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2019年6月

2019年6月30日 (日)

『動機なき写真 Just Because』

 昔、『週刊 平凡パンチ』が一番輝いていた時代、1960年台後半の最高のフォトグラファー(だと思っていたの)が、立木義浩だった。

 多分、そのきっかけになったのが、『カメラ毎日』の「舌出し天使」だろう。

『「舌出し天使」は1965年4月号「カメラ毎日」で巻頭56ページにわたって掲載。当時の同誌編集長 山岸章二氏をはじめ、和田誠が構成を、寺山修司が詩を、草森紳一が解説を担当し、誌面づくりに携わった。一人の女性の日常に寄り添い、ドキュメントとユーモアが同居するセンセーショナルな作品群は話題を集め、立木は同作で日本写真家批評家協会新人賞を受賞した。』

Photo_20190624165901 『動機なき写真 立木義浩写真集』(立木義浩・著/日本写真企画/2016年4月26日刊)

『作者の弁ですか? そもそも「自分の写真」への「写真の見方」なんていうものは、だいたいにおいて眉唾です。飾って言うか、露悪的に言ってしまうか、どちらかなんです。そこのところは、いいですか?
 では一枚目。「地下鉄の階段を上がる小学生」。
 まずひと目で感じるのは、彼の体格にはもうランドセルは小さ過ぎるし似合わないということです。この窮屈さと、視線を落として丸くなった背中からは、楽しい学校生活が感じられない。彼の母親が、口をすっぱくして「あなたは大きいんだから、お友だちに、ほんの軽く触っただけでも怪我をさせるかもしれないのよ、分かったわね!」なんて言っているかもしれない。現在の親子関係とは、とか、教育制度とは、などと、むずかしい思想にふけってきることもできます。』

 って、そうかなあ。まあ、ひとつの写真を見て、何を考え、何を想像するのか、というのは見る者の自由なんだから、それはありなのかもしれないが。

Rimg00012_20190627203701©Yoshihiro Tatsuki

『写真というものは、もうぶつ切りで、前後の脈絡もなく、それでいいんだという「かたち」こそがすごさです。』

Rimg00022_20190627203701©Yoshihiro Tatsuki

『「むずかしいものをやさしく、やさしいものを深く、深いものをおもしろく」
 写真から音が聞こえたり、温度や湿度、そして匂いなんかも写れば無敵なのでしょうが、これは見る側の想像力にゆだねるしかありません。
 松尾芭蕉の俳句「古池や蛙飛び込む水の音」はあまりにも有名です。これは視覚でその場の状況を詠んで、最後に聴覚にいたります。目から耳への転調のあざやかさはみごとなものです。』

Rimg00042_20190627203801©Yoshihiro Tatsuki

『そうですね……高校時代に見たデニス・ストックが撮影したジェームス・ディーンの写真でしょうね。雨の日、NYのタイムズ・スクエアで撮られた写真は若者の心をわしづかみにしました。』

2_20190628101401 ©Dennis Stock

 そうなんだよなあ。そういう意味でも、当時の『平凡パンチ』文化と共にあったのが、立木義浩氏の写真なのであります。

 今でも大ファン、っていうか『平凡パンチ』に載っていた立木氏のハッセルブラッドを地面に置いて、それを覗いている写真が、今でも好きなんだなあ。

「わあ、カッコいい!」

 『動機なき写真 立木義浩写真集』(立木義浩・著/日本写真企画/2016年4月26日刊)

2019年6月29日 (土)

あじさい祭りも終わって……普通の散歩道になって……

 白山神社で行われていた「ぶんきょうあじさいまつり」も既に6月16日で終わってしまいました。

 秋田県の男鹿市あたりではこれからが盛りだそうです。
 いっそ秋田まで行っちゃうか? 飛行機なら1時間で行けちゃうしね。

 で、舞い戻って文京区の白山神社です。
 今年は、残念ながら空梅雨風だった6月前半なので、紫陽花に似合う蝸牛も見られず、ちょっと残念なあじさいまつりだったかなあ。むしろ、これからの方が如何にも梅雨空らしくなりそうで、蝸牛も出てきそうなんだけれども、その時には、ああっ、残念ながら紫陽花はない、ってなもんですね。

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 既に境内の紫陽花も花は散ってしまっていて緑一色、普段の物静かな白山神社を取り戻しました。

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 神社に詣でる若い女性の姿が可憐です。まるで紫陽花みたいだなあ。可憐な花ですからね。

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 神社の裏にある富士塚も既に紫陽花は散ってしまっていて、登山道も再び閉じられてしまっています。

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 唯一、紫陽花の花が見られるのは、神社裏にある文京区最古の公園、白山公園だけになってしまいました。こちらは、まだ名残りの紫陽花の花を見ることはできます。ただ、あと一週間くらいかなあ、持つのは。

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 後は、ちょっと残念な気分を抱えて、ジャズ喫茶「映画館」でジャズをつまみにしてビールかウィスキーですね。

「アジサイ」は英語では「ハイドレンジァ」というらしいんだけれども、ハイドレンジァと言っても、多分、(外国人だって)分からないでしょう。基本的に、欧米では見られない花です。

 まあ、ここは静かにスコッチ(バーボンかなあ)で一人心地ですかね。

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 以上、平凡な文京区民の散歩道でした。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Hakusan ©tsunoken

2019年6月28日 (金)

今日も渋谷だ!

 25日火曜日に渋谷にロケハンに行ったんだけれども、思ったより早く西口の方の再開発が進んでいて、国道246号線に近い部分の飲食店がすっかりなくなってしまって工事が行われていた。それを見て早いところ作品展用の渋谷 Graffiti 取材をしておかないと、Graffiti 自体がなくなってしまいそうな感じがしたので、翌26日に押っ取り刀で撮影に行ったわけです。

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 装備は、メインカメラはアナログカメラとして、LEICA M6 に VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 +KODAK 400TX に、サブカメラとしてはデジタルで、EPSON R-D1s に VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f4 という組み合わせ。

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 レンジファインダー2台持ちっていうのは、初めてじゃないかなあ。

 以前、やはり作品展用に山古志の闘牛の取材に行ったときは LEICA M3 に SUMMILUX 50mm f1.4 と NIKON F4 AF NIKKOR 70-200m、で両方ともトライX という組み合わせで行ったこともあるんだが、まあ、それに近いヘビーデューティーではあったとは思う。
 都内での撮影としては……。

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 でも、本当のヘビーデューティーって言えば、やっぱりベトナム戦争の時の従軍カメラマンたちなんだろうなあ。

 基本は LEICA M3 と標準 50mm、もうひとつの LEICA M3 に メガネ付き35mm などの広角レンズ(当時は、35mmが普通の広角で、28mmは報道では一般的ではなかった)、そして NIKON F に望遠 135mm か 200mm というのが普通で、更に、それらのカメラに装着するモノクロ トライXや カラーのコダックを沢山持っていなければならなかった。

 歴史上、一番「戦場カメラマン」っていう存在が輝かしく見えた時代です。

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 結構、重たかったんだろうけれども、じゃあ、デジタル時代になって戦争カメラマンの装備は軽くなったんだろうか。

 基本は NIKON か CANON の一眼レフ2台持ち。片方は基本カメラで24mm位から70mm位までの標準ズーム、もう一方は70-200mmの望遠ズームっていう組み合わせであります。

 当然、カメラは両メーカーの一桁台メインカメラ。結構、デカいんですね。そうは言っても、フィルムも持たないでいいし、デジタルカメラなんで、周辺機材はカメラ側でなんとかしてしまうんで、あまり機材の重さはないんじゃないか、なんて考えているんですけれども。でも、NIKON にしても CANON にしても、フラッグシップ一眼レフって、結構重いんですよね。それを2台持ちってなるとね。

 いやいや、実際には「カメラマンっていうのは肉体労働」なんですよ。

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 上記の、アナログカメラマン時代から、デジタルカメラマン時代に至っても、結局、カメラマンって肉体労働でしかないし、しかし、その肉体を動かしている最中にも「肉体」とは別の「センス」も働かせなければならない存在なのである。

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 肉体労働なんだけれども、その一方、精神をキチンと制御していなければならないというね。

 まあ、どのお仕事も大変だ……、っていう言い方でおさめていいのか?

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 & NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Shibuya & Yebis ©tsunoken

2019年6月27日 (木)

The Graffiti Art (?) in Shibuya

 なぜ「The Graffiti Art (?) in Shibuya」と (?) を入れたのか?

 つまり、それらの「落書き」がキース・ヘリング、ジャン=ミシェル・バスキアやバンクシーなどの域に達しているかどうかはわからない、というのがその理由。それらの人たちの域に達していれば、それは「ART」なんだろうけれども、ねえ、やっぱり「落書きでしょ」ってなっちゃうんですねえ。大半の「落書き」は。

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 ということで、「Graffiti」って言えば渋谷ですよね、っていうことで行ってきた。

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 落書きの大半はシールを張っただけのもの(タギング)とか、数本の線だけで構成されたもの(スローアップ)が多いのだが、渋谷から代官山にかけての地区にはこうした、なかなか力の入っている落書きが多い。

 上の落書きなんか、日本デザイナー学院の生徒さんなんかが描いたものなのではないかと思わせる。
 その建物の裏側がコチラ。手前の方はタギングやスローアップが見られるが、グラフィティ的なものもあって、とにかくこのビルの周辺が周辺を歩いていても、一番力の入ったグラフィティがあるようだ。

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 ただし、埼京線の渋谷駅に近い部分のビルは現在再開発中で、既に以前あった飲食店などがなくなってしまっており、それらの壁にいろいろ描かれていた落書きは見られなくなっている。

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 渋谷区もこうした落書きを見逃している訳ではなくて、「SHIBUYA PIXEL ART GRAFFITI」なんてイベントを催したりしている。

『「Shibuya Pixel Art Graffitti」は、2019年2月~3月に開催された世界最大規模の「Shibuya Pixel Art Contest 2019」で、総勢895作品の応募の中から選ばれた作品の表彰展示です。落書き防止や街の賑やかしを目的に東急電鉄が事業展開する街メディア「ROADCAST」の協力を得て実現しています。』とか……

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『2005年、落書きで埋め尽くされていた渋谷区宮下公園周辺では、落書きを消した壁面に、先に完成度の高いグラフィティを描き直し、芸術性の低い落書きを減らす試みを実施している。』

 などの対策を施して、「ART」の域に達していると思われる「落書き」は擁護して、「文化の街=渋谷」をアピールしているみたいだけれども、はてさてそれはうまくいっているんだろうか。

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 実は、このGRAFFITI集って、今年の作品展(9月21~23日、於:雑司が谷地域文化創造館)の私のテーマにしようかと考えていて、そのロケハンで渋谷に来たんだけれども、なんかどうなっちゃうんだかわからなそうだから、早いところ本取材に行かないと間に合わなくなっちゃうなあ。勿論、本取材はフィルム・カメラ(ライカM6)でモノクロ・トライXでやります。

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 まあ、本当は公共物に対する落書きって「器物損壊罪」になっちゃうんだろうけれども、あえて芸術性の高いものは保護していこうという、ニューヨーク流の考え方を渋谷区としてはとりたいわけで……。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Shibuya ©tsunoken

2019年6月26日 (水)

『日本人とドイツ人』

 ご本人も書いているんだが、でもやっぱり雨宮さんも「出羽の守」じゃないのかなあ。

『出羽の守という言葉がある。なにかにつけ「海外では」「アメリカでは」「イギリスでは」と、日本と海外、日本と特定の国を比較する人を揶揄するときに頻繁に使われる言葉だ(本来の意味は海外比較に限ったことではないのだが)。特定の国を褒めたり、特定の国を引き合いに出して日本を批判すると、高確率で炎上してしてしまう。』

 つまり、それぞれの国にはそれぞれの文化がある訳で、それについての優劣というのはないはずだ。ところが、日本では「欧化主義」とか「脱亜入欧」なんて言葉があって、何をとっても「日本(アジア)=下/欧州=上」という捉え方のなかから、何においても「海外(アメリカ、ヨーロッパ)ではこうなのに、日本ではいまだにこうだ。それを何とかしなければいかん」という考え方が「出羽の守」なんだが、でも結局それが原因で、日本国粋主義となって、その結果、日本型ファシズムとなって、第二次世界大戦で破綻したことを考えると、あまりこうした「海外と日本を比べて、日本を下とみる」考え方をすることは危険であるということを基本においておく必要がある。

Photo_16 『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(雨宮紫苑著/新潮新書/2018年8月24日電子版刊)

 面白かったのは日本の部活に関する部分であった。

『ドイツには、日本的な部活はない。そのかわり、フェアアイン(Verein)がある(「フェライン」と表記されることもあるが、発音的には「フェアアイン」の方が正しいので、ここではそう表記する)。
 フェアアインは「協会」や「クラブ」と訳される市民団体で、地域のスポーツクラブやカルチャーセンターをイメージするとわかりやすいだろう。大半が非営利団体として登録されているので、NPO法人に近いともいえる。
 ドイツではこのフェアアインがとにかく活発で、フランクフルトがあるヘッセン州には、住民一〇〇〇人に対して八〇くらいのフェアアインがある。各学年三〇〇人ずついる中学校に、部活が八〇ちかくあるようなものだ。
 二〇〇九年、七歳から一四歳の男子の八二・四%、女子の六三・一%が、フェアアインでスポーツ活動をしていた。』

 というもの。

 まあ、ヨーロッパでは日本でいうところの「部活」というのはまったくなくて、基本的に学校では体育もなく座学だけの授業を行っている。体育やスポーツはそれぞれが自分の好みでもって種目を選んでクラブチームに入るっていうのが普通だそうだ。まあ、学校の授業は取り敢えず社会に出ていくための最低限の知識を身に着けるためのもので、それ以上のものは「学校」で用意するものではなく、周辺の「社会」が用意するものなのである。

『フェアアインには、鉄板のスポーツはもちろん、陶芸やワイン造り、ヨガ、写真撮影など、さまざまな活動ジャンルがある。同じサッカークラブでも、勝つことを至上主義として週五回みっちり練習するクラブもあれば、週一回適当にゲームをするだけのクラブもある。』

『ドイツで市民クラブがこんなにも盛んなのは、もともと自治に対する意識が高いこと、(最近は終日の学校が増えたとはいえ)学校が昼に終わるから午後や夜に時間があること、助成金が充実していること、フェアアインに関しての法整備ができていること、「所属する場所は自分で選ぶ」という価値観があることなど、いろいろな理由がある。』

 要は基本的にヨーロッパでは子供の教育(知育・体育・徳育)を学校に丸投げしないっていうことなんだなあ。日本はそれを全部丸投げしちゃうから、預かったほうの学校はある種の「全能感」でもって子どもに接するので、その結果、教師によるシゴキやイジメなんかがはびこる原因になったいるのではないか。

 で、自分の人生を他人に丸投げしないっていうことは、社会に出てからも同じで、自分の人生を「会社」に丸投げせず、会社は会社、自分は自分っていう考え方が生き方の基本になる。

 まあ、どんな生き方を、どんな国で行うのかは、基本的に本人の自由なので、出来る人は自由にいろいろな国へ行ってみて、生活してみてそれでどの国で生きればいいかを決めればいいのだろう。雨宮さんの場合は、やはりドイツ人のパートナーが出来たことが大きいのだろう。まあ、それで住んでみて、そこがよければ「住めば都」っていうことなんだなあ。

『わたしは日本らしさというものにどうも馴染めずにドイツに来て、何度かの挫折を経験し、フリーライターになった。日本がダメなわけでもドイツが最高なわけでもないが、わたしはドイツという国が合っていたのだろう。ずいぶん自分らしく生きられるようになったと思う。』

 しかし、ドイツが好きになったからと言って、その返す刀で日本を批判するっていうのは、ちょっと違うと思うんですけれどもね。

 だってサブタイトルにも書いてあるじゃん。『比べてみたらどっちもどっち』って。まあ、国の違いなんて、たいしたことはないんですよ。

  『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(雨宮紫苑著/新潮新書/2018年8月24日電子版刊)

 

2019年6月25日 (火)

市川真間は文学のふるさと

 昔、「市川真間」って、東大闘争の時の「キャラメルママ」とどう違うんだろうなんてクダらないことを考えていたんだが、そんなあだし事はさておき、市川市って意外と日本文学には近い関係の街だと知ったのは最近のことである。

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 京成本線の市川真間駅から少し行ったところに真間史蹟保存会が作った説明板がある。

『【江戸時代の真間の文学】
 江戸時代、真間は”万葉集”ゆかりの土地として、また紅葉の名所として多くの往来が見られるようになった。
 亀井院の鈴木長頼によって建立された「真間万葉顕彰碑」(1696年)は、万葉集の古歌を世間に知らしめた最古の碑として価値が高い。
 松尾芭蕉の跡を継いで、江戸俳諧を確立した大島蓼太は、真間で句を詠んでいる。
 小林一茶も、しばしば市川周辺に足を運び、寛政十年(1798年)には、松戸馬橋の大川立砂とともに弘法寺を訪れ、紅葉を愛でている。一茶門下の俳人たちも、真間を詠んだ句を残している。
 近世文学の代表ともいえる上田秋成の『雨月物語』(1776年)中の「浅茅が宿」は、真間の手児奈伝承を踏まえた悲哀潭である。曲亭(滝沢)馬琴の『南総里見八犬伝』(1842年)は、国府台の里見合戦に基づく壮大な伝記小説であり、弘法寺の伏姫桜は、この作品のヒロインに因んで名づけられたもの。
 真間の紅葉はまた、江戸川柳の恰好の句題ともなった。』

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 真間川に至る桜土手公園は「文学の道」と名づけられて、色々な文人の解説版などが並んでいる。

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 あっ、ありましたありました。永井荷風の説明板です。まあ、やっぱり市川って言えば永井荷風ですもんね。

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『【永井荷風】
 昭和二十年、偏帰館が消失して岡山へ疎開し、敗戦を迎えた。荷風が市川菅野の杵屋五叟(大島一雄)方に寄寓したのは二十一年一月十六日だった。大正六年以来、続けられた日記『断腸亭日乗』や『葛飾土産』に記されている。
『為永春水』『罹災日録』『問はずがたり』を発表して、二十二年一月、小西茂也方に転居、その後、古家を買って更に転居。この頃、『停電の夜の出来事』『断腸亭日乗』『人妻』『葛飾土産』を発表し、『永井荷風作品集』を刊行した。
 二十七年には文化勲章を受章し、『異郷の恋』『荷風戦後日歴』『永井荷風文庫』を上梓し、二十九年に日本芸術院会員に選ばれ、その後も『裸体』『水のながれ』『葛飾こよみ』などを発表。三十二年三月、八幡一二二八の新築の家に移った。
 小説の端々に市川とその周辺の風俗が巧みに取り入れられているが、『断腸亭日乗』にはその日の買い物の値段までが克明に記されている。
 三十四年四月二十九日、京成八幡駅裏の大黒家で銚子一本にカツ丼をたいらげて家に帰り、<四月二十九日・祭日・陰>の日記一行を記し、翌朝そのまま亡くなっているのを、通いの手伝い婦によって発見された。』

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 桜土手公園「文学の道」の文人の説明板の最後は井上ひさし氏であります。

 桜土手公園の行く先は、江戸川の支流で全域にわたって市川市を流れて東京湾に注いでいる、この地の名前にもなっている「真間川」であります。
 正面遠方の国府台の上に和洋女子大学が見えます。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Ichikawa ©tsunoken

2019年6月24日 (月)

「時刻や場所を特定できない写真」がいい写真なのか?

「コンテンポラリー写真」とか「コンポラ写真」ってことをいろいろ目にしたり考えるんだが、実際には「どのような写真がコンポラ写真なのか」というのは分からない。

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『1966年12月、アメリカのジョージ・イーストマンハウスで、「Contemporary Photographers, Toward A Social Landscape(コンテンポラリー・フォトグラファーズ 社会的風景に向かって)」という写真展が開催され、ブルース・デヴィトソン、リー・フリードランダー、ゲイリー・ウィノグランド、デュアン・マイケルスなどが取り上げられた。また、1967年、ニューヨーク近代美術館で行われた「New Document」展でもフリードランダー、ウィノグランド、ダイアン・アーバスなどが取り上げられた。
 一般には、彼らの影響を受けた写真が「コンポラ写真」と呼ばれている。特に山岸章二が編集長を務めた「カメラ毎日」はコンポラ写真の中心的な舞台となった。
 一方、「コンテンポラリー・フォトグラファーズ」展のカタログが日本に輸入された1968年以前に、既に「コンポラ写真」的な表現は日本でも生まれていたとの指摘もある』(Wikipedia)っていうのが「コンポラ写真」の定義みたいなんだが、これだけで分かりますか?

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 基本的には写真っていうのは、いやでも場所とか時間とかが特定できてしまうものなのだと思われている。「写真の記録性」っていうものなんだが、しかし、そうした「写真の記録性」というものから離れることのできた写真が、私の考える「コンテンポラリー写真」なのであります。

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 じゃあそれは「絵画的な意味におけるアート」なんだろうか?

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 いやいやいや、写真っていうのは現実の、カメラの前面に展開された出来事を記録するだけだから、「写真はアート」っていうことは、まったくないだろう。

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 というか「写真のアート性」からもっとも遠いところにあるのが「コンポラ写真」なのであり、同時に、「写真の写真性」だけを捉えたのが「コンポラ写真」であり、実はそれは「写真の基本」なんですね。

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 まあ、私の写真にもエラそうに「©」なんてつけているけれども、実はそんな著作権を主張するようなものではない、というのが写真の本質なんじゃないだろうか。

 私の場合の「©」は、単に「撮影者が誰か」というのを指示したに過ぎない。ノーファインダーで撮った写真の著作権って、一体誰にあるんだろう?

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 まあ、「コンポラ写真」の基本は、そこですね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Yotsuya Shinjuku ©tsunoken

2019年6月23日 (日)

「クリシェ」に陥る?

「クリシェ」というのは、もともと音楽用語で「コード進行においてコードの中のあるひとつの音を順番に下げたり上げたりしてコードそのものを変化させていくやり方を指す。コードは基本的に「1度」「3度」「5度」の三つの構成音を基本として成り立っており、クリシェではそれらを半度や1度づつ、上げたり下げたりしながらコードをつなげていくという方法論なんだが、ジャズ評論なんかではもうちょっと違う意味で使われている。

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「クリシェ(フランス語: cliché、発音: [klɪ'ʃe])とは、乱用の結果、意図された力・目新しさが失われた句(常套句、決まり文句)・表現・概念を指し、さらにはシチュエーション、筋書きの技法、テーマ、性格描写、修辞技法といった、ありふれたものになってしまった対象(要約すれば、記号論の「サイン」)にも適用される。否定的な文脈で使われることが多い。ある技法がクリシェを使っていると識別される時、それは作者が独創的な着想に尽きて、想像力に欠けるものに助けを求めたと解釈されることが多い。」(Wikipedia)

 ジャズなどでアドリブが常套句みたいになってしまって、同じフレーズが何度も出てきたり、別の演奏なのに、以前の演奏と同じようなアドリブをすると「〇〇はクリシェに陥ってしまった」などと言って酷評されることが多い。 

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 つまり、私が1月28日のブログで『「銀座写真」への決別』ということを書いたのは、まさしくこの「私の『銀座写真』がクリシェに陥ってしまった」と考えたからに他ならない。結局、どの「銀座写真」を見ても、それらは大した違いはなく、すべての写真が単に「銀座」を写しているという以上の意味がなくなってしまった、と自分自身で捉えたからなのである。

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 しかし、同じジャズミュージシャンの同じ曲をライブで何度も聞いていると、実はこの「クリシェに陥っている」状態を何度も聞いたりする。そりゃそうだ、アーチストは毎日毎日ステージに立っており、結果として同じ曲を毎日毎日演奏しているわけだ。なので、当然、そのアドリブがクリシェになってしまっているというのも、やむを得ないということにすぎない。

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 つまり、クリシェから脱する方法というのは、実はなくて、毎日毎日同じ曲を演奏しているうちに、何かの「ヒラメキ」を感じて、新しいフレーズのアドリブなんかが出来てしまったりするものなのだ。

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 写真でクリシェを脱する方法というのは、実は簡単で、「撮影方法を変えてみる」「レンズを変えてみる」というような方法があって、例えば同じ「銀座写真」でも、レンズを12mmから28mmに変えてみたり、撮影方法をアイポイントからノーファインダーにしてみたりするなど、があったりする。まあ、それでそれが上手くいくかどうかは分からないんだけれども。

 普段は12mm(35mm換算で18mm)で撮影している銀座を、この時は28mm(35mm換算で42mm)、つまりこれまで超広角だったものを標準レンズで撮ってみたわけです。加えて、いくつかの写真はノーファインダーなんだけれども。

 果たして、上の写真はその辺が上手くいっているんだろうか。

EPSON R-D1s LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Ginza & Shimbashi ©tsunoken

2019年6月22日 (土)

「プリウスロケット」説って、何だよ

『高齢ドライバーの暴走事故は全部このクルマのせいなのか?「プリウスロケット」説』というカバーストーリーが気になって、久々に「週刊プレイボーイ」(7月1日号)を読んでみた。

2019-7-3『週刊プレイボーイ 2019年7月1日号』(集英社)

 しかし、当たり前の話なんだが「クルマという機械が操縦者の意思に反する動きをした」のであれば、それはクルマが悪いということになって、製造者責任が問われるところなんだが、プリウスがそんなに危ないクルマなのか、と言えばそんなことはない。

 トヨタの株主総会でも事故の原因はクルマの欠陥なんじゃないかという質問も出たらしい。
『株主からもトヨタなど自動車産業を取り巻く環境を懸念する声は相次いだ。一つは相次ぐ高齢者のドライバーによる事故の問題だ。「安心できる車の技術開発はどこまで進んでいるのか」などの質問が出た。寺師茂樹副社長は「(アクセルなどの踏み間違いについて)ドライバーの判断や動作をもっとサポートできないかあらゆる方面で検討している」と述べた。』(日経新聞電子版 6月13日付)
 つまり、トヨタとしては事故の原因がクルマにある訳ではないが、「高齢者ドライバー」の「判断や動作」の誤りを回復できるクルマを検討しているという返事が返って来たらしい。

 まあ、要は

何らかの原因でNレンジにレバーが入る

アクセルベタ踏みして何で加速しないんだろ~?ってボケ倒す

何故かそのままDレンジにレバー入れてミサイル発動!

ハイブリッドフルパワーでF1レーシング開始!ボケ運転手卒倒でミサイル止まらねえ!

どかーん

 っていうのが、「プリウスロケット説」なんだけれども、その辺については『週刊プレイボーイ』でプリウスに乗ってレポートした自動車ジャーナリストの塩見サトシ氏は以下の通りレポートをしている。

『初代以来、ユニークなATシフターが採用されてきた。定位置から右下に動かすとD、右上に動かすとR、真右へ倒し続けるとN。そしてシフター脇にあるボタンを押すとパーキングに入る。
 ボタンを押しながら操作する必要はない。ボタンそのものがなく、シフターを動かせばよい。加えてブレーキペダルを踏まなくともNからDやRに入れることができる。Dに入れることができるクルマはほかにもあるが、Rに入るクルマは少ない。
 通常のAT車同様、運転中にNを使う頻度は非常に低いが、なんらかのきっかけでNに入って、さらになんらかのきっかけでアクセルを踏み込んだとする。例えば駐車券を取るために体をひねったり、後退する際に後ろを直接目視するために上半身を助手席側にひねったりする際に誤って右足がアクセルペダルにのってしまったケースなどが考えられる。
 その状態でさらに”なんらかのきっかけ”が重なり、シフターがNからDもしくはRに入ってしまった場合、プリウスはアクセルの踏み具合に応じて加速する。もし床まで踏んでいたら全開加速だ。』

 要は「なんらかのきっかけ」が二重にも三重にも重なった場合に「事故が起きる」っていことなんだろう。

 クルマは「フェイルセーフ」「フールプルーフ」の塊のような機械だ。
「フェイルセーフ」「フールプルーフ」って何だ?
 つまり「間違えても大丈夫」「バカでもOK」っていうこと。

 クルマは国土交通省の形式認定を受けていないと販売できない。当然のその審査の中では「フェイルセーフ」「フールプルーフ」が一番重要な要素として考えられているのである。

「プリウスロケット」というのは、こんな「おバカさん」以下の人間が「二重にも三重にも重なった『なんらかのきっかけ』」によって起こされるっていうことなんだなあ。

 つまり、「プリウスロケット」を起こしちゃうような高齢者ドライバーの存在は、そんな高齢者でもラクに運転できる「フェイルセーフ」で「フールプルーフ」なクルマを作り出したトヨタの責任でもある。

 もういっそのこと、高齢者ドライバーはマニュアル車しか運転できないように道路交通法を改正するしかないんじゃないだろうか。「年寄りに優しい簡単操作のプリウス」のような車が事故の原因だっていうのなら、もうそうでもするしかない。

 まあ、当然高齢者たちのころには「AT免許」なんてなかったんだから、「アンタ、その年齢になったらマニュアル車しか乗っちゃいかん」ってやればいいだけのことなんだからね。

「ブレーキを踏んだんだけれども、アクセルが戻らなくて、ドッカーンって行っちゃった。」なんていうトンでもない言い訳をするような上級国民は、絶対に許しちゃいかんのだ。 

『週刊プレイボーイ 2019年7月1日号』(集英社) 

2019年6月21日 (金)

銀座写真、再び

 1月28日のブログで「休日の銀座→人出がいっぱいある→それを撮影すれば、面白い写真が撮れる。という三段論法なんだが、もうそれもないかな。外国人の観光客なんて、もう被写体にするのも面白くなくなってしまって……。ってなことで『「銀座写真」への決別』なんだが、はたしてどんなことになるんだろう。」なんてことを書いたんだが、半年も経ないでまたまた銀座写真に戻ってきてしまった。

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 銀座写真に戻ってきたとは言っても、別に以前録っていた写真群と変わるわけではない。

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 いずれにせよ「写真に意味はない」と考える私の写真が変わるわけではないのだ。

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 ただし、一昨日のような晴れて明暗がくっきりとする風景は、やはり写真は光と影の表現だという気がしてくる。

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 写真には光と影があって、それ以外のモノはない。単なる「光と影」でしかないのだが、これぐらい光と影がしっかり映るシーンでは写真を撮っていても楽しくなる。

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 楽しくなるんだが、別にそれだけで何か意味があることなのかと聞けば、別に意味はない。

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 単に景色を写し撮っただけなのだが、それはそれで楽しいんだけれども、別にそれ以上の意味がある訳ではなく、そこにあるのは「風景」だけなのである。

 まさに「風景写真」の基本ですね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Ginza ©tsunoken

2019年6月20日 (木)

浅草写真って、何だ?

 え~、今日は田中長徳氏とは会わないだろうから 堂々と EPSON R-D1s に VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 で撮影なんであります。エヘン。

 って威張るほどのもんじゃないか。所詮、幇間芸以下の写真なんですもんね。

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 それにしても、永井荷風の浅草写真じゃないけれども、浅草っていう町はどんな撮り方をしても「絵」になってしまう町なんですね。

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 まあ、私なんかのヘボ写真家でも、なんかそれらしく見えてしまうのであります。

 以前、ニコンの講座で浅草で撮影会があったんだけれども、その時にも浅草という場所のフォトジェニーについて感じたことであるのだが、どこにレンズを向けても、なんか「それらしく」写真が撮れてしまう。という以前から、浅草という町にはかなりの頻度で撮影に出かけてはいるんだが……。

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 まあ、明日の「銀座写真」っていうのもそうなんだが、やはり「街のフォトジェニー」ということで言えば、やはり浅草という町は一頭地を抜けた「フォトジェニックな街」ということができる。

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 まず、町としての面白さと、当然そこにやってくる人たちの面白さって言うものが、相乗効果を生んで「絵になる」んですね。

 そういう意味では、「自分の写真の腕を読み間違える」可能性の高い街が浅草であり、同時に銀座でもあるっていうことなんだろう。

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 う~む、心して撮影しなければ……、なんてね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Asakusa ©tsunoken

2019年6月19日 (水)

佃島から豊洲へ:大川端を往く

 梅雨の晴れ間という貴重な日。大川端を歩こうという気になった。
 大川端というのは隅田川の下流のこと。本当は佃島の西側を通る流れが本当の隅田川でその他は「朝潮運河」「晴海運河」なんて名前が付いていたりするんだけれども、佃島から先はもう運河がいっぱいなので、それらを含めて「大川端」と一緒くたにして呼んでしまうのです。

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 使うカメラはいつもの散歩スナップに使っている EPSON R-D1s + VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6……、にしようかと思ったんだが、佃島在住の写真(機)家、田中長徳氏から「12mmというのは、フルサイズの35mmの18mm見当だから、長年慣れている画角で、私の場合、このレンズは街角の勝負レンズだ。ただし街頭撮影の幇間芸があまりまともに現れると、格好悪いので、最近では12mmでの撮影はなるべく自粛。」(@「EPSON R-D1 WORLD」by 日本カメラ社)なんていう言葉を頂戴しそうになったので、それはやめてニコンにした。
 まあ、私のカメラの腕前なんて「幇間芸」なんてもにも足下も及ばないですけれどもね。

 以前、佃神社の境内で田中氏には遭遇したことがあるので、ここは要注意、注意。

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 佃島じゃない、中央区佃あたりには結構闌れた長屋なんかがあってなかなか写欲をそそる町なのではあります。

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 少し行くと朝潮運河というところに入り、「海水館の碑」なんてのがあります。
 海水館って何だ?

『海水館は明治38年に坪井半蔵によって建設された割烹旅館です。当時の月島は東京湾を臨む風光明眉な地であったといわれ、当地に宮城県仙台市の建物を移築して旅館兼下宿を開業しました(建坪130坪、2階建て、24部屋)。閑静な地であったため、明治末期から多くの文学者に執筆場所として利用されました。
 島崎藤村は明治40年から海水館において、自伝小説『春』を執筆し、新聞に連載しました。小山内薫は海水館に止宿し、明治44年から『大川端』を執筆しています。
 詩人の吉井勇は大正2年から止宿して歌集『毒うつぎ』の創作にはげみ、三木露風は明治45年と大正2年に止宿して、詩集『白き手の猟人』をまとめています。なお、海水館は大正12年の関東大震災で全焼しましたが、その時の石畳みが今も坪井宅に残っています。
 海水館は明治から大正年間にかけて著名な文学者が作品を執筆した場所として貴重な史跡といえます。』

 という昔は文士旅館として有名な旅館だったらしい。神楽坂の和可菜みたいなものだったんだろうか。
 和可菜は昔、トシちゃん主演(笑)の『課長 島耕作』のシナリオ作りで脚本家の故・野沢尚氏と監督の根岸吉太郎氏をカンヅメにしたことがある。

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 晴海運河に架かる春海橋と並行して走っているのが、越中島駅と豊洲石炭埠頭を繋いでいた旧国鉄の晴海橋梁(って、なんだがややこしいな)。今は廃線=廃橋となってしまい、一時期遊歩道として使おうという案も出たんだが、改修にお金がかかるってんで、そのままになってしまっているらしい。ちょっともったいない?

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 で、春海橋を渡るとそこは豊洲です。中央区月島から江東区豊洲へ。

 豊洲は出光丸や数多くの重工業製品を作ってきた、石川島播磨重工業の本拠地。
 そのドックヤードの跡地に出来たのがアーバンドックららぽーと豊洲です。

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 豊洲には、もう一つ私が気になるスポットがあるし、写真にも撮ったんだが、ある理由からここには載せない。

 暑かったんだけれども、川面を流れる風が気持ち良い散歩コースだったな。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Tsukuda, Tsukishima, Harumi & Toyosu ©tsunoken

2019年6月18日 (火)

江戸川区ハザードマップ「ここにいてはダメです」

『日経 xTECH 2019年6月7日付』の記事がなかなか刺激的で面白い。

 取り上げているのは江戸川区が発表した水害ハザードマップなんだけれども、その表紙に『想定最大規模の巨大台風や大雨で、荒川と江戸川が氾濫したら……高潮が発生したら……どうする?』として『区内に浸水の恐れがある場合は、「ここにいてはダメです」と明記』している。
 つまり「ここ」とは江戸川区のこと。

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 江戸川区の江戸川に近い区域に住んでいる人は「千葉方面の浸水の外へ」「茨城方面の浸水の外へ」、荒川に近い区域に住んでいる人は「埼玉方面の浸水の外へ」「東京西部方面の浸水の外へ」「神奈川方面の浸水の外へ」という具合に、いずれも「江戸川区は『ここにいてはダメです』」として、「より安全な区外へ その他の河川氾濫や土地災害の危険のないところ」へ「各自で避難先を確保」することを勧め、「まずは、区外の親戚・知人宅や宿泊施設・勤め先など各自で避難先を確保してください。」という指示を出しているのだ。

 一体、何故江戸川区はそんなハザードマップを作成したのか。ハザードマップを監修した東京大学大学院情報学環の片田敏孝特任教授は言う。

「実は、『ここにいてはダメです』という言葉は当初、ハザードマップに書いていませんでした。この言葉を加えた理由は、水害リスクを包み隠さず公表しなければ、早期の広域避難が実現できないと考えたからです。災害時に『役所が明確な避難指示を出さないから逃げない』という人は、目前に危機が迫った瞬間に役所のせいにして死ぬことに後悔はないのでしょうか。行政に依存する住民の意識を変えなければなりません。台風が来る数日前には一人ひとりが自主的な避難をしなければ助からない。近年の水害はそれほど広域化、激甚化しているのです」
「江戸川区は、荒川や江戸川など大河川の最下流域に位置し、東京湾に面しています。陸域は低く区の7割は満潮時の水面より低い『海抜ゼロメートル地帯』となる。こうした環境は江戸川区を含む江東5区でも同じで、洪水や高潮による水害でほとんどの地域が水没します。江東5区の人口の9割以上、250万人が浸水被害にあうのです。浸水は長いところでは2週間以上続きます。電気が使えない状況で数十万人が孤立する可能性がある。ですから、水害が発生する数日前から段階的に自主避難を促し、区域に残る人口をできる限り減らす。それが重要なのです」
「『ここにいてはダメです』という言葉が議論を起こしたのだとしたら、ひとまずは成功でしょう。やっと一歩が踏み出せた。多くの住民がリスクを理解して、早期の自主避難を意識することが、マス・エバキュエーション(広域避難)のスタート地点となるのです」

 とは言うものの、江戸川区と隣にある江東5区(江戸川、足立、葛飾、墨田、江東)はどこも似たり寄ったりで、区域にはいわゆる「ゼロメートル地帯」という場所を抱えている。まあ、だからこその「〇〇方面の浸水の外へ」という「但し書き」が必要になるんだろうけれども、でもねえ、そんなところに知り合いでもいればいいのだけれども、そうでない人は、家の近所の避難所として準備がある場所を常に意識していなければならないということなんだろうな。

 片田特任教授に言わせると、そうしたマス・エバキュエーションのお手本はキューバにあるそうだ。

『「広域避難を最もスムーズに実行している事例は、キューバにあります。05年のハリケーン『カトリーナ』では米国で1800人以上が亡くなりましたが、キューバでの死者はゼロ人でした。社会インフラが脆弱なキューバはどのように人的被害を抑えたのか。現地を調査した結果、官民の信頼関係が広域避難に欠かせないことが分かりました」
「キューバは政府が災害リスクを国民に説明し、軍隊が出動して避難誘導しています。国営バスを使用して数百万人規模で避難するのです。避難には医師も加わり、ペットを飼う人のために獣医まで同行しました。ですから、国民も政府に協力して自主的な避難を進めます。キューバの政治体制が社会主義であるという側面が広域避難に影響しているともいえますが、これからの日本の災害対策にも住民と行政の信頼関係が欠かせないのです。」

 まあ、自助の国・アメリカではかえってそのためにガソリンスタンドにガソリンが空っぽになってしまったというような問題が起きたりしていたそうで、そういう意味では社会主義の国の方がやりやすいのかもしれない。まあ、住民と行政の信頼関係があるキューバだからできたことなのかも知れないなあ。同じ社会主義国でも中国じゃそんなにうまくはいかないかもしれない。

3_8江戸川区水害ハザードマップはコチラ

2019年6月17日 (月)

白金4丁目、「あなた三光町?」

 昨日話した「恵比寿3丁目から白金高輪に出る」道なんだが、どうも「三光通り」という名前の通りらしい。この道の中ほどに「三光坂下」という交差点があるので、そのような名前が付いたんだろうが、まあ、通称でしょうね。
 その「三光坂」の上に何があるのかは知っているんだが、私は「坂を上がるのは嫌」という性分なので、実際には目黒駅の方から行ったので、行った通りに書きます。

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 目黒駅を出て目黒通りを南下すると、庭園美術館や自然教育園なんかの前を通って「えっ? あの白金台に? 極安売りのドン・キホーテが?」って言われたメガドンキの前を通り過ぎて、少し下り坂になったところの角を左折すると……

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 目指す三光坂上に至ります。

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 三光坂上の標の目の前が、広尾に大学がある聖心女子大学の付属小学校・中学校・高校の聖心女子学院があるんだが、気位の高い聖心女子学院の生徒たちは、「むしろ大学の方が聖心女子学院の附属じゃないか」ってな考え方をしているようだ。

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 聖心女子学院には、聖心女子学院初等科・中等科・高等科(東京都港区白金)、札幌聖心女子学院中学校・高等学校(北海道札幌市中央区)、不二聖心女子学院中学校・高等学校(静岡県裾野市)、小林(「おばやし」と読みます)聖心女子学院小学校・中学校・高等学校(兵庫県宝塚市)、聖心インターナショナルスクール(東京都渋谷区広尾)、聖心女子専門学校(東京都港区白金)、聖心女子大学(東京渋谷区広尾)という学校があって、中でも白金にある聖心女子学院と、兵庫県宝塚市にある小林聖心女子学院が、聖心グループ(って言う方が正しいのかどうかは知らない)の中でも伝統があるらしい。

 なので気位の高い両聖心女子学院のOBたちは、聖心女子大学に進学しても、「貴方、三光町? 小林?」と確認しつつ、当然ながら「三光町派」「小林派」に分かれていろいろ対峙しているようなのだ。まあ、だからといってそれが対立とか抗争なんてことにはならないのが「お嬢さん学校」らしいところですがね。

 聖心女子大学には当然外部高校出身者も沢山いるわけなのだが、いずれこの「三光町派」「小林派」に属することになるそうだ。
 いやあ、女の子たちも結構生きていくのは大変な世の中なんですねえ。

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 で、面白いのは学校の外壁沿いにグルッと回って、正門の裏側に来ると「蜀江坂」という結構急な坂があって、その坂を下まで降りると聖心女子学院の通用門があるってことなんですね。

 実は、聖心女子大学にも同じようなキャンパスの構造があって、正門は日赤病院と並んだ丘の上なんだが、坂の下の広尾商店街から上がっていく通用門があって、渋谷から日赤病院行のバスで通学する人はラクチンなんだが、東京メトロ日比谷線広尾駅を利用する学生は、毎日毎日、広尾商店街から通用門を抜けて、毎日毎日エッチラオッチラ急な坂を上って行かなければならないのであります。

 聖心女子学院の経営者って、こういう坂道地形が好きなんだろうか。

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 まあ、白金台や目黒から聖心女子学院に通っている生徒さんは全然気にしないだろうけれども、白金高輪方面から通っている人たちにとっては、毎日の三光坂上りがつらいだろうな。

 体は鍛えられますけれどもね。

EPSON R-D1s VOIGHTLAMDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Shirogane ©tsunoken

2019年6月16日 (日)

白金・下町、長屋商店街

 外苑西通りを天現寺橋から南に行って恵比寿3丁目の交差点を左に折れると、そこから北里大学の前を通り、白金高輪にでる道を通ることになる。

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 実は、この道が面白いのは、住所的には「白金」なんだけれども、いわゆる「シロカネーゼ」がいる白金台とは全く様相が異なる、下町風の佇まいを見せているところなのである。それも昭和(大正?)の下町風なんですね。

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 で、私が勝手に名付けたのが「長屋商店街」。
 今や東京でも珍しくなっている「長屋」形式のお店がいくつも並んでいるっていうことなんですね。長屋形式の商店って、昭和か下手をすると大正時代の名残なのかなあ。もしかすると、工場なんかがなかった場所なんで、震災や戦災を免れたのかもしれない。


「えっ? 白金ってそんな下町だったの?」なんて疑問もわくんだけれども、よく考えてみれば、ここは「白金」、「白金台」ではありません。

 白金からずっと下に降りてきて、渋谷からずっと続く古川のほとりまできたのが古川橋のある「白金」。
 つまり、麻布の仙台坂上にあった仙台藩邸から下に降りてきたのが麻布十番というような「山の手⇔下町」関係論が成り立つのが、まあ、この近辺でもあるんですねえ。

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 ただし、白金台はそうした武家屋敷があった場所ではないらしく、っていうか武家屋敷は麻布までで終わってしまったらしく、まあ、後の江戸周辺というか東京周縁部っていうのは、そうした地方の藩の大名の別荘や、江戸下町の商家の別荘なんかがあった場所らしい。

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「白金」という地名も、「応永年間に白金地区を開墾した柳下上総介」に因んだもので、その柳下上総介が扱っていたのが「白金=プラチナ」だったってのが、地名になったということらしい。

 とはいうものの、慶応3年(1867年)には、東京で最初の屠殺場ができたという場所だったらしいので、まあ、いずれにせよ白金も白金台も武士の世界からは「我、感心にあらず」ってな場所だったんでしょうね。

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 まあ、山があれば麓がある。山の上があれば、山の下がある。
 で、その上が「山の手」になって、下の方が「下町」になる、っていう構図が、別に武家と町人っていう関係だけではないというところが新発見だったかな。

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 そうか、町人同士でも「山の手」派と「下町」派があるんだな。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Shirokane ©tsunoken

2019年6月15日 (土)

「てっぱく」に行った

 大宮にある「鉄道博物館」通称「てっぱく」に初めて行ってきた。

 もともと、以前に駒込に住んでいた頃には二人の男の子が小さかったこともあり、神田万世橋にあった交通博物館にはちょくちょく行っていた。一時期、駒込を離れて上石神井に住んでいた頃に、2007年10月14日の鉄道の日(旧暦明治5年9月12日:新橋ー横浜間を初めて汽車が営業運転を始めた日)をもって、万世橋から大宮に移り、名前も「交通全般」ではなくて、なにしろJR東日本が運営するんだから「鉄道」でしょ、ってなもんで「鉄道博物館」ってなってからは、実は一度も行ったことはなかった。

 北に行く新幹線や在来線に乗るたびに脇を通るんだから、一度は見に行かなきゃな、なんて考えていたんだが、なんせ「埼玉県」の「大宮」でしょ、ってのがあまり行く気にさせなかったんだなあ。

 なんせ「埼玉県の大宮」だもんなあ。

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 大宮から「てっぱく」に行くには、別に大宮駅から歩いて行ってもたいした距離ではないんだけれども、そこはひと駅だけだけど「ニューシャトル」ってのに乗らなきゃなあ(実は、以前、一回だけ終点の内宿まで乗ったことがあります)。

 で、ふつう「ニューシャトル」っていうネーミングなんだから「ゆりかもめ」「日暮里舎人ライナー」「横浜シーサイドライン」なんかの「無人操縦電車」をイメージしますよね、それらの電車と同じゴムタイヤの『自動案内軌条式旅客輸送システム(じどうあんないきじょうしきりょきゃくゆそうシステム、AGT : Automated Guideway Transit)とは、小型軽量車両が自動運転により専用軌道上の案内軌条に従ってゴムタイヤで走行する中量軌道輸送システムの一種である。』であるはずなんだけれども、実は自動運転じゃなくて「運転手さん」がいるんですね。

 まあ、その分横浜みたいな「突如、逆走!」みたいな事故は起きないんだろうけれども、「新交通システム」でもって、運転手さんがいるっていうのが、今や「不思議」っていうか……。

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 で、大宮駅から次の駅が鉄道博物館です。

 まあ、入場がSUICAで出来るっていうのは、さすがにJR東日本が運営する博物館ではありますなあ。

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 とは言うものの、別に昔の列車・汽車・電車に興味のない私にとっては、実は一番興味があるのが「鉄道ジオラマ」なんですね。

 ということで、「JR鉄博新都心駅」前まで行きます。

 JR東日本あたり、本当にこんな名前の駅を作っちゃいそうで怖いな。

 埼玉県では「大宮」が都心なのか「浦和」が都心なのか、今でも決着はついていないようですが、すくなくとも、交通の要衝としては大宮だし、その結果、商業的にも大宮の方が埼玉県の中心ですよね。

 しかも、いずれは県庁もさいたま新都心の方に来ちゃうんでしょ。まあ、浦和の地盤沈下は免れないな。

 いずれ、大宮駅が「JR鉄博新都心駅」になっちゃうのかなあ。それはそれで面白いなあ。

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 私自身、多少、「乗り鉄」な部分は自分でも認めているところなんだけれども、それは「電車(汽車)に乗っている時間が楽しい」っていうだけであって、乗っている電車(汽車)が何々型の何号車かなんてことには興味はない。ということは、何となく眺めているだけで楽しいというジオラマあたりが「軽い・鉄オタ」には合っているのかもしれない。

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 当然、JR東日本なので新幹線は北陸新幹線「かがやき」や東北新幹線「はやぶさ」「こまち」だし、在来線特急は「成田エクスプレス」とか「あずさ」なんですね。

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 どんなに待っていても、東海道新幹線「のぞみ」「ひかり」「こだま」は来ません。その辺が旧国鉄が運営していた「交通博物館」と、JR東日本の「鉄道博物館」の違い。

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 なんたって、この「団子っ鼻」の新幹線も、東海道新幹線0系じゃなくて、上越新幹線200系ですもんね。

 しかし、何で旧国鉄だと「交通博物館」だったのが、JR東日本日本になっちゃうと「鉄道(だけの)博物館」になっちゃうのかが、よく分からないなあ。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Omiya ©tsunoen

2019年6月14日 (金)

伊勢は一年中、お正月?

 先月、伊勢参りに行って気が付いたことがある。

 一日目に外宮を詣で、二日目に内宮を詣でっていうスケジュールだったんだけれども。

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 内宮よりも外宮の方が目立ったかな、という印象のある「正月でもないのに注連飾り」を玄関の上に飾っている家が多いってことなのだ。

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 なんなんだろう、これは? と思って調べてみたんだが……。

『旅の途中で宿を乞うた武塔神(むたふ(むとう)のかみ、むとうしん)を裕福な弟の巨旦将来は断り、貧しい兄の蘇民将来は粗末ながらもてなした。後に再訪した武塔神は、蘇民の娘に茅の輪を付けさせ、蘇民の娘を除いて、(一般的・通俗的な説では弟の将来の一族を、)皆殺しにして滅ぼした。武塔神はみずから速須佐雄能神(スサノオ)と正体を名乗り、以後、茅の輪を付けていれば疫病を避けることができると教えたとする。以来、蘇民家は駅業を免れ代々栄えた。』(Wikipedia)という伝説があるそうだ。

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 以来、伊勢の人々は「我が家は蘇民将来の子孫である」という意味の「蘇民将来子孫家門」という護符を家の目立つ場所に飾ったらしいんだということは分かったんだけれども、何故、それを一年中門前に飾っているのかはよく分からない。

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 本来、正月の注連飾りは松の内が終わることには外し、左義長(どんど焼き)に持って行ったり、神社に納めるっていうのが普通ですよね。

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 もともと、注連飾りっていうのは「神域と現生を隔てて不浄なものが入らないようにする結界」だったんですよね。家々はお正月に年神様をお迎えするために、年神様を迎えるのに相応しい神聖な場所ですよ、と神様に示すために飾ったんですね。

 つまり、何かの理由で自分の姉の天照大神が祀られている伊勢神宮に行った際に、自分のことを助けてくれた蘇民将来を思い、にっくき裕福な弟の巨旦将来の子孫を根絶やしにしちゃったんだけれども、それを恐れて「いえいえ、わたくしの家は蘇民将来の子孫ですよ」って言うために、一年中注連飾りを出しているっていうらしいのだ。

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 もともと「荒神」と呼ばれた須佐之男命である。後に英雄とはなったものの、未だに伊勢の人々から恐れられている存在なのであります。
 う~ん、結構、執念深い須佐之男命ではあるんですね。

 っていう私の解釈は……、本当か?

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Ise ©tsunoken

 

2019年6月13日 (木)

「幸福洗脳」って、なんか怪しいネーミングだなあ

 先日、駒込駅周辺を歩いていた時にみつけた電柱看板がこれ。

「幸福洗脳」ってわけがわからんキャッチフレーズに、何か怪しげなマーク。う~ん、なにかの新興宗教団体かもね、ってことで「怖いもの見たさ」でもって看板の下の方に書いてある住所「南青山1-16-1」まで行ってきた。

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 港区南青山1丁目16番1号っていうのは、青山一丁目交差点で東西に分かれる外苑東通りの真ん中あたり、乃木神社の近くまで行ったところの、青山墓地に近い方の裏通りであります。

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 周囲は完全な住宅街。外側の通りには都営アパートなんかがあるんだけれども、裏の方はマンションや一戸建てなどの住宅ばっかりだ。

 なんか、怪しい新興宗教団体あたりが潜んでいるような雰囲気だ。

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 そんなマンションの一角に半地下や一階が店舗になっていて上が住居っていうマンションがある。

 ここが港区南青山1-16-1。まさしく「幸福洗脳」の本部? あるいは本拠地なのだった。って言っても、別に宗教団体じゃなくてブティック風のお店なのでした。なんか「幸福洗脳」ってロゴが印刷されているTシャツを売っているみたいだ。

 実は、この「幸福洗脳」のお店って、あの「武勇伝・武勇伝」でお馴染みの漫才コンビ、オリエンタルラジオの中田敦彦氏が経営している店だったのだ。

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 なんで、中田氏はこんなお店を始めたのか。

『まず前提として、一般的なTシャツのロゴで大切なのは、 “意味の分からなさ”。お笑いでも「気を付けて~って言っているやつのTシャツに“DANGEROUS”って書いてあった」なんてネタがあるように、意味が分かるといじられてしまうんですよ。「シュプリーム」も、その言葉が“最高”を意味していることを知らない人も多い。いじられないで、デザインとして文字がさりげなくTシャツに入っているのが正攻法。ただ、僕は今まで現行のルールの真逆を狙い、最短距離で突き抜けてきた。「武勇伝」も、漫才が主流だった中でリズムネタを前面に押し出してM-1の準決勝まで進み、「Perfect Human」も、周りの芸人が漫才やコントしかしない中で、歌ってみようと思いヒットした。Tシャツに関しても同じで、“日常に溶け込む意味の分からない英語”がロゴとして主流なら、僕は“日常に支障をきたす意味の分かる漢字”でいこうと思ったんです。』

 なるほど、それが「幸福洗脳」っていうネーミングの意味(?)ってわけなんだ。

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 ふう~ん、で、今後の展開は?

『もっと多くの人を巻き込んでビジネスを拡大させていきたいですね。アパレルだけでなく、あらゆるコンテンツに「幸福洗脳」印を付けて、適正価格で販売していくつもりです。いずれは「幸福洗脳」がライフスタイルに根付き、「無印良品」の隣に「幸福洗脳」の店舗があるかもしれません(笑)。みんなの力で行けるところまでいかせてください、と思っています。』(以上、引用はファッション誌WWDの公式サイトより)

 う~ん、なるほどなあ。

 まあ、面白い展開なんだけれども、今後も見続けていられるんだろうか? 取り敢えずは近々のところでは注目して見ますがね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Komagome & Minami Aoyama ©tsunoken

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「幸福洗脳」の公式サイトはコチラ

2019年6月12日 (水)

『0円で会社を買って、死ぬまで年収1000万円』って、そんなおいしい話が?

『サラリーマンは300万円で小さな会社を買いなさい』なんて言われてその気になったと思ったら、『0円で会社を買って、死ぬまで年収1000万円』だと?

 う~ん、日本経済は最早そこまで進んで(進み過ぎて)しまっているのか。

 そんな「美味しい話」があるのか?

Photo_12 『0円で会社を買って、死ぬまで年収1000万円 個人でできる「事業買収」入門』(奥村聡著/光文社新書/2019年4月26日電子版刊・2019年4月30日紙版刊)

『最近、中小企業の後継者不足の問題がより注目されてきました。「大廃業時代」と呼ばれ、この先127万社が廃業を迎える、という予想も発表されています。
 たしかに中小企業の後継者不足の問題は大きな社会課題です。ただし、ピンチはチャンス。その気になれば誰でも会社を引き取って、社長になれる時代なのかもしれません。
 だから、社長になってみませんか?』

 っていうのは理解できるんだが、でも『0円で会社を買って』なんてことが可能なんだろうか?

 まず『第2章「ダイヤの原石」を探してみよう』から『会社を買う鉄則』というのを見てみよう。

●会社を買う鉄則 ① 借金は大きくてもいい、資産は小さいほうがいい
●会社を買う鉄則 ② 今よりも未来の「稼ぐ力」に注目せよ
●会社を買う鉄則 ③ 「技術」と「設備」には警戒すべし
●会社を買う鉄則 ④ 既得権益ごと買ってしまえ
●会社を買う鉄則 ⑤ 地の利を活かした戦いをする
●面倒くさそうな人間からは逃げる
●結局は「好きになれること」が正解
 個人的には、好きなことをするのではなく、「好きになれること」をやるべきだと思っています。わずかな言葉の差ですが、ニュアンスの差は小さくありません。

って、それはあまりにも当たり前すぎるっていう感じなんですね。

 結局、数百万円ぐらいのお金で買える127万社の会社って、そのほとんどが中小企業というかもっと小さな零細業などに近い存在なんではないだろうか。ということになると、まさしく『第6章 オーナー社長を口説き落とそう』ってことになって、実はそれが一番難しいところなのである。

『会社を売却しようが、先代にとってはいつまでも「自分の会社」です。頭ではあなたのものになったとわかっていても、感覚は急に変わりません。いつまでも自分が社長のように振る舞われる恐れがあります。』

 ってなことになってしまっては、「会社を買う」意味がなくなってしまうだろう。

 だとしたら、そんなボロ会社を買うよりは自分で起業したほうが早いかもしれない。クルマだって新車を買えば自分好みの味付けのクルマに仕上げることはできるが、中古を買えばそれなりに前オーナーのクセが残っていたりするものだ。ましてや前のオーナーがゼロから起業した会社だったら尚更だろう。結局、前オーナーが「何故、その会社を手放さなければならなくなったのか」というストーリーをじっくり検討することが必要なようだ。
 その結果、いやそれでも自分が手に入れることに意味があると考えるならば、全力を挙げてその会社を獲得するだけのことである。

 結局、「モチベーション」なんだよなあ。

 『0円で会社を買って、死ぬまで年収1000万円 個人でできる「事業買収」入門』(奥村聡著/光文社新書/2019年4月26日電子版刊・2019年4月30日紙版刊)

2019年6月11日 (火)

日本経緯度原点

 昨日のPV(ページビュー=ブログの閲覧数=まあ、テレビの視聴率とか雑誌の刊行数みたいなもんですかね)が突然1000を超えた。
 まあ、ここ数日3桁PVだったので、もしかしたらという予感はあったんだけれども、なるほどなあ。
 5月にブログを壊してしまい、URLを変えて2カ月程たったんだ。最初は初めてブログを始めた10年前みたいな、自分でセルフチェックしたものを含めて1日20PV位から再スタートして、ここ数日で何となく前のブログ読者が帰ってきてくれているのかなあ、なんて予感があったんだけれども、取り敢えずは再びブログをスタートしてよかったなあ、という感じになっているtsunokenではあります。

 で、今日のブログのスタート!

 4日前の東京アメリカンクラブに行ったときに見つけたのがこの「日本経緯度原点」であります。

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 場所は麻布狸穴の駐日ロシア連邦大使館の脇を進んで東京アメリカンクラブの門をさらに過ぎて、以前は周防氏のバーニングとかジャニーズとかがブイブイ言わせる前に日本の芸能界・テレビ界を支配していたドン、渡辺晋氏の渡辺プロダクションの本社があった場所で、現在はクラシック系の音楽スタジオとして知られるサウンドシティとか、ラジオ日本(旧ラジオ関東)があるビルの前。

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 なんとなく駐日アフガニスタン大使館の中かな? なんて思える場所にあるんですね。

 というかそれは話が逆で、元々東京天文台の一部だった場所に日本経緯度原点を作ったんだが、その後、東京天文台は三鷹に移転し、土地は国交省のものになったんだけれども、その一部を駐日アフガニスタン大使館に売ったわけです。

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 で、「日本経緯度原点」って何だ? って言ってしまっては、あまりにも私の無知さをさらけ出してしまう。要は「日本の中心」の場所を決めて、日本の地図をすべてここからスタートさせるっていう「ポイント」なんですね。

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 これが、その「ポイント」。

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 ただし、そのポイントも関東大震災や、東日本大震災などの大きな地殻変動によって少しずつ移動しているようなのだ。

『2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震により、東日本を中心に大きな地殻変動が発生し、日本経緯度原点そのものも移動した。これを受けて行われた再測量の反映として、同年10月21日に測量法施行令が改正され、原点数値のうち経度が0.0110秒だけ東寄りに改められた。緯度については改正されていない。これは、原点が真東に(90°)、277 mm移動したことを意味する。』

 そうか、東日本大震災でもって日本列島の位置は「28cmも」移動したってことなんですね。まあ、その上に住んでいるとまったく気が付きませんけれどもね。

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 昔「AKIRA」の音楽で芸能山城組の録音をサウンドシティでやった時には、確か、駐日アフガニスタン大使館なんてなかったもんなあ。

 いやあ、昭和は遠くなりにけりですねえ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Higashi Azabu ©tsunoken

2019年6月10日 (月)

京成お花茶屋・曳舟川親水公園

 京成本線お花茶屋駅ってなんとも「お花畑」な駅名なんだけれども、「お花茶屋」っていうのは駅がある場所の地名なんだから仕方がない。

 じゃあ、なんで「お花茶屋」なのかっていえば、「江戸時代、江戸幕府八代将軍の徳川吉宗が鷹狩りに興じていた際に、腹痛を起こした。その時、名をお花という茶屋の娘の看病により快気したとの言い伝えがある。この出来事により、現在の地名を賜ったとされている。」(Wikipedia)というよくある話。

 太田道灌の「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」みたいな典雅な話だなあ。っていうくらい、この地は田舎だったっていうことなんですね。いやあ、これまた「お花畑」な逸話ですなあ。

 で、この地は田舎だったっていうもう一つのお話。

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 昔、この地には曳舟川という川があった。

『江戸期の後期から明治の初めごろにかけて行われた曳舟は、一種の水上交通機関ではあったが、舟を曳く動力が陸からの人力であるため、馬とか籠などの陸上交通機関の要素も含まれたものであり、当時曳舟は異色の交通機関として人気があり、江戸市中から下総、水戸方面へ行く、多くの旅人に利用されている。』

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『他の都市河川と同様に、1964年東京オリンピックが開催された昭和39年ころまでは、小魚などの生物が生息している川であったが、高度成長期に入ると生活雑排水やメッキ工場からの排水が流れ込み瀕死の状態となっていた。
 排水規制等によって、水質は改善されたものの、葛西用水の一部区間の公園化や葛西用水からの取水ができなくなったことにより、現在の曳舟川は支流も含めて埋め立てられ、水路は存在しない。』

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『葛飾区の区間は、人工的な水の流れをつくり、曳舟川親水公園となり、自然の川を再現した区間や、シャワーを備えた親子向けのプールになった区間もある。』(以上、引用はすべてWikipediaより)

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 まあ、現在はまだ夏前なので子ども向けのプール部分には水が入っていないが、もうすぐ営業を開始するんだろう。

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 まあ、考えてみれば「お花茶屋」っていう地名が「お花畑」なんだから、まあ、町の印象も「お花畑」的になるのはしょうがないのかなあ。周辺にはお花畑なんてものはないんですけれどもね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Ohana Chaya & Shiratori ©tsunoken

Photo_13歌川広重画『名所江戸百景「四ツ木通用水引ふね」』

2019年6月 9日 (日)

「視点展」とか「日本リアリズム写真集団」って、なんだかわからいけど、見に行った

 昨日は上野にある東京都美術館で日本リアリズム写真集団による全国公募写真展「視点」を観に行く。
 東京都美術館では現在「クリムト展」を開催中で、とにかく東京都美術館を訪れる人はみなクリムト展の方に行く人なんだけれども、こちとら、グスタフ・クリムトったって、せいぜい「ユディト」とか「接吻」っていう訳の分からない絵画しか知らない低レベルの美術ファン(って言うのか?)なので、ごく普通に「クリムト展」の上のフロアで開催中の「視点」展に行ったのだった。

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「視点」展って何だ? っていう前に、主催者の「日本リアリズム写真集団」って何だ? ってことを調べなければならない。

『日本リアリズム写真集団は、写真の創作活動を通じて、表現の自由を守り、日本の平和と民主主義の発展に寄与しようというプロ及びアマチュアの写真家、評論家、編集者などで構成する自主的な創造活動の団体です。私たちは、すぐれた日本文化の伝統と写真の歴史的成果に学び、自由で人間性あふれる文化と社会の発展をめざして、個性豊かな写真表現を目指します。』

 っていうのが日本リアリズム写真集団の会則の冒頭に記された言葉。

 まあ、今や当たり前なんだけれども「平和と民主主義」っていう使い古された言葉が生きている団体……、って、言葉になんか引いてしまうんですね。「今更、それだけが信条か?」ってなもんです。

 っていうか、「写真」と「リアリズム」っていうのは同義でしょ、というのが私なんかにはある。今更「リアリズム写真集団」って言われてしまってもなあ、ってところである。

 別に「リアリズム写真」って言ったって、「報道写真」とか「ジャーナリズム写真」ってわけではない。ごく普通に撮った写真も「リアリズム写真」なんだって言われちゃうと、それは当たり前、まあ「普通に撮った写真がリアリズム写真か」ってことになっちゃうと、話は堂々巡りになっちゃうんですね。

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 とは言うものの……。

「館内撮影禁止」らしいので、いくつか気になった写真はあるんだけれども、それを紹介することはできない。この辺は、写真展主催者に言っておきたいんだけれども、そんなチマチマした写真家の著作権を守るのと、展覧会のパブリシティをすることのどちらが大切なんだろう。

 そんなわけで、会場内の写真は数点撮ったのだけれども、作品を紹介することはできない。
「いいのか、それで」とは思うんだけれども、主催者の「ガチガチに固まったアタマ」の前ではどうしようもない。
 もっと「パブリシティ」ってことを考えた方が「写真表現の実現者」としては考えた方がいいと思うんですがね。
 なんか、写真を「著作権に守られた表現」だと思っている人が多いんですね。
 実は、もともと写真表現っていうのは、著作権を脅かす表現だったんだけれどもなあ。
 なんか、その辺の基本を忘れている、世界の写真業界っていうんですかね。

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 特にジャーナリスト的表現に溢れた作品ばかりじゃないんだけれども、やはり目につくのはそんな作品群なのである。まあ、写真は基本的にリアリズムの表現形態なんだってことで、一番近いのはジャーナリズムなのであります。
 つまり、一方では写真表現は著作物的表現物ではないというのが私の考え方。なので、「だったら、著作権意識ばっかり高めても写真表現にとってはいいことはないんだけれどもなあ」というのが、私の考え方。

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 なので、写真展の作品写真は撮れないので、東京都美術館前のセルフポートレイトです。

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全国公募写真展 2019年「視点」展、東京の開催は6月13日まで
以降、巡回展を名古屋展(愛知県美術館 7/3~7/7)、大阪展(堺市文化館 8/7~8/11)、浜松展(クリエート浜松 9/3~9/8)、仙台展(10/8~10/13)、三重展(アストプラザギャラリー 11/20~11/24)の予定で開催。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Ueno ©tsunoken

2019年6月 8日 (土)

白山神社あじさい祭りは「カタツムリ」が可愛いんです

 今日から文京区白山神社と白山公園で「文京あじさいまつり」が6月16日まで開催されます。

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 白山神社のあじさい祭りは約3,000株のあじさいが咲いて見事な彩りを見せます。
 この写真は実際のあじさい祭りのちょっと前なんで「あじさい全開!」ってな感じではないんですがね。

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 本当は、少し雨でも降ってちいさなカタツムリが出て来てくれると最高なんですね……。そのカタツムリの動きが可愛くて、可愛くて。
 あっ、触っちゃだめですよ。眺めるだけ。
 そのためにはもうちょっと待って梅雨入りしてからが一番あじさい祭りの本当の旬なんです。

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 で、白山神社のあじさい祭りの一番の売り物は神社境内じゃなくて、境内の裏にある富士塚なんです。

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 普段は門が閉められていて上ることが出来ない白山の富士山なんですが、このあじさい祭りの時だけは特別に公開されていて、門から入ってあじさいに彩られた富士塚に上ることが出来るんです。

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 普段から上ってもいいようになっていればと思うんだけれども、周辺の家のすぐそばに富士塚があるので、富士山のてっぺんに上がると周囲の家の中が見えてしまうというので、普段は上がれないんですね。でも、このあじさい祭りの時だけは、特別に周辺の人たちから了解をとって、特別に上れるっていうので、結構、こちらも人気の的です。結構、入り口には行列ができます。
 カタツムリも梅雨時になればみることができます。

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 これが不満だった方には、駒込富士神社へどうぞ。こちらは白山神社よりもっと大きな富士山があります。元々は古代の前方後円墳の一部であったという謂れがあります。まあ、どうでもいいんですけれどもね。

 都営三田線の白山駅からすぐのところに白山神社はあります。
 裏は東洋大学です。何の関係もないんだけれども……。

 是非ともお運びを……。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Hakusan ©tsunoken

2019年6月 7日 (金)

東京アメリカンクラブって何だ?

 麻布の飯倉片町から飯倉交差点に向かって外苑東通りの右側にあるのが駐日ロシア連邦大使館である、ことは皆さんよくご存知の通りだ。
 日本とは国境を接している国なので日本とロシアの関係は深く、その後、日露戦争やロシアの10月革命直後などの国交断絶期を除き、戦後は駐日ソビエト連邦大使館、1991年からは駐日ロシア連邦大使館として機能している。

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 ところが、その駐日ロシア大使館の真裏にある「東京アメリカンクラブ」については知らない人が多いと思う。実は私もそんな存在を知らなかった。

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 東京アメリカンクラブって何だ?

『東京アメリカンクラブ(とうきょうアメリカンクラブ、Tokyo American Club )は、東京都港区麻布台にある日本の会員制社交クラブ。1928年に設立された。略称はTAC 。当初は社団法人であったが、2012年に一般社団法人へ刷新された。 』

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『1924年にアメリカで排日移民法が制定されたことを受け、東京クラブにいた51人のアメリカ人会員が同クラブを脱会し、独自にクラブを設立することにし、1928年(昭和3年)5月23日、在日アメリカ人が妻や恋人と楽しむための会員制社交クラブとして、帝国ホテルの向かいにあった麹町区の岩本ビルの上層階3フロアを使って設立された。
  会員数の増加にともない、1935年に丸の内・三菱不動産のビルへ移転したが、1941年太平洋戦争が始まると閉鎖されて南方開発金庫が設立準備された。日本の敗戦後、1949年7月4日に会員数350人で再開したが、家族ぐるみで滞日するビジネスマンが増えるなど、構成会員に変化が出てきたため、規約等を大幅に変更し、1954年に社団法人化して麻布台に移転した。当地は尾張藩主徳川慶勝の大名屋敷跡で、明治時代にはジョサイア・コンドル設計による川村純義の邸宅が建っていた。
 1972年(昭和47年)には麻布狸穴町(現在の麻布台)に新しいクラブハウスの建設が始まり、1975年にオープンした。同地はかつての南満州鉄道(満鉄)東京支社の跡地である。日本人会員やアメリカ人以外の外国人会員も増え、文化交流の社交場となっていった。』(以上、引用はすべてWikipedia)

 まあ、要はアメリカの上流階級(ってのがアメリカにもあるんですね)のための社交クラブだったっていうわけ。それが今でも残っているってのも凄いが……。

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 いやまあ、別に東京アメリカンクラブがどうこうということには別に興味はない。

 そうではなくて、ロシア(旧ソ連)大使館の真裏がアメリカンクラブっていう場所的な面白さが気になるっていうだけのことなんだけれど。ロシア(旧ソ連)っていえばアメリカの仇敵でしょ。それが外苑東通りのすぐお隣にあるってのがね……。

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 意外と、ロシア大使館の地下と東京アメリカンクラブの地下が繋がっていて、結構、行き来が多かったりする、なんてことがあると面白いんだけれどもなあ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Azabudai ©tsunoken

2019年6月 6日 (木)

東京幻景:幡ヶ谷六号通商店街

「幻景」って何だ? まあ、要は「まぼろし」っていうだけのことなんだが、文芸評論家の前田愛が『幻景の街』『幻景の明治』という「街」と「文学」にかかわるテクスト論的というか記号論的っていうような評論を発表してから、何かとっても意味があるような言葉であるというふうにとらえられてしまった。

 しかしまあ、言葉としてさほどの意味のある言葉ではない。要は「現代」の景色を見て、そこにある「昔」の景色を捉えようとする、はかないおこないにすぎないものを、なにか意味のある事柄のように見せる方法論、って言っていいのだろうか。

 まあ、写真と言うものは「現在」そのものを捉えることはできるけれども、「過去」を撮影できるわけではない。でも、そんな現在を撮影しながら、過去に思いを馳せ、何かそこに現在に通底するものを探すっていうことを、私は「幻景」という言い方をしたいと考える。

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 ということで今回行ったのが京王新線幡ヶ谷駅前にある「六号通商店街」であります。

 六号通りっていうのは笹塚から西新宿へ、ちょうど国道20号線(甲州街道)の北側を並行して走っている道で、新宿に近いところではオペラシティが有名なところ。

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 甲州街道とその六号通りを繋ぐ数百メートルの短い商店街が「六号通商店街」である。

 その六号通商店街の特徴は、1階が店舗で2階以上が住まいになっている家が多いんだが、特に多いのが2階から4階くらいまでをアパートとして貸し出している店が多いと言うところだ。

 まあ、新宿駅までは京王線で2駅、新宿西口からは歩いても来れる場所だということで、最悪、新宿で飲んでいて最終電車を逃してしまっても大丈夫、っていうことで若い人たちには住むのに便利な場所ということで、結構、人気の住宅地でもあったわけだ。

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 で、そこに当時私のスタッフをやっていた若い人が住んでいた。酒も飲めない男だったんだけれども、なぜそんな場所に住んでいたのかはわからない。

 その頃、アニメーションや実写などの映像制作から一歩退いてしまっていた、K談社マルチメディア事業局(笑)映像・ソフト製作部は部長が映像制作に不慣れなせいでゲーム製作にのめり込んでいて、ちょっとこの部署がどの方向に行くのかが訳が分からなくなってしまっていた時期ではあった。

 もともとアニメーション製作のためのアシスタント・プロデューサーとして雇っていたはずのそのスタッフも、突然の部署の方向転換に戸惑っていたようだった。毎日、出社はするんだけれども何をしていいのかは分からない状況で、とりあえず毎日パソコンとにらめっこしているだけの毎日だった。毎日、毎日パソコンとにらめっこをしているんだけれども、毎週の企画会議ではなにも発言はなかった、
「パソコンを見ているだけじゃなくて、いろいろと取材に出て、そとの空気を吸って、いろいろと考えてみたら?」という私の助言に関しても、前向きの返事は来るんだけれども、実際にそのように行動した形跡はまったくなかった。

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 で、その内、彼は会社にもあまり来なくなってしまった。

 こりゃあ一大事ですよ。正社員じゃないフリーランスのスタッフだ。別に時給とかのバイト君じゃなくて、仕事をしているっていうことを私が上に申請すればギャラは出るわけだ。と言って、何も仕事をしている形跡はない、で、会社にも出てこない人間を雇ってくれるほど会社は鷹揚じゃないわけで、どこかで、何らかの判断をしなければならない。

 ということで、私は六号通商店街の彼のアパートに何回か行くことになった。
 あまり「心の琴線」に触れることはなかなか言えない……、とは言っても「心の琴線」に触れることを言わないと、事態は改善しない(まあ、この辺は、あまり深くは言えませんね。私もツラい)。

 何度か六号通商店街に通って、私は彼に対して故郷に帰って一度自分を見直して、再挑戦することを諭し、かれもその提案を受け止めてもらった。

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 その後、彼が故郷に戻ったところまでは知っているが、その後、どうなったのかは知らない。知らせてもらえない。

 まあ、今は幸せに生きているんだろう……、と勝手に考えているだけだ。

 幡ヶ谷商店街の思い出っていうのは、そんな、ちょっと苦い思い出がある。

 面白いのは、生涯平社員(副部長というのは私が入った会社では平社員と同格)だった私なんだが、映像製作という仕事をやったおかげでマネージメントクラスの人と同じ経験を持つことができた、っていうことかな。

 彼以外にも結構、使えないスタッフは切ってきました。勿論、当時から使える人で、いまでもK談社からは関係なく活躍している人はいますよ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Hatagaya ©tsunoken

2019年6月 5日 (水)

下妻(周辺)物語

 いやあ、下妻まで行く途中に国道の先の左側に見えたのが、大きな天守を持つお城だった。

 な、な、なんだこの城は! 五層もある天守って言ったら江戸城でしょ。それがなんでこんな田舎にあるんだ? っていうかこんなに見晴らしのいいところにそんな天守は必要ないでしょ、ってなもんですね。

 調べてみたらこのお城(のようなもの)は「豊田城」という名前の「常総市地域交流センター」だそうだ。なあんだ、やっぱりそうだったんですねぇ。
 中には、元々の常総市の一部だった石下町の資料とか、地域出身の歌人、長塚節の資料なんかが展示されているようだ。

 まあ、「免震構造の千葉城(!)」みたいなもんかな。天守まではエレベーターでも上れるそうだし。

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 豊田氏は下妻の多賀谷氏と領地争いを繰り広げていたそうで、結局、多賀谷氏には敗れて落城してしまったらしい。勿論、落城したのは小貝川のそばに「豊田城址」という碑が残っている方の、本当の豊田城の方なんですけれどもね。

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 下妻市から西に行って鬼怒川を越え、ほんの少し南に行くと……

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 筑波サーキットです。

 元々は鬼怒川の西は千代川村という下妻とは別の自治体だったんだけれども、現在は下妻市に編入されてしまっている。「大常総市構想」からは離れた下妻市なんだけれども、しっかり周辺の村は取り込んでしまっているということです。

 この日は「筑波ロードレースシリーズ」の第2戦が行われていました。
 久しぶりだなあ、ツクバのレースって。昔からはコースがほんの少しトリッキーにはなっているけれども、基本レイアウトは同じで、相変わらず最終コーナーの難しさはあるようだ。

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 で、結局、この地域(常総市〈=水海道市、石下町〉と下妻市)っていうのは筑波山がシンボルなんですね。

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NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Shimotsuma & Ishige ©tsunoken

 

2019年6月 4日 (火)

下妻物語

「下妻物語」といえば、誕生年は1745年(ロココ朝全盛期)であると自称する変な作家、嶽本野ばらが原作で、深田恭子と土屋アンナが主演して大ヒットした映画で有名なんだけれども、じゃあ、その下妻市って最近どうなのよっていうことで行ってきました。なんせ昔よく行っていた町ではあるものの、もう既に数十年前のことだもんなあ。

 JR常磐線の松戸から守谷を過ぎてJR水戸線の下館をつなぐ「超ローカル線」関東鉄道常総線が唯一の鉄道路線であり、松戸から守谷を過ぎて水海道まではまだ複線なんだけれども、そこから下館までは単線っていう、まさしくローカル線の典型みたいな路線である。勿論、全線非電化である。

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 まあ、そんな「ド田舎」でありながら「ロリータ・ファッション」が好きな女の子というのが深田恭子の役なんだが、まあ、田舎でも情報だけは東京と同じだけ入ってくるという、現代のメディア状況をまさしく映し出したキャラクターであるし、一方、土屋アンナ扮する「ゼロハン・ヤンキー」が服を購入するのがジャスコ(現イオン)であるってのも、さすがに「今」の地方都市ではありますなあ。

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 で、その下妻市に何があるかっていえば、まず「多賀谷城址公園」なのであります。

『多賀谷氏は、初代氏家が現在の多賀谷城跡公園の一部に本丸を構え、隣国豪族を攻めて、その勢力下に置くほか、小田原北条氏政勢の再来を撃退するなど、七代にわたり百四十七年間下妻城主として常総地方に栄えていた。
 慶長五年(1600)、関ヶ原の戦いが起き、七代重経は佐竹氏とともに西軍に心を寄せ、徳川家康の再三の誘いにも出陣しなかった。この戦いで家康に憎まれ、石田三成にくみした理由で、慶長六年二月、城主追放城破却となり、当地を去った。
 城主追放のとき奥方はじめ奥女中達は行く末を案じて、ある者は懐剣でのどを突き、ある者は館沼に身を投げた。』

 とある。

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 下妻市の中心地からすぐそばに砂沼(「ヘラ鮒供養塔」がある)という溜池があるんだが、こちらが「館沼」だったという記録はない。館沼というのは多賀谷城のそばにあった池らしい。

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 まあ、それ以外に何か下妻の町に見るべきものがあるのかと言えば、残念ながら、そんなものは何もないのであります。
 とにかく、上と下の二枚の写真が下妻のメインストリートなんだから、まあ、街の雰囲気は推して知るべしってところでしょうね。

 しかし、嶽本野ばら氏も面白い町に目を付けたもんだなあ。東京からは決して遠い町ではないんだけれども、実に「田舎」な町なんですねえ。

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 昔、新入社員時代にお世話になった大塚屋書店を探したんだが、街中にはなくなってしまって、郊外の国道沿いに移転してしまったようだ。

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 しかし、2004年に公開され話題になった映画『下妻物語』なんだけれども、この映画がヒットした関係で、周辺の石下町や水海道市との市町村合併協議会(大常総市構想)から下妻市は抜けてしまって、未だに「下妻市」のままなのである。

 結構、地方都市の合併論議っていい加減なものなのですね。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Shimotsuma ©tsunoken

2019年6月 3日 (月)

いつもの散歩道から

 一昨日はちょっと遠出をしたのだけれども、移動はほとんどクルマだったので、あまり歩いていない。
 サントリー「ロコモア」の元気なお婆ちゃん、滝沢恵美さん77歳、一日の歩行数15,382歩には到底届かないなあ、ということで、昨日はいつもの散歩コースを歩いた。

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「いつもの散歩コース」というのもいくつかあるんだけれども、昨日歩いたのは本郷通りコース。

 まず、家から出て本郷通りを南下してとりあえずは東大本郷キャンパスへ。
 ここまででおよそ5,000~6,000歩。ほぼ中間地点という感じかな。
 ということで、大体、この辺で一休み。

 大体、1日に10,000歩歩くというのを必達目標にしており、その記録という意味でも写真を撮っているんだが、いつの間にか「写真を撮るために歩いている」のか、「歩くのが目標で写真を撮っている」のかが分からなくなっている昨今です。

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 東大を出て本郷三丁目へ行くと「本郷もかねやすまでは江戸の内」で有名な「かねやす」の前に来るんだが、最近は「かねやす」が営業をしているのを見たことがない。まあ、二階から上は貸しビルをやっているので、店をやらなくても問題はないんだろうけれども、本郷通りのメルクマールである「かねやす」が営業をしていないのは、ちょっと寂しい。

「かねやす」の経営者には猛省を促し、是非とも営業再開を願いたいものである。

 って、ひとごとなのにね。いずれにせよ、ここから江戸城(皇居)までが江戸初期の江戸の範囲だったんですね。いやあ、結構、狭いなあ。

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 本郷二丁目からは、本郷通りを離れてお茶の水駅前に出ます。

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 お茶の水通りを駿河台下まで行くとゴールまではもうすぐ。

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 錦町河岸を過ぎると丸紅ビルの前に出て終点。
 ここまでで家から10,566歩。滝沢恵美さんには到底及ばないなあ。

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 昨日は日曜日のため、内堀通りの一部をサイクリストのために開放している「パレスサイクリング」を実施しています。
「パレスサイクリング」自体は1周3km位の短い平坦なコースなんだけれども、途中、パレスサイクリングコースから離れて、代官町、半蔵門、桜田門という内堀通りを通って、再びパレスサイクリングコースに戻るというルートを設定すると1周5kmのアップダウンを含んだコースになる。この二つを取り混ぜて走るとけっこう面白いトレーニングコースにはなるんですね。

 一昨年、心臓の手術をしてからサイクリングは再開してないのだけれども、季節も良くなったし、再開しようかしら。古い、ビアンキ・ルナで。今流行りのストレートなフロントフォークじゃないんだけれどもね。
 家からパレスサイクリングまでは片道約5km、それとパレスサイクリングコース、内堀通りコースを混ぜて走ると、大体50kmから100kmのコースを設定できます。実はパレスサイクリングで100kmを走ったことはない。

 途中で飽きちゃうんですよね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Hongo, Surugadai & Marunouchi ©tsunoken

2019年6月 2日 (日)

エプソンスクエア 有楽町駅前にオープン

 これまで新宿西口にあったエプソンスクエアだったんだが、この度、丸の内の有楽町駅前に移転し、オープンした。
 富士フイルムが丸の内に移転してきたのに次いで二番目だ。

「東京都新宿区で運営している3つのショールーム・ギャラリーを統合し丸の内へ移転し、『エプソンスクエア丸の内』としてグランドオープンいたしました。」というのがエプソンのサイトの文章。

 なぜ、「新宿から丸の内へ」なのかはわからないが、まあ、ビジネスの中心は丸の内っていう感じなのかなあ。まあ、エプソンはセイコーの子会社なので、セイコーの登記上の本社、銀座四丁目和光ビルに近いところに行くっていうのは分かるんですけれどもね。

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 勿論、エプソンの現在の主力商品はプリンター、それもリコーや東芝などの他メーカーと違って、オフィス・プリンターよりはカラー、特にフォトプリンターに注力している関係から、ショールームに飾ってあるプリンターも私が以前使っていたフォトプリンターの後継機なんかもあって、思わず欲しくなったりしてね。

 まあ、今は写真プリントに関しては自前プリントはやめてラボに頼むことにしているので、取り敢えずどんなプリンターがあるのかを見ることが、これからのポイントかな。

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 面白いのは、オリエント時計のコーナーができたこと。

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 もともと、セイコーの子会社だったエプソンが、セイコーに買われたオリエント時計を、今度はエプソンが子会社化したっていうこと。
 もともと、諏訪精工舎というアナログ時計の下請けメーカーからスタートして、今やデジタル関連で日本を代表するメーカーとなったエプソンが、今度はアナログ時計のオリエント時計を傘下に収め、デジタルからアナログへどうやって巻き返しをするのかというのは、興味をそそる。

 私は、現在「セイコー・スポーツ・ファイヴ」というアナログ腕時計を使っているんだが、そうか、これからはオリエントっていう選択肢もできるんだ。いいなあ、アナログ時計。

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 勿論、写真展スペースもあります。

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 写真展スペースでは『佐藤健寿 WUNDER Ⅱ」というのが、杮落しで開催中だ。

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 まあ、銀座と新宿が、東京の二大写真スポットだっていうのは昔からなんだけれども、それをさらに加速させるイベントでもあるなあ。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Marunouchi ©tsunoken

2019年6月 1日 (土)

サントリー ロコモア CMの駅

 サントリーの健康食品「ロコモア」のCMが面白い。

 東急池上線のある駅から乗って、東京駅(多分)から北陸新幹線に乗って金沢まで行って、お寿司を食べて、日帰りで戻ってくるっていうだけのストーリーなんだけれども、とにかくこの主演のお婆ちゃん「滝沢恵美さん、77歳」の歩き方がまず軽快なんですね。

Cm©SUNTORY

そのCMがコチラ

 最初に電車に乗る東急池上線の駅がここ。さすがにGoogle Mapのストリートビユーですぐにわかった。

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 サントリーのCMに合わせたサイズが上の写真で、もうちょっと引くと下の写真みたいな感じになる。

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 石川台の蒲田方面の駅。というか、東急池上線とか多摩川線って、同じ東急沿線でも実に「ローカル線」っぽさが濃厚で、いまだに、行き先別のホームと駅入り口が上りと下りで別(つまり普通の駅のような跨線橋とか、橋上駅っていうのがない)ってのが特徴。本当に「昔の駅」そのままなんですね。

Dsc_00052_4 五反田方面の駅入り口。

 石川台駅は五反田方面から洗足池駅の次の駅。高台にある洗足池から谷底の呑川へ下りていく途中。なので、このお上品な滝沢お婆ちゃんの住まいは石川台駅からさらに上がったところにあるに違いない。

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 呑川沿線には石川台希望ヶ丘商店街っていう、いかにも下町然とした商店街があるので、健脚お婆ちゃんは毎日この商店街へ、坂を上り下りして買い物に行くんだろう。

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 お婆ちゃんの健脚の秘密は、この毎日の坂の上り下りにありそうだ。

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 まあ、それはいいとして、この元気なお婆ちゃんが乗るのが池上線の蒲田方面の乗り場。

 あれ? 東京駅から北陸新幹線に乗るのなら、普通、五反田まで行って山手線に乗って東京駅ですよね。蒲田から京浜東北線で東京駅というと、ちょっと時間が余計にかかっちゃうんじゃないでしょうか? なんてCMを見ていると考えてしまうんですけれども、まあ、このお婆ちゃん、普通に「JRに乗る」って言っちゃうと蒲田へ行くのが習慣になっているんでしょうか。

 CMの画面を見ていると午前7時20分頃を時計の針は指しているようだ。
 というので時刻表を調べてみると「7:20石川台→7:33五反田7:40→7:59東京8:12→10:47金沢」というのと「7:39石川台→7:53蒲田8:00→8:23東京8:36→11:06金沢」というのがある。やはり石川台から金沢に行くには普通は五反田回りなんでけれども、まあ、この時間で言うと7時39分蒲田行っていうことなんでしょうね。

 金沢に着いた滝沢お婆ちゃんは、武家屋敷とか兼六園、犀川近辺を歩いて、近江町市場にあるお寿司屋さんでお昼(?)を食べて、東京に帰ってきます。まあ、11時過ぎに金沢駅着なのでお昼を食べたのは午後2時か3時頃でしょうか。

 一日、金沢で過ごして帰って来たのは薄暮っていうか、夜もそんなに遅い時間ではない頃。まあ、金沢ー石川台間片道4時間半位なので、多分、滝沢さんは近江町市場でお寿司を食べてすぐに金沢駅から帰京したんでしょう。

 この日、滝沢恵美さんが歩いた歩数は15,382歩。

 まあ、電車に乗っている時間は多かったけれども、金沢に行ってからはほとんど歩いているようなので、その位の歩数はいっているのでしょうね。

 う~ん、しかし、77歳であの軽やかな歩きっていうのは、憬れちゃうなあ。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Ishikawadai ©tsunoken

 

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