無料ブログはココログ

chotoku.note

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

フォト

« 2019年7月 | トップページ | 2019年9月 »

2019年8月

2019年8月31日 (土)

そんなわけで等々力渓谷なんだけれども

 そんなわけで、東京駅南口から東急バスで等々力渓谷に行ってきた。

 普通の日の夏だったら、木々に囲まれた渓谷ということで、結構涼しかったりして涼を求めて結構人出があるんですけれども。さすがに雨なので涼しいのは当たり前、でも全然人出がありません。

Epsn00232_20190829090601

 小雨パラパラのゴルフ橋も全然人の気配はありません。

Epsn00302_20190829090701

 それでも写生に来ている人たちも数人いるんですが、当然、それはそれ皆橋の下で絵を描いています。

Epsn00322_20190829090701

 まあ、でもこんなに静かな等々力渓谷っていうのも結構いいもんで、自分だけの風景をモノにできるっていうわけなんですね。

Epsn00342_20190829090701

 ってなことで、最早歩くことは諦めて、橋を渡って階段を上がれば等々力不動尊滝轟山明王院の境内です。

Epsn00422_20190829090701

「滝轟山」っていうだけあって、昔はこの等々力渓谷ももっと水量があって、滝なんかもあったらしい。今は滝とはいっても上の写真のような落差のない流れがあるだけですけれどもね。

Epsn00452_20190829090801

 等々力不動尊の境内で一休みして、早々に等々力を後にしました。

 えっ? 帰り? 勿論、大井町線で大岡山から南北線で帰ってきました。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Todoroki ©tsunoken

2019年8月30日 (金)

等々力渓谷へは、東京駅から東急バスで

 前日の晩、何故か「明日は等々力渓谷に行こう」と考えたんだが、当日はあいにくの雨。

 まあ、そんなものはすぐに晴れるだろうと考えて行った先は東京駅なんであります。

 何故、東京駅なのかと言えば、実は東急バスの東98系統という路線があって、東京駅南口から等々力操車所まで行く路線なんだが、これがいいんですね。はとバスの東京見物コースもいいけど、この路線バスの旅もなかなか捨てがたい味があります。結構、東京都心の有名どころを回って行くんです。結構、乗る距離も長いし。

Epsn00022_20190828195301

 スタートは東京駅南口3番乗り場。だいたい20分に1回くらい来るので、ひとバス逃してもちょっと待っていれば次のバスが来るから大丈夫。

Epsn00062_20190828195301

 東京駅南口を出たバスは、東京国際フォーラム前、馬場先門を通って日比谷へ到着。

 日比谷を出発するとそのまままっすぐに日比谷通りを進んで、内幸町、経済産業省前、虎ノ門一丁目、西新橋二丁目と通って、愛宕山下へ到着。

Epsn00082_20190828195301

 その後は、慈恵医大前、御成門小学校前を通って、東京プリンスホテルの前を右折して東京タワーへ。

Epsn00092_20190828195401

 そのまままっすぐに走って赤羽橋前、慶應義塾東門、そこを右折して一瞬国道1号線に入り、慶應義塾大前、三田五丁目、魚籃坂下、白金高輪駅前の次、清正公前からは目黒通りに入ります。

 そのまま白金台駅前、白金台五丁目、上大崎を経て目黒駅東口、目黒駅前を過ぎて権之助坂を下ります。

Epsn00172_20190828195401

 あとはひたすら目黒通りを進んで、大鳥神社前、元競馬場前、目黒消防署、清水、ここで運転手さんが交代して、目黒郵便局、鷹番まで来るとあと少しっていう感じになります。田向公園、碑文谷五丁目交番、碑文谷警察署、都立大学駅北口、中根町、八雲三丁目、産能大前、等々力七丁目、都市大等々力キャンパス東、玉川神社前、等々力四丁目ときて、等々力に到着します。バス路線の終点はもうひとつ先の等々力操車所なんですが、まあ、そこまで乗る人はまずいない。

 一度、終点まで乗ったことあがるんだが、結局、乗客は私一人だった。バカですね。

Epsn00202_20190828195401

 ここまで、東京駅南口から1時間と数十分。結構、時間はかかるんだけれども、途中の乗り降りのお客さんもいるんで、それを見ながらだから、まあ、それはそれでいい景色だってこともあるんですね。 

 まあ、電車で東横線か田園都市線でもって大井町線に乗り換えればたいして時間はかからないのだけれども、その行程がいいんですね。電車じゃ地下を走ったりして街が見えない。しかし、バスの場合は街の中そのものを走っていくので、まるで観光バスにでも乗った気分ではあります。

 で、等々力に着いたら空は晴れていた……、とはならずに、相変わらずの雨模様でした。

 さあ、これからどうしようかな。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 ©sunken

2019年8月29日 (木)

音羽物語

 文京区音羽の町の象徴と言えば護国寺である。

 護国寺は真言宗豊山派の大本山。徳川幕府の庇護を受けた寺院である。

『天和元年(1681年)2月7日、徳川綱吉は母、桂昌院の願いをうけ、高崎の大聖護国寺住持であった亮賢に高田薬園の地を与え、桂昌院の祈願寺護国寺の建立を命じた。』(Wikipedia)

Epsn00042_20190827204301

 その護国寺の前から神田川へ展開している道が音羽通り、それを取り巻く町が音羽の町である。

 これまた徳川家が関係していて『1697年(元禄10年)に護国寺領となり町屋にしたが人が入らず、桂昌院の信任が厚かった奥女中の音羽という人物にこの門前町が与えられたため「音羽町」と名付けられた。』(Wikipedia)

Epsn00262_20190827204301

 現在は神田川から護国寺に向かって音羽一丁目と二丁目という二つの町があるが、昔は一丁目から十丁目まであって、江戸川橋に近い今宮神社の祭礼の際には昔の丁目でもって町会が作られているのがわかる。

 この音羽の地に徳富蘇峰から「私設文部省」と呼ばれた「大日本雄辯會講談社」が、団子坂から引っ越してきたのが昭和8年(1933年)。以来、講談社や光文社、キングレコードなどを中心とした百数十社が「音羽グループ」と呼ばれ、小学館を中心にした「一ツ橋グループ」と並び称されるようになったわけです。

Epsn00272_20190827204301

 この講談社に昭和50年(1975年)に入社してきたのが私、tsunokenであります。って書くほどのことでもなんでもないんだが……。

 さすがに(写真家の田中長徳氏が通学のために乗っていた)音羽通りを走る都電こそは既になくなってはいたんだが、東京メトロ(昔は「営団地下鉄」といった)有楽町線は、私が入社試験を受けた時はまだ走っていなくて、営団地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅から坂を降りて講談社まで来たのでありました。勿論、帰りは音羽の谷底から茗荷谷の山の上までテクテク上って行ったのでありました。

Epsn00232_20190827204401

 それから37年間、実はそのうち5年は名古屋支社にいたので実際には32年ということになるが、この音羽の町に毎日通ってきたことになる。

 う~ん、長いような短いような37年なんだけれども、その37年で私が学んで成長したってことはあるんだろうか。なんか、全然成長なんかはしなくて、学生の時に映画評論を書いていたり、自主映画を作っていたりしていた頃と、なんかまったく変わっていないというのが、私の37年の総括である。というか、要はこのブログ自体がその延長線上にあるってわけで……。

Epsn00252_20190827204401

 音羽の町も、確かに音羽通りの両側はマンションばっかりになって、まるで音羽通りがマンションの谷底になってしまったような印象はあるんだが、考えてみればもともと目白台と小日向台に挟まれた谷底が音羽の町なんだから、実はあまり地勢的には昔から全然変わっていないんだなあ。

 まあ、講談社自体は一生懸命デジタル化に取り組んでいて、最近はそれが功を奏して会社経営は上手くいっているみたいだが、なんか、まるで時代から取り残されてしまった町、っていう感じの音羽の町ではありました。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Otowa Bunkyo ©tsunoken

2019年8月28日 (水)

"AKOMEYA"という「お米屋」(?) in Ginza

「米屋」っていう商売は、基本的に日本人の生活必需品を扱う商売であり、単なる「商品を売る」というだけの商売ではなかったのである。

「生活必需品なので買う方に金がなくても買わなければ自分たちの生命の問題になる」

 なので、

「米屋も客が『買う』時点でお金を持っていなくても、〈貸し売り〉の形で、店に来た客には売っていた」のである。

 勿論、その客の「借り金」は、どこかで客が入金した段階で、米屋に払うので、それは一種の「貸金業=金融業」でもあったわけである。

Epsn00182_20190826171301

 なので、「米屋」は基本的には、そこに生活している人が多い場所に作られていることが多い。

 まあ、「街のお米屋さん=大晦日の餅屋さん」って感じだったんではないでしょうか。

Epsn00172_20190826171301

 いやあ、それが繁華街って言っちゃあ、日本最大の繁華街である銀座に「米屋」が、今でも残っているっていうのがちょっとびっくり。東急ハンズ銀座店のすぐ裏です。

 でも、店の名前が「おこめや」じゃなくて「あこめや(AKOMEYA)」ってところがキモなんですな。

Epsn00152_20190826171301

 実は「なんで、こんなところに米屋が?」って思った私が勘違い。

 あくまでも店の名前は「AKOMEYA(アコメヤ)」であって、別に「お米屋(OKOMEYA)」ではない。

 要は、多少は「お米」や、米から作られる「清酒」に対するコダワリを見せつつ、実はそれ以外の食材も扱う普通の食料品店(但し、銀座流)だったんですね。

Epsn00162_20190826171301

 なあんだ、お米屋さんじゃなかったんだ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HALIER 12mm f5.6 / VOIGHTLANDER COLOR-SCPAR 21mm f4 @Ginza ©tsunoken

 

2019年8月27日 (火)

駒込は秋祭りのシーズン

 真夏の最盛期を過ぎると、駒込周辺は早くも9月のお祭りシーズンになる。

Epsn00292_20190825225401

 毎年、最初に幟が上がるのが駒込日枝神社周辺の町会なんですね。

 でも、この日枝神社、あまり広報には力を入れていないようで、幟は上がるんだが、じゃあ、祭礼はいつなのかは町会の人しか分からないんです。

Epsn00382_20190825225401

 まあ、町会内で自己完結しているような祭礼なんで、それでもいいのかもしれないが、なんかもうちょっと周囲から来客(流行りの言葉で言えば「inbound」って言うんですかね)を呼び込む工夫をすれば、何しろ赤坂日枝神社の系列の神社なんで、もうちょっとは他所の人たちも来るんじゃないかって思うんですけれども、まあ、地元の人たちからは、あくまでも「地元のお祭り」として、粛々とやって行けばいいのではないか……、って考えているんでしょうかね。

Epsn00412_20190826101501

 一方、どうせ地元の祭りをやるんだったら、少しは盛大にやって、他所からも人を呼ぼうやってのが、我が駒込天祖神社と千石簸川(氷川)神社のお祭りです。実は「盛大にやらないと、神輿の担ぎ手が他所から来ない」っていうこともある、ってのが実情なんですけれどもね。やっぱり、駒込も「神輿の担ぎ手の高齢化問題」ってのがあるんですね。

Epsn00352_20190826101501

 駒込天祖神社のお祭りは、9月14日15日が各町内会の合同渡御と町内会内部の渡御。9月16日が天祖神社内での儀式っていう予定です。

 千石簸川神社もほぼこれと同じスケジュールです。

Epsn00032_20190826101901

 そりゃあ、浅草の三社祭や神田祭みたいなスケールの大きさはないんですが、それはそれ、町内会祭りっていうローカルなお祭りっていうのも楽しいもんですよ。勿論、神社境内には射的なんかのいわゆる「縁日の」出店も出ています。

「本郷もかねやすまでは江戸の内」と川柳に詠まれた本郷三丁目から二里ほど過ぎた、「一富士二鷹三茄子」で知られる、「富士神社」「鷹匠屋敷」「駒込茄子」のふるさと、駒込です。

Epsn00052_20190826102201

 本郷台地の上の街なんだけれども、基本的には「下町」である駒込です。

 一度、お運びを……

EPSON R-d1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Komagome ©tsunoken

2019年8月26日 (月)

八丁堀同心屋敷跡

 皆さんは「八丁堀同心」というと、どんな人たちを思い浮かべるだろうか。

 東京都中央区八丁堀4丁目に京華スクエアという建物がある。元々は京華小学校があった建物なんだけれども、現在は産業振興のためのハイテクセンターや、シルバー人材センター、京華コミュニティルーム、さらに早稲田大学エクステンションセンター「八丁堀校」などの施設を兼ね備えた京華スクエアとなって、昔の小学校のまま、建物は残っている場所がある。

Dsc_00402_20190825101501

 その京華スクエアの前に「八丁堀同心屋敷跡」という説明板がある。

『江戸初期に埋め立てられた八丁堀の地は、はじめは寺町でした。寛永十二年(一六三五)に江戸城下の拡張計画が行われ、玉円寺だけを残して多くの寺は郊外に移転し、そこに与力・同心組屋敷の町が成立しました。その範囲は茅場町から八丁堀の一帯に集中しています。
 八丁堀といえば捕物帳で有名な「八丁堀の旦那」と呼ばれた、江戸町奉行配下の与力・同心の町でした。与力は徳川家の直臣で、同心はその配下の侍衆です。着流しに羽織姿で懐手、帯に差した十手の朱房もいきな庶民の味方として人々の信頼を得ていました。
 初期には江戸町奉行板倉勝重の配下として与力一〇人、同心五〇人から始まってのち、南北両町奉行が成立すると与力五〇人、同心二八〇人と増加し、両町奉行所に分かれて勤務していました。与力は知行二〇〇石、屋敷は三〇〇~五〇〇坪、同心は三〇俵二人扶持で、一〇〇坪ほどの屋敷地でした。
 これらの与力・同心たちが江戸の治安に活躍したのですが、生活費を得るため町民に屋敷地を貸す者も多く、与力で歌人の加藤枝直・千蔭父子や医者で歌人の井上文雄などの文化人や学者を輩出した町としても知られています。
   平成十三年三月
   中央区教育委員会』

Dsc_00322_20190825101501

 八丁堀のそばには茅場町を挟んで小伝馬町があって、そちらは牢屋敷があったことで有名だ。
 まあ、牢屋敷って言っても、現代の留置場、刑務所、処刑場のすべてがある場所だったんですけれどもね。

 つまり、この小伝馬町、八丁堀周辺は江戸の治安を守るためのいろいろな組織・幕府の部署があった場所ということなのだろう。江戸城からは近いし、一方隅田川からも近いという地の利もあり、更に江戸の下町の中心にあるこの場所は、やはり治安維持のための要所だったっていうことなのだなあ。

Dsc_00222_20190825101501

「八丁堀同心」といって、例えば鬼平(長谷川平蔵)を思い浮かべたあなた、間違ってます。

 同心というのは下級武士、まあ言ってみれば警察官、制服警官が岡っ引きなら、私服刑事などの現場の警察官が同心。与力は同心を配下に使っていた役職なので、警察署長か場合によっては県警本部長や警視総監あたりのエライ人なんですね。もっとも、現在の警察署長と違うのは管轄地域って言うものはなかったってことでしょう。

 長谷川平蔵などの火付盗賊改方ってのは、この与力よりもう一つ上の役職。まあ、江戸だけじゃなくて関八州すべてを管轄として考えていたらしいので、かなり大きな役職であったらしい。大名に匹敵するくらいの役職だったんですね。

Dsc_00362_20190825101601

 部下とボソボソ軍鶏鍋を突っついているようなジジイじゃなかったんですね。
 まあ、あれは池波正太郎氏が鬼平を実際よりは庶民派的な武士として描きたかったんで、そういう表現をしたんですけれどもね。

Dsc_00482_20190825101601

 まあ、現在でも警察署長(警視)ははっきり言って既に警察官僚の入口なんで、「警察署長が活躍して問題解決」なんてことはありません。官僚機構の中で、如何にして自分が出世する道を探すのか、「失点」を如何にして少なくするのか、なんてことに心を砕いている毎日なんですね。要は「小役人」。

 まあ、そんなことを考えてしまうと面白くなくなるので、関八州の総元締めが直接出張って一件落着ってやっちゃったんですね。小説だから。

 で、まあ、要は八丁堀っていうのは、昔の警察地域だったっていうことを言いたかっただけなんですけれどもね。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Hachobori ©tsunoken

2019年8月25日 (日)

ロバート・フランク写真展『もう一度、写真の話をしないか。』の話をしないか?

 清里フォトミュージアムで現在開催されているのが『Why Don't We Talk About Photography Again? (もう一度、写真の話をしないか?)』という写真展だ。

Dsc_00332_20190820210601

 普通、写真のギャラリーっていうと、東京の銀座とか六本木などの「交通の便の良いところ」にあるのが普通なんだが、こんな山梨の、辺鄙な場所に写真ギャラリーがあるっていうのは知らなかった。

Dsc_00452_20190820210601

 この清里フォトミュージアムの館長(オーナーではない)は三島由紀夫の裸体写真集『薔薇刑』や、森山大道氏のお師匠さんとして知られる、細江英公氏である。

 このギャラリー自体が細江英公氏の持ち物であって、ということはここに展示されているロバート・フランクの多くの作品が細江氏の持ち物である、ってことになったら、それは凄いことではあるんだろうけれども、まあ、そうではないことは、考えてみれば当たり前の話ではあるんだけれどもね。

 まあ、写真家ってそんなに儲かる仕事じゃないもんな。

Dsc_00432_20190820210601

 で、肝心の写真展なんだが、私たちにはロバート・フランクって言えば『THE AMERICANS』という凄い写真集がある。

Dsc_00422_20190820210601

『ロバート・フランクは1924年11月9日、スイスのチューリッヒで裕福なユダヤ人の家族から生まれた。1947年にアメリカに移住しニューヨークで「ハーパーズバザー」誌のファッションカメラマンとして働くがすぐに辞め、南アメリカとヨーロッパを旅する。フランクは1950年アメリカへ帰国し1953年から「ヴォーグ」誌、「フォーチュン」誌等でフリーのフォトジャーナリストとして働く。1955年にフランクはグッゲンハイム奨学金を受けアメリカ全土を旅して撮影を行う。フランクはこの頃よりカルティエ=ブレッソン等の提唱する「決定的瞬間」理論を放棄し、別の時間認識を試みだした。
 アメリカ全土を旅し撮影したフランクはその集大成として1958年にフランスで写真集「Les Americains」を出版。翌年にはアメリカでも「THE AMERICANS」として出版する。出版当初アメリカ国内では不評と批判をあびるが、時代とともに高い評価を受けるようになった。』(写真家・照井康文による照会文)

 つまりアメリカのグッゲンハイム財団という美術館を持った財団が拠出する奨学金で、中古車を買い、アメリカ全土を走り回って撮った膨大な写真から作った写真集が『THE AMERICANS』というわけなのだが……。

Dsc_00372_20190820210701

 スイス人のカメラマンに奨学金を与えるっていう、アメリカの懐の深さというものにも驚かされるが、その結果として作成された写真集を見ると、そこには何らのテーマ性もなにもない、っていうことに更に驚かされる。

 つまり、それも写真、あれも写真っていうわけなんだな。

Dsc_00392_20190820210701

 写真展に出品されている作品は『THE AMERICANS』からも出品されているが、大半はそれ以前の作品であり、若干はそれ以後の作品という構成だ。

 面白いのは、別にそれ以前の作品も、『THE AMERCANS』も、それ以後の作品も、別に作風の変化なんてものはなくて、ただただ、街の人々を撮影しているだけなのだ。

 まあ、その辺が大写真家らしいってところなんだろうな。「決定的瞬間」なんてものはなくて、すべての瞬間が「決定的」なんだっていうことなんだろう。ということは、別に写真展を見に行かなくても、写真集『THE AMERICANS』を持っていれば、実はそれで事足りたりするんだ。

 私自身は「写真展派」っていうよりは「写真集派」、つまり本として身近に置いておきたいと考えているタイプなので、あまり写真展というものには行かないのだが、今回行ってみたっていうのは……、やっぱり「清里」っていう場所の関係なのかなあ。

 すこしは涼しいかも……、ってことなんだけれども、それは事実でありました。

Tne-americans『THE AMERICANS』(©2008 Robert Frank for the photos / ©1959 for the intrduction by Jack Kerouac)

 『THE AMERICANS』(©2008 Robert Frank for the photos / ©1959 for the intrduction by Jack Kerouac)

2019年8月24日 (土)

足立区立郷土博物館:でも、やっぱり「おばけ煙突」でしょ

 郷土資料館とか郷土博物館といったものにたまに行くんだが、だいたい東京周辺の郷土資料館・博物館って民俗学的資料が所蔵・展示されていて、結局、昔は農村地帯、その後に工場地帯になって、現在は住宅地になっており、その変遷と、昔の農具や近代にいたっての住宅の変遷などという展示で、なんかあまり変化がなくて面白くないので、最近はあまり行かなくならなくなってしまっていた。

Epsn00312_20190822222001

 足立区立郷土博物館も基本的には同じような展示ではある。

『現在の足立区の原型は、江戸東京という大都市の東郊となったことから始まります。
 東郊とは、江戸東京の都心部から広がる近郊地域を東西に分けて、東側の近郊という意味で、現在の足立区、葛飾区、江戸川区とその周辺を示しています。東郊は丘陵の多い西郊に比べて、大河川の下流域にあたる平坦な地域であることが特徴です。このような東郊の特徴が、現在の足立区の発展や生活や文化を形づくっています。』(足立区立郷土博物館のサイトより)

Epsn00352_20190822222101

 ということで、足立区立郷土博物館にも特別な思い入れもなく見に行ってきたんだが、まあ、幼い頃を過ごした足立区っていうものについての興味っていうところからだろうか。あるいは、足立区立郷土博物館がある足立区大谷田という場所が、子供の頃には行ったことがなかったということもある。足立区で育ったとはいえ、足立区の東側、国道4号線の東側、葛飾区に近い方っていうのはあまり行ったことがなかったのである。子どもの行動範囲なんて、意外と狭いっていう証拠なんでしょうね。

Epsn00662_20190822222101

 東京メトロ千代田線の北綾瀬駅から暑い中ちょっとある距離を歩いて行ったのだが、博物館が近くなると「葛西用水路」という道があって、つまりその道の脇には葛西用水が走っていて、その下流が亀有用水、曳舟川となるので、そうなると私も知っている場所になる。

 なんとなく、私の知っている場所とのつながりが頭の中に生まれてくる。そうなるとなんかスイッチが入ってきて、断然興味が湧いてきたりするんですね。

Epsn00382_20190822222101

 なあんてみてくると2階の第2展示室に「復元された都住」なんていう展示がある。多分、1950~60年代の頃によく見られた小さな一戸建て住宅の典型見本なんですね。都営住宅らしいんだが、基本的に二間と台所。勿論、風呂なんかはないです。風呂は銭湯へ行くってのが、当時のデフォルト。

 私が小学生の頃の友達の家などにこんな感じの家が多かったような気がする。

Epsn00542_20190822222201

 でも、この家は比較的裕福な家なのではなかったのではないだろうか。勿論、それは「足立区としては」という条件付きではあるんだけれども……。

Epsn00552_20190822222201

 テレビや洗濯機、冷蔵庫なんかが完備しているっていうのもそんな感じなのだが、一番感心したのが玄関の下駄箱の上にある「電話」。電話がある家って当時はあまりなくて、「呼び出し電話」ってのがあった。つまり、自分の家の連絡先に近所の電話のある家の電話番号を登録してしまうんだが、当時はそんなことは当たり前で、その利便性を考えて、大体電話機ってのは、家の玄関先にあったのだった。

Epsn00572_20190822222201

 でも、やっぱり足立区の象徴と言えば「お化け煙突」(旧・東京電力千住火力発電所)ですよね。

 えっ? 何が「お化け」なんだ? って?

 う~んと、要は、4本の菱形に並んだ煙突が、見る角度によって4本、3本、2本と変化するのが「お化けみたいだ」っていうことなんですけれどもね。

Epsn00692_20190822222201

 まあ、他愛がないって言っちゃあ、確かに他愛はないのだが、まあ、そんなことすらも「街のジョーク」としていた、当時の足立区民のおおらかさっていう風に捉えてはいかがでしょうか?

 モクモク生える石炭の真っ黒な煙。今なら「公害問題」で喧々諤々になるでしょう。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Oyata Adachi ©tsunoken

 

2019年8月23日 (金)

丸の内ラグビー神社

 丸の内を歩いていたら何やら怪しい風景が見えてきた。場所は丸ビルの裏側であります。

Epsn00332_20190821171401

 なんかラグビーのゴールみたいな鳥居がある「丸の内ラグビー神社」っていうんだけれども、それって神様を冒瀆してんじゃないの? って思ったんだけれども、どうなんだろう。

Epsn00252_20190821171401

 いやいや、実はラグビーと神社っていうのは深い関係があったんですね。

「丸の内ラグビー神社」の能書きにはこうあります。

『丸の内ラグビー神社
 ラグビーを愛する全ての人々の幸せを祈願する「丸の内ラグビー神社」が丸ビルに登場
 ~世界遺産「下鴨神社」の境内にあるラグビーとゆかりの深い「雑太社(さわたしゃ)」の神様をお祀り~

 2019年8月20日(火)、ラグビーを愛する全ての人々の幸せを祈願するべく、丸ビル外構部に「丸の内ラグビー神社」を建立いたします。
 当神社は、京都市鎮座の世界遺産「下鴨神社」の境内にあり、ラグビーとゆかりの深い「雑太社(さわたしゃ)」の神様をお祀りし、ラグビーを通じて生まれる人と人とのつながり、そして新たな出会いを祈願。ラグビーボールの形に因んで「楕円のご縁」を結びます。

 世界遺産「下鴨神社」の境内には、ラグビーとゆかりの深い「雑太社(さわたしゃ)」がお祀りされています。
「雑太社」の御祭神「神魂命(かんたまのみこと)」の「魂」が「玉」に通じることから球技上達の御利益があると伝えられています。また、明治43年には、同境内で旧制三高(現・京大)と慶應義塾の学生が関西で初めてラグビーを行ったことから、雑太社(さわたしゃ)の横には「第一蹴の地」の石碑が建てられ、ラグビーの聖地となっています。』

 ってことらしい。

Epsn00272_20190821171501

「楕円のご縁」ってことで「楕縁」だそうです。

Epsn00282_20190821171501

 実は丸の内の大地主、三菱地所が10月から始まるラグビーワールドカップ2019のオフィシャルスポンサーなので、それを盛り上げようってことで、丸ビルを中心に大展開しようっていう催しの一つがこの丸の内ラグビー神社で、丸ビル内にもいろいろな展示がある。

 三菱グループにもラグビー部を持っている企業はあって、三菱重工相模原ダイナボアーズはトップチャレンジリーグという、トップリーグの一つ下のリーグ、三菱重工長崎にも地域リーグに所属しているチームがあるらしい。残念ながら、三菱関係のラグビーチームがワールドカップに関係するほどの選手は輩出してはいないようだ。

Epsn00312_20190821171501

 で、その丸の内ラグビー神社の脇のベンチアートとして置かれているのが、栃ノ心関、チコちゃん、羽生弓弦ってのが良く分からないなあ。

Epsn00342_20190821171501

 できれば日本ナショナル・チームのキャプテン、リーチ・マイケルあたりだったらよく意味が分かるんだけれどもなあ。

 ちなみにリーチ・マイケルはTBSドラマ「ノーサイド・ゲーム」のモデル、東芝府中のキャプテンでもあります。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Marunouchi ©tsunoken

2019年8月22日 (木)

甦る東京

「甦る東京」って言ったって、別に東京が何かのきっかけで破滅して、そこから復活したっていうお話ではない。

 ってか、そんなこと最近ないじゃない。

Epsn00212_20190821171201

 先週は「お盆休み」で静かな東京で、ただただやたら暑かったという一週間を過ごしていたのが、今週になってやっと再び東京らしい忙しさを取り戻し、そうしたら気温の方も先週までの暑さも峠を越し、昨日の気温は34度にギリギリ達しない程度で、少し爽やかな風も吹いたりして、何となく生き返った東京という感じだったっていうだけの話。

Epsn00362_20190821171201

 ということで、東京駅で降りて丸の内をブラブラ散策していたのだが、丸ビルの裏が何やら怪しい雰囲気がある、っていうお話は明日のココロだぁってところで、丸の内から大手町、神保町へと歩いてみた。

Epsn00472_20190821171201

 まだまだ暑い日は続くんだが、でも、なんとなく休み明けのビジネスマンたちも生き生きとして見えるのは不思議だなあ。

Epsn00492_20190821171201

 しかしまあ、こうして働く人たちを見ていると、なんとなく「日本も大丈夫だぁ」てな気分になるのは何故だろう。

 まあ、私がもはや働いていないから、働いている人たちを見ると何となく落ち着けるっていうか、「皆、頑張ってね」っていう感じなんでしょうか。

Epsn00592

 もう、8月も後半に入り、次第に新たなる雰囲気になってきた東京の姿でした。

 相も変わらず、薄味のレポートでした。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Marunouchi Otemachi & Jinbocho ©tsunoken

 

2019年8月21日 (水)

佃島の今

 しばらく工事のために水を抜いてしまった佃堀に、再び水が張られたというので、見に行った。

Epsn00602_20190817221701

 浚渫工事なのかと思っていたのだが、そうではなくて桟橋を作る工事だったのだ。

Epsn00642_20190817221801

 確かに、桟橋の裏には釣り船屋さんなんかがあって、この店のための桟橋なんだろうか? だとしたら随分大きな桟橋だし、この釣り船屋以外にも使うことがあるんだろうか。

 勿論、「堀の水、全部抜く」って言っても、別にテレビ番組とは関係ありません。ごく普通に溝を抜いただけ。

Epsn00862

 まあ、佃堀にハゼ釣りに来ている人以外はほとんど人通りのない佃島なんだけれども、相変わらずの雰囲気だなあ。

 なんて風に歩いていたのだが、何故か違和感がある。

Epsn00662_20190817221801

 あれっ? そういえば一膳10,000円以上する江戸八角箸で有名な「漆芸 中島」という箸屋さんがなくなってしまっていて、普通の民家風になってしまっている。

Epsn00672_20190818122701

 まあ、こうやって次第に昔からの店はなくなっていき、新しい町が作られていくんだろうなあ。

Epsn00782

 ということで、今日も暑い佃島からお送りしました。

 って、薄味なレポートだなあ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Tsukudajima ©tsunoken

2019年8月20日 (火)

銀座みゆき通りのそもそもは?

 銀座のみゆき通りは日比谷公園前の帝国ホテルから、新橋演舞場までをつなぐ短い道だ。

 ただし、私にとってはむしろ「銀座のライカストア」から新橋演舞場までをつなぐ、銀座六丁目を東西に貫く道である。

Epsn00262_20190817215801

 たとえば「行幸通り」という皇居和田倉門から東京駅中央口を繋ぐ道路、正式名称は「東京都道404号線皇居前東京停車場線」というなにやら仰々しい名前の道があるんだけれども、これは天皇が行幸の際に皇居から東京駅まで通る道だから「行幸通り」という名前がついているのだ。

Epsn00272_20190817215801

 すぐそばに行幸通りがあるのに、なぜこんな短い通りに「みゆき通り」なんて名前がついているのか?

 その理由は『明治期に明治天皇が海軍兵学校、海軍大学校等々への行幸(みゆき)の際、また浜離宮へのお成りの時、この通りを行幸路とされたため、いつしか「みゆき(御幸)通り」と呼称されるようになった』というんだけれども、確かに皇居から築地市場の辺りにあった海軍兵学校などへ行くには、この道が一番近いものなあ。

Epsn00282_20190817215901

 戦後になってこの通りが注目されたのは、1960年代の『平凡パンチ』がきっかけだった。

『男性はアイビールックを崩し、バミューダショーツやつんつるてんのコットンパンツといった出で立ちでVANか「JUN」の紙袋やズタ袋を小脇に抱え、女性は白いブラウスに踵の低いぺったんこの靴、ロングスカート、リボンベルトを後ろ手に締め、頭に三角折りしたスカーフや首にネッカチーフを巻き、そして男性同様に紙袋やズダ袋を抱え、特に何の目的もなくただ銀座みゆき通りをぶらぶらと闊歩することが流行した、こうしてみゆき通りと周辺に集う若者達のことをみゆき族と呼ぶようになった。』(Wikipedia)

 ただし、みゆき族たちはVAN Jac.で買い物をしたらもう小遣いがなくなっちゃったのか、みゆき通りをブラブラするだけで、買い物もしないので、銀座の商店主たちからは嫌われたそうだ。

Epsn00362_20190817215901

 しかし、なぜみゆき通りだったのか。

 多分、みゆき通りが銀座で一番のファッション通りだったっていうのと、銀座の表通りみたいに広い道じゃなかったっていうのが、彼らがたむろするのにちょうどよかったっていうのがあるのじゃないだろうか。多分、当時から銀座の歩行者天国が実施されていても、そこには「みゆき族」は集まらなかっただろう。

Epsn00432_20190817215901

 みゆき通りの一番東のはずれ、新橋演舞場の裏には「采女(うねめ)橋公園」という小さな公園があって、そのなかに「果樹とハーブの見本園」という園内園がある。

Epsn00412_20190817220001

 こんな都心のど真ん中に、そんな果樹園があるっていうのは知らなかったので、取り敢えずご紹介します。

 っていうブログ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Ginza ©tsunoken

2019年8月19日 (月)

夏に思ふ事

 今日から妻の家のお墓参りに行って、明日は清里フォトミュージアムで「ロバート・フランク展 もう一度、写真の話をしないか」を見て帰ってくる、ので、この三日間は、それ以前に書き溜めた記事です。

 ロバート・フランクについては帰ってから書きますので、お楽しみに。

Epsn00013

 日本の夏は暑い。それは日本が北半球に属しているので、夏が暑いのは当たり前。南半球だったら冬が暑いもんね、っていうのは単なるあだしごとなんだけれども……。

『ケッペンの気候区分において日本はほぼ温帯湿潤気候か冷帯湿潤気候に属し、世界的に見ると四季がはっきりしていており、気温の年較差が日較差よりも大きい。また、降水量が多いこと、梅雨や秋霖の影響で降水量の年変化が大きいことが特徴として挙げられる。
 地球温暖化や都市化によるヒートアイランド現象が、日本でも起きている。日本の平均気温は、長期的には100年当たり約1.21 ℃上昇している。また、大都市においては、気温上昇の主因がヒートアイランド現象によるものだと考えてもよいという指摘がある。』(Wikipedia)

Epsn00022_20190818155401

 まあ、ヨーロッパと同じ温帯に属している日本なんだけれども、ここ数年の暑さは亜熱帯なんじゃないか、と考えられるほどだ。

Epsn00062_20190818155501

 ただし、東京の暑さは、その原因はほとんどがヒートアイランド現象なんじゃないか、というのはまさしく人為的な理由なんだなあ。

Epsn00152_20190818155501

 昔は「夏は暑いのが当たり前。かえって汗をかいちゃえば、その後は涼しくなるし。」ってな考え方をしていたんだが、それも今や通じなくなってしまっている。

Epsn00172_20190818155501

 地球温暖化はある種自然現象なんでしょうがないのかもしれないけれども、ヒートアイランド現象には何か対策はないのだろうか。まあ、あんまり気温が上がらないような路面の舗装なども研究されているようなのだが、なかなか、一度上がってしまった平均気温を下げるまでには至っていない。

Epsn00192_20190818155501

 なあんてことを考えながら、今日の宿泊予定の諏訪市や、明日行く清里は多少は涼しんじゃないかと期待しているんですがね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Rikugien ©tsunoken

2019年8月18日 (日)

谷根千の夏

 一昨日のブログから EPSON R-D1s の設定を再びモノクロにして、なおかつ、今日からはフィルム設定も「エッジ」「コントラスト」双方とも最高レベルに戻して撮影。

 うん、いいなあ。やっぱりEPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm(ただしCOSINA製) にはモノクロでこの設定が、私の好みに一番合っているようだ。コダックのトライXにこの設定が一番近いような気がするのだなあ。

Epsn00062_20190813160201

 で、勇躍出かけた谷中・千駄木って、実はこれまた家の近所なんだけれども、世の中はお盆休みなので、日本人の観光客の姿は少なく、目につくのは欧米人の観光客ばかり。まあ、お盆とは関係ない人たちばかりが来ているっていうようなわけなんですね。

Epsn00132_20190813160201

 私も東京の人間なんで、私の実家のお盆参りは先月に済ませているので関係ない。とは言うものの、東京在住者っていっても大半は地方出身者なので、この8月の旧盆に実家に帰ってお墓参りをするわけですね。まあ、私もカミさんの実家のお墓がある新潟まで来週はお墓参りなんですけれどもね。

 なので、この時期、谷根千なんかに来ているのは、純粋の東京人とキリスト教の欧米人ばかり。あれ? アジアの人たちも仏教徒ばかりじゃないはずなんだけれども、やっぱりこの時期には日本観光はしないんだろうか。

Epsn00222_20190813160301

 まあ、日本人の宗教観なんていい加減なもんで、初詣は神社に行きながら、クリスマスだのハローウィンだのってキリスト教(それもカトリックもプロテスタントもめちゃくちゃ)の行事に参加しながら、お盆やお彼岸はお寺に行くのが日本人です。

 その辺が日本人の宗教観ってのも面白いところですね。もともと「宗教的人間」じゃないだな、日本人って。

Epsn00252_20190813160301

 基本的なことを言ってしまえば、元来、仏教っていうのが「宗教」なんだか「哲学」なんだか分からない宗教なのである。

 本来であれば宗教というのはその「始祖を絶対視する価値観」ということから発生し、だからこそ他の宗教とは相容れない考え方って言うものが出て来てしまい、時と場合によっては宗教戦争に発展してしまったりするんだけれども、仏教にはそんなものはない。

 仏教発祥の地インドでも、ヒンズー教とイスラム教の争いはあっても、それらの宗教と仏教の争いっていうのはない。

Epsn00282_20190813160301

 まあ、それだけゴーダマ・シッダルタっていう人の考え方は自由なものだったんだろうけれども、「世界の宗教を包含してしまう宗教」ってのもすごいよな。ゴーダマ・シッダルタ自身が自分は人間の一人でしかないとして、神格化を否定したんですね。

 最初の提唱者が神格化を否定したっていうことから考えると、やっぱり仏教は宗教じゃなくて哲学なのかもしれない。

Epsn00352_20190813160301

 で、そんな仏教徒のお墓が沢山ある谷中墓地からお送りしました。

 ってオチはどんなもんかなあ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Hon Komagome Sendagi & Yanak ©tsunoken

2019年8月17日 (土)

ご近所ネタ広報・六義公園

 ご近所ネタの広報です。他の地域に住んでいる人には「どーでもいい」話ですので、スルーしてください。

 半年ばかり整備・修復などを進めていた「六義公園」が改修なって昨日公開された。

「六義公園」と「六義園」は違うんだけれども、結構、これを取り違える人がいるんですね。六義公園の前に来て「あれ? 六義園やってないや」(だいたいこういう人たちって「六義園(りくぎえん)」を「ろくぎえん」なんて言ったりするんですね)なんて帰ってしまう人がいます。「六義園」に来る前に「りくぎ」の意味くらい調べて来いよ!

Rimg00012_20190816201801

 六義公園は、1938(昭和13)年に岩崎家から東京市に六義園を寄贈された際に、附属する「運動公園」として、同時に寄贈されたもの。

Rimg00112

 つまり、本当の六義園は、この六義公園と附属する六義公園運動場がすべて包含されたものが「六義園」なのです。

Rimg00022_20190816201801

 結構、旧態依然としていた六義公園なんだけれども、園内設備なんかも大分レベルアップして子供たちを安心して遊ばせられるようになってきている。

Rimg00042_20190816201901

 芝生広場(昨日のところはまだ未開放)や、水遊び広場(夏季のみ)なんかもあって、子供たちは大喜びだ!

Rimg00082_20190816202001

 トイレもきれいになって、いかにも新しい公園っていう雰囲気ですね。

Rimg00092

 もっといいところは、前にあった「喫煙スペース」がなくなったこと。以前は、お隣の六義公園運動場って、文京区の野球少年のメッカだったところなんだけれども、その少年野球のお父さん(コーチ? 監督?)たちの「タバコ吸い場」がこの六義公園にあったんだけれども、それがなくなったこと。

 まあ、お父さんたちはどこで煙草を吸うんでしょうかね。

Rimg00122

 面白いのは、同じ六義公園運動場でもサッカーの試合の時は、六義公園と六義公園運動場の間の柵が閉められていて、サッカーお父さんがタバコを吸いたくても、サッカーお父さんはタバコを吸わなかったこと。

 う~ん、スポーツの種類によって、喫煙率って変わるんでしょうかねぇ。

RICHO GRDⅢ GR LENS 6.00mm f1.8 @Hon Komagome ©tsunoken

2019年8月16日 (金)

大江戸線両国駅と総武線両国駅

 久々の「モノクロ・デジタル写真」復活!

 設定をノーマルに近い程度にもどしたんだけれども、エッジ強調はいいとして、もうちょっとコントラストを強くした方がいいのかなあ。

 今年は8月15日の靖国神社のバカ騒ぎには行かなかったので、11日に撮影したテーマは「両国」です。

 両国駅って、JR総武線両国駅と都営地下鉄大江戸線両国駅の二つがある。

 同じ「両国駅」なんだけれども、ふたつの駅は繋がっていない。大江戸線両国駅には「JR両国駅」の案内は出ているんだけれども、そこを出ても、江戸東京博物館の入口の裏側に至る道があるだけで、JR両国駅に行く道は良く分からないようになっている。

Epsn00073_20190811203401

 まあ、都営地下鉄とJR東日本っていうのは、ある種ライバル関係にある訳で、ライバル同士の意地の張り合いっていうか、足の引っ張り合いをやっているんだろうが、だからって言って、同じ名前の駅を作っちゃうんだから、それこそ地下道で結んじゃえば雨の日や昨日今日みたいな暑い日にはいいのに、と思うのは素人考えなんだろうか。大江戸線の方は「両国駅」じゃなくて「江戸東京博物館前」にしちゃえば、まあ、こちらも納得するんだけれどもねえ。

Epsn00092_20190811203401

 国技館があるJR両国駅前は、大相撲開催時と比べれば人っ子一人いないかんじで、ひっそりとしています。今は、各部屋とも地方巡業なので、お相撲さんは両国周辺にはいません。

Epsn00182_20190811203401

 ということなので、国技館の裏に出て、北斎通りを往きます。

Epsn00262_20190811203501

 北斎通りを北に曲がると八角部屋がありますが、ここも留守番の人がいるくらいで、皆さんは巡業なのでしょう。

 何故、八角部屋なのかと言えば、ちょっとした事情がありまして……。まあ、別にいいか。

Epsn00292_20190811203501

 八角部屋から北斎通りに出て、更に錦糸町方面へ進むと、写真の機材で有名なハクバ写真産業があります。

 まあ、この辺はいかにも東京の下町工業地帯なんだっててところでしょうね。ここ、総武線の周囲はあんまり工場なんかはないんですけれども、総武線の南、国道14号線(千葉街道)の南の方へ行っちゃったら、小さな町工場ばっかりです。

 東京の町工場の集積度でいったら大田区の蒲田周辺なんかと双璧なんじゃないだろうか。

Epsn00332_20190811203501

 もうちょっと先まで行くと、葛飾北斎の生家跡にあるすみだ北斎美術館がある緑町公園があって、そのすぐそばに野見宿禰神社があるんですが、この神社はお相撲の神様で、境内には歴代横綱の名前が初代の明石志賀之助から四十六代朝潮太郎までと、四十七代柏戸剛から七十二代稀勢の里寛までの二つに分かれた歴代横綱石碑に刻まれています。

Epsn00492_20190811203601

 あまりにも暑いので、こんな薄味のレポートでした。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Ryogoku ©tsunoken

2019年8月15日 (木)

おばあちゃんの原宿も、暑さには勝てないようで……

「毎月11日は弁天様の日」ではないが、「毎月4の日はお地蔵様の縁日」、つまり、毎月4日、14日、24日は巣鴨とげぬき地蔵の縁日なのだ。

 縁日の日ともなれば屋台や出店が沢山出て、地蔵通り商店街はそんな屋台や出店でいっぱい。当然、それを目当てにしたお客さんたちで、地蔵通りは満杯になるのが普通なのだ……が。

Epsn00082_20190814165201

 昨日、8月14日も当然「お地蔵様の縁日」だから、相変わらずの屋台・出店の数々、相変わらずの「おばあちゃん」たちの人出、というのを予想したんだけれども、さすがに迫りくる台風10号の影響で時折激しく降る雨や、それが過ぎると激しい暑さという二重パンチで、残念ながらおばあちゃんたちの出足は悪いようだ。

Epsn00112_20190814165201

 おばあちゃんたちの人出もさることなら、むしろ屋台や出店の勢いがとても少ない。

Epsn00122_20190814165201

 普段は地蔵通りの入口、東京六地蔵眞性寺からとげぬき地蔵(高岩寺)までがお好み焼きや焼きそばなんかの、よくあるテキヤの屋台で、そこから先の庚申塚あたりまでは、古着や古物などの世田谷ボロ市で出てくる出店みたいな店が多く出る。

Epsn00152_20190814165301

 テキヤの屋台も少ないし、ボロ市的な古物商の出店に至っては数えるほどしか出ていない。

Epsn00192_20190814165301

 もうちょっと普通の季節の縁日は、もっともっとずっと多い人出で、道をまっすぐに歩くことも難しいほどの人出なんだが、もうスイスイ歩けるほどの空きっぷりなのですね。

Epsn00232_20190814165301

 まあ、毎年8月はこんな天気の日が続く。なおかつ、今年は台風が接近中で、酷暑、時折驟雨っていう天候ではあまり人だが多くないのもしょうがないのだろう。

Epsn00282_20190814165301

 こんな縁日の日もあるんだな。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Sugamo ©tsunoken

2019年8月14日 (水)

毎月11日は弁天様の日

 最初は「大関横丁は何故、大関?」というタイトルでブログを書こうと思ったのだが、なんか、そのきっかけがつかめずに来てしまった、都電荒川線(「東京さくらトラム」っていうのは、なんか恥ずかしい)三ノ輪橋駅であります。

 暑いなあ……。都電に乗った王子駅では32度くらいだったのに、三ノ輪に着いたら35度だもんなあ。

Epsn00062_20190810162601

 でも、そんなことは気にせずに(というか、気にしてたら来れないでしょ)、三ノ輪駅前に展開するジョイフル三ノ輪商店街へ出陣だっ!

Epsn00162_20190810162701

 まあ、相変わらずのジョイフル三ノ輪なんだけれども、なんか少しづつ開いている店が少なくなっているような気がする。

 周辺にショッピングセンターとか大きなスーパーマーケットなんかがある訳でもないのだが、だんだん開いている店が少なくなっているっていうのは、「売り上げが落ちて商売が出来なくなっている」っていうよりは、もう店を継ぐ人がいないので、そのままやめちゃおうか、っていう感じで閉めている店が多いようだ。

Epsn00172_20190810162701

 ところがそんなジョイフル三ノ輪で新規店発見! 

 なんと、「1日1鉄」っていうブログでお馴染みの、鉄道写真家、中井精也氏が『ゆる鉄画廊』というギャラリーをオープンしたらしい。

 たしかに、都電荒川線の三ノ輪橋終点の脇っていうことで、ある種の鉄オタの人たちもたくさん来る場所だし、そこで中井精也氏の「ゆる鉄写真」を買って帰ろうっていう人もいるかもしれない……、って、自分で書きながら、なんか無責任だなあ、だって、同時に「いないかもしれない」っていう風に言っているように聞こえるもんなあ。

Epsn00192_20190810162701

 で、タイトルに「毎月11日は弁天様の日」っていうことを書いた理由なんだけれども、上から二番目の写真の奥にある商店街バナーをそのまま写しただけなんですね。

Epsn00262_20190810162801

 で、その弁天様がここ。

 今はマンションになってしまっているが、昔はここに池があって、その池の真ん中に島があって、島に弁天様が鎮座していたっていうわけ。「池の中の島の弁天様」なので「中島弁天」っていうのが、この弁天様の呼び名。

 で、毎月11日が、その弁天様の縁日だっていうだけのことなんですけれどもね。

 弁天様の縁日だからといっても、別に普段のジョイフル三ノ輪とは変わらないそうです。

Epsn00342_20190810162801

 で、まあ、三ノ輪と言えば「吉原の遊女の投げ込み寺」として知られる浄閑寺です。「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と呼ばれた「新吉原総霊塔」もあって、身許なき遊女たちを弔っています。

Epsn00632_20190810162801

 以前は、この浄閑寺の門前に、あのアラーキーこと荒木経惟氏の実家だった下駄屋があったんだけれども、今や、それもなくなってしまって、なんか訳の分からないビルになっています。

 えっ? ああ、「大関横丁は何故、大関?」って、問題の答えなんだけれども、まあ、「大関さんっていう大名が住んでいたから」という程度にして、今日はごまかしておきます。次に、三ノ輪に来た時にね。詳しくお話します。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Minami Senju ©tsunoken

2019年8月13日 (火)

何故、横須賀に行くのか?

 いやあ「何故、横須賀に行くのか?」って聞かれても、単なるミーハーっていうだけなんですね。

 きっかけは当然、8月7日の電撃的なニュースっていうか、小泉進次郎氏自身が作った首相官邸での電撃的なニュースです。

 青山学院大出身の聡明そうなフリーアナウンサー滝川クリステルさんと、関東学院大学出のやんちゃそうな政治家、小泉進次郎氏の結婚っていう大ニュースなんですけれどもね……。

Dsc_00512_20190812202501

 それで、じゃあそれなら小泉氏の事務所がある横須賀市はどうなっているんだろう、ってな興味というか、小泉事務所自体がどこにあるんだろうっていう興味と、電撃的なニュースから数日過ぎているけれども、現在の小泉事務所はどんな感じなんだろう、っていう、まさにミーちゃんハーちゃんな興味で、はるばる横須賀まで行ってきたわけです。

Dsc_00022_20190812202501

 事務所の場所はすぐに見つかって、京浜急行横須賀中央駅で降りて、横須賀市役所のそばの9階建てくらいのあまり大きくはないビルの3階にありました。

 ただし、行った日は休日のため、人の出入りはありません。

Dsc_00162_20190812202501

 しかしさあ、小泉進次郎氏って若手の歯切れのよい自民党の代議士っていう他に何かあるんだろうか? ってな気にはなっているんですね。確かに言語明瞭ではあるし、我々の耳には分かりやすい言い方で政治を語っています。

 でも、それってオヤジの小泉純一郎氏の「ワン・フレーズ・ポリティクス」に通ずるんじゃないだろうか。

 まあ、オヤジの政治姿勢を見て育ってきた人だから、オヤジと同じような政治家になる、っていうのは分からないわけではない。

Dsc_00222_20190812202501

 でも、小泉純一郎氏の政治姿勢っていうのは、基本的には「ポピュリズム」、つまり分かりやすい政治からは一歩も出ていない政治姿勢だし、とはいうものの、北朝鮮から拉致被害者を手練手管で帰国させてしまった手腕は、本来は総理大臣がやることではない。が、まあ拉致被害者に関しては「結果オーライ」なんで、それでよかったんだけれども、その結果、日朝関係が更に複雑化したことは否めない。

 郵政民営化だって、郵便局をぶっ壊したまではいいけれども、その後のことは何にも考えていなかった、ってのが現在のゆうちょ問題になっているんでしょ。

「自民党をぶっ壊す!」って言っても、もともと「鵺的」な体質の自民党をぶっ壊すことなんかできないんだ。

 小泉進次郎氏の「分かりやすい政策」ってのには敢えて反対はしないけれども、それが「単なるポピュリズム」にならないことを願いたいものだ。政治家ってのは政策を提案・実施するだけではなく、その結果にも責任を持つっていうのが当たり前なんだけれども、日本ではこの結果責任っていうのを問われないっていう問題があるんですね。まあ、選挙っていうのがある以上、責任をとりたくてもとれないっていう問題もあるのかなあ。

 とか言うけどさあ、なんか首相官邸での囲み取材とか、「次期内閣で入閣ありうる」なんて官房長官発言とか、もう完璧に安倍政権に取り込まれているように見せられている、と感じるのは私だけ?

 独身の時はかなり革新的なことを言っていた男が、結婚したら途端に保守的になってしまうってのはよくある話なんだけれども、小泉進次郎氏もそうなっちゃうのかなあ。

 その辺が、ちょっと心配。

Dsc_00272_20190812202601

 で、横須賀って言えばアニメ版『ああっ 女神さまっ』のベルダンディの声でお馴染みの井上喜久子さんの出身地です。

 なので、この「HOTEL Goddess」ってのがいつも気になっちゃうんですよね。

Dsc_00402

 で、海上自衛隊の港に行ってみれば「おおっ! 空母だぜ!」って言っちゃいけないのか、そうです「護衛艦」です。

Dsc_00582_20190812202601

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Yokosuka ©tsunoken

2019年8月12日 (月)

川越・風景写真

 昨日の「デジタル・カラー写真に目覚めた?」っていうブログなんだけれども、どこで撮った写真なのか……? っていうのはすぐにわかっちゃいますよね。そうです、川越です。

Epsn00082_20190809105501

 ということで、今日は普通に川越の風景写真です。

Epsn00112_20190809105501

 川越も暑い! 暑い! しかし、相変わらずの人出です。

 皆、暑くないのかなあ? ってわけはなくて、皆、暑そうに川越の街歩きを楽しんでいます。

Epsn00202_20190809105501

 でも、ヘソ曲がりの私の足は表通りからすぐに裏通りの方へ向かっちゃいます。

Epsn00272_20190809105501

 似顔絵屋さんとか……、ニコンF ¥20,000とか……、どうも自分の好みで歩いていると、中古カメラを売っている店を見ると、そちらに魅かれてしまいます。

Epsn00282_20190809105601

 いやいや、「川越らしい風景」を撮らなくちゃあ、ってことは考えているんですが、気持ちはそうならない。

 なるべく「川越らしくない風景」を求めて歩いてしまうんです。

Epsn00502_20190809105601

 一番「川越らしい風景」ってのが、この川越キリスト教会。

『130余年の歴史がある川越キリスト教会。
 川越市内のレンガ建築の中で一番古いこの建物は、国指定有形文化財になっています。
 川越キリスト教会は、英国系のプロテスタント教会で、その始まりは明治11年(1878)。現在の建物は、明治の川越大火で消失後の大正10年(1921)に再建されたものです。

 建物の設計は立教大学にある「立教学院諸聖徒礼拝堂」も手がけたウイリアム・ウイルソン。立教大学同様にレンガ造りで、ところどころにあしらわれた焼きムラが建物全体を落ち着いた雰囲気にさせています。』

 っていう説明がネットに上がっていました。

 えっ? なんでキリスト教会が川越らしい風景なんだ、って?

 川越らしいじゃないですか。

Epsn00352_20190809105601

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Kawagoe ©tsunoken

2019年8月11日 (日)

デジタル・カラー写真に目覚めた?

 今更ながら、EPSON R-D1sでのカラー撮影が面白くなってきた。

 っていうか、もともとデジタル・カメラはカラー撮影が基本だったわけで、EPSONだろうがNIKONだろうが、普通にカラーで撮っていたんだけれどもね。

 でも、最近はカラーはNIKON Df、モノクロはEPSON R-D1sてな具合に使い分けている。

Epsn00522_20190808211401

 アナログ撮影の場合は、逆にモノクロがどんどん増えて、最近はほとんどモノクロ撮影になっている。ただし、私は自分でフィルム現像はやらない。別にできないわけではないのだけれども、現像液や停止液、定着液の管理が面倒なのと、後始末が面倒くさいので、基本的に現像はラボに出している。

 現像が上がったフィルムをスキャンして、プリントするという作業は自分でやっているので、結果として、自分で受け取る写真に変化はないのだけれども、でも、なんか違うんですよね。

Epsn00092_20190808211401

 アナログの良いところは、とにかく「フィルム」という実体のあるもので保存するということ。

 ほとんどの映画がデジタル製作・上映になってしまっているアメリカでも、最終的な保管はアナログフィルムに戻して、ネガ化してハリウッドの裏山に洞穴を掘って保管しているらしいのだ。結局、OSが変わってしまうと再生不可能になってしまうデジタルデータというものに対する信頼感のなさ、っていうところなんだろうなあ。

 私も、デジタルカメラで撮影していたデータは、実は数年前にハードディスクをブッ飛ばしてしまった時に、ニフティにブログで上げていたものを除いて全部なくなってしまった。まあ、所詮「ブログで上げるものは淡いデータ」なので、消えてもいいんだけれども、ちょっと残念かな。

Epsn00102_20190808211401

 まあ、そういうことなので、基本的に「作品として残したい写真」はアナログで撮影(この場合、カラーもモノクロもあり)して、「ネガ」を残しておく。あとは所詮ブログに使うのがメインなんで、まあ、最後はニフティ頼みにして「ヨロシクね」って感じでしょうか。

 まあ、ニフティが潰れちゃったら、もう何にものこらないですけれどもね。
 ブログ自体が実体(紙媒体など)を通したメディアじゃないので、所詮は「消えていくもの」なんですよね。

Epsn00192_20190808211401

 それはいいんだけれども、この数日、EPSON R-D1sでカラー写真を撮っているんだけれども、う~ん、結構いいんですよね。

 EPSON R-D1sの場合は、基本的にVOIGHTLANDERのCOLOR-SKOPAR 21mmかURTLA WIDE-HELIAR 12mmというレンズを使用しているんだけれども、このレンズの特徴は「周辺光量の不足」っていう問題がある。

 でも、この「周辺光量の不足」っていうレンズ表現を「レンズの問題」として捉えるのか、あるいは「レンズの味」として捉えるのかという、基本的な写真家のスタンスってもんがあるんですね。

 本当は「レンズの問題点」なので報道写真などでは使わないレンズなんだけれども、それを「レンズの味」として考える写真家たちは平気で使ってくる。

Epsn00262_20190808211501

 まあ、それはいいとして、何となく「カラーはNIKON Df」、モノクロは「EPOSN R-D1s」って決めた方がいいかなあ、っていう感じでこれまで、というか最近はやってきたんだが、どうなんだろう。

 実は、「デジタルで撮る写真」は「基本的に広角」、「広角ならばレンジファインダー」ってことで、EPSON R-D1sはモノクロ専用機だと思っていたんだが、いやあ、それはそれで面白い。

 まあ、NIKON Dfのモノクロモードよりはちょっとクセがあるカラーですけれどもね。まあ、モノクロモードの時の「エッジ強調」「コントラスト 強」の設定のままっていうこともある。本当は、その辺はカラー撮影に合わせて設定を変える必要があるんだけれども、そうやって「クセ」をなくしてしまうと、結局、NIKON Dfでよくなっちゃうので、敢えてモノクロモードと同じ設定で撮っているっていう理由もある。

 いやいや、本当は面倒くさいって理由なんですけれどもね。

Epsn00242_20190808211501

 まあ、いずれは再びEPSON R-D1sもモノクロ専用機に戻るんだろうな。

 何故か? まあ、そうやって決めちゃった方がラクだから、っていう以外に理由はありません。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Kawagoe ©tsunoken

2019年8月10日 (土)

中野住宅

 中央総武線の中野駅ホームからも見える中野駅の前にあるのが、東京都住宅供給公社(現・JKK東京)の中野住宅がある。

 この中野住宅が解体されて、高層マンションや商業ビルなどになって、中野駅南口の新たなメルクマールとなるようだ。

Dsc_00092_20190807225801

 この中野住宅が出来たのは1951年の時。私と同じ歳なので、既に竣工から68年も経っているわけだ。そりゃあ老朽化もするわけだよなあ。

 って、自分のことを言っているのか?

Dsc_00162_20190807225801

 中野駅の周辺は戦後いくつもの闇市が出来て賑わっていたようだ。空襲で大きな被害を受け、半分が焼けた中野区だったが、終戦後には疎開先や戦地から戻った人であふれ返るようになる。
 終戦の時点で10万人を切っていた人口は、10年で一気に3倍近くにまで急増し、食料も、建材となる物資も、完全に不足していた世の中。

Dsc_00282_20190807225901

 そんな中で、中野住宅が出来た頃のことが1951年に出た中野区史の別冊『中野区の新らしい歩み』に記されているらしい。
「建築費高騰のため民間の貸家建築絶無の現状にあっては、住宅難にあえぐ人々は依然として萬一を期待して、都営住宅の抽選を申込むほかはないのである。」
 しかし肝心の都営住宅も、用地の確保に困難を極め、抽選は100倍を超えることもあったという激しい競争率。
 親戚の家などに身を寄せ、わずか3帖に家族5人で暮らすなど、悲惨な状態で人々が暮らしていたという記録が残っているらしい。
 そんな中、闇市を一掃して整備された駅前広場と、その隣に建てられた中野住宅が木造の町並みから頭一つ抜き出る姿は、戦後復興のシンボル的な存在に映ったのではないかと想像される。

Dsc_00272_20190807225901

 そんな中野住宅も齢68年を重ね、すっかり老朽化してしまっている。

 今や中野と言えば北口の中野ブロードウェイや中野サンプラザが中野のメルクマールとなってるが、それにとって代わるような中野の象徴となるようなビルを目指しているようだ。

 既に来年3月の着工を控えてほとんどの住民は退去をしてしまい、今や解体を待つだけの状態になっている。

「鉄筋コンクリート造は100年持つ」なんてことが昔は言われていたんだけれども、結局、50年位しか持たないってことが分かって、各地のマンション建て替えが話題になっているんだけれども、まあ、結局そういうことになるんだろうなあ。でも、じゃあヨーロッパなんかの(鉄筋が入っていない)石造りの建物が既に数百年も持っているっていうのは、何故なんだろう。

Dsc_00242_20190807225901

 ということは、まあ、いいとして……。

 出来上がりはA棟B棟の二つ、地上37階/地下2階、高さ150mという、巨大なビルで完成予定は2024年2月29日。

Dsc_00322_20190807230001

 中野も今や北口が中野の象徴となっているが、今後は南口の方の発展にどれほどこのビルが寄与できるのか……、っていうのが気になりますね。

Dsc_00362_20190807230001

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Nakano ©tsunoken

2019年8月 9日 (金)

日吉から武蔵小杉へ

 東京メトロ南北線で終点まで行く。東横線の日吉駅である。

 日吉と言えば慶應大学の駅のようなんだが、実は日本大学高校の駅でもある。ただし、日吉の高台にあるのが慶應で、山の下にあるのが日本大学っていうのが、どこか両大学の立ち位置を連想させて面白い。

 なお、日吉駅には2022~2023年に相鉄線が乗り入れることが決まっており、そうなると東横線から東海道新幹線の新横浜駅にも直結して、ますます日吉駅の存在感は上がってくるだろう。

Epsn00032_20190805212801

 で、慶應大学がある日吉駅南口の駅前を走るのが綱島街道。

 日吉駅を綱島街道側に出て左を見ると、遠くに武蔵小杉のタワーマンション群が見えます。さすがに日吉は山の上だなあ。

Epsn00052_20190805212801

 さて、日吉から武蔵小杉まで歩こうか。

 日吉の山の上から下り坂を降りて一番下がったところにあるのが、矢上川。横浜市港北区と川崎市中原区の境目がこの川なのであります。

Epsn00112_20190805212901

 横浜市港北区までは結構アップダウンがあった綱島街道なんだけれども、川崎市に入っちゃうともう完全にフラット・ロードですね。

Epsn00162_20190805212901

 まあ、フラットな道になってしまえば、道路の構造的な面白みはなくなってしまうので、道路周辺の雰囲気なんかを気にしながら歩きます。

 日吉からひと駅東京側にあるのが元住吉駅なんだが、もともとはこの駅は現・東京メトロ日比谷線の東横線側の終点駅だった。

 当時、東武伊勢崎線沿線住民だった私にとっては「(イナカ電車の)東武線が、(ハイソな)東横線につながる」っていうだけで、結構、興奮できたもんだかれども、結局「東横線も横浜まで行けばハイソ」なんだけれども、それ以外は別にねえ、田園調布を別にしちゃえば、普通のローカル線でしょ、ってなわけであります。

 勿論、東横線には田園調布以外にも自由が丘とか、学芸大学前、都立大学っていう駅があって、何となく「東横線はハイソな街を繋ぐ路線」だっていうはあるんだけれども、まあ神奈川県に限って言ってしまえば、所詮は「田舎だ」ってことなんですね。

 まあ、武蔵小杉だって昔は電機関係の工場地帯だったわけだしね。

Epsn00252_20190805212901

 ということで、歩みは川崎市中原平和公園へ行きあたるんです。

Epsn00362_20190805212901

 中原平和記念公園は、以前は米軍施設だったところが返還されて学校と公園になったっていう背景があるので、いやいや、どうしても「平和」っていう言葉を入れたかったのかもね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Hiyoshi & Musashi Kosugi ©tsunoken

2019年8月 8日 (木)

「ド根性ヒマワリ」って、何だ?

 地元ネタで申し訳ない。

 JR駒込駅北口の駅前には、まあ地元なので染井吉野桜記念公園があるんだが、その公園の隣に駅前交番があって、毎年、その交番の脇に毎年夏になると見事な向日葵が咲くんですね。まあ、多分、交番のお巡りさんが育てているんだろうけれどもね。

 その向日葵の名前が「ど根性ヒマワリ」というのだ。

Epsn00062_20190807172301

 なぜ、「ど根性ヒマワリ」なのか? 説明のプレートが下がっているので見てみよう。

Epsn00052_20190807172301

『東日本大震災の際、津波で甚大な被害を受けた宮城県石巻市で、2011年6月のこと。市内にある「がんばろう! 石巻」の看板の脇に流れ着いた1つのヒマワリの種が、がれきをかき分けるように芽を出しているのが見つかった。2ケ月後、ヒマワリは逆境に負けずに花を咲かせた。
”奇跡の花”は「ど根性ヒマワリ」と名付けられた。
被災者には「どうか、お元気で」、支援者には「いつまでも忘れないで」との思いを込めて…。

 令和元年 今年で9世となります。』

Epsn00082_20190807172301

 石巻市に「頑張ろう 石巻の会」というのがあって、そこで全国に東日本大震災のことを忘れ去ることのないようにと、無料で配布しているらしい。

Epsn00102_20190807172301

 頑張ろう 石巻の会のサイトには……

『『ど根性ひまわりへの思い』

ど根性ひまわりの使命は未来の
自然災害で犠牲者を出さないことです。
ど根性ひまわりに勇気をもらった一人として
育てて頂くことに感謝いたします。

このど根性ひまわりが次の世代につながり、
50世100世になった時
その種を育てた未来の子供たちが
東日本大震災のこと自然災害のことを話すきっかけとなり、
今後来るであろう大規模な自然災害への警鐘になれば幸いです。
力つよく育つこと楽しみにしています。』

Epsn00132_20190807172401

 ふ~ん、こんなところにも東日本大震災にからむものがあったんだなあ。

 今年で9世なので、50世100世って相当先の話なのだが、まあ、流行り廃りで終わらせてはいけない記憶ではあるのは確かだ。

Epsn00172_20190807172401

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Komagome ©tsunoken

 

2019年8月 7日 (水)

赤羽駅西口は坂の街

 赤羽駅は東口を出ると「せんべろ飲み屋街」でいろいろ写真を撮れるんだけれども、西口もいろいろ面白い町ではあります。

Epsn00142_20190805100201

 赤羽は武蔵野台地の東の果て、多摩丘陵が荒川でもって断ち切られた場所にあるので、赤羽駅西口に出ると急峻な坂道と、台地の上と下の町を結ぶ結界の街でもあるのです。

Epsn00162_20190805100201

 丘陵地帯が川でもって断ち切られている場所というのは、逆に言うと戦国の砦としては恰好の場所ということで、駅から一番近いところにある歴史的な場所としては、この稲付城跡がある。

 稲付城は太田道灌が作った砦であったらしく、今でもその城址に登ってみると、台地の上から荒川をバックにした平地が見渡せます。

 現在は「静勝寺」というお寺になっており、この石段を登った先には遺跡調査で出土した石なんかが置かれているんだが、それがどんな石なのかは分かりません。ただし、「結界」の上がお寺というのは全く正しい配置だ。古来、寺社仏閣っていうのは坂の上にあるもので、なるほどそれが「結界」っていうものなんだなあ。

Epsn00182_20190805100201

 静勝寺を出たら、あとはなるべく坂を降りないようにしてご近所をウロウロ。坂を降りて谷底に降りちゃうと、再びまた坂道を上がらなければならなくなっちゃうからね。とにかく、このクソ暑い天気の中、坂道をエッチラオッチラ上るのはしんどいです。

 すると様々な場所に「〇〇坂」という名前の坂があるんだが、まあ、どれもそれほど意味がある坂とは言えないのかなあ。まあ、麻布の「暗闇坂」も別に意味はないもんなあ。単に木が鬱蒼と生い茂っていて「暗闇みたい」っていうのが、その命名なんだもんなあ。

Epsn00272_20190805100301

 ということで、「三日月亭という茶店があったから三日月坂」とか「谷底に水車があったから水車の坂」なんてのがあるんだが……。

Epsn00342_20190805100301

 いやいやいや、ありました「野間坂」です。

Epsn00362_20190805100301

 えっ? 「野間坂」ってなんだ?

『この坂道の名前は、大正・昭和初期に活躍した出版事業家で、講談社の創立者でもある野間清治氏(一八七八~一九三八)の旧別邸前の坂道だったところから由来しています。現在、野間氏の旧別邸跡地は北区立稲付公園となっており、区民の憩の場として親しまれています。』

 という説明板が置かれている。

 これまた単純。

Epsn00412_20190805100401

 う~ん、いかにも野間さんの別邸だったらしい広さはある公園なんだが、この暑さじゃあ「憩いの場」とする北区民は誰もいないのだ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Nishi Akabane ©tsunoken

2019年8月 6日 (火)

暑い日の夜には

 先週の土曜日は(も)暑かった。

Epsn00062_20190804231101

 あんまり暑かったので「いつもの散歩コース」を東大本郷キャンパスまで行こうと思ったんだけれども、なんか挫折しちゃって、途中で秋葉原駅前行のバスが来たんで乗ってしまった。

 いやあ、エアコンが効いているバスの中は気持ちがいい~~~~。

Epsn00092_20190804231101

 そんなことやっていたら、運動にならないじゃないか、ってバスに乗ってから気が付いたんだが、既に遅し、乗っちゃったらしょうがないよね。

Epsn00152_20190804231101

 で、東大で一休みしてから周囲をほんの少しだけ歩いたんだが、まあ、そんなものではほとんど運動にはなりません。

Epsn00182_20190804231201

 まあ、「今日は夜にも予定が入っているので、まあ、いいか」なんて、簡単に自分を許す意志薄弱さ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Hon Komagome & Hongo ©tsunoken

Dsc_01782

 これがそれ。

 わがマンションでは管理組合の下部組織として親睦会というのがあって、町会のお祭りやらに参加したり、管理組合の総会後や新年会などの懇親会などをやっているんだが、その親睦会で毎年7月最終土曜日は隅田川、8月第一土曜日は戸田橋の花火をマンション屋上から観る会というのを開催している。

 管理組合の理事長をやっている時からの流れで、一時は親睦会長として幹事をやっていたんだが、幹事役を降りた後もいろいろ手伝っているのであります。

Dsc_01022

 こんなことやっているマンション管理組合ってのも珍しいよね。

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f2.8-4 D @Hon Komagome ©tsunoken

2019年8月 5日 (月)

大田区・呑川河口を往く

 大田区を象徴する川といえば呑川なんだけれども、その源流は世田谷区の桜新町あたりらしい。

 ただし、基本的にその辺りでは暗渠化されており、地上にその姿を現すのは東急目黒線の大岡山の東京工業大学の裏辺りから……、っていうことなので、基本的に「呑川は大田区を象徴する川」となったわけなのである。

 ということなので、『大田区(を象徴する川)・呑川河口を往く』というブログ・タイトルになったというわけ。

 ということで、今回のスタートは京浜急行の京急蒲田駅から。まあ、それまでの東工大周辺やらJR蒲田駅周辺は既に取材してしまったのでね。

 で、スタートは京急蒲田駅下の弾正橋からです。「弾正」という職名については各自調べてください。まあ、要は中世の支配階級の一つだったと……。

Epsn00092_20190802201201

 弾正橋を越えて国道15号線を渡ると「呑川緑地」「呑川河口2.5km」なんて表示説明板があるんだけれども、実は『川辺の「緑地」』なんてものはなくて、ただただ川辺の普通の道があるだけなのだ。まあ、たまに公園なんかはあるんですがね。「緑道」ではありません。

Epsn00122_20190802201201

 まあ、都会の川の両側に拡がる「よくある風景」ですね。

 しかし、こうした河辺の家々は、例えば地震とか津波とかについて、どんな対策を行っているんだろうか。なんにも起きていないときには、河辺の家ということで、少しは河辺の風向きなんかもあったりして気持ちが良いことともあるんだろうけれどもね。

Epsn00172_20190802201201

 国道15号線からしばらく歩くと産業通りが渡る呑川新橋を渡ります。

Epsn00252_20190802213701

 この「呑川新橋」は、あの『シン・ゴジラ』で、ゴジラが羽田空港から呑川を遡上する時にぶっ壊していった橋ですよね。一種の「聖地巡礼」。

 さらに呑川を下っていくと、呑川の南側に「北前堀緑地」という、昔は北前堀という運河があった場所に出来ている公園があって、そこに「糀谷浦海苔漁業発之地」という碑がある。

 えっ? 読めないって? う~ん、確かに。でもよく見ればそんな風に書いてあるような……。

Epsn00382_20190802201301

 なあんてことを言ているうちに、「呑川河口」です。

 呑川河口は海に面しているわけではなく、海老取川に面していて、その向こうに羽田空港がある、っていう感じなんですね。

Epsn00462_20190802201301

 実はこの「呑川河口」は正式には「新呑川河口」と言われていて、実は本当の「呑川河口」はもうちょっと北、同じ海老取川でも昭和島の前に出る形で河口があるのです。

 つまり、大田区立東蒲中学校のあたりで、元々の呑川は再び暗渠になって、開渠の新呑川とは分かれて地下に別の流れを作っていて、それが昭和島の前で「本当の呑川河口」になっている、っていうわけ。

 うむむ、なかなか難しい東京の人工河川事情だ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Koujiya & Omori ©tsunoken

2019年8月 4日 (日)

足利学校の謎

 栃木県の足利市って遠いようだが、意外と近くて、北千住駅から東武伊勢崎線特急「りょうもう」で1時間ちょっとでついてしまう。

 ただし、足利市の中心部にあるJR両毛線足利駅と、東武線の足利市駅とはかなり離れており、東武線の駅から足利市の中心部まで行くには、渡良瀬川を渡って行かなければならない。

Dsc_00102_20190801200301

 で、足利市の中心部に行くとすぐにあるのが、国指定史跡「足利學校」なのであります。学校の内外にはそこら中に孔子様の像が建っているので、すぐにわかる。

Dsc_00222_20190801223501

 足利學校とは何か?

『足利学校の創建については、奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁説、鎌倉時代の足利義兼説などがありますが、歴史が明らかになるのは、上杉憲実(室町時代)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、庠主(学長)制度を設けるなどして学校を再興したことからです。
 鎌倉建長寺住持の、玉隠永璵は、長享元(一四八七)年の詩文の中で「足利の学校には諸国から学徒が集り学問に励み、それに感化されて、野山に働く人々も漢詩を口ずさみつつ仕事にいそしみ、足利はまことに風雅の一都会である」と賛美しております。
 また天文十八(一五四九)年にはフランシスコ=ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介され「学徒三千」といわれるほどになりました。』

 というのが、学校の説明書き。しかし、「学徒三千」って、当時からすればかなりの「マンモス大学」ですよね。

 江戸時代になって、各藩が「藩校」を作って、その藩独自の価値観を植え付けるための若手武士教育を行ったんだけれども、そうした藩校とは異なって、中国の古典を基本に学ぶ学校を作ったってのは、う~ん、足利氏もなかなかの教養人だったんでしょうなあ。

Dsc_00382

 足利學校が特徴的なのは……

『上杉憲実は1447年(文安4年)に足利荘及び足利学校に対して3か条の規定を定めた。この中で足利学校で教えるべき学問は三註・四書・六経・列子・荘子・史記・文選のみと限定し、仏教の経典の事は叢林や寺院で学ぶべきであると述べており、教員は禅僧などの僧侶であったものの、教育内容から仏教色を排したところに特徴がある。従って、教育の中心は儒学であったが、快元が『易経』のみならず実際の易学にも精通していたことから、易学を学ぶために足利学校を訪れる者が多く、また兵学、医学なども教えた。』(Wikipedia)

 ということ。

 まあ、要は実学中心のまさしく「大学らしい学校」っていうことだったのだろう。

 ポイントは河内源氏の出であった源義家(八幡太郎義家)の四男・源義国が下野国足利荘領として足利式部大夫を名乗り、その八代目足利尊氏が、まさしく室町幕府を開いた人であるということ。遥か京都から離れた東国の武士が幕府を開いた稀有な例がの出自がまさしく「足利」という地にあったんだなあ。

Dsc_00492_20190801200401

 で、なんとなくその辺と関係ありそうなのが、この足利學校の作りなんだが……。

 何故、学校に土塁や堀が必要だったんだろう。これは城の作りじゃないのだろうか?

 ちょっと不思議な気分になる。

 まあ、そのぐらい「剣呑」な時代だったってことなんでしょうかねえ。

Dsc_00672

 足利學校に入るにはこの「足利学校入学証」をとらなければならない、ってウソウソ。参観料を払えば誰でも貰えます。

Dsc_00272_20190801200401

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Ashikaga ©tsunoken

2019年8月 3日 (土)

これでも「横浜写真」

 横浜も暑い! でも、暑いんだが、何故か風が涼しい。多分、海が近いんで浜風が吹いているせいかもしれない。

 なんてことを言えるのも、同じ横浜市でも中区とか西区だけだろう。港や有無と関係のない、その他の横浜市の各区は、結局、暑い中で過ごしているんだろうな。

 いやいや、大変なこってす。

Epsn00212_20190731204401

 と言いながらも、「何で、これが横浜写真なんだ!」って言われそうですね。

Epsn00062_20190731204401

 一番下の写真以外は、別に横浜じゃなくてもどこでも撮れる写真です。

 あ、いや、下から二番目も横浜らしい写真かな。

Epsn00102_20190731204501

 まあ、でも結局街中の風景写真なんてものは、基本的にどこの街でも似たようなものなのである。

Epsn00242_20190731204501

 特に、東京とおなじような発展過程にある都市なんてものは基本的に同じような風景が広がっているだけなのだ。

Epsn00282_20190731204501

 結局、全国の都市がすべて「東京」を目指しているという、この国特有の現象を目の当たりにしていると、日本全国同じような「風景」になってしまっていること自体は、なんの不思議もない。

Epsn00182_20190731204901

 つまり「銀座写真」「浅草写真」や「横浜写真」なんてものはないのだ、ってことなんでしょうね。

 私自身「銀座らしい風景」「浅草らしい風景」や「横浜らしい風景」というものを目指して撮影しているわけでもなくて、むしろ、「どこにでもある風景」を目指しているわけなのであるけれども、でも、そこに醸し出される、「その街らしさ」というものを求めているようなところがある。

 どこまでそれは成功しているんだろうか。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Yokohama ©tsunoken

 

2019年8月 2日 (金)

品川・点景

 ニコンミュージアムで『ニコンF発売60周年記念展示「Fヒストリー」』を見た後は、暑っついけど、まあ、そこはおして、品川から田町まで歩いた。

Dsc_00292_20190730170901

 ニコンの社内はエアコンがきいているので「超涼し~い」んで、そのまま面倒くさいから、このまま品川から電車に乗って帰っちゃおうか、なんてことも考えたんだけれども、いやいやここは「毎日2時間・10,000歩」ってのを守らなければね、ってことで敢えて品川から田町まで歩いたのだった。

Dsc_00092_20190730170901

 品川と言えば、箱根駅伝でお馴染みの新八ツ山橋なんだけれども、品川から高輪・五反田に至る場所が八ツ山という場所なので、新八ツ山橋自体も「八ツ山」とは関係のないところに作られた橋なのだ。まあ、「八ツ山のあたり」ってことでしょうか。

 ところが、ニコン本社がある品川インターシティの裏側にある公園が豊川稲荷なんかもある「東八ツ山公園」っていうなんですね。でも、この公園の住所っていうのが東京都品川区北品川1-15-11、港区港南2-8-8ってことで、なんかまったく八ツ山とは関係のないところなんですけどね。

Dsc_00422_20190730170901

 ってなことで、毎度、品川駅の港南口で出ている出店の中を通って、高輪口を出て国道15号線を行きます。

Dsc_00072_20190730170901

 おお、だんだん「高輪ゲートシティ駅(笑)」も形を表してきたなあ。

Dsc_00482_20190730171001

 なんてことを考えながら歩いていると……、道の反対側に……

Dsc_00462_20190730171001

「高輪海岸の石垣石」発見。

 って、何か意味があるのか?

 説明板には……
『ここに展示されている石は、江戸時代に、高輪海岸に沿って造られた石垣に用いられたものです。
 平成7年(1995)、高輪二丁目20番の区有施設建設用地内の遺跡の発掘調査で出土しました。
 石垣には、主に相模湾岸から伊豆半島周辺で採石された安山岩が用いられました。
 発掘調査では3段の石積みを確認しましたが、最上段は江戸時代の終わり頃に積みなおされたものと考えられます。正面の小ぶりの石が積み直されたものです。3段目から下の石垣は現地でそのまま保存されています。』

Dsc_00502_20190730171001

 う~ん、だからどうなのよ? 高輪海岸ってどの辺? っていう疑問を呈したところで今日のブログはオシマイ。

 いつも中途半端だなあ。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Shinagawa Takanawa & Mita ©tsunoken

2019年8月 1日 (木)

東京周縁部を往く・京王閣・品川通り・若宮神社

 京王線を調布から先、橋本の方へ行く相模原線の最初の駅が京王多摩川駅なんだが、まあ、普段はあまり人が乗り降りする駅でもないようで、とくに南口なんかは京王閣競輪(東京オーバル京王閣)が開催されていないときは、駅の出口も閉鎖されているような状況であります。

 最初は、ここ京王閣から多摩川沿いを歩いて「ボートレース多摩川」「東京競馬場」をまとめて「ギャンブルの街、調布、府中」ってな記事に仕立て上げる予定だったんだが、思ったほどには京王閣と府中競馬場が遠かった、ってこともあってちょっと文章の方向も転換。

 実は、京王閣っていうと我々は「京王閣競輪」って結びついちゃうんだけれども、最初はそうじゃなくて昭和2年(1927)に遊園地というか、今でいうテーマパークとしてできたものらしい。『園内には総大理石貼りの大浴場(ローマ風呂)、和洋食のメニューが多彩な大食堂やカフェ、ビリヤード場などの各種遊戯施設を完備した鉄筋3階建ての本館が建っていた。屋外には当時はまだ珍しかったメリーゴーラウンド、豆汽車、ウォーターパークなどがあり、レヴューを行う演芸場も備えていた。』(Wikipedia)というのだから、当時としては結構大きなレジャー施設だったんだろう。

 昭和9年(1934)に日活撮影所ができ、昭和42年には大映撮影所(現・角川大映撮影所)が出来て、京王閣とこれら撮影所を結んで、アメリカ・カリフォルニアのロサンジェルスに例えて、「日本のロス」にしようという構想もあったようで(その残滓が今でも調布駅周辺に沢山残っている)、まあ、しかしそうはならずに、そのまま盛り上がりは消滅して、結局、戦後、昭和24年(1949)に京王閣は競輪場として復活したのだった。

 というのが、京王閣の短い歴史講座……。

Dsc_00122_20190730164301

 で、普段は閉鎖されている東京オーバル京王閣の門前をそのまま歩いていくと、多摩川堤に出ます。

Dsc_00202_20190730164301

 ここが鶴川街道の多摩川原橋交差点。このまま行けば川崎市多摩区、よみうりランドの方に行きます。う~ん、そうか。京王閣構想はよみうりランドになって結実したんだな。

 で、多摩川を背中にしょって鶴川街道を往くと、「品川通り」という、なんかムクムクと好奇心が湧く通りの名前が出てくるではないですか。

Dsc_00272_20190730164301

 なんで「調布で品川」っていうのが気になりますね。あの「品川」ですよ。

 調べてみると、この品川通りって昔は甲州街道の一部として使われていた時期があるそうだ。

 ってことは、そのある部分が甲州街道から江戸に至り、そのまま品川宿(東海道)につながっていたっていう、理屈はあるなあ。

Dsc_00282_20190730164401

 で、その品川宿が「品川通り」と「旧品川道」に分かれる「追分」がここ。

Dsc_00302_20190730164401

 こんなにはっきりした追分もあまりないんだけれども、入って行った旧品川道は、現在の品川街道の完全な裏道になってしまっており、住宅が並んでいるだけの、面白くもなんともない道なのであった。

Dsc_00322_20190730164401

 で、品川街道の方に戻ってくれば、すぐさまこんな若宮神社なんてのがあるんですね。普通は旧道の方にこうした古神社はあるんだが、何か、意味があってこの場所に創建されたんだろう。

「若宮八幡」なので仁徳天皇に関する由緒のある神社なんだが、ああ、そうだ近藤勇って調布の生まれだったよな。ってなところから……

『江戸の頃、この辺りは武州多摩郡上石原村といい、近藤勇生家(宮川家)も同じ村内の氏子でした。当神社は、応神天皇の皇子仁徳天皇を祭神とするもので若宮八幡と呼ばれ、近藤勇が生まれた上石原村の鎮守様として人々に親しまれています。慶應四年、甲陽鎮撫隊を率いて上石原村に到着した近藤勇は、この神社の方向に拝礼し戦勝を祈願したと言われています。

 平成十六年一月吉日
           近藤勇生誕の地実行員会』

Dsc_00502_20190730164401

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Chofu ©tsunoken

« 2019年7月 | トップページ | 2019年9月 »