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2019年6月19日 (水)

佃島から豊洲へ:大川端を往く

 梅雨の晴れ間という貴重な日。大川端を歩こうという気になった。
 大川端というのは隅田川の下流のこと。本当は佃島の西側を通る流れが本当の隅田川でその他は「朝潮運河」「晴海運河」なんて名前が付いていたりするんだけれども、佃島から先はもう運河がいっぱいなので、それらを含めて「大川端」と一緒くたにして呼んでしまうのです。

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 使うカメラはいつもの散歩スナップに使っている EPSON R-D1s + VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6……、にしようかと思ったんだが、佃島在住の写真(機)家、田中長徳氏から「12mmというのは、フルサイズの35mmの18mm見当だから、長年慣れている画角で、私の場合、このレンズは街角の勝負レンズだ。ただし街頭撮影の幇間芸があまりまともに現れると、格好悪いので、最近では12mmでの撮影はなるべく自粛。」(@「EPSON R-D1 WORLD」by 日本カメラ社)なんていう言葉を頂戴しそうになったので、それはやめてニコンにした。
 まあ、私のカメラの腕前なんて「幇間芸」なんてもにも足下も及ばないですけれどもね。

 以前、佃神社の境内で田中氏には遭遇したことがあるので、ここは要注意、注意。

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 佃島じゃない、中央区佃あたりには結構闌れた長屋なんかがあってなかなか写欲をそそる町なのではあります。

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 少し行くと朝潮運河というところに入り、「海水館の碑」なんてのがあります。
 海水館って何だ?

『海水館は明治38年に坪井半蔵によって建設された割烹旅館です。当時の月島は東京湾を臨む風光明眉な地であったといわれ、当地に宮城県仙台市の建物を移築して旅館兼下宿を開業しました(建坪130坪、2階建て、24部屋)。閑静な地であったため、明治末期から多くの文学者に執筆場所として利用されました。
 島崎藤村は明治40年から海水館において、自伝小説『春』を執筆し、新聞に連載しました。小山内薫は海水館に止宿し、明治44年から『大川端』を執筆しています。
 詩人の吉井勇は大正2年から止宿して歌集『毒うつぎ』の創作にはげみ、三木露風は明治45年と大正2年に止宿して、詩集『白き手の猟人』をまとめています。なお、海水館は大正12年の関東大震災で全焼しましたが、その時の石畳みが今も坪井宅に残っています。
 海水館は明治から大正年間にかけて著名な文学者が作品を執筆した場所として貴重な史跡といえます。』

 という昔は文士旅館として有名な旅館だったらしい。神楽坂の和可菜みたいなものだったんだろうか。
 和可菜は昔、トシちゃん主演(笑)の『課長 島耕作』のシナリオ作りで脚本家の故・野沢尚氏と監督の根岸吉太郎氏をカンヅメにしたことがある。

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 晴海運河に架かる春海橋と並行して走っているのが、越中島駅と豊洲石炭埠頭を繋いでいた旧国鉄の晴海橋梁(って、なんだがややこしいな)。今は廃線=廃橋となってしまい、一時期遊歩道として使おうという案も出たんだが、改修にお金がかかるってんで、そのままになってしまっているらしい。ちょっともったいない?

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 で、春海橋を渡るとそこは豊洲です。中央区月島から江東区豊洲へ。

 豊洲は出光丸や数多くの重工業製品を作ってきた、石川島播磨重工業の本拠地。
 そのドックヤードの跡地に出来たのがアーバンドックららぽーと豊洲です。

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 豊洲には、もう一つ私が気になるスポットがあるし、写真にも撮ったんだが、ある理由からここには載せない。

 暑かったんだけれども、川面を流れる風が気持ち良い散歩コースだったな。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Tsukuda, Tsukishima, Harumi & Toyosu ©tsunoken

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