は大体3刷くらいで黒字が出来るような価格設定をする。したがって、特別新刊じゃなくて普通に既刊本を書店で買う時は、奥付で3刷以上だと「ああ、この本は黒字になっているんだな」なんて安心したり、「新刊から何年もしているのにまだ初版1刷のまんま」だと、「ああこの本は見事赤字で終わっちゃうんだな、なんて同情したりする。まあ、特に好きな本だとね。ちょっと残念、なんてね。

 特に、2003年というと三一書房もまだ紛争を抱えていた時期だし、東京キララ社も三一書房も大変だったんだろうなあ、なんて、本の内容とは関係ないところで気になったりして……。これまた、元出版社の社員としてはね。

 とは言うものの、基本的には「本書は、アローカメラホームページ(https://camera-kaukau.lekumo.biz/arrow/blog_index.html)に連載された「我楽多屋で買ったモノ・モノマガジン」に大幅に加筆したものです。」というように、まあ多分、編集者のチェックやら校閲者の校正作業を経ないで書かれた文章を本にしたというもので、まあ、校閲者としてはいろいろあるのかもしれない。でも、そうした「キチンとした」作業を経ていないからこその、面白さっていうのもあって、まあ、どちらが良いのかというのは何とも言えないですね。

 まあ、とにかく田中氏の名著「銘機礼賛」の丁度「裏版」ともいうべきものが、この「我楽多屋で買ったモノ・マガジン」なのだ。

 例えば、さすがに「ライカの人」である田中氏であるから、「銘機礼賛」でもライカの出現率は多いんだけれども、そちらは日本カメラ社という、まあ、少しは公的な存在の会社、こっちはある意味でもう「勝手にして!」てな感じの「田中長徳の趣味本」なので、ライカ出現率はググッと上がってくるんですね。で、その骨頂が「ライカM2ルイヴィトン模様」っていうエッセイ。

「ライカM2に、LVの文様が付いたボディは、銀座のレモン社で、何と6万円という安価でした。これがオリジナルで、銀座の専門店から販売されるのなら、3年待ちの人気でしょうが、これが仮に本物だとしても、日本の人はこういうモノにはなかなか手を出しません。7年ほど前に、「ライカCD大図鑑」(アスキー刊)を出したときには、自分のライカを好みの色の革張りにするという、当時はまだ珍しかった手法のバーチャルプログラムを、そのCD-ROMに組み込みました。ライカのレザーの部分が、ペイズリー文様だったり、北斎の富嶽三十六景だったり、自由に組み替えられ、仮想の自分のライカが作れる仕組みです。」

 さすがに私もライカM6を持っているけれども、それをルイヴィトン仕様にして、何か撮る写真が変わるのかと言えばねえ……。

 もうバカバカしいの極北に位置していますね。まさしく「俗の極み」っていうのか、何て言うのか。

 基本的には、田中長徳氏はフォトグラファーとしてはシリアスな人だと思う。これまで撮影してきて、本や写真展などで発表してきた作品は、皆シリアス・フォトの分野に属するものなのだろう。まあ、シリアス・フォトってものがどんなものかは、実は私にはわからないけれども、まあ、そんなシリアス・フォトグラファーであっても、言ってみれば「写真」っていうのが趣味の延長だったりしたのであれば、結局はその辿り着く場所は「趣味」の世界なんだよな。

 まあ、自分の「趣味」を仕事にしちゃったのが「写真家」なんだもんね。

 そういう意味では、趣味の世界に遊ぶのもシリアス・フォトグラファーだし、シリアスな現実に向き合うのもシリアス・フォトグラファーだってわけで、まあ、シリアス・フォトグラファーも幅が広いし、奥が深いですね。 

 なんだか良く分からないけれども。

『我楽多屋で買ったモノ・マガジン チョートク愛蔵コレクション100+1』(田中長徳著/東京キララ社刊・三一書房発売/2003年12月1日刊)最早、古本しかないようです。

2019年10月27日 (日)

晴海客船ターミナル

 晴海客船ターミナルまで、東京駅丸の内南口からバスで行った。

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 昔、晴海埠頭というのは東京モーターショーを見に行く場所で、そこに東京国際見本市会場という大きなドーム型の建物があって、そこで東京モーターショーが開催されていた。

 当時、東武伊勢崎線の西新井駅のそばに住んでいた私は、叔父に連れられてモーターショーを見に行ったんだけれども、営団地下鉄(! 現・東京メトロ)日比谷線の築地あたりで降りて、晴海通りを延々勝鬨橋の先まで歩いて東京国際見本市会場の東京モーターショーまで行ったような記憶がある。何故、そんなに歩いて行ったのかは覚えがないんだが、当時から東京駅丸の内南口発晴海ふ頭行のバスがあったのかどうかは知らないが、もしかしたら叔父がそんなバス路線があることを知らなかったのかもしれない。

 昔はその程度の情報でもって東京の人間も動いていたんですよ。

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 当時から晴海客船ターミナルがあったのかどうかは、当時、全く記憶にないが「晴海埠頭」という言葉はあったようなので、港があったことはあったんだろう。

 港があるので、海外からの客もくるだろうし、となれば当然、入管とか税関って言うものがあるはずなんだけれども、どうもなんかあまり目立たない。空港だと一番目立つのがイミグレーションなんですけれどもね。

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 晴海客船ターミナルのサイトを覗いて入港情報を見たりしているんだが、国内のクルーズ船やフェリーなんかの予定はあるんだが、外国船の予定はない。

 たしかに、以前何かで読んだことがあるんだけれども、超大型クルーズ船がレイボーブリッジの下を通ることが出来ないので、晴海客船ターミナルには大型のクルーズ船は停泊できないらしい。いや、というか、波止場に停泊はできるんだが、そこまで大型クルーズ船が入れないってことなんですね。

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 で、この位の船なら大丈夫ってことで、停泊しているし、船客も出たり入ったりしている。しかし、それにしても帆船ってのも、いかにも時間に余裕がある人たちの舟って感じですよね。

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 周辺は最早、国際見本市会場なんてものの残滓はなくて、今や来年のオリンピックの選手村の作成に追われています。

 しかし、オリンピックが終わった後に、この辺の「海岸沿い」のマンションを買う人っているのかな?

 今年の台風の水害を見てねぇ。

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NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Harumi ©tsunoken

2019年10月26日 (土)

雑司が谷弦巻通りは豊島区と文京区の区界

「弦巻」という地名は世田谷区にある。

 蛇崩川という以前にも取り上げたことのある、目黒から伸びている道のことなんだが、その暗渠の先が弦巻なのだ。

 それとはまったく関係なく、まさしく「弦巻川」の沿線にある街が、豊島区と文京区の境目にある。それが、まさしく「弦巻通り」なんですね。

 そのスタートが、ここ池袋メトロポリタンホテルの前にある、元池袋史跡公園です。

 公園の由来書には

『むかしこのあたりに多くの池があり、池袋の地名は、その池からおこったとも伝えられている。池には清らかな水が湧き、あふれて川となった。この流れはいつのころから弦巻川とよばれ、雑司が谷村の用水として利用された。
 池はしだいに埋まり、水も涸れて今はその形をとどめていない。
 これは、むかしをしのぶよすがとして池を復元したものである。

  東京都豊島区教育委員会
  石像寄贈 東京池袋ライオンズクラブ』

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 池袋駅西口を地上に上がればすぐそこは池袋メトロポリタンホテルです。

 池袋メトロポリタンホテルからJR線、西武線のガードをくぐって明治通りに出て、そこから目白方面へ進みます。

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 明治通り的にはこの「大鳥神社参道」っていうのが、実は「雑司が谷弦巻通り」の入口なんですね。ここまで、どんな風に明治通りの下を「弦巻川の暗渠」が進んでいたのかは分からない。

 道は東京音楽大学なんかの正門前も通るんですが……。

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 で、やっぱり本来の「弦巻通り」は、この都電の踏切をわたってから先なんですね。

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 この辺、旅猫雑貨店とか雑二ストア(え~、「雑司が谷二丁目」の「雑二」です)あたりが、まあ、要は雑司が谷弦巻通りの中心なんでしょうね。

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 そのまま弦巻通りを進めば、山窩(サンカ)に関する小説を数多く書いて明治時代の一大小説家となり、一方、文型座、人生座などの池袋の映画館を経営したということで有名な三角寛の住居をそのまま、料亭とした「寛」があるし……

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 おなじ「寛」でも、こちらは菊池寛という、文藝春秋社を造った人も、この辺りにいたんですね。

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 で、弦巻川は護国寺の門前辺りで東から来た流れと一緒になって音羽の他の底を走って、江戸川橋へ流れて行って、神田川に合流したらしい。

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 江戸川橋あたりには「岡場所」があったらしい。

 まあ、川と川が出合う場所は、そんなこともあったでしょうね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Zoshigaya & Mejirodai ©tsunoken

2019年10月25日 (金)

東京駅丸の内、夜景のフォトジェニー

 最近は夕方になると家に帰ってしまうという生活パターンなので、あまり夜景を見る機会がないなあ、なんて思っていたのだが、久々に東京駅丸の内南口に夜直前くらいのタイミングで降りてみた。

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 いやあ、旧東京中央郵便局・現KITTEがなんかいいんですね。

 夕暮れの空の色と暮れなずむ街の明かりのコントラストがマッチしているのと、その薄暮の光の中のクラシックな佇まいの旧・東京中央郵便局がこれまたとてもマッチしていて、なんかヨーロッパの都市の夕暮れ風景にも見えてくる。

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 大体、東京駅丸の内口の三菱村で、昔の佇まいを見せているのは、このKITTEともうちょっと先の三菱一号館、そしてまさしく東京駅ぐらいなもので、それ以外は丸ビルも新丸ビルもガラスばっかりのビルになってしまい、丸の内ホテルも、今や丸善が入っているオアゾの中に入ってしまった。

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 まあ、「街全体が昔のまま生き残る」なんてことはあり得ないし、そうやって昔の街を壊しながら新しい街が出来ていくんだということは、重々理解はしています。

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 そんなことは良く分かっているつもりだし、そんな「昔の街」に恋々としていては、新しい街「東京」には出会えないんだということは、更に重々承知、合点承知の助のつもりなんだが……、でも、残念ながら「以前はよかった」的な反進歩主義的な気分もあったりするんですね。

 特に、東京の(江戸の)下町について語りだすとね。

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 どちらかというと「進歩主義」的な自分だったとは思うんだけれども、意外なところで「保守主義」的な自分を見つけた、という良い経験ではあった。

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 ところでこの日、撮影はのその後の関係があって、RICHO GRD Ⅲ を使ったんだけれども、それまで使っていたRICHO GR CASE (ブラウン)に替えてRICHO DIGITAL CAMERA CASE GC-4(ブラック)というのを使った。

 これが結構使えるケースでRICHO GRDシリーズ用の外付けファインダー GV-2 (28mm用)をカメラに装着したままでカメラをカバーできるケースなんですね。本来はデジタルカメラなんだから、外付けファインダーは使わないのが基本なんでRICHO GR CASEで十分なんだけれども、私のような「アナログ→デジタル」カメラの世代にとっては、ファインダーがないカメラは使いずらい。

 まあ、あとはRICHO GRD Ⅲの焦点距離なんだよなあ。

 GRDシリーズの基本焦点距離は(フルサイズ換算で)28mm、勿論そのためのワイドコンバーター(21mm相当)ってのがあって、私も持っているんだけれども、かなり図体が大きいコンバーターレンズなんで、使うのが面倒くさい、ってことなんで、「スナップ・シューター」派としては、ちょっと邪魔なんですね。

 で、いつもはAPS-Cサイズの撮像素子のEPSON R-D1sでもって基本は12mm、フルサイズ換算で18mmなので、それを「私の標準レンズ」としていると、なんなくそれが「私の標準レンズ」的な感覚になってしまうので、28mmじゃあちょっと狭いじゃん、ってまあ、それもありなん。

 って、言うことで、取り敢えず東京駅丸の内南口スナップでした。

RICHO GRD Ⅲ GR LENS 6.0mm f1.9 @Marunouchi ©tsunoken

2019年10月24日 (木)

イギリスのEU加盟は、もともとムリ筋だったんだよな

 まあ、元々言っていたんだけれども、「EU」に「大英帝国(イギリス)」が加盟するっていうこと自体が、元々のEUの理念と違っていたんだから、無理だったんだっていう話。

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 EUって何だ、ってことを現在のEUに至る歴史を考えてみれば良く分かる。

 EUの歴史をざっと見ると以下の通り。

欧州連合統合史の時期区分
欧州連合の統合史を時期によって区分するならば次のように分けられる。
1945-1949年
欧州経済協力機構(OEEC)、北大西洋条約機構(NATO)、欧州審議会(Council of Europe)などの設立に象徴されるような、欧州の国際的な連携体制の組織化の時代。アメリカがこの動きを主導した。
1950-1958年
統合の始動と挫折の時代。1952年に欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が誕生、これによって国際的な部門統合の動きが始まった。これに対して、欧州防衛共同体(EDC)や欧州政治共同体が提唱されたものの、両者とも実現には至らなかった。しかし、メッシーナ会議・スパーク報告によって統合の再出発が図られ、欧州経済共同体(EEC)と欧州原子力共同体(EURATOM)が設立された。
1958-1969年
フランスのシャルル・ド・ゴール大統領の影響が大きい時代。欧州統合の国家連合的性格が強まった時代。
1970-1985年
1970年の欧州政治協力(EPC)の発足、経済通貨同盟(EMU)の試行や、1979年の欧州通貨制度(EMS)の設立、それに伴う欧州通貨単位(ECU)の設置などに見られるように、欧州統合の進展は見られたものの、2度の石油危機もあり、それぞれの欧州国家は内向きであった時代。
1985-2005年
1985年に域内市場白書が採択され、1986年に単一欧州議定書が調印された。非関税障壁の撤廃などにより巨大な市場が誕生し、巨大な市場での自由競争が欧州に現出した。1993年にはマーストリヒト条約発効によって、欧州連合(EU)が誕生。
2005年-現在
2005年5月29日のフランスにおける欧州憲法条約否決や、2016年6月23日のイギリスにおける欧州連合離脱国民投票における離脱派の勝利に見られるような欧州統合拡大の質を問う時代。』(Wikipwdia)

 基本的にヨーロッパの歴史っていうのは、ラテン系とゲルマン系、更にそこにちょっかいを出すアングロサクソン系のせめぎあいの歴史なのだ。

 で、問題のスタートは1945年という年にあるのだろう。つまり、その年、第二次世界大戦が終わり、世界の覇権地図がそれまでと様相を変えた年でもある。第一次世界大戦までは栄華を誇った大英帝国は第二次世界大戦において完璧なまでに敗れ去り、戦後の状況の中で数多くの植民地を失い、同時にヨーロッパ自身もナチスドイツの蹂躙にさらされ荒廃した。

 その代わりに世界の中心になった国が、大英帝国の植民地だったアメリカ合衆国である。同じアングロサクソンなのだが、第二次世界大戦後の世界秩序として、ヨーロッパは自分たちで統治するからアメリカはアジア・太平洋地区を担当しろということになった。ヨーロッパはナチスドイツからフランス、イタリア、スペインのラテン系とドイツ、オランダなどのゲルマン系が担当ということになり、イギリスの行き場所がなくなってしまったのだった。

 で、イギリスも欧州同盟を無視できなくなってしまった。イギリスとEEC→EUとの関連を見てみると……

 イギリスは1957年に結成されたEECに加盟せず、1960年にはそれに対抗してEFTAを結成するなど、独自路線を歩んだ。しかし、EFTAは工業力でEECに対抗できず、イギリスは輸入超過に悩み、経済不振に陥った。そこでマクミラン内閣(保守党)は方針を転換して1963年にEEC加盟を申請したが、フランスのド=ゴールはイギリスの背後にあるアメリカ経済の影響力が強まることなどからそれに反対し、イギリス加盟は失敗した。

 次いで第1次ウィルソン内閣(労働党)は1967年にポンドを切り下げて貿易収支の改善を図ったがなお事態は改善されなかった。1971年のドル=ショックでアメリカ経済の後退がはっきりしたこと、さらに1973年にオイル=ショックが起こり欧州経済統合の拡大に迫られたことなどから、同年、ようやくイギリスのヒース内閣(保守党)の時、ヨーロッパ共同体(EC)加盟が実現、拡大ECと言われるようになった。1975年に第2次ウィルソン内閣(労働党)はEC残留かどうかを国民投票に問い、残留が承認された。

 その後のサッチャー政権(保守党)はEC統合の強化には消極的で、通貨統合には反対し、イギリスは統一通貨ユーロを導入せず、通貨はポンドをそのまま使用している。

 イギリスは統一国家構想ともいえる「EC→EUという流れ」には相変わらず反対し続けるという、それではなぜEUに加盟したんだという自己矛盾を抱え込みながら、しかし、どこかヨーロッパに後れをとってはいけないという思いでEUに残っていたんだが、遂に2016年6月23日に国民投票でEU脱退を決めてしまった。

 なんだ、もともとフランスからは疎まれていたイギリスが、その希望通りEUに入れてあげたら、今度は勝手に辞めちゃったってなもんですな。もう、イギリスはヨーロッパから相手にされない存在になるだろう。

 まさしく、大英帝国の完全なる滅亡である。

 もともとスペインを追い落として世界最大の植民地を抱えて栄華を誇っていた大英帝国である。その栄華を誇っていた時期には他のヨーロッパの国々を顧みないで勝手に自国だけで発展してきた以上、地に落ちるのも自分だけが堕ちていくということになるんだろう。

 まあ、その後、どうやってイギリスは這い上がってくるんだろう、っていうのが楽しみですね。

「Wedge」11月号の特集は「ポスト冷戦の世界史」、そのPart 3が「危機を繰り返すEUがしぶとく生き続ける理由」。

 フランスとドイツにとってのEUはある種の「世界支配の理念」なんだが、イギリスにとっては「単なる生き残る手段」でしかないっていう、EUに対する姿勢の差が、現状を表していると言えるのかも知れない。

『ウェッジ 11月号』(株式会社ウェッジ/10月20日刊)

2019年10月23日 (水)

即位礼正殿の儀の日に思うこと

 結局、一日中テレビの前で即位礼正殿の儀に付き合ってしまった。

 まあ、雨だったってこともあるんだが、あまり活動的な一日ではなかったなあ。

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 ってことで、午後からは多少は外に出なければと考えて外出したんだが……、あれ? そういえば現在上皇になったひとが天皇に即位した際の即位礼正殿の儀ってやったのかなあ? なんてことを考えてみました。まあ、当然、多分思い出せないってことは、前の日と似たようなことをやっていた、ってことなんですね。

 いやあ、全然、思い出がないんですね。なんでだろ?

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 調べてみたら上皇の即位礼正殿の儀は1990年11月12日に行われている。

 映画「AKIRA」の公開が1988年だからその後ビジネスっていうか、海外版の制作やら、ビデオ関係の制作をやりながら、次のアニメーションの準備をしていた時期かもしれない。ということは、テレビ東京で放送した超イイカゲンアニメ「GO! レスラー軍団」か。まあ、浦田義雄さんなんていうまさしくいい加減シナリオライターをメインに据えて、メチャクチャやらせてもらいました。カネボウフーズさんごめんなさい。

「いい加減」って、本当に「イイカゲン」いいんですけれどもね。実業の世界の人からは、全然、評価されないようです。まあ、それはこっちが「イイカゲン」業界にいるからなんでしょうかね。

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 まあ、現役の真っ最中で、なおかつ一番アニメ・プロデューサーとしてノッていた時期なんで、天皇の引継ぎなんであまり興味がなかったのも事実。要は、その位の出来事だったってことですね、天皇の即位ってね。普通の人間にとってはね。

 テレビの渋谷駅前の上からの映像を見たってそんな感じです。

 でも、そんなテレビをみていてちょっと感じた違和感ってものがあったんです。

 まあ、安倍晋三氏が「天皇陛下万歳!」と唱えるのは、まあ普段からの安倍首相の言動や思想から言っても理解はできるんだけれども、前回の上皇の「即位礼正殿の儀」の時に海部俊樹首相が「天皇陛下万歳!」を唱えてたんですね。なんか、これにはちょっとした「違和感」。

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 別に、第二次世界大戦の時の話だけじゃないけれども、「天皇陛下万歳!」を唱えて戦死をしていった日本兵のことを考えると、そんな簡単に「天皇陛下万歳!」って言っていいのかなあ、なんて考えます。

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 本来は「万歳」っていうのは、長寿を祝う言葉なんですけれども、ただしそれは自分の長寿じゃなくて、天皇の長寿なんですね。別に、天皇の長寿をお願いするっていうことには反対はしないが、それだったら「民の長寿もお願いする」言葉もないといけないんじゃないの?

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 なんか、別に今上天皇には何の思いもないけれども、だからと言って無批判に「天皇陛下万歳!」を唱えるのはどうなんだろうか? って考える自分がいる。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Komagome ©tsunoken

2019年10月22日 (火)

「昭和のカメラとレンズの写真展」

 会場の「四谷ひろば」というのは、元々は四谷第四小学校・幼稚園の跡地に出来た施設で、「地域住民中心のボランティアなどにより自主管理、自主運営されている『地域ひろば』と、NPO法人市民の芸術活動推進委員会が運営する『CCAAアートプラザ』、認定NPO法人日本グッド・トイ委員会が運営している『東京おもちゃ美術館』の三者が共同で運営している施設なのだそうだが、そのCCAAが運営する、ランプ坂ギャラリーで『昭和のカメラとレンズの写真展』というのが開催されているらしいので、見に行ってきた。

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 元々は学校です。

 なので、ちゃんと「上履き」(いやあ、懐かしい響きだなあ)に履き替えなければなりません。

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 で、もうワンフロア降りるとランプ坂ギャラリーです。

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「昭和のカメラとレンズの写真展」っていうから、てっきりタレント石井正則氏が提唱している「駄カメラ」写真展的なものかと思ったんですけれども、どうも、そうではないらしくて、もうちょとシリアスな写真展らしい。

 とは言うものの、「昭和のカメラとレンズの写真展」なんだからそれは当然「カメラはアナログでフィルムを使って撮影」(まあ、それが普通ですよね)だと思っていたんだが、そこは実はもうちょっとユルくて、要は「昭和のカメラ」か「昭和のレンズ」を使っていればいい、っていうのがこの写真展のルールらしくて、例えば下の写真の多くは撮影しているのはデジタルカメラなんだけれども、使っているレンズが「昭和のレンズ」だからOKっていうことらしいです。これは出展者である曾思中氏から直接聞いた話なので、間違いない。

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 何かの写真クラブなどの作品展なのかとも思ったんだけれども、どうもそうではないらしい。出展者には柊さなかさんなんて「谷中レトロカメラ店の謎日和」シリーズで有名な漫画家さんなんかもいるので、基本的には写真クラブなんかの同人展でないことは確か。

 先ほどの曾思中氏から聞いた話では、要は作品の展示スペースを「出展者が買う」というタテマエで運営している写真展らしいです。

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「昭和のカメラとレンズの写真展」は10月27日(日)まで開催中。

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 まあ、四谷三丁目に行った時にはだいたい寄っている我楽多屋さんに行って、帰ってくるわけですね。

 CCAAアートプラザへは下記の地図から。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER 12mm f5.6 @Yotsuya ©tsunoken

2019年10月21日 (月)

二子玉川に行ってきた

 二子玉川まで台風のあとの様子を見に行った。まあ、物見遊山っていうわけではないけれども、行ったところで何をするわけもないっていうのは、まあ、物見遊山と言われても仕方ないのかな。

 しかしまあ、「太陽・緑・水 二子玉川」なんていう看板を見ちゃうと、なんか皮肉にも思えてくる。

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 要は、堤防より川側に立っているマンションが二子玉川には数軒あって、そのうちの比較的小さなマンションの地階にある歯科医院が水に埋没してしまった、というのが二子玉川の台風被害の状況。

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 なので、歯科医院よりワンフロア上にある美容院は普通に営業をしていた。普通に営業をしているっていうことは、建物に電気なんかは繋がっているっていうこと。周辺には数軒のマンションがあるんだけれども、どこのマンションも普通に生活が出来ているようで、まあ、問題が生じていたのは歯科医院だけってことのようだ。

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 その他、二子橋と東急田園都市線二子玉川駅の間にあるジャイアントの店も、川の氾濫に伴う処理で店を閉めているが、それほどの被害はなかったようで、やっぱり一番被害が大きかったのは例の歯科医院だけだったようだ。

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 まあ、世田谷区のハザードマップを見てみると、やっぱり玉川周辺に危険地域は集中している。

 それはそうですね……、やっぱり川はハザードなんだよな。

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 文京区のハザードマップを見ても、やはり神田川周辺は当たり前として、その他は千川通り、白山下などの「昔川だったところ」が「危ないところ」になっている。

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 まあ、川というものは人間にとってはなくてはならないものなんだけれども、一方、逆にそれが人の命を襲うこともあるという諸刃の剣なのである。っていうか、とにかく「自然」っていうものは人間にとって「命の源泉」であると同時に「命を襲う元」でもあるということは、まあ、行ってみれば当たりまえなんですね。

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 人間は「自然を克服した」なんて構えていてはいけなくて、やはり「自然には勝てない」っていう風に、謙虚に構えていなければならない、ってことなんでしょうね。

 それにしても、このハーフマラソン大会は実施されるんだろうか。まあ、今頃もめているんだろうな。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Tamagawa ©tsunoken

2019年10月20日 (日)

University of Tokyo

 毎度毎度、ご当地ネタですみません。いつもの散歩コースです。

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 で、いつも思うんだけれども、東大って何なんだろうってことなんですね。

 まあ、別に他の大学とは同じ、普通の四年制大学なんだが……。なんか東大だけは特別扱いされているんですね。今や学問研究分野では東大よりも京大の方が上、っていう世間的認識なのにね。

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 その東大に毎年200人位の現役卒業生を送り込んでいるのが開成高校なんだが、つまりそれは卒業生500人の4割くらいが東大生っていう計算になる。開成高校には学力テストで上位100位までを「オモテ百傑」と呼ぶんだが、逆に下から100位までを「ウラ百傑」と呼んで、その「ウラ百傑」の連中まで東大を受験するんだ。なんか、「開成高校を出たら東大を受験する」ってのがデフォルトになっちゃったようで、でも、入学試験なんて「バクチ」みたいなもんなので、結構「ウラ百傑」でも間違って合格してしまうんだなあ。

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 で、結局、地方の公立高校あたりでは「〇〇君、東大合格」なんて学校前に貼りだされてしまう「その高校から久々に出た東大合格者」つまり、地元では「神童、天才」なんて言われていた人と、開成高校出身者の間では、その「東大に入学した途端に大きな格差」が出てしまうんだ。

 つまり、東大の入学者3,000人の中で、自分は唯一の合格者である地方公立高校出身者と、3,000人の合格者の内6%を超える同期入学者を抱える開成高校出身者という関係を考えてみれば、簡単に予想はできるんだけれども、何せ多くの卒業生を送り込んでいる開成高校出身者は当然高校生時代からのつながりのある上級生も数多くいるわけで、当然、入学後の学内試験対策もいくらでもできるんであります。

 実はそれが一番の問題。

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 『東大卒は、与えられた条件のなかで、自分に最大のメリットがあるような答えを出すのが、本当にうまいんです。環境問題から提起して、いつの間にか『だから自分が重役になるべき』という答えを出す。中国の台頭を理由に、社長になるべきは自分だ、という結論が出てくる。そういう巧妙なプレゼンができるのです。
 同じスキルは、自分の上司を守り立てることにも使えます。専務になりたい常務に対して、『中国が台頭するいま、あなたが専務になるべき』というプレゼンを持ってくる東大卒は本当にかわいい部下でしょう。
 しかし上司に引き立てられて、やがて自分がトップになったとき、東大卒にできるのは、『トップの地位を維持する』論理をこねくり回すことばかり。結局、組織は死に体になっていく。
 そんな東大色に染まりきれない、「普通の高校出身者」だからこそ、チャンスはある。彼らにとって、学生生活はやや苦しいが、その後は既存の価値観にとらわれず、東大に足りないと言われるベンチャースピリッツを持ち、「独自の道」を見出していける可能性があるからだ。「東大からの人」になれるかは、東大を飛び出してみるまで、わからないのである。』(『週刊現代』2014年3月22日号

 つまり、そんな最大派閥である開成高校出身者なんだが、残念ながらその大半のひとは「東大までの人」となってしまい、「東大からの人」が実は少ないっていうこと。

 はてさて読売新聞のドン、今や「日本のマスコミのガン」って呼ばれている渡邉恒雄さんは、やっぱり「開成高校→東大(但し、文学部)」ってなコースを進んでいるんですな。まあ、「ナベツネ」さんを「東大までの人」の代表選手だとするならば、ホリエモン(堀江貴文)なんかは、逆に「東大からの人」の典型かも知れない。

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 なあんてことを、東大、早稲田に落ちて、中央大学出身なんだけれども、自分の子供は東大を出て、なんとなく「東大までの人」になってしまいそうな親が考えております。

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 まあ、実は「東大までの人」と「東大からの人」というのは、別に本人の能力とかに関係なく、「生き方」の問題なんですけれどもね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @University of Tokyo ©tsunoken

2019年10月19日 (土)

東海道歴史散歩・日本橋~川崎編

 K談社のOB会(社友会)にはいろいろ分科会があって、そのレクリーション部の中に「名所散策と飲酒談話会」というのがある。年に2~3回、東京周辺をいろいろ歩くという会なんだが、私もいつの間にか主催者側に回らせらりたりして、そうなるといくつかのイベントの主催者になったりして、結構、忙しくなる。

 まあ、今回は単なる参加者なのでちょっとは気楽かなというところなんだが、今回の「主催者巻き込まれ役」は高橋光行氏という人。実は高橋氏、何年か前に「東海道五十三次を日本橋から京都三条大橋を完全踏破」っていうことを実現した健脚の持ち主なのだ。勿論、「弥次さん喜多さん」みたいに一気に歩いたわけではなく、何回にも分けて踏破したということである。

 私も以前に日光街道を踏破しようとして、数カ月かけて南千住から歩いたんだが、小山に着いたところで挫折したという思い出がある。一人で長旅ってのも、結構、タフなもんである。

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 今回は「日本橋から川崎まで」という旅程なんだが、実はこの「日本橋~川崎=約20km」を「歩く」のではなく、途中かなりの部分を電車で移動って、「なにそれ」ってなもんだと思っていた。

 で、上の写真が、日本橋で解説をする高橋氏であります。

 ……、で、日本橋から即、都営地下浅草線に乗っちゃって、京浜急行北品川に直行って何なのよ、なんて多少はバカにしていたのではあります。

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 北品川からは品川宿を歩いて、新馬場からまたもや京浜急行の人に……、おいおい、せめて青物横丁は歩こうよ、なんてバカにしていました。

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 新馬場から大森海岸まで京浜急行で移動して、鈴ヶ森刑場跡へ。

 鈴ヶ森を見た後は再び京浜急行の人となり六郷土手まで。

 六郷土手で北野神社を詣でた後は六郷橋を歩いて川崎まで移動。うん、もしかするとここの移動が今回の「歴史散策」で一番長い「歩行移動」かな。

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 実は、今回の参加者は途中参加も入れて11人だったんだが、その中にひとりゲストがいて、それが五代目柳家小さんの弟子、柳家さん福師匠であります。高橋光行さんのお友達。

 噺家さんなので落語に出てくる歴史噺に詳しく、途中、そこここでその地にまつわる話を聞いたんだが、ここ六郷橋では六郷に因んだ小咄「たばこ好き」について解説していただいた。

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 で、旅はファイナル・デスティネーション「東海道かわさき宿交流館」へ到着。いろいろ館内を見て歩いた後は、お待ちかねの「飲酒談話会」へ、GO!

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 家に帰ってからPolarをチェックしたら15,000歩を超えていた。約20km歩いたことになる。

 う~ん、思ったよりはタフなコースだったんだな。バカにしていて、スミマセン。

RICHO GRD Ⅲ @Tokaido ©tsunoken

2019年10月18日 (金)

中央大学はどこに行くんだろうか

 私が中央大学を卒業して社会人になったのは1975年なので、その3年後に中央大学は多摩に移転したことになる。

 今は駿河台に残っているのは中央大学会館と、以前は中央大学生協会館で、生協会館の上が学生寮になっていた関係もあって、多摩移転後は一時期、トヨタの独身寮になっていたんだけれども、遂にそれもなくなってしまうようだ。

 大学会館はどうなってしまうのだろうか?

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 中央大学が多摩に移転してからは「せっかく東京の学校に入ったのに、行ってみたら、自分の田舎よりもっと田舎にあるんでびっくりした」なんてことを言う学生が現れたりして、まあ、それもさもありなんっていう感じでしたね。

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 もともと、中央大学には後楽園キャンパスっていうのが元々あったんだが、そこは理工学部が入るキャンパスで、「中央大学は文系の大学でしょ」なんて考えていた私たちにとっては「別の大学」ってな感じだった。

 その後、やはりというか当然っていうか、中央大学の一番の「売り」だった法学部の地盤沈下が問題になった。

 それはやはり「多摩という都心から遠く離れた場所」に学校があったからで、元々、中央大学法学部には「司法試験を目指すサークル」なんてのがあって、そこにそのサークルのOBが指導に来るという、法学部OBの支援でもって中央大学の司法試験合格率を上げてきたのが、それが数少なくなり、ということは当然司法試験の合格率もドンドン落ちてきて、中央大学も「普通の残念な大学」になってしまった。

 それに気づいた大学側も、いろいろOBなどから寄付を募って都心回帰を狙ってきたんだが、そこは金満慶應大学なんかと違って、なかなかお金は集まらずに都心回帰もなかなかままならず、取り敢えず法学部だけはロースクールを元は総務省統計局だった建物を購入して市谷に移転。順次、市谷キャンパスミドルブリッジを設置したり、後楽園キャンパスに法科大学院を持ってくる(予定)などという都心回帰を少しづつ行ってきている。

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 それが今年になって大ニュースっていうか、文京区大塚の都営バス大塚支所の跡地の定期借地権を獲得(40年)し、2023年には茗荷谷の駅のすぐそばに中央大学が帰ってくるという情報が入ってきた。

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 かなり広大な敷地になるので、まあ、最初は法学部からだろうが、それ以外の学部も都内に回帰する可能性が出てきたわけだ。

 例えば1・2年生は多摩キャンパス、3・4年生は茗荷谷キャンパスっていう方法なんかもあるかもしれない。いずれにせよ、文系の茗荷谷キャンパス、理系の後楽園キャンパスっていう具合に、東京メトロ丸の内線の隣同士の駅だし、文京区を「中央大学の区」として乗っ取っちゃえばいいのだ。

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 まあ、中央大学っていうと「神田駿河台の大学」というイメージのあるOBにとっては茗荷谷という場所はちょっとなじめないかもしれないが、元々、茗荷谷は東京教育大学(現・筑波大学)があった場所だし、現在もお茶の水女子大学や跡見学園、拓殖大学(ちょっと毛色が違うが)なんかがある大学生の街だし、結構いいかもしれない。

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 まあ、中央大学OBにして講談社OBとしては、お近づきのしるしに講談社への中央大卒入社が増えるといいな、っていう期待はある。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Surugadai ©tsunoken

2019年10月17日 (木)

Haneda Int'l Airport Domestic Terminal 1

 羽田空港をあまり利用しなくなって2年位経つかなあ。

 2017年の2月に秋田の横手市に「ぼんでん」の取材にライカM6とニコンDfのデジアナ両方使いで取材に行ったのが最後だから、もう2年と8ヵ月経つことになるんだ。羽田空港から秋田空港までJALで行った。香港へ行ったのは、それより前だったのかなあ。

 いずれにせよ、以前、仕事で海外に出かけた際は、当時は国際線は成田だけ、羽田は台北行き以外は国内線だったので、羽田から海外に行った経験はなくて、そうか、香港が初めてだったんだな、ってな程度の思い出しかない。

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 基本的に、本州以外の九州、沖縄と北海道、本州は西に広島以西の山口、北は北日本の日本海側の秋田、山形、青森に行く以外は、だいたい新幹線で行ってしまうので、あまり飛行機を利用するようなことはなくなってしまった。あれ? 四国がないって? う~ん、そうか。四国を日本に入れてなかった。とまれ、まあ、それだけ新幹線網が全国の主要な都市には出来上がってしまい、便利な乗り物になったってことなんだけれども、飛行機の旅も面白いんですけれどもね。

 まあ、大体1~2時間で行き先に着いちゃうしね。飛行機の旅はそれが一番。列車で行くのであれば車窓の眺めを楽しみながらっていうのがあるんだけれども、それはない分、飛行機の場合、同じ方向に行く別の飛行機や、すれ違う飛行機の飛行機雲を見ながら飛ぶっていう楽しみもあるんです。晴れている日には「今どの辺を飛んでいるのかな?」と地面を眺める楽しみもある。

 そう言えば、大分前だが、仕事で羽田から石川県の小松に行く時に、普通は羽田から北上して新潟上空で西に展開し、日本海上空を小松まで行くんだが、その日は出発がかなり遅れたので羽田からまっすぐ本州上空を行くというルートで、富士山上空、北アルプス上空を通るということで、なかなかスリリングで面白い風景を楽しむことが出来た。まあ、こんなことも飛行機の旅の面白さではあるな。

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 で、たまに「旅情」なんてものを感じたくて羽田空港に行ってみたりする。

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 昔は国内線のターミナルでも、今に比べるともうちょっとエキサイティングっていうか、なんか他の「列車の旅の起点」とは違う高揚感みたいなのが、飛行機の旅にはあったような、なかったような。

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 まあ、今は列車の旅も、飛行機の旅もあまりにも日常的な景色になってしまっているので、当然のことながら、いわゆる「旅情」をかき立てるようなものはない。

 航空会社の宣伝も昔のような「旅情」を訴えるものから、最近は「利便性」を訴えるものに変わってきているしなあ。

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 まあ、別に飛行機の旅っていうのが、なにかしらの「特別な」旅ではなくなってしまっているのだから、それも当たり前。

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 いまや、列車の東京駅と何ら変わらない「空の駅の風景」なんですね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Haneda Airport Domestic Terminal 1 ©tsunoken

2019年10月16日 (水)

故あって浅草に行ってきた

 まあ、取り敢えずたいした用事はなかったんだけれども、クルマで浅草まで行ってきた。

 何故、クルマで行ったのかと言えば、マンションの機械式地下駐車場に私のクルマは駐車しているんで、台風でその後の状況は大丈夫かな、っていうだけの確認なんですけれどもね。

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 取り敢えず、台東リバーサイドスポーツセンターの駐車場にクルマを停めて、近所を徘徊。

 なんで、そんなところにクルマを停めたのかは、最後にわかります。

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 取り敢えず、やっぱり隅田川河畔の様子を見に行きますよね。普通は。

 台風の時はこの遊歩道も川と一緒になって水が流れていたんだけれども、まあ、もともとそのためのスペースなんですよね、遊歩道とか河川敷とかっていうのは。で、台風が去ってから後は、川面も元に戻って、遊歩道は復活、って言っても遊歩道のそこここに川に流された枯葉の塊なんかが残っていて、さすがに台風の後の河原という感じですよね。

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 で、まあいつもの浅草寺、観音様に行ってみればいつも通りの賑わいで、一体、台風の爪痕はどこに行っちゃったんだ? ってな感じではあります。

 日本人なら観光は「自粛」するところなのかも知れないが、海外から来た人たちにとっては「そんなの関係ねえ!」(懐かしいな)ってわけで、こうやって観光地に繰り出すわけですね。まあ、ありがたいこってす。

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 最近は日本人の借り手も多くなってきたらしい「貸し衣裳」店です。

 以前は「日本人は化繊の着物なんかは着ない!」って言っていたんですが、最近は関係なく、日本人でも遠慮なく貸衣装屋さんで着替えるみたいですよ。まあ、日本人のお母さんたちでも、自分の娘さんに着物の着付けなんてできない人が多くなってきているんで、まあ、日本人も東アジア人も感性としてはあまり変わらなくなっているのかも知れない。

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  ってことで、我が菩提寺の慶養寺は無事でした。

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NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Asakusa ©tsunoken

2019年10月15日 (火)

本日の流鏑馬は、荒天のため中止とさせていただきます

 毎年、体育の日は「高田馬場流鏑馬」の日だ。

 ってわけで、取り敢えず高田馬場穴八幡宮に行く。

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 八幡宮の一の鳥居の前には「高田馬場の流鏑馬」についての新宿区の説明板がある。

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『新宿区指定無形民俗文化財

 高田馬場の流鏑馬

  所 在 地 新宿区西早稲田二丁目一番十一号
                      (穴八幡宮内)
  指定年月日 昭和六十三年三月四日

 享保十三年(1728)徳川八代将軍吉宗が世継の疱瘡平癒祈願のため、穴八幡宮へ奉納した流鏑馬を起源とし、以降将軍家の厄除けや若君誕生の祝いに高田馬場(現在の西早稲田三丁目付近)で流鏑馬が奉納された。
 明治維新以降中絶し、高田馬場も廃されたが、昭和九年に皇太子殿下(現・上皇:引用者注)御誕生奉祝のため、穴八幡宮境内にて再興された。戦前、数回行われたが、戦争のため中断された。
 昭和三十九年、古式流鏑馬を保存するため、現在地に移転した水稲荷神社境内にて復活。昭和五十四年からは都立戸山公園内に会場を移し、毎年体育の日に行われている。
 古式豊かで勇壮な高田馬場の流鏑馬は穴八幡宮の神事として現代に伝えられる貴重な伝統行事である。

 平成三年三月 新宿区教育委員会』

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 鳥居の脇には『穴八幡宮神事 高田馬場 流鏑馬射手』の像も建っている。

 で、勇躍戸山公園まで行ったと思いねえ……。

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「本日の流鏑馬は荒天の為 中止とさせていただきます 高田馬場流鏑馬保存会」って、何よ。 

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 もう既に馬場も出来上がっているのにねえ。

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 競馬ならこの位の雨だったら「重馬場」っていうだけで開催しちゃうんだけれどもねえ。

 やっぱり「神事」だから、何かがあってはいけないという判断なんだろうか。

 ちょっと「残念!」

NIKON Df AF NIKKOR 50mm f1.8 G @Nishi Waseda & Toyama ©tsunoken

2019年10月14日 (月)

台風一過、すべては事もなし……、って訳にはいかないか

 東京はまさしく「台風一過」という天気で、空気は乾燥しているものの、気温は真夏かと思える好天気であった。

 なあんて、暢気なことを言っている場合じゃないよなあ。

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 私の住む文京区は本郷台と小日向台や関口台の上にある街だと思われて、台風だの大水だのっていうのとは関係ないって思われがちなんだけれども、実は本郷台のすぐ下は現在は不忍通りになっているんだが、その不忍通りっていうのは、現在暗渠になっている藍染川に沿っている道で、たまに水害にあったりしているし、本郷台と小日向台の間は現在は千川通りという名前の通り、もともと千川という川が流れていた場所だし、小日向台と関口台の間にある音羽というところは、完全に谷底の街なのである。

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 なので、例えば不忍通りの動坂下の交差点にはこんな「土のうステーション」なんていう、土のうをストックしておく場所があったりする。

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 まあ、幸い使っているのを見たことはないですけれどもね。昨日のような大きな台風でも使われることはなかったようだ。

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 それにしても「不忍通りの拡幅に向け、用地取得完了まであと約1割」って、なんか感動的な看板なんだけれども、この拡幅計画ってもう70年くらい前に東京都で決まった計画なんですね。

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 まあ、一度出来上がった道路を造り直すっていうのが如何に困難なことなのかを示すようなことなんだけれども、まさしくその通りなんだよなあ。

 我が家の前を通る不忍通りも、5年前に拡幅工事開始の説明会があったんだけれども、その時の話として拡幅が実現するのが10年後くらいだという話だったんで、つまりそれは「不忍通りを拡幅するのには80年かかる」っていうことなんだな。

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 今回の台風で被災した人たちには、あまりにものんびりした話で申し訳ないけれども、まあ、そんなことを、この台風の経験で思い出したっていう話。

 最後に遠慮がちに「ラグビージャパン、決勝トーナメント出場、おめでとう!」

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Hon Komagome Sendagi & Nezu ©tsunoken

 

2019年10月13日 (日)

戸山ハイツの思い出

 新宿の戸山公園というのは、すぐそばにある戸山ハイツという団地と共にある公園で、戸山公園の象徴ともいえる「箱根山」も、同時に戸山ハイツの象徴でもある。

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 箱根山の麓には平成2年に東京都が作った説明板がある。

『   箱根山地区の歴史
 この地区は、その昔、源頼朝の武将 和田左衛門尉義盛の領地で、和田村と外山村の両村に属していたことから「和田外山」と呼ばれていた。
 寛文八年(1668)に至り尾州徳川家(尾張藩)の下屋敷となり、その総面積は約十三万六千余坪(約四十四万八千八百余㎡)に及び、「戸山荘」と呼ばれるようになった。
 この「戸山荘」は、寛文九年(1669)に工事を始め、天和(1681~1683)・貞享(1684~1687)の時代を経て元禄年間(1688~1703)に完成した迴遊式築山泉水庭である。
 庭園の南端には余慶堂と称する「御殿」を配し、敷地のほぼ中央に大泉水を掘り琥珀橋と呼ばれる木場を渡し、ところどころに築山・渓谷・田畑などを設け、社祠堂塔・茶屋なども配した二十五の景勝地が造られていた。
 なかでも小田原宿の景色を模した「町並み」は、あたかも東海道五十三次を思わせる、他に類のない景観を呈していたと伝えられている。

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 その後、一時荒廃したが、寛政年間(1789~1800)の初め第十一代将軍家斉の来遊を契機に復旧された。その眺めは、将軍をして「すべて天下の園地は、まさにこの荘を以て第一となすべし」と折り紙を付けしめたほどであった。
 安政年間(1854~1859)に入り再び災害にあい、その姿を失い復旧されることなく明治維新(1868)を迎えた。
 明治七年(1874)からは陸軍戸山学校用地となり、第二次世界大戦後は国有地となりしび一部が昭和二十九年から今日の公園となった。
 陸軍用地の頃から誰からともなく、この園地の築山(玉円峰)を「函根山」・「箱根山」と呼ぶようになり、この山だけが当時を偲ぶ唯一のものとなっている。

 平成二年三月公園整備を記念して
              東京都』

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 この戸山ハイツに、一時期、私の母がお茶屋を開いていた時期がある。まあ、店舗兼住居みたいな感じである。

 もうどこにその店舗があったのかなんてことは、全く覚えていないんだけれども、箱根山が適度な山道で都心からも近いということで、よく時代劇映画なんかのロケーション撮影をやっていたことは覚えている。

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 で、ちょうど上の写真の店舗から反対側を見ると箱根山が真正面に見えるので、もしかしたらこの店舗群のなかのひとつだったのかもしれない。

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 母から「映画の撮影をやっているよ」なんて言われて飛び出したことを覚えている。

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 もう60年以上も前のことだ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Toyama Shinjuku ©tsunoken

2019年10月12日 (土)

五反野で降りた

 東武スカイツリーライン五反野駅で降りて都立足立高校に向かって歩いた。

 なんでそんなことをしたのかって? う~ん、まあヒマだからですかね。実は、私が通っていた東京都立足立高校の最寄り駅っていうのが、北千住方面から来る場合は五反野駅、西新井方面から来る場合は隣の駅の梅島駅だったんだけれども、西新井駅に近かった私の家から足立高校に通うのにあまり近いのは嫌だってなもので、五反野駅までの定期を買って通っていた時期が、初期の頃はあった、ってことなんですね。

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 要は、1967年の高校生採用に使われた「学校群制度」ってやつが問題なんです。

「日比谷、西、戸山、新宿、小石川、両国、小山台、上野」っていう一部の都立高校から東大への入学者が集中しているのがまずい、ってのが当時の東都知事や小尾虎雄東京都教育長の問題だったらしくて、「ん、じゃあもうゴチャゴチャにしてやれや」ってなもんで東京の高校の入学試験を「学校ごと」「学区ごと」じゃなくて、「あっちの偏差値高い高校と、こっちの偏差値低い高校で混ぜちゃえば?」ってな感じで、高校入試をグジャグジャにしちゃったってのが「学校群制度」。受験生は例えば二つの高校で出来た学校群であれば、成績順に1番はA高、2番はB高、3番はまたA高という具合に袈裟懸けに合格者を分けていくっていうやりかた。受験生の学校選択の自由なんてものは一切無視した悪法なんですね。

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 足立区ではもともと府立十一中だったナンバースクール江北高校と、足立実業補習学校(女子専門学校)としてスタートした足立高校が同じ「学校群」として作られてしまったのだ。

 まあ、江北高校の先生たちにとっては「なんであんなクソ高校と!」ってなところでしょうし、しかし、足立高校からすれば「ラッキー! 上級偏差値高校と一緒じゃん」ってところなんでしょう。

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 でも、そんな「学校群制度で人生を決められちゃった人間」にとってはとんでもないですよね。

 なにしろ、私が足立高校で最初に担任の教師から叱られたのが「なんで、お前は入学試験で上から5位だったのに、最初の中間テストで下から5番目なんだ!?」ってことなんですね。今でも覚えている。

 本来は受験生に教えてはいけない入試順位なんだけれども、思わず教師も口にしちゃったんでしょうね。

「えっ? じゃあ、本来ならば俺は江北高校の上位合格者じゃないのかよ。それがダメになっちゃったのは、『小尾乕雄のために』完璧に『足立高校に入学させられてしまった』っていう事実だよな」

 ってことなんですね。

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 で、まあその日から私は「東京都立足立高校に対する永遠の反逆者」になったわけですね。

 それで足立高校を退学されるのであればそれは本望である。っていうか、「お前ら、俺を退学させられるか」ってなもんで、当時の学生運動、というか「高校生運動」というものに親しくなったのである。うん、この辺、感覚的には左翼っていうよりも右翼チックな左翼思想なんですね。よく分からないけど。

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 まあ、なんて言ったって1970年~80年代の時期です。

 結局、「東大合格者を平準化」するはずの学校群制度は「東大合格者がいなくなっちゃった」という形で目標を達成して終焉したわけです。

 とにかく、右だろうが左だろうが「反政府」ってのが合言葉であって、なかには「右翼」と「左翼」が手を結んだなんてこともあったり、「日本公明党=創価学会」の青年部が何故かヘルメットを被って左翼集会に参加したりした時代ではありました。まあ、公明党の参加は、彼らの「平和主義」がベースになっていて、自民党がアメリカ政府のベトナム政策を支持しているっていうことに対する抗議だったらしいんですけれどもね。当然、時代は「自=公野合政権」なんてものが実現するなんて、誰も信じていなかった時代です。

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 で、今の足立高校ってどうなのよ……、っていろいろ調べても……、別になんてこともないし、まあ、普通の「無名の(どうでもいい)高校」なんでしょう。つまんないなあ。

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 結局、「学校群」って、何だったんだ! 

 今の大学入試制度の大学入試 英語外部試験利用もそうなんだけれども、受験生を実験材料にするのはもうやめようよ。

 あれっ、しまった「何故、梅島じゃなくて五反野で降りたのか」を語るのを忘れてしまった。

 いずれ、それは……。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Gotanno & Umejima ©tsunoken

2019年10月11日 (金)

京急蒲田は裏道が好き

 蒲田駅というのには京浜急行とJR京浜東北線及び東急のふたつの駅があって、その駅と駅の間を歩くのが好きだ。

 ひとつには京浜急行でどこかに行ってきた帰りは品川でJRに乗り換えるのが普通なんだが、ちょっと歩けば蒲田で乗り換えるという手もあるし、そのほうが混んだ駅で乗り換える必要もなくなるというメリットもあるし……、いい中古カメラ屋さんもあるしね。

 で、京急蒲田駅を出ると駅前から京浜蒲田商店街「あすと」というのが始まっていて、「蒲田駅近道」という表示が入り口に貼ってある。まあ、ここが京急蒲田からJR蒲田へ行く本通りっていうことなんですね。

 でも、私はむしろこのアーケード街よりもその裏側にあるどうということもない道が好きなんです。

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『京浜蒲田商店街「あすと」』の裏側にあるのが、この京浜蒲田公園なんですが、公園のすぐ前には大きな八幡様があったりして、昔の蒲田の中心はこちら、京浜蒲田の方にあったんじゃないかと思わせる。まあ、東海道もこっちの方だしな。

 で、この京浜蒲田公園って、結構、昼間っからベンチで寝ちゃっている人やら酒(焼酎?)を呑んで調子よくなっちゃっている人なんかがいて、なんか「場末感」がしていいんですね。

 おまけに公園前のビル(っていうか、モルタルの飲み屋建物なんですけれどもね)のすがれっぷりっていうのがいいでしょ。如何にも「蒲田」感があります。

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「あすと」をすぎちゃうと、普通の大きな商店街になってしまう。

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 まあ、あとは普通にJR蒲田駅を目指して歩くのみ……、って言ったって数百メートルなんですけれどもね。

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 JR蒲田駅のすぐそばに着くと、とりあえず「カメラのウエダ」のショウウィンドウをチェック。

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 おお「1956年、岡谷光学製『ロードⅡA』¥6,800」がまだ残っているぞ。

 って買う気もないくせに、毎回チェックしているのです。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Kamata ©tsunoken

2019年10月10日 (木)

早稲田・夏目坂

 早稲田大学のOBの方たちなら先刻ご承知のことと思うが(知らなきゃモグリ)、早稲田の馬場下町から牛込の若松町まで上がっていく「夏目坂」という坂があるんだが、それが通称なのか、新宿区あたりが定めた正式名称なのかは分からない。

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 ただし、新宿区が作った碑や名称を説明した説明板なんかがあるので、基本的には行政が認めた名称であることには間違いない。

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 勿論、「夏目坂」の「夏目」とは、先刻ご承知のとおり、夏目漱石のことですね。ただし、この「夏目坂」は「夏目漱石」ではなく、江戸の牛込から高田馬場一帯を治めていた父親の名主・夏目小兵衛直克が発したことのようである。

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 漱石の随筆に『硝子戸の中(うち)』というのがあり、その二十三に夏目坂について書いてある部分がある。

『父はまだその上に自宅の前から南へ行く時に是非共登らなければならない長い坂に、自分の姓の夏目という名をつけた。不幸にしてこれは喜久井町ほど有名にならずに、ただの坂として残っている。しかしこの間、或人が来て、地図でこの辺の名前を調べたら、夏目坂というのがあったと云って話したから、ことによると父の付けた名が今でも役に立っているのかも知れない。』(『硝子戸の中』青空文庫より)

 漱石は小説に関してはほとんど私小説みたいな小説なんだけれども、日々の生活から発する随筆とかエッセイとか言うものは少なく、それこそ『硝子戸の中』くらいしか見いだせない。夏目坂について唯一触れているのが、このエッセイだけである。それだけこの『硝子戸の中』という随筆は貴重なものだという気がするのだが……。

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 夏目坂の一番下のそばに「夏目漱石生誕之地」の碑がある。

 夏目坂は馬場下町から上がっていく部分は多少坂がきついけれども、途中緩やかになり、若松町のそばで再び少し急になる。ただし、坂道全体では東京の坂道としてはかなり緩やかな坂である。

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 若松町まで上がって、戸山方面へ右折すると、コンタックス専門の中古カメラ屋さん「カメラの極楽堂」というのがあります。コンタックス・ファンはこちらも立ち寄る価値あり。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Natsume Zaka Kikuicho Shinjuku ©tsunoken

『硝子戸の中(うち)』(夏目漱石著/岩波文庫/199 0年4月16日紙版刊・現在はKindle版のみ)

2019年10月 9日 (水)

な~あんて言って、標準レンズで撮影

 昨日、あれだけアンリ・カルティエ=ブレッソンをクサしておきながら、なんかそれに影響されちゃって「標準レンズで街撮り」なんてね、「なにがコンポラ写真だよ」ってなことですね。

 まあ、こういうところが相変わらずの「ヘボ・カメラマン」な理由なんですけれどもね。

 ただし、カメラはEPSON R-D1sなんで撮像素子はフルサイズじゃなくてAPS-Cサイズ。なので50mmではなくて、35mmのズミクロンf2。これだとフルサイズでは53mm相当になるので、まあそれでアンリ・カルティエ=ブレッソンがこだわった50mmレンズと同じような感覚で使えるだろう。本当はエルマリート28mm f2.8(フルサイズで42mm相当)で撮りたかったんだけれども、それだとちょっと広角寄りかなということなので、ここは取り敢えず「50mm」という感覚が欲しかったということで、まあ、35mmです。おなじズミクロンだしね。

 で、問題はその仕組みでアンリ・カルティエ=ブレッソンと同じような写真が撮れるのかっていうことなんだけれども……、果たしてどうなんでしょうねえ。

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「標準レンズ=人を撮るレンズ」ってなもんで、近所で人出が多い場所といえば巣鴨はとげぬき地蔵通りってことで、出かけてみたんだが……。

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 アンリ・カルティエ=ブレッソンみたいな写真が撮れるか? って言えば、絶対にそんなことはないわけで、結局それはtsunokenのヘボ写真だっていうだけのこと。

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 実際には同じ標準レンズで撮影するのならば、別にレンジファインダーにこだわる必要はなくて、一眼レフで撮ればいいだけのことなのに、なんかレンジファインダーで撮ってしまうってところが、おっちょこちょいのヘボ・カメラマンであるという証拠。

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 おまけに撮影場所がフランス、パリの街頭じゃなくて、東京は巣鴨の「おばあちゃんの原宿」じゃあねえ、同じような写真が撮れるはずなんかないじゃないか。

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 まあ、いつもの巣鴨写真をたまたま標準レンズっぽいもので撮っただけの普通の写真だってことでした。

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 そんなことはあらかじめ分かっていたはずなんだけれどもね。

 なかなか、アンリ・カルティエ=ブレッソンみたいな小洒落た写真なんか撮れるわけはないのでありました。

EPSON R-D1s LEITZ SUMMICRON 35mm f2 @Sugamo ©tsunoken

2019年10月 8日 (火)

『アンリ・カルティエ=ブレッソン』は写真家なのか? 画家なのか?

 勿論、アンリ・カルティエ=ブレッソンがスナップ・ショットというかキャンディッド・フォトの大家、っていうかそれらの写真に対する姿勢っていうもののおおもとであるということは理解はしている。

 しかし、私はカルティエ=ブレッソンの写真に対する考え方の中に、どうしようもなく「絵画的なるもの」を感じてしょうがないのだ。

Photo_20191003135601『アンリ・カルティエ=ブレッソン――20世紀最大の写真家(クレマン・シェルー著・伊藤俊司:監修・遠藤ゆかり:訳/創元社「知の再発見」双書143/2009年4月10日刊)

 例えば、彼の多分一番有名な写真集『消え去るイメージ』("Imagees à la sauvette"、英語版タイトルは"The Decicive Moment"「決定的瞬間」)のカルティエ=ブレッソン自身による序文にはこう書いてある。

『ひとつのテーマがその力強さを完全に発揮するためには、形の関係が厳密に定められなければならない。被写体との関連でカメラを空間の中に位置づけなければならず、そこから構図という大きな領域が始まる。』

『構図は、目に見える要素を有機的に結びつけ、同時に連携させたものである。根拠なくつくられるものでなく、必然性があり、内容と形を切りはなすことはできない。』

『構図は、シャッターボタンを押すのとほぼ同時にできあがる。』

『構図は、われわれがたえず気を配っていなければならないもののひとつである。しかし、撮影の瞬間の構図は直感的なものでしかない。なぜなら、われわれの相手は関係性のがたえず揺れ動いているつかのまの瞬間だからである。黄金分割の関係を適用するための写真家のコンパスは、自分自身の目のなかにしかない。』

 アンリ・カルティエ=ブレッソンは元々は絵画の勉強をしていた。1908年生まれのカルティエ=ブレッソンにとっては、1925年に始まったライカⅠ型の存在はまだ見知らぬものだっただろう。12歳のころにはコダックで撮影している写真があるので、そのころからは絵画と同時に写真にも親しんでいたことは理解できる。

 しかし、その後フォトグラファーとして名をあげたカルティエ=ブレッソンが、しかし、ここまで「構図」っていうものにこだわっているというのが不思議な感じがした。この「構図」っていうのが、上にも引用した「黄金分割」というものだ。

『カルティエ=ブレッソンの写真は、彼が幾何学に魅せられていたことをあきらかに示している。大勢の批評家が構成図をあてはめて証明してうるように、彼の写真の構図は完全に黄金分割の法則に従っているのである。』

 この黄金分割というのは絵画にとってはかなり重要だったもので、それによって描かれた被写体を安定的に見ることが出来る、というものである。つまり、写真でもそれは同じとされ、黄金分割に従って配置された被写体は安定的にみられるということで、「普通はよい写真として推奨される」構図なんである。

 でも、それをぶち壊して「そんな原則は写真にはいらない」って言い始めたのが、いわゆる「コンポラ写真」という流れである。

「コンポラ写真」については『写真家の大辻清司は、雑誌「カメラ毎日」1968年6月号「シンポジウム 現代の写真」で近年の若い写真家に共通する傾向として、コンポラ写真について下記のように定義した。
カメラ本来の形である横位置が多い
写真表現のテクニックの否定
日常の何気ない被写体
誇張や強調をしない
標準、または広角レンズが多用される
撮影者の心境を現した、被写体との距離感』(Wikipedia)

 森山大道などの「プロヴォーグ」に拠った写真家たちの働きもそんなための動きだったんだろう。

 それでも最近写真講座なんかに通ってみると、この絵画的黄金分割的構図を推奨する講師は結構いたりするんだなあ。まあ、絵画的構図が平面の表現では基本だっていうのは分かるけれども、今更、そんな絵画的構図にこだわっている時代じゃないでしょ。

 確かに、人間の歴史と同じくらいの長さがある絵画の歴史と比較すれば、写真の歴史なんてつい最近のことでしかないので、そこは取り敢えず「似たような表現形式」として絵画の考え方を取り入れるのは分からないでもないが、もう、写真は絵画から離れてもいいのであって、その写真的表現形式の一つがコンポラ写真(コンテンポラリー・フォト)なんじゃないだろうか。

 アンリ・カルティエ=ブレッソンが「20世紀最大の写真家」だってことは認めるが、だからと言ってアンリ・カルティエ=ブレッソンの呪縛に囚われている時代状況ではないっていうことも、事実だ。

 まあ、アンリ・カルティエ=ブレッソンも、やっぱりそんな時代の制約のなかで生きてきたんだな。

 50ミリのレンズにこだわって撮影を続けてきたってのも、ある種の時代の制約だったのかもしれない。

 『アンリ・カルティエ=ブレッソン――20世紀最大の写真家』(クレマン・シェルー著・伊藤俊司:監修・遠藤ゆかり:訳/創元社「知の再発見」双書143/2009年4月10日刊)

2019年10月 7日 (月)

「写真の時間」って、何だ?

「石原慎太郎都知事が唯一行った善政である東京都写真美術館」っていう言い方が出来なくなってからもうずいぶん経つが、まあ、石原氏と徳間康快氏の関係で出来ちゃったっていうだけのことで、別に石原氏が写真と言うものに対して造詣が深いなんてことは全然なかったんであります。

 そんな東京都写真美術館で現在行われているのが収蔵写真展『写真の時間』展である。

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『「写真の時間」展では、写真が持つ時間性と、それによって呼び起こされる物語的要素に焦点を当ててご紹介するものです。写真とは一瞬の時間を切り取ったものと捉えられるのかもしれません。しかしながら、例えば私たちがある写真を目にする際、そのイメージは記憶の奥深くまで働きかけ、現在だけではなく、過去や未来、はたまた音や匂いといった視覚以外の感覚をも喚起することもあるでしょう。そのようにして、私たちは写真に時間の流れや物語を感じるのです。この展覧会では、写真と時間、そしてそこに横たわる物語との関係性を、「制作の時間」、「イメージの時間」、「鑑賞の時間」という3つのキーワードによって探ります。』

 というのが「写真の時間」展の惹句。

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 それぞれの「写真の時間」に関しては……

『第1章 制作の時間
 写真の歴史の始まりである初期写真をはじめ、長時間露光、ブレといったカメラの物性を生かした技法を用いた作品など、制作過程において時間と深い関係性のある作品を紹介します。』

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『第2章 イメージの時間
 作家たちはときに「時間」という目には見えない対象と向き合い、時間の厚みを感じさせる作品を生み出してきました。写真ならではの豊かな表現を紹介します。』

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『第3章 鑑賞の時間
 私たちは展示室で移動したり、立ち止まったしながら作品を鑑賞します。ここでは鑑賞という体験の時間に焦点を当てます。鑑賞する時間とイメージの時間は交錯し、私たちの想像力を紹介します。そのような鑑賞の経験と可能性を現代作家の作品を中心に取り上げます。』

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 まあ、東京都写真美術館の収蔵展なので、過去にも見た写真もあるんだけれども、要はそこはキューレーターがどんな考え方でそれらの作品を配置したってことなんですね。つまり「所蔵展」ってのはキューレーターの勝負所ってわけです。

 で、その結果が上の「写真の時間」についての三つの「写真の時間」についての解説なんだけれれども……。

 う~ん、まあ、いかにもキュレーターらしい面倒くさい文章だなあ。実際にそれらの写真を撮影した写真家はそんな面倒なことは考えていなくて、ただ単に「この感じ」ってなところで撮影しているだけなんだけれども、それをそのまんま書いてしまってはキューレーターは仕事をしたことにはならないので、どうしても「何かの意味があって写真家はその写真を撮ったのだ」という『嘘』を書かねばならない。因果な商売だなあ、キューレーターって。

「写真の時間」展は11月4日まで、東京都写真美術館のサイトはコチラ

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Yebisu ©tsunoken

2019年10月 6日 (日)

天王洲アイルがアート・フォトの街になっている

 天王洲アイルっていうのは寺田倉庫の街だと思っていたのだが、寺田倉庫だけじゃなくて一般社団法人天王洲キャナルサイド活性化協議会というのがあって、勿論、そこには寺田倉庫も加わっているんだけれども、そこが主体になって「天王洲キャナルフェス」というのを開催している。

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『天王洲キャナルフェスは、品川、天王洲エリアの活性化をめざし、天王洲運河周辺で年に4回、毎回異なるテーマで行われるフェスティバルです。都市型アートフォトフェスティバル「PHOTO CAMP」はそのメインイベントとして、2018年フォトグラファーの支援と、写真と暮らすライフスタイルの提案をテーマにスタートしました。今年も、アートフォトの魅力がより身近に感じられる様々なコンテンツをご用意しています。』

 というのが一般社団法人天王洲キャナルサイド活性化協議会のフェスティバル宣言。

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 その中でも寺田倉庫 B&C HALL で開催されている「PHOTO MARKET」が面白そうなので、昨日見てきた。

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 写真家の個展なんかでは写真を販売することが目的の写真展っていうのはあるんだけれども、共同展で販売目的の写真展っていうのは珍しい。まあ、まだまだ無名の写真家たちばっかりなので、彼らがどんな写真を撮っていて、どんな表現をしているんだろうかっていう興味からなのであった。

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 ただし、どうも出展されている作品はみな、どちらかというと「アートフォト」というジャンルの作品が多く、私などは写真はアートじゃないと考えている人間には、彼らには申し訳ないてれどもあまり興味が持てない作品ばっかりであった。

 私にとっては写真っていうのはドキュメントであって、決してアートだとは思えないんですね。だって、いろいろ手を加えてある写真だったらアートだと言ってもいいんだろうけれども、写真っていうのは「撮って出し」っていうのが私の考え方なので、写真はドキュメントというのが基本なのであります。

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 なんで「アートフォト」なのかなとよく調べたら(って言うほどじゃないけれどもね)、先の一般社団法人天王洲キャナルサイド活性化協議会にアートフォトのギャラリーであるIMA Galleryの運営や、アートフォトの版権管理や売買を行っている株式会社アマナという会社が入っていたんですね。

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 で、この記事を読んでアートフォトに興味を持った方、PHOTO CAMPは今日までで終わっちゃいます。

 急げ! 天王洲アイルへ!

PHOTO CAMPのサイトはこちら

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Tennozu Ail. ©tsunoken

2019年10月 5日 (土)

「渋谷ダンジョン」がますます凄いことになっている

 渋谷駅がいろいろ改造されるたびに駅から外に出ていく経路が変更になって、一週間も来ないと訳が分からなくなってきたっていう話は以前このブログでも書いたことがあるが、いよいよ渋谷駅大改造も終盤になってきて、地下街と言うか地下鉄駅がまさしく「ダンジョン化」してきているっていうのが面白くて、渋谷駅まで、わざわざ池袋で山手線から副都心線に乗り換えて行ってきた。

 って、ヒマだね私も。

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「ダンジョン」っていうのは、本来は「地下牢」っていう意味で、中世のヨーロッパのお城にはだいたい地下牢があったり、宝の隠し場所があったりして、日本のRPGゲームではそんな宝を盗み出して、地下牢から抜け出すっていうストーリーで展開されているのが「ダンジョン・ゲーム」なんだそうである。「なんだそうである」っていう風に言っている段階で私がゲーマーじゃないことがバレてますね。

「ゲームなんてまだるっこしいことなんかやっている暇なんかないよ」ってのが私からの言い方なんだけれども、まあ、それはいいとして、要は水平方向だけじゃなくて垂直方向もあるっていうのが「ダンジョン」の面白い点であって、こんな下の写真みたいに水平垂直と3Dでもって動くことによって、渋谷の地上に逃げてくるっていうのが「渋谷ダンジョン」なんですね。

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 取り敢えず各路線と階層を示してみると『銀座線は3F/山手線、埼京線・湘南新宿ラインは2F/井の頭線は2F/半蔵門線・田園都市線はB3/東横線・副都心線はB5』とまあ上下は6フロアに分かれていろいろ行かなければならないっていう状況なのだ。

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 渋谷スクランブルスクエアも11月1日にはオープンするし、そろそろ渋谷大改造計画もそろそろ終結が見えてきたってところでしょうか。

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 東京メトロ銀座線の渋谷駅の東急ビルから明治通り上への移転もそろそろ完了だし……、ヒカリエに続く渋谷の拠点である渋谷スクランブルスクエアが出来れば東急の渋谷改造大計画もほぼ完成だ。

 後は渋谷駅西口の駅前改造計画と公園通りのPARCOの改築、宮下公園の新ビルで渋谷の改造計画は取り敢えず完結するのだろう。

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 まあ、あとはこの渋谷川をどう復活させるのでしょうか、ってことですね。

 それは無理かな……。これが精一杯ってところでしょうかね。

 なかなか『春の小川』までは復活するのはね。

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NIKON Df AF NIKKOR 20mm F2.8 D @Shibuya ©tsunoken

『なぜ迷う? 複雑怪奇な東京迷宮駅の秘密』(田村圭介著/実業之日本社(じっぴコンパクト新書)/2017年7月7日刊)

2019年10月 4日 (金)

なんか疲れたので、出かけなかったんだ

 普段は大体午前10時くらいにはカメラをしょってでかけるんだが、昨日も同じ感じで出かけたんだけれども、なんか9月後半のイベントの疲れがまだ残っているようで、あまり出かける気にはならなくて、早々に家に帰ってきてしまった。

 おまけに小雨まで降って来たしね。

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 なので、昨日撮った写真はこのブログに上げた6枚のみ。

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 まあ、撮った写真全部を提出してそれでお終いってのは、なんか悪いことをしたみたいで気持ちが悪い。

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 しかし、6枚限りっていうのはやはり撮った数としては少なすぎるようだ。

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 なんらかのテーマに沿って展開しようにも、展開どころの数ではない。

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 ってことで、まるのまんま提出して今日はオシマイ。

 今日の写真のテーマは、まあ「(そんなにつまらない日でも)日常」ってことですかね。

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NIKON Df NIKKOR 24mm f2.8 @Hon Komagome ©tsunoken

2019年10月 3日 (木)

時の鐘、蔵の街だけが川越じゃない

 まあ、池袋で用事を済ませた後なんであんまり考えずに有楽町線に乗ったら川越市行きだったっていうだけの理由で川越まで行ってきた。

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 川越にはJR川越線と東武東上線の共同駅の川越駅と、西武新宿線の終着駅である本川越駅、そして東武東上線の川越市駅の三つがあるんだが、そのなかで一番ローカル線的な雰囲気があるのが、東武東上線の川越市駅なのであります。なんか、ローカル線の終着駅っていう雰囲気の駅で、周辺にはいくつかの高校があるくらいの普通の町。大きなビルもありません。

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 そうやって「ウラ川越」を見てしまうと、どうにもいわゆる「川越」的なるものには興味がいかなくなるんですね。

 で、普通に西武本川越駅からJR川越駅方面へ抜ける駅の一発裏側の繁華街に行ってみるかっていう感じになります。

 その場合のメルクマールになるのが「丸広百貨店」なんですね。ポイントは『1968年に、川越店の屋上に屋上遊園地である、わんぱくランドが開業した。』(Wikipedia)ということなんです。

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 いまやデパートの屋上遊園地とか屋上観覧車なんていったら、川越丸広百貨店屋上の他には蒲田の東急ストア蒲田店の屋上観覧車しかないのである。実に、貴重な存在なのである。早いとこ行っておかなければなくなっちゃうぞってな感じで行ったんですけれどもね。

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 ところが屋上に上がる階段のところまで行ったら、2019年9月1日に「わんぱくランド閉園のお知らせ」という看板があって51年の歴史に幕を閉じたことが伝えられてあった。

 その後は屋上は荷物置き場などになってしまって、一般の人は上がれなくなってしまうようだ。

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 こんな写真を撮ろうと思ったんですがね、1ヵ月遅くなってしまって、撮れなかったというテイタラク。

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 まあ、写真撮影には予備取材が必要だ、ってごくごく「当たり前」のことなんですけれどもね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm F5.6 @Kawagoe ©tsunoken

 

2019年10月 2日 (水)

高円寺純情商店街の今は?

 中野の続きです。

 中野のお隣の高円寺駅北口駅前から始まる「高円寺純情商店街」っていうのは、もうすでに有名な商店街だし、皆さんもよく知っている商店街ですよね。ねじめ正一氏が直木賞を受賞しちゃったんで、それまで「銀座商店街」って言っていたんだけれども、小説のまんま「高円寺純情商店街」っていうふうに名前を変えてしまった商店街なんです。

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 JR高円寺駅前から発して北の方へ、更に西へ東へ北へとウネウネ、ウネウネ、要は途中のいろいろな小さな商店街を繋いで、そのまま西武新宿線の野方駅前へとつながる長い長~い商店街の入口が、高円寺純情商店街なんです。

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 その高円寺純情商店街が「存亡の危機に瀕している」っていう話があるらしいんです。

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 まあ、要は高円寺駅の北口までは青梅街道から駅前まで入ってくるちょっと広い道があるんで、そのままその道を延長して、ゴチャゴチャした商店街はツブして、まっすぐに野方駅前まで行く道を作っちゃおうっていう計画が、以前、東京都が持っていたらしいんですね。

 それがまあ、いろいろ地元なんかの反対があって実現しないままになってしまって、面倒くさくなってしまった東京都は杉並区に話を下ろして、あとは「よろしくね」ってなもんで逃げちゃった。

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 上の東京都から突然降ろされた杉並区も、もっと地元に密着した地方自治体なので、それはねえ、東京都以上に「地元の意思」というものを慮る必要があります。

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 なのでまあ、取り敢えずは高円寺純情商店街は現在のところ「残る」というということにはなっているけれども、問題は東京都の方針は杉並区に下ろされただけで、別に廃案になっているっていうわけじゃないし、杉並区としてもその計画は廃止しているわけじゃない。いつでも、区長か区議会議員の誰かが『「高円寺純情商店街」廃止計画はどうなっているんだ!』って言いだせば、再び問題になるんでしょうね。

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 まあ、私は「街がなくなる」「街が変わる」っていうのは、その街を取り巻く状況の変化と言うものがあって、ある種必然的なものだと思っているので、特に「消えてしまう町・街」についての妙な思い入れはないのだが、まあ、「少しづつ変化していく街」というものに対しての望郷の思いみたいなのはある。

 まあ、消え去る町があってもいいのだが、それなりの消え去る意味っていうのがあればいいんだがね。実は、あまり「消え去る意味」ってのはないんだよなあ。

 『高円寺純情商店街』(ねじめ正一 著/新潮文庫/1992年4月28日刊)

EPSON R-D1s VOIGTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Koenji ©tsunoken 

2019年10月 1日 (火)

「中野住宅」の解体工事が始まった

 今日は10月1日で「赤い羽根」募金運動の日なんだけれども、いろいろ募金運動の裏側を聞いちゃうと、結構「なんだかなあ」ってな話もある10月1日でもあるのです。

 8月10日のブログ『中野住宅』で触れた中野駅前の旧都営住宅(東京都住宅供給公社)「中野住宅」の解体工事が始まったらしいので見に行った。解体寸前の状態を見せますっていう話がJKK東京からあったんだけれども、残念ながらスケジュールが合わず、それは見に行けなかった。

 ということで、解体が始まって昨日初めて見に行ったっていうことなんですね。

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 中野駅のJR中央線緩行線ホームから見るのが一番見やすいので取り敢えず撮影したのが、上と下の2枚。

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 工事現場は囲いが出来ているので近くに行っても中は見えないだろうと考えて、反対側に行ってみた。

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 こちらもしっかりとガードされていて中を覗くことはできない。が、まあ中で工事中だっていうのは分かる。

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 囲いに近寄ってみると工事の予定表が貼ってある。

「令和2年2月28日」が解体工事の期限と書いてある。でその4年後の2024年2月29日に出来るのがA棟B棟の二つ、地上37階/地下2階、高さ150mという、巨大なビルの予定。解体されている面積を見るとその大きさというか広さは理解できるんだけれども、そこに出来る巨大なビルっていうのは、建築に詳しくはない私にはまったく予想できない。

 まあ、「大きいビル」っていうだけですね。両方とも商業ビルじゃないはずなので、ひとつは住居ビルもあるはずなんだけれども、どちらのビルが、どうなるのかも見えないので(多分、入居予定者にはオープンになっているんでしょうね)、いやはや私にはまったく見えません。

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 新しくできるビルから大久保通りへ抜ける道も拡幅されて、多分、商業ビルと住居ビルになるであろう「新・中野住宅」完成への準備怠りなくっていうところなんだろう。

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 どんなビルになるのかが楽しみですね

 えっ? 嫌だって?

 うん、まあ、 そういう人もいるだろうな。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Nakano ©tsunoken

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