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2019年7月

2019年7月31日 (水)

旧東海道・神奈川宿から保土ヶ谷宿へ

 JR東神奈川駅から山沿いに歩いて、反町から青木橋経由で旧東海道に至り、坂本竜馬の未亡人おりょうが仲居をしていたことで知られる田中屋までは以前ご紹介したことはあるんだが、それも切通しの上にかかる上台橋までで終わっていた。

2_20190729164501©Hiroshige Ando

 以前、旧日光街道(奥羽街道)を千住から小山辺りまでを歩いて紹介したことがあるんだが、それと同じようなことを旧東海道でやろうとは思わない。以前、サラリーマンをやっていた頃は、毎週末に前週に行った先の駅で降りて再び歩き始めるという繰り返しになんか「ヤル気」が起きたんだが、現在は別に毎日歩こうと思えば歩けるので、じゃあ、本気で旧街道踏破をしようか……、っていう風にはならないんですね。なんか、やればできちゃうっていうのが、なんか「ヤル気を削ぐ」っていう理由になるんですね。

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 で、その田中屋がある旧街道をまっすぐ来ると東横線の反町駅から横浜駅西口へ至る道を渡る陸橋、上台橋になる。

 その上台橋のたもとに『神奈川宿歴史の道』という碑がある。

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『◉神奈川宿歴史の道
 東海道五十三次の日本橋よりかぞえて三番目が神奈川宿である。この地名が県名や区名の由来であり、またここが近代都市横浜の母体でもあった。上図は、江戸後期に幕府の道中奉行が作った「東海道分間延絵図」である。図中央に滝ノ橋、この橋の右側に神奈川本陣、左側に青木本陣が描かれている。右端は江戸側からの入口で長延寺が描かれ、左寄りの街道が折れ曲がったあたりが台町である。この上台橋は左端に当たる。台町の崖下には神奈川湊が広がっている。
 かつてこの上台橋のあたりは、潮騒の聞こえる海辺の道であった。切り通しの道路ができるとともに、昭和五年ここに陸橋が架けられた。
 この神奈川が一躍有名になったのは安政元年(一八五四)の神奈川条約締結の舞台となってからである。その四年後に結ばれた日米修好通商条約では神奈川が開港場と決められた。開港当時、この図に見られる多くの寺が諸外国の領事館などに充てられた。

 神奈川宿歴史の道はほぼこの図の範囲を対象とし、上台橋から神奈川通公園に至るおよそ四キロの道のりとなっている。』

 ということで、途中「軽井沢」とか「浅間」とかなんか遠い場所に行ったような気がしたまま、横浜市環状1号線と並行して走る旧東海道を歩いているんだが、それが「横浜天王寺駅の松原商店街」を取材した時に感じた「もしかしたらここは旧東海道?」の答えだったのだ。

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 八王子道と東海道の追分がある松原商店街こそは旧東海道だったんですね。

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 まあ、最寄りの相鉄線天王寺駅からは旧東海道は横浜環状1号線に一体化してすぐに保土ヶ谷宿に着きます。

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 しかし、この「街道歩き」もちょっと警戒しなければ、嵌っちゃいそうで危険だな。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Nishi Ward Yokohama ©tsunoken

 

2019年7月30日 (火)

ニコンF用アクセサリーシューカバーっていう矛盾……は、どうでもいいか

 ニコンが現在に続く一眼レフFシリーズを最初に発売してから60年ということで、品川のニコンミュージアムで「Fひと桁シリーズ」の特別展示を行っている。

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『ニコンミュージアムでは、ニコン初のレンズ交換式一眼レフカメラ「ニコンF」発売60周年を記念して、2019年5月7日から2020年3月下旬まで、記念展示「Fヒストリー」を実施しています。
ニコン(当時:日本光学工業)が1959年に発売した「ニコンF」は、プロ、アマチュアを問わず世界中の写真家から愛用されたフィルム一眼レフカメラであり、最も有名な機種のひとつです。また、同機に採用されたレンズマウント「ニコンFマウント」も、最新のニコンデジタル一眼レフカメラに至るまで60年間にわたり継承され、ニコンの信頼や伝統のシンボルとなっています。
本展示では、1959年発売の「ニコンF」から、2004年発売で現在も販売中の「F6」まで、Fひと桁シリーズ一眼レフカメラ27機種を展示。ニコン一眼レフカメラの進化をご覧いただけます。』

 というのがその惹句。

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 ニコンFに始まって、歴代のひと桁ニコンFが展示されていて、それはみな空シャッターを切れるようになっている。っていうことはすべて完動品だっていうこと。

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 さすがにニコン! って言いたいところだけれども、別に私がそんなことを言わなくたって、ニコンの技術者にとっては別に完動品を残していくことは難しいことではないだろう。っていうか、多分、このウィンドウに、普段はガラスの向こうに展示されているすべてのカメラが完動品なんだろう。パーツなんかも、なくなる度に作っているんだろうなあ。

 っていうことで、左上から時計回りで最新型のF6まで27機種のニコンFひと桁シリーズがすべて展示されている。

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 が、実はそんなことは私にとってはどうでも良いことで、問題はミュージアムショップでのお買い物のほうだったのだ。

 要は「ニコンF発売60周年記念ミュージアムグッズ」が私のお目当てだったのだ。

「ニコンF発売60周年記念ミュージアムグッズ」は「ニコンF発売60周年記念幅広ストラップ」(完売)、「アクセサリーシューカバー」「ニコン一口ようかん新味 記念パッケージ」の三種類。

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 一口ようかんはご覧の通りの「ニコンF特別パッケージ」であります。

 で、おかしいのが「アクセサリーシューカバー」なんだが、さすがに「ニコンF用特別アクセサリーシューカバー」とは言っていない。

 っていうか、ニコンFにはアクセサリーシューっていうのがついていないんですね。アクセサリーシューもないのに何でアクセサリーシューカバーなんだ、っていうのが良く分からないのだけれども、まあ、そんなことはいいか、っていうことで……。

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 私のニコンDfに早速装着しています。

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 うん、なんか、カッコいいな。Dfの標準装備のものよりいいな。

 ニコンミュージアムは品川インターシティC棟、お休みは日曜祝日と8月11日から14日まで。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @NIKON MUSEUM Shinagawa ©tsunoken

2019年7月29日 (月)

ツールドフランスが終わっても、私は浅草から浅草橋へ

 ツール・ド・フランスは昨日終わったわけだけれども、どうにもね、今年こそはジュリアン・アラフィリップ(クィックステップ/フランス)が勝ちそうだぞ、ってな感じでフランス人の期待を集めたんだけれども、なかなかそれも、難しいようで……。

 おまけに、滝川常務も、なんだラグビー好きなんじゃないの? ってな感じなんですけれども。

 で、話は変わって、いつもの浅草写真です。

 浅草から浅草橋までは国道6号線(水戸街道)を往くことになる。

 浅草近辺はかなりの頻度で来ているし、浅草橋や両国近辺もこれまたよく来ているんだが、考えてみると「浅草から浅草橋」というルートはあまり歩いていなかったなあ。

 旧バンダイ本社がその道筋にあって、その最上階にレセプションルームがあって、隅田川花火大会の日に全国のおもちゃの卸店を招いて花火見物をしていたというのは有名な話。バンダイの人たちとは付き合いはあったのだが、残念ながら「メディア枠」みたいなものはなかったので、私はバンダイ本社の隅田川花火大会見物には行ったことはない。

 で、そこからもうちょっと浅草橋方面へ進むと、「第六天榊神社」という神社がある。

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 まあ神社はどうでもよいのだが、その敷地のはずれにこんな碑を見つけた。

『蔵前工業学園の碑』というものだ。

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 蔵前工業学園って、何だ?

「蔵前工業学園の蹟 碑文」によれば……

『浅草蔵前ノ地ニ東京職工学校ヲ創設セラレタルハ実ニ明治十四年ノ事に属ス。爾来歳ヲ閲スルコト六十二星霜、技術者ヲ輩出スルコト万ヲ超エ、此間時勢ノ進運ニ伴ヒ校名ヲ明治二十三年東京工業学校ニ、同三十四年東京高等工業学校ニ改メラレタルガ、偶々大正十二年大震ニ遭ヒ、其復興ヲ企図スルニ当リ、寧ロ都心ヲ離レテ郊外ノ地ヲトスルニ若カズトナシ、翌十三年大岡山ノ地ニ移リ、昭和四年昇格シテ東京工業大学ト呼称セラルルニ至ル。』

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 蔵前工業学園っていうから、現在の蔵前工業高校っていう、東京の工業高校の中ではかなりレベルの高い工業高校がこの近所にあるので、その前身の学校かと思ったんだが、そうではなくて、あの国立東京工業大学の前身だったんだなあ。

 まあ、「工業学校」っていうことだったら、それは大岡山よりは蔵前にあったほうが「それらしい」もんなあ。

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 なあんてことを考えていたら、いつの間にか「人形の町=浅草橋」の浅草橋駅前まで来てしまった。

 まあ、浅草橋と言えば久月ですよね。えっ? ああ? 吉徳ってのもありますね。

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 最後は両国橋のたもとで一休み。

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 ということで、ほら、単なる浅草写真じゃなかったでしょう。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Kuramae ©tsunoken

2019年7月28日 (日)

なぜか、鷲宮神社へ?

 京都アニメーションの犠牲者の身元がすべて判明したというのが、なによりも幸いであるとは言うものの、それで犠牲者が生き返るわけではないのも事実なので、なんとも複雑な心境ではある。

 私自身、出版社でアニメーション・プロデューサーをやっていた頃は、京都アニメーションが「いい仕事をする下請けプロダクションである」という認識はあったけれども、私の作品でもって京アニと仕事をすることはなかったように思う。

 だからというわけではないのだが、久しぶりに埼玉県は久喜市にある鷲宮神社に行ってきた。以前「らき☆すた」というテレビ・アニメの「聖地」として若い人たちが多く訪れているというので、面白半分で見に行った時以来である。私のブログでも書いたことがあったのだが、いつのことかは忘れてしまったなあ。

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 行ってみたら、鷲宮神社は以前の静けさを取り戻していて、静かな佇まいを見せている。とは言うものの、如何にもアニメファンという感じの人も数人きており、まだまだ「らき☆すた」の神話は生きているんだなあ、という気分にさせられた。

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『鷲宮神社と指定文化財
 当社は、天穂日命(あめのほひのみこと)、武夷鳥命(たけひなとりのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)を御祭神としています。
 当社の境内地は、縄文時代や古墳時代の住居の跡が見つかっていることから、古くから開かれた場所であったことがわかります。
 当社が記された最も古い歴史書として、鎌倉時代の『吾妻鏡』があり、その記述から源頼朝や執権北条氏からの尊崇を得ていたことが知られています。
 その後、室町時代になると下野国守護の小山氏や古河公方足利氏、小田原北条氏などの保護を受け、徳川家康からも四百石の領地を与えられました。
 このようなことから、当社は今も多くの文化財を所蔵しています。その主なものを紹介します。

一 太刀
 国指定文化財(大正三年四月十七日指定)
 下野国守護の小山義政が寄進した太刀です。「永和二年卯月十九日 義政」という銘が刻まれています。
 永和二年は西暦一三七六年。市の郷土資料館に写しを展示しています。
二 鷲宮催馬楽神楽
 国指定重要無形無形文化財(昭和五十一年五月四日指定)
 関東神楽の源流といわれ、古い様式を残しているといわれています。年六回奉納。現在は、催馬楽神楽保存会によって伝承活動が行われています。』

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 アニメだけじゃなくて、もともと神楽で有名な神社でもあったんだ。つまり、芸事の聖地であったことではあったのだ。

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 七月の末にはお祭りが予定されていて、街中のあちらこちらに祭りの準備が進められている。

 もともと、この手前に大きな鳥居があったんだけれども、昨年倒壊してしまった。

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「らき☆すた」の聖地巡礼のころには、まさに「らき☆すた」グッズで溢れていた門前の茶店もいまは落ち着きを取り戻している。

 街の中にも、いまや「らき☆すた」に関係するものは、このペナントぐらいになっている。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Washinomiya Shirine Kuki ©tsunoken

2019年7月27日 (土)

隅田川花火大会はどうなるんだっ!

 昨日は今晩開催予定の隅田川花火大会の準備はどうなっているのかということで、浅草まで見に行った。

 暑かった……。

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 既に隅田川に架かる橋には規制線が作られていて、準備は万端というところでしょうか。

 やっぱり、暑かった……。

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 駒形橋も花火大会に時は車の通行が禁じられています。

 どうでも、暑かった……。

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 基本的な規制線は明治通りの白髭橋から京葉道路の両国橋まで、この間は隅田川沿いの橋の下の道は通行禁止で、人も歩いてはいけません。まあ、川に落っこっちゃうとマズいですもんね。

 で、暑かった。

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 しかし、なんでこんな暑い日に隅田川花火大会の準備状況を見に行ったのか。

 まあ、別に見に行かなくても関係ないんだけれども、私が住んでいるマンションには屋上庭園があって、そこで毎年7月最後の土曜日に開催される隅田川花火大会と、8月最初の土曜日に開催される戸田橋花火大会(板橋区民はこれを「板橋花火大会」というそうですが)を「屋上から隅田川花火(戸田橋花火)を見る会」というのを、マンションの管理組合親睦会で開催しているのだ。

 まあ、今年は私は幹事を辞めてしまっているので、そのお手伝いをする程度なんだけれども、多少は気になって隅田川まで見に行ったというわけ。

 しかし、問題は「この台風がどうなっちゃうんだろう」ってこと。日曜日が予備日として設定してあるので、まあ、土日のどちらかでは開催できるんだろうけれども、気になって気になって仕方がないのだ。

 やっぱり暑かった……。

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 浅草橋の屋形船も出番を待っているんだがなあ。

 お天気、どうなっちゃうんだろう。台風は……?

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 暑いなあ……。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Asakusa & Asakusabashi ©tsunoken

2019年7月26日 (金)

亀戸といえば天神様じゃなくて水神様でしょう

 亀戸といえば亀戸天神や香取神社なんかが有名なんだが、私にとっては亀戸水神の町なのであります。

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 亀戸水神の前にある由緒書き。

『日本国中に水神さんと言われているお社は、恐らく数百社の多きに達するであろう。この神は普通一口に水神さんと呼ばれているが、そのほんとうの神名を知っている人は少ないと思う。
 この神は「ミズハノメ神」であって、古事記には「弥津破能売神(ミズハノメ)」と書き。日本書紀では「罔象女神(ミズハノメ)」と書かれていて、伊弉那岐伊邪那美(イザナギイザナミ)ニ神御子神で畏くも天照大神の御姉神に当てさせられる。
 父母の神は、我大八州(オオヤシマ)国を造り給うた国土経営の神であって、あらゆる神徳を備えられているが、この中特に「水」に関する一切の御神徳を受けて居られるのが、この水神即ち「ミズハノメ神」である。
 この水神が奈良県東吉野村の丹生川の上(ホトリ)に祀られたのは何時の頃か、その時代が分からぬ位に古く既神武天皇の頃には原始的な神籬式(ヒロモギ)の神として祀られていた。(水神の総本社円生上神誌より)
 この水神宮は前記本社ご祭神を奉祠し、新田開墾の初め土民が堤上に水神を勧請して水害を免れん為の祈願をしたものでありその創立は享禄年間(四四〇年前)であると思われる。

   (鎮座地 東京都江東区亀戸四丁目十一番十八号)』

 っていうから、香取神社よりは新しいけれども、天神様よりはだいぶ前に創建された神社なのであります。

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 JR総武線亀戸駅からの行き方は、駅を出て明治通りを蔵前通り方面へ進み、蔵前通りの一つ手前の路地「水神通り」を右折して、しばらく歩くと交番の脇に鎮座しています。

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 亀戸天神社ほどの規模ではないが、如何にも由緒ありげな神社なのである。

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「水神森」の碑と境内の由緒書き。

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 本当の最寄り駅は東武亀戸線の亀戸水神駅。

 まあ、なんかすごくローカルな雰囲気なんだけれども、昔の東武線の駅なんてみんなこんな感じだった。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Kameido Koto ©tsunoken

2019年7月25日 (木)

ってことで、デジタルモノクロ写真なんですが……

 と、まあそういうことで「デジタルカメラでモノクロ写真」っていうわけなんだけれども、まあ、別に今までこのブログでやってきたこととは別に変ることはない。

 まあ、要は「モノクロ写真にすると、すこしは『上手い』写真に見えちゃう」っていう、錯覚に乗っかっちゃている写真であるってことなんですけれどもね、まあ、考えてみれば「いい写真/ダメな写真」「上手い写真/下手な写真」って、何がその境目になるのだろう。ありゃ、これはネタばらしか。

 実はその境目なんてのはないのだ、っていうのが、多分、正解なんですよ。

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 午前中は小雨が降った7月23日だったんで、外出はどうしようかなと思ったんだが、午後からは雨も上がり、出かけてもいいかなってな状況になったんですね。

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 でもまあ、そんなに遠くにはいけない時間でもあるので、手近なところで済ましてしまおう、ってな気分にはなるんだけれども、でも、いつもの道を歩いていても、なにか新しいもの、新しい被写体はないかな、と考えながら歩くのが、まあ、撮影者の気分なんだろう。

 ってなことで街を見回しながら歩いていると、それまでなかった店が出来ていたり……

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 まあ、いつものお店がやっぱりあったり……、ってのが下町歩きの面白いところだ。

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「店が入れ替わる」ということ自体は、前の店主にしてみれば「忸怩たる思い」なのかも知れないが、新しい店主にとっては「希望の大地」なわけである。

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「忸怩たる思い」と「希望の大地」のどちらが勝つのか? っていう問題は、『「いい写真/ダメな写真」「上手い写真/下手な写真」って、何がその境目になるのだろう』ってな命題と同じで、実は答えなんかはない問題なのだ

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 独仏の「アルザス・ロレーヌ問題」とか、日韓の「竹島・独島」問題なんかと同じ、要は「答えがない問題」なんですね。

 しかしまあ、もともとフランス・ドイツ連盟であるEUに加盟したことが不思議だったイギリスが、EUとの強硬離脱派であるジョンソン元外相を保守党の首班に決めた経緯は分からないでもないのだが、それでいいのだろうか。問題は、イギリス経済がどれほどEUに「頼っていないか」ってことだと思うんですけれどもね。

 日韓関係もそうだけれども、要は「経済関係」なんですね、いまやイデオロギーで対立する時代ではなくなってしまうとね。とすると、国家間のいろいろな状況阪大の基本は、結局「経済」じゃないですか。

 なんでまあ、日本の政治家が言うほど、国家間の関係は単純じゃないんですよ。

 これはどうしようもないんです。まあ、両国で永遠に戦わなければならない「気分」の問題なんですね。

 って、あれ? なんか話が変な方に行っちゃったな。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Sugamo ©tsunoken

2019年7月24日 (水)

待ってました! 『気ままに、デジタルモノクロ写真入門』

 いやあ、待ちかねていた本がやっと出ましたね。

 そもそも、カメラのスタートはモノクロだった。だからモノクロ・フィルムで撮影して、自分で現像して焼き付けをして……、っていうのが当たり前だった。次に、カラーになって自己現像・自己焼き付けをする人は少なくなった。で、デジタル時代になってしまって、基本的にオートフォーカスだし、シャッタースピードと絞りも自動、あとはカメラ側のソフトでもって「上手な花写真やら、瞳にフォーカスした写真」が誰でも撮れちゃう。もうあなたは被写体をさがしてシャッターを押すだけ……、って、なんか面白くなさそうじゃないですか。

 いろいろ失敗しながら学んでいくっていうのが、写真の面白さなんじゃないかなと考えると、「万能のデジタルカメラの一部分を機能ゼロにして、不便を楽しむ」っていうのが、より写真の楽しみ方としては高級ということになるんじゃないだろうか。

 ということで、私が今やほとんどモノクロ機として使っているエプソンR-D1sはマニュアルフォーカス機なんですね。そこがまたいい。

Photo_20190722143901『気ままに、デジタルモノクロ写真入門』(丹野清志著/ナツメ社/2019年6月4日刊)

『「モノクロ写真をやるのなら銀塩写真を知らなければいけない」などとプレッシャーをかける人もいたりしますからね。フィルムで撮る人から見たら、「安易にできてしまうモノクロ写真なんてつまらない」ということになり、質的にも銀塩写真が上だと言って譲らないでしょう。
 確かに銀塩写真は美しい、究極のモノクロ写真だという言い方も納得します。が、今は一般にフィルム写真を楽しもうという時代じゃなくなりました。デジタル写真は薬液処理を経て完成するフィルム写真とは制作工程がまったく違うものなのですから、フィルムとデジタルを比較してどうこう言ってみてもしょうがない。デジタルカメラで撮るモノクロ写真世界があるのだ、と考えるべきです。』

『デジタルカメラでモノクロ写真を始めるにあたって必要なことは、撮り方や画像処理を覚えること以前の、色を省略した画像にすることによって被写体のなにがみえてくるかを知ることです。
 趣味の写真世界では、とにかく被写体を上手く撮るためにはどうするか、「撮り方」から始まるので、形だけはうまく撮れているけれども、内容が見えてこない写真が多いのですね。それは、撮り方がテーマになっていて、写真で表現したいこと、なにを撮るのか、が抜け落ちているからです。
 写真の魅力は単に被写体を撮るのではなく、被写体を自分のイメージで写真化してプリントに作り上げていくことにあります。その柱になるのは上手い撮り方のあれこれではなく、モノクロ写真では白と黒で再現される画像の読み方です。』

『作品として作成されたモノクロ写真をじっくり見ていると、華やかなカラー写真が軽く見えてきます。これは私がモノクロ写真好きだからそう見える、というようなことではないと思うのです。モノクロ写真には色の情報がないのですから、想像する色で感じることになります。写真を見る人それぞれが写真の中に自分の世界を作り上げる、そこにモノクロ写真の魅力があるのです。』(以上、「まえがきに代えて デジタルモノクロ写真、やってます」より)

 まあ、しかし、考えてみれば世の中の画像情報から「色」という情報を取り除いて、「明るさ」だけの情報にしたのがモノクロ写真なんだから、別にそれがアナログ写真だろうかデジタル写真だろうが関係ないはずである。問題は、実はそれで出来上がった写真、それも紙焼きをした「実体のある」写真を見た者の受け取り方だけである。モノクロ写真は単に昔の写真に戻った表現形式でしかないので、それを自分の「作品」として提出した撮影者の存在は実は忘れ去られているのである。つまり、それは写真と言うものを「撮った人間の側から見るか」「見た者の視点から見るか」っていうだけのことで、その間にある「写真作品」については、はっきり言ってどちらの持ち物でもない。

 絵画という「描いたものが絶対的に正しい」という考え方の世界とは徹底的に異なる写真という表現の特殊性なのだ。

 なあんていう面倒くさい論議はどうでもいいとして、要はデジタルカメラに「モノクロモード」というのが必ずついているので、どうせならそれを駆使して遊んじゃおうよっていう、実は単純な提案なんです。

 実はここだから言うけど、モノクロ写真って、何となく上手に見える写真なんですね。普通のスナップ写真が、なんかプロが撮ったように、どこか思想がありそうに見える、って、そこがワタシの狙い。

 それだけが、私がデジタル・レンジファインダーでもってモノクロを撮る理由なんです。バラしちゃうけど……。

 まあ、ライカMモノクロームなんていう、「モノクロ専用デジタルカメラ」なんて「変態カメラ」もありますけれどもね。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 (f11で絞り優先撮影) @Rikugien ©tsunoken

『気ままに、デジタルモノクロ写真入門』(丹野清志著/ナツメ社/2019年6月4日刊)

2019年7月23日 (火)

大山鳴動して鼠何匹?

 大騒ぎした参議院選挙も終わって何がどう変わったのか? と言えば、別に与党の自民党・公明党は当選するべくして当選した人たちがいるだけだし、さりとて改憲の発議が出来る三分の二までは議席を獲得できなかったわけで、なにかそれこそ「大山鳴動して鼠一匹」てな結果でしかなかった。

 まあ、れいわ維新組から立候補したALS(筋萎縮性側索硬化症)の船山靖彦氏が当選したことで、参院事務局は議場の作りやら、議事の進め方などにもいろいろ対策を施さなければならなくなり、まあ、それが唯一の選挙結果としてはプラスの効果なのかも知れない。

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『自民、公明の与党は改選定数124の過半数(63)を超える計71議席を獲得したが、改選議席(77)からは6減らした。自民党が確保した57議席は、2016年参院選の56議席(追加公認含む)を上回ったものの、圧勝した13年の65議席には及ばなかった。宮城、滋賀、大分など8選挙区では、現職が落選した。公明党は選挙区選に擁立した7人全員が当選し、比例選の7議席を合わせると、党としての過去最多に並ぶ14議席を獲得した。
 立憲民主党は比例選で自民党に次ぐ8議席を獲得し、改選9議席から17議席に伸ばした。改選8議席の国民民主党は2減の6議席にとどまった。旧民進党を源とする立民、国民両党の議席を合わせると計23議席で、16年に民進党が獲得した32議席を下回った。両党が1人区で支援した無所属の野党統一候補は8人が当選した。
 共産党は改選8議席から1減らした。日本維新の会は関東でも議席を獲得し、10議席に伸長した。社民党は改選1議席を死守した。諸派のれいわ新選組は2議席、NHKから国民を守る党は1議席をそれぞれ比例選で獲得した。(読売新聞オンライン)』

 というのがその結果。

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 まあ、相変わらず

参院選無効求め一斉提訴=「1票格差」で弁護士グループ【19参院選】
 21日投開票の参院選は「1票格差」が是正されておらず違憲だとして、弁護士グループが22日、選挙無効を求め、全国14の高裁・高裁支部に一斉提訴する。札幌高裁に提訴した奥山倫行弁護士は報道陣に「改善してきたとはいえ、われわれが求めるのは1票価値が同じ選挙の実現だ」と語った。
 参院選公示前日の有権者数を基にした試算では、1議席当たりの有権者数が最多の宮城県と、最少の福井県の格差は2.998倍。
 グループは「投票価値に3倍の差があるのは異常だ。継続的な是正の取り組みも止まっている」などと主張。「憲法の人口比例選挙の要求に反している」とし、全45選挙区の選挙を無効と訴えている。
 別のグループも同日、広島高裁に提訴し、近く東京高裁にも比例区と選挙区双方の無効を訴える。
 最大格差が3.079倍だった2016年7月の前回参院選について、最高裁は合憲と判断している。【時事通信社】』

 という人たちもいるわけで、まあ、これは訴え続けることに意味があるっていう運動なんですね。

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 選挙の結果、我々の生活がどう変わってくるのか? と考えてもあまり変化はあり得ないというところ。

 年金2000万円不足問題だって、別に変らないだろうし、加計学園問題が選挙後ムシ返されるという話もあるんだが、まあ松山地裁も「忖度」しちゃうから、そこまで大きな問題にはならないだろう。

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「改憲、改憲」を繰り返す安倍晋三氏も、暫くはそれを口にしても意味がないということはご存じだろうから、あまり言わなくなってしまうかもしれない。まあ、もっとも自民党内規を改正して総裁四選に出てしまうっていう可能性は、実は強まったりして。

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 そうなるとトランプ氏も二選してしまったりして、「安倍=トランプ」の「バカ連合」がますます強くなってしまうかもしれない。

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 そうなると、自民党の内部抗争が強くなってきて、まあ、それはそれで面白くなるかもしれないなあ。

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 まあ、それが参議院選挙後の唯一の楽しみですかね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @The several point in Toshima ©tsunoken

2019年7月22日 (月)

なんで、今更「高麗神社」に?

 日韓関係がなんかやたら冷え込んできているので、なんとか関係が良好になるべく、飯能の先、埼玉県日高市にある「高麗神社(こまじんじゃ)」へ詣でてきた。

 なんていうのはウソで、「そういえば飯能の先に朝鮮の王様が祀られている神社があったなあ」って思いつきで、行ってみただけ。

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 日高市の郊外、山に抱かれたなかなか荘厳な神社なのだが、日高市による説明板が二の鳥居脇に立っている。

『高麗神社は、高句麗国(こうくりこく)の王族高麗王若光(こまこきしじゃっこう)をまつる社である。
 高句麗人は中国大陸の松花江流域に住んだ騎馬民族で、朝鮮半島に進出して中国大陸東北部から朝鮮半島の北部を領有し、約七〇〇年君臨していた。その後、唐と新羅の連合軍の攻撃にあい六六八年に滅亡した。この時の乱を逃れた高句麗国の貴族や僧侶などが多数日本に渡り、主に東国に住んだが霊亀二年(七一六)そのうちの一七九九人が武蔵国にうつされ、新しく高麗郡が設置された。
 高麗王若光は、高麗郡の郡司に任命され、武蔵野の開発に尽くし、再び故国の土を踏むことなくこの地で没した。群民はその遺徳をしのび、霊を祀って高麗明神とあがめ、以来現在に至るまで高麗王若光の子孫によって社が守られており、今でも多数の参拝客が訪れている。

 昭和五十七年三月
          日高市』

 日本では飛鳥時代の頃のことだった。その後900年余り後に豊臣秀吉の朝鮮征伐なんてものがあることは、まったく予想できない頃でもある。

 ちなみに高麗郡は「こまぐん」と読みますが、巨摩郡(@バリバリ伝説)の間違いではありません。スミマセン、余計なことでした。

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 しかし、いつも通りの「5円硬貨でお賽銭」(つまり、「御縁がありますように」ってことで)でもって、日韓関係は回復するんだろうか。そんなもんじゃ無理だよなあ。

 本殿の裏には、代々高麗神社の神職を務めた高麗家の住宅が残っているんだが、別に朝鮮風の建物じゃなくて、日本に昔からある茅葺屋根の農家みたいな建物だ。現在は国指定の文化財に指定されている。

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 神社の境内には、こうした朝鮮語で書かれた碑なんかがあるんだが……、私には全然読めません。

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 こういうのなら分かるんですがね。

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 可愛い巫女さんも高麗家につながる人なんだろうか……。

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 一の鳥居の脇には朝鮮風の魔除けのための境界標「天下大将軍・地下女将軍」の将軍標が、在日本大韓民国民団中央本部によって日韓国交正常化40周年を記念して奉納されています。

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 高麗神社に電車で行くにはJR八高線の高麗川駅と、西武秩父線の高麗駅というのが最寄りの駅なんだが、いずれにしてもそれぞれの駅から高麗神社へ行くバスなんかはないようだ。

 駅からタクシーを使うか、ハイキング気分でちょっと歩く(途中に「巾着田」なんてのもある)という行き方しかないのが、ちょっと残念。

 私? 私はクルマで行きました。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f2.8 @Hidaka ©tsunoken

2019年7月21日 (日)

「本郷」「駒込」で「本駒込」:いつもの散歩道から

 今、私が住んでいる場所は「文京区本駒込」という住所だ。

 一方、豊島区にも「豊島区駒込」という住居表示がある。JR山手線と東京メトロ南北線の「駒込駅」は、豊島区駒込にある。

 でも、文京区民は「本当の駒込は文京区だっ!」って言っているし、一方、豊島区民は「そんなこといったって駒込は豊島区が先に決めたんでしょうが」と主張しています。

 まあ、「竹島」なのか「独島」なのか、尖閣諸島は日本領なのか中国領なのか、「アルザス=ロレーヌ地方はドイツかフランスなのか」みたいな問題で、「領域」とか「領土」っていうのは、多分、そこを挟んでいる両方の国(地方公共団体っていうのもあるのかなあ)にとっては、プライドと実利を兼ねた永遠の課題なんだろう。

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 まあ、同じ国内、同じ地方公共団体の中のお話(要は「コップの中の嵐」ってことですがね)になっちゃうと、取り敢えず「先に言ったもん勝ち」っていうところがあるようです。

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 ということで、取り敢えずまんま「駒込」という地名は、いつでも「チャっこい」豊島区が先に決めちゃったもんだから、「豊島区の勝ち」。

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 そこで、出遅れた文京区としては、もともとここは「本郷区」だったという経緯を踏まえて「本郷=駒込」を略して「本駒込」っていう町名を作ったっていうわけ。ついでに、「こっちが本当の駒込だっ」って言っちゃうんだけれども、「じゃあ、それがなんだ」って感じもありますよね。

 後から「こっちが本当の駒込だっ!」っていわれても、そんなものは「言ったもん勝ち」だもん。

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 同じような例は「豊島区目白」と「文京区目白台」っていうのもあります。

 う~ん、やっぱり盛り場を地元に備えている豊島区の方が、いわゆる「こういうこと」には目ざといんでしょうねえ、さすがです。

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 それに引き換え文京区は、自分の街に名所旧跡やらなんやらをたくさん抱えているということが仇になったんでしょうねえ。つまり、町の名称がビジネスになるなんて発想は文京区にはまったくなかったっていうことなんですね。

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 で、それが何かの問題があるんだろうか? っていうと、別にありません。

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 じゃあ、それでいいじゃないかって言われればその通りなんで、今日は何も言いません。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Hon Komagome & Hongo ©tsunoken

2019年7月20日 (土)

「日本一暑い街」は、今、別のものに熱い

「日本一暑い街」と言えば、まあ最近は岐阜県の多治見市とか、群馬県の館林市などが取り上げられているんだが、やっぱり「普通に一番」と言えば、埼玉県の熊谷市でしょう。

 ところがその熊谷市なんだが、駅前の「日本一暑い街」っていう、なかば自虐的な飾りつけというかモニュメントというかは、現在なくなっており、今や熊谷は「ラグビーに熱い街」なのだそうだ。

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 つまり、熊谷市としては現在一番力を入れているのが、「ラグビー・ワールドカップ2019」なわけで、この秋からは熊谷ラグビー場はじめ、全国12都市で開催されるってわけなんですけれどもね。

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 というつもりで街を歩いてみるのだが……、まあ、モニュメント的なものは目につくんだけれども、なんか、それ以外あまり目について「熊谷! ラグビー!」っていう感じはないんだなあ。

 駅から歩いて旧中山道まで行けば、昔の通り「札の辻」跡やら……

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 本陣跡などの立札はあるんだけれども、「ラグビーの立札」はありません、って当たり前か。

 まあ、昔の中山道の宿場町だったのでそれらがあるのは当然なんだが、別に、それらはラグビーとは何の関係もないですもんね。

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 本陣跡から中山道を離れて裏道に入ってみれば、熊谷宿本陣だった竹井家の別邸であった星渓園なんて言うのもまだ残っている。でも、それもラグビーとは関係ありません。

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 ってことで、最後はやっぱり八木橋デパートなんだけれども、今や近所にイオンができているんだけれど、まあ、それは全然気にしないでも平気なくらい、いまだに熊谷市を象徴するデパートなんだなあ。まあ、ワールドカップがはじまれば八木橋デパートも「ワールドカップ・フェア」なんかもやるのかもしれませんがね。

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「ワールドカップに意外なくらい盛り上がっていない熊谷市」っていうことなんだけれども、結局それは単純なことで、「日本ラグビー・トップリーグ」16チームのどこも熊谷市をフランチャイズにしているチームがないってことが、その第一の理由なんじゃないだろうか。

 一番近いチームがパナソニック・ワイルドナイツの群馬県太田市っていうんじゃあ、まあ、あまり普段から熊谷の人が応援にもいけないだろうしね。

 というか、熊谷の人たちはラグビーのルールって知っているんでしょうか? まあ、ボールを前に投げちゃいけないっていう訳の分からないルール以外は、結構単純なルールなんですけれどもね。

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 本当はそういうところから始めて、普通は2,000~6,000人位の観客動員のラグビー・トップリーグの試合の中で、熊谷だけは10,000~20,000人位動員しちゃいますよ的な状況を作って、その結果としてのワールドカップなんじゃないだろうか。まるで落下傘的にワールドカップ(それも、日本ではマイナーな)ラグビーをもってきてもねぇ……、どうなんでしょうか。

 まあ、成功すれば何の問題もないんですけれどもね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Kumagaya ©tsunoken

2019年7月19日 (金)

『未来の地図帳』で安心すること、危惧すること

 ツールドフランスも休養日明けでいよいよ第2タームとなって、本格的な山岳コースが出てきます。さあ、いよいよ本格的な「寝不足ターム」だっ!

『未来の年表』『未来の年表2』でもって日本の人口をマクロでとらえた議論を巻き起こした河合雅司氏の近著が、その日本の人口の変遷を、地域ごとの変遷としてとらえたのが本書なんだが、それは『年表』以上にショッキングであると同時に、自分が住んでいる地域によっては、まだまだ対処の方法はあるっていう安心感もある。

Photo_20190713173701 『未来の地図帳 人口減少日本で各地に起きること』(河合雅司著/講談社現代新書/2019年7月1日刊)

『2045年時点の人口が最も少なくなるのは、鳥取県の 44 万8529人である。高知県も 49 万8460人で、 50 万人割れとなる。 60 万人を下回る県も3つに上る(島根県 52 万8988人、徳島県 53 万5370人、山梨県 59 万8935人)。現在の高松市の人口が 42 万人ほどだから、鳥取県は全県で一県庁所在地ほどの規模に縮小するということだ。
 一方、人口集中が続く東京都は2030年にピークアウトするものの、2045年は1360万余を維持する。国政選挙のたびに「一票の格差」が問題となるが、これではいつまで経っても解消しない。区割りの是正が図られる端から、差が開き始めるのだ。』

『 それほど遠くはない未来まで展望するだけでも、このまま「 47(都道府県:引用者注)」を維持することは、 どう考えても難しい。
 ちなみに、現在の「1都1道2府 43 県」となったのは1972年だ。その原型は1871年の廃藩置県を経た1890年の府県制にまで遡る。府県制以来、一度も県の合併・分割は行われていない。もし再編となれば約130年ぶりの出来事となる。』

『 維持できなくなるのは「 47 都道府県」だけではないかもしれない。これまで国土計画は「東京圏」と「関西圏」(大阪圏と同じ。本書では関西圏に統一する)、「名古屋圏」という三大都市圏を軸として考えられてきた。だが、こうした〝現在の三大都市圏〟でさえいつか終わりのときを迎えることになるかもしれないのだ。
 とりわけ人口の減り方が著しいのが関西圏である。前出の「日本の地域別将来推計人口」は、2015年を「100%」として2045年の指数を予測しているが、大阪府は 17・0%減、京都府と兵庫県が 18・1%減、奈良県 26・8%減と大きく縮小する。この減り方は、地方圏に属する県と比べても激しい(滋賀県 10・6%減、広島県 14・6%減、岡山県 15・7%減)。』

『政府や与党内には、いまだに「国土の均衡ある発展」を掲げ続けようという動きが残っている。高速交通網の整備などに代表される大型開発計画を地域経済の起爆剤にしようという発想もある。だが、それは田中角栄政権の〝日本列島改造論〟に代表されるような、人口が増えていた時代の理想であり、人口減少が避けられなくなったいまは求めようがない。
 いま、わが国に求められているのは、 人口減少を前提として、 それでも「豊かさ」を維持できるよう産業構造をシフトさせていくことであり、国民生活が極度の不自由に陥らぬよう社会システムを根本から作り替えていくこと である。』

『私は、旧来の発想を転換して「 戦略的に縮む」ことを提唱している。多少は小さな社会になろうとも、「豊かな国」は実現し得ると考えるからだ。
「戦略的に縮む」には、「国土の均衡ある発展」から路線転換し、「 拠点型国家」へと移行する必要がある。地図に落とし込めば点描画となるような「 ドット型国家」への移行だ。』

『私が提唱する「ドット型国家」とは、既存自治体の枠組みにとらわれず、もっと狭いエリアごとに〝ミニ国家〟(=王国) を作るイメージである。これまで語られてきたコンパクトシティとは全く別の考え方だ。』

 ということで、「戦略的に縮む・ドット型国家」になるのはわかるのだが、それまでの時点でどうなるのかを、東京圏で見てみると……。

『1‐9 東京圏 一極集中が続く東京圏、その内側を覗いてみれば
 1‐9‐1 東京都 都心部へ続々と移り住む
   首都・東京の内側/東京からは埼玉へ
 1‐9‐2 神奈川県 〝草刈り場〟と化す横浜市
  「都市としての中心」ではない/新陳代謝が良く若い街・川崎市
 1‐9‐3 埼玉県 東京圏の高齢者の受け皿に
   さいたま市が若者を惹きつける/ 85 歳以上の女性の転入
 1‐9‐4 千葉県 流山市や船橋市に流入
   成田市からは流出/〝介護難民〟は探している』

 つまりは、「東京への一極集中」は今後もとどまるところはないだろう。で、その東京への集中は主に神奈川県から、特に都市としての中心がない横浜から東京への移動という形で行われる。神奈川県では相変わらず川崎市の武蔵小杉などの、海とは遠いところに集中する。さいたま市が若者を惹きつける一方、埼玉県全体では高齢者が東京から移動する。千葉県は……、なんかあまり希望はないなあ。

 というところだろうか。

 東京都、それも都心部(山手線の内側)に住んでいる私にしてみれば、全然困らない状況なわけで、インフラからの恩恵も引き続き得られるようなのであるが、一方で問題は、東京都の周辺部分に住んでいる人たちはどうなるんだろうか、っていうことだなあ。

 なんとなく、全国一律に「人口減少」があるような気がしていたのだが、そうではなく、それこそまだら模様に「縮小」していくわけで、当然、東京圏、関西圏、名古屋圏、福岡圏、札幌圏、仙台圏という各圏ごとに違った状況が訪れるわけで、それらを一様に語るわけにはいかない。むしろ、それぞれの経済圏に合わせた戦略的な「縮小」をしていくことで、縮みゆく日本全体をどうデザインするのかっていうのが重要なことなのだそうだ。

 問題は「21世紀後半」をどう過ごすのか、っていうことだな。

 『未来の地図帳 人口減少日本で各地に起きること』(河合雅司著/講談社現代新書/2019年7月1日刊)

2019年7月18日 (木)

八幡山の八幡社

 世田谷区の八幡山へ行った。

 京王線の八幡山駅で降りるのである。「八幡」は、まあ「八幡様」のことで、分からないではないが、何故「山」が付くんだろう、っていうのがちょっと不思議で行ってみたのだった。

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 駅を降りて、赤堤通りを往くと、左側に作家で医師の北杜夫氏のお父さん、斎藤茂吉が経営していた(現在は都立病院)松沢病院がある。現在は、病院の周辺は公園になっている。開放病棟にいる患者さんたちの散歩道になっているんだろうか。

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 で、そのまま赤堤通りをまっすぐに行くと、途中、右に折れて八幡山小学校の脇をそのまま進むと、八幡山八幡社という神社がある。

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 由緒書きがあるので読んでみる。

『創立年月並びに古代由緒沿革等未詳なれど古老口碑また地名等より古社と推定さる。
 なお、奥宮(新殿に奉斎)には文化七年十月との記銘あり明治四年十月に村社に列せられ明治四十一年十一月府告示第二百十八号に依り会計法指定神社となる。
 明治四十二年三月六日許可を得て同所稲荷社を合祀す。
 昭和二十九年四月三日宗教法人法の登記完了した。
 昭和四十七年十一月三日親殿社務所並びに境内内諸施設を新築し遷宮奉祝祭を執行す。
 本来八幡神は海防守護の神であるが主神が文化や産業の振興につくされたことから繁栄と和平つまり厄除開運の御神徳をたれ給う神として一般の崇敬をうけております。』

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 八幡神社の由来はこれで分かったんだけれども、だけれども「何故、八幡?」というのは、いまだ分からない。

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 八幡社を過ぎると明治大学のラグビーやアメフトの練習場があったり、学生寮があったりする。そういえば、新宿から行って八幡山の手前、下高井戸には日大フェニックスのアメフト練習場もある。まあ、この辺りは都心に本部がある大学の「郊外キャンパス」だったんだろうな。

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 なんてことを考えながら歩いていたら、なんと「八幡山遺跡」という「街角展示」があるじゃないか。

 説明書きには

『豊かな水と緑に恵まれた世田谷区は、関東平野南西部に拡がっている武蔵野台地の南東部に位置し、埋蔵文化財(遺跡)の宝庫でもあり、その数は東京23区内で最も多い280箇所以上にも及んでいます。
 その中で、武蔵野台地の内部を流れる小河川沿いにも先土器時代や縄文時代を中心とした遺跡が多数発掘されています。
 八幡山遺跡も小河川の一つである烏山川(北烏山4丁目にある高源院の池から武蔵野面を刻んで東南に流れている)の左岸の台地に位置し、縄文中期の集落や江戸時代の炭焼窯等が調査されました。
 この調査で、遺構(住居跡・小竪穴・土坑・ピット)や遺物(土器・石器・土製品)などが発掘されました。』

 つまり、この近所に川があって、そこから少し上ったところに古代縄文期あたりの人たちの村落があったんだろう。
 要するに、そこは少し山のように他の川などというところからは上ったところにあったんだろう。で、「八幡山」である。勿論、縄文時代には八幡様なんでものはなかったはずだから、縄文期には八幡山なんて言葉はなかったわけで、「八幡山」という地名は後の時代の人たちが名付けた地名なんだろうな。

 これで八幡山の「山」の意味は分かった。

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 八幡山駅のそばに見つけた「芸能資料館」っていう「お店」。なんか、興味ありげだなあ。

LEICA M6 LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Hachiman Yama ©tsunoken

2019年7月17日 (水)

本木ラビリンス

 私が育った足立区関原ってどういうところなのか?

『荒川放水路の土手の北側、足立区を南北に貫く尾竹橋通りに東に位置する。古くから市街地が形成されたために細く入り組んだ路地が多く、住宅地や商店が軒を連ねる下町である。隣接する地域は北は西新井栄町、東は梅田、南は一級河川荒川放水路を挟んで対岸に千住元町、西は本木及び西新井本町。』(Wikipedia)

 という場所。

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 ただし、この「関原」という地名は昔からそうだったわけではない。

『1970年(昭和45年)に住居表示を実施した際に、現在の関原二丁目に所在する関原不動院大聖寺にちなんで命名されたことに始まる。』(Wikipedia)とある通り、1970年に住居表示が変更になった際に、以前の「本木町」から「関原」になった。

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 ただし、まだ依然と同じ「本木」という住居表示の地区が、尾竹橋通りの西側に残っており、以前から変わらない「本木町」と、新たに「関原町になった本木町」がある訳である。

 ということなので、ここではそれらを一括して「本木」と呼んでいる。

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『古くから市街地が形成されたために細く入り組んだ路地が多く』と冒頭で引用したように、表通りの商店街(「関原通り」という)も、そしてその道と裏通りを繋ぐ細かい道も、みな微妙に入り組んでいたり、正確な十字路ではない斜めになった角なども多い。

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 アルジェのカスバほどではないが、それらのクネクネした裏道を知っているかどうかで、この町に住む便利さが異なってくる。

 ところが、そこに尾竹橋通りというまっすぐな道が出来たのはいつ頃のことだったろうか。
 それ以降に出来た、そして現在も出来つつある新しい道路はすべてまっすぐに、ちょうど尾竹橋通りを背骨にした、肋骨のような形で繋がっている。

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 ところが面白いもので、そうやってまっすぐな道が出来て分かりやすくなったようなんだが、実はそうしたまっすぐな道を進んでいった先がどこに出るのかは、その場所まで行ってみないことには分からないのだ。

 私などは、昔のクネクネした裏道を知っているので、この町を歩くのに道に迷ったりはせずに目的地まで辿り着くことが出来る。

 まるでそれは『アルジェの戦い』のゲリラみたいなもんである。

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 なので、私はこの地域のクネクネした道を総称して「本木ラビリンス」と呼ぶのである。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Sekibara & Motoki Adachi ©tsunoken

 

2019年7月16日 (火)

足立区・中曽根城址

 7月の寝不足の理由は、言うまでもなくツールドフランスなんだけれども、昨日は第10ステージが終わって、今日は1回目の休養日。見ている方の寝不足も今日の間に回復しないと、ってな日ではありますね。レースはまだまだ本格的な山岳コースもなかったので、マイヨジョーヌのアラフィリップのリードも30秒位。まあ、まだまだレースの趨勢は見えませんね。

 ということで、おやすみなさい。

 東武伊勢崎線の西新井駅から少し歩くと「中曽根城跡」と言うものにブチ当たる。実は、西新井より一つ北千住寄りの梅島からの方が近いらしいのだが、私としては昔西新井在住だったので、西新井駅から行ったのだ。

 昔、この周辺に住んでいた頃にはそんな城跡があることなどにはまったく気が付かなかったのだが、ただこの辺りに「中曽根」という地名があったような記憶がある。

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 現在は中曽根城跡は中曽根神社と名を変え、かろうじてその名残をとどめている。

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 まあ、それほど大きな神社ではないが、周辺の堀(があったらしい場所)の辺りまでを含めた土地の大きさを考えると、まあ「城」というのは大袈裟ではあるけれども、館があった場所であることは想像に難くない。

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 神社の境内に説明書きを記した碑がある。

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『史蹟 中曽根城跡
 中曽根城は、室町時代 千葉次郎勝胤公によって築城された。
 周囲六町四方(三十六ヘクタール)で、そのかまえに堀や土居をめぐらしていたと伝えられている。
 今も小字に、出戸、小屋の内出などの名が残っている。
 当社の境内は城の一部で、一段と高く、千葉市の信仰する妙見社がまつられていた。幾星霜の間に周辺は耕地となり、現在は都市化した。
 昭和七年、妙見社と興野の雷社と合わせて中曽根神社とし、当地の氏神として祀ったものである。
 昭和五十五年九月吉日
   中曽根神社神燈講』

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 この『当社の境内は城の一部で、一段と高く、千葉市の信仰する妙見社がまつられていた。』という記述から「周辺は一段と高くなっていると、居同じく現地の解説板に説明されていますが、現在は改変も進んでいるでしょうが、北千住から向うとやや低地に見えてしまいますし、梅島方面からではほぼ平地に感じ、南側に荒川があること以外はあまり城砦を築くのに相応しいとは思えませんでした。」と書いているサイトがあったんだけれども、荒川(荒川放水路)は明治時代に作られた人工水路であるので、この時代には「南に荒川がある」ということはなかったので、この説明文はちょっと違いますね。

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 いずれにせよ「元木囃子発祥の地」という碑とともに、静かに眠っている「中曽根城跡」なのだった。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Motoki Adachi ©tsunoken

2019年7月15日 (月)

恵比寿様から布袋様へ

 麻布十番から六本木へ歩いた後は、久々の日比谷線で恵比寿まで行った。

 昔、西新井に住んでいた頃は、東武伊勢崎線から直通する日比谷線っていうのは、銀座まで出るのが実に短くなり、日常的な乗り物だったんだが、練馬や駒込に住んでからは日比谷線というのには接点がなく、あまり乗らなくなってしまった。

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 日比谷線っていうのには面白いエピソードがあって、現在、霞が関方面から恵比寿方面へ向かう日比谷線は、神谷町を出ると一度六本木方面へかなり急カーブを右折して六本木へ向かい、六本木を出ると今度は左へ急カーブで左折して広尾へ向かうという、ちょっと無理矢理路線を作っているんですね。それは神谷町を出て六本木へ向かう際に無理矢理右へカーブするために、レールと車輪からかなりおおきな「軋み音」がすることで良く分かる。

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 実は、これは当初日比谷線は神谷町を出ると次は麻布十番駅があって、そして広尾へ向かうというかなり直線的なルートを通る予定だったのだが、実は麻布十番商店街が日比谷線の導入に強力な反対意見があって、結局、六本木交差点方面へむりやりルート変更を強いられたって背景がある。

 当時は、この辺りの中心的な繁華街は麻布十番で、六本木あたりは米軍基地や防衛庁なんかがあった、かなり地味な街だったということがある。

 麻布十番商店街の反対理由っていうのは単純で、麻布という典型的な都会の下町商店街に埼玉県から大挙して「田舎者」がやってくるっていうのを嫌ったということなのだった。

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 結果として、日比谷線はむりやり六本木交差点方面へルート変更して1964年に全線開通。

 ところがその後の六本木の発展状況はご存知の通り。麻布十番商店街の地下鉄路線建設反対運動はそれを見ても後の祭り。偏屈な反対運動が如何に未来志向でなかったということが露呈してしまい、麻布十番商店街としては忸怩たる思いで六本木交差点周辺の発展状況を指をくわえながら眺めているしかなかったわけだ。

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 南北線に麻布十番駅が出来たのは2000年。六本木に「繁華街」の地位を奪われてから実に36年経ってやっと麻布十番に地下鉄駅が出来たのだった。実は「田舎者を排除」したいという麻布十番商店街の発想こそが「田舎者の発想」だっていうことが分かっちゃったわけなんですね。

「バカなことをするんじゃなかった」ってことですね。

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 広尾から恵比寿、中目黒っていうのは元々の計画にあった直線的なルート。

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 で、中目黒の商店街にあるマンションの玄関に何故かある「布袋様」の石像です。

 これで恵比寿駅前の「恵比寿様」の銅像と話が繋がった。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Yebisu & Naka Meguro ©tsunoken

2019年7月14日 (日)

麻布で85mm街撮りスナップ

 今回の「85mmで街撮りスナップ」は麻布十番です。

 麻布十番は駒込からも東京メトロ南北線一本で行けるし、六本木にも近いので、結構、頻繁に行っています。まあ、このあたり写真ギャラリーなんかも多いんですね。ということもあります。

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 麻布十番から六本木方面へ行くには麻布十番商店街から行く方法と、もうひとつ仙台坂を上がっていく方法があります。

 麻布十番商店街から行く場合は、十番商店街からそのまま桜坂を上がって六本木ヒルズに上がる方法と、途中で芋洗坂の方に折れて六本木交差点方面へ行く方法があります。

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 麻布十番商店街はあまり広い道じゃないので、本来は広角レンズの方が撮影には相応しいんだが、敢えてそれを85mmで撮って何か意味があるんだろうか?

 って、別に意味なんかがある訳ないじゃん。広角で撮るのも飽きたので、望遠で撮るってだけのことです。

 まあ、確かに望遠レンズで撮影すると圧縮効果があるので、それなりの面白い写真にはなる。

 けど、別にそれだけのことで、それ以上の意味はない。っていうか、写真そのものに意味はないというか、写真に意味を求めてはいけないのだ。写真そのものには「意味」はない。意味はないけれども、それら写真の集積から何かを受け止めて、それに意味付与することは、別に拒否はしない。

 っていうだけのことで。

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 その麻布十番から六本木へ出るちょっと前のフォトスポットがここ。

 TSUTAYAカフェの表です。

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 久々に日比谷線の六本木から乗って恵比寿までいきました。

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NIKON Df AF NIKKOR 85mm f1.8 @Azabu Juban ©taunoken

2019年7月13日 (土)

東京地裁裁判傍聴&法務省:法務史料展示室見学ツアー

 なんだか一眼レフのカメラを構えながら、こちらに何か制止をしているようなこのおじさん。何をしているのでしょうか。

 手前の画面両サイドの下の方には、禿げ頭とチョイ禿げ頭が並んでいます。

 つまりこれ、何かの記念撮影の集合写真を撮っているんだけれども、写されている方の私が、その撮影者の写真を撮っているので、「ちょっと、お前! いい加減にせいや!」って呆れて私が言われている場面なのでした。

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 実は、一昨日はK談社のOB会の年に何回かやっているツアーで『東京地裁裁判傍聴&法務省:法務史料展示室見学ツアー」の一場面。4月5日のブログ「六義園じゃなくて、大和郷幼稚園に行った」で書いた花見の次の開催っていうわけ。

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 実はこの日、大麻取締法違反の罪に問われたアイドルグループ「KAT-TUN」の元メンバー、田口淳之介と同居していた元女優、小嶺麗奈の両被告の初公判が行われたわけだが、当然、そんな公判なんかは見られる筈もなく、我々が傍聴したのは「出入国管理及び難民認定法違反」という事件で捕まった中国人の公判。つまり、特別、日本国内で事件を起こしたこともない中国人技能実習生が仲間と喧嘩して、パスポートを持たずに実習先を飛び出しちゃって日雇いなどで食いつないでいたのだが、ある日警察官の職務質問でパスポート不所持(ついでに滞留期限を6カ月オーバーステイ)でパクられちゃった人の裁判なのだった。

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 刑事裁判なのでもうちょっと緊張感があるのかな、と思っていたんだが、あまり緊張感と言うものもなく、淡々と罪状を読み上げる検察官と、なんかあんまりやる気のない国選弁護人のやり取りが数回あって、検察官の求刑懲役1年に対して弁護人が執行猶予を求めると、「即座に」というようなタイミングで裁判官が判決を述べてしまい「求刑通り懲役1年、ただし執行猶予3年」という具合に刑が確定、被疑者の身柄は入管預かりとなり、多分、強制送還になるっていいう寸法なんでしょうね。

「えっ?」っていう感じで、とにかく1日で結審までいっちゃうのか、ってあっけにとられた思いだった。

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 民事裁判は以前傍聴したことがあって、それは作家の絲山秋子氏と脚本家の荒井晴彦氏との間で争われた絲山氏の『イッツ・オンリー・トーク』を原作とした映画『やわらかい生活』を巡る裁判で、要は映画化・及び映画のDVD化は許諾しておきながら、『やわらかい生活』がシナリオ作家協会が発行する『年間代表シナリオ集』に収録されることになったら、絲山氏が「脚本を活字として残したくない」という理由で出版を拒否した、という事件。荒井氏とシナリオ作家協会は、原作使用契約に「慣行に反する許諾拒否は行わない」とあるので、荒井氏とシナリオ作家協会は損害賠償金1円を請求して東京地裁に訴えたものだ。絲山さん、荒井さんとも私の知人だったので興味があり、第1審から結審まで見届けた。

 これには映画化とDVD化は許諾して原作使用料並びにDVD化の原著作者印税を受け取っておきながら、そりゃあ絲山さん「無理筋」ってもんじゃないかしら、と考えていたんだが、あにはからんや荒井氏敗訴ということになってしまって、まあ、「原著作者」の権利ってムチャクチャ強いんだなってことを感じさせられた思いがある。

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 それでも、第1審から結審まで半年位はかかり、その間、法廷は数回、一回の審判は15分くらい、双方の弁護士がそれぞれの証拠を巡ってムニャムニャ喋ってオシマイ、絲山氏なんかは一回も出てこないし、「次の公判はいつにしますか」という裁判長の言葉で閉廷って、なんか、それはないでしょっていうくらいの緊張感のなさっていうか、まあ、民事法廷なんかはそんなもんだろうな、と思っていたら、刑事裁判でも結構緊張感のない裁判があるってことが分かった。

 それが収穫か。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Kasumigaseki ©tsunoken

2019年7月12日 (金)

東京周縁部を往く:ポイントは登戸だったんだが……

 多摩川サイクリングロードというのは、当然、川上から見て左岸コースと右岸コースがある。
 以前かなり積極的にサイクリングをやっていた頃は、この辺りは右岸コースを走ることが多かった。

 ということで、久々の多摩サイ歩きは南武線の宿河原で降りて、右岸コースを歩いた。

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 宿川原駅を降りて多摩川沿いに至ると、まず最初にあるのが宿河原堰である。この堰で多摩川の水を一度貯めて二ヶ領用水という農業用水路に水を流すのだが、この用水が出来たのが関ヶ原の戦いの頃であり、江戸時代初期から川崎あたりの田畑に水を導入するために開かれたという、なかなかの「時代もの」ではある。

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 そのまま多摩川を遡行するとすぐに登戸につく。

 私がサイクリングをよくやっていた頃は、この多摩水道橋あたりが小休止の場所で、ここで一休みした後は、そのまま多摩川を遡行するか、あるいは多摩水道橋を渡って家へ帰るかという分岐点だった。
 多摩水道橋の下にはサイクリストや釣り客用の茶店があって、今でもそれはあるんだが、サイクリングロード自体が多摩水道橋下で分断されてしまっているので、茶店にもあまり客は来なくなってしまったようだ。

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 実は、このコースを歩いたもう一つの理由は、やはり登戸駅そばの「あの惨劇」があった場所が、今はどうなっているんだという興味なのでありました。

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 行ってみれば、当たり前なんだけれども、既に惨劇の残滓は何もないし、献花などもなくなっており、町は再び静寂を取り戻している。

 まあ、今流行りの「中年男性の引きこもり」ってまあ、迷惑をかけている対象が肉親だけなら、まあ「親の子育てが間違っていたんだよな」ですむけれども、その結果、他人を傷つけるっていうのはどんな精神構造をしているんだろうか。私なんかには、まったく理解できない。

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 ってことで、再び多摩サイへ戻る。

 この辺り、多摩川河川敷はいろいろな企業や学校のグラウンドになっているんだが、面白いのが高千穂大学のグラウンドで、野球のバックネットは張ってあるんだが、どうも内野グラウンドが草ぼうぼうで、どうも野球はやっていないようなんですね。高千穂大学の名前は東京新大学野球連盟の2部で見つけることが出来るが、一応野球部があるのなら、この草ぼうぼうは何なんだろう。野球部は別のところに練習グラウンドがあるんだろうか。

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 なあんてことを考えながら多摩サイを歩いていると、多摩川の上河原堰のある稲田堤にでる。
 こちらも二ヶ領用水の取水口で、宿河原堰の流れとはどこかで合流しているのかなあ。

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 ってことで、稲田堤で本日の多摩川遡行は終わり。

 京王稲田堤駅から帰って来たのでした。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Kawasaki ©tsunoken

 

2019年7月11日 (木)

スタジオぴえろの頃

 三鷹駅の反対側、北口にもアニメ関係の建物がある……、というか、あった。

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 ここ、藤和シティコープ三鷹というマンションは一階が藤和不動産の事務所があって、二階と三階が貸事務所になっていて、その上が住居という造りのマンションだった。その三階にスタジオぴえろ(現・ぴえろ)が入ったのは1985年頃か? それまで武蔵小金井の駅から十数分歩かなければならなかったのだが、今度は三鷹の駅のそばという、かなり便利なところに移ったわけだ。

『当初は『ニルスのふしぎな旅』を作るためだけに設立されたスタジオで、布川、上梨の他、竜の子プロダクションの演出スタッフであった経歴を持つ鳥海永行、案納正美、高橋資祐、押井守らが参加した。人脈的には同プロダクションの流れにあるスタジオである。また、演出家が集まって作られたため、演出家の力が強いことも当初の特徴の一つであった。制作にあたっても設立当初はスケジュールに余裕をもって良質な作品を作る制作環境であったという。』(Wikipedia)

 というか、まあ鳥海さんのためのスタジオという位置づけだったんだろうな。押井守が世界で最初のオリジナル・アニメ・ビデオ『ダロス』を作ったのも、このスタジオだった。

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 その後、スタジオぴえろは出世して、今は、三鷹と吉祥寺の間のジブリ美術館のそばに自社ビルを建てて、ぴえろとなったわけだ。

 で、そのスタジオぴえろに注目したのが、1984年に劇場アニメ『SF新世紀レンズマン』(東宝東和配給)を作って大コケし、その後、その劇場版と一緒に企画したテレビシリーズ『GALACTIC PATROL レンズマン』(朝日放送)でも、ものの見事に2クールで討ち死にした講談社であった。

 まあ、もともと「レンズマン」というのがアメリカでは有名なSFで、『スターウォーズ』でジョージ・ルーカスが参考にしたというのは事実なんだけれども、だからといって、先行するコミックもないし、キャラクターもまったく知られていなかった作品が日本で成功するって考えていた講談社の人たちの「世間知らず」状況ってのも相当なもんでしたね。

 実は、その講談社で既に劇場版『レンズマン』の製作も大詰めになった頃に、名古屋支社から東京本社に転勤したばかりの時に、「君がテレビシリーズ『レンズマン』のプロデューサーね」って言われて、突然、制作現場では管理職、会社では一介の平社員プロデューサーにされてしまったのが、私、tsunokenなのでありました。もう、シナリオも大半出来上がってしまっていた状況で「プロデューサー」って言われてもねえ。どうすりゃいいんだ。

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 劇場版、テレビと二度にわたりずっこけた講談社が次に打ち出したのがOVA(オリジナル・アニメーション・ビデオの略なんだが、講談社だけは「オリジナル・アニメーション・ビデオ」なんだから「OAV」と言っていた。なんかバカみたい)『バリバリ伝説』だったのだ。

 しげの秀一氏のマンガ『バリバリ伝説』はOVAとしては、『筑波編』『鈴鹿編』の二作を作った。この二作がOVAとしては大ヒットしたので、日本ヘラルドから劇場公開の話があり、ではということで、それを再編集して、もう一本のオリジナル作品、楠みちはる氏の原作『あいつとララバイ 水曜日のシンデレラ』と共に公開したのであった。勿論、両作品ともちゃんと黒字にしましたよ。

 その後、私は『AKIRA』チームを率いる立場になっちゃったんで、スタジオぴえろとの直接的な付き合いはなくなってしまったんだが、今でもぴえろとの協働作業にはいろいろと勉強させてもらったという思いがあるし、その経験でもって『AKIRA』を成功に導いたと、今でも考えている。

Photo_20190708170401 ©Shuichi Shigeno Kodansha

 いやあ、しかし、この時期のアニメプロダクションって、結構、経営も苦しくて、スタジオぴえろもいろいろと苦しい時期ではあったらしい。そんな布川郁司氏の苦労を散々聞かされた三鷹駅そばの飲み屋「婆沙羅」は今でも健在だ。

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 懐かしいなあ。

NIKON Df AF NIKKOR 50mm f1.8 G @Mitaka ©tsunoken

 

2019年7月10日 (水)

三鷹と言えばAKIRAでしょう

 三鷹の駅を降りるとやたら目に付くのが「太宰治」である。

 三鷹駅南口駅前には玉川上水に架かる橋があって、その脇には「玉川上水は、数多くの文人に親しまれてきました。昭和14(1939)年から同23年(1948)年まで三鷹に暮らし、「走れメロス」や「東京八景」などの名作を発表した太宰治もその一人です。近所には、太宰の旧居宅跡など、ゆかりのある場所が多数残っています。」という説明板がある通り、やはり「三鷹と言えば太宰治」ってことなんですかね。

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 駅からちょっと南へ行くと「三鷹市 太宰治文学サロン」なんてのがあったり……

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 ビルの壁に太宰治ゆかりの場所なんて言って

『田辺肉店離れ跡(現 三鷹の森書店)
 一九四七(昭和二二)年四月からは、「斜陽」を書き継ぐために、田辺肉店のアパートを借り、外部との連絡は若松屋を通して行ったと言われています。この店を舞台にして「犯人」が書かれました。』

 なんて説明板やら「太宰治横丁」なんて、多分、昔は呼ばなかっただろう道にも『小さな飲食店が軒を並べていて、太宰が通ったことで通称ができました。いきつけの「喜久屋」という小料理屋が三鷹駅近くにありました。』なんて説明があります。

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 三鷹駅からまっすぐ南に延びるのが中央通りなんだが……

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 その中央通りと連尺通りの交差点のそばには、太宰治の墓がある禅林寺というお寺がある。太宰の命日である6月19日には「桜桃忌」というのが毎年行われていて、太宰マニアのおばさんたちが大挙して訪れるのであります。

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 で、その禅林寺の前にあるコープみらいのコープ下連雀っていうのが、その昔、アニメーション映画『AKIRA』の製作現場であった「アキラ・スタジオ」なのであります。

 当時、スタジオ・ジブリが吉祥寺に制作スタジオを作っていたこととか、大友克洋氏が西荻窪と吉祥寺の間に住んでいたなんてことなどがあって、最初は吉祥寺にアキラ・スタジオを作るべくいろいろなビルなんかを捜しまわっていたんだけれども、なかなかこちらの条件に合う物件がなく、結局、三鷹まで行って、このスーパーマーケットの二階をアキラ・スタジオとして使用したのだった。元々は、二階も店舗だったんだけれども、結局、広すぎたようでまるまる空いていたのである。

『AKIRA』の制作現場は東京ムービー新社(現・トムスエンタテインメント)が受け持った関係で、このスタジオの運営は実質的に東京ムービー新社であり、東京ムービー新社の子会社であるテレコム・アニメーションフィルムであった。当時、アメリカのフルアニメーションの制作を請け負ていたテレコムの参加が、東京ムービー新社がこの映画に参加する条件でもあったわけで、まあ、そんなのが理由。

 勿論、東京ムービー新社はアキラ製作委員会の下請けという関係論なので、実質的なプロデューサーであった私の席はこのスタジオにも作ってもらい、講談社とアキラ・スタジオの二足の草鞋を履く生活を一年以上続けたわけである。それに伴う逸話もあるんだが、それはまたの機会に……。 

『AKIRA』の制作後、しばらくはテレコム・アニメーションフィルムがスタジオとして使っていたんだが、どうも広すぎたようで、その後はテレコムも使わなくなり、現在も、その二階全部が何かに使われているわけではない。

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『1988年7月16日、関東地方で「新型爆弾」が炸裂し、第三次世界大戦が勃発。それから31年後、2019年の新首都「ネオ東京」で……』というのが映画AKIRAの冒頭。

 2019年の東京(ネオ東京)が翌年にオリンピックを控えて都市改造中だという部分は、30年も前にそれを予言していたっていう、さすがにクリエイターの慧眼と言うしかないんだが、「1988年7月16日」というのは映画AKIRAの公開日です。で、「新型爆弾」が落ちた「関東地方」って何処だかわかりますか?

Akira©1988 AKIRA COMMITTI

 手前にあるビル群は勿論、新宿西口のビル群です。で、遥か遠方に富士山を仰ぐ、その爆心地は……?

 まさしく三鷹のアキラ・スタジオなんですねえ。

 ねえ、三鷹と言えばAKIRAでしょう。

 いやあ、アニメーション「AKIRA」の4Kリマスターとか、大友克洋氏の新プロジェクト「ORBITAL ERA」なんて話を聞いて、急に思い出しちゃいました。

NIKON Df AF NIKKOR 50mm f1.8 G @Shimo Renjaku Mitaka ©tsunoken

2019年7月 9日 (火)

小雨 谷根千 絞り開放

 毎日毎日、雨が続いて嫌になりますね。

 そうは言っても、まあ、いつもの散歩写真を小雨時を狙って実行するのだ。

 ご近所ですけれどもね。

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 小雨を狙ってきたのは、谷根千。家からバスで5停留所の千駄木、谷中の谷中銀座やよみせ通りです。

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 カメラはいつものニコンDfに、レンズは久々のAi ニッコール 50mm f1.4、これを絞り開放で撮影しようっていうわけ。

 しかし、最近はニコンDfもほとんどは超広角20mmレンズでの撮影なので、一眼レフのマニュアルフォーカスって久しぶりだなあ。標準50mmの絞り開放撮影っていうのも、合焦範囲はかなり狭いので結構難しい撮影なのだってことを思い出しました。

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 この撮影もなんか「前ピン」だったり「後ピン」だったり、撮影時には気が付かなかったんだけれども、家に帰ってきてモニター上で見るとかなり合焦ポイントを外している写真が多い。

 望遠レンズだと合焦かアウトフォーカスかというのは撮影時点で分かるんだけれども、意外と標準レンズだとかえって難しいんということを、これまた今更なんだが学んだっていうことですね。

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 まあ、最近は普通はEPSON R-D1sっていうレンジファインダーカメラにフォクトレンダー12mmなんていう超広角レンズでの撮影が、なんか普通になってしまっていたり、一眼ニコンDfでも20mmばっかりだもんなあ。

 まあ、確かに散歩カメラには広角レンズが似合うし、だとしたらやっぱりレンジファインダーだよな、っていうことになる。

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 なので、これからは広角はレンジファインダーに任せて、一眼レフは基本的に50mm以上のレンズ専用カメラということにしよう。

 散歩カメラには一眼レフは似合わない、っていうことなんでしょうね。

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 ということで……「毛さん」と。

NIKON Df Ai NIKKOR 50mm f1.4 @Yanaka & Sendagi ©tsunoken

2019年7月 8日 (月)

いつもの散歩道から

 7月6日からいよいよツール・ド・フランスが始まって、寝不足の三週間が始まったわけなのだけれども、まあ、「毎日が日曜日」の退職オヤジにしてみれば、夜の寝不足分は朝食後の二度寝で補えばいいのであって、別に寝不足になることはない。

 ってことで、いつもの日曜日(書いているのは土曜日ですが)なのであります。

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 家からの散歩コース、といっても別にいくつもある訳ではない。

 基本的には本郷通りを南に東大本郷キャンパス方面へ行く方法、本郷通りを逆に北に行き飛鳥山方面へ行く方法、不忍通りを谷根千方面へ行く方法と、そして不忍通りを護国寺方面へ行く方法の4通りである。まあ、あとは白山通り(国道16号線)を板橋方面へ行くっていう、旧中山道ルートもあるが、一方、同じ白山通りでも南に行く選択肢はない。理由は本郷通りと並行して走る白山通りの南下は、結局、本郷通りを南下するのと同じだから。

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 まあ、一番行きやすいのが本郷通りを南下する行き方。つまりこれだと基本的に本郷大地の上を歩いていくだけなので、アップダウンがないというのが一番のメリット。

 更に、ちょうど家から5,000歩ほど歩いた場所が東大本郷キャンパスなので、そこで一休みするのが、散歩のメルクマールとして丁度よい、というのがある。基本的に「1日10,000歩」というのが歩く距離の目安なので、まあ、5,000歩で一休みっていうのが、まあ、目安になりやすいっていうことなのであります。

 ここで一休みして、「さあ、次はどちらの方に行こうかな」ってなもんですね。

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 しかしまあ、こんな雨が降るのか降らないのかが良く分からない日は、荷物が多くなってしまって、カバンが重くなるのであまり外に出たくなくなりますね。

 これも一種の「強迫観念」かな。

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 で、ここからは一昨日の実際の歩行の記録。

 東大で一休みした後は、取り敢えずお茶の水までそのまま本郷通りを進んで、本郷二丁目からはお茶の水橋方面へ進みます。

 問題は、お茶の水橋を渡って、駿河台下の三省堂前まで行く道なんだが、どうも調べてみると「明大通り」というらしいんですね。

「あれぇ、そんな名前の道があったかなあ。」ってなもんで、なんとなく「駿河台通り」とか「お茶の水通り」かなあ、なんて考えながら、でも別にそれを確かめたことはなかった。

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 で、まあ本郷二丁目で本郷通りから離れてお茶の水駅前へ至り、そのまま駿河台下まで歩きます。

「ああ、遂に坂を降りてしまった」っていう場合は、神保町か大手町まで行って都営三田線でかえってくればいいさ、ってなもんですね。

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 でも、この日のファイナル・デスティネーションは地下鉄霞ヶ関駅A1出口。

 何故ここが最終目的地なのかは秘密です。

 おおっ! 見事に「中身が何にもないブログ」が出来たぞ!

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Hongo St. & Kasumigaseki ©tsunoken

2019年7月 7日 (日)

『ノーサイド・ゲーム』に期待

 7月7日スタートのTBS日曜劇場に期待したい。

 前作『集団左遷』では、福山雅治扮する銀行支店長がやたら動き回ったり、副支店長の真山徹(香川照之)がなんか「いい人」でちょっとがっかりだったり、敵役である横山輝生常務(三上博史)がやはり『半沢直樹』の香川照之ほどの「ワル」になりきれていなかったりという、ちょっと中途半端なシリーズだったので、今回、池井戸潤原作、演出が福澤克雄、プロデューサー伊與田英徳という『半沢直樹』のスタッフ陣に加え、テレビドラマでは一番重要な脚本には丑尾健太郎っていう『下町ロケット』のシナリオを書いた人、つまりこれってTBS福澤組総出演って感じなので、これは大いに期待できる陣容だ。

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 主要な登場人物と配役は、主人公のトキワ自動車アストロズ・ゼネラルマネージャーの君嶋隼人に大泉洋、その君嶋の天敵と思われた滝川桂一郎には上川隆也、トキワ自動車社長が島本博(西郷輝彦)、実は本当の敵だったのが脇坂賢治(石川禅)、アストロズの監督に柴門琢磨(大谷亮平)、アナリストが佐倉多英(笹本玲奈)といった面々。残念ながら君嶋隼人の妻、君嶋真希(松たか子)は原作には登場しない。まあ、多分主人公の心境を表現する時の代弁者的な立場なのかも知れない。

 取り敢えず、ストーリーについてあまり書いてしまってはネタバレになってしまうので、ちょっと気になるセリフを原作からちょっと借用。

『「高貴か……。ノーサイドって言葉、あるよな」 君嶋は持っていたペンをおくと、静かに椅子の背にもたれた。「アストロズのゼネラルマネージャーになったとき、調べてみたんだよ。すると、英語圏のラグビー用語としては見つからなかった。〝ワンフォーオール、オールフォーワン〟もだ」
  どちらも、ラグビー精神を礼賛する言葉として多用されるものだ。「結局、ふたつともいわば〝和製ラグビー英語〟なんだな。だけど、それがしっくりくるのは、日本人なら誰でも知っている武士道の精神や潔さといった美意識との相性がいいからじゃないか。」
 君嶋がそれを調べたのは、島本から呼び出され、散々ラグビーのもつ高貴なスポーツ性を説かれたからだ。
 アストロズの後ろ盾として島本は欠かせない存在だが、島本が口にした「だからラグビーは素晴らしいんだ」という言葉はみんな嘘っぱちだ。
 人の好い日本人だけが信じている迷信である。
 そしていま君嶋が目にしているのは、その迷信の収支そのものだが、これは現実そのものであった。
「高貴だから赤字でいいってことにはならないんだよ」
 誰に向けたわけでもなく、君嶋はただそうひとりごちた。』

 まあ、多分、上のセリフがこのドラマを象徴するセリフになるのではないだろうか。

 なんかラグビーって高貴なスポーツのように、日本では語られるけれども、別にスポーツに高貴も低劣もないはずだ。ただそこにあるのは、「戦いにルールを持ち込んで、本当の戦闘のような命のやり取りに発展することを避けた、しかし、闘いであることには変わりがない」という存在でしかない。

 見る者は、自分の気持ちを仮託できるチームに肩入れして、相手チームが味方に嬲られることだけを楽しみに応援する、っていうスタイルは、別に国と国の戦争と全く変わらないものなのであります。それはラグビーでも同じはず。

 要はスポーツはある種の代理戦争なんだから、そういう観点からスポーツというものを見られれば、また「観戦」っていうものも他の意味を持ってくる。

『ノーサイド・ゲーム』(池井戸潤・著/ダイヤモンド社/2019年6月11日電子版・紙版刊)

2019年7月 6日 (土)

『性と欲望の中国』ったって、それは当たり前?

 まあ、結局、人間も生物である以上、種族の生き残りということがDNAに刷り込まれている。そんな刷り込みがある以上は、やっぱり「エロ」を否定することなんかはできないんだ。

 性的欲望を「ブルジョア的」と言って否定するマルクス主義者だって、結局は親の性的欲望から生まれてきたんだから、それをしも否定することなんかはできないはずだし、性的な欲望や欲求を否定できない以上、それがどのように「個人の中で変化」しようとも、それを政治的に否定することはできないはずだ。

 結局、レズビアンやホモセクシュアルっていうものを否定するマルクス主義者っていうのは、あの、悪名高いナチズムと同じ穴の狢になってしまうんだなあ。

 実際には、マルクス主義の開祖であるカール・マルクスだってフリードリッヒ・エンゲルスだって、結構、自分の生活においてはかなりブルジョア的な生活を送っていたわけで、マルクス主義者を自称する政治家の手法っていうのは、単に、マルクス主義の自分勝手な解釈の元に、それを政治的に乱用していただけなのだ。

Photo_17 『性と欲望の中国』(安田峰俊著/文春新書/2019年5月20日電子版・紙版刊)

『中国共産党の一党専制体制下にある中国は、一般庶民の生活が「政治」によって大きく左右される国だ。そのため「性事」を語っているはずなのに実際はその背後に存在する「政治」を語るような例も、少なからずあるだろう。』

『第一章で登場した「性都」東莞は公安利権の地だったが、「荒淫の島」下川島は人民解放軍の利権の下にあったと見られるのである。』

『中国がまだ貧しかった1990年代には、深刻な資金難に悩む人民解放軍は自力更生を建前にしてさまざまな副業をおこなっていた。下川島のセックスリゾート開発もまた、中国海軍が貧しくて組織的にも弛緩していた時代の産物だったのである。』

『習近平は自身への権力集中という目的もあって、党や国家機関の統制の強化や、政敵たちの資金源になり得る汚職摘発に熱心な指導者である。過去の江沢民・胡錦濤時代には事実上の野放し状態だった中国国内のダーティーな利権は、習政権時代になっからどんどん潰されるようになった。』

『下川島の性産業が「壊滅」したのは、島の軍事的価値が向上して管理を強化する必要が生じたことに加え、過去にこの島を治外法権の地たらしめていた中国海軍の利権構造が、習政権下の軍隊引締め政策によって崩壊したことが、主たる理由だと考えていいだろう。
 中国が非常にアナーキーだった 20 世紀末の広東省の辺境で、中国の若い女性への幻想を抱く台湾の寂しい中高年男性と、人民解放軍の腐敗が生み出した怪しい売春島は、ようにして栄え、そして滅び去ったのであった。』

 って、まあそういうことだったのね。

 まあ、エロを政治的に抑え込もうなんてことは、基本的に人間という生き物の存立基盤を犯すことになるので、それを抑え込むなんてことは不可能だっていうことなんですね。

 『性と欲望の中国』(安田峰俊著/文春新書/2019年5月20日電子版・紙版刊)

2019年7月 5日 (金)

飯能にはムーミンばかりじゃない、鉄腕〇〇〇もいるのだ

 いまや、飯能市と言えばムーミンバレーですよね。西武線の飯能駅はムーミン一色ってな感じでしょうか。

 飯能は昔から長野や群馬で作られた絹の交流地として栄えた、秩父地方の入り口みたいな、実は歴史のある町なのであります。

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 飯能と言えば、西武線の飯能駅そばの「飯能銀座商店街」と、JR八高線の東飯能駅から出ている「飯能中央通り商店街」という二つの商店街が競い合っているんだけれども、基本的には昔からある銀座商店街の方が歴史は古い。

 毎年11月に行われる山車で有名な飯能祭りや7月に行われる飯能夏祭りも、中心地はこちらの銀座商店街の方であり、祭りのときは自動車は完全に通行差し止めになって、賑やかに祭りが展開されています。

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 こんな「看板建築」という様式の長屋造りの商店なんかがあるのも銀座商店街。

『入間馬車鉄道は、明治三十四年(1901)に入間川駅(現狭山市駅)と飯能町を結ぶ鉄道として開通しました。飯能から入間川駅まで約十キロを一時間十五分かけて走り、乗車賃は十五銭でした。駅は、現在の銀座通りと飯能駅前通りが交差する少し西側に置かれましたが、大正四年(1915)の武蔵野鉄道開通によりその役割を終え、大正六年十二月営業を廃止します。
 飯能市の商店は、江戸時代には縄市が開かれた高麗横丁周辺を中心に営まれますが、馬車鉄道や武蔵野鉄道の開通により店を営む場所が東へと拡大していきました。
 この建物は、もともと五軒長屋の木造二階建てとして、明治期に建てられました。当初は通りに面して下屋がのびた切妻屋根で、屋根は杉皮葺きであったと考えられます。現在屋根はトタンが被せてありますが、一部に当時の杉皮を見ることができます。
 西洋文化が広まってくると、商人は店に洋風の雰囲気を求めました。そこで元の木造建物の前面にお面を被せるように新たな外壁をつくり、通りから旧来の建物が見えないようにした「看板建築」が建てられます。その外壁は西洋の石積みを模し、洋風の雰囲気を醸し出していました。』

 という飯能市教育委員会の説明板が建物の左脇に立っている。

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 で、そんな飯能市の中心部から天覧山の麓にある飯能市立博物館に隣接する飯能市中央公園に行くと……

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 あるんですねえ。わが「鉄腕アトム」の銅像です。

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 なんでも、1983年に飯能青年会議所十周年記念事業の一環として立てられたものだそうで、当時、副理事長だった方がかつて虫プロに在籍していたことがあったというのがその理由だそうだ。

 別に、飯能市と鉄腕アトムは何の関係もないのにね。

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 ただし、手塚治虫氏が一時飯能移住を考えていたなんてことなんかもあるらしいので、手塚氏も建立を認めたのかもしれない。

 なにしろ世界で唯一の「鉄腕アトムの銅像」だそうです。銅像の隣にある説明板にも手塚氏の写真が載っています。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Hanno ©tsunoken

2019年7月 4日 (木)

裏原宿の写真ギャラリーを捜して

 え~原宿の続きです。

 っていうか、本当はこちらが本来の目的。裏原宿の原宿小学校の裏にあった、元々駒込駅へ行く途中にあった写真ギャラリーがこちらに移ってきたのを、以前取材したことがあるので、その後、どうなったかと思って訪ねたわけなのです。

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 裏原宿というのは、原宿竹下通りを抜けて明治通りを越えた先、原宿通りという狭い道を越えると……。

 元々は現在の新宿御苑に発する渋谷川が渋谷駅の先で外に出てくるまでの暗渠になった部分が裏原宿の中心の通りです。周辺の道とは関係なく、クネクネと曲がっている、いかにも元々川だったところを暗渠にした通りっていう感じの道で、表参道を挟んで渋谷まで行っている道なんだけれども、目的とするのは、その表参道ヒルズの脇を走っている道のことです。

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 その裏原宿の通りを表参道ヒルズの脇で裏道に入って、原宿小学校の裏の坂道を少し上がったところに、5年ほど前に駒込から移ってきた写真ギャラリーがあった。

 駒込駅のそばにあった時には、家からも近いしギャラリーの使用料次第では、一度、そこで私の写真展でもやってみようかしらなんて考えていたんですけれども、まあ、駒込駅のそばよりは原宿の方が写真ギャラリーを開設するのには相応しいなあというのも事実なんで、それもやむを得ないかと思って訪ねたわけなんですね。

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 うん、そうそう。この「オニツカ・タイガー(アシックス)」のショップのところを曲がって、原宿小学校の裏側に出るんだよなあ。

 ところが行ってみたら、そこはなんか全然別のお店になってしまっていた。

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 まあ、原宿という地代も高いし競争も激しい場所でビジネスを展開する難しさなんだろうなあ、たったの(!)5年で撤退だもんなあ。

 そう考えて周囲を見回すと、やっぱりなんか入れ替わりの激しさって言うものがあるんだなあ。

 表参道だけを歩いていると、大きな会社の店ばかりなのであまり気づかないのだけれども、裏通りの方に来てみると、結構、店の入れ替わりが多いようだ。

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 それに比べると駒込周辺はまだまだ安泰な場所なのかもね。

 下の「三井のリハウス」がもともと駒込で写真ギャラリーがあった場所。

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NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Jingumae ©tsunoken

2019年7月 3日 (水)

竹下通りも Graffiti !

 裏原宿方面へ行こうと思って、原宿駅の竹下口を出て、竹下通りから裏原宿へ……。

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 まあ、竹下通り自体にはあまり興味はないというか、竹下通りは東京近郊のお嬢ちゃんや外人観光客が行くところだという意識があるので、私のような不良老人はあまりその町には興味がないというのがその理由であります。

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 ところが、いやいやここにもあるんですねえ。何がって? Graffitiですよ。「落書き」

 ああそうか、ここも渋谷区だもんなあってなことを思い出しました。

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 ただし、竹下通りは飲食街というよりはファッション街なので、渋谷の裏通りほどには「全面展開」っていうわけではない。

 わけではないけれども、それなりにアリマスっていう感じでしょうか。思わず「何故原宿に行ったのか」という本来の目的を忘れて、Graffiti巡りをしてしまいました。

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 飲食店だと昼間は営業していないし、店員も出てくるのは午後、ってな感じなので結構落書きをする時間はあるんだろうけれども、そうでない場合はいつ頃落書きをするんだろう。

 というか、落書きをされた方も、なんかそれを自慢している風もある。
 まあ、それぞれのお店によって価値観は異なるんだろうけれども、あえてそれを消そうとしないで残している風もあったりするんだよね。

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 まあ、落書きをされるのもファッションっていう感覚があるのだろうか。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Jingumae ©tsunoken

2019年7月 2日 (火)

令和元年七月一日、東京は雨

 今年も既に半分が過ぎてしまった。

 年を取ってくると、次第に時間の過ぎゆくスピードが速く感じてくるもんなんだが、本当にそんなことを感じさせる毎日ではある。

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 そんな毎日なんだが、またまた安倍首相の「トンデモ発言」があったようだ。

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「大阪城にエレベーター設置はミス」 首相、夕食会で発言 「配慮不足」と批判
 安倍晋三首相がG20大阪サミット初日の28日夜の夕食会のあいさつで、大阪城の復元時にエレベーターを設置したのは「大きなミス」と発言し、「障害者への配慮が足りない」と批判が出ていることが29日、分かった。
 安倍氏はあいさつで「明治維新の混乱で大阪城の大半は焼失したが、天守閣は忠実に復元された。しかし、一つだけ大きなミスを犯した。エレベーターまで付けてしまった」と述べた。
 先天性四肢欠損症で、公共施設でのバリアフリー設備の設置を求めている作家の乙武洋匡氏は、安倍氏の発言を引用し、ツイッターで「とっても悲しい気持ちになる」と不快感を示した。』(日経新聞電子版 2019年6月30日)

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 当然、それについては各界からも反応があって……

『 障害や手話教育の研究に取り組んでいる亀井伸孝・愛知県立大学外国語学部国際関係学科教授(文化人類学)はツイッターで28日、
「このようなことを、世界中が注目する場面でなぜ述べたのか。私はまったく理解できない。ジョークのつもりか?しかし、バリアフリーの世界的趨勢に逆行するようなことを言って、ウケるとでも思ったのか。スピーチライターは、何を考えて原稿を作ったのか。読み上げた首相本人に、判断能力はないのか」
と激怒。さらに、
「何回も書くけど、このスピーチだけは絶対に容認できない。バリアフリーを愚弄し、ネタだと思って言い放ち、完全に無視されて、世界に恥をまき散らかした。人権無視の政府であることを、自ら体現した。大阪城にエレベータを付けた、大阪の人たちの先見の明を讃えたい。恥ずかしい首相を即刻変えたい」
と痛罵した。
障害学を専門とする矢吹康夫・立教大学社会学部社会学科助教もツイッターで29日、
「まさか、このタイミングで国家のトップから授業のネタを提供していただけるとは思っていませんでした。社会学部の『差別と偏見の社会学』では、障害者差別解消法と合理的配慮について講義します」
と皮肉を込めた。』(J CASTニュースより)

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 まあ、「安倍失言内閣の長」たる立場を体現したような「トンデモ発言」なんだけれども、こんな人間を国会の代表としている日本という国の知的レベルの低下を考えると、なんかトランプ氏の発言を嗤ってみていることすら、なんか恥ずかしくなってくる。

 なんか、「失言防止マニュアル」を党員に配った本人がこんなトンデモ発言をしちゃうなんて、もう怒りを通り越して、呆れるばかりですね。まあ、だいた「失言防止マニュアル」自体が噴飯物なんだけれども、それを発行している本人が失言しちゃうなんて、もう政治家の文化レベルの低下なんて話は通り越しちゃってますね。

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 でも、こんな安倍政権も今月の参議院選挙でも圧倒的な大差で野党に勝っちゃうんだろうなあ。

 なんか、天気以上に気が滅入る毎日だなあ。

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2019年7月 1日 (月)

ブルザイズ、X2最後の試合に泥

 アメリカンフットボールの社会人チーム、ブルザイズ東京は昨シーズンで1部に昇格、本来はこの春シーズンは1部のパールボウルトーナメントに出場するはずなんだけれども、何故か「昨シーズンからの申し合わせ」っていうのがあったらしくて、今年の春までは2部扱いっていうことで、2部のスプリングボウルに出場している。

 当然、1部に上がったチームと、2部に残っているチームの試合なんで、決勝に残るのは当たり前……、ってことで、昨6月30日に富士通川崎スタジアムでスプリングボウル決勝戦が行われた。

 相手は、これまた春シーズン無敗の(当たり前)のソニー・ソリッドステートという社員チーム。いやあ、息子の大学時代のチームメイトも何人かが参加していて、結構、こちらの戦力はバレバレです。

 ということで、ブルザイズのキックオフで今日の試合はスタート。

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 ブルザイズ東京としては、普段はエンドゾーン20~30ヤード位までは温存していたランニングバック、#23タイロン・ジョーンズを攻撃の最初から使うしかない。とにかく、この人の「突破力」ってのは、(日本では)普通じゃないんです。多分、X1で普通に通用するレベル。

 当然、タイロンが出てくれば、相手チームは彼が走ることは目に見えているので彼に注目して守備を固める。

 それをそのまま受け入れて、真っ当勝負でもってぶつかっていくのも一つの攻め方、タイロンに敵の目を集中させて、別のプレイヤーにボールを渡すという手もある。まあ、一人のユーティリティプレイヤーがチームにいると、敵の守備陣の判断を迷わせることになるっていう、二重の戦略的作戦が取れるっていうことで、いやあ、こういうプレイヤーは多分どこのチームでも欲しいでしょうね。

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 じゃあ、なんでそんな凄いプレイヤーが、ブルザイズ東京なんて、中途半端なチームにいるのか。

 まあ、事実や真実は分からないけれども、多分、その身長なんだろうなあ。
 何しろ、公表身長が175cmと、私と変わらない程度の(アメフト選手としては)チビなんですね。

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 確かに、「日本で見ている限りでは」なかなかのユーティリティプレイヤーには見えるし、身体能力もかなり高い人なんだろう。

 でも、体が小さいと、結局「当たり負け」ってのがあるんでね。まさに、そこはお相撲の世界ですけれれどもね。

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 結局、試合の結果としては、X1に昇格したブルザイズ東京がX2残留のソニーソリッドステートに27対28で敗れるっていう、まあ、言って「下剋上」の関係なんだけれども、いやあ、まだブルザイズ東京はまだX1での試合はやっていないしなあ、でも、どうなっちゃうんだろう。

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 まあ、取り敢えず、キャプテンの弁解です。「秋は頑張るそ」か。

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 そんなの、学生アメフト時代から何回聞いたかな。

NIKON Df SUGMA DG 150-500mm f5.6-6.3 APO HSM 

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