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2019年8月10日 (土)

中野住宅

 中央総武線の中野駅ホームからも見える中野駅の前にあるのが、東京都住宅供給公社(現・JKK東京)の中野住宅がある。

 この中野住宅が解体されて、高層マンションや商業ビルなどになって、中野駅南口の新たなメルクマールとなるようだ。

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 この中野住宅が出来たのは1951年の時。私と同じ歳なので、既に竣工から68年も経っているわけだ。そりゃあ老朽化もするわけだよなあ。

 って、自分のことを言っているのか?

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 中野駅の周辺は戦後いくつもの闇市が出来て賑わっていたようだ。空襲で大きな被害を受け、半分が焼けた中野区だったが、終戦後には疎開先や戦地から戻った人であふれ返るようになる。
 終戦の時点で10万人を切っていた人口は、10年で一気に3倍近くにまで急増し、食料も、建材となる物資も、完全に不足していた世の中。

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 そんな中で、中野住宅が出来た頃のことが1951年に出た中野区史の別冊『中野区の新らしい歩み』に記されているらしい。
「建築費高騰のため民間の貸家建築絶無の現状にあっては、住宅難にあえぐ人々は依然として萬一を期待して、都営住宅の抽選を申込むほかはないのである。」
 しかし肝心の都営住宅も、用地の確保に困難を極め、抽選は100倍を超えることもあったという激しい競争率。
 親戚の家などに身を寄せ、わずか3帖に家族5人で暮らすなど、悲惨な状態で人々が暮らしていたという記録が残っているらしい。
 そんな中、闇市を一掃して整備された駅前広場と、その隣に建てられた中野住宅が木造の町並みから頭一つ抜き出る姿は、戦後復興のシンボル的な存在に映ったのではないかと想像される。

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 そんな中野住宅も齢68年を重ね、すっかり老朽化してしまっている。

 今や中野と言えば北口の中野ブロードウェイや中野サンプラザが中野のメルクマールとなってるが、それにとって代わるような中野の象徴となるようなビルを目指しているようだ。

 既に来年3月の着工を控えてほとんどの住民は退去をしてしまい、今や解体を待つだけの状態になっている。

「鉄筋コンクリート造は100年持つ」なんてことが昔は言われていたんだけれども、結局、50年位しか持たないってことが分かって、各地のマンション建て替えが話題になっているんだけれども、まあ、結局そういうことになるんだろうなあ。でも、じゃあヨーロッパなんかの(鉄筋が入っていない)石造りの建物が既に数百年も持っているっていうのは、何故なんだろう。

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 ということは、まあ、いいとして……。

 出来上がりはA棟B棟の二つ、地上37階/地下2階、高さ150mという、巨大なビルで完成予定は2024年2月29日。

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 中野も今や北口が中野の象徴となっているが、今後は南口の方の発展にどれほどこのビルが寄与できるのか……、っていうのが気になりますね。

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NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Nakano ©tsunoken

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