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2019年8月20日 (火)

銀座みゆき通りのそもそもは?

 銀座のみゆき通りは日比谷公園前の帝国ホテルから、新橋演舞場までをつなぐ短い道だ。

 ただし、私にとってはむしろ「銀座のライカストア」から新橋演舞場までをつなぐ、銀座六丁目を東西に貫く道である。

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 たとえば「行幸通り」という皇居和田倉門から東京駅中央口を繋ぐ道路、正式名称は「東京都道404号線皇居前東京停車場線」というなにやら仰々しい名前の道があるんだけれども、これは天皇が行幸の際に皇居から東京駅まで通る道だから「行幸通り」という名前がついているのだ。

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 すぐそばに行幸通りがあるのに、なぜこんな短い通りに「みゆき通り」なんて名前がついているのか?

 その理由は『明治期に明治天皇が海軍兵学校、海軍大学校等々への行幸(みゆき)の際、また浜離宮へのお成りの時、この通りを行幸路とされたため、いつしか「みゆき(御幸)通り」と呼称されるようになった』というんだけれども、確かに皇居から築地市場の辺りにあった海軍兵学校などへ行くには、この道が一番近いものなあ。

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 戦後になってこの通りが注目されたのは、1960年代の『平凡パンチ』がきっかけだった。

『男性はアイビールックを崩し、バミューダショーツやつんつるてんのコットンパンツといった出で立ちでVANか「JUN」の紙袋やズタ袋を小脇に抱え、女性は白いブラウスに踵の低いぺったんこの靴、ロングスカート、リボンベルトを後ろ手に締め、頭に三角折りしたスカーフや首にネッカチーフを巻き、そして男性同様に紙袋やズダ袋を抱え、特に何の目的もなくただ銀座みゆき通りをぶらぶらと闊歩することが流行した、こうしてみゆき通りと周辺に集う若者達のことをみゆき族と呼ぶようになった。』(Wikipedia)

 ただし、みゆき族たちはVAN Jac.で買い物をしたらもう小遣いがなくなっちゃったのか、みゆき通りをブラブラするだけで、買い物もしないので、銀座の商店主たちからは嫌われたそうだ。

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 しかし、なぜみゆき通りだったのか。

 多分、みゆき通りが銀座で一番のファッション通りだったっていうのと、銀座の表通りみたいに広い道じゃなかったっていうのが、彼らがたむろするのにちょうどよかったっていうのがあるのじゃないだろうか。多分、当時から銀座の歩行者天国が実施されていても、そこには「みゆき族」は集まらなかっただろう。

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 みゆき通りの一番東のはずれ、新橋演舞場の裏には「采女(うねめ)橋公園」という小さな公園があって、そのなかに「果樹とハーブの見本園」という園内園がある。

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 こんな都心のど真ん中に、そんな果樹園があるっていうのは知らなかったので、取り敢えずご紹介します。

 っていうブログ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Ginza ©tsunoken

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