無料ブログはココログ

chotoku.note

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

フォト

« 六義園はわが庭 | トップページ | 横浜ブルーラインを往く:センター北駅から南駅へ② »

2019年5月21日 (火)

横浜ブルーラインを往く:センター北駅から南駅へ①弥生時代のニュータウン

 まあ、そんな訳で伊勢に来ている。別に「令和元年」とは何の関係もない。
 取り敢えず、昨日は下宮を参詣。今日は内宮を参詣して、二見浦、シーパラダイスと行って、京都に行く予定。
 さあ、どうなりますことやら。

 横浜市営地下鉄ブルーラインとグリーンライン双方の共通した駅がセンター北駅と南駅である。
 まあ、それだけ横浜市が港北ニュータウンの開発に力を入れたということなんだけれども、そのニュータウン開発の時に発掘されたのが大塚・歳勝土(おおつか・さいかちど)遺跡である。

Epsn00122_10

 センター北駅を出て「歴博通り」という広い道を渡ると、目の前に迫るの小高い丘を登っていくと「大塚・歳勝土遺跡公園」というのがある。

Epsn00232_7

 丘のてっぺんに行くとこんな風景が広がって、弥生時代の村の風景が広がってくる。

『大塚遺跡は高台に作られた弥生時代中期の環濠集落であることが確認された。歳勝土遺跡では、大塚遺跡の環濠とその周囲に広がる土塁に近接した一帯から方形周溝墓群が発見されて、年代的にも同時代であることが確かめられ、環濠集落(大塚遺跡)に住んだ人びとの墓地であることが明らかになった。』(Wikipedia)

Epsn00272_7

『現在、歳勝土遺跡と大塚遺跡の東側3分の1の面積にあたる約33,000平方メートルが保存されている。大塚遺跡の中央部及び西側は開発によって高台ごと削り取られてしまい、消滅した。』(Wikipedia)

 つまり、現在残っているのは昔の3分の1の広さであり、昔の村はもっとずっと大きかったということである。

Epsn00312_4

 丘のすぐ下には早渕川という下流に行くと鶴見川と合流する川が流れていて、「川沿いの高台」という古代の村の遺跡に共通の立地ということが分かる。

Epsn00242_4

 まあ、考えてみれば大塚・歳勝土遺跡は弥生時代の港北ニュータウンだったってことですね。
 そこに作った街が「ニュータウン」って言っても、全然ニュータウンじゃないですね。人間の考え方なんて、たいして進歩していないってことなんでしょうか。

Epsn00342_2

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm F5.6 @Tsuduki Yokohama ©tsunoken

« 六義園はわが庭 | トップページ | 横浜ブルーラインを往く:センター北駅から南駅へ② »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 六義園はわが庭 | トップページ | 横浜ブルーラインを往く:センター北駅から南駅へ② »