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2019年5月

2019年5月31日 (金)

永久平和を願って

 池袋サンシャイン60の脇に「東池袋中央公園」という公園がある。

 サンシャイン60が、第二次世界大戦後東京裁判で裁かれた戦犯を収容していた「巣鴨プリズン」の跡地であったことを知っている人は多い(その後、東京拘置所となって1971年に東京拘置所は小菅刑務所跡に移転して、サンシャイン60と東池袋中央公園になった)。

 しかし、東條英機はじめ7名のA級戦犯が処刑された場所を知る人は少ない。

 しかし、東池袋中央公園の片隅にひっそりと建っている「永久平和を願って」という碑文が書かれた碑がある場所が、実は処刑所だったのだ。

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 碑の裏には碑文が書かれている。

『第二次世界大戦後、東京市谷において極東軍事裁判所が課した刑及び他の連合国戦争犯罪法廷が課した一部の刑が、この地で執行された。
 戦争による悲劇を再びくりかえさないため、この地を前述の遺跡とし、この碑を建立する。
                昭和五十五年六月』

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 今やサンシャイン60の周辺はアニメイトが出店してからは、マンガ、アニメなどの「オタクの街」として有名になってしまったし、東池袋中央公園もコスプレ関連イベントや撮影会の場所として有名になってしまっており、それらに集う人たちには東京裁判だの巣鴨プリズンなんて、何の興味もない事象になってしまっているんだが、しかし、そんな街にもしっかりと歴史の礎は残されている。

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「永久平和を願って」という碑を作ったのは、豊島区や東京都などではなく、A級戦犯だった笹川良一氏の秘書を自称していた元右翼の有田正憲という人。

「永久平和を願って」という名の「A級戦犯慰霊碑」であるために、建立にあたっては近隣住民との間で訴訟も行われたようだ。

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 うーん、しかし、A級戦犯7名、BC級戦犯53名がこの場所で処刑されたわけで、つまりそれは「7+53=60」ってことで、そうか、サンシャイン60っていうのは、処刑された60人の戦犯たちの墓碑だということなのか。

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 以上、なぜサンシャイン60は60階建てなのかという理由でした。

 って、ウソウソ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTAL WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Ikebukuro ©tsunoken

2019年5月30日 (木)

横浜「裏中華街」を歩く

 京浜東北線を石川町で降りる。

 石川町で降りる場合は、普通は元町方面か山手方面へ出るんだが、この日は、逆に中華街方面へ行く。まあ、石川町駅には「元町・中華街」って書いてあるので、間違いじゃないんだけれども、何となく東京から行くと中華街は京浜東北線だったら関内か、みなとみらい線元町中華街でしょ、ってな感じなので、石川町から中華街へ行くとなると、なんか裏中華街に行くっていう感じになるんだなあ。

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 ということなので、中華街のメインの通りは通らないで、関帝廟通りを行きます。っていうか、もう今や、中華街のメインストリートは歩く道ではないですね。

 メインストリートは、人ごみでゴチャゴチャ。
 アイスクリームとか何かを歩きながら食べている人たちで、こちらの服が汚されてしまうんじゃないかとヒヤヒヤ。

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 関帝廟通りは自動車の通行が認められているので、メインストリートほど道の真ん中で食べ歩きしている人たちはいない。
 まあ、でも車が通るなんてことを意識している通行人は誰もいませんけれどもね。

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 で、関帝廟通りを行けば、池波正太郎氏ご推奨の「北京料理 蓬莱閣」の前に至るのです。
 ここの餃子は日本風で美味しい。何故か? 単純な話、日本人が経営しているから。
 あ、こりゃオチてないなあ。

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 で、そのまま行けば、「横浜華僑基督教会」です。

 なにあろう、日本に「日曜日」というものと「日曜日は安息日」というものを持ちこんだのが、この教会なのです。

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 なにをもって「近代化」というのかは分からないが、横浜の開港をもって近代化というのであれば、それこそこの教会こそが「日本の近代化」の始まりなんじゃないだろうか。
 日曜日はお休みっていう習慣を、「初めて日本に作った教会」なんですよ。

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 中華街で豚まん食っている場合じゃないですよ。

 ホント

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Yokohama ©tsunoken

 

2019年5月29日 (水)

JPS展開催中

 JPS展が東京都写真美術館で開催中だ。

 JPSって何だ? JPSとは公益社団法人日本写真家協会 Japan Professional Photographers Societyの略で、会員数は1,511名を数える、まあ、日本のフリーランスの写真家の団体(企業に所属しているカメラマンも入会はできる)である。

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 そのJPSが一般への写真普及活動で行うのが写真公募展であるJPS展で、今回が44回目。1951年に第1回を開催、1977年からは一般公募を始め、1991年からは「ヤングアイ」という部門を設け、基本的にはプロフェッショナル・フォトグラファーへの登竜門となっている写真展である。現在は「一般部門」「ヤングアイ」「18歳以下部門」に分かれ、今回の応募総数は1975名6147点、入賞は277名475点という状況だ。

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 面白いのがヤングアイで、参加は学校単位、作品も大きなパネルに数人の写真学生の作品を一括して発表するというもの。

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 勿論、JPS会員の作品も展示されていて、熊切圭介、榎並悦子、大西みつぐ、清水哲朗らの審査員の作品を含め、52名のプロフェッショナル・フォトグラファーの作品も展示されている。

 まあ、普段はアサインメントで写真撮影を行っているプロ写真家なので、「これぞ、我が写真」という感じで出品しているのだろうが、う~ん、プロとしてそういう姿勢ってどうなんだろう? って気がしないでもない。だって、アサインメントでもクライアントを満足させるだけじゃなくて、一般の人にとっても「さすがプロ!」って思わせるのがプロ写真家なのだから、なんか、アサインメントの写真に対して、ちょっと後ろ向きみたいな感じがしないでもない。

 アサインメントであろうがそうじゃなかろうが、基本的に自分の写真が「創作物」であると思えば、アサインメント写真だって著作権を主張すればいいんですよね。私なんか「写真は創作物ではない」ってのを基本にしているので、基本的に「写真に著作権はない」っていう方向に動いています。なんか、そういう運動があれば一緒になってもいいが、多分、一線をひくでしょうね。

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 なあんて、そんなことを言っているのも、単に私がアサインメントの写真撮影なんてものとは関係のないシロート写真家だからなんですけれどもね。
 ただし、私にアサインしてくれるような酔狂な人がいたりしても、かえって何を撮ったらいいのかは分からなくなってきてしまうのが、シロート写真家の悲しさなんですが。

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 まあ、「いい写真を見る」ことが「いい写真を撮る」ことの近道だってなもんで、写真展にはなるべく足を運ぶようにはしているんだが、一体、私の写真は「いい写真」になれるんだろうか。

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JPS展は6月2日まで、東京都写真美術館

6月19日から6月23日まで、愛知県美術館

7月30日から8月4日まで、京都市美術館別館で開催。

公式サイトはコチラ

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8D @TOKYO PHOTOGRAPHIC ART MUSEUM ©tsunoken

2019年5月28日 (火)

赤羽「センベロ」商店街

 赤羽に行くと、基本的に足が向いてしまうのが「赤羽一番街商店街」っていう商店街。赤羽駅東口を出て斜め北へ向かった道にあるのだ。

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 世に「センベロ」っていう言葉があるんだが、この商店街、基本的には商店街っていうよりも飲み屋街なんだけれども、まさしくその「センベロ」飲み屋街なんですね。

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「センベロ」っていうのは、要は「千円でベロベロに酔っぱらえる」っていう意味なんだけれども、まあそういう意味では「千円でベロベロに酔っぱらえる」っていうのは極端な表現ですね。でも、その位安いお金で十分酔っぱらえるお店が多い飲み屋街である、っていうのは事実だ。

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 更に、赤羽センベロ飲み屋街のいいところは、普通、飲み屋の営業っていうのは午後5時くらいからっていうのは普通なんだけれども、ここ赤羽は午後2時頃から営業しているっていうところ。この写真を撮りに行って時はまだ午後1時頃だったので、まだ営業している店は少ないが、2時になってしまえばもう酔っ払い天国になってしまうのが、赤羽という町の面白いところ。

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 赤羽って周囲にはそんなに工場とかがある訳でもないのに、なんか工場、町工場で働いている人たちの街っていうイメージがあるんですね。
 赤羽岩渕まで行けば昔の日光御成道岩渕宿があったんだけれども、日光御成街道自体が日光街道ほどには一般人が歩く道ではなかったこともあり、日光街道の千住宿ほどには大きな宿場ではなかったはずだったわけで、それだけが赤羽の街が発展した理由ではないようだ。

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 まあ、思うに川口とか王子とかの工場街が隣接しており、京浜東北線や高崎線、宇都宮線、赤羽線(埼京線)などの路線が集中している、っていうところが、人々が集積して、飲み屋街が発展してきた、っていうことなのかも知れないなあ。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDW-HELIAR 12mm f5.6 @Akabane ©tsunoken

2019年5月27日 (月)

久々の「85mmで街撮りスナップ in ...」

 基本的に85mmというレンズサイズはポートレイト用のレンズで「街撮りスナップ」には向いていないレンズだとされている。

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 スナップ写真っていうのが、基本的に特別に映し出す画面の中に焦点を求めないという考え方なら、その通りになる。一方、望遠レンズが、その短い合焦域ゆえに写真の中から何か主題を浮き上がらせるためのレンズであるということなら、やはりそれはスナップ写真にはあわないレンズだということになる。

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 しかし、街撮りスナップだって、何らかの主題を浮き上がらせたいと考えたり、(実はそういうことのほうが多いんだが)その写真に何か意味のある主題が如何にもあるようにみせるためには、やはり望遠レンズは欠かせないレンズでもある。

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 とは言っても、こんなスポーツ写真になってしまうと、望遠レンズが当たり前の世界になってしまうので、これで85mm? ってなってしまう。う~ん、まあ、確かにこの程度の望遠レンズでは望遠レンズを使う意味はない。

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 ということで、街撮りに戻ってしまうんだけれども……。

 なんでこんな「作例写真」みたいな写真になってしまうんだろう。まあ、こんな特殊なレンズでもって何かを撮ろうというのであれば、それなりに撮影のための戦略がなければならないっていうことなんだろうなあ。

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 なあんてことを、この三日間の伊勢・京都旅行からの体力回復リハビリテーションをしながら考えた。

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NIKON Df AF NIKKOR 85mm f1.8 @Sugamo & Kawasaki ©tsunoken

2019年5月26日 (日)

京急蒲田からJR蒲田まで

 昨日の続き……

 京急蒲田に来れば普通にJR蒲田駅に行くのです。

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 駒込から蒲田方面へ行くのは、田端で京浜東北線に乗り換えて蒲田まで行く、っていうのが普通の方法だ。
 品川で京浜急行に乗り換えるのは羽田空港以外の羽田方面へ行く時とか、横浜から先の金沢八景とか京急横須賀に行く時くらいだもんなあ。まあ、あとは蒲田より手前の京急各駅に行く時くらい。

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 ということなので、京急蒲田駅前まで行っちゃえば、当然、JR蒲田駅まで行って京浜東北線で家へ帰ってくるわけです。

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 まあ、特別な日ではないごく普通の日なので、これまたごく普通の町なのであります。

 蒲田は蒲田で昔の松竹蒲田撮影所なんかがあったり、どうも地下に「京急(地下鉄?)蒲蒲線」の駅があるという噂の大田区役所があったりという、まあ、それはそれで面白い町らしいんだが、そこまで蒲田に詳しい私ではないので、結局は、蒲田駅周辺の表面だけを眺めて終わるんですね。

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 で、蒲田まで行くと必ず覗くのが、ここ「カメラのウエダ」。

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 この店に行くと、必ずチェックするのが「岡谷光学のLord ¥6,800」というカメラ。

 う~ん、いまでも売れずに残っているんだなあ。
 まるで、私に買ってもらうのを待っているみたい……、なんて考えているのは、私の勝手?
 その他にも結構クラシックカメラがウィンドウに並んでいるのが、JR蒲田駅前の「カメラのウエダ」です。

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 いやあ、誰かが買うのが先か……、私が根負け(?)して買っちゃうのか……。

 どうなんでしょうねえ、ってカメラマニアの勝手な思い込みなんですけれどもね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Kamata ©tsunoken

 

2019年5月25日 (土)

京急高架下の変貌

 京浜急行の蒲田駅が第二京浜国道(国道15号線)と立体交差となり、大森町から蒲田までが高架化されることになって、その結果、生まれた高架下のスペースの利用が本格的に始まったということなので見に行った。

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 京浜急行のリリースによれば……

『京浜急行電鉄株式会社(本社:東京都港区、社長:原田 一之、以下 京急電鉄)は、京急線大森町~梅屋敷駅間の高架下スペースに、地域の「町工場」と「クリエイター」の拠点を整備し、新旧のものづくりが融合した「ものづくり複合施設」を2019年春に開業いたします。』

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『大田区は、大規模製造を支えてきた町工場が集積し、事業所数および従業員数において都内で最大の規模を誇っております。また、近年はデザイン力や発想力を持ったクリエイターが流入し、新しいネットワークが形成されつつあるエリアでもあります。
このたびの施設は、蒲田エリアにおいて工房やシェアオフィス等クリエイターのための拠点づくりを行う株式会社アットカマタ(本社:東京都大田区、社長:茨田 禎之、以下 @カマタ)との連携により、コワーキング施設を整備し、クリエイターの拠点として活用いたします。また、地元町工場を受け入れる工場施設や、高架下で働く人々や地域住民の憩いの場となる飲食店舗等を整備します。当高架下に、技術力を有した町工場と発想力を有したクリエイターが共存する環境を創出することで“新しいものづくり”を発信する拠点づくりを行ってまいります。』

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『さらに、次世代のものづくりを実践する方や地域にお住まいの方など、誰でも参加できるオープンなイベントとして、2018年7月から「ラウンドテーブル」を開催いたします。エリアの活性化やこれからの時代に求められる“新しいものづくり”について、地域とともに自由に議論していきます。』

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 京浜急行では既に横浜の日ノ出町~黄金町間で、同じような高架下のスペースを利用した、コワーキング・スペースやら小さなお店を展開する事業を行っている。特にこの地域においては、昔の青線だった小さな飲食店なんかが多かったんだけれども、その辺のイメージを変えるための、「沿線の変貌」というものを成し遂げており、毎年「黄金町バザール」なども開催して、街に若い人たちを集めることに成功している。

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 特に、大田区という戦後の日本の高度成長を支えた町工場の歴史に、クリエイターたちが自由にモノづくりを試す場所として、この場所を運営していくということなのだろう。

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 スペースはまだまだ無尽蔵にあるようなので、この地域がもっと発展して、それこそ「令和のモノ造りの拠点」になっていくのであれば、いろいろ期待したいものだ。

 また、半年くらい経ったらまた来ようかな。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Omorimachi~Umeyashiki Ota ©tsunoken

2019年5月24日 (金)

『サラリーマンは300万円で小さな会社を買いなさい』って、ホントに300万円で買えるのかなあ

 月曜日から水曜日まで怒涛の伊勢・京都ツアーに行ってきた関係で、なんかちょっとくたびれて、昨日は余り出かけなかった。

 ということなので、今日は本を読んで一日すごした、って言ってもKindle読書ですけれどもね。

『今回、本書で行おうとしている提言は、現在はサラリーマンであるあなたでも、中小企業の社長になって経験と能力を生かして活躍しよう、会社という「箱」を所有して「資本家」(=あちら側の人間)になろう、というものにほかなりません。そして最後は、豊かな資産に恵まれた 資産家 を目指してもらいます。』

 っていう提言。なんか素敵じゃないですか。

Photo_11 『サラリーマンは300万円で小さな会社を買いなさい 人生100年時代の個人M&A入門』(三戸正和著/講談社+α新書/2018年5月1日刊)

 ただし、自ら事業を立ち上げる企業を三戸氏は勧めない。

『まったくのゼロから事業を立ち上げ成功させる起業家を、私は「 ゼロイチ起業家」と呼んでいます。そうした起業家は、「息を吸うかのように」とんでもない仕事をしています。ゼロイチ起業家は、「普通」の人間とは違う世界を生きています。新しい事業のチャンスを 嗅ぎ 分ける 嗅覚 の 鋭さも別格です。私も残念ながら、その感覚にはとうてい及びません。』

『これまでは、「あちら側の人間」になるためには起業という選択肢しかなく、それには〝ゼロイチ〟で事業をおこす必要がありました。しかし、いまや、ゼロから会社を作る必要はありません。一般の人でも、すでにある程度の仕組みが回っている会社を買うことができる、つまり、「 個人M&A」が可能な環境が整ってきているからです。
 そんな時代だからこそ、また、黒字の優良中小企業の経営者の多くが高齢化し、後継者を探している今こそ、普通の感覚を持った人でも「あちら側の人間」を目指すことができるようになるのです。』

 そうか、でもそんなに簡単に「個人M&A」なんてできるんだろうか。

『起業とは、会社を作ることではありません。事業を作ることです。会社を作ることは誰でもできます。ネットで「会社 作り方」と検索し、その通りに手続きするだけです。しかし、今すでにあるサービスや商品を自らの手で販売していくだけでも大変なのに、まして、世にないサービスや商品を創造し、市場に浸透させていくベンチャービジネスを軌道に乗せるのは、並大抵のことではありません。』

 じゃあ、どうするのか?

『 そこで、そんな「ゼロイチ起業」より、過酷な 10 年を生き残った 23%の企業の〝オーナー社長〟 になってしまいませんか、というのが私からの提案です。具体的には、あなたのこれまでの知識と経験を活かせる中小企業を見つけ、個人でM&Aをして、経営引き継ぐ……つまり、「 会社を買う」= 事業承継です。』

 うーむ、そうか。

『ベンチャー企業を志向する人の中には、大企業の仕事を「面白みがない」「成長しない」「やりがいがない」などと批判する人が結構多いのですが、少々短絡的で、視野が 狭い気がします。大企業や業界大手が中小企業と何が違うかというと、業務の進め方やシステムなどの仕組みが非常に洗練されている、という点です。』

『大企業の正社員は全員、幹部社員  大企業や大手企業の人材は中小企業の社長候補だと聞いて、「いやいや、私は企業の歯車ですよ」と思ったそこのあなた。それは少し勘違いされているかもしれません。大きな企業において、本社で総合職採用をされた方は間違いなく全員、「幹部社員」です。』

 つまり、そんな「幹部社員」であれば、本来の中小企業の経営者が持っているような経営スキルをすでに持っているっていうことなんですね。

『私たち投資ファンドが、そんな中小企業の投資先に入るときに真っ先にするのが、各業務の KPI(Key Performance Indicator=主要業績評価指標)の設定と、それを PDCA(Plan-Do-Check-Action)サイクルで回す仕組み作りです。しかし、多くはKPIどころか、PDCAという言葉すら知りません。
 それでも中小企業の社長には、大した危機感はありません。  財務諸表の見方がわからない経営者が多くいます。税理士の〝先生〟に任せっきりで、決算書もまともに読んだことがないからです。』

『BS(Balance Sheet:貸借対照表)や PL(Profit and Loss statement:損益計算書)には、企業の健康状態を診断できるさまざまな数字が書かれています。健康診断結果のシートと同じです。「財務諸表を読む」とは、そこに並んだ数字を見て企業の健康状態を理解することなのです。』

『投資ファンドを運営する私たちは、3期分の財務諸表を見れば、その会社がどのような経営状態にあるかをほぼ把握することができます。自身の会社でそれができなければ、経営者とはいえないと思うのですが、実際には、中小企業では財務諸表が読めない経営者がほとんどです。』

 そこで

『大企業で管理職をしていた人ならば、おそらく予算編成や決算で、自分たちの業界における決算数値の意味はわかっていると思います。それだけで旧態依然の中小企業の経営者より、経営スキルの面では進んでいる可能性が高いといえます。』

 ところが中小企業の実態は

『これまで中小企業は、親族内承継が9割以上でした。ですから社長も、大学を出ていったんどこか大きな企業に新卒で入り、ほんの数年の経験しかないままに家業を継ぐために戻ってきて入社し、すぐに専務になり、 10 年勤めて社長になったというようなケースが、偏見ではなく、本当に多いのです。せっかく新卒で大企業に入社しても、彼らはマネジメントを経験するまで到達せずに実家に戻っていますから、経営や管理の何たるかはよく知りません』

 ということなので

『なによりも中小企業を買うことの大きなメリットは、あなたが専門性を生かすことができ、勘所もわかる業界で、今、経営が成り立っている会社を設備も、顧客も、従業員も、仕入れ先も、取引銀行も、そのまま引き継ぐことができる点です。
 どんな企業であれ、経営上の一番の課題は「事業が継続できること」です。きちんと利益が出ているのであれば、とりあえずは現状の業績をそのまま保てばOK。そう考えれば、マネージャー経験のある人にとって決して難しい仕事ではありません。
 流れを大づかみに把握できたら、それから会社をよく見て、「よくない」「古い」と思う部分に改善の手を加えていけばいいのです。』

 なるほどね

『事業そのものは良いが、経営のやり方を間違えているために利益が出ていないような会社を比較的安価で買収する。そして、大企業では当たり前と思われることを実行し、経営のテコ入れをして黒字化させ、次のオーナーを見つけ、売却する。
 そのとき会社の価値は、5倍にも 10 倍にも跳ね上がっている可能性があります。出資した金額は、何倍にもなって返ってくるのです。』

 ということなのだ。

『大企業に勤めているあなたが、まともなマネジメントができていない中小企業を買収し、適切なマネジメントを導入すれば、それだけで経営は劇的に良くなる可能性が十分にあります。逆に、経営にテコを入れようがないぐらい優良経営の会社は、すでに会社の株式価値も高く、付加価値を生むことができないので、あまり食指が動かない会社です。
 いちばん良いのは、事業内容や技術は優れているのに、経営のやり方が悪くて若干の赤字かトントンになっている会社に、まともなマネジメント手法を導入して黒字に変えることです。』

『これからの日本社会では、「何もしないでいること」も人生を危機に 晒す一つのリスクになるのです。そうした社会環境の中で、万人に向いているわけではなくとも、「会社の購入が、サラリーマンの新しいビジネスキャリアになったり、退職後の選択肢の一つである」ことを多くの方に知っていただき、実践に移していって欲しいと願っています。』

 というのが三戸氏が本書を書いた理由らしい。

 まあ、ちょっと私なんかは既にして出遅れてしまっているが、まあ、今からでもできないわけではないかもしれない。
 いっちょう、やってみようかしら。

 問題は、300万円くらいでそんな素敵な中小企業が買えるんだろうか、ってことなんだけれども。

3_6『サラリーマンは300万円で小さな会社を買いなさい 人生100年時代の個人M&A入門』(三戸正和著/講談社+α新書/2018年5月1日刊)Amazonでのご注文、Kindle版はコチラ、紙版はコチラ

 

2019年5月23日 (木)

「伊勢市」異聞

 昨日はツアーオブジャパン第4美濃ステージが行われたんだけれども、それに近いところにいたのにもかかわらず、京都にいました。

 実は今週の20・21日と三重県の伊勢に行ってきたんだが、ちゃんとガイドブックなんかを見ないで勝手に旅行プランを作ったので、結構、失敗の連続ではあった。まあ、それはいつものことなんですけれどもね。

 どうも、基本的には近鉄宇治山田駅で降りて、その近辺で宿を取り、一日で外宮から内宮へ巡るというのが、本来の伊勢神宮参りの方法らしいんだが、「とりあえずは外宮でしょ」ってなもんで、一日目は外宮泊りということで、宇治山田ではなく、一つ前の伊勢市駅泊りにして、内宮は翌日というプランをたてたのでありました。

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 伊勢市駅の前といえば、取り敢えず「伊勢駅前商店街」でしょう。本当に駅前にある、商店街っていうよりは、飲み屋街なんですね。

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 もう、なんかおあつらえ向きの飲み屋街なんですねえ。いいのかなあ、こんな予想通りの展開で。まんま、田舎の駅前飲み屋街だぜ。
 全然関係ないけど、岩手の遠野駅前にもあったなあ……。こんな感じの闌れた飲み屋街。

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 勿論、当然昼間に行ってもやってはいません。

 で、やむなく外宮の表参道を歩いてみたんだが……、こんな寂しい、闌れているばかりの店ばかり……、っていうのは嘘で、まあ、普通に営業している店も沢山あります。

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 まあ、でも駅前の商店街の闌れっぷりを見ちゃうと、なんか街全体が闌れているっていう感じを持っちゃうんですね。

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 まあ、外宮っていうもの自体が、内宮に比べて「外の宮」ですから闌れていても当たり前なんだけれども、やっぱり泊まるところ間違えちゃったのかもしれないなあ。

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 宇治山田駅前から外宮を経て内宮に至るバス路線があるんですね。う~ん、よく考えてみればそれが一番のお参り方法なんだから、そういうバス路線があるはずなんですねえ。それをちゃんと調べていればねえ……。

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 実は、この1日目の外宮、2日目の内宮参りの両方とも大雨のなかのお参りだったんだけれども、その後に二見浦に行って見ればもう快晴、ってなんのことよ。

 まあ、カトリックの高校でありながら伊勢神宮に詣でるっていう訳の分からない修学旅行をする学校にいた妻と、基本的に宗教心の全くない罰当たりの私の夫婦なんだから、そんな二人がロクな宗教関連旅行になんかは行けるはずも無い、っていうのが当たり前だったのか。

 それもそうだな。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Ise ©tsunoken

2019年5月22日 (水)

横浜ブルーラインを往く:センター北駅から南駅へ②

 昨日の続き、大塚・歳勝土遺跡公園を降りて、「都筑まもる」君が見守る交差点を過ぎて、早渕川を渡った対岸にあるのが、「茅ケ崎城址公園」であります。

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 平山城といってもせいぜい標高は数十メートル程度の低い山城である。新横浜駅のそばにある小机城の支城だったっていうんだから、小机城の小ささから考えても、その規模の小ささは理解できる。

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 ところで、この場所の住所は横浜市都筑区茅ケ崎っていうんだけれども、なんで横浜で「茅ケ崎」? っていう疑問は出ますよね。

『由来は北条氏が建てた茅ヶ崎城からとったといわれている。』って、またまたWikipediaのお世話になってしまっているんだが、これで「何で茅ケ崎?」っていう疑問の答えにはならない。「湘南の茅ヶ崎」と「横浜の茅ケ崎」との間に何かの関係はあるんだろうけれども、その関係はよくわからない。

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 早渕川の北(左側)が大塚・歳勝土遺跡公園がある丘、南(右側)が茅ケ崎城。

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 西・東・北とあって、本郭(本丸)があった場所なんだけれども、それほど広い場所ではないので「なるほど小机城の支城」なんだなあというのが良く分かる。

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 大塚・歳勝土遺跡公園などとは違って、殆ど人のいない茅ケ崎城址ではありました。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER ULTRA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Tsuduki Yokohama ©tsunoken

 

2019年5月21日 (火)

横浜ブルーラインを往く:センター北駅から南駅へ①弥生時代のニュータウン

 まあ、そんな訳で伊勢に来ている。別に「令和元年」とは何の関係もない。
 取り敢えず、昨日は下宮を参詣。今日は内宮を参詣して、二見浦、シーパラダイスと行って、京都に行く予定。
 さあ、どうなりますことやら。

 横浜市営地下鉄ブルーラインとグリーンライン双方の共通した駅がセンター北駅と南駅である。
 まあ、それだけ横浜市が港北ニュータウンの開発に力を入れたということなんだけれども、そのニュータウン開発の時に発掘されたのが大塚・歳勝土(おおつか・さいかちど)遺跡である。

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 センター北駅を出て「歴博通り」という広い道を渡ると、目の前に迫るの小高い丘を登っていくと「大塚・歳勝土遺跡公園」というのがある。

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 丘のてっぺんに行くとこんな風景が広がって、弥生時代の村の風景が広がってくる。

『大塚遺跡は高台に作られた弥生時代中期の環濠集落であることが確認された。歳勝土遺跡では、大塚遺跡の環濠とその周囲に広がる土塁に近接した一帯から方形周溝墓群が発見されて、年代的にも同時代であることが確かめられ、環濠集落(大塚遺跡)に住んだ人びとの墓地であることが明らかになった。』(Wikipedia)

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『現在、歳勝土遺跡と大塚遺跡の東側3分の1の面積にあたる約33,000平方メートルが保存されている。大塚遺跡の中央部及び西側は開発によって高台ごと削り取られてしまい、消滅した。』(Wikipedia)

 つまり、現在残っているのは昔の3分の1の広さであり、昔の村はもっとずっと大きかったということである。

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 丘のすぐ下には早渕川という下流に行くと鶴見川と合流する川が流れていて、「川沿いの高台」という古代の村の遺跡に共通の立地ということが分かる。

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 まあ、考えてみれば大塚・歳勝土遺跡は弥生時代の港北ニュータウンだったってことですね。
 そこに作った街が「ニュータウン」って言っても、全然ニュータウンじゃないですね。人間の考え方なんて、たいして進歩していないってことなんでしょうか。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm F5.6 @Tsuduki Yokohama ©tsunoken

2019年5月20日 (月)

六義園はわが庭

 え~、今日からちょっとした小旅行に出かけるので、多分、ここ数日間のブログネタは「日々更新」じゃなくて、貯めてたネタでございます。

 まあ、そんなこともありますね。って、自分で楽な方法を提示してどうなるねん? 

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 毎日、家を出ると目の前にあるのが六義園。ってことで、毎日定点観測的に正門の写真を撮影している。
 同じように、家から駅に行く途中にも定点観測的に撮影している場所があって、それはいずれ、取り壊されそうな木造のアパートなのである。

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 それはいいとして、ここのところほぼ毎週週末は染井門を開いている六義園なのであります。

 六義園の染井門は、山手線の駒込駅の前にあるので、何となくそちらが正門だと考えている人が多いのだが、実は染井門なんてものは昔の六義園にはなかった、というか裏木戸みたいなものが、現在の染井門の辺りにあったっていうだけなんですね。
 基本的に徳川幕府の側用人だった柳沢吉保が作った六義園なので、当然、江戸城に近い方が正門っていうわけで……、って言っても今の正門は柳沢邸の真ん中なので、そんなところには正門はなかったのであります。

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 ってことで、正門前に「染井門開門」という表示が出ている場合は、六義園の中を通って駒込駅まで行くわけです。なんせ、年間パスを持っているので入園無料なんですね。

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 歩くのは正門から染井門へまっすぐ向かう馬場の跡の道。まあ、時間の余裕っていうか、よっぽど暇なときは一周してから染井門へ出るんだが、別に六義園自体に行きたいわけではないので、普通は一番近い方法。

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 実はここが一番大切な部分「別に六義園自体に行きたいわけではない」っていうこと。

 つまり、我が家の庭を通って駒込駅まで出る、っていうのと同じ意味っていうことです。

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 えっへっへっへ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 & COLOR SKOPAR 21mm f4 @Komagome ©tsunoken

2019年5月19日 (日)

錦糸町・江東楽天地のロープウェイ

 JR錦糸町駅前にある東京楽天地ビルは、映画会社の東宝系列の興行施設ビルだが、以前は江東楽天地と呼ばれていた。

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 江東楽天地は1937年(昭和12年)に作られた総合興行施設なんだが、いつ頃の時代か分からないけれども、ビルの中には映画館などと一緒に遊戯施設(と言っても、子供向けの景品が出るパチンコなど)なんかがあって、ビルの屋上に観覧車とか、隣のビルとの間にロープウェイなんかがあった、当時、まだ子供の私にしてみれば「小型後楽園」みたいな感じの建物なのでありました。

 なんせ、都会の真ん中にロープウェイですよ、ロープウェイ。
 今から考えてみると結構シュールな風景ではある。

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 現在は都会のビルの屋上施設では東急ストア蒲田店屋上の観覧車が有名だけれども、昔はそんなものは当たり前であって、デパートの屋上は子どもたちの遊び場であった。そのための施設としては観覧車が一番という風潮はあった。でも、ロープウェイまで備えたビルはなかったなあ。

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 それでも、都内のいくつかのデパートの屋上には観覧車があったことは記憶している。結構しっかり覚えているのは浅草松屋(現・エキミセ)かなあ。

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 まあ、昔は銀座も新宿も池袋も、とにかくデパートの屋上っていえば、基本的にビアガーデンがあって当たり前っていうもんで、夏の暑い日のサラリーマンの納涼といえばそれぐらいしかなかった時代ではある。
 商業施設ビルの屋上の使い方っていえば、そんなもんだったんだろう。ただし、現代ではそんな商業施設ビルの屋上って、もはや高層ビルになってしまって、そんな高層ビルの屋上に何かを作るっていう発想はなくなってしまったんだろうなあ。

 それこそ「昔は、昼間は子どもの遊園地。夜はサラリーマンの遊飲地」っていう感じでしょうか。

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 いやいや、まさに「昭和は遠くなりにけり」ですなあ。

 まさしく、「昭和の風景」ですね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Kinshicho ©tsunoken

2019年5月18日 (土)

長谷川平蔵 遠山金四郎 屋敷跡

 都営地下鉄半蔵門線を菊川駅で下車して、新大橋通りに出る。
 菊川駅から1ブロックほど東に行くと、丸山歯科医院というのが1階にあるマンションの前にこんな碑がある。

 題して「長谷川平蔵 遠山金四郎 屋敷跡」???

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 遠山金四郎は実在の人物なので分かるんだが、長谷川平蔵って池波正太郎氏が作り上げたフィクションじゃないのか、なんて考えていたら、実はそうじゃなかった。

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 菊川駅まで戻って、三つ目通りの側に回ってみると、こちらにも「長谷川平蔵 遠山金四郎 屋敷跡」の碑が。ただし、こちらには墨田区教育委員会が作った碑文がある。

『長谷川平蔵・遠山金四郎住居跡
 住所 墨田区菊川三丁目十六番地二号
 長谷川平蔵宣以(のぶため)は、延享三年(一七四六)赤坂に生まれました。
 平蔵十九歳の明和元年(一七六四)、父平蔵宣雄の屋敷替えによって築地からこの本所三之橋通りの千二百三十八坪の邸に移りました。ここは屋敷地の北西端にあたります。
 長谷川家は家禄四百石の旗本でしたが、天明六年(一七八六)、かつて父もその職にあった役高千五百石の御先手弓頭(おてさきてゆみがしら)に昇進し、火付盗賊改役(ひつけとうぞくあらためやく)も兼務しました。火付盗賊改役のことは、池波正太郎の「鬼平犯科帳」等でも知られ、通例二、三年のところを、没するまでの八年間もその職にありました。
 また、特記されるべきことは、時の老中松平定信に提案し実現した石川島の「人足寄場(にんそくよせば)」です。当時の応報の惨刑を、近代的な博愛・人道主義による職場訓練をもって、社会復帰を目的とする日本刑法史上独自の制度を創始したといえることです。
 寛政七年(一七九五)病を得てこの地に没し、孫の代で屋敷替となり、替わって入居したのは遠山左衛門尉景元(さえもんのじょうかげもと)です。通称は金四郎。時代劇でおなじみの江戸町奉行です。
 遠山家も家禄六千五百三十石の旗本で、勘定奉行などを歴任し、天保十一年(一八四〇)北町奉行に就任しました。この屋敷は下屋敷として使用されました。
屋敷地の南東端にあたる所(菊川3丁目16番13号)にも住居跡碑が建っています。
 平成十九年三月 墨田区教育委員会』

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 そうでした。「鬼平犯科帳」や「剣客商売」「仕掛人シリーズ」があまりにも有名なんで、なんとなく「鬼平=長谷川平蔵」も池波正太郎氏が作り上げたフィクションかと思っていた私の早計でした。長谷川宣以(通称:平蔵)も実は実在の人物だったんですね。

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 そうか、江戸時代の旗本はもともと自分の家というのは持っていなくて、幕府から拝領した家屋敷に住んでいた。つまり、会社の寮に住むようなもんで、本人が死んじゃえば「屋敷替え」となって、今度は別の旗本が住むんですね。

 で、後からこの屋敷を拝領した遠山左衛門尉景元(通称:金四郎)は長谷川平蔵よりもずっと上の位だったので、元の長谷川屋敷は遠山家の下屋敷になったというわけなのでありました。ただし、大名が住む藩邸の下屋敷ではなかったようなので、遠山金四郎はこの家に住むことはなく、遠山家の家臣が住んだのか、あるいは遠山家の別荘みたいな感じだったのかはよく分からない。

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 う~ん、「明日のジョー」は墨田区じゃなくて、荒川区の南千住なんですけれどもねぇ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Kikukawa ©tsunoken

2019年5月17日 (金)

『京大的アホがなぜ必要か』

 そもそも酒井氏が発明したという「フラクタル日除け」って何なんだろう。

『これは「日除け」なのに穴だらけで、こともあろうに空が見えます。当然、雨は防げません。じつに間抜けな感じのする日除けです。でも、夏のお昼時には、ほぼ完全に太陽光を遮り、日陰をつくってくれる。穴だらけなので太陽が動けば光が漏れますが、それも木漏れ日のようできれいです。完全なる人工物ですが、自然の木漏れ日のような環境をつくって、暑さを和らげてくれるのです。
 フラクタル日除けを見た人からは、よく「京大らしいですね」と言われます。どこが京大らしいのかよくわかりませんが、私も何となくそう思います。「どうやってこんなこと思いついたんですか?」とも聞かれますが、「私が素人だったからです」と答えています。』

 って、分かりましたか?

Photo_10『京大的アホがなぜ必要か カオスな世界の生存戦略』(酒井敏著/集英社新書/2019年4月30日電子版刊・2019年3月20日紙版刊)

 フラクタル理論っていうのは良く分からないんだけれども、以下の部分は良く分かる。

『京大では「役に立つ」ではなく「おもろい」が評価基準だといわれてきました。この「おもろい」という感覚は、一つひとつでは意味をなさないガラクタ知識がつながって意味を持ち始めるときに感じる興奮のことだと思います。関係なさそうだった知識がつながったとき、脳細胞のどこかが興奮し、ある種の快楽物質が放出されているのではないでしょうか?』

さらに言ってしまえば、この部分

『「ステイ・ハングリー、ステイ・フーリッシュ」というスティーブ・ジョブズの有名なスピーチも、この「アホのエネルギー」の大切さを言っていたのではないでしょうか。
 彼がつくったマッキントッシュ・コンピューターは、文字がとてもきれいなことが大ヒットの要因でした。その美しい文字の原点は、彼が大学を中退したあとに受けたカリグラフィ(書体)の授業です。コンピューターの基礎を教える授業ではありません。彼が大学を中退しなければ。そんな素養を身につけることはなかったはずです。
 また、同じく大学を辞めたスティーブ・ウォズニアックをはじめ、ジョブズの周りに大勢のアホがいなければ、いまのアップルに向かう大きな流れは起こらなかったでしょう。ジョブス自身もそんな展開は予想だにしていなかったはずです。』

 なんか少しわかってきたような気が……。

『世界が予測不能のカオスであり、無節操で非論理的なスケールフリー構造である以上、樹形図構造に整理された近代科学だけであらゆる問題の答えを導くことはできません。それこそ、突然シアノバクテリアのようなテロリストが出現して大気を毒ガスまみれにする事態など、どんなに論理を突き詰めても予測できないでしょう。だとすると、対応策も講じられず、黙って滅びるのを待つだけのように思えます。
 ところが生物は、この絶体絶命とも思える「酸素テロ」にも対抗策を繰り出してきました。生物界のネットワークのなかには、シアノバクテリアが吐き出した毒ガスを吸って生きるという、驚くべき「裏道」が存在していたわけです。
 その裏道はたぶん、簡単に見つかったわけでもなければ、一生懸命考えて見つけ出したわけでもありません。生きるためにいろいろもがいているうちに、たまたま見つけたのです。そんな突拍子もない「裏道」が都合よくたまたま見つかるなんて信じられない――と思うあなたは、樹形図構造の論理的思考に毒されているかもしれません。』

 う~ん、要は東大的樹形図構造のアタマでは、論理的思考による必然的な結論は導きだされるけれども、その論理の延長線上にない、ある意味「突拍子もない」発明・発見はできないっていうことなんだな。

『「アホなことせい」――京大の先生にそう言われて面食らったのは、もう四〇年以上も前のことです。いまではその大学で教壇に立ち、「京大変人講座」も主宰する私ですが、当時は静岡の高校を卒業して、京大の理学部に入学したばかりでした
 頑張って受験勉強をして合格したと思ったら、そこの先生に「アホ」なことをしろと言われたのですから、ポカンとするのも無理はありません。それもひとりではなく、何人もの先生から同じような言葉を聞きました。
 大阪の吉本興業にでも入ったならともかく、そこは大学です。一八歳の私は、それなりに向学心を持って京大の門をくぐりました。
「しっかりと勉強して、世の中の役に立つ人間にならなければ」
 ……と、そこまで優等生のように考えていたとは申しません。しかし建て前としては、マジメに勉強するのが大学生の本分だと思っていたわけです。自分なりに「こういう研究をしてみたい」というテーマもありました。
 ところがその大学で、先生に「しっかりと勉強しなさい」と言われた記憶がない。いや、もしかしたら、そんな建て前を口にした先生もいたのかもしれません。しかし仮にそうだとしても、「アホなことせい」の衝撃が強すぎて、「勉強しなさい」という当たり前のお説教はどこかに吹っ飛んでしまったのでしょう。
 それぐらい、京大入学時には何度も「アホ」の大切さを強調されました。ほかの大学の先生が新入生に何を言うのかは知りませんが、いきなり「アホ」を勧めるのはたぶん京大だけだろうと思います。
「おれはこれから、アホなことせなあかんのか……」
 覚えたての関西弁で、そんなふうにボヤきたくなる気分でした。』

 まあ、「直線的思考」じゃなくて、世の中にはいろいろなモノの見方があって、そのいろいろの見え方からは全く別の結論が出たりする、っていう思考法を「アホ」という言葉で表しているのである。

「真面目にお勉強をして、国家公務員上級試験を通ってキャリア官僚になり、いずれは自民党の代議士になる」なんていう典型的な東大型コースにない人材を京都大学では生み出しています、っていうプロパガンダなんだけれども、実は東大にも「アホ」はいる。

 ホリエモンやリクルートの江副浩正氏なんかは「東大型アホ」の代表選手なんではないだろうか。まあ、その「東大型アホ」は、往々にして大学をヨコに出ちゃったり、塀の中に落っこっちゃったりしたひとたちなんだけれども、それぞれ魅力ある人たちだ。

 まあ、「京大的アホ」であっても「東大型アホ」であっても、世の中には「アホ」の存在というものが、必ず必要だってことなんですね。

 ってなことを、中途半端なアホでしかないtsunokenが書いているわけだ。

Amazon2『京大的アホがなぜ必要か カオスな世界の生存戦略』(酒井敏著/集英社新書/2019年4月30日電子版刊・2019年3月20日紙版刊)Amazonでのご注文はKindel版はコチラから・紙版はコチラから

2019年5月16日 (木)

神田祭、終わる

 実は今週の日曜日、12日のことなんだけれども、東大赤門前で都バスの駒込駅南口前行きを待っていた時、いつまで待ってもバスが来ない。で、やっと30分ほど待ってからバスが来たんだけれども、それじゃあ家まで歩いて帰っても同じくらいの時間で着いちゃうじゃん、って思った。ところがその時バスの運転手さんが「今日は、神田でお祭りがあるのでダイヤが乱れております」というアナウンスがあって初めて気が付いた。ああ、そうか今日は神田祭だったんだ、ってね。

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 日本三大祭といえば、京都八坂神社の祇園祭、大阪天満宮の天神祭りに並び称される、江戸三大祭りといえば赤坂日枝神社の山王祭、富岡八幡宮の深川祭りに並び称される、神田明神の神田祭のことをすっかり忘れていたんですね。

「江戸っ子の風上にもおけない」って? まあ、確かに私は東京の場末の育ちなんで江戸っ子ではありません。しかしなあ、今は文京区在住なんで我が家から一番近い大きなお祭りと言えば神田祭なんだけれども、失念していたなあ。まあ、5月の前半はいろいろ予定が入っていたので、なんとなく忘れてしまったっていうテイタラク。

 で、慌てて昨日の例大祭に行ってきたっていうわけ。

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「神田祭」っていうのは、実は一週間通して行われるお祭りで

5月9日(木)鳳輩神輿遷座祭
 10日(金)氏子町会神輿神霊入れ
 11日(土)神幸祭
 12日(日)神輿宮入
 14日(火)表千家家元献茶式明神能・幽玄の花(金剛流薪能)
 15日(水)例大祭

 という各行事が毎日行われているわけです。

 勿論、一番の目玉は5月11日の神幸祭と11・12日の神輿宮入なんだけれども、でも、神田祭最大の行事は例大祭ですよね。要は、神田祭の締めくくりっていうわけです。終わりよければすべてよし、っていうのが日本の諺なんだから、まあ、取り敢えず最後の日に行けばいいですよね。

 っていう言い訳。

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 例大祭の行事としては「献饌、巫女による「巫女舞」の奉納、祝詞奏上、拝礼と神事が執り行われ、日本の繁栄と平和、そして氏子の無事安全を祈願する。 」という行事を「氏子総代、氏子108町会の代表者、祭典委員、そして神田祭に奉仕した多くの方々が参列するなか、衣冠(いかん)装束姿の宮司をはじめすべての神職が奉仕する。」というもの。

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 ってなことで、宮司の祝詞奏上や巫女さんの奉納の舞が行われるのが、例大祭です。

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 祭りとしてのダイナミズムや面白さから言ってしまえば、当然、神輿の宮入なんだけれども、言って見れば、それは前夜祭的なもので、本来の祭りのメインは、こうした神事なんですね。

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 ま、取り敢えず、例大祭には間に合ったんで、良しとするか。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Soto Kanda ©tsunoken

2019年5月15日 (水)

高崎線神保原駅

 高崎線の神保原駅は埼玉県最北の駅であり、おとなりは既に群馬県の新町駅である。
 なんせ埼玉の最果ての駅なので一日の乗降客は2,800人程度、高崎線では倉賀野駅に次いで人の乗り降りが少ない駅だ。

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 なんせそれほど人の乗り降りが少ない駅なので、駅前商店街なんてものはない。

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 駅前もこんな感じで、本当にな~あんにもない。ただただ、駐車場があるだけのな~あんにもない駅前なのであります。

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 ところがそんなな~あんにもない町に限って、町役場だけは立派なんですね。
 埼玉県児玉郡上里町役場。人口約3萬人の町の町役場。モダンな建物は、周囲の風景からは完全に浮き上がっています。

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 そんなな~あんにもない町にあるのが、講談社上里倉庫なのであります。
 どうしてそんなところを知っているのかって? それは映画『東京裁判』なのであります。

 私自身はこの映画にかかわったのは英語版の製作の最後の頃だったので、まあ、ほとんど残務処理みたいなものだったのだ。
 アメリカのナショナル・フィルム・アーカイブ(国立公文書館)から買い取った大量の東京裁判の映像や、その他、この映画の製作に使った莫大な量のフィルムや資料類。それらのものは、以前は調布にある倉庫会社に預けて、それらの資料のデータ化を行っていたんだが、その仕事に携わっていた。
 で、そのデータ化もほぼ終わった頃に、もう出来上がった映画の資料をいつまでもお金がかかる倉庫に預けておくわけにもいかず、ここ、埼玉の上里倉庫に移転することになった。

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 神保原の駅からはさほど遠くない場所にあるのだが、神保原駅自体が東京からはるか離れた場所にある。いやあ、こんなに遠いとは思っていなかったので、最初は高崎線で行ったんだけれども、次からはもう嫌になってしまってクルマで行くことにした。

 しかしまあ、相変わらずこのだだっ広い敷地のほんの一部が倉庫なんですね。まあ、埼玉もここまで来ちゃうと土地代なんて二束三文だろうから、取り敢えず全部買っちゃえってなもんで、相変わらず豪気な講談社らしいっていえばらしい。

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『東京裁判』は私の代でキングレコードからDVDを出して、実は今年になってデジタルリマスター化し、Blu-rayとDVD再販売をすることになったそうだ。
 まあ、多分これで映画の製作費の赤字も多少は少なくなるのではないだろうか。

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「郷土の偉人 日本人女性初の水上飛行士 西崎キク」さんはNHKの朝ドラ『雲のじゅうたん』のモデルのひとりにもなった人です。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Kamisato ©tsunoken

2019年5月14日 (火)

中央大学、やっと都心回帰の動きが

 ある日、東京メトロ丸の内線茗荷谷付近を歩いていると、以前は広大な敷地を占めていた都バスの営業所というか車庫が見事に更地に整地されているのを発見。都心のこんな場所をいつまでも空き地にしているはずもなく、いろいろ調べてみた。

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 ネットを調べていたら『日刊建設工業新聞」というのがあったので、そこを開いてみる。

東京都交通局/茗荷谷駅前都有地開発(文京区)/定期借地権者予定者に中央大学 [(日刊建設工業新聞)2018年12月26日4面]
 東京都交通局は、文京区の東京メトロ丸ノ内線茗荷谷駅近くの都有地7256平方メートルを対象に公募していた事業用定期借地権者の予定者に、学校法人中央大学を選定した。21日に同局のホームページ(HP)で公表した。区が進める駅周辺街づくりの一環として、地域コミュニティー施設や保育所、郵便局などの入居を条件に同大学の新校を建設する。
 事業用定期借地権を設定するのは、都営バスの車庫に利用していた文京区大塚1の58の33、35、102の1~3。敷地北側が春日通りに面し、東側はアトラスタワー茗荷谷、西側に跡見学園が隣接する。用途地域は、春日通りから20メートルまでの範囲が商業地域(建ぺい率80%、容積率600%)、それ以外が近隣商業地域(建ぺい率80%、容積率400%)。
 計画地は商業、業務、居住機能などを備える駅前拠点地区に位置付けられている。日本郵便の郵便局(延べ床面積180~200平方メートル)や、区の▽地域コミュニティー施設(同1150平方メートル)▽保育所(同550平方メートル)▽自転車駐車場(約200台分)-の配置などが条件。
 19年3月に同大学と覚書を交わし、同3月中に契約する見通しだ。大学側は21日、HP上で「文京区大塚1丁目の新校地と後楽園キャンパスへの法学部移転が確定する見通し」とのコメントを発表した。関係機関と調整の上、「23年度からの移転に向けて準備を進める」としている。』

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 中央大学のサイトを見ても『法学部の都心移転計画について
 このたび、文京区大塚一丁目の新校地と後楽園キャンパスへの法学部移転が確定する見通しとなりました。
今後、関係機関と調整の上、2023年度からの移転に向けて準備を進めてまいります。』の文字が。

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 場所は東京メトロ茗荷谷駅のすぐそば。同じ文京区にあって、中央大学本部の多摩移転の際にそれから免れた理工学部がある後楽園から、地下鉄で一駅、バスでも数停留所という近さである。

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 中央大学は1960~70年代の学生運動の盛り上がりを嫌い、1978年から多摩キャンパスにメインを移転。神田駿河台には駿河台記念館、もともと駿河台キャンパスから離れていた理工学部後楽園キャンパスだけを唯一都内23区に残し、ほとんど「どこが中央?」っていう大学になってしまった。
 地方から中央大学に進学してきた学生からは、「自分の田舎よりもっと田舎」といわれる多摩キャンパスは学生以上にOBから嫌われ、特に現職弁護士達から嫌われてしまい、OB弁護士に支えられていた法学部の弁護士志望者サークルにあまり現役弁護士が来なくなってしまったという事態になってしまった。その結果、司法試験の合格者も以前は東大よりも多かった時期があったんだけれども、ここ最近は東大の後塵を拝してしまっている。
 移転から20年ほど経ってから大学側もそれに気が付き、総理府統計局の跡をそのまま買って法科大学院(市谷キャンパス)を作ったり、市谷田町キャンパスを作ったりして、少しづつ都内回帰を図ってきたのだが、まあ、そこは慶應大学とは違うところで、なかなか寄付金は集まらない。う~ん、やっぱりOB達の経済力の違いかななんて考えていたんだが……。

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 まあ、取り敢えず、法学部が茗荷谷に完全移転すればそれなりに中央大学のプレゼンスも向上するだろうし、基本的に法学部でもって持っている大学なんで、まずは法学部が都心に帰ってくるってことだけは歓迎なんですね。経済学部OBとしては忸怩たる思いではありますが、まあ、それも順番でしょう。

 ただし、ちょっと気になるのが「定期借地権」っていうこと。
 期限が来たら返さないといけないっていうことでしょう。これを期限が来ても返さなくてもいいっていう条件交渉や、いつか、借地権じゃなくて土地購入に変えられないものかとか、などの条件交渉を法学部の人たちに頑張ってほしい。
 更に、他の学部も全部文京区に移転できないものかとか、考えているんだろうけれども、是非とも実現してほしいものである。

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 お茶大や筑波大なんかはいいけれども、跡見や拓大なんかは追い出しちゃって、茗荷谷を中央大学の街にしちゃいましょうよ。ねえ、中央OBの皆さんたち!

 そうすれば講談社も近いしって……、これは何の関係もなかったなあ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Myogadani Hakusan & Kourakuen ©tsunoken

2019年5月13日 (月)

四谷・麹町・番町を歩く

 たまには近いところで……、ということで四ツ谷駅で降りて新宿通りを半蔵門に向かって歩く。

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 四ツ谷駅前は左に雙葉学園と、右に上智大学っていう、ふたつのカトリック系の学校風景からスタートします。
 日曜日の聖イグナチオ教会の前は東南アジア系のカトリックの人たちが、いろいろな出店を出していたりして、ちょっとしたカオス状態になって面白かったんだけれども、いやあ、今やそんな雰囲気の街は東京中に溢れていて、物珍しくなくなってしまった。

 私自身の経験から言えば、3人の子供たちが四ツ谷駅前の幼稚園に通ったということがあって、毎朝、彼女ら彼らを送って四谷経由で会社まで通ったということもあって、そうか6年も通っていたんだなあ、という感慨もあるんだが、その前に、私自身の学生時代に日本テレビ報道部(当時は番町にありました)のアルバイトで、何度も通った麹町・四ツ谷界隈なのでもありました。

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 半蔵門へ向かう新宿通りは、いまや凄い広い通りになっているが、昔からかなり広い通りだったようで、そうか、甲州街道の一の宿場、内藤新宿や、尾張徳川家の下屋敷(現在の箱根山)からまっすぐに半蔵門へ行く道だもんなあ。
 まさしく、江戸時代の徳川家のメインストリートなわけです。なんとなく東京駅に近い和田倉門あたりの方が正門だという感覚がなくもないんだが、もしかすると電車が走っていなかった江戸時代は半蔵門が江戸城正門だったのかもしれない。

 そのメインストリートの外堀の脇が、右が上智大学、左が雙葉学園っていうカトリック系の学校っていうのが、いかにも日本が世の中のどんな宗教に対してもオープンな国だったっていうことがわかって面白い。

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 勿論、古くからの街なので昔からある神社なんかもキチンと残っていて……、っていうよりは、その場所にビルをたてちゃったオーナーが、やっぱり祟りは怖いってなもんで、神社をビルのどこかに作るんですな。

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 で、地下鉄の半蔵門駅あたりから新宿通りを左折した先が番町、っていうか昔の一番町です。
 この先、ちょっと下り坂になったあたりから、実は昔は番町商店街っていうのがあって、まさしく下町の商店街みたいなオヤジさん・オッカさんの店がいっぱいあったんですね。私が日本テレビでアルバイトしていた頃(40ン年前)には。

 つまり、山の手の街の一部に下町が混じっていた、っていうのが昔の江戸からの東京の街だったってこと。
 今みたいな「大東京」じゃなかったので、結構「小東京」のなかに、いろいろ山の手とか下町とかが混じっていたんですね。

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 で、半蔵門まで行けば、そこで終わり。
 天皇陛下が赤坂御所から通勤する半蔵門です。

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 しかし、この半蔵門前にある「淀橋台断面図」って、その大胆さに結構クラクラしますぜ。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Kojimachi & Bancho ©tsunoken

2019年5月12日 (日)

日大フェニックス、意外な勝ち方

 春のアメフトは、まあ社会人リーグの小さな試合などはあるんだが、学生アメフトは少し違う意味がある。
 基本的に1年ごとに選手が入れ替わる学生スポーツでは、春シーズンでどんな新しい選手が出てくるのかを、お互いに確認するためのゲームなんですね。つまり春シーズンは試合の勝ち負けよりは、相手の戦力分析が大事だっていう……、でも、見てる方からすれば単純に勝ち負けなんですけれどもね。

 ってことで、実は本来は東京大vs.京都大という定期戦を見に行ったんだが、その前戦、日大vs.東京学芸大もついでに見てしまおうと思ったんですね。まあ、カミさんが日大OGってこともあるんだけれどもね。
 実は前週に42対0っていう圧倒的な勝ち方をした日本大学PHOENIX、昨年は春シーズンの不祥事で秋シーズンは出場禁止となり、今年は自動降格となり関東1部リーグBIG8で戦うということになったんだが、実は前週のTOP8日本体育大学戦で42対0という圧倒的な差で勝ってしまって、まあ、さもありなんとは思っていた。じゃ、まあ今日の学芸大戦はフルボッコだなと思ってアミノバイタルフィールドに来てみれば、あれ? 7対0で学芸大リード? なおかつ学芸大の攻撃なので、そのまま見ているとたちまち14対0ですよ。

 う~ん、やっぱり対外試合に出場していないと、こんなに弱くなっちゃうのかな、なんてことを考えていたんだが。

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 まあしかし、第2クォーターあたりから、やっと日大にもパワーが出てきたらしく、第3クォーターには14対14まで戻して……。

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 第3クォーター残り6秒には14対21として、ほぼ試合を決定してしまう得点となる。

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 その後、双方とも頑張って最終的なスコアは20対24で日大PHOENIXの勝ちとなったんだが……

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 まあ、日大が東京学芸大に勝つなんてのは、私たちにとっては「当たり前」なんで、むしろ東京学芸大の善戦を評価したくなる。だって関東リーグ2部ですよ、東京学芸大は。落語の真打と前座が試合をしているようなもんだ。

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 しかしまあ、昨日の日大POENIXの試合のやり方を見ていると、今年はBIG8で全勝してTOP8最下位チーム(東大WARRIORS?)と戦って来年はTOP8昇格っていう図式が見えてしまっているのが、なんかつらいなあ。

 それで来年、BIG8に降格するのが東〇大学ですかねえ。

NIKON D7000 SIGMA DG 150-500mm f5-6.3 APO HSM @Amino Vital Field ©tsunotomo

 

2019年5月11日 (土)

「国立に住む」という選択?

 国立駅及び国立市について書くんだが、だいたい「国立」っていう呼称からして自然ではないんですね。
 なぜ「国立」なのか、要は「国分寺」と「立川」の間だから「国立」というのであって、駅名なんかで新しくできた駅が両隣の駅名をとってつけるっていう例はあるんだけれども、行政単位の呼び名までそんな感じでつけてしまうのはちょっと珍しい。
 もともとのこの地域の名前は「谷保村」と呼ばれていたんだが、今や「国立市谷保」という地名は、JR南武線の谷保駅あたりから国道20号線、さらに南の谷保天満宮あたりだけの呼び名となってしまい、国立はハイソな住宅地、谷保は昔からの田舎町という区分けになってしまっている。

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 国立と言えば一橋大学の街として有名なんだが、元々、箱根土地の堤康次郎が、谷保村に当時の東京商科大学を誘致しようとして、大学のために区画整理をして、大学を誘致し、その周辺に「学園都市」というイメージの住宅地を総合開発したのが、元々の国立の始まり。

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 あれっ? 箱根土地の堤康次郎っていえば、練馬の大泉学園でも同じようなことしてたでしょ。って思う貴方は記憶が正しい。いつかのブログでも書いたけど、実は一橋大学の誘致っていうことで言えば、大泉学園もそのつもりで宅地開発をした場所なのである。

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 で、結果から見れば堤は谷保と大泉で似たようなコンセプトの街づくりをして、結局、それを自ら両天秤をかけて、結局、谷保は国立となって大学の誘致に成功して、宅地開発も成功。うまくいかなかったけれども、大泉学園は駅名と町名だけ残して「何となく学園イメージ」でもって勝負というビジネスモデルを作ったわけだ。

 まあ、そこに住まう人たちも結局は「街イメージ」だけで住む場所を決めてしまうんですね。結構、「浅はか」です。
 三菱の岩崎久弥が作った駒込の大和郷といい、東急の五島慶太が作った田園調布といい、結局、必要なのは「街のイメージ」なんです。

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 一番上の写真の国立駅の写真は北口の写真なんだけれども、実はそちらは国分寺市。なので、国立市の宅地開発からは大分遅れて最近になってやっと市街地化された場所なんですね。
 国立って、意外と底が浅いんですね……、なんて言っちゃっていいんでしょうか。

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 国立駅南口からは道の両側に一橋大学を配して、その先に住宅地を配置し、それらをすべてまっすぐな道でつないでいるっていう、典型的な計画都市の様相を呈しています。

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 まあ、それはそれでハイソサィティなイメージの街並みではあるんだけれども、じゃあ、そこに住むか? って聞かれちゃうとなあ。

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 私はもうちょっと下町の「計画されていない」下卑た町の方が好きです。
 いわゆる「作られた町」よりはね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Kunitachi ©tsunoken

2019年5月10日 (金)

(モノクロ)写真の原点

『アサヒカメラ』の5月号の特集テーマが『「攻め」のモノクロ写真」っていうんだけれども、そうか今やカメラと言えばデジタルカメラ、デジタルカメラと言えばカラーが普通だからなあ。つまり、モノクロ写真っていうものが、現代では、どちらかというと特殊な表現技法だという時代になったっていうことなんだ。

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 私が写真を始めた小学校5年生の頃は、まだまだ写真フィルムっていうのも多少は贅沢品扱いされていた時期で、当時、メインで使っていたフィルムは富士フイルムのネオパンSSというISO(当時はASAと言っていた)100のフィルムで、1953年(昭和28年)に登場したモノクロフィルムだった。
 まだまだ、コダックなんかの輸入フィルムは高くて手に入らず、取り敢えず国産のモノクロフィルムが写真生活のスタートだった。今では普通に使っているコダックのトライX(ISO400)はまだできていなくて、プラスX(ISO100)であったように記憶しているのだが、詳しくは分からない。

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 で、そのネオパンSSでもって撮影に行ったのが、家から近かった西新井大師であります。

 西新井大師はそれこそ大本山の川崎大師ほどには大きな寺院ではないけれども、でも、かなり大きなお寺で、松竹が「寅さんシリーズ」を製作するにあたって、柴又の帝釈天と西新井大師のどちらを舞台にしようか検討した結果、規模の多少小さい柴又帝釈天に決めたという経緯があるそうだ。
 両方とも京成金町線の柴又駅、東武大師線の大師前駅からごく近い場所にあり、門前町も適当な大きさで甲乙つけがたかったらしいのだが、多少はコンパクトな帝釈天の方が「田舎っぽい」というところで、決まったらしい。

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 その西新井大師なんだが、やはり映画の効果は大きかったようで、柴又帝釈天の参道はいまや超賑やかな参道になっているが、西新井大師の方はちょっと寂しい感じがする。
 下の写真の左側も草団子屋さんなんかがあったところなんだけれども、工事が始まっているようで更地になっている。何ができるんだろうていう点には興味津々なんだけれども、マンションなんかはできないほうがいいな。

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 それはさておき、要は私が写真を始めた時は、カラー写真(当時は総天然色写真っていった)のほうが特殊なものであって、普通写真と言えばモノクロ写真だったわけで、結果として、今でもモノクロ写真を撮っているのも、特に何かを狙っているわけではなくて、ごく普通に「写真を撮ろう」というと、自然にモノクロ写真っていうイメージになってしまうのであります。なんかカラー写真って情報過多な感じがしてね。

 なので、『アサヒカメラ』が改めて「モノクロ写真」というものに目を付けて特集をするっていうことには、若干違和感を感じながらも、まあ、今やそういう時代なのかなという気がしないでもない。

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 今や私のカメラもEPSON R-D1sは、ほぼ「ワイドレンズ+モノクロ写真」専用になってしまっている。デジタルカメラなんだけれども、モノクロで表現している写真は基本的に撮影時からモノクロ設定で撮っており、カラーで撮って色を抜いてモノクロにしたものではありません。じゃないと出来上がりがイメージできないんですね。カラーはあくまでカラー、モノクロはあくまでもモノクロで、というのが基本である。レンジファインダーでモノクロ写真っていうのは、ライカとトライXで撮影していた頃の名残にすぎないのだが、なんか飽きないんだなあ。
 そうか、たまにはライカM6でもってトライXで撮影をしようかな。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Nishiarai & Sugamo ©tsunoken

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2019年5月 9日 (木)

守谷城って何だ?

 そういえば、つくばエクスプレスで守谷駅って行ったことがなかったなあ。
 以前、守谷と言えば常磐線で取手まで行って、関東鉄道常総線に乗り換えてはるばる守谷駅まで行った記憶がある。いつのことだったんだろう? その時すでにつくばエクスプレスは開通していたのだろうか。

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 今や北千住まで30分という、東京までの通勤圏に入っている茨城県の守谷市なんだが、たしかにつくばエクスプレスの守谷駅のそばは高層マンションや一戸建ての住居なんかができていて、多少は「らしく」はなっているんだが……

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 まあ、いまだに関東鉄道常総線は「一両編成・ディーゼル」っていう、典型的な「田舎の電車」だし、駅からほんの少し離れてしまうと典型的な「田舎の風景」が広まってくる。

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 で、そんな田舎道を歩いていると、守谷小学校の脇にあったのが「茨城百景 守谷城址」という碑。

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 この守谷小学校もその城域だったらしい守谷城なんだが、どんな城だったんだろう。

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 城域の方に進んでいくと、空堀や土塁の跡なんかも多少は残されているようで、城全体の大きさはかなりのものがあるようだ。中世の城みたいな「砦としての城」というよりは、統治のための城だったようだ。

 まあ、関東の城なので、言わずもがなの平将門の叔父の末裔が作ったなんていう話があるようなのだが、それは定かではない。
 なおかつ、豊臣秀吉の小田原攻めの際に、この城も廃城になってしまったようで、その後どうなったのかは分からない、という関東の城特有の「その後どうなったのか分からない」話なんですね。

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 まあ、ここに城があったというのは残された地形からも分かるんだが、じゃあ、この場所に城を作るっていうことが地政学的にはどんな意味があるんだろうかっていうのが良く分からない。

 まあ、周辺は肥沃な土地ではあるようなので、戦の武将っていうよりは、豪族の末裔だった平将門の叔父の末裔(って、何だ? それは?)が年貢を集めるために造った城なのかな、という気がしてきた。

 水戸街道の要衝だった取手じゃなくて、守谷ってのがね……。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Moriya ©tsunoken

2019年5月 8日 (水)

千鳥久保貝塚を求めて

「千鳥久保貝塚」というのがあるらしいので行ってみた。別に「令和」とは何の関係もない。

 東急池上線の千鳥町の駅のそばらしいんだが、五反田から行って手前の雪が谷大塚で下車して、線路に沿った道を歩いてみる。
 工程としては「雪が谷大塚→御嶽山→久が原→千鳥町」という順番だ。

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 とは言うものの、雪が谷大塚とかを過ぎてしまうと、もうそこは住宅街で、はっきり言って写真に撮っても面白そうなものは何もない。

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 途中の公園で一休みしていても、別に面白そうなものが展開するわけでもないし、ただただ、ヒマな時間が過ぎていくだけだ。

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 まあ、唯一写真を撮りたくなるのが御嶽山駅そばの「御嶽神社」くらいのものかなあ。
 ただし、ここは以前にも来てレポートしたことがあるのでハズします。

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 で、もうひとつ先久が原駅まで行くと「久が原ライラック通り」という商店街に出るんだが、そこもまあ、商店街としてはあまり盛んじゃなくて、じきにふたたび住宅街になっちゃうんだなあ。

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 で、その久が原ライラック通りを終点辺りまで行くと、最早、近い駅は千鳥町駅になってしまう。
 で、GooGle Mapではその辺りに「千鳥久保貝塚」があるはずなんだけれども、周辺どこを歩いても、なんかそんなもの示す「碑」なんかはないんだなあ。

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 ようやくたどり着いたのが、この家の敷地内に「千鳥久保貝塚」があったらしいという情報だ。
 まあ、多摩川に近い場所で、なおかつ高台のそばに位置するこの場所なので、貝塚があったことは十分予想できるんだが、しかし、個人のお宅の庭に入り込むわけにもいかず、「貝塚探し」は終わってしまいました。

 こういうのはやっぱり大田区辺りが個人のお宅を(言い値で)購入して、公園か何かにしておかなければねえ。

 海岸に近い大田区は工場地帯だけれども、高台の大田区は(高級)住宅地だっていうことが良く分かる一日ではありました。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Kughara Ota ©tsunoken

2019年5月 7日 (火)

10連休最終日はラクロスだっ! って、何で?

「連休最終日が何でラクロスなのか?」って聞かれたって、私には分かりません。しかし、5月2日のアメフトに続いて、5月6日はラクロスの日だったのである。

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 しかしまあ、アメフト選手たちもゴールデンウィークに奥さんや家族を捨ててアメフトに走っちゃうんだなあ。というアメフト選手に、同じマイナー・スポーツマン同士一緒にやりましょうよっていうことではないのであろうけれども、長い、長い、長~い10連休の最終日をラクロス日にしちゃったんですね。

 それも、1日で予選から決勝までやっちゃおうという超過密スケジュールまで組んじゃってさ。とは言うものの、参加チームは4チームだけでトーナメント戦を戦うというもの。つまり、第1戦、第2戦は予選、第3戦は3・4位決定戦、第4戦が決勝戦というシンプルなもので、それぞれの試合は、本来は20分クォーターで戦うはずなんだけれども、この日は20分ハーフというお手軽メニュー。

 なんかね、マジメに試合しようっていうよりかは、春はリーグ戦もないし、ヒマだからなんか試合しようぜってなノリの大会なんだなあ。

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 基本的なことを言ってしまえば、春と秋の両方でリーグ戦を戦う東京六大学野球と東都大学野球リーグだけが関東の学生スポーツにおける変な例で、実は、春シーズンは対抗戦やオープン戦などで新人育成をしつつ、秋シーズンへの準備をするっていうのが学生スポーツの基本的なあり方なんだ。

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 クラブチームのスポーツも同じような感じで年間計画が作られていて、春シーズンは基本的に新チームの形を作るシーズンとして、その形を確かめる練習試合、オープン戦でもって練習を兼ねて試合をするっていう感じなんだが、実は、観客に対してそんな「秋シーズン」と「春シーズン」の試合の意味の違いを観客に知らせる努力をしているスポーツ関係者は一人もいない。

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 プロ野球とか大相撲って一年中ドンチャカドンチャカやっていて、なんかスポーツって(ウインタースポーツ以外は)一年中やっているのではないのだろうかというのが日本人の認識なんだけれども、それは大間違いで、そんなオールシーズン・スポーツっていうのはないのです。

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 まあ、このラクロスっていうスポーツも日本における超マイナースポーツではあるので、プレイヤーの自分たちが楽しむのはいいんだけれども、もうちょっと「ラクロスって何だ」ってことをアピールする方法論を考えた方がいいんじゃないのかなあ。

 いつまでも田中麗奈の『ドラッグストア・ガール』に頼っていなんじゃねえ(おまけにこれは女子ラクロスで、男子ラクロスとは全然ルールが違うんだけれどもなあ)。

 まあ、ラクロスが日本でメジャースポーツの地位を獲得する日は……、まあ、当分来ないでしょうね。

NIKON Df SIGMA DG 150-500mm f5-6.3 APO HSM + SIGMA APO TELE CONVERTER 2x EX DG @Komazawa Olympic Park ©tsunoken

2019年5月 6日 (月)

鶴見駅西口を往く

 JR京浜東北線鶴見駅は何度も降りている駅なんだが、基本的には東口の方から出て、第二京浜国道(国道15号線)やら、更に東の方、要は京浜工業地帯の方向にばっかり、最近は行っていた。

 で、今回はちょっと趣向を変えて鶴見駅を西口方面へ出てみた。

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 当然、鶴見という町は曹洞宗大本山総持寺の門前町なのであります。
 元々、総持寺の大本山は石川県のそれこそ門前町にあったんだけれども、今はここ神奈川県横浜市鶴見区にあるんですね。門前町の総持寺も、いかにも仏教寺院の総本山という感じのお寺で、そちらの方が大本山という雰囲気には合っているような感じがするんだけれども、まあ、首都が京都から江戸(東京)に移っちゃったらね、そりゃ人が多いところの方に大本山も移っちゃうんですね。

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 東口の方に出て国道15号線に沿って歩いていると、基本的には昔の海岸線の道を歩いていることになるので、実に平坦な道を歩いている感じで、それが「神奈川=横浜」の道であるかのような感じがあるのだが、実は旧東海道を歩いてみても分かるんだけれども、実はこの辺、つまり横浜市の東海道って結構山道で、そんな山と浜の間にある道が昔の東海道だったんですね。

 その辺を証明するのが、この「旧花月園」です。
 京浜急行の花月園前駅から行くんだけれども、今や「花月園競輪場」はありません。
 下の道から見ると、こんな丘を登っていくと昔の競輪場があったんですね。

 茨城県の取手競輪場なんかもそうなんだけれども、もしかすると昔は競輪場のバンクを作る技術がなかったのかもしれない、という感じで、古い競輪場ってこんな丘の上に作られているんですね。
 つまり、バンクは平地から上へ作るんじゃなくて、丘の上から下へ掘り下げていくっていう感じでしょうか。
 競輪場っていうと後楽園競輪場みたいな普通の地面から上へ立ち上げるっていうイメージをする私たちの世代からすると、取手や花月園っていうのは、「ええっ?」から「なるほど」へと変化する、メルクマールなんです。その後の競輪場はだいたい上へ立ち上げる感じで作っています。

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 まあ、そんな感じで鶴見から横浜方面へ歩いていると、とにかく道の右側はすべて坂道なんですね。

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 それもこんな感じの石垣状の掘割みたいな急坂です。
 要は、この辺りの道は海辺を進む東海道よりちょっと上の、まあ、並行している道なんですね。つまり、もしかすると「東海道の裏街道?」って感じなのかもね。

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 で、そんな旧坂の下にあるのが「国鉄鶴見事故遭難者慰霊碑」です。
 戦後の国鉄五大事故ってのがあって「1951年 桜木町事故」「1954年 洞爺丸事故」「1955年 紫雲丸事故」「1962年 三河島事故」「1967年 鶴見事故」っていうのがあるそうだ。
 1951年生まれの私としては、その中で知っているのは三河島と鶴見くらいかな。まあ、そういう意味では、多少なりとも私も知っている事故ではあるので、慰霊碑を訪ねたわけです。

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 しかし、この鶴見駅西口駅前の鶴見写真機店って、いやいやいやいや、昔のアナログカメラを沢山扱っている写真機屋さんなんですね。
 こりゃ、横浜方面で要チェックの店が増えちゃったなあ。

EOSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Tsurumi Yokohama ©tsunoken

2019年5月 5日 (日)

キッズフェスかオクトーバーフェストか

 5月4日は中野駅北口の中野セントラスパークで「ナカノ・キッズフェス2019」が開催された。

「ナカノ・キッズフェス」って何だ?

『子供たちが自分のおもちゃをリサイクルするフリーマーケット「MOTTAINAI キッズフリーマーケット」と、地元商工業者のアンテナショップで店頭販売を体験するワークショップ「アンテナキッズカフェ~リアルお店やさんごっこ体験!~」を実施いたします。この他に親子撮影会、地域の子供たちによるステージパフォーマンス、お相撲体験や木工体験、参加型のライブペインティングなど地元の企業・大学などによる様々なワークショップも開催』

 というイベント。

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 ナカノ・キッズフェス実行委員会が主催をし、東京建物が共催をして、帝京平成大学、東京土建組合中野支部、パスシルテム東京、東都生活協同組合などがブース出展をしているイベント。もう既に6回目を数えるらしい。

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 そもそも、「中野セントラルパーク」って何だ? 池袋ウェストゲートパークなら知っているけど、中野セントラルパークって聞いたことはないなあ、っていう人は多いと思う。

 中野セントラルパークっていうのは、JR中野駅の北口を出て少し高円寺方面へ行ったところにある、公園のこと。
 以前は警察学校があった場所……っていうか、もうちょっと前の世代にとってはスパイ養成の陸軍中野学校があったところ、で、更に遡ると第五代将軍徳川綱吉が「生類憐みの令」を発し、幕府の野犬保護施設「犬屋敷」を作ったところです。

 現在は警察学校は調布に移って、警察病院、早稲田大学、明治大学、帝京平成大学なんかのキャンパスがあるところである。

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 東京建物もこのセントラルパークに隣接している場所にマンションを持っている関係で、いろいろな土地利用でもって地方公共団体との交渉経験を持つ関係から共催をしているのだろう。

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 まあ、周辺のマンションなんかに住んでいる人たちの子供たちを、この長い連休中に遊ばせるいい機会ではあるっていうことなんだろう。
 お金のかからないイベントとして、なかなかの人出ではあるようだ。

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 でもね、そのすぐそば、道路を一つ隔てた場所で「ナカノ・オクトーバーフェスト」ってのをやっているんですなあ。
 まあ「5月(メイ)なのに、何で10月(オクトーバー)?」なんてことは、もう言わないようにしているんだが……。

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 本場、ドイツのオクトーバーフェストと言えば「酔っ払いのお祭り」なんですね。すごいなあ、「子どもフェス」の隣で「酔っ払いフェス」だもんなあ。

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 実は、キッズフェスに来ているお父さんたちは、実は酔っ払いフェスに行きたかったのかもね。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Nakano ©tsunoken

 

2019年5月 4日 (土)

国分寺・電車開通記念道路碑

 国分寺駅を降りると普通は南口の方に出ることが多い。

 まあ、つきあいのあったアニメ会社なんかが南口だったし、よく行っていた武蔵国分寺なんかがあるのも、国分寺駅南口から坂を下りて行った先の方なので、なんとなく北口で降りることはない。

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 北口は以前はゴチャゴチャした飲み屋街が展開していて、かなり猥雑な街ではあった。それが今や再開発で北口駅前には上にタワーマンションがある駅ビルが出来ちゃうし、駅前もきれいに整備されてしまうようだ。
 もう、昔みたいな「国分寺駅前の飲み屋街」なんてものはなくなって、「清潔な街・国分寺」になってしまうんだなあ。なんてことを考えながら駅前通りを北上すると、駅からホンの少し歩くと、あるんですねえ「電車開通札乃丘十五年記念道路碑」が。

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「札ノ丘」というのはこのあたりの昔の地名だったらしく、近所の商店街にもそんな名前がついている。「十五年」の意味は分からないなあ。
 で、もっと分からないのが「電車開通記念道路碑」なんですね。

『明治22年(1889年)に、新宿・立川間で開通した甲武鉄道(現在の中央線)が政府に買収され、その後大正11年に国分寺駅まで電化が進み、電車が通ることになったのを記念して、同年11月21日に建てられた碑です。』

 っていうのが国分寺市のサイトには書かれているんだが、何で、こんなに中央線の国分寺駅から離れたところに記念碑があるんだろう。

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 本来ならば、現在の国分寺駅のそばにあってもおかしくはない碑なんだけれども、何故か、駅から数分歩いたこの場所に?

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 Google Mapで調べたら近所に国分寺市民俗資料室というのがあるそうなんで行って見たんだが、残念ながら昨日は休館。まあ、ゴールデンウィークなんでそれは仕方がない。今度、別の日に訪ねてみよう。

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 しかし、国分寺は古い町なので、いたるところにこんな小さな祠があるっていうのが面白い街だ。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Kokubunji ©tsunoken

 

2019年5月 3日 (金)

令和二日目は、アメフト初日なのである

 令和二日目なんだが、それとは関係なく、アメリカンフットボールではいよいよ春のトーナメント戦がスタートする日なのであります。

 とは言うけども、実は社会人Xリーグ、春のトーナメントは既に4月に始まっていて、X1ではとりあえずノジマ、富士通、IBM、オービックというお馴染みのチームが2019年パールボウル初戦を勝ち抜いている。

 5月に入るとX2スプリングボウルが始まって、昨日はその初戦、ブルザイズ東京vs.横浜ハーバーズ戦が行われた。
 実は、ブルザイズ東京は昨年のX2で優勝して、X1との入れ替え戦にも勝利し、今年からはX1昇格なんだけれども、Xリーグの編成替えの関係で、今年の春まではX2で試合を行うということになったようだ。

 ということなので、昨日の試合は「X1認定」のチームとX2のチームとの試合みたいな感じで、まあ、予め勝負は見えていたんですけれどもね。

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  実は、このブルザイズ東京っていうチームには山内薫平っていう立教大学ラッシャーズ出身の選手がいて、「クンペイ・ヤマウチ」というニックネームで親しんでいたんだが、残念ながら2016年シーズン終了後にX2に降格になってしまい、ちょっと不遇な二年間を過ごしていたのである。

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 でもまあ、今年からはX1である。
 X2のチームと試合をして負けるわけにはいかないでしょう。

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 で、昨日大活躍したのが#23ランニングバック(RB)のタイロン・ジョーンズ選手であります。
 もう、エンドゾーン30フィート位になっちゃうと、もうタイロン・ジョーンズの突破力にお任せなんですね。勿論、オフェンスラインのカバー力があってのRBなんだけれども、RB自身の敵陣突破力っていうのもあるんですね。

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 なにしろ、ブルザイズ東京の昨日の得点52点の内、3タッチダウン(TD)つまり「18点+トライフォーポイント3点=21点」がタイロン・ジョーンズの得点のようなものなのであります。特に、試合前半で3タッチダウンを取ったっていうのが大きいですね。
 身長は170センチ位の、日本人のアメフト選手としても小柄な選手。多分、アメリカのNFLドラフトでは問題外なので、どんな仕事をしているのかは知らないのだが、取り敢えず日本で何かの仕事をしながらアメフトの選手もしている、っていうタイプのプレイヤーなのかも知れない。

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 ただし、まあXリーグの上位チームっていうのは、日本でいう「実業団」っていうのとはもうちょっと違うレベルなんで、ブルザイズ東京も、上がっていくのは大変だろうなあ。

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NIKON Df SIGMA DG 150-500mm f5-6.3 HSM + APO TELE CONVERTER 2x EX DG @Amino Vital Feild Chofu ©tsunoken

 

2019年5月 2日 (木)

「令和を寿ぐ」のか

 令和元年5月1日は、取り敢えず午前中は「剣璽等承継の儀」と「即位後朝見の儀」をテレビで見て、まあ、お昼になってしまったので、近場の文京区を歩いた。

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 なんでも文京区が「住みたい区」ナンバー1になったらしいんだが、その票数が160人って何なのよ。3,000人くらいのサンプル数で1位になってもなあ、っていう気持ちで入るんだけれども、その一方では文京区民としては晴れがましい気持ちになったことは事実ではある。でもねえ、所詮160人でしょ。

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 まあ、それはそれとして、いろいろ文京区内を歩いてはみたんだが、それほど浅薄に「奉祝 令和」の文字は見えなかったというのが、その結果だった。

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 まあ、駒込天祖神社は祭神が天照大神という伊勢神宮と同じ祭神を祀っている神社なので、「奉祝 令和」は当たり前。

 それ以外には、国立大学や区役所なんかにも「奉祝 令和」の文字はない。

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 まあ「令和」の文字が載っているのは、普通のお店だけ。

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 と言って、それが特別なにかの「決め手」になっているとは思えないなあ。

 まあ、普通の町の「令和」って、そんな感じのものなんでしょうね。

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 学習院から悠仁様を奪っちゃったお茶の水大学もどうかといえば、そりゃありませんね。
 いまやそれどころじゃないのでありました。

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 まあ、普通は浅薄に「流行」に乗るのがお得意の出版社であっても、何もない。まあ、最近の出版社はみんなお休みなので、あまり浅薄に乗らないのかなあ。
 テレビ局なんか、もう休日なんかないブラック企業なので「令和最初……」「令和元日」「令和初日」のオンパレードだもんなあ。出版社ももうちょっと浅薄に流行に乗るっていう姿勢を取り戻さないと、時代に取り残されちゃうよ。

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 なあんて言って、一番浅薄に令和ブームに乗っているのが我が家なのでありました。
 下に写っている「惣花」っていうお酒は、宮内庁御用達で、祝賀の賓客をおもてなしするお酒なのであります。

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 勿論、このお酒を呑んで、我が家は令和を祝したのであります。
 なんだ、一番軽薄だったのはウチだったのか。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 / NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f2.8-4 D @Several Point in Bunkyo City ©tsunoken

 

2019年5月 1日 (水)

シド・ミードはアーチストなんだろうか

「ありがとう平成、おめでとう令和」っていう言葉とは何の関係もないんだけれども、神田末広町の錬成中学校跡にできた「アーツ千代田3331」に行ってきた。令和って言ったって、令和30年に私は98歳なので、もしかするとまだ生きているかもしれない。なので、その時になって、またまた「〇〇元年おめでとうございます」なんて書くのもなんか気恥ずかしい。

 で、「シド・ミード展」が開催中です。全然、関係ないですけれども。

 まあ、いかにも秋葉原という街にそぐった展示会ではあると思うんだが……。

 シド・ミードと言えば、「ブレードランナー」や「エイリアン」でお馴染みのメカ・デザイナーという認識だったんだけれども、実はそうじゃなくて、自動車メーカーのフォード出身の工業デザイナーで画家だったんですね。

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 アニメやSFのメカ・デザイナーというと、アーチストっていうより「職人」っていう感覚なんですね、私ら元アニメ関係者としては。つまり「独創的な画を描ける」ということよりも、監督やプロデューサー、アニメーターたちのイメージをどうやって具現化するのかっていうのが、デザイナーっていう感覚だったんですね。

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 まあ、最低のことを言ってしまうと、ビジュアル・イメージが出来ていない監督やプロデューサーに対して、映画全体のビジュアル・イメージを提示して、その中のキービジュアルになるメカなんかのデザインをするのがメカ・デザイナーの仕事で(も)あるんだっていうのが、本展示を見た結果として言えることなのである。

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 まあ、なんだ映画全体のストーリー・イメージは出来ているんだが、それを決めるビジュアル・イメージは出来ていないというのが、実写映画監督の基本的な立ち位置なのかもしれないし、一部のアニメーター出身のアニメーション監督以外は、やっぱり同じなんだろう。

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 いずれにせよ、これらの絵の集積が「アート」なのか、単なる「ビジュアル・デザイン」なのかは、私なんかが見ても分からないことである。

 でも、やっぱり「アート」とは言い難いんだなあ。「アート」であればそのままで「完成形」なんだが、あくまでも「ビジュアル・デザイン」であり「メカニック・デザイン」である以上、結局その結果は出来上がった映像でなくてはならないはずなんだ。

 基本的に言ってしまうと、「中途半端」なんですね。これらの「絵・画」は。

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 おお、そういえば5月9日から15日は神田祭だ。

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「シド・ミード展」は5月19日まで3331 ARTS CHIYODAで開催中

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 しかし、スマホやタブレットでの撮影はOKなんだけれども、デジタル一眼は撮影禁止なんだって。意味が良く分からんな。じゃあ、会期中にアナログカメラで撮影に行こうかしら。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Soto Kanda ©tsunoken

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