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2019年7月17日 (水)

本木ラビリンス

 私が育った足立区関原ってどういうところなのか?

『荒川放水路の土手の北側、足立区を南北に貫く尾竹橋通りに東に位置する。古くから市街地が形成されたために細く入り組んだ路地が多く、住宅地や商店が軒を連ねる下町である。隣接する地域は北は西新井栄町、東は梅田、南は一級河川荒川放水路を挟んで対岸に千住元町、西は本木及び西新井本町。』(Wikipedia)

 という場所。

Epsn00123

 ただし、この「関原」という地名は昔からそうだったわけではない。

『1970年(昭和45年)に住居表示を実施した際に、現在の関原二丁目に所在する関原不動院大聖寺にちなんで命名されたことに始まる。』(Wikipedia)とある通り、1970年に住居表示が変更になった際に、以前の「本木町」から「関原」になった。

Epsn00133

 ただし、まだ依然と同じ「本木」という住居表示の地区が、尾竹橋通りの西側に残っており、以前から変わらない「本木町」と、新たに「関原町になった本木町」がある訳である。

 ということなので、ここではそれらを一括して「本木」と呼んでいる。

Epsn00243

『古くから市街地が形成されたために細く入り組んだ路地が多く』と冒頭で引用したように、表通りの商店街(「関原通り」という)も、そしてその道と裏通りを繋ぐ細かい道も、みな微妙に入り組んでいたり、正確な十字路ではない斜めになった角なども多い。

Epsn00463

 アルジェのカスバほどではないが、それらのクネクネした裏道を知っているかどうかで、この町に住む便利さが異なってくる。

 ところが、そこに尾竹橋通りというまっすぐな道が出来たのはいつ頃のことだったろうか。
 それ以降に出来た、そして現在も出来つつある新しい道路はすべてまっすぐに、ちょうど尾竹橋通りを背骨にした、肋骨のような形で繋がっている。

Epsn00513

 ところが面白いもので、そうやってまっすぐな道が出来て分かりやすくなったようなんだが、実はそうしたまっすぐな道を進んでいった先がどこに出るのかは、その場所まで行ってみないことには分からないのだ。

 私などは、昔のクネクネした裏道を知っているので、この町を歩くのに道に迷ったりはせずに目的地まで辿り着くことが出来る。

 まるでそれは『アルジェの戦い』のゲリラみたいなもんである。

Epsn00503_20190716141401

 なので、私はこの地域のクネクネした道を総称して「本木ラビリンス」と呼ぶのである。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Sekibara & Motoki Adachi ©tsunoken

 

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コメント

本木の住人です。古紙回収業が盛んだったころは、パチンコ店もあって繁盛していたそうです。
今の扇あたりの、本木5丁目まであったそうで、本木町という町名が古い地図に残っています。本木町4丁目都営住宅などの古い表記も見かけます。荒川の堤防になったあたりは、本木町3丁目だったようです。
古くから市街化していたところもあるかと思うと、裏に行くと畑、蓮田、田んぼも残っていて、のどかで気に入っています。興野の方も裏道が曲がりくねっているところが多いですね。立派な生け垣のお屋敷も見かけます。
尾竹橋通りは、環七まで開通したのは、意外と早かったみたいです。尾久橋通りは、私が子供の頃には、扇大橋で止まっていました。陸の孤島と言われていたそうですね。

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