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2019年6月16日 (日)

白金・下町、長屋商店街

 外苑西通りを天現寺橋から南に行って恵比寿3丁目の交差点を左に折れると、そこから北里大学の前を通り、白金高輪にでる道を通ることになる。

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 実は、この道が面白いのは、住所的には「白金」なんだけれども、いわゆる「シロカネーゼ」がいる白金台とは全く様相が異なる、下町風の佇まいを見せているところなのである。それも昭和(大正?)の下町風なんですね。

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 で、私が勝手に名付けたのが「長屋商店街」。
 今や東京でも珍しくなっている「長屋」形式のお店がいくつも並んでいるっていうことなんですね。長屋形式の商店って、昭和か下手をすると大正時代の名残なのかなあ。もしかすると、工場なんかがなかった場所なんで、震災や戦災を免れたのかもしれない。


「えっ? 白金ってそんな下町だったの?」なんて疑問もわくんだけれども、よく考えてみれば、ここは「白金」、「白金台」ではありません。

 白金からずっと下に降りてきて、渋谷からずっと続く古川のほとりまできたのが古川橋のある「白金」。
 つまり、麻布の仙台坂上にあった仙台藩邸から下に降りてきたのが麻布十番というような「山の手⇔下町」関係論が成り立つのが、まあ、この近辺でもあるんですねえ。

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 ただし、白金台はそうした武家屋敷があった場所ではないらしく、っていうか武家屋敷は麻布までで終わってしまったらしく、まあ、後の江戸周辺というか東京周縁部っていうのは、そうした地方の藩の大名の別荘や、江戸下町の商家の別荘なんかがあった場所らしい。

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「白金」という地名も、「応永年間に白金地区を開墾した柳下上総介」に因んだもので、その柳下上総介が扱っていたのが「白金=プラチナ」だったってのが、地名になったということらしい。

 とはいうものの、慶応3年(1867年)には、東京で最初の屠殺場ができたという場所だったらしいので、まあ、いずれにせよ白金も白金台も武士の世界からは「我、感心にあらず」ってな場所だったんでしょうね。

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 まあ、山があれば麓がある。山の上があれば、山の下がある。
 で、その上が「山の手」になって、下の方が「下町」になる、っていう構図が、別に武家と町人っていう関係だけではないというところが新発見だったかな。

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 そうか、町人同士でも「山の手」派と「下町」派があるんだな。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Shirokane ©tsunoken

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