下妻(周辺)物語
いやあ、下妻まで行く途中に国道の先の左側に見えたのが、大きな天守を持つお城だった。
な、な、なんだこの城は! 五層もある天守って言ったら江戸城でしょ。それがなんでこんな田舎にあるんだ? っていうかこんなに見晴らしのいいところにそんな天守は必要ないでしょ、ってなもんですね。
調べてみたらこのお城(のようなもの)は「豊田城」という名前の「常総市地域交流センター」だそうだ。なあんだ、やっぱりそうだったんですねぇ。
中には、元々の常総市の一部だった石下町の資料とか、地域出身の歌人、長塚節の資料なんかが展示されているようだ。
まあ、「免震構造の千葉城(!)」みたいなもんかな。天守まではエレベーターでも上れるそうだし。
豊田氏は下妻の多賀谷氏と領地争いを繰り広げていたそうで、結局、多賀谷氏には敗れて落城してしまったらしい。勿論、落城したのは小貝川のそばに「豊田城址」という碑が残っている方の、本当の豊田城の方なんですけれどもね。
下妻市から西に行って鬼怒川を越え、ほんの少し南に行くと……
筑波サーキットです。
元々は鬼怒川の西は千代川村という下妻とは別の自治体だったんだけれども、現在は下妻市に編入されてしまっている。「大常総市構想」からは離れた下妻市なんだけれども、しっかり周辺の村は取り込んでしまっているということです。
この日は「筑波ロードレースシリーズ」の第2戦が行われていました。
久しぶりだなあ、ツクバのレースって。昔からはコースがほんの少しトリッキーにはなっているけれども、基本レイアウトは同じで、相変わらず最終コーナーの難しさはあるようだ。
で、結局、この地域(常総市〈=水海道市、石下町〉と下妻市)っていうのは筑波山がシンボルなんですね。
NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Shimotsuma & Ishige ©tsunoken
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